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 世界の移動だとかセイヴァーだとかの話をしていた両親の所為だと思う。その話の中で、尸魂界という単語が出てきたけど、絶対その所為だ。

 二人が変な話するから夢にまで見ちゃったじゃんかよー。

 気がついたら私は尸魂界にいた。そしてどうやらそこは“内側”だったらしい。そう思い至った理由は、あの死神の衣裳――確か死覇装と言うものだったか、それを着て歩く人物を見たからだった。
 つまりは広い尸魂界の中で、運が良いのか悪いのか、流魂街などではなく、死神の住まう居住区間および職場のある瀞霊廷内にいたようで、キャリーを抱き込みながら寄りかかるようにしていた体勢がズルリと動いて危うく地面に側頭部をぶつける寸前で目が覚めた私は、自分がいたはずの空き地とは違う風景にキョロキョロと視線をさ迷わせて、そうして死神らしき格好で歩く男三人組を目にしたのだ。

 三人とも、ふらふらと覚束ない足取りで、一人は焦点の合ってないような目をしていた。おそらく酔っ払っているのだろう。

 もし絡まれたりでもしたら面倒だ。

 そう思い、向こうからこちらの方向へと歩いて来る男達から隠れようと、咄嗟にキャリーの陰に身を隠した。だがそもそも、こんなところにキャリーなんて普通置いてないだろうし、ましてやその大きさ的に人一人を隠しきれる余裕などない。せめて近くに木など生えてれば良かったのだけど、生憎今私が居る付近には見当たらなかった。

 キャリーに隠れる、だなんて、はたから見たら些か間抜けな光景だろう。そんな事を我ながら思うも、致し方ない。
 私はそのまま、早く彼らが遠ざかってくれる事を願い、だんだんと迫ってくる足音が通りすぎるのを待った。が、やはりキャリーが不自然だったのか、はたまたそこに身を隠してるつもりの私が気になったのか、案の定、呂律の回らない声を掛けられた。
 いっそ隠れずに平然としていれば良かったかもしれないと思ったところで後の祭である。

「おい、おまえぇ! んなとこでなーにしんれらよ」

「つーかこいつぅ、死神じゃねーじゃん?」

「しんにゅうひゃじゃん! うっわーやっべー! どーするよ?!」

 三人はそう言いながら、私のすぐそばまで近寄って来る。煩い。そして臭い。

「とーりあえずぅぅー! はい、おまえ立てぇー」

 前と左右に立たれて後ろには壁という状態で、動くにも動けずにいれば、一人の男にグイッと右腕を捕まれた。
 逃がさないという意思でもこもっているのか、それとも単に酔っていて力加減が出来ていないだけなのかは知らないが、腕を掴む力がやたら強くて、私は痛さに顔を顰める。
 あれ、夢の中でも痛みって感じるんだっけ?

「あぁ? なんだれめぇ、んの顔はー。抵抗する気かぁー?」

 それに、こんなにはっきり匂いまでわかるものなの? 夢にしては痛みも匂いも現実に感じられるそれらと変わりがない程にリアル。それ以外だって、風の冷たさや目にうつる情景の鮮明さ、鼓膜を揺らす煩い男達の声など、今は確認のしようがない味覚以外の五感がしっかりと働いているようだった。
 ということは、これって現実? いやいや、まさか。

「おいおまえ、きいてんのかぁ?!」

 ドンッ、と前方からの衝撃に、グラリと私の体が傾いた。前の男に突き飛ばされたのだ。
 身構えることなく傾くいた体は、だけど地面へと倒れることはなく、代わりに右肩がグンッと強く突っ張った。右腕を掴んでる男が尚も離さないから、衝撃がそこに集中したのだろう。
 更に言えば、突き飛ばされた瞬間の動きが、腕を掴んでいる男からしたら予想外だったのか、力の緩みを感じたけど、それは一瞬で、すぐに力を入れ直し、尚且つ自分の方へと引き寄せたから、肩に加わる衝撃が尚更強かった。

 走った痛みに、うずくまりたい衝動にかられるも、腕を掴む男がそれを許してくれない。
 あげく、何処かへ連れて行こうとしているのか、グイグイと引っ張って他の二人と共に歩き出すしまつ。

 最悪だ。痛いし。まじ最悪。現実じゃんこれ。

 躓いたりしてもきっとこの男は腕を離さない。そうなったらいよいよ肩が外れるかもしれない。

 鞄とキャリーを持つ間も無く、あっちこっちへと蛇行して歩く男に必死で付いて行った。
 暫く歩いて、どこかの建物内へと入った後、牢のようなところで漸く立ち止まる。
 移動していた間も、男達は終始何かを言っていたけど、聞き取れなくて――というより、呂律の回ってない言葉を聞いて理解する余裕が無かったので、この後の展開がわからない。
 だけどまぁ、牢が目の前にあるってことは、おそらくここに入れられるんだろうな。

