好きな人と兄貴分


知らない人に着いていってはいけません。知り合ったばかりの人にも着いていったらいけません。
…そんな言葉が脳裏に浮かんでは消えていくけれど、部屋に上がり込んでしまった以上、それは今更なんじゃないかなって思い直す。つーか、悟空も一緒なわけだしね、何か大変なことが起きるわけがないんだ。うん。

自分のテスト勉強をしながら、八戒さんに教えてもらっている悟空をチラリと見上げる(悟浄さんは自分の家へと帰っちゃいました)。僅
かに目を伏せながら悟空に教えている八戒さんの姿はとても綺麗で、中性的な顔をしてるんだなぁこの人ってよくわからない感想が浮かんだんだけど。…うん、やっぱり綺麗な人だと思うな。


「(笑顔とか、仕草とか、…そういうの全部ひっくるめて綺麗だなって思うのは、おかしいのかな)」


男の人に向かって綺麗、だなんて。どう考えたって褒め言葉になんてなりゃしない。


「…梨花さん?どうかしました?」
「あ、…えーっと、この問題難しいなぁって思っただけです」


苦し紛れに今解いていた問題を指させば、どれです?って教科書を覗き込んできてすぐ近くに寄ってきた彼にドキンッと胸が痛いくらいに高鳴った。
う、わ…!何だ今の!!!こ、こんなの今までに感じたことなかったよ?病気?私は病気なのか?!八戒さんに教えてもらいながらも一向に鎮まる様子のない心臓に、そして半分パニックになりかけている思考回路に溜息を吐きたくなる。
ひとまず平常心だ、とすぐ横にある八戒さんの気配を気にしないように、教科書へと視線と意識を集中させる。そうすれば彼の存在感にドキドキすることもな、い………


「(わけないですよね!そうですよねごめんなさい!!!)」


ああもう、すみません素直に謝りますこんな至近距離にこんな綺麗な人がいたら平常心でいられないですー!!!
誰に言い訳をしているのかは自分でもわからないけど、でも今ものすっごくテーブルに頭をゴンッてぶつけたくなった。それもものすっごい勢いで。そんなことしちゃったら2人がびっくりしちゃうだろうからしないけど。


「…というわけなんですが、わかりにくいとこありませんでした?」
「う、ううん!大丈夫、とってもわかりやすいです」
「そうですか?なら良かった」


あ、またあの柔らかい笑顔。…そうだ、私は八戒さんのこの柔らかくて優しい笑顔が好きだなぁって思ったんだ、初めて見た時からずっと。そう思った瞬間、何だかほんわかした気持ちになって…うるさかった心臓も少しずつ静かになっていく。
これで勉強に集中できる、と思っていた矢先、ガチャガチャと鍵を開ける音がしてドアが開け放たれた。ただいま、と鈴を転がしたような声が聞こえ、八戒さんがおかえり花喃、と立ち上がる。
この綺麗な女性、…だれ?ただいまって言ってたってことはこの家の住人ということで、それで…八戒さんもこの家の住人。その答えは、深く考えないでもわかった、この女性は八戒さんの恋人なんだってこと。
聞いてみなくちゃわからない、っていうのはよくわかってるのに、でもきっとそうなんだ。その他に男女が一緒に暮らす理由なんてないもん。


「あら、悟空くんいらっしゃい。そちらの女の子は初めましてね、八戒のお友達?」
「え、っと…図書館で、よくお話、させてもらってて―――ご、ごめんなさい!用事思い出したので帰りますっ!」
「ちょ、…梨花さん?!」
「あっ待てよ梨花!」


皆が驚いているのを無視して、私は彼らが住む部屋を飛び出した。エレベーターに乗って、それで早く家に帰ってしまおう。
前を見ずに走り出したのがいけなかった、タイミング良く(悪く?)部屋から出てきた誰かに思いっきりぶつかってしまったのです。でもこんなぐちゃぐちゃな顔を上げられるわけもなく、態度が悪かろーが何だっていい、とりあえず謝罪の言葉だけ口にしてさっさと立ち去ろう、としたのに、腕を掴まれた。えっちょ、なに?!
びっくりして思わず顔を上げて、すぐに後悔した。…私がぶつかったのは何と、悟浄さんだったのだ。ほんの2時間ほど前にわかれたはずの悟浄さんが何故、再び外に行こうとしてるのでありましょうか。そしてそのタイミングがもう少しズレてくれていたらもっと良かったです。


「なに、どしたの?梨花ちゃん」
「ッ、…うー…!」
「ぅわ!ちょ、泣くなって!ああもう仕方ねぇなぁ…ウチ、じゃアレだから…近くのカフェ行くか」


ほら行くぞ、って私の腕を引っ張る悟浄さんは、きっと面倒見のいい兄貴肌。
連れて行かれたのはマンションにほど近いカフェ。雰囲気は駅前の方が好きだけど、此処も落ち着いた感じで嫌ではないかも。グスグスと鼻を啜りながら今度は温かいミルクティーを、悟浄さんはアイスコーヒーを注文してひとまず沈黙。

…マズイ、気が動転してたとはいえ今日初めて会った人に泣き顔を晒してしまった。しかもすっごいぶっさいくなのを。見苦しいものを見せてごめんなさい、悟浄さん。


「…ご迷惑をおかけします…」
「いや、煙草買いに行こうとしてただけだから別にいーけど、…どした?」
「えっと、…何があったってわけじゃないんですけど、」


八戒さんに綺麗な彼女さんがいたんだなぁ、って思っただけ、で。ボソリとそう呟いたら、悟浄さんは思いっきり目をまん丸にしてアイツ彼女いたのか?!ってびっくり顔。
そんな彼の反応に今度は私がびっくりする番です、え、八戒さんと悟浄さんって隣に住むくらいに仲良さそうなのに知らないの?だって一緒に住んでましたよ?それなのに知らないって、どれだけひた隠しにしてるんだ。…でも悟空は知ってるみたいだったよね、あの女性も悟空の名前知ってたし。
よくわからなくなってきた、とあの部屋で見たことを悟浄さんに話してみれば、急にくつくつ笑い始めちゃった。え、今度は何ですか?


「あー、成程そういうことね」
「え、…え?ちょ、悟浄さん1人で納得しないで下さいよ」
「梨花ちゃんが言ってるその綺麗な女、それ八戒の双子の姉貴だよ」
「ああ、そうなんですか。双子の……双子?!」
「そ。花喃だろ?」


ああ、確かに八戒さんはそう呼んでいましたけど。


「は、はい…そう呼んでました」
「アイツ、姉貴と一緒に暮らしてんだよ。だから彼女なんかじゃねーの」


ホッとした?
煙草を口に咥えてニヤリ、と笑った今の悟浄さんは、ちょっとだけ意地悪だ。きっとこの人は私の気持ちを理解した上で、そんなことを聞いてきているんだと思うんです。…じゃなきゃ、こんな意地の悪い笑みなんか浮かべないと思うしね。
…だけど、悟浄さんと話していてようやく自分の気持ちがわかった。私は八戒さんが好きなんだ、だから彼に恋人がいるんじゃないかって思った時、あんなにも嫌だって思ったんだ。それこそ泣いて逃げ出してしまうくらいに。
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