赤ずきんちゃんのお耳は?
私には記憶がない。
正確には、2年半より前の記憶がない。おぼろげに覚えてることはあるし、偶に見覚えのない映像や音楽がよぎることもあるが、基本的には霧がかかった景色のように見通しが悪く、手を伸ばしたところで何かを掴めることなんて稀だ。最初は、自分の名前や年齢すら言える状態ではなかった。
ある日目が覚めた場所がいやに豪華なベッドの上で、見回しても見覚えのない豪勢な部屋だった・・・というか、どれだけ自分へ問うたところで私の頭の中には霧が立ち込めていて何も思いだせなかったのだ。この部屋に見覚えがあるかどうかすらわからない。そんな状態だった。
(そんな私を助けてくれたのがマスターだったな)
光る街並みを見下ろしながら、過去の邂逅を思い出す。
現在ちさとがいるのは、ヘルサレムズ・ロットの中心地から少し外れに位置する鉄塔の上である。時刻は真夜中。リバーシブルの黒いマントとフードを被り、闇に紛れながら情報を集めている最中だ。普通の生き物が寝静まった深夜に人気の少ないこんな場所で何か音がしたのならば、それはもう情報屋としては願ってもない“商品”である。
だが、聞こえてくるのはなんてことない風の音やよくあるいざこざに爆発音・・・この街ではお金にもならない音ばかりだ。それでもいつ何が聞こえるか分からない。闇夜に神経を向け、耳を傾ける。
(・・・この耳もマスターがくれたんだよねぇ)
目が覚めた時に気付いたことは、記憶がなくなっていることだけではなかった。聴力も失っていた。
むしろ記憶をなくしていることよりも、音が聞こえないことの方に当時パニックになったことを覚えている。
目が覚めてしばらく落ち着くまでは筆談でマスターと会話をし、生活に支障がないほどに動けるようになってから『新しい耳が欲しいか』と聞かれたのだ。
その聞き方はとても不自然で、なにやら真っ当な問いかけではなさそうだと直感した。だが、普通の生活が出来るまでに自分の世話をしてくれたマスターの提案であり、音が聞こえない生活へのストレスも限界値に近かった。
だから、うなずいてしまったのだ。それが私の全てを変えるとも知らずに。
「――!」
街の明かりとは反対から音が聞こえる。先ほどから何人かの足音は聞こえていたが、それらの持ち主はどうやら1か所に集合しているらしい。足の運びと重さ、その他物音からしてこれは何か美味しい匂いがする。2年半この街で活動している情報屋としての勘だ。
フードが脱げないようにしっかり深くかぶり、念のために狼のマスクもかぶる。“自分の音”を消して、鉄塔から近くのビルの屋上へと飛び降りた。
(音からして3人・・・札束を入れたアタッシュケースと金属音のするケースの音・・・取引?・・・あと1人は仲介人か見届け人か、はたまた始末屋かな)
その3つの物音が集合する場所を見下ろせる位置へ陣取ると、見つからないようにそっと覗き見る。
1人は紙束の音がするケース――恐らく中身は札束だろう――を抱え、もう1人は何やら金属音のするケースを下げて来た。もう1人陰から現われたかと思うと、3人で頭を突き合わせて取引を始めるようだ。どうやら見届け人のようだ。
取引場所である路地裏からはるか上空に位置するちさとは、しっかりとその耳を地上に向け、奴らの会話内容を聞き取る。難なく聞き取れるその内容は、何のことはない裏取引だ。・・・いや“何のことはない”というのは世間一般の感覚からは外れているが、この街からすれば特筆することのないものだろう。ただ、その会話の合間に聞こえる単語には少し興味がそそられた。
(エンジェルスケイル・・・)
聞けば、今裏の世界で密かに広がっている薬だとか。どうやらこの取引はそのヤバそうな薬の取引のようだ。この件に関しては掘り下げればいい情報が転がっていそうである。
(いいお金になりそう!ラッキー!)
しっかりと3人の音を聞き込むと、今夜はそこから立ち去ることにした。これでいつでも3人を探し出して尾行することが出来る。まずはエンジェルスケイルの概要を調べなければ。それにはこんな人気の少ない場所ではなく、もっと血の気の多い輩がごろごろいるストリートを聞いた方が早い。ちさとはその場を足取り軽く離れ、フードとマスクを外した。やがてどこから取り出したのか黒のキャップを被り、眠らない明かりの中へと足を運んでいった。
*:;;;:*:;;;:*
翌・お昼。
また明日、と別れたレオナルドとの待ち合わせ場所で、ちさとは待ちぼうけをくらっていた。
そもそも彼とは時間の約束をしたことはないが、大体決まった時間に顔を出していたのに、今日はその範囲を大幅に超えても姿を現さない。そもそも不定期に会っていたので今日は来ないことも考えられたが、あんなにはっきりと次回の約束をしたのは初めてであり、その約束を軽々しくすっぽかすような人だとも思えない。
「・・・・・・」
あまり気は進まないが、彼の音を探ってみようかと帽子のつばを触ったところで、聞きなれた風切り音がした。音の方向へ首を回すと、ベンチの背もたれ部分にソニックの姿があった。
「ソニック!今日は1人?レオナルドさんは?」
「キッ!キキキィ・・・」
「・・・・・・・・・は?」
全身ぐるぐる包帯だらけで入院中だって?
