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 眠っていたのだろうか。辺りの騒がしさを感じて一気に意識を浮上させた。
 目の前には牢越しに、何人もの黒い服を着た集団が集まっていて、顔を上げたと同時に幾つもの視線とかち合った。

「おい、起きたみてぇだぞ」

「なぁ、あんた、いつからここに居たんだ?」

「誰に入れられた?」

 私が顔をあげたのを見て、そこにいた人達が次から次へと問いを投げてくる。聞き取れたのはわずかで、ほとんどの声が重なって寄越されるそれらに、何か答えなきゃいけないと思いはしても、私の口からは上手いこと言葉が出なかった。

 ハッとした勢いで顔をあげたまま、何も反応を返さない私に、目の前の人達は尚も何かを問いかけてきていて、ドクッ、ドクッ、と大きく鳴り出す心臓の動きを体内で感じながらも、頭の片隅で、どこかぼんやりと、そんな自分の状況を静観しているような感覚だった。

 異様だと思った。まるで自分が起きたら突然、動物園の檻の中にいるキリンやゾウにでもなったみたいで。
 どうして私はここにいるのだったか、一瞬、思い出せなかった。
 だけど次第に、キーンという耳鳴り音が、脳内で乱雑に混じり合う情報を整理するかの如くに鳴り出して、心音が更に強さと速度を上げてった。

 耳鳴りと心音が脳内で反響しあう。自然と息まで浅くなって、ハッ、ハッ、と自分が吐き出す息の音まで加わる。

 待って。私。落ち着いて。

 自分の体なのに、どうしてこんなにも乱れているのか、自分でもわからなかった。

 上げていた顔を下げ、幾つもの視線から逃れるように目を反らす。耳を塞いでみたけど、煩さの音源は自分の中で響き渡ってるモノだから、どんなに力を込めて塞いでも意味は無かった。

 腕が。肩が。身体中がギリギリと痛い。――なんで?

 待って。落ち着こう。落ち着いて考えよう。

 昨日は――いや、今日だったか。私は尸魂界の内側に来てしまった。来ようと思って来たわけじゃないけど。それでも、あの空き地で、ブレスレットの石を回していたのは自分の意思だった。ならば飲み帰りの酔っ払った死神に見つかってここに入れられた事だって、結果的には自分の蒔いた種だ。
 そう、そうだ。私が悪い。私の不注意で、――なのに、どうして私はこんなにも不安と恐怖に掻き立てられているんだろう。

 なにが、こわいの?

「隊長、こっちです! ここの牢に、女の子が入ってて……隊長はご存じですか?」

「いや、俺は何も報告を受けてないよ。……鍵は、見つからないのかい?」

――タイチョウ。隊長?

 ここが尸魂界の内側ならば、隊長とは、言わずもがなな、あの護廷十三隊の隊長なのだろう。この声は、誰だったか。

 待って。待って。もう少し、――もう少し落ち着きたい。

 下げていた視線に、ふいに誰かの影が落ちた。

 牢が開いたのだ。――頭でそう理解したと同時に、再び勢いよく顔をあげる。その際に、私の体は反射的に後ずさったらしく、だけどもとから角の隅っこに居た為に、ただ体を壁に押し付けただけに終わった。
 目に入ったのは色素の抜けたような白くて長い髪の男。この人は、確か――浮竹十四郎。

 牢の入り口を背にして目前で立ち止まっていたらしいその人は、私の目線に合わせるかのように、ゆっくりとその場にしゃがんだ。
 その動作に合わせて、見上げていた私の視線も同じくゆっくりと降下する。
 上でもなく、下でもなく、正面へと向いた私は、目前のその人を越えた先に居た人物に気づき、思わず息を飲んだ。

 私をこの牢まで連れて来たあの酔っ払い三人の内の一人が、いまだ牢越しに立ってこちらに視線を向けている人達に混じって、そこに居た。

 ドクン、と一つ、一際大きく心臓が脈打つ。

 朝になったら隊長を呼んでく来るからな、と、牢の鍵を閉めながらそう口にしていたのはあの人だ。
 ならば、この目前に居る人物を呼んで来たのはあの人なのだろうか。
 それで、その際に、何かを話したのだろうか。

 ドクン、とまた一つ、大きく心臓が脈打った。

 確か、許可もなく勝手に瀞霊廷へと侵入したものは、リョカと呼ばれて何らかの処罰を受けるのではなかったか。私は侵入者だ。彼らもそう言っていたし、私自身もそうだと思う。
 だけど、この人ならば、目の前に居るこの浮竹十四郎なら、言い訳くらいは聞いてくれるだろうか。
 なにか、ちゃんと話さなくては。ちゃんと、まずは勝手に来てしまった事を謝らなければ。

 そう思うのに、声が出ない。なんで? なんで――ああ、まだ、脳が煩い。もしかして煩いから、私だけが聞こえてないのだろうか。案外、声は出てるのかもしれない。
 それでもダメだ。口が言葉を形作ってない気がする。どうしよう。待って。どうしよう。

 ふわ、と視界で何かが揺れた。気付けば周りの情景すら歪んでる。目を凝らして見ても、ぼやけていくばかりで。酷く、やるせなくなった。
 そう思った時、左肩にそっと何かが当たってる気がして、辛うじて伺えるシルエットから、目の前のその人が触れているのだと知った。

 なにか、言っている?

 どうして目まで見えなくなったのか。気づいてみれば簡単で、いつの間にか目元に溜まっていた水が邪魔をしていただけだった。ゴシ、と拭うために動かした腕は右腕で、途端に走った激痛に、そういえば痛かったのだと思い出す。馬鹿だ。
 だけど何故か、その激痛のお陰で耳鳴りが弱まった。

 漸く自分以外が奏でる音を拾い出した聴覚で、気づかわれている言葉をすぐそばから幾つか聞き取れた。
 もう少し。もう少し落ち着いたら、大丈夫。

 今度はちゃんと、左腕でしっかりと目元を拭った。鮮明さを取り戻した目で、前を見れば、牢越しに居た筈の人達は皆居なくなっていた。
 もしかしたら死角になってるところには居るのかもしれないけど、先程のような幾つもの視線が無くなった事で、少しホッとするような小さな安堵が胸の内に訪れる。

「大丈夫かい?」

「……ぁ、」

 漸くちゃんと声が聞こえて、漸く少し声が出た。――私、視線が怖かったのだろうか?

「ゆっくりでいいから、もう少し、落ち着いてみようか。深呼吸は出来るかな?」

 眉を下げながら、わずかな微笑み浮かべるような表情のその人に、頷きで反応を示したら、更ににっこりと微笑まれて頷かれて、思わず視線を斜め下へと反らす。

 スー、ハー、とゆっくり。恥ずかしいから音は出さずに何度か深呼吸を繰り返せば、あんなに煩かった耳鳴りも心音も徐々に鳴りを潜めていき、めまぐるしく乱雑に混じり合っていた脳内も落ち着きを取り戻してきたように思えた。
 だけどその代わりに、どう説明しようかという問題が大々的に表れて、それによってまた騒ぎ出しそうな心臓をどうにか静めようと、左手で上からぎゅっと押さえ込む。

 トクン、ドクン、トクン、ドクンと、鼓動が大きくなったり小さくなったり。静かになった空間が少しだけ怖いと思った私は、いったい、何がしたいのだろう。

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