07
姿を隠す気の一切無いストーカー三人組を難なくまいた佐々木と、そのことに全く気付かなかったなまえは、とっくに遊園地から離れていた。黒塗りのリムジンでもって佐々木が予約を入れていたレストランへと移動する途中、佐々木の膝の上でなまえが目を覚ましてからほんの少し経った今、車は尚も週末の侘しさを感じさせないスピードで夕暮れを引き剥がす。
「本当にすみません……まさか倒れちゃうなんて、」
「謝るのはこちらの方ですよ。多忙なのにも関わらず、連れ回してしまったのは私のミスです」
「そんな……ミスだなんて言わないでください。私、すっごく楽しかったんですから」
「ええ、私もですよ」
先程まで倒れていたとは微塵も感じさせない明るさで楽しげに続くなまえの話に、笑顔で相槌を打ちながら、この女に対する自分の計算が少なからず間違っていた事に佐々木は人知れず驚いていた。
二人の運命的な出会いよりもずっと前から仕入れてあったなまえについての情報は、どこを取っても改めて読むに値しないほどに平凡な女であって、それ以上も以下も感想は特には無かった。
女性の平均よりも身体能力や剣術には優れているようだが、それも真選組隊士として見れば良くも悪くも並み。幹部をはじめとする隊員達と仲は良く、何よりも、見廻組との一悶着を知らない故に佐々木を警戒する事が無いときた。
佐々木にとって、真選組と接触するにおいて最も都合のいい手駒であることは言うまでもない。
ここまでの出来事は全て、彼の計算通りだった。しかも、メル友まで増えたのだから、佐々木にとって彼女の存在は今の所プラスでしかない。
そのために理想の王子様を演じる事など、エリートを自負する佐々木にとってはあまりにも容易い事だった。
最も、愚弟となまえの熱中する漫画のキャラクターは、意識して演じるまでもなく自分と似ている部分が多かったことも、この策を産んだ一因であることは確かだ。そして意外にも漫画が面白く、うっかり一気に読破してしまったということもまた確かだが、これは置いておこう。
なまえについて、佐々木が間違っていた計算というのは外堀から眺めただけの書類では決して分からない、彼女の異常な話しやすさにあった。
口達者というわけでも、話題が豊富ということでもない。ただ、自然体でどうでもいい話をしているだけなのに、どうしてか飽きさせず惹きつけられる。
不躾で無遠慮で上司とも頻繁に喧嘩をするという報告内容が、信じられなくなるほどだ。
「サブちゃんさんが飲んでるのって、ワインですか?」
「ええ、一口飲んでみます?」
「い、良いです!遠慮します!」
「フランスでは子供も水に薄めたワインを飲むそうですから、一口くらいなら誤飲ということで大目に見ますけど」
「余計なことまで喋って、サブちゃんさんに嫌われたくないですし」
「……やめておいた方が賢明ですかね」
「あと1年したら、お酒の飲み方教えて下さい」
佐々木の見解は半分正しくて、もう半分は誤りだった。
確かになまえは気さくで話やすくはあるが、勿論、特殊な能力によるものなどではない。これはなまえ自身が一番よく分かっている。
だから、今なまえは無理をしているのだ。不躾で無遠慮で喧嘩っ早い自分を押し殺し、必死で楽しげに振る舞っている最中である。すごい、私ってこんなに知らない人と話せるんだと本人が感動するくらいだから、ほぼ初対面の佐々木が見抜けなくても無理はない。
それにもう少し付け加えるなら、佐々木が今まで接してきた女性は揃って、おしとやかな大和撫子ばかりだったからだろう。女性というイデアを追いかけ回しているお嬢様方と比べてしまえば、なまえの方が話しやすいのは火を見るよりも明らかだろう。
ともかく、なまえに対する興味が色濃く残ったままに好意に変わりつつあるということは、両者にとってあまりよろしい事態では無いのだが、勿論気付けるはずがない。
「なまえさんは普段から、倒れる程お仕事に追われてるのですか?」
「まさか! 今回は特別です。タイミングが悪かったっていうか、」
「確かに、今頃、ウチも部下が走り回ってますよ」
「あ、見廻組さんも忙しいんですか。奇遇ですね」
「奇遇もなにも、同じ首を狙ってますからねぇ。土方さんから聞いていませんか?」
「……ってことは、ライバル?」
「捉え方によってはそうなるかもしれません。協力も競争も、相手がいて初めて成り立つものですから」
デザートまで食べ終えてしまったので、テーブルクロスの上にあるのは、二つのグラスだけだ。透明なワインと濁ったグレープフルーツジュースを、ぽやんと見つめながら、そんなこと言ってたっけなと記憶の端々を覗き見たが、心当たりはない。
「だったら、私達が今こうして会ってるのって、あんまり良いことじゃない……?」
「貴女が今、真選組の隊士としてここに居るのならば、誉められた事では無いでしょう。内通者だと咎められても仕方ない」
「…………私は」
「佐々木異三郎は、間違い無く見廻組局長ですよ。誰が何と言おうと、それは覆せません。しかし"サブちゃんさん"は、なまえさんのメル友でしょう? 今、私の目の前にいる貴女はどちらなのですか?」
まるで面接のような平坦な受け答えに、なまえは動揺していた。佐々木は勿論それを見抜きそのまま誘導するべく、わざとらしく口元をゆるめた。
「少し、意地悪が過ぎましたね。ご安心を、なまえさんが私と関わったことで隊内で不利になることは誓ってありません。あったとしたら、私が許しませんよ。すぐにおっしゃってください、どんなことでもしますから」
「冗談に聞こえないです……」
「なんならウチに入隊しますか?」
「いや、それは無理です!! 私、白とか絶望的に似合いませんし!!」
「……これは冗談ですよ」
なんとも分かりにくいボケと、それに対する自分の返答に思わず笑ってしまったおめでたいなまえの頭で灯っていた警告ランプは、傍目には瞬く間に消えてしまっていた。
「また、会ってもらえますか。勿論、友人として」
「ありがとうございます。でも、気を遣ってもらわなくても、私は大丈夫です」
「私、そんなに良い人間じゃありませんから、嫌だったら社交辞令でもこんなこと言いません」
「だったら……次は倒れないようにします」
「是非そうしてください」
リムジンは笑顔の二人を乗せて、再び走り出した。行きよりも少しだけ距離の近付いた白と黒は、それぞれの気持ちを抱いたまま、灯り始めたネオンを瞳に映す。ジオラマのような嘘臭い街の中を、迷いなく突っ切る彼らもまた嘘にまみれているのだと教えてくれる者はどこにもいない。