「え、何、どうしたの、昨日そんな大きい事件あったっけ?」
「キキ・・・」
「あぁもう!泣かないでソニック!ごめんごめん、いいよ、自分で調べるから」
おいで、と膝を叩くと、背もたれからひょいと飛び降りて来た。そのままちさとの膝の上でしょんぼりと座っている。
(昨日・・・昨日ねぇ・・・・・・)
ちさとは昨日の記憶を探ってみる。つい1日前のことなら、検索をかけるまでもなく思い出せるはずだ。昨日お昼に別れてからその後、何か大きな事件でもあっただろうか。
・・・そういえば、変な音が聞こえていたような気がする。街中を縦横無尽に駆けずり回る炎のような音だ。そしてその音から少し遅れて、全てをぶっちぎるような止まらない車のエンジン音。変なカーチェイスでもやってるのかと考えた記憶がある。ちさとはその時間に当たりをつけて、脳内で音を再生してみる。炎が走る音、全開で走るエンジン音、しばらく後にその先で起こったとみられる爆発音。
もう一度再生してみる。今度は、溢れる音の中から彼の音だけを拾い上げようと集中して。
「あ、」
爆発音の中に、彼の音を見つけた。
つまり、その爆発事故に巻き込まれてレオナルドは全身ぐるぐる包帯だらけで入院中というわけか。
「・・・わかった、お見舞い行こうかソニック。病院教えてくれる?」
「キッ!」
どうやら外傷だけらしいし、日持ちのする美味しいお菓子でも持って行こうか。
*:;;;:*:;;;:*
そして病院の待合室に来たわけだが、ここで1つうっかりしていたことがある。
(レオナルドさんの身元について調べてくるの忘れてた・・・)
そう、昨日別れ際に考えていたことをすっかり忘れていたのだ。
レオナルドさんの本名“レオナルド・ウォッチ”とは、つい先日秘密結社ライブラに増えたとされるメンバーとまったく同じ名前なのだ。
秘密結社ライブラ。世界の均衡を保つという名目で暗躍する超人秘密結社。ひとたびその正確な情報が手に入れば億の値段が付くとされる、何もかもが謎に包まれた組織だ。
その情報の重さと組織の活動内容を知ったとき、この組織に関する仕事だけは引き受けてはならないと誓った記憶は鮮明だ。マスターは組織の人間との取引はもちろん、ライブラに関する情報を欲しがる客も相手にしない方が良いと言っていた。一も二もなくうなずいた。
病院の受付でレオナルドの部屋を尋ね、その場所を“聴く”と、レオナルドの音の他に3つの音が聞こえた。彼の見舞い客だろう。そして、今まで接触しまいと避けてきた音にとても似ていた。3つ全てが、だ。
(うぅ・・・ものすごく行きたくない・・・・・・)
ここで回れ右をするのは簡単だが、肩の上のソニックを放っては行けないし、受付に顔を出してしまったので上がらないのも不自然だ。
幸い、今日の服装は大人しめのワンピースにつばの広い黒のハットだ。初対面の人間を不快にさせることは絶対にない服装だし、一般人らしく、普通に、清楚に、笑顔で入ってさっさと退室してしまえばいい。何の問題もない。うん。きっと。多分。
「女は度胸・・・!」
1つ深呼吸をしてエスカレーターに乗る。やけに気合の入っているちさとを見つめて、ソニックは首をかしげていた。
*:;;;:*:;;;:*
スティーブンさんが僕のことを褒めてくれた(正直あまり嬉しくない)ところで、控えめなノックが2回聞こえた。
クラウスさん、スティーブンさん、チェインさんはすでに室内にいるし、ザップさんがノックなんてするはずがない。一体誰だろうと思っていると、扉の開く音と声が聞こえた。
「あの、すみません・・・レオナルドさんがいるって聞いてきたんですけど・・・」
「・・・君は?」
「えっと・・・ちさと、です・・・」
対応に出たのはスティーブンさんのようだ。僕は目まで包帯まきにされているからあまりよく見えないけれど、どうやらこちらを振り返っている様子だ。恐らく知り合いかどうかを確認したいのだろう。
口も容赦なくというか顔面もれなく包帯まみれなので喋ることは叶わずうなずいてみせる。ちさとちゃんがどうしてここに?