「おら! はいれ入れ」

 ずっと腕を掴んでた男が漸く離したかと思えば、次いで牢の中へと私を押した。そりゃもう強く。
 しかも押されたのが右肩寄りの背中、肩甲骨付近だったものだから、変な倒れ方をして右半身を強打した。

 また右かよ。まじでこいつ――他の二人はともかく、こいつだけは恨んでやる。

 そう思って、倒れた体勢を起こす前に首だけ動かして男の顔を目に焼き付けた。
 アニメは全話見たとはいえ、原作は途中までしか読まなかったから話に登場した死神全員の顔を覚えてるわけじゃないけど、こいつ、絶対モブだわ。だってモブっぽい顔してるもん。これといった特徴も無いし、パッとしなさすぎて時間が経ったら忘れてしまいそうな顔だけど、意地でも覚えてやる。
 
「朝になっはら隊ちょーよんでやるかぁな! 覚悟しとけよしんにゅうひゃ!」

「せいぜえそれまで大人しくしれるんだな」

 はっはっはっはー! なんていう、雑音にしかならない笑いを三者三様辺りに響かせて、男達は去って行った。

 なんともタチの悪い酔っ払いだ。私の言い分を聞こうともせず、それどころか言う隙さえ与えてくれなかった。
 朝になったら隊長を呼ぶとか言ってたけど、あの酔いようじゃなんだか怪しい気がする。
 いざ朝になって、酔いが覚めた後に記憶がありません、なんて事になんなきゃいいけど。じゃなきゃ下手したら私がここに居ること誰も知らないってことにもなりかねない。

 はぁー、と、いつの間にか詰めていた息をゆっくりと吐き出せば、その音がやけに辺りに響いた。

 誰も居ない空間。酔っぱらいの煩い声はもう聞こえなくなり、漸く静かになって安心出来るはずなのに、空き地に居た時とは比べ物にならない程の静寂がかえって私の気持ちを怯ませた。
 あそこは、少なくともすぐ近くに、他人の物とはいえ幾つもの家があって、そこにはちゃんと住まう人達がいた。
 対してここには、誰かの存在を示すものが見あたらない。もしかしたら建物内の他の場所にはいるのかもしれないけど、はじめて訪れた私には知るよしもなかった。
 灯りも、生活音も、車の音も、犬の鳴き声も、空き地に居たときとは微かだけどどれか一つはちゃんと聞こえていた。
 だけどここは、耳に届く音といえば自分の呼吸音だけだった。

 焦点の定まらない目で苦戦しながらも、男達がしっかりと掛けて行った錠が視界に入り、言い知れぬ不安が更に押し寄せる。

 夢じゃない。夢じゃなかった。

 いまだ痛む右肩と掴まれっぱなしだった右腕、それと胸のなかでバクバクと主張する鼓動が嫌という程現実を突きつけてくる。
 
 こんな状況になって漸く、私は両親が言っていた話が本当だったという事を覚った。
 だけど、どうすればいいのだろう。

 両親は、私にとってのはじめての異世界の場所を尸魂界、この場所を選んだと言っていたけど、死神でもない、ましてや死人でもないまったくの部外者であろう私が突然現れたところで、何も問題が無いとは思えない。
 まさに今が良い例である。

 仮に、両親の言っていた事をここで生きる誰かに言ったところで、果たして信じてもらえるのだろうか。
 そもそも、言うにしたって何て言う? 異世界から来ましたって? もしそれを信じてもらえて、じゃあ何しに来たのかと問われたら、セイヴァー云々を説明するの?

 正直、自分ですら良くわかっていない事をどうやって人に話せば良いのさ。

 ああ、もう。なんでこんなことになったんだろう。

 いくら今日が厄日だとして、明日はどうなるのだろう。
 
 もう嫌だ。痛いし静寂が煩い。呼吸が煩わしい。早く朝にれ。明るくなれ。そして誰でも良いから私を見つけて。――帰りたい。

 帰る場所なんてもうないけど……。

 この牢まで来るのにやたらと歩いた。酔っ払い相手に私も蛇行していたからだろうか。だけどそれにしては結構歩いた気がする。元々疲れていたけど、更に疲れたし、その所為か、なんだか足まで痛い。

 右側に負担がかからないように、なるべく隅っこの方へと、這うように移動した。
 雲に隠れているのか、月明かりすら届かない程に真っ暗で何も見えないけど、おそらく四隅の一角であろう壁らしきところを探して体をくっつける。
 膝を抱くようにして座れば少しは落ち着けたような気がして、私はそのまま、目を閉じた。
 

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