08

 とりあえず立ち話もなんなので、というか、私は座っててもカカシ先生が立ったままってのは少し申し訳ないのでレジャーシートの上にお誘いすれば、わりとあっさりと座ってくれた。

「――にしても、こんなに色々用意しちゃって……ナマエ、もしかして今日の演習やる気ない?」

「さぁ、どうでしょうね。」

 本をリュックにしまい、入れ替えるようにして取り出した水筒の中身をカップに注いでカカシ先生へと手渡した。

「お茶まであるんだ……」

 何処か遠い目をしつつも、受け取ってくれたそれを横目に、私も自分の分を注いで一口。丁度喉も乾いていたし、今日は結構喋った方だから、喉を流れ落ちていく冷えたお茶は気持ち良かった。

「何も入ってませんよ?」

「え、」

 受け取ってはくれたものの、口をつける様子のないカカシ先生に、もしかしたら警戒してるのかと思い、カカシ先生の手に握られたカップを取って一口飲み込む。

「いちおう、警戒してくれてるのかと思いまして。はい、大丈夫ですよ」

「ああ、いや、……ありがとう」

 改めて渡したカップは、今度はすぐにカカシ先生の口元へと動いて行った。コク、と小さく鳴らされたカカシ先生の喉に続いて、私も自分のカップにもう一度口づける。

 他の3人は今どうしてるのか。ふいにそんな疑問が湧くほど、辺りからは先程までの騒々しさは無くなり至って穏やかだった。
 風が草木を揺らして、髪をさらう。さわさわと吹き抜けた風が止んだ頃、私達が座る後方から小さな来客が訪れた。

「ニャー……」

「あれ、また来たんだ。」

「猫、?」

 少しボサついた毛並みに、黄色い瞳の黒猫。

「さっきも来たんです。その時に毛並み整えてあげたんですけど……、またボサボサになってる」

「首輪してないけど、何処かで飼われてるのかな? 随分人慣れしてるね。」

 右側に座るカカシ先生とは反対の、左側に近寄ってきた黒猫は、そのまますりすりと私に頭をすりつける。

「そういえばカカシ先生、今日の遅刻の理由、黒猫に目の前を通られたから……でしたっけ?」

「え、あー……はは。」

 まさか追求されるとは思わなかったのか、カカシ先生は誤魔化すように笑った。

「黒猫って、よく縁起が悪いって言われてますけど、本来は福の象徴なんですよ。」

「そうなの?」

「はい。なので、その“福”に素通りされるなんて縁起が悪いねって意味で、黒猫に横切られると縁起が悪いって言葉が生まれたらしいです。とんだ誤解ですよね。」

 だいたい猫なんてみんな可愛いのだ。それがちょっと毛色が違うから縁起が悪い、なんて猫に失礼である。何かの本で読んだこの迷信の本当の意味は、もっともっと広がるべきだと思う。

「それは知らなかったな……。よく知ってるね。」

「昔何かの本で読んだんです。けど、読む前からその迷信については疑問だったんですよね。ほらこんなに可愛いじゃないですか」

 未だ擦り寄る猫を抱え上げて、カカシ先生の方へと顔を向けさせる。

「シャーーー!!」

「はは。俺は嫌われてるみたいだね。」

 小さな牙をむき出しにして、いっちょ前に威嚇した猫に対し、カカシ先生は苦笑い。

「……そんなに顔隠してるから、怪しい人だとでも思われたんですかね?」

 膝の上に乗せて、逆立った猫の毛を落ち着かせるように撫でれば、黒猫は次第にゴロゴロと喉を鳴らせて力を抜いく。

「ま、そうかもねぇ。……ところでさ、そろそろ聞いていい? 進路相談、だっけ。何か悩んでるの?」

 気持ちのいい風が吹き抜ける。膝に乗る猫の温もりも相まって、なんだか穏やかな心持ちになってしまうけど、ここからは真面目な話。
 鈴取りに参加しなくとも、ナルト達の相手が終わればきっとカカシ先生はみずから私のとこに現れるだろうというのは予想していた。
 だからそれまで、いかにフェードアウトするのかと色々考えを巡らせていたけど、結局このタイミングを逃したら7班を抜ける事は出来ないような気がする。
 
