お耳は?3


「ねえマスター。私、最近友達が出来たの」

―――そうか。それはよかったね、ちさと。

「うん!歳も近いし、一緒にランチして楽しいし、その子が連れてる音速猿がかわいいんだ」

―――あぁ、レオナルドのことか。

「そうです!英語も教えてもらってて、最近では簡単な本なら読めるようになったんだから!」

―――・・・それはよかった。でも知っているだろう?その子はライブラだ。

「・・・・・・はい。心得ております、マスター」

―――だったら言うことは特にない。今回の報告は?

「はい。こちらが今回の定例報告です。こっちはエンジェルスケイルについてまとめたもの、こっちはライブラについてまとめ直したものです。・・・ライブラに関しては、特筆すべき新情報は特にありませんが、念のため」

―――ご苦労。義耳に不具合は?

「いえ、特には。・・・あの、マスター」

―――なんだい、ちさと。

「不具合はないのですが、1つお願いがありまして・・・・・・」



  *:;;;:*:;;;:*



真白な異空間から帰って来て、ちさとは1つ息をついた。簡易冷蔵庫からお気に入りの缶コーヒーを取り出し、ちょっと埃っぽいソファに腰かける。
先ほどまで2人がいたのは、人界と異界の狭間にマスターが創った異空間である。ちさとは勝手に『定例報告の間』と呼んでおり、その名の通り定期的にマスターと連絡を取り合う時に行くことの出来る空間だ。
そして今いるここは廃ビルの一室。リトル・レッドの活動拠点の1つだ。拠点とは言いつつも簡素なもので、基本小さな冷蔵庫とソファとテーブルがあるだけの休憩所のような様相をしている。情報収集の合間や、都合の悪い客から逃げる時に臨機応変に使い分けられるよう、この街の至る所にマスターが用意してくれた。
現在時刻は夜中の3時。1時間後に行われるエンジェルスケイルの取引現場を押さえたいので、おちおち寝てもいられない。

「・・・義耳に不具合ねぇ・・・・・・あるわけないでしょう」

思い起こせば2年4か月前。私が記憶喪失となり目覚めてから2ヶ月が経とうとしていた頃だった。
耳の聞こえない私のために、お互い筆談で会話をすることにも疲れてきたある日、マスターが急にこんなことを書いて寄越した。

「新しい耳が欲しいか?」

と。
その不穏な言葉選びに、いつもと変わらないはずのその立ち姿をうすら寒く感じたことを覚えている。
どう答えるべきかと考えていると、手招きされ、1つの扉の前へと案内された。その扉は、決して開けてはならないと固く禁じられたものだった。
「覚悟はあるか?」と、目深にかぶったフードの奥でマスターの目が言っていた。禁じられた扉を開く勇気と、それに伴う現実への覚悟を試されている・・・目の前に立つこの人は本当にあの優しいマスターなのかと疑うほどに恐ろしい気迫だった。
ただそれでも。

(・・・よく開けたよなぁ私・・・)

目の前に立つのは、確かに私に優しくしてくれたマスターであり、その言葉を信じて今ここに無事に生きているのである。音の聞こえない生活に限界を感じていた部分ももちろんある。
――ただ、全てが終わった今だからわかることだが、マスターは己への信頼と執着、音のない生活への限界値を察して、全て計算した結果の問いかけだったように思う。結局、何もかもマスターの手のひらの上だったわけだ。
何はともあれちさとはその扉を開けた。果たしてその先には、壁一面の本棚と溢れんばかりに山になった資料、床一面にちらばる紙片、色とりどりの液体波打つフラスコやビーカー・・・誰が見ても研究室だと決断下す光景が広がっていた。その光景にあっけにとられているうちに、マスターはどこからか箱を持ち出してきた。光の加減で青黒く光るそれは、材質はわからないものの何よりも丈夫そうな雰囲気だった。マスターはそれを器用に片手で支えると、もう片手で一枚の紙を差し出した。

