6月29日
電車を乗り継いで二時間半。車窓からの景色はすっかり田園風景に変わり、乗り合わせた乗客も少しずつ減っていく。シュウとオレは、今日日珍しいボックス席で向かい合いながら、他愛ないことをぽつりぽつりと話した。
降りた駅は終着駅の三駅手前で、駅前は開けたように何もない。いや、いつ頃に作られたのかわからない、観光客向けの看板が佇んではいたけれど。
どうやらオレたちの他に旅行目的の客はいないようで、ロータリーはこじんまりとのどかだった。ちょうど昼時で腹が減っていたので、適当に選んだ蕎麦屋の暖簾をくぐる。
「お客さん、珍しい時期に来たねえ」
オレはたぬき蕎麦を、シュウはざる蕎麦を頼んだ。
店の主人らしき親爺は退屈していたのか、よく話しかけてくれた。
「この辺は、桜の時期か紅葉の頃が稼ぎ時だからねい。夏の間なんかみーんな海のほう行っちゃうからさあ。でも魚が美味いのは今頃なんだよね。魚っても川魚だけどねェ……」
おまけ、と小魚の天ぷらが出てきた。断る理由もないのでありがたくいただいた。
それからタクシーを呼んで宿に向かい、着いたのは午後三時過ぎくらいだ。太陽はまだ高く、部屋の窓からは、宿の裏手を流れる川がよく見えた。
「昔ながらって感じの部屋だな」
「そういうもの?」
部屋は和室の十二畳。広縁にはローテーブルと椅子もある。典型的な温泉宿の設えだ。
「部屋風呂が半露天になってるから、大浴場に行かなくても温泉に入れるぜ。それとも、先にその辺散歩して来るか?」
「……そうだね」
ぱちぱち、と瞬きした後、シュウはこっくりと頷いた。珍しく、理解がわずかに遅れているようだった。
「晩飯が17時半だからな。軽く散歩して、ひとっ風呂浴びたらちょうどいいだろ」
何を言われているのか、やっと得心したように丸い頭が頷く。
荷物を置いてしまうと、ずいぶん身軽だった。
知らない道を歩くのは楽しい。
知らない人に会うのも楽しい。ただの旅行者でしかない一期一会の出会いは気楽だ。だから、オレは旅が好きだった。
シュウを連れ出したのも、その程度には軽く、同じくらいには重い理由だ。他でもない、この休暇の思い出が欲しくなった。
これまでの記憶に混ざり込んでしまわないような、今のシュウとの、一番新しい記録。
何度か、携帯端末で写真を撮った。
「やっと休暇っぽいことしてるな」
「はは、確かに」
川辺を歩いて、温泉に浸かって、美味いメシを食って、酒も少し飲む。
夜もすっかり更けてから部屋の電気を消すと、広縁の窓からさえ見事な夜空が見えた。
「月はほせーな」
「三日月だ。来月の中頃が満月かな……」
来月。
その頃には、もうシュウはいつも通りの生活に戻っているだろう。
惜しんでいるのか、いまさら寂しいとでも思うのか、自分でもよくわからない。
戸惑うようにシュウへ視線を向けると、シュウもまたオレを見ていた。しかし緑の目は落ち着き払っている。
広縁の椅子に、向かい合って座っていた。シュウはするりと立ち上がると、あいだのローテーブルに手をついて、オレの顔を覗き込んだ。
「……お前の目、月が映ってる」
近い、という間もない。
シュウの目には、無数の星が映り込んでいた。