「……どう伝えれば良いのか、色々考えたんですけど……。これといった方法は思いつかなかったので、直球と感覚ではっきり言いますね。」

 視線は猫へと向けていたから、正確にはわからなかったけど、横に座るカカシ先生が頷いた気がした。

「私、忍辞めたいです。」

 サーっと、少し強い風が吹き抜けた。

「……なんで、って聞いていい?」

 間をあけてそう問うてきたカカシ先生の声は、いつものそれよりも少しだけ真剣味を帯びている。

「もともと目標があったわけでもないし、アカデミーに入ったのだって成り行きのようなものです。ナルト達のように目指す事が無く、中途半端なやる気、というか、気持ちというか……。運良く卒業出来たけど、これ以上このまま忍の道を行っても任務とか……そういうのの、足手まといになる事は目に見えてます。」

 今まではただなんとなく、アカデミーでの授業の中で与えられていた目標や課題をクリアしてきていただけ。アカデミーを卒業出来たのはほんとに運だったんだと思う。卒業すればそんな物は無くなる。大人に守られてばかりの忍者のたまごではなくなったのだ。
 これからは色んな責任がつきまとってくるだろう。それは忍の世界だけではないけど、そこに生死の重さをプラスするとなると、私にはとても荷が重い。更には今後、七班として過ごせば否が応でも色んな感情や想いに触れる。
 例え自分のそれじゃなくとも、この世界の主人公であるナルトのそばにいる事は、渦の中心にいるよなものだ。
 愛情、友情、憎しみ、悲しみ、生と死。それらがぐるぐると駆け巡り、物語は進んでいく。それを私は知っている。
 知っているから回避出来る。安全だ。等とは思わない。知っていたしても、回避出来る能力が無ければ意味が無いということを、スタート時、ナルトを止めたカカシ先生の動きで思い知らされたのだ。
 それにもし、仮に能力があったとしても、守れるのは自分の安否ぐらいだろう。物語の本筋はきっとどうやったって回避出来ないはず。傷つく人は傷つき、死ぬ人は死ぬ。生まれるであろう感情は、予定どおりに生まれて強まっていく。
 私はそれらに巻き込まれたくない。

「目標、ねぇ……。そんなに焦らなくてもいいんじゃないかな。サクラなんて頭の中はサスケの事でいっぱいだろうし、目標と言える目標も現時点は無いように思うけど。」

「それは……。いえ、サクラはサスケの事しか頭に無いからこそ、目標といえる目標が無くてもいいんです。むしろ、サクラはサスケが目標、みたいなもんだと思います。」

「……というと?」

「サクラは、サスケが居るから頑張るんです。恋する女の子って凄いですよね。例えその気がなくても、どんどん成長してくんですもん。サクラは立派な忍になりますよ。絶対。」

「随分言い切るね。そんな確信が持てる程、そこまで仲が良いふうには見えなかったけどな……。」

「女のカンです。結構当たりますよ。」

 なんて、“先”を知ってるからこんな事が言えるんだけど。でも実際その通りだ。
 今の段階で明確な目標なんてサクラにも無かったはず。それでも、サクラの場合はそれでいいんだ。サスケに夢中なサクラだからこそ、いずれ居なくなるサスケを追う為に強くなろうと努力する。それは結果として立派な医療忍者になるまでの成長を遂げるし、後の戦争でのその戦力は充分すぎる程だろう。
 今はサスケに夢中なサクラだけど、その想いはどんどん確かな物になり、サスケへの想いがサクラを突き動かす。

 そんな強い気持ち、私には無い。

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