凍らない2
ちさとは、今夜何回目になるかわからないため息をついた。
久しぶりにリトル・レッドの衣装を身にまとい、闇の街へと駆けたはいいものの、聞こえるのはくだらない願い事ばかり。こういう時は少年少女の可愛らしい願いを聞いたりして気分転換をしたいが、あいにく良い子はとっくに寝る時間。聞こえる音にも幼子の舌っ足らずな声は届いてこない。それどころかさっきからずっと聞こえてくる耳障りな音が1つ。よほどの方向音痴なのかただの馬鹿なのか、はたまた薬でイッちゃってるのか知らないが、2時間ほど前から定期的に聞こえてくる同じ声。
声の内容はシンプルだ。《エンジェルスケイルが欲しい》《取引場所はどこだ》《金ならある》《どこだ》《どこだ》《どこだ》・・・・・・以下、エンドレス。声を探る限りでは薬の常習犯、そろそろ本格的に中毒症状が出そうな状態で、この辺りで取引が行われていると聞いてやってきた・・・そんなところだった。
ちさとだって1ヶ所に留まらず動き続けているのに、何故か2時間ずっとこの声を聞き続けている。いい加減うざったい。
金ならある、の言葉通り、男の持つアタッシュケースの中身は恐らく札束の山だろう。紙束のこすれる音がわずかに聞いて取れる。
(あれだけあれば1束くらいくれるかな・・・)
実を言うと、男の求めるエンジェルスケイルの取引場所はわかっている。先程からちさとと男がうろついている場所より3ブロックほど先に行ったところだ。今夜はめぼしい客は見当たらないし、この男から札束ひとつ貰ってそれを成果とするしかない。
ちさとは男の行く道へ先回りをして空きビルの2階窓から顔を出す。男に届ける声は、成人男性のものにした。
「おい、お前」
「!」
「こっちだよ、上だ上」
下の男に届くように少し声を張る。
この義耳は、こと“聴力”に関してほぼ不可能はない。マスターが何を思って作ったのかは知らないが、出来ないことはほとんど無い。他人の聴覚を支配することなど造作もなく、聴かせたい音を聴かせることが出来る。それはつまり、ちさとの肉声を好きに操って好きな声で届けることが出来るということ。“リトル・レッド”が性別不明である原因に一役買っている。
そして男は顔を上げ、こちらを見て目を丸くする。指をさして何か言葉を紡ぎたいようだが、混乱しているのかパニックなのか、その口はただはくはくと動くだけだ。
「まあ落ち着けって。お前が欲しい情報、売ってやってもいい。・・・そのケースの中身をひと束くれたらな」
「おっ、おおおおおお前がっ、あっあっあかずきん!!?」
「あぁ、そうだ」
「やっ、やるっ!やるから、はっははは早く取引場所を・・・!」
「その前に報酬だ。ひと束よこしな」
男はアタッシュケースを開けると、2階のちさとが顔を出す窓まで投げてよこした。案外コントロールがよく、ちさとは身を乗り出すこともなくあっさりと札束を手にすることができた。手早くそれが偽札ではないことを確認し、取引場所を伝える。男はそれを聞くやいなや、ビルの影へと消えていった。
ちさとはそれを見送ると、手元の札束を数える。きちんとひと束分ある事をチェックし終わると、そのまま窓から飛び降りて同じようにビル影へと消えた。さて、帰って寝よう。
*:;;;:*:;;;:*
「やあ久しぶり、僕のこと覚えてる?」
2秒前に顔を上げた自分を呪いたいと思った瞬間だった。
レオナルドさんとの約束の日、いつもの公園に現れたのは、二度と会いたくないと誓ったスティーブン・A・スターフェイズその人だった。
「・・・ナンパなら間に合ってます」
「その顔は覚えてるって顔だね」
人の良さそうな笑顔で断りなく横に座る。ちょっと、そこ、レオナルドさんが座る予定なんですけど。
「あの・・・レオナルドさんの上司さんがなんの御用でしょうか・・・」
そう思いつつも、今日レオナルドさんが来ないことは何となく察した。
「おや、レオが来ないことについては聞かないんだね」
「最初から今日はあなたが来る予定だったんでしょう。・・・日時指定されて会うのは初めてだったので、そんな気がしてます」
「へぇ!もしかして先週からそう思ってた?」
「いえ、今さっき。あなたの姿を見てから思いました」
