7月3日
そういえば、と切り出すのは少し勇気が要った。
「なんか欲しいものあるか? ……誕生日近いだろ」
ハムとトマトとゆで卵をのせた冷やし中華を啜りながら、シュウは視線だけを持ち上げた。
「…………なんでも?」
きちんと飲み込んでから口を開く。育ちの良いことだ。
オレはといえば、さっさと麺を食い尽くしてトマトをつついていた。含みのある問いかけに、ちょっと眉を寄せる。
「あー、あんまり値の張るやつは……イヤお前が稼いでるのは知ってっけど」
「あれば自分で買ってる」
「だよなあ」
なにせトップアイドルである。具体的な収入は知らないが、大抵のものは金額も見ずに買えるだろう。そういう相手にする贈り物など、はなから自己満足の領域でしかない。
「……非売品なら」
ことりと首を傾げて、シュウが呟いた。視線は畳のほうへ逸れている。
「非売品?」
「これ」
尻ポケットから取り出した、小さな巾着袋。見覚えのないそれに首を捻ると、シュウは袋を軽く上下に振った。
ちゃり、と小さい音がする。
「あ、鍵か?」
シュウが押しかけてきてすぐの頃に、この部屋の合鍵を渡した。財布もないというから、確かこんな巾着に入れてやった気がする。
丸い頭が、こくりと頷いた。
「これ、借り物じゃなくて、俺のにしていい?」
「えっ」
「ダメ?」
「いや、ダメではねえけど……どうせ使うやつもいねえし」
何なら、もう一つあるし。
「けど、そんなモンでいいのか?」
さすがにタダ同然のものでは気が引ける。シュウとは比べようもないが、オレだって多少の稼ぎはあるわけで……。
「お前は、何で俺がここに来たと思ってる?」
巾着の紐を指で弄びながら、わずかに低いトーンでシュウが尋ねた。
「……ホテルが改装中なんだろ」
「他の部屋に移れたけどね」
「はあ?」
「でも医者の言い分によると、『仕事は禁止、睡眠と休養が必要、環境を変えるのが一番』だったから」
「医者ァ!? おま、休暇って言ったろうが!」
「休暇だよ。医者が休めって言うんだから仕方ないだろう」
絶句した。シュウはしらっとした態度を崩さないが、それでどうしてオレの部屋に来るんだ。
「……まあ、勘が当たったな。この部屋はよく眠れた」
「…………最初のほう、やたら寝てたな」
「うん。一週間経った辺りで検査したら、数値も少し改善してたし」
「嘘だろ」
「本当。……何だその顔」
「初めに言えよバカヤロー……」
思わず畳にひっくり返った。突っ伏したい気分だったのだが、生憎食器に邪魔されたので大の字になった。どんな顔をしていたかは知らない。
「あるだろうがいろいろ。食えるメシとか……エアコン買うとか……」
「わりと聞いてたよお前。食いたいモノとか。氷枕いるかとか……というか、そうじゃないだろ」
シュウに上から覗き込まれる。
緑の目はゆるくしなっていて、苦笑のようにも、ただ微笑んでいるようにも見えた。
「なんで休暇を、お前の顔見て過ごそうと思ったか、聞かない?」
「……」
「この鍵を欲しがった理由も?」
「……」
シュウの指先が、くすぐるように頰を撫でた。オレはしかめ面をしている自覚があって、どうにも口が頑なに閉じる。何か言えば、きっと、声が震えるだろう。
「……そんなつもりじゃなかった、って顔してる」
「……ーーきついんだよ、この歳になると。期待したり、裏切られたりするのは……」
「だから、思い出ばっかり欲しがるのか」
「終わらない休みなんかないだろ。それに、お前は」
握り込んだシュウの手は、骨っぽくて、少しひやりとしていた。あるいは、オレの手が熱いのかもしれない。
「お前には、この部屋は狭すぎるだろう」
指先がぴくりと引き連れた。緑色の光が、傷つくように細く歪んだ。