凍らない3
これはちさとの持論だが、上手に嘘をつくコツは、嘘をつかないことだ。
「私には、2年半より前の記憶がありません。自分の名前だけはやっと思い出せた程度の記憶喪失です」
聞かれたことには素直に答え、聞かれていない事は無用に喋らず。「だって聞いてこなかったから」で逃れるのは卑怯ではなく賢いと言ってほしい。
幸い、相手の心も聴こえる。次の質問内容を先んじて知る事ができれば会話の主導権を握りやすいのは、この街で過ごすうちにわかっている。
「だから、いたいけな少女かレディかも本当はわからないんですよね。アジアは幼く見えるって言いますし」
「確かに記憶喪失っていうのはここでは珍しくないが、名前だけしか覚えてないってのは珍しいな。普通は名前すら思い出せないか、名前を思い出せばその周辺も思い出せるようなものだが・・・」
「全く思い出せないって訳ではないんですけど、まあ、名前しかはっきり覚えてないっていうのが事実ですし」
「日本人っていうのは?」
「最初は日本語しか喋れなくて、英語は聞き取れないし話せないしだったので、日本人なのかなって。・・・日本語を使う国って日本だけでしょう」
ここまでの内容で、嘘偽りは何一つない。教えてやる義理こそないが、記憶喪失に関しては隠すメリットはないし知られたところでこちらに不利益が生じるようなこともない。
スターフェイズの“声”が聞こえるからわかる。嘘をつくのはここからだ。
「じゃあ、英語は誰かに教えてもらったのかい?」
この問いに素直に答えるなら「マスターに」だ。だが、ちさと本人ですらマスターが何者かわかっていない今、この回答をするわけにはいかない。
マスターに関しては、少なからずヒューマーではないだろうと思っている。「定例報告の間」が人界と異界の狭間にあると聞いているし、いくらここがヘルサレムズ・ロットとはいえ、人間にこの耳を作る技術があるとは到底思えない。というのがこの2年半でちさとがたどり着いた結論だ。マントに覆われている身体の線はしっかりと確認したことはないが人型をしているように思える。人間の姿を借りているのか真似ているのか。いずれにせよ、命の恩人であるマスターに感謝こそあれど恨みはなく、そんなマスターの情報をここで易々と口にすることはできない。
「ええ、今の私の保護者代わりの方に」
「・・・へえ」
「その方に日常の英会話は教えてもらいました。だから会話は出来るんですけど、いかんせん読み書きが苦手で・・・」
「ふうん、それでレオに勉強をみてもらっていたのか」
「はい、まあ」
そこまで喋ると、スターフェイズは顎に手を当てて何やら考えている様子だ。いや、全部聞こえるんだけど。
・・・わかってますよ。
「だからその、私の素性が不確定なのはそういうことなんですよね。私本当に何にも思い出せなくて・・・でも、こんな街でも一応役所に届ける公的資料は必要じゃないですか」
「そうだね・・・現に、君の身元は政府に認められている」
「ヘルサレムズ・ロットに対する身元確認なんてあって無いようなもんですけどね・・・。だからこそ私の保護者代わりの、えっと・・・父親が、その隙を縫って政府に届けてくれたんです」
「それはなかなか・・・文書偽造ってやつでは?」
「ノーコメントで」
困ったように笑えば、向こうも困ったように笑って息をついた。
「君の・・・父親は、そういうお堅い職業に就いているのかい?」
「ノーコメントで」
「・・・言えないような事でも?」
“言えない”よりは“知らない”の方が正しい。そもそもマスターに“職業”という概念が当てはまるとは思えない。
私の身元についても、気づいたら認可されていたのだ。マスターがやった事に変わりはないけれど、いつどこでどうやってなんて私も知らない。
「あの方は命の恩人です。いくらレオナルドさんの上司とはいえ、簡単に個人情報をお話することはしたくありませんから」
「・・・なるほど。軽々しく口にできないような場所にお勤めのようだね?」
「ご想像にお任せします」
