※そのアイドル、看板に偽りあり続編
お互い成人済みだと判明したあの日、私達はプラトニックな関係から大きく外れた。
それなりに色々経験してきた。そんな私をHiMERUは壊れ物を扱うかのように丁寧に触れた。こんなに大事にされた事が今まであっただろうか。行為の最中に過去の男を思い出す私にHiMERUは「俺に集中してください」と一言だけ告げて胸に顔を埋める。
それからはもうHiMERUの言う通りで、他の事なんて考える余裕がないくらい、じっくりしっかり愛された。こんな腹の底から湧き上がる幸福感に満ち溢れたセックスがあるのだろうか。身も心も満たされ、眠りに落ちる直前までHiMERUの存在を感じていた。
そんな日からしばらく経って今、私は緊急の招集で事務所へ向かう羽目になった。何か良くない事が起きているらしい。すでに準備は済ませ家を出るだけだった私は、帽子を目深に被って部屋を後にした。
「大変な事になった」
顔色の悪い社長が机に置いたのは一冊の週刊誌。開かれたページには私達のグループの写真だ。メンバーの青担当のパパ活、赤担当の不倫が綴られている。
「社長、厳しいですよ・・・」
社長は頭を抱え唸り出した。今日はメンバー2人の姿は見えない。自宅待機だろう。駆け出しのアイドルとはいえ会社にはマイナスでしかない。先輩アイドルの全国ツアーも控えている中での不祥事に社長は参っている。先程確認したメッセージには2人から事実である旨と、ごめんねの一言だった。
「謝罪は早い方が良いですよ。私が1人でしましょうか」
「ミョウジ・・・すまない。あの2人は脱退してもらって、今後はミョウジのソロに切り替えよう」
「社長、何を言ってるんですか。私は謝罪動画で引退を発表しますよ。本日限りで退職させて頂きます。有給は買い上げでお願いしますね」
アイドルなんて辞めたかった。ずるずると続けていくのも終わりにしたかった。これはいい機会なのかもしれない。私達より着実に大きくなりつつある先輩アイドルを大切にして欲しい。
クリーニングに出していたスーツがロッカーに入っていたはずだ。カメラも準備しなければ。頭の中で文言を考えるが、行き当たりばったりでも良い気がしてきた。「まってくれ」と止める社長の声は聞こえないふりをして会議室を後にした。
お決まりの「この度は〜」から始まり、グループ3人の退所と私の引退、ファンクラブの返金の対応など思い当たる事を全て話した。
「短い期間ではありましたが、楽しいアイドル人生でした。ありがとうございました」
深々と頭を下げてカメラの録画停止ボタンを押した。何だかんだで、今思うとそれなりに楽しかったのかもしれない。もう一度したいかと聞かれれば首を縦に振ることはないが。
この動画の編集をしてアップロードしなければならない。けれど、その作業の前に一息つきたい。
自販機で缶コーヒーを買い、この姿で喫煙所はまずいよなと考えているとスマホに連続で通知が届いた。
ロックを解除すると着信も入っており、メッセージも全てHiMERUからだった。「大丈夫ですか」「何か出来ることはありませんか」HiMERUも忙しいはずだ。そんな中で気にかけて連絡をくれた。ありがとう大丈夫とだけ送り、コーヒーを一気に流し込んで編集作業に向かう。一服は全てを終えるまで我慢だ。
長かった。思ったよりも時間がかかってしまった。外はすっかり暗くなっている。編集も無事に終わり動画もアップロードした。謝罪文と今後の対応についても専用ページを作ってもらった。やることは全てやったのではないだろうか。ほぼ人のいない会社の喫煙所で紫煙を燻らせていると、社長もポケットから煙草を取り出し横へやって来た。
「何から何まですまなかった。事務所の周りに見慣れない奴らがうろついている。気を付けて帰ってくれ」
「まじですか。面倒ですね・・・」
「ミョウジ、ありがとな」
珍しい。社長に礼を言われることが今まであっただろうか。
「社長、お世話になりました」
ああ。と静かに答える社長に背を向けメイクルームに向かう。このまま出たら声を掛けられるかもしれない。アイドルのミョウジナマエとしてはこれで最後だ。出来のいいウィッグを外して化粧も落とす。今までしていた仕事モードの化粧に戻す。久しぶりに年相応の化粧をした。帰宅するだけだというのに気合を入れて化粧を仕直し、髪の毛までセットしている自分がおかしくて笑いが出る。最後にお気に入りの口紅を引いて完成だ。
メンバーとの身長差を気にして、出番のなかった7センチのヒールを履いてエントランスを飛び出した。久々のこの感覚。化粧とスーツにヒールはスイッチが入る。
「誰かでできたぞ」
「ミョウジナマエじゃないか?」
「いや、ただのババア」
おいそこの男。ババアはないだろう。せめておばさんと呼べ。アイドルのミョウジナマエを待っているようだし、アイドルしてない本来の私なんてただのOLにしか見えないだろう。それにしても、ばばあはない。
口には出さないものの心の中でキレ散らかしていると自然と歩幅も広くなる。気がつくと事務所からは離れ、そろそろ安心してもいい頃合いだった。
「ナマエっ」
呼ばれたと同時に、背後から急に腕を掴まれ身体がびくりと跳ねた。恐る恐る振り返ると、その人はよく知る人物だった。
「HiMERUくん」
帽子とマスクで簡単に変装しているつもりだろうが、どこからどう見てもHiMERUだ。この状態を見られる方が逆に危なくないか。HiMERUと一般人が密会なんて撮られたりしたら。その心配も必要がないくらい閑散とした場所ではあるが。
