境界線は溶けた5


「あの・・・佐原さん」

現場で待機していると、恐る恐るといった風に毛利蘭が話しかけてきた。

「こんな時に言うのもあれかなって思ったんですけど、この前はチョコレートありがとうございました」
「チョコ・・・・・・あぁ、もしかしてフォンダンショコラの?」
「そうです!園子が・・・一緒にいた友達がとっても喜んでました!」

今の今まで触れてこないから気づいてないのかと思っていたが、どうやらしっかり記憶されていたらしい。

「気にしないでください。あれはモエ・・・友達がやった事で、私は何にもしてませんし」
「蘭姉ちゃんとお姉さんって、前に会ったことあるの?」
「ほら、この前チョコレート専門店の話したでしょ?」
「へぇ〜、偶然だね」

他意のない江戸川コナンの感想に乾いた笑いしか返せない。こんな偶然望んでなかったんですけどね。今更ですね。そのまま3人で何でもない話をぽつぽつとしていると、さっき買ったブックマーカーの話題になった。彼女もあのブランドが気になっているのだが、自分には高くて手が出せないらしい。まあ、女子高生には伸ばしづらい金額だろう。

「いいな〜。見せてもらってもいいですか?」
「うん、ちょっと待ってね・・・」

鞄のマグネットを外して内ポケットを探ろうと手を入れると、覚えのない触感がした。材質はツルツルして、カサカサと音がする。例えるならビニール袋みたいだ。そんなものを入れた覚えはないと引っ張り上げて、

「っ!」

即座に床へ投げ捨てた。手が震えて落ちた、の方が正しいがそんな細かい描写はどうでもいい。出てきたのはしっかり固結びされたビニール袋に入った、血まみれの果物ナイフだったのだから。よく見ると切っ先で少しビニールが破れている。
隣で毛利蘭が息を飲み、江戸川コナンが投げ捨てたナイフに駆け寄るのをどこか他人事のように見ていた。毛利小五郎と刑事達が騒ぎに気づいてこちらへ来る。何だ、いったい何が起きてる?

「これは・・・!」
「凶器でしょうか、警部。・・・佐原さん?」
「知りませんこんなの!」

佐藤刑事に思わず強めに返してしまう。だって知らないものは知らない。ぎゅっと握った手のひらに鈍い痛みが走った。指を開くと血が出ている。鞄から引っ張り上げた際に切ったのだろう。それに気づいた佐藤刑事に腕を捕まれ、思わず反射で体を引いた。

「とりあえず傷口を洗いましょう。怪我の治療が先です。女性トイレは現場保存で入れませんので、男性トイレでご容赦ください」
「違・・・わたし・・・!」
「・・・あなたの鞄から凶器が出てきたことと、この凶器を誰が使用したかは、全く別の話です。しっかり捜査しますから、怪我の手当をさせてください」

しっかりと目を見て話す佐藤刑事は、間違いなく“信頼に足る人”だ。この人に任せておけば大丈夫と、こちらに思わせてくれる。彼女に引っ張られるまま、素直にトイレへと足を運んだ。



  *:;;;:*:;;;:*



佐藤刑事に連れられて男性トイレへと消えた佐原いずみを見送った江戸川コナンは、彼女の鞄へとその両目をやった。小ぶりなショルダーバッグは、凶器の隠し場所としては少し心もとない。仮に彼女が犯人だとして、出てきた果物ナイフとちょうど同じくらいの幅の鞄で犯行に及ぶだろうか。下手をすれば今のように怪我をしてしまう。
佐藤刑事はああ言っていたが、凶器がどこから出てきたのかは重要だ。もちろんそれだけで犯人を決めることは出来ないが、今後の捜査方針を決定するのに充分な要素である。

(推理に私情はいらねぇが・・・・・・どうもあの人が犯人だとは考えづらい・・・)

現場を見た時のあの反応は、作られたものではなく心の底からの恐怖に見えた。固まって動けない彼女を察し、おっちゃんがジャケットを貸すほどだ。蘭が彼女の近くをうろついているのも、容疑者3人の中で1番怯えているからだろう。単に顔見知りだったからという理由もあるだろうが。
それに、被害者を殺害後、第三者が現れるまで現場に残るメリットが少ない。監視カメラがあることは常連ならおそらく気づいていただろうし、犯行をするにしてもここを選ぶ利点はあまりない。

「あのぉー、刑事さん」

考え込んでいれば、一緒に現場を目撃した真木田さんが高木刑事に声をかけていた。

「どうされました?」
「あの・・・先ほど返していただいたポーチなんですけど、付けてたチャームが無くなってまして・・・探しに入ったらいけませんか・・・?」
「そうですね・・・一緒に見てみましょうか」

真木田さんは4番目の個室を使用していた人だ。ポーチとは、遺体発見時に取りに来たと言う忘れ物のことである。

「僕も行く!僕小さいから、地面に落ちてるもの見つけるの得意だよ!」
「そうね、じゃあお願いしてもいい?」
「うん!」

真木田さんと高木刑事の後を着いて現場へ足を踏み入れる。彼女のチャームを探しつつ、なにか不自然なところはないか目を光らせるが、警察が来る前に散々見回した後だ。特にこれといったものはなかった。

「ねえ真木田さん・・・」
「なあに?チャーム見つかった?」
「ううん、チャームはまだだけど・・・。真木田さんが使ったトイレ、最初と何か違うところはない?置いてるものが違うとか、最初より汚れてるとかさぁ」