《この子は絶対に口を割らないし、尾行もさせてくれないだろうな、さてどうしたものか・・・》とは彼の“声”だが、果たして全くその通りである。マスターの職業(もしくは正体)について喋る気などさらさらないし、スターフェイズ相手でも尾行なんて絶対にさせない。
「・・・そう言うスターフェイズさんはどういうお仕事なんですか?」
「企業秘密」
「では、おあいこですね」
「ははっ!なるほどなぁ。喰えないねェ君」
その言葉そっくりそのままお返しします、とはすんでのところで飲み込んだ。
だが、この言葉で私への追求はしにくくなったはずだ。事実、彼の“声”は追及を諦める色が混じっている。この辺で諦めてくれるといいんだけど。
「あと、聞きたいことはありますか?」
「そうだな・・・・・・矢神さんは何をしているのかい?」
「何、というと」
「仕事」
「・・・仕事、ですか・・・・・・難しい質問ですね・・・」
まさか素直に「赤ずきんなんですゥ」とは言わないしそもそもアレを職業にカウントしていいわけがない。
「へェ?」
「あ!いや、やましい事をしているわけではなくてですね・・・その、働いてない、ので・・・」
赤ずきんを仕事と言わないのなら、私は実質無職である。うん、嘘ついてない。
命の恩人であるマスターには、いくらお礼を言っても言い足りないし感謝してもし尽くせない。その感謝の形をわかりやすく“金銭”で返そうとしたら拒否されたのは、ちさとが赤ずきんとして活動し始めた最初の頃だ。お金も何もいらないから、メモリーで定例報告をして欲しい、情報を集めてほしい。それが私への恩返しになると信じて疑うな・・・と。それでも最初はお金や珍しい品物を渡そうとしたが、絶対に受け取らないマスターの姿勢を見て諦めたのだ。
そのような事を真実に触れないようにうまく話して聞かせた。定例報告の部分は「元気に近況報告してくれればそれでいい」と言い変えておく。
「それはまた、何というか・・・変わったお人だね」
「欲がないみたいです。独り身でお金にも困ってないみたいですから・・・案外あの方の暇つぶしで拾われたのかも、私」
「まあ、この街にはいろんな人がいるからね・・・。矢神さんは、拾われた理由よりもそんな資産家に拾われてラッキーだったと思うべきかな」
「ふふ、ありがとうございます」
ここでようやくスターフェイズがこちらへ顔を向けた。その表情は困ったような笑みで、でも先程より敵意のない柔らかさがある気がした。
それは彼の心の声にも表れており、疑いよりも同情や憐れみの色が濃く伺える。同情も憐れみもくそくらえだが、この際疑いが向かなければ何だっていい。
そんなちさとの声が聞こえたかのように、彼は立ち上がってこちらを見下ろした。
「疑って悪かった。君の記憶、いつか戻るといいね」
「私もそう思ってます。・・・最後に、レオナルドさんに伝言をいいですか?」
「なんだい?」
「“テキスト、進めておきますよ”って」
呆けた顔でポカンと口を開けたスターフェイズは、一拍おいて笑いだした。そうして笑いながらこちらに右手を差し出すので、こちらも同じく右手でしっかりと握った。左手で目元を拭うのは見逃しませんでしたよ。
「・・・笑いすぎですよ」
「いやぁすまない!必ずレオに伝えるよ」
それじゃあ、とするりと手をほどき滑らかに振って立ち去るスターフェイズは、まるでなんて事無い世間話を終えた後のように颯爽と公園を出て行った。あまりにあっけないその背中に声をかけるのを忘れるほどに。
「・・・・・・」
まあ、いいか。彼の声が遠くなるまでテキストでも読んでおこう。
*:;;;:*:;;;:*
公園から車で立ち去り、20分は経つ。誰かに後をつけられてる気配はないし、彼女に勘づかれた様子もない。事務所に上がる前に確認しようと機械のスイッチを入れた。
「・・・」
スイッチを入れてしばらく、スティーブンの耳に面白い音は届いてこない。聞こえるのは紙をめくる音、その奥に規則的に響く水音、誰のものかもわからないざわめきだけ。
