お耳は?4
久しぶりにゆっくりとベッドで寝た気がする。
ちさとはぼんやりとした頭で天井を見つめた。
ここは彼女が生活の軸にしている自宅である。リトル・レッドとしての拠点ではなく、矢神ちさと個人として買い上げた一軒家で、生存率80%以上を保ち続ける区域に建つ。ヘルサレムズ・ロットでは間違いなく一等地の中の一等地である。20歳そこそこ――と言ってもちさとは年齢を思い出せないので、これはマスターの見解だ――の少女にローンなど組めるはずもなく(そもそもこの街でローンという概念はあってないようなものである)、一括現金払いで手に入れたマイホームだ。もちろんリトル・レッドでの稼ぎからとは言うまでもない。
「・・・おなかすいた」
つぶやいても、この広い家には朝食を用意してくれる同居人はいない。ちさとは仕方なしに起き上がり、セミロングの黒髪と大きな狼の耳を揺らしながらキッチンへと向かった。
ここ数日、昼も夜もないほど街中を駆け回り、ひたすらにエンジェルスケイルの情報をかき集めてきた。・・・が、収穫はほぼ0。ひたすらに出回り、外へと流出したことは掴めたが、全くもって流出源が特定できない。これだけ出回っていれば自分のところへ依頼に来る方が遠回りになるだろうし、源が特定できないのならば警察やそれに準ずる“正義”の立場に売り付けることも出来ない。これ以上は無駄足だろう。エンジェルスケイルは諦めるしかない。
用意したコーヒーとトーストをかじりつつ、レオナルドが入院している病院へと耳を傾ける。ここからなら余裕で聞こえる範囲だ。
彼女の頭上で揺れる義耳――ギジ、と言う。ちさともあの日目にするまで知らなかったが、義足や義手と同じように、生活を手助けする人類の知恵だ――は、マスターのお手製であり、この世に唯一無二の代物らしい。その扱いに慣れて思うままに使いこなすまでに、実に3か月を必要とした。
最初は、近くだろうと遠くだろうと全ての音が耳元で重なり響くように聞こえ、しょっちゅう吐いていた。それの聞き分けに1ヶ月。そのうち、狙った場所・狙った人の音を拾えることに気付き、その精密さを磨くのに1ヶ月。最後の1ヶ月は、マスターが義耳に埋め込んでいたメモリー機能を使いこなすことに費やした。
このメモリー機能とはすなわち、ちさとが聞いた全ての音をそのまま記録する機能のことである。耳という身体の一部分でありながら、それはまさしく機械のポテンシャルで、空気を震わせ聞こえる音をそのまま録音・保存することができる。さらに、そこに保存された音はちさとの意思で検索をかけ目的の音を探し、自身の脳内で再生することも可能だ。
ちなみにこの機能、彼女が聞き分ける分けないに関わらず、決められた範囲内に飛び込んできた音は全て録音してしまう・・・という、少々厄介なものでもある。
賢明な方ならもうお判りだろう。この義耳こそが、彼女の膨大で正確な情報源であり、彼女がリトル・レッドたる所以なのだ。
(んー、さすがにいないかぁ・・・)
病院を探るも彼の音は聞こえず、どうやら退院しているようだ。
(仕方ない、レオナルドさんの音は・・・と、)
ちさとは病院を探るのはやめ、彼個人の音を探す。
彼女曰く、人はそれぞれ固有の“音”を持つという。その人の声とはまた別の“音”。それは指紋のように他人とかぶることはなく、例えて言うなら耳で判別するオーラのようなものだ。
彼の行動範囲であろう箇所を探っていると、思わぬところで見つかった。
「公園・・・」
彼はすでに、いつもの公園の入り口にいた。いつもランチをする噴水から一番近い出入り口で、どうやらソニックも一緒らしい。思わず時計を見るも、どう考えてもいつも会う時間よりずっと早い。何なら、ちさとがあのベンチに座る時間よりも早い。