『この耳を君にあげよう。最初は辛いかもしれないが、サポートはする。だが、あくまでも乗り越えるのはちさと自身だ』

あらかじめ書いておいたらしい。私が読み終えた頃合いを見て、2枚目を出してきた。

『開けてみてくれ』

言われるがままに震える手をのばす。マスターの手に収まるそれは、想像より少しだけ重く、震える手で蓋を持ち上げるのは手間取った。
それでも開けた蓋をしっかりと胸に抱え、その中身を見て固まった。
そこに納まる“耳”は、人間の形をしていなかった。

『覚悟はいいかい』

再び差し出された紙には疑問符がついておらず、こちらの意思など無関係の問いかけが書かれていた。
ゆっくりと顔をあげると、普段は見えないマスターの目が片方だけ覗いていた。
・・・・・・ああ、嵌められた。
その瞬間に一番に出てきた思いだった。
今まで決して開けることのなかった扉、誰が見てもわかる研究室、そこから出てきた厳重な箱の秘密、射貫くようなその瞳。
首を縦に振る以外、私のとれる行動はない。道を踏み外したらそこは暗闇。きっと永遠に帰って来られない。
背中がうすら寒く感じたが、その恐怖を知られることは何だか負けたような裏切りのような気がして、ちさとはマスターの目を逸らさずにゆっくりと頷いた。
それを見たマスターは、口の端を少し上げ、確かにこう動かした。

「いい子だ」

そこからの記憶はない。
次に目が覚めた時は、これまた見たことのない真白で簡素な部屋にいたことを覚えている―――――と、そこまで回想したところで現実に大きな音が響いた。
過去へめぐらせていた意識を一瞬で引き戻される音。そして揺らぎ。

「・・・何」

未だ聞こえるその音は、この建物内で反響している。どうやらこの廃ビルの1階を破壊した音らしい。
近くで反響する音を聴き分けるためには、今かぶっている帽子はいささか邪魔だ。ちさとはおもむろにキャップをはずして自分の代わりにソファに置くと、なるべく窓から一番離れた壁に背中をつけた。

(侵入者は・・・3人。銃火器所持、目的は・・・リトル・レッド)

どうやら私を探して裏路地を渡り歩いていた輩のようだ。暴力的な客は相手にすると面倒なので無視することにしている。ここまで探しに来て大変残念だが、この場合は逃げるに限るのである。
ちさとは、机の上に放ってあるマントを黒を表にして羽織った。その姿は、頼りない外の明かりに照らされて、わずかながら地面に影を落としている。
しかしその影は人の姿をしていなかった。人のシルエットをしていながら、その頭上には2つの大きな三角形が絶えずついて回る。その影は、階下から音が響いてくる度にピクリと動いている。
音から逃げるように窓際に手をかけるちさとを照らすのは、遠くに光る街からの明かり。
その頭上に確かに見えるのは、白とグレーのコントラストが優しくも雄々しい、狼の耳。
しかしその姿も一瞬。ちさとはすぐにフードをかぶり、向かいのビルの屋上へ音もなく飛び降りた。そのまま屋上から屋上へと渡りつつ、人目を避けながら地面へと降り立つ。周囲の音を気にかけつつマント裏から無線機を取り出した。

「マスター、先ほどの拠点ですが見つかりました。捨てます」
『わかった』
「すみませんが繋がりを遮断してください」

了の言葉を聞いて無線を切る。これであの部屋から「定例報告の間」へ行くことは出来なくなったため、心置きなく捨てることができる。
ちらりと時間を確認すれば、間もなく取引時間の4時を指そうとしていた。

(・・・このまま現場行くか)

フードに隠した狼の義耳をピンとすまし、周囲に誰もいないことを確認する。そのまま誰も来ないであろう物陰に身を隠し、時間が来るのを待つことにした。



2018.02.05.

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