赤ずきんちゃんは退場した


伸ばされた血糸を文字通り髪の毛一本の差で仰け反ってかわし、そのまま後方へ一回転して瓦礫の影に身を隠した。幸いにも背中側はビル壁で、それ以外は瓦礫に囲まれている為誰もいない。見られていないことを確認して、背中に隠していた狼の面とマントに手をかけた。

「そんなところに身を潜めて隠れたつもりか人間。無駄な足掻きはやめて姿を現すがいい。さもなくば次はその細い喉を一突きにして素顔を晒してやっても構わん」

それは言外に、隠れているのが赤ずきんだとわかっていると含んでいた。こちらが素顔を晒されるのを望んでいない事を知っている口ぶりだ。実際裸獣汁外衛の声は赤ずきんだと確信している。だが正体まではわからない・・・否、興味が無いらしい。

(全く・・・どうしてこうなった・・・!)

こうなった原因と、誰を恨むべきか責任の所在を確認するためには、半日前まで時を戻さねばならない。



  *:;;;:*:;;;:*



まだ人界は暗い時間、ちさとは“定例報告の間”へと呼び出されていた。定例報告は先日終えているのだが、この白い部屋はそれ以外でも使われることがある。2つの世界の狭間に作られた部屋は、2人が落ち合うのに丁度いい。

「それで?マスター、今回は何の用事ですか?」
「明日、中心街で起こる出来事を聴いてほしい。もしかしたら、珍しいものが聴けるかもしれんからな」
「ふぅん・・・?」

マスターが、この様に対象を指定して報告するように言うのは珍しいことではない。元々『面白いと思うものを報告する』という条件の元に義耳を貰っているので、マスターの要望に応えるのは可笑しいことではない。なにより、こういう場合は高確率で面白い事が見れるのだ。行かない理由がない。

「ただ、念の為にマスクとフードを持っていくように」
「・・・お昼、ですよね?」
「念の為、だ。私にとって珍しいものは大衆にとっても珍しい。何が起こるかわからない。無理だと思ったらすぐに引き上げてくれて構わん」
「はい・・・」

歯切れの悪い追加注文に、どことなく居心地の悪さを感じた。それでもその感覚を言葉にすることは出来ず、白い部屋を後にして自宅へ帰ることしか出来なかった。
そうしてその気持ちを携えたまま夜が明け、私はマスターの言いつけ通りマスクとフードを背中に隠して街中へ駆けた。マスターの大雑把な“中心街”という表現では詳細な場所が不明のため、ビルの屋上で360度全方位に耳を傾ける。血界の眷属が遠くの方で暴れているようだが、マスターにとって珍しい出来事とは思えないのでスルーだ。
他になにか面白いことは起きないかとしばし耳をすましていれば、暴れていた血界の眷属がなりを潜め、なるほど確かに珍しい存在がその近くに聴こえた。

「二重属性持ち・・・まさか・・・!?」

飛びつきそうになる身体をぐっと抑え、遠巻きに慎重に音へと近付く。何せその近くにはライブラの音があるからだ。高いところにいるよりは人混みに紛れた方が近寄りやすそうなので、地上に降りて接近を試みる。
想像通り、独特のその喋り声は裸獣汁外衛賤厳のものだった。近くにはこれまた珍しい真胎蛋もある。ここまでの会話を聞くに、どうやらザップ・レンフロがそれを行動不能にするらしい。マスターが聴きたがってたものはこれかとそこでピンと来た。寸分の狂いもなく同時に複数の器官を射抜くなど、それこそ神業だ。ただの人の子にそれが出来るのか、出来るならそれはどんな奴なのか、マスターが聴きたいのはそれなのだろう。
どうするのだろうと聴いていれば、チェイン・皇の声でドン引く程直接的な単語が飛び込んできた。うげ、と思わず声に出してしまった直後、真胎蛋からの音が変わった。聴き取れないほどの一瞬で、ザップ・レンフロが射抜いたのだと後で考えてわかった。だが感心したのも一瞬で、時報に向かって語りかける姿にもう一度引いた。これをマスターに報告するの嫌なんだけど。

(“珍しいもの”は聴けたし、さっさと撤収しよ)

