境界線は溶けた3
ここが漫画の世界であると認めたはいいものの、私の日常は特に変わることなく進んでいた。何故って答えはカンタン、私は漫画の主要人物及び事件に関わっていないからである。
私の大学名が漫画の中に出てきた事はない。それ即ち、この大学関係者周辺や敷地内で事件が起きてない事を指す。つまりこのまま平穏に卒業研究を続けていれば、特に何事も起きずに生活できるというわけだ。
(そりゃもちろんミーハー心で毛利探偵事務所やポアロを見たいなーとかは思うけど問答無用で巻き込まれる未来しか見えないからそれはちょっと困るというかいやでもコナンくん一目見てみたいとか思ってしまう自分ちょっと待て)
心中早口で悩む日々である。これでもオタク、腐ってもオタク。トリップにて少しでも本筋に引っかかる言動をとってしまえば最後、関わらざるを得ない話になるのは火を見るより明らかである。関わりたい気持ちがあるのは本当だが、高確率で巻き込まれそうな殺人事件に出会うのは御免こうむりたい。誘拐や強盗も・・・まあ嫌だけど、それよりも人が死ぬ方が多い世界だ。出会う確率は高い。
つまり、心中でどれだけ葛藤しようとも、今のところ現状維持で自分の生活を営む事しかできないのだ。・・・まあ普通に考えて、大学生が小学生と知り合うシチュエーションって全然思い浮かばない。
「あーもう無理!ムリムリムリ!」
研究室の個々に設けられた机にガン!と頭をぶつけたのはモエだ。今この研究室では、卒業研究に何をすべきかのテーマ決定と年間計画作成時期なのだが、モエはこのテーマにずっと悩んでいた。そしてたった今爆発した。
「チョコ・・・チョコ食べに行こういずみ」
「えっ、私?」
「今日イノちゃんいるからやめとけば?」
三田原の言う『イノちゃん』とは、この研究室の教授・井之原茜先生のことである。若くして教授になったその頭脳はもちろん、いつまでもキレイなその美貌は研究者の間では憧れの対象である。
「ちょっと来て」
モエに手招きされて研究室を出た私達は、右斜め前の談話室に案内された。談話室の正面は教授室にあたるが、電気が点いているのでイノちゃんがいるのだろう。ちなみに私達の机があるのは第一研究室で、その正面・・・談話室の隣が第二研究室になる。教授室のもう1つ隣には第三研究室があるのだが、ここは他の部屋とは違って院生の机があるだけの小さな部屋である。この5部屋が井之原研究室になるのだ。
談話室には冷蔵庫と、何代前の先輩かはわからないが一口コンロが持ち込まれている。水道もあるため、皆の予定が合えばここで飲み会が開かれることもしばしばである。そんな中、モエは冷蔵庫の扉を開けて皆に見るように促した。そこには有名なケーキ屋の箱が鎮座していた。
「ここ、チーズケーキで有名なお店なのね。さっきイノちゃんが入れてるのを見たの」
「・・・まさか」
「うん、そのまさか。これ多分ホールだよ」
我らが教授イノちゃんは、ストレス発散に食欲を暴走させることがある。それは時にフルーツだったり肉だったりお菓子だったり様々なのだが、今回はケーキに向かったらしい。
私達はモエの言わんとすることが何となくわかった。ここにお土産のチョコレートを添えて、サボりを見逃してもらおうというわけだ。
「というわけでいずみ行くよ!目指せ超濃厚フォンダンショコラ!武地くんと三田原くんお土産いる!?」
「おー、なんか美味そうなやつよろしく」
「僕もそれで。行ってらっしゃい」
「ねぇ私拒否権ないの」
「ない!いーじゃんいずみテーマ決まってるでしょ!」
有無を言わさずモエは自分と私のカバンを引っ掴んで建物から出ていってしまった。振り返ると武地と三田原から微笑まれた。行くしかないらしい。・・・・・・まあいいか、怒られるのはテーマが決まってないモエだけだし。
*:;;;:*:;;;:*
まあいいかと飲み込んだ少し前の自分を殴りたい。モエに連れてこられた店は、先日調べて行くのをやめた「米花町」にあるチョコレート専門店だった。一応店の前で抗議したが、もちろん意味をなさなかった。誰にも会いませんようにと祈るしかない。
モエの求める超濃厚フォンダンショコラは、イートイン限定のメニューであるためここで食べていくようだ。特にこだわりはないので同じものを頼んでおく。
ショーケース前での注文を終え、レジでの精算へ移動する。モエの精算を待っている間に、後ろの2人組のお客さんがショーケースを眺めながら会話をしている。
「あーっ!フォンダンショコラ売り切れてるーっ」
「すみません、たった今売り切れてしまいまして・・・」
「残念だったね、園子」
「あーん、これ食べに来たのにぃ」
声と会話内容に、思わずそちらへ顔を向けてしまった。なぜ向けてしまったのだろう。脊髄反射もいいところである。そこには少しだけ恨めしそうにこちらを見つめる鈴木園子と、それを眉を八の字にして笑って見ている毛利蘭がいた。もう一度言う。なぜ顔を向けてしまったのだろう。
