凍らない4


日付が変わって間もなく。相変わらず分厚い霧に覆われたこの街は、今日もなかなかその隙間から月を見せてはくれない。人界と異界の狭間、より少しばかり異界側で何やら面白そうな事をしているが、局面はイマイチわからない。プロスフェアーのルールは情報として入っているものの、複雑すぎて身につける気はさらさら無い。
ちさとは、高いビルの上から街を見下ろしつつここ数日の出来事を思い返していた。
悪魔のような副官との心理対決を終え、挙句盗聴器まで仕掛けられて気が気ではなかったあのランチはすでに数日前の出来事である。
その後、今度こそレオナルドとランチをする事ができたちさとは、まず自身の生い立ちを黙っていたことに対して謝罪を行い、話して聞かせた。きっとスターフェイズから一部聞き及んでいるはずであり、それなら自身の口から話すことが誠意であり怪しまれずに済む対策だったからだ。案の定レオナルドはあまり驚く様子もなくちさとの話を聞いていた。・・・そんな彼の襟元に盗聴器が仕掛けられていたこともここに書き加えておく。彼がたいそう驚いていたので、あの副官が無断でひっそり仕掛けたことに間違いはないだろう。

「スティーブンさんはちさとちゃんの事が心配なんだよ」

と言っていたが、曖昧に笑ってごまかした。100万歩譲ってもそれはない。どちらかと言うまでもなくレオナルドの心配・・・いや、私の正体を暴いて安心させたいのはライブラという組織か。
何にせよ、だ。

「レオナルドさんはもう少しだけ身の回りに気を配った方がいいですよ・・・」
「ははは・・・返す言葉もありません」

身内とはいえ襟元、生物の急所である首周りに容易に他人の侵略を許している。生徒としても、ランチを共にする友人(・・・多分)としても心配だ。
そんなこんなでその後のレオナルドさんとの関係は、特に怪しまれることなく良好である。以上、回想終了。

「!」

パキ、と小枝を踏んだ音が届いた。距離にして後方およそ825m。心を聞こうとするも願望は聞いて取れない。・・・どうやら雇い主の命で私を探しているようだが、その雇い主が何故赤ずきんを探しているのか理由までは知らないらしい。何の情報が知りたいのかわからない依頼主は会わないに限る。
耳をすまして音のしない方へ足を運ぶ。ビルからビルの間を移動する跳躍力は、異界特製ブーツのおかげである。ある程度の身のこなしは、リトル・レッドとして動いているうちに身についた。それでも、たまに自分ですら信じられない動きをする事があるので、義耳を付けられた時に何か仕込まれていると思っている。・・・確認する勇気はない。
背後の音から逃げるように路地裏を駆け抜ける。自らの体から発せられる音は全て消し、巻き起こる風だけがちさとの存在を主張している。

(・・・しつこいな。・・・!)

後ろの音から逃げていると、前からも別の音が現われた。慌てず右に逸れ、さらに暗い路地裏へと駆ける。この先に拠点がある。むやみに逃げ回るよりも、身を隠してやり過ごす方が得策だろう。
下道を走り回るのにも無理があるため、時にはビルの屋上を飛び回り、ガラスの割れた廃ビルの窓から飛び込んで姿を隠して切り抜ける。・・・が、音はしつこく追いかけて来て、消える様子はない。さらに、真後ろから追いかけてくるのではなく左右からはさむように追ってくるので逃げ道がない。まるで私の進む道を誘導されているようだ。

「まさか、ね・・・」

一瞬のスキを突いて、ビル陰に隠れた瞬間に赤いフードを裏返して黒に変える。狼のマスクはそのままに、闇に紛れる色になる。しかし、再び陰から出てきたときには音が1つ増えていた。それも、正面から聞こえてくる。この距離では、一番近くの拠点に辿り着く前に正面の音にぶつかってしまう。。
正面およそ1km・・・850m・・・600、500、400、300、・・・・・・。

「・・・」

徐々にスピードを緩め、足を止めた。左右から追いかけてくる音もスピードを落とし、正面の音はゆっくりと近付いてくる。退路は塞がれた。どうする?
落ち着いて深呼吸。マスクのおかげで私の表情を相手は読めない。3つの音を聴く限り、力に任せてこちらを制圧する気は無いらしいのでとりあえず安心する。確認するまでもないがこの3人は仲間・・・3人とも同じ主のために動いているらしい。相変わらずどんな情報を求めているのかは知れない。雇い主は相当に切れ者のようだ。嫌な予感がして来た。
・・・運が悪い。足を止めてしまったここは、正面と左右の三方を高いビルに囲まれているどん詰まりの裏道だ。追手はその三方のビルの屋上にいるらしく、さっきからそこを動かない。
やがて背後から車のエンジン音が届き、すぐ後ろで止まった。・・・嫌な予感は的中しそうだ。あーやだやだ。