ライブラにもHLPDにも見つかるのは面倒くさい。幸いにも、ライブラはこの真胎蛋の諱名が読めない理由に意識が向いているようなので、姿を消すなら今のうちである。
パトカーの上で直角に曲がって泣いているザップ・レンフロの声をBGMに帰ろうとした時だった。

《そこにいるんだろう、小娘》

なぜ、と思う間もなく伸ばされた血糸を文字通り髪の毛一本の差で仰け反ってかわし、そのまま後方へ一回転して瓦礫の影に身を隠した。幸いにも背中側はビル壁で、それ以外は瓦礫に囲まれている為誰もいない。見られていないことを確認して、背中に隠していた狼の面とマントに手をかけた。
以降、冒頭の場面へと戻るのである。
裸獣汁外衛賤厳の冒頭の言葉もさることながら、血糸が伸ばされる直前に聞こえたのは間違いなく彼の心の声だ。私への語りかけに聞こえたのは偶然かそれとも。

「どうやら晒してほしいようだな」

諦めて出るしかなさそうだ。手早く面とマントをまとい、瓦礫の上に飛び出した。

「裸獣汁外衛賤厳殿、手加減のお心遣い感謝します」

中性的なよく通る声で話すことにする。ライブラの面々が驚愕の色に染まっているが今は無視である。スターフェイズの顔は後世に伝えたいほど見物だが、写真を撮る余裕はないので脳内に焼き付けることにする。

「このわしに感謝を述べるとは酔狂な人間だ」
「ええ。貴方ほどの御方なら先程の一撃で私を殺せたはず。もしくはこの面を外すことも出来た。なのにどちらも選ばなかった。これを感謝と言わずなんと言うのです?」
「戯言だ。貴様のようなちっぽけな命、私には有っても無くても我関せず興味が無いだけだ」
「お、おいお前師匠の言葉がわかんのかよ!」

急に割って入ったのはパトカーから復活したザップ・レンフロ。まあ、この耳を知らなければ当然の疑問だろう。さてどう返そうかとそちらを一瞥してる合間に、汁外衛が先に口を開いた。

「たわけ糞袋。この小童に構う暇があるならば迎えの準備をしろ。夜には貴様の弟弟子がその半身を連れて来る。生きていればな」
「・・・!?・・・・・・何だって?弟弟子!?連れて来るって・・・どういう事だ!?」

ザップ・レンフロが彼の言葉を訳している間に逃亡しようと後ずさるが、喉元に伸びた血糸で強制的に足止めされた。裸獣汁外衛である。

「・・・・・・何故です?私を足止めする理由がわかりません」
「その仮面ここで剥ぎ取られたくなければ、こやつらと共に半身を待て」
「何故、の質問にお答えいただけませんか」
「貴様の質問に答える義理が必要か」
「おーおーやめとけリトル・レッドさんよ。師匠はやると言ったらやるぞ。その時は仮面どころかその面の皮ごと剥ぎ取られるぜ?」

カカカ、と嫌な笑い方をするザップ・レンフロをひと睨みして(狼の面で誰にもわからなかっただろうが)息をつけば、血糸が納められた。汁外衛の心の声を聴かずとも、その音を聴けば絶対に私をここから逃がす気がないのは明白だ。何故そこまで執着しているのかは謎だが、ザップ・レンフロの言う通り、あまり問い詰めるとこちらが不利益を被るのは目に見えている。ここは飲み込むのが吉だろう。
しばしその場へ立っていると、各所への指示を終えたのかラインヘルツとスターフェイズがこちらへ近づいてきた。後者は楽しそうな笑みを口元に携えている。こんな明るい時間から心理戦は勘弁して欲しい。

「お初お目にかかります、・・・・・・あー・・・、」
「ミスでもミスターでもお好きな方で。ライブラリーダーのクラウス・V・ラインヘルツ。・・・あとスティーブン・A・スターフェイズ」
「・・・!ご存知だったとは恐縮です。申し遅れました、改めましてクラウス・V・ラインヘルツと申します」
「貴方くらいの有名人、この世界なら誰でも知ってるわよ」
「僕はついでかい?酷いなぁ、久しぶりの再会だっていうのに」

その白々しい笑顔には無言で返す。あなたとはあれっきりの予定でしたよ。

「では、・・・ミス・赤ずきん、我々と共に人類を守る任務に就いていただき至極光栄であります。つきましては貴方の、」
「あーストップストップ、ちょっと待ってくれる?あくまでも私は汁外衛殿に足止めされたからここにいるだけで、貴方達の仕事を手伝うなんて言った覚えはないわ」
「・・・・・・それもそうだな」