「動画見ました。こんな時間まで1人で大変でしたね」
走って追いかけて来たのかHiMERUの息は少し上がっている。それにしてもHiMERUはアイドル時の私か、あの日のすっぴんしか知らないはずだ。この姿でよく分かったと驚く。
「やる事やって来たからね。それにしても、私ってよく分かったね」
「愛の力なのです」
想像もしていなかった回答と柔らかい笑顔に、返す言葉が浮かばない。ヒールの高さもあって今日の私はHiMERUの顔が近くてよく見える。ほんと綺麗な顔してる。陶器肌ってこの事を言うんじゃないだろうか。
「今のナマエは綺麗ですね」
そう言って後頭部を掴まれたと思うと、目の前にはHiMERUの綺麗な顔しか見えなくて、爽やかだけど少し甘い香りを感じる。HiMERUの匂いだと理解した時には噛み付くように唇を奪われていた。
下唇に優しく歯を立てて、唇の隙間に舌を這わす。閉じた口を開けろと多分、言っている。素直に従って少し開けると待ってたと言わんばかりにHiMERUの舌が侵入してきた。歯列をなぞり舌に絡み付く。舌先でつついてみたり、ゆるゆると絡めたりと口を開けた事を後悔してしまいそうになる。
ちょっと待ってと言いたくて舌を引っ込めても追いかけて絡めとる。逃げられない、逃がしてくれない。容赦ないキスで口内は犯され、飲み切れない唾液が顎を伝うのが分かった。
ぽんぽんとHiMERUの背中を叩くと名残惜しそうにやっと解放してくれた。
「煙草の味がします」
「そうでしょうね。それにしても急にどうしたの?HiMERUくんの唇にリップ着いちゃったじゃん」
あんだけ激しいキスをしといて涼しい顔をしている。おまけにキスの味の感想まで。気合を入れて引いた口紅は取れているに違いない。私のお気に入りの赤い色は、HiMERUの唇も彩っている。
「HiMERUなら口紅だって似合うのです」
そう言って笑い、私の口の端を親指の腹で拭う。あれだけ激しいキスをしたんだ。口裂け女のように口紅が伸びているのかもしれない。急に小さく笑うHiMERUを不思議に思っていると、ちょんと鼻先をつつかれた。
「うさぎさんみたいで可愛いですね」
鼻先にまで口紅が付いていたのか。どんだけ激しい事をしてくれたんだ。バッグから鏡を出すと、唇はほとんど色をなくし、鼻先はうっすらと色付いていた。急に恥ずかしさが込み上げてくる。外でこんな事しといて余裕気なすまし顔も悔しい。
「今日のHiMERUくんは絶好調だね」
「そうですね。俺だけのナマエになった事が嬉しくて浮かれているのかもしれません」
そう言って腰に手を回してゆっくり歩き出す。少し先の私の自宅までこのままエスコートするつもりだろうか。マスクは所定の位置に戻ってしまったが、ご機嫌な表情をしているのが想像できる。
「もう遠慮する必要はないですね」
「何の話?」
「次の日のことを考えて手加減して抱かなくてもいいって話です」
その言葉にぞっとした。あの日は手加減をしていたと言うのか。なら本気になったらどうなるんだ。腰を撫でる手付きはこれからを示唆されているかのよう。疲れた私はお風呂上がりに一杯のビールを流し込んで寝てしましたいのだが。
「私、すごく眠たいかも」
「疲れている彼女を無視して抱くほど、俺は鬼じゃない」
良かったと安堵する。でもこの流れは泊まっていくパターンな気がする。
「ぐっすり眠って、愛し合うのはそれからでも遅くはありません」
やっぱりそうきたか。低血圧のくせに大人しくしときなさいよとは、幸せそうに微笑むものだから言えなかった。私もつくづく甘い。惚れた弱みってやつか。
「近いうちに新居を決めましょうか」
それって同棲の話だろうか。恐ろしいくらい絶好調のHiMERUだ。
でも、それも悪くない。新居が決まり次第、再就職先を探そう。今度は事務員でもいいと考える私も私だ。
「そうだね。HiMERU くんの活動しやすい範囲にしようか」
そうこうしているうちに我が家へと辿り着いた。
私がシャワーを済ませているうちにHiMERUはコンビニに行ったらしく、サラダや軽食がテーブルの上に並んでいた。今は交代でHiMERUがシャワーを浴びている。
冷蔵庫でよく冷えたビールを取り出してプルタブを押し上げるとプシュッと炭酸の音がした。そのままぐびっと飲むと、疲れた身体に染み渡ってあー。なんて女らしさの欠片もない声が出た。頑張った日のビールは美味しい。
鼻歌を歌いながら2本目に手を出してあっという間に空にすると「元気そうですね」なんて背後から聞こえた。ギギギと音がしそうに振り返ると不適な笑みのHiMERUが立っていた。
「いや、疲れてるんだよ。なんなら今すごい疲れが襲って来たかも。もう立っていられないかも」
「そうですか」
気が付くと膝裏には腕が回されており軽々と持ち上げられていた。お姫様抱っこされるとは思わなかった。
「HiMERUくん意外と力あるんだね。でも大丈夫。私歩けるよ」
「そう言って逃げる気でしょう」
ばれていたか。降りようと抵抗すれば抱き上げる腕にさらに力が入った。
「逃げるのなら今ここで馬乗りになりますよ」
恐ろしいことを言う。でも、この間の撮影のスーツ姿の馬乗りは見てみたい。きっと似合うし色気が凄そうだ。
本人には言わないでおこう。本当にするだろうし、私の心臓が悲鳴をあげてしまう。
「真っ直ぐ寝室に向かってますけど気のせいかな」
「勘違いではありませんよ。明日ゆっくり過ごせばいい。今からたっぷり愛してあげますから覚悟してください」
ウインクをとばすHiMERUに白旗をあげた。私の身体、多分もたないと思う。