先週のレオナルドさんの“声”を聞いておくんだったと心の底から後悔した。彼の見た目と性格から、脅威になり得ないと決めつけ情報収集を怠った私のミスだ。《しまった》と聞こえたその瞬間から聞いておくべきだったのだ。彼の背後にあるのはライブラ。ひいてはこの副官が策略の糸を張っていることも、レオナルド自身に何かしらの力があることも、忘れていたでは済まされない。
それは話が早くて助かる、とニコニコ笑うこの男は、傍らに抱えていた紙袋を差し出してきた。その簡素な紙袋の中心には緑の文字がある。サブウェイと読める。
「せっかくの昼時だ。君を騙してしまったお詫びも兼ねて、ここは僕にご馳走させてくれないか?・・・と言ってもサブウェイなんだけどね」
眉尻を下げて困ったように笑う彼のこの提案には何の裏もなさそうである。提案自体には、だろうが。
レオナルドさんとは違う。油断していたらどこで尻尾を掴まれるかわからない。最初から義耳を全力で使わないと、崖っぷちに追い込まれて逃げ道がなくなるのは容易に想像できる。
(・・・袋の中身は本当にサブウェイだな。ここまで未開封で間違いない)
彼の“声”を聞く限り、どうやらこのランチのお誘いを受けない限り話が進まないらしい。ここは提案に乗るしかないだろう。
「・・・じゃあ、ご馳走になります・・・・・・」
「そんなにビクビクしなくても毒なんて入ってないよ」
「それくらいわかりますよ」
ここで毒でも盛られてみろ。犯人はこの男一択だ。・・・まあ、この街で毒殺なんて些細な事件すぎて誰も取り扱ってはくれなさそうだけど。
一口頬張ると、安っぽいけど安心する、口になじむジャンクな味が広がる。こと人間界のジャンクフードなど滅多に食べないが(というかまず店が少ない)、失くした記憶の中ではよく食べていたのだろうか。しばし無言でサブウェイを頬張っていると、向こうから口を開いた。
「自己紹介がまだだったね。僕はスティーブン・A・スターフェイズ。君の友人、レオナルドの上司だ」
「・・・矢神ちさとです」
「ちさと、か。ここら辺では珍しい名前だね。出身は?」
「アジアです」
多分、とは心の中にとどめた。目覚めた時は日本語しか理解出来なかった私に英語を教えたのはマスターだった。日本語しか扱えないという事は私は日本人なのだろうが、記憶のない自身について確定事項は1つもない。そしてそんな事は目の前の男に教えてやる必要もない。自分の見た目が東洋系であるのは間違いないし、欧米人にアジア圏の人間を国別に見分けられるとは思えない。
「へぇ、アジアか!確かにちょっとここらでは見ないミステリアスな顔立ちだね」
「それ、褒めてます?」
「褒めてるよ。ほらあれだろ、ヤマトナデシコってやつだ」
前言撤回。確かに彼には見分けがつかないようだが、どうやら私が日本人であると知っているようだ。心では《日本人だと答えてたじゃないか》と不満げな様子。その言い方はレオナルドさんから聞いたというよりは、直接聞いていたかのような含みがある。
あの日レオナルドさんに盗聴器が仕込まれていた?いや、不審な音はしていなかったはず。
「・・・ヤマトナデシコは日本人を示す言葉ですよね?」
「ん?あぁすまないね、実はレオナルドから君が日本人だと聞いていたからつい」
《本当は監視カメラで君たちの会話を見たんだけど》と、ご丁寧に心で付け加えてくれた。なるほど店もグルか。あるいは買収されたか。さすがにカメラの向こうの声までは聴けない。
「それに、ヤマトナデシコはミステリアスではありません。・・・多分」
「僕達からしたらヤマトナデシコは十分ミステリアスだよ。我々のように目の青い人間にはない雰囲気がある」
「はぁ・・・」
監視カメラを握られていたということはつまり、先週のレオナルドさんとの会話だけでなく行動までもが指示されたものだと想像できる。今度から日時を約束して会おうと言い出したのはもちろん、お店の指定をしたのもレオナルドさんだ。ランチのリクエストを投げかけたのは確かに私だが、退院祝いに美味しいものを食べようと提案することは予想できる。自然な流れで、まんまとこの男の筋書き通りに動いてしまったというわけか。
―――さて、どうする?