意外にも助け舟を出したのはザップ・レンフロだった。あの言葉を訳せるのは彼だけなので当然と言えば当然なのだが、口を挟んでくるとは思わなかった。

「まあそう言わずに。これも乗りかかった船だと思って助けてくれないかな?」
「それは助ける側が言う台詞よね・・・」

相変わらず良い顔で調子のいい事を言ってくるスターフェイズには呆れた声しか出ない。
・・・だが、今回は前回スターフェイズとやりあった時とは状況が違う。何故なら、この場の決定権を握っているのは副官の立場である彼ではないからだ。まだ切り抜ける策はある。耳を一瞬レオナルドさんに向けるが、夜に向けての準備に忙しいのか忘れてるだけなのか眼を使う素振りはなさそうだ。安心して目の前の交渉相手に集中できる。

「でも・・・そうね、事と次第によっては助けてあげてもいいわよ」
「ミス・赤ずきん、それは本当ですか?」
「ええもちろん。だから取引しましょう、ライブラのリーダーさん。この“赤ずきん”と、ずっと会ってみたいと思ってたんでしょう?」

心の内をずばり言い当てれば、ラインヘルツは息を飲んだ。ライブラが情報屋“赤ずきん”を探しているのはもうずっと知っている。協力関係を結びたい、あわよくば仲間に引き入れたいと考えているのも、この前副官と相対した際に確認した。この人の良いお坊ちゃんは、間違いなく私との取引に乗ってくる。

「取引内容を伺ってもよろしいだろうか?」
「そうね・・・私からは、今回の半身を密封する為に必要な情報であれば全て提示する、というのはいかが?」
「おいおい、大盤振る舞いじゃないか」
「その代わり、貴方達はこの仕事が終わるまで一切私の正体を探らない。・・・これが私へ払う報酬」
「構わない、ミス・赤ずきん。我々と共に世界を救っていただけますか」
「ちょちょちょちょ!クラーウス!!」

間髪入れずにYESの返事をしたラインヘルツを、これまた瞬速で割って入ったスターフェイズが止めた。2人はこそこそと小声で話し始めたが、声量など私には関係ない。

「落ち着いて考えてくれ。確かに赤ずきんと取引すれば作戦に優位な情報が手に入るかもしれない。だが、なぜか汁外衛殿が引き止めてくれているおかげで、赤ずきんは取引しなくてもここにいてくれるんだぞ!」
「む・・・・・・そうか、我々が払う報酬だな?」
「あぁ。取引に応じれば我々は赤ずきんの正体に近づくことは出来ない。だが、取引せずにいればその枷はない。赤ずきんを利用するにしろ味方に引き込むにしろ、その身元が明かされないことには後々仲間内で反発が起きやすい。・・・これはチャンスだよ、クラウス」

なるほどスターフェイズの忠告は概ね正しい。聴こえてしまう会話に心で頷きつつ、さすがに鋭いなと感心した。今回の取引内容にわざと作った隙を的確に突かれたわけだが、まあ、副官様がこれに気付くことなど百も承知。万事がこちらの手のひらの上だ。

「話し合いは終わったかしら?」
「・・・・・・ちょっと待ってくれないかな」
「あなたに聞いてないのよスターフェイズ。私はライブラのリーダーと契約がしたいんだから」
「・・・・・・スティーブン、君の忠告は最もだろう。だが、少なからず我々と同じ志を持った優しくも強い決意を、私は無下にできない。半身と闘う覚悟とは、我々をやり過ごすためだけに持てる大きさを優に超えるだろう」

真っ直ぐ差し出された手の持ち主に迷いは聞こえなかった。・・・背後の人物からは迷いや歯がゆさに加えて諦めが滲み出ているけど。《クラウスならそう言うと思ってた・・・僕は納得してないけど》とはスターフェイズの心の声である。ダダ漏れすぎて圧が強い。だが、その意見には全面的に頷いておこう。だって私もこうなるとわかっていて取引を持ちかけたのだから。
差し出された手を握り返し、マスク越しにしっかりとラインヘルツの目を見つめた。

「契約成立ね。よろしく、ライブラさん」



2021.08.27

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