赤犬大将に気に入られる

これは今から数年前のお話。
あの“徹底的な正義”を掲げ誰に何と言われようが自分の正義を曲げない赤犬ことサカズキ大将が、海軍の中で1番“残業”と言うものを嫌い誰に何と言われようが定時帰りを貫く『定時帰りのロイド』を気に入るまでの話である。

先ずは大前提として、サカズキがロイドを気に入る前のお話をしよう。
ロイドとサカズキ、この2人は運が良いのか悪いのか今まで海軍本部内で関わることがほぼ無いに等しかった。たまに海軍本部ですれ違えばロイドから敬礼をし挨拶することはあっても、ただそれだけの関係。サカズキにとってはただの海兵の1人であり、ロイドと言う男はサカズキの視界には一切入らなかった。……ただ、ロイドと言う男は“定時帰りのロイド”と言う海軍内では特に異質な異名持っていた為、大将格であるサカズキですら名前だけは耳にしたことがあった。そしてその異名を耳にした時、何じゃァその腑抜けた海兵は!!とサカズキは怒りを露わにし、もしこの先関わることがあればその根性を叩き直してやると胸に誓ったこともある。

だが、前述でも言った通り運が良いのか悪いのか2人は関わりがほぼ無いに等しかったのだ。関わりがない、それはつまりサカズキがロイドに対して根性を叩き直してやると“そう思っただけ”で終わってしまったと言う事でもある。
部署も違う、仕事で一緒になった事もない、そしてサカズキは年中仕事に追われており海兵ただ1人に構っている余裕なんてものは無い身分。そんなサカズキにとって側近でもない、自分の直々の部下でもない、能力者でもない、そんな大勢いる中のたった1人の海兵に過ぎない男を視界に入れるなど、よほど大きなきっかけがない限り無理難題と言っても過言では無かった。

───が、その“大きなきっかけ”と言うものは意外にも突然現れてしまったのだ。

それはサカズキがある島で海賊討伐をしていた時である。
いつもの様に完膚なきまでに海賊をマグマで焼き尽くしていたサカズキの元に、近くの島でもう一つの海賊団が暴れていると言う情報が入ってきたのだ。もちろんその情報を聞いて黙っている訳がない“徹底的な正義”を掲げているサカズキは、直ぐにその島に向かい海賊を討伐しようとした。……だが、その島に着き最初に目にした光景はサカズキが予想していたものではなかった。

「───海の藻屑が、調子に乗ってんじゃねェよ」

サカズキが先ず目にしたものは、街の中心でまるで鋭く尖った刃の如く冷め切ったセリフを吐き捨てる青年の後ろ姿。その青年の背には自身と同じ“正義”を背中に掲げており、海兵である事を象徴している。
そしてそんな海兵である青年は、戦意が喪失した大勢の海賊が地に転がっている中、たった1人傷一つない姿で飄々と立っていたのだった。

その光景は誰がどう見ても、一目見ただけでその海兵の圧倒的な強さを物語っていた。……そして、それと同時にそこにはサカズキが長年掲げている“徹底的な正義”が存在していたのだ。

そんな光景に、サカズキは思わず目を離すことができなかった。

サカズキは未だ黙ってその海兵を眺めていれば、ズッ…ズッ…と服を引きずる微かな音がその場に響く。サカズキはその音の出処が残りの力を振り絞り地を這いつくばろうとする海賊からのものだと考える間もなく分かった。
そしてそれはそこに立っていた海兵も同じ事で、海兵は直ぐ様その海賊を躊躇う事なく容赦なく踏み潰した。

「ぐはっ!?」
「…チッ…… 生きる価値もねェ、クズが」

そのセリフと共に踏み潰された海賊は、先ほどまであった微かな希望さえも消え、動く事をやめた。そしてその瞬間を見たサカズキは、自身の中にある正義という名のマグマがボコボコと静かに沸き立つ様な感覚を覚え、そしてある事を確信した。

──あやつは、この先良い海兵に育つ。

そんな直感が、サカズキの中で芽生えたのだ。
そしてサカズキは足元に転がる惨めな海賊を当たり前のように足蹴りにし、その海兵に近づいた。

「……おい。おどれ、名は───っ!!!」

青年の背後に立ち、声をかければその青年はまるで今にでも人を殺せそうな瞳で勢いよくサカズキの方を振り返り、その瞳にサカズキを映す。そして、その瞬間サカズキはブワッと全身の毛が逆立つ様な感覚に襲われた。
……これは、死闘を何度も潜り抜けてきたサカズキでも極稀にしか感じたことのない、“覇王色の覇気”。

──まさか、この名も顔も知らぬ海兵が?“王の資質”を持つ者のみが身に付けられると言われる覇王色の覇気を…?……いや、それより、大勢いる中の1人に過ぎない海兵が、このわしを奮い立たせる程の覇気を使うとは。

そう理解した途端、ゾクゾクとサカズキの全身が一気に高ぶる。
この久々に感じる感情は育て甲斐のある海兵に出会えた喜びなのか。それとも、目の前の海兵へのこれからの期待によるものか。…はたまた、自身と似た人物に巡り会えた感動か……それはサカズキ自身ですら分からない。
だがこの名も知らぬ海兵によって、あの厳格な男であるサカズキの口角が珍しく上がった。それだけは、その事実だけは確かだったのだ。