鈴木園子と目が合ってしまった以上、ここで無視して顔を背けるのも気まずい。主要人物に出会ってしまったパニックもあり、ここで絡まない方が吉だと主張する理性と、キャラクターに悪印象を持たれたくないオタクの本能がささやきあって身動きが取れない。時間にして恐らく2秒程だったと思うが、私には永遠に感じた。
「いずみー、どしたの」
その永遠を壊してくれたのはモエだった。精算が終わったようで、私と後ろの女子高生とショーケースを見て状況を察したらしい。
「ふーん・・・・・・、いずみ、ガトーショコラにしてよ。生クリームトッピングしてさ、私のと半分こしよ」
「え、あ、ああ、うん、そうだね、いいよ」
「すみません、この子の注文、変えても大丈夫ですか?」
レジに立っていたお姉さんは一部始終をきちんと把握していたらしく、にこやかに変更を受け入れてくれた。新しい金額での精算を終え受け取り口で待っていれば、あの、と声をかけられた。言わずもがな鈴木園子である。
「なんかすみません・・・譲ってもらったみたいで」
「いえいえ〜気にしないでください。別々の方がシェアできてお得なので〜」
「ちょっ、モエ・・・あの、ほんと気にしないで、美味しく食べてくださいね」
丁度ケーキと飲み物を渡されたので、モエと共にカウンターを手早く離れた。彼女は両隣りが既に埋まっている席を選ぶ。間違ってもあの2人が近くに座ってこない布石だ。さっきのレジ前での機転といい今といい、モエは昔からこういう事によく気がつく子だった。できれば学業にもその機転を活かして欲しい。
「じゃあ半分こね!生クリームもちょうだい!」
「はいはい、好きなだけどーぞ」
味は最高に美味しかった。ここが米花町じゃなければいつでも遊びに来たいくらいにはお気に入りである。もう来ないだろうけど。
あっという間に食べ終わり、モエは皆へのお土産を選びにショーケース前へと行ってしまった。私はその間にお手洗いを済ませ、彼女の元へ向かおうとした。
「あの、お姉さん」
迂闊だった。話しかけてきたのは毛利蘭だ。お手洗いからショーケースまでの最短ルート上に彼女達の席があったのか。声を発せず顔だけをそちらに向けると、2人ともいい笑顔でこちらを見上げていた。そうだね、彼女達に罪はない。私の方に勝手に事情が存在するだけだ。
「さっきはありがとうございました」
「おかげで目的のフォンダンショコラが食べれて超ハッピーです!お姉さんもぜひ今度食べてください!」
さすがヒロイン様達、笑顔がめちゃくちゃ可愛い。そうだね、フォンダンショコラを譲ってくれた優しい通行人Aでここを流してしまえばいい。今後この町に近付かなければとりあえず現状維持はできる。もし心変わりして本格的に関わる事になったとしても心の準備は欲しい。
ここは歳上の余裕を見せてにっこり別れるのがベターだろう。
「気にしないでください。ガトーショコラも美味しかったから、今度はそっちもどうぞ」
ぜひそうします!と元気に返事をしてくれる2人に手を振って、すでにお土産の会計を済ませているモエの元へ急いだ。
「よし帰ろうさあ帰ろう今すぐ帰ろう」
「な、なにどうしたのいずみ。ケーキ美味しくなかった?」
「いや、めちゃくちゃ美味しかった」
でっしょー、と上機嫌のモエは、ちゃっかり自分用のお土産まで買っていた。また来ようね、と楽しそうな声に曖昧に笑って返事をするに留める。いや〜できればもう来たくないです。
大学までの道中、正直あまり記憶がない。気が付けば談話室まで戻っており、室内にはチーズケーキを頬張る幸せそうなイノちゃんがいた。これ幸いだとモエがそっと紙袋を差し出す。
「イノちゃん、これお土産です〜」
「あら萌木さん、ありがとう。・・・わざわざ、米花まで、買いに行ってくれたの?」
にっこり、と音が聞こえそうなほど完璧な笑顔のイノちゃんを見て悟った。モエも固まっている。
「美味しいチョコレートのお礼に、卒研テーマ、じっくり一緒に考えてあげますね。さ、チーズケーキ食べますか?」
「ヨロシクオネガイ、シマス・・・・・・」
「ああ、佐原さんはあのテーマで方向性はいいと思いますが、今週中にもう少し詰めましょうね」
「はーい。失礼しまーす」
モエの手元から、武地と三田原へのお土産袋をかすめて談話室を後にした。「薄情者ー!」と聞こえた気がしないでもないが、私には関係のない話である。サボったあんたが悪い。
そのままお土産を机に向かってる2人に渡して、時間も時間だったので帰ることにした。帰り際、武地に顔色が悪いと引き止められたが適当に誤魔化して帰路に着く。
(あれ・・・・・・フラグだったらどうしよう・・・)
顔色が悪い自覚はあった。通行人Aで済ませたつもりだったが、何かのフラグを立ててしまってたら・・・と“もしも”の想像が止まらない。
・・・・・・この予感は後に的中したことを先に記しておく。“今思えば”、この時の2人との出会いが最後のピースだったのだろう。まさかこの後殺人事件に巻き込まれるなんて、この時の私は露ほどにも考えていなかった。
2021.08.23.
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