「あの、ソニックが私のところに来てくれて、それで病院まで連れてきてくれたんです。約束してたのに全然来ないなぁって思ってたからびっくりしました。まさか入院してるなんて・・・大丈夫ですか?」
って大丈夫じゃないですよねすみません、なんて普通の気遣いの言葉に僕は涙が出るほど嬉しくなった。これが普通の感覚であり一般人の感想だ。僕は間違ってなかった。一般人の感覚って忘れたらだめだよね。
僕が少しばかり感動していると、ベッドの上に何かが落ちる衝撃。次いで近づいてくる振動を感じた。ソニックだ。あぁ、ちさとちゃんをここまで案内してくれたのか。
「失礼、お嬢さん。君は一体・・・?」
その疑問を口にしたのはスティーブンだった。
ちさとは内心の挙動不審を悟られぬよう、用意していた台詞を吐いた。人好きのする笑顔も忘れない。
「レオナルドさんの友達です」
「へぇ・・・少年の?」
そこでスティーブンはレオナルドの方を見る。レオナルドは首を縦にふった。どうやら本当らしい。
次はちさとが質問する番だ。
「皆さんは、・・・レオナルドさんのお友達ですか?」
「我々は仕事仲間だよ。少年とは上司と部下の関係かな」
当たり障りのない返答をよこすスティーブン。ちさとの想定内である。
この優男が自分に対応するであろうことも、赤いスーツの大男と美人なボブカットの女性が黙したままであることも。
―――そう、この病室に満ちる“音”全てが彼女の想定内だ。
「わ、すみません、大事なお話とかされてました・・・?」
「いやいや、とんでもない。大丈夫ですよ」
「・・・本当は室内からお声が聞こえたのでまた今度にしようと思ったんですけど、ソニックがいたので・・・」
お邪魔してすみません、と申し訳なさそうに頭を下げるのも忘れない。
ちさとが頭を上げると、そこには眉尻を下げてほんのり困った顔の優男と、その向こうに包帯だらけのレオナルドが見えた。レオナルドは何やら伝えようとしているみたいだが、如何せんその包帯で何も伝わってはこない。
ちさとはそれを見て困った“ふり”をして謝った。
「レオナルドさんもまだ大変みたいですし、今日は帰りますね。良くなった頃にまた来ます。よかったらこのお菓子、皆さんで食べてください」
そう言って、持ってきた見舞いの焼き菓子をサイドテーブルに置いた。
もうこれ以上ここにいる義理はない。もういい。ぶっちゃけ内心冷や汗が尋常じゃない。最後まで気を抜かず、震えそうな膝に力を入れて、笑顔も引き攣らないように。扉に手をかけ、レオナルドさんにまたねと手を振ってから部屋を後にした。
扉を閉め、非常階段の影まで移動してから、ちさとは深いため息をついて座り込んだ。
(こ、怖かった・・・!あれがライブラの副官でブレーンで伊達男スティーブン・A・スターフェイズ・・・!)
一見和やかに行われたあの会話にも、彼の様々な思惑と本音が“聴いて”とれ、目元が全く笑っていない緊張感といったらない。“リトル・レッド”でいる方がまだ100倍マシだと思わせられた。
スティーブンだけが自分に対応していたのも、最初から決められていたのだろう。
あの赤髪の大男はクラウス・V・ラインヘルツ、ライブラのリーダーであり、厳格で威圧的なあの見た目からはおよそ似つかわしくないほどに紳士で真っ直ぐな性格だという。悪く言えば愚直だ。リーダーとしての素質と人格は素晴らしいが、あれでは対人交渉と人心掌握には向いていない。もう1人いたスーツの美人はチェイン・皇。人狼局特殊諜報課から派遣されてる構成員だときく。諜報活動や暗躍に徹している人材だ。そもそも表立って姿を見せることが稀な彼女に外部との接触はまずさせまい。
レオナルドが喋れない中、あれだけ構成員の中心人物が集まるあの部屋に得体の知れない人間が入ってきたとすれば、あの優男が対応するのは自然だ。
(でも、おかげであの3人の音を覚えることができた。これは成果だわ・・・今後はこの音に気を付けて動けばいい。情報を得るにしても、逃げるにしても)
何にせよ、彼らと接触するのはこれが最初で最後だ。もう2度と会いたくはない。
そう決意して立ち上がると、すぐ目の前を通り過ぎようとした男性とぶつかりそうになった。その風圧で飛びそうになったハットをあわてておさえる。
「っと、すまねェ。大丈夫か?」
「っ、はい、何とか・・・」
あまりに突然の出来事すぎて心臓がうるさく鳴る。大丈夫、この反応じゃ見られていない。
おうお前かわいいじゃねぇかどうよ今から一発?とか何とか言ってる男のことはがっつり無視して、ちさとは足早にその場を立ち去る。
「んだよ、顔はよかったけど反応はかわいくねぇな・・・ありゃモテねぇわ」
ザップは立ち去る背中にぽつりともらし、レオナルドの病室へと足を向けた。
2017.12.08.
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