レオナルドさんはそこから動く気配もなく、ただそこでじっと立っている。・・・いや、何かを待っている様子だ。
「・・・・・・」
レオナルドさんの心の声を聴くまでもない。彼が待っているのは私で、きっとその指示をしたのはスティーブン・A・スターフェイズだ。
「喰えない男・・・これだから嫌だったのに」
マグカップに入っているコーヒーを一息にあおる。
今日の帽子は、マリンカラーのキャスケットにしよう。
*:;;;:*:;;;:*
いつも通りの時間、いつも通りの道順で、お気に入りのベンチへと腰かけた。レオナルドさんが来るまでの時間、いつも通り、少し残していた英語のテキストを解く。解き終わったら駅で取ってきたフリーペーパーを眺める。最近英語の読解力が上がったのか、内容が理解出来てちょっと楽しい。
そうして30分くらい過ごしていると、レオナルドさんの音が近づいてくる。
「や」
「レオナルドさん!退院できたんですね!」
「この前ね。ご心配おかけしました」
「いえいえ!元気そうでよかったです。あれからお見舞いに行けなくてすみませんでした・・・」
「いやいやそんな!」
レオナルドさんと会話しつつ、周囲に気を配る。聞き覚えのある音はない。つまり見張りらしき存在はない、ということなのか。
彼からも不審な音は聞こえない・・・が、“彼の音”が不安定だ。緊張しているのか、私への不審がさせる動揺なのか。
「じゃあ、今日は退院祝いですね!何か食べたいものあります?」
「えっ」
「病院食って味が薄いんですよね?濃いもの食べます?歯ごたえのあるものとか?」
「・・・そしたらお見舞いで持って来てくれたお菓子、食べたいな。あの時は怪我で食べれなかったから」
「あはは、わかりました。あそこ、ランチもやってるので行きましょう」
公園から徒歩10分ほどの場所にむかう。あまり混んでおらず、すぐに席へ案内された。ちさとはサンドイッチプレート、レオナルドはハンバーグドリアを頼んだ。
他愛ない会話をしつつ、食後のデザートも食べ終わった頃、レオナルドがテキストへチェックをいれながらぽつりとこぼした。
「あの、さ・・・、今度から、会う日決めておかない・・・?」
「へ?」
「いや、その、俺もそろそろ仕事に慣れてきていろいろ任されるようになってきてさ、あんまり今まで通り時間を取れそうにないんだ。・・・お金にも余裕出てきたしね」
へへへ・・・と眉をハの字にして困ったように恥ずかしそうに笑うレオナルドさんは、きっと用意された台詞のはずなのにまるで自分の言葉のように告げた。
最後に付けた言葉だけは、本当に彼の言葉なのだろう。
「俺の財布事情でちさとちゃんには迷惑かけてたわけだし」
「そんな・・・気にしないでください。英語を教えてもらって助かってたのは私も同じです。それに、レオナルドさんとランチを一緒にするのは楽しいです、から」
「・・・ありがとう」
俺も楽しい、と笑うレオナルドさんは、ようやくテキストから顔をあげた。
「でも、会う日を決めておくのはいいですね。実は最近ちょっと忙しくて、いつもの時間にあの公園に行けてなかったんです。もしレオナルドさんが退院してて行き違ってたらどうしようかと思ってました」
「それで昨日はいなかったんだ・・・」
「えっ、もう行き違ってました!?」
大げさに驚くと、しまった!と言わんばかりに彼が反応した。“言わんばかりに”というよりは、事実《しまった!》と心の声が漏れ聞こえているのだが。
この耳は、対象の心の声を聞き取ることも出来る。もちろん、ちさとの意識下でコントロールが可能だが、あまりにもあからさまだったり思いが強すぎると意図せずとも聞こえてしまうのだ。所謂、『顔に書いてありますよ』というやつだ。