「まだあの公園にいるのか・・・」
先程矢神ちさとと握手をした時に、彼がその袖口へと滑り込ませたのは盗聴器である。人の気配に聡く、尾行が意味を成さないのであれば機械はどうだろうか。
時おり、紙をめくる音に混じって彼女の声が聞こえてくるので、別れて20分経った今でもバレていないらしい。彼女の声を聞く限り、英文法について呟いているようで、しっかりとあのテキストで読み書きの勉強中のようだ。
10分ほどそんな呟きを聞いていると、ふいにパタン、と質量のある音がした。恐らくテキストを閉じた音だろう。
《ふぅ・・・》
続いたのはため息。そして異常なまでの衣擦れの音。確かに盗聴器は袖口へ仕掛けたが、ただ動くだけでノイズが走るほどだろうか。さらに続いたのは衣擦れとは違う耳障りな音。ガサガサ、バチリ、と続いて、今までより鮮明に向こうの世界が拾える。
まさか。
《あ、あー。えーっと・・・聞いてますか、スターフェイズさん。すみません、盗聴器見つけちゃいました》
そのあっけらかんとした報告に、思わずハンドルへ前のめりに倒れた。
まあ、薄々気づいていた。多分見つけられてしまうのだろうと。だが早すぎないか。まだ公園どころかあのベンチからも動いてないじゃないか。
《レオナルドさんが可愛いのはわかりましたけど、女性の一人暮らしをしてる身としては盗聴器はいただけないですねぇ。あ、もちろん、どうやって見つけたとか聞くのは無しですよ。自分の身は自分で守る・・・何でもありのこの街で、1番信じられるのは自分だけですし》
彼女の言い分も最もだ。
矢神ちさとの素性の怪しさについて理由はわかったし、納得もした。どんな手段を使ったのかは分からないが、自身へ降り注ぐ災厄の種を取り除く努力も惜しまない。・・・確かに、一人暮らしの女が尾行や盗聴に敏感になる事なんて当たり前で、それがこの街では顕著に現れて然るべきだ。怪しさの方が前面に出て、その事実に目を向けきれなかったこちらの落ち度なのか。
《ですから、この盗聴器は外しますね。壊すには忍びないので・・・うーん、このベンチの足に付けておきます。今度、レオナルドさんと会うまでに回収されてなかったら壊しますので》
では、と最後に呟いて、足音が遠ざかっていく。聞こえてくるのは公園の喧騒だけになってしまった。
あの盗聴器は12時間で自然消滅するように出来ているので、正直壊されようが壊されまいがどちらでもいい。回収する必要もない。
ひとつ小さく息をついて、彼は車を降りた。事務所へ続く道をたどる。
「1番信じられるのは自分だけ、ねぇ」
至極ごもっとも。記憶をなくし、何もわからないこんな街で魑魅魍魎に囲まれた生活をすればそんな感性にもなるだろう。かく言う僕自身も世界が“こう”なる前から、血なまぐさい裏の世界で生きているのだから、この言い分に反論はない。
――だが、少なくとも彼女には父親代わりの人間がいる。ただの言葉のあやなのか、僕が勘ぐりすぎているのか。
(これ以上踏み込むのは野暮かな)
彼女には彼女の、矢神ちさとの生活がある。初対面の年上の男に言えない事があって当然。彼女の生い立ちには同情するし、逆によくもここまで話してくれたと感心するべきなのか。
「スティーブンさん!」
背後から聞こえた声に振り向くと、事の発端である少年が駆けてくる。ちょうど事務所に行くところだと言うので、一緒に向かう。
「あぁ、レオに伝言を預かってきたよ」
「え?」
「“テキスト、進めておきますよ”だって」
「!・・・あ、ありがとうございます!」
よかったと胸をなで下ろす少年を見て、まあいいかと考えを心の隅に追いやった。万が一にも何かあれば、少年は自分の力で見極めるだろうし。
「春でも来るのかい、少年」
「え?・・・・・・ハイ!?」
一拍おいて声が裏返る少年を置いて、先に事務所への扉をくぐった。
2018.06.28.
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