「・・・君がリトル・レッドかい?」
「はじめまして、スティーブン・A・スターフェイズ」

言いながら振り向く。咄嗟に使った“声”は、涼やかでピリリとした女性のものとなった。相手の冷気に当てられたのか、この危機的状況がそうさせたのか。どちらにせよ舐められては困るので、強気な声で話すのが吉だろう。
マスク越しに見える嫌に長いその足は、今にも氷点下の蹴りを見舞われそうで寒気がする。なんで最近ライブラとのエンカウント率が高いんだろうか・・・呪われてる?

「やっと会えて嬉しいよ、赤ずきんちゃん」
「別に私は嬉しくないけどね。・・・それで?ライブラの副官様がこんな回りくどい仕込みでいったいどういう考えなのかしら」
「ひどいなぁ。都市伝説とも言われる赤ずきんに敬意を払ったと思ってくれよ」

どの口が言うのか問い詰めたいところである。“やっと会えた”と言ってる通り、この副官様は今までも幾度となく私を探して夜の街を走り回っている。それを全てかわして会わないようにしていたのは私なんだけど。・・・今までと違うのは、スターフェイズ1人ではなく今夜は部下らしき3人を引き連れている事だ。おまけに、その部下3人には私への依頼内容を伏せたまま追い詰めるように命令している。おかげで彼と顔を合わせる今の今まで欲しい情報が分からず仕舞いだったのである。
・・・つまり、今ならわかる。この男が何を欲しているのか。
仕方がないので、先程返した黒のマントを元に戻した。赤と黒のリバーシブルカラーは、闇夜に紛れるための黒と仕事相手に見せる赤。ここから先は仕事相手として話をしようという誠意を表すことにする。そう、仕方がないので。

「言っておくけど、私はライブラの一員にもならないしエンジェル・スケイルの出所も教えないわよ」
「!・・・なぜそれを?」
「当たり前でしょう、私を誰だと思っているの?」
「なるほど・・・確かに“何でも”知っているようだね。噂は本物だったというわけか」

リトル・レッド――ちさとの心境など露知らず。スティーブンは身体が震えるのを感じた。感動?恐怖?武者震いというやつかもしれない。
赤いマントに狼のマスク、黒のスキニーパンツで浮かび上がるシルエットは細く、お世辞にも逞しいとは言えない。この目に映る情報は、果たして本物か偽物か。リトル・レッドが戦ったという話は聞かないが、一戦交えたら強いのだろうか。狼の奥に隠した奴の表情はわからない。

「だが、エンジェル・スケイルについては教えてもらわないと困るな・・・うちは今、全員でその情報を探っているところなんだ」
「教えてもいいけど・・・報酬は大変なことになるわよ?金額はもちろん、貴方達の行動にも制限をかけてもらうわ」
「・・・制限?」
「“金輪際ライブラは赤ずきんへの接触及び捜索をしてはならない”くらい条件を飲まないと無理ね。エンジェル・スケイルの情報には、それだけの価値がある。お互いが対等な報酬を得ないのは私のルールに反するわ」

これだけ言えば諦めるだろうと踏んで大きく出た。何せエンジェル・スケイルについての情報は皆無。相手がスターフェイズであろうと無かろうと、そもそも売る物がない。

「それは困るなぁ・・・・・・。でも、ここで何も得ずにはいそうですかと帰るわけにもいかないんだよなぁ・・・」

スターフェイズの表情はにこやかだが、有無を言わさない迫力がある。勘弁してくれ。

「私としては、この条件を飲んでくれないのならあなたと話す事はもうないわよ」
「残念だな。僕にはまだ話したいことがたくさんあるんだけど」
「あのねぇ・・・、・・・・・・?」

ため息混じりに返答すると、はるか深くで奇妙な会話を聞き取った。
なるほど・・・これは使える。

「・・・わかった、じゃあこうしましょ。私の口からエンジェル・スケイルについての情報は売れないけど、きっかけなら売ってあげてもいい」
「きっかけ?」
「ただし、条件を飲んでもらえるなら、だけど」
「・・・その条件によるな」
「“この場から手をひくこと”。このビルの上にいる3人も、・・・離れて待機しているあなたの仲間や部下も全員撤退させてくれる?あぁ、もちろんスターフェイズ、貴方が立ち去るのは部下達が全員いなくなった事が確認できた後。貴方以外がここから居なくなったことを確認できたら教えるわ」
「その条件を飲んだとして、全員が撤退した事をどうやって知るつもりだい?」
「それはあなたの知るところではないわね」