レオナルドさんは、さっと視線をテキストへ落とす。その挙動不審さが疑惑を確信へと変えていく。
「あー、いや、その、いつもいるって言ってたから・・・昨日もいるもんだと・・・」
「ごめんなさい、昨日はお昼バタバタしちゃってて。・・・じゃあ、次はいつ会いますか?決めちゃいましょう!」
「・・・1週間後の同じ時間、はどうかな」
「大丈夫ですよ」
了承すると、レオナルドさんはホッとした顔でこちらを見て、テキストをスライドさせた。今回の成果の確認とプラスアルファのアドバイスを受ける。
「・・・って感じかな。どう?だいぶ読めるようになった?」
「はい!フリーペーパーとか、メニューの料理の説明文とか、短い文章なら前よりわかるようになりました!」
「メニューも読めなかったんだ・・・」
「あー・・・えっと、料理名はわかるんですけど、その説明文がわかんなくて。単語なら拾えるので、その、・・・勘で」
「勘で」
「勘で」
オウム返しで顔を見合わせ、2人で一緒に吹き出した。
いたって平和な昼下がり。お互いの立場さえなければ、きっといい友人関係が結べたはずなのに。
そんなもしもは、脳内で鼻で笑ってもみ消した。見れない夢は早く忘れる方がいい。
「それじゃ、レオナルド先生。次の宿題はどこまでですか?」
笑い顔のまんま、ちゃかすようにテキストを差し出す。
テキストの残りは少ない。多くてあと3回ほどで終わるだろう。マスターとの約束通り、適当な理由を付けてこのランチの習慣をやめなければならない。
「このあたり、かな?ちょっと多いけど一週間あるし」
「う・・・ガンバリマス」
「棒読みだから」
ふは、と眉を下げて笑うレオナルドさんは、くしゃっとした笑顔で男の人なのに可愛くて、・・・そう、どこかで見たような既視感に襲われた。
これはあれだ・・・私の忘れている過去の記憶を思い出した時の感覚。手を伸ばすと指先にほんの少しだけかすって、そうしてまた靄の中へと沈んでいく。私の過去に、レオナルドさんの存在があるってことなのか。それとも、
「・・・ちさとちゃん?」
こちらを覗きこむようにして名前を呼ぶレオナルドさんと目が合った。
「ボーっとしてたみたいだけど・・・大丈夫?」
「ご、ごめんなさい。えっと・・・テキスト、残り少ないから、あと少しでこのランチも終わっちゃうのかと思うとちょっと寂しくて」
そう続けると、レオナルドさんは困惑した雰囲気だった。とりあえずぼんやりしていたことはごまかせたらしい。
「・・・実は、近々引っ越しすることになったんです。そんなにすぐではないんですけど、最近はその準備に追われてて」
「そっ・・・かぁ・・・。ここ、出るの?」
「いやいや、今より生存率の高い土地に引っ越すんです。だからヘルサレムズ・ロットにはいるんですけど、この公園に来るのは少し難しそうで・・・」
全くの嘘っぱちだ。今のちさとの家より生存率の高い場所なんてそうそうない。
「せっかく仲良くなれたのに・・・残念です」
そうなんだ、と曖昧な相槌をうつレオナルドさんの顔は見れない。
そこからは、長居しすぎたのか店員さんにランチの時間は終わりだとお店を追い出され、少しだけしんみりとした空気もうやむやにされた。ちょっとありがたい。だって最後の言葉だけは、本音だったから。
今日はいつものドリンクは要らないからと、お店の前での解散となった。一週間後にまた、と手を振り踵を返す。
一度も振り返らず、また、レオナルドをその見目から強くないと油断していたからか、ちさとは気が付かなかった。
「・・・・・・」
その後ろ姿を、青い瞳で見つめている少年がいることに。
2018.02.12.
- 8 -
*前次#
→
「Quite the Little Lady」表紙
→
TOP
ページ: