04
例えば右目で見るのと、左目で見るのでは見えている視野が違う。同じ人間の目ですら生じてしまう視界の誤差は、他人の目と比較するとどの程度大きくなるのだろう。私の右目と貴女の左目が見る世界はきっと、何もかもが異なっている。
そのことに、私の愛する貴女は気付かなくていい。
*
この街には二つの警察組織が存在する。白が塵ひとつない綺麗な街にするために動いているとすれば、黒は泥濘におかされた街をこれ以上汚さないように働いていた。二つの目指すところは同じであり、何もかもが違っていた。お上の元で馴れ合うことも潰し合うことも許されない二つの間に敷かれた暗黙のルールは、白と黒が交わることがあってはならない。
ただ、それだけだった。
真選組も見廻組も存在するよりも前から、二人の少女と少年がこの街には住んでいた。一方は幕府の高官の一人娘、もう一方は農家の次男坊だった。身分違いながらに二人は幼い頃から互いを知っており、口約束で将来を誓い合うほどの仲だった。ほとんど奇跡的にと言ってもいいほどに、二人の仲は大人に介入されることは無く、無邪気に時を消費することは二人にとって、かけがえのないものだった。それは幸せでもあり、不幸でもあった。
少年が青年となった頃、都を賑わしていたのは黒を纏う生え抜きを集った警察集団だった。将来のことを漠然としか考えていなかった彼は、すぐさま真選組に志願した。剣の腕は人並みであったが、誰よりも素直な青年は18の春、真選組へ入隊することになった。
少年が青年になっても、少女が女になることはなかった。彼女は幼い頃と何も変わらない生活の中で、ただ育ってしまった自分の身体を持て余していた。青年が真選組に入隊したことを知った彼女は、嬉しくもあり寂しくもあった。彼女は依然として少女のままではあったが、小さな頃から共に育って来た大切な友人に感化されるように、彼女もまた、自分の知らない内に女へとなろうとしていた。
親の目を抜け出して重ねられていた逢瀬の回数は、歳の数と反比例して減っていった。男が真選組に入り、正義に忙殺されている間に、女は親の差し金で見廻組に入隊していたからだ。もちろん、そのことを自分のことで精一杯な彼が知る由も無い。世間知らずの彼女もまた、まさか彼の属する真選組と自分の勤めている見廻組が敵対する組織であるなど、想像すらしていなかった。
久しぶりに顔を合わせた二人が纏う服は、混ざり合うことのない黒と白だった。
「だって、私知らなかった。警察になったんだって貴方が言っていたから、私もなれば一緒に居られると思って」
女の言葉は男にとって、絶望以外何物でもなかった。将来、立派な男になったら自分達を阻むものを取り払って、共に生きよう。幼い頃交わした約束が、死んだのを彼らは確かに見た。白と黒は交わってはいけない。それなら、
「すべてを捨てる、覚悟がある?」
男は掠れ声で、搾り出すように女に提案した。もはや、どちらかが隊服を脱げばいいという問題では無い。それは幼い頃からずっと分かっていたことだった。互いの家も親も身分も、産まれた時から自分達を作り上げたすべてを捨てなければいけない。二人は何もかもが違うから。今まで現実を無視し続けてきた少年と少女は、ようやくそのことを理解したのだった。
「だったら、出来るだけ早い方がいい。明日だ、明日の夜。うんと遠くへ逃げてやろう。これ以上、運命が誰かに悪戯されないように」
声を潜めて彼女に告げたのは、男が捜査を担当していた海岸への行き方だった。表向きは普通の船着場だが、裏では犯罪者を他の国へ流す入口になっている港として機能していた。そこは犯罪の片棒を担ぐことで、どこへでも抜け出すことができるのだった。
箱の中で大事に育てられた彼女にとって、男は唯一の外へと続く扉だった。彼が手を引いて連れて行ってくれる秘密の場所は、いつだって彼女に世界を教えてくれた。だから、迷いは寸分も無い。彼と彼女は幼い頃からそうしてきたように、向かい合わせに座って微笑み合う。それだけで二人の中に充満していた不安は消えて無くなってしまった。ただ彼女の脳裏に、雇い主である佐々木の何かを捜している鋭い二つの目が一瞬、よぎっただけ。
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