そうねぇ・・・と、個室を覗き込んで少し考えてくれる。

「違うようには見えないけど・・・まあ強いて言うなら綺麗になってるかなぁ。高谷さんが掃除してくれたわけだし。トイレットペーパーも、まだ半分くらい残ってたのに新品になってるもの」
「へぇ、半分で新しいのに変えちゃうんですね」
「ここはお客様も使うトイレですからね。回収した使いかけのやつは従業員用トイレに回されるので、ちゃんと使い切りますよ」

高木刑事と真木田さんが話してるのを横目に見つつ、俺は2番目と3番目の個室を確認した。そうして戻ってくると、彼女は自力でチャームを見つけたようだ。それじゃあ出ようかと高木刑事に促されて、3人で現場を後にする。
トイレ前まで戻ってくると、佐原さんと佐藤刑事もすでに帰ってきていた。彼女の左手にはガーゼが当てられている。さっきは血まみれに見えたが、どうやら元々ナイフについてた血が付着したらしく、本人の怪我はそこまで酷くなさそうだ。

「お姉さん大丈夫?」
「あー・・・うん、びっくりさせてごめんね。ありがとう」

へら、と笑う顔には怯えが見える。自身が殺人犯だと疑われている現状で、正常な反応だろう。

「あのね、お姉さんに確認してもらいたいことがあるんだけど・・・聞いてもいい?」
「うん、答えられることなら」
「あのね・・・・・・」

佐原さんは俺の問いに少しだけ考えて答えてくれた。それは俺の予想通りで、これで犯人が確定したも同然だった。
それじゃあ高木刑事に事実確認をしてもらって、おっちゃんをいい感じのところに連れ出して・・・と今後の算段を思い描けば、目の前の佐原さんの顔色がみるみる変わっていく。

「えっ、ちょっと待って・・・それって犯人・・・・・・」
「犯人、わかったんですか!?」
「あ、いや、その、・・・嘘をついてる人がいるのはわかったんですけど、・・・でも確認してみないと、なんとも・・・・・・」

俺よりも先に蘭が反応する。それに対し、彼女は自信なさげに語尾を小さくしていった。俺の質問1つで閃くその頭の回転は、先程佐藤刑事に伝えていた有名大学の4年生である事実への証明のようだと思った。
少しの間顎に手を当て考えていた彼女は、小さく頷くとこちらに視線を合わせた。相変わらず顔色は良くないが、その目は何かを決意している。

「確認、してみようか」
「へ?」
「すみませーん、刑事さん」

俺も蘭も呆気に取られているうちに、佐原さんは近くにいた高木刑事を呼び、確認したい事があるから現場を見ていいかと話をつけていた。それを聞きつけたおっちゃんと目暮警部も寄ってくる。特におっちゃんは、死体発見時に腰を抜かした彼女を見ている分いい顔をしなかったが、その本人が「現場が片付いてるなら多分大丈夫」と譲らなかった。目暮警部は現場のものを勝手に触らないなら入っていいと許可を出した。元々彼女の体調が回復したら現場の確認をしたかった様なので、おっちゃん程渋ってはいないらしい。
結局、高木刑事、目暮警部、おっちゃんの3人に続いて、佐原さんと俺、佐原さんを心配して蘭も一緒に現場へ向かう。佐藤刑事はトイレ前であとの2人と残り、先程のナイフについて聞き込んでいる。

「・・・・・・ふー・・・」
「だ、大丈夫?」

大きく息を吐く佐原さんに、思わず問いかける。彼女はそれに返事はせず、曖昧に笑って前を向いた。
現場の死体はすでに運び出されており、床の血痕もある程度拭き取られている。だが綺麗に掃除をしたわけではないので、あくまでもある程度、だ。
彼女が確認したいと言ったのは、自身が閉じ込められていた2番目の個室だ。高木刑事は3番目の個室寄りに立って中を促す。ありがとうございます、と控えめに会釈をした佐原さんは、個室の扉からギリギリ外側に立ち、目視で確認を行っている。

「こっちも見ていいですか?」

次に彼女が指したのは左隣――入口から1番近い、手前の個室。すなわち事件現場と反対側――の個室だった。そちらも個室に入るギリギリの場所から少し顔を動かして確認を行うと、所在無さげなその両手を、身体の前でぐっと握りしめて顔を上げた。そういえば彼女のショルダーバッグは警察に預かられていたと思い出す。

「あの、刑事さん」
「何でしょうか」
「その・・・3番目と4番目の個室の、トイレットペーパーと・・・サニタリーボックスを確認していただけませんか?すみません、奥に行くのはちょっと・・・・・・」
「はあ、構いませんけど」

佐原さんの口から出た言葉に、俺は素直に驚いた。この人には、本当に犯人の目星がついているのだ。
高木刑事は奥2つの個室を覗いて確認すると、すぐに戻ってきた。何がなにやら分からないままに、おっちゃんも一緒に確認をしていた。

「特に変わりありませんよ」
「あぁ、綺麗に掃除してあったな・・・」
「・・・・・・そうですか」

彼女の声音は、落胆してるわけでも怯えているわけでもなさそうだった。身体の前の両手をもう一度握り直し、その両脚にさえぐっと力を込めたように見える。

「じゃあ、少なくとも高谷さんは嘘をついてますね」

握りしめた拳は自身を奮い立たせる覚悟だろう。強ばったように見えた肩は緊張からか。ただ、その少し震えた声だけは、緊張や覚悟、まして怯えなどでは決してない。探偵として俺も何度も味わっている・・・・・・真実への糸口を手にした、少しの興奮と多大なる好奇心に溢れる口調であった。



2021.09.13

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