しばし顎に手を当てて考えていたスターフェイズは、ジャケットの裏に口を寄せて何やら呟いた。部下へ退くように指示を出しており、やがて頭上の3つの気配も遠のいていく。その間にも彼は指示を出し続け、やがてすっかりと周囲に人の音がしなくなった。よくよく聞いてみると、先程よりもさらにふた周りほど遠くに待機しているようだが、・・・まあ、この距離なら大目に見よう。
ようやく彼が顔を上げ、少し後ろに下がり車に背を預けた。背後を取られないよう対策したようだが、生憎私に背後を取る技量もなければ仲間もいない。

「お望み通り、部下達は下がらせたよ」
「そうみたいね。・・・安心して!貴方達の大切な上司には指一本触れないわ」
「?」
「その無線、まだ繋がっているんでしょう?無線の向こうに警戒されてるようだから。私への報酬を払ってくれた以上貴方はお客様。きちんと情報を渡してお帰りいただくわ」
「それは有難い、助かるよ」
「・・・貴方達は敵に回したくないからね」
「おや、では仲間にならないか?」
「ご冗談を」

残念だ、と肩を竦めたそのポーズが様になっているのがとてもムカつく。この男、敵に回したくないのはもちろんだが、自分の見目が良いことを自覚して立ち回っている所が実にいけ好かない。事実、ハニートラップで引っ掛けた女の数なんて数えていないだろう。今も“あわよくば”この顔で落ちてくれないかと心で呟いている。誰が落ちるか。

「エンジェル・スケイルの出処だったわね。安心して、時期に貴方達のボスが持って帰ってくる」
「・・・は?」
「聞こえなかった?貴方達のボス、クラウス・V・ラインヘルツがその情報をもたらしてくれるわ。良かったわね、赤ずきんに高額な報酬を払わずに済んで」

先程聞こえたドン・アルルエルの戯言によれば、99時間プロスフェアーで対戦してくれれば教えるらしい。さすがに未来の勝敗までは分からないが、“チェックメイトを忘れて戦え”と発した本人なら大丈夫だろう。片目の電撃銃使いと執事も一緒ならこちらへ帰る足はあるし連絡も取れる。
・・・“時忘れの庵”の中も聴けることには聴けるのだが、何せあのプロスフェアーの試合だ。その昔1度だけマスターとした事があるが30分で頭がパンクした。ただでさえ時の流れが違うあの中の盤面の戦況なんぞわかるはずもない。

「それは、どういう・・・」
「そのままの意味。ラインヘルツが、・・・多分10時間以内には連絡を寄越してくるはず。貴方はその時に電波の届く動きやすい場所にいるといいわ。部下達も動けるように指示を出しておいたら?」

10時間指したウルツェンコが小一時間で出てきたから、まあそんなもんよね。計算間違ってないよね。うん。

「・・・それが確かだという証拠は?」
「あなたの知る赤ずきんは、嘘の情報を売ったことがあるかしら?」
「ふん、なるほど。信じろというのか」
「だから、その“信頼”を目に見える“報酬”としてやり取りしてるのよ。そもそも、情報なんて目に見えない不確かなものを売買しているんだから、それくらいはリスクを背負ってもらわなきゃ割に合わないわ」
「・・・」
「貴方は先に報酬を払った。だから私は情報を渡した・・・たったそれだけ。何か難しかったかしら?」

その時、パチリ、と空間に亀裂が入る音がした。音の方向は背中、ちょうどスティーブンからは死角になって見えない位置。
大丈夫、落ち着いて。もう終わらせる。

「わかった、信じるよ」
「そ、良かった」

ちさとがそう答えた瞬間、亀裂が広がり暗闇の空間がぽっかりと顔を出す。
予想打にしないその異空間に虚をつかれたスティーブンは息を呑む。だがそんな彼を置き去りに、ちさとは踵を返しその闇へと足を運んだ。

「それじゃあね副官さん。もう二度と会わないことを祈ってるわ」
「おい、待っ・・・!」

再びパチリと音がして空間が閉じる。挟まれないようにと早足で飛び込んだちさとは、何も見えない暗闇の中横になっていた。徐々に目が慣れて、というよりは暗闇がほんのりと薄れて、頭の上にマスターが立っているのが見える。相変わらずその顔はフードで隠れているが多分呆れてる気がする。

「ありがとうマスター」
「・・・久しぶりに見たよ、君の無茶は」
「・・・ごめんマスター」
「家まで送ろう」
「助かります・・・」

右も左もない空間を歩き出すマスターに遅れを取らないよう、立ち上がって駆ける。
さよならスターフェイズ。もう、二度と、絶対に、会いませんように。・・・・・・そしてこれはフラグになりませんように。



2018.08.14.

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