「それに、一人暮らしだと聞いたよ。外国で一人暮らしなんて大変だろう?おまけにここはヘルサレムズ・ロット・・・君みたいにいたいけな少女が生きていくには壁が多すぎる」
「いたいけって・・・私のこといくつだと思ってます?」
「おや失礼。レディと呼ぶべきかな?」
「・・・遊んでます?」
とんでもない、と笑うが間違いなく遊んでる。
確信に触れぬようのらりくらりと話を逸らして時間を稼ぐと、なるほど読めてきた。どうやら私の素性を明かしに来たらしい。
組織の新入り・レオナルドと仲がいい謎の東洋人。尾行をしてもすぐに撒かれ、情報は何ひとつ出てこない。出身も住居も生い立ちも不明。レオナルドさんに何も喋らなかったのがあだとなったのか、この副官は、私が彼をたぶらかして組織の情報を盗もうとしてるどこかの回し者だと考えているらしい。・・・あながち間違ってないので否定はできないけど。
でもなるほど、あの尾行はやはりライブラの連中だったのか。音を覚えて二度と会わないように動いていたのは正解だったようだ。半分だけ。
「あの、スターフェイズさん」
だったら話は早い。回りくどく聞き出されるのはめんどくさいし時間の無駄。尾行を撒いている事もバレているし、私が“バレている事”に気づいている事も計算済みだろう。
「私、ナンパも話し合いも、回りくどいのは嫌いなんです」
「・・・と、いうと?」
「私のこと、探りにきたんでしょう?」
「・・・」
「自分の生い立ちが怪しいことなんて私が1番わかってますし、最近私のことを尾けていた連中を片っ端から撒いたのも覚えてます。あの人たち、スターフェイズさんのお知り合いですよね?」
黙ってサブウェイをかじるスターフェイズは、視線だけでこちらを見やっている。《どうやらバカではないらしい》という心の声から私の話を聞く気はあるようだ。というか、聞こえないからってバカとは何だバカとは。
「・・・ああ、確かに君を尾行しろと命令したのは僕だ。その全員が見事に撒かれ、二度と君の姿を見ることは叶わなかった」
「こんな街ですから、自衛はしっかりしてるだけです」
「まったく、どんな手で撒いたのか教えて欲しいね」
「手の内を教えてしまったら自衛の意味がありませんから」
「・・・まるで尾けられると困るみたいな言い方だな」
「・・・・・・いたいけな少女の一人暮らしなんて、警戒に警戒を重ねるくらいで丁度いいと思いません?」
「君、案外根に持つタイプ?」
その質問はスルーである。
「そうだね・・・“君の素性を教えてくれ”と言ったら教えてくれるのかい?」
「私の条件をのんでくれるのなら」
「条件?」
「“レオナルドさんとのランチを見逃すこと”」
スターフェイズを斜めに見上げる。
レオナルドさんとのランチとテキストの時間が、私にとって大事なのは本当で本心である。だがこの条件を出すことで、私にとって“自らの素性”はあまり面白いものではないという提示、あなたが危険視するほどの価値はない、と暗に含ませる。もちろん逆に、“自らの素性を提示してまでもレオナルドと関係を結びたい”ともとれる。果たして伊達男はどっちにとるのか。
「そんなにレオと会いたいのか?」
「・・・レオナルドさんから聞いているかもしれませんが、私、近々引っ越すんです。会えて精々あと2、3回・・・せっかく出来た友達と会いたいのはそんなにいけないことですか?」
あくまでも矢神ちさとはいたいけな少女だ。頭の回転はバカじゃない程度に早くて、でも尾行に怯える非力な日本人。このイメージを彼に植えつければ勝ち。それでも怪しまれれば負け。
そしてその勝敗は、
「いいよ。・・・もちろん、君の話を聞いて僕が納得すればね。かわいい部下が、素性不明で謎の少女と仲がいいなんて怖いだろう?こんな街だし、部下を守ることは会社を守ることにもつながるし、何より上司の務めだろう?」
「こんな街だし、ね」
見えないはずの火花が散っている。しないはずの火の音が聞こえる。ちさとは一つ息を吐いた。
秘密結社を束ねるブレーンが勝つか、そのブレーンの手の内を聴ける少女が勝つのか。
「―――この街では、何でも起こります。だから、今から話すことに嘘はありません」
そしてその勝敗は、少女の言葉に委ねられる。
2018.05.23.
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