そしてサカズキに対して覇王色の覇気を全身から放出していた海兵は、サカズキを目に写してから数秒で殺気が溢れた瞳から一点し、我に帰ったのかその瞳を動揺で揺らした。

「……っ、サカズキ、大将…?」

その動揺から出た海兵の一言に寄り、彼の覇気で先程まで張り詰めていた空気はすぐさま消えた。そして残ったのは動揺で瞳を揺らす海兵と、未だ高ぶった眼差しでその海兵を見下ろすサカズキと、その2人の足元に転がる大勢の海賊のみだ。
大勢の海賊は皆意識を失っている為もう動くこともしない。名も知らぬ海兵は動揺でサカズキの名を発した後は、何も言葉を発しようとはしなかった。
だからこそこんな異質な空気の沈黙を破ったのは、必然的にサカズキであった。

「……おい。おどれの名を教えろと、聞いちょる」
「っ!……大変、失礼致しました。名はロイドと申します。階級は恐縮ながら大佐を務めております」
「!!……ロイド、じゃと?」

そう、このサカズキの目の前にいる男こそ“あの”ロイドであった。サカズキがその名を聞いて珍しく一瞬だけ目を見開いたのも無理はない。
あの海軍内で最も異質な異名を持ち、いつかその腑抜けた根性を叩き直してやると胸に誓ったあの“定時帰りのロイド”であったのだ。
この男があの噂の男だと言うのか。そう思ったのと同時にサカズキの眉間のシワが深くなった……が、直ぐにサカズキはその考えを改めた。

───噂など、所詮は“噂”でしかありゃァせん。
己の目で見たこの光景こそが全ての真実であり、そして先程抱いた直感が何よりも信ずるべきものである。…それに、もしその噂が本当だとしても、それを含めこの海兵にわしの正義を刻みつけ育てれば良いだけの話。

「……おい、ロイド。わしのところへ来い。おどれに今の居場所は合っとらん……おどれの中に潜む“真の正義”をわしの下で磨け…!」

このセリフこそ、サカズキがロイドを自分の下に誘った初めての言葉である。
あの大将赤犬にこれ程までの言葉を言わせた人物など、他にいるだろうか?いたとしても、きっと片手で数えられる程しかいないはず。あのサカズキにここまで言わせたのだ、『普通』なら返答は既に決まっているようなもの。もし、断りでもしたら……そう考えただけでもあの赤く燃え上がるマグマが脳裏に浮かぶ。
……だがこの男、目の前の“定時帰りのロイド”は悲しいことに『普通』では無いのだ。だからこそ、そのサカズキの希少な言葉にロイドは思わず元帥もびっくりしてしまう様な返答を口にした。


「…えっ、絶対に嫌です」


…そんな前代未聞な返答をあのサカズキ大将にしたのは後にも先にもこのロイドたった1人だけであると断言しよう。
そしてそのセリフを聞いて、ボコボコと先程とは違った意味でサカズキがマグマを沸き立たせたのは言うまでもない。


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それからと言うもの、この出来事をきっかけにサカズキはロイドと言う男に執着する様になった。
事あるごとに鍛錬に誘おうとしたり、自分の下に引き抜こうと強引に押しかけようとしたりした───が、ロイドと言う男は、あまりにも隙がなかった。何故なら、ロイドと言う男はほぼ毎日定時で帰る代わりに、勤務時間中はこれでもかと言う程に仕事を全うしているのだ。それも、無駄ひとつなくただひたすらに多量の仕事をこなす姿は大佐と言う階級を疑ってしまう程。…いや、海軍本部で大佐と言う階級なら十分凄い階級である。だが、それでもその仕事の出来っぷりはサカズキから見ても大佐と言う階級では勿体ないと思ってしまう程の出来だったのだ。
だがほぼ毎日定時で帰ると言う事実は本当の事で、ロイドは定時には全ての仕事を終わらせ部署全員で一斉帰宅をしている。その姿を見てもちろんサカズキが腹を立てていないと言えば嘘になる。けれども正直あのロイドの仕事の出来っぷりを見て、センゴク元帥がロイドの定時帰りに目を瞑っている理由が少しだけ分かってしまったのもまた事実。

そしてロイドの実力を理解して、サカズキの中に「根性を叩き直してやる」と言う思いは消えた。仕事の出来は文句の言いようがなく、そしてあの大量の海賊を一人で倒す程の実力。根性は叩き直すまでもなく、ロイドには元からあったのだ。…だが、この男は磨けば磨くほどより光る。自分の正義を刻みつけ、徹底的な正義を掲げさえすればそれはもう見違える程に光り、寄り海軍に貢献する男になるであろう。
あのダラけきったクザンの下では無く、わしの下へ来ればあの男は寄り成長するのだ。今のあやつの居場所は、あまりにも勿体なさ過ぎる。


────この男が、欲しい。


……そんな思いが、サカズキの中で一層強くなったのだ。
その一心で、サカズキは時間があれば定時で帰るであろう男を待ち伏せして、今日もその男に言葉を投げかけるのだ。

「わしの下へ来い、ロイド!おどれの力はこのわしが磨いて──」
「サカズキ大将今日もお誘いありがとうございます!今日も丁重にお断りさせて頂きますね!すみませんが今日はこの後用事がありますので失礼しますっ。お疲れ様でした!」

そして今日も今日とて、サカズキはこの定時帰りの男に颯爽とフラれるのである。このあまりにも一方的すぎる戦いがいつ終わるのか、それは神のみぞ知るのであった。

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