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「HiMERUくん今夜どう?」

背後から男の声がする。両肩に男の手の重さを感じてHiMERU は顔を歪ませた。ここ最近付きまとう男にうんざりしていた。
男に男が付きまとって何が楽しいんだと。ドラマの撮影が終わるまでは共演者のこの男を上手くかわそうと思っていたのだが、今日は接触してきた。

「お疲れ様です。めぇちゃん我とご飯行こ♪」

背後の男に挨拶を済せHiMERU をめぇちゃんと呼ぶ人物。ミョウジナマエ。イケメン女子の意味合いで付けられたイケジョで活動するナマエはHiMERU と同様にドラマの撮影でここに居る。

「約束の時間でしたね」

失礼しますと背後の男に挨拶をして歩きだす。ナマエと食事の約束なんてしていない。今撮影しているドラマで共演しているだけ。キャラ設定なのだろうが一人称が我は独特だ。
ラジオで賭け事は何でもするし酒も嗜むと話していたらしい。ファンからカスとイジられようが否定しない。これも設定なのだろう。
天城と気が合いそうだと思っていたが、特番の打ち明げで案の定、意気投合して親睦を深めていた。この時HiMERUは思った。天城が2人居るようだと。

「勝手に困っていると思って連れ出したけど大丈夫だった?」

くるりと振り返ったナマエは眉を下げて問いかける。実際にHiMERUは困っていたし断るつもりだった。アシストあって楽に状況を抜け出せた事に感謝している。

「ええ、助かったのです。せっかくなのでこのまま食事を」

「ちょっと失礼」

鳴り響く電話に出たナマエは少し慌てるように返事をしている。今から向かいますとそう聞こえた。急な仕事でも入ったのだろう。電話対応しながらちらりとHiMERUに視線を移し少し何か考えるような素振りをして電話を切った。

「ごめん。イケジョでの撮影忘れてた。相方が怒ってたから急いで戻らないと」

キラキラふわふわした王子様のようなイケジョの片割れ。悪い男のイメージがあるナマエと対極的で綺麗に分担されたグループだ。そんな相方が怒るのは想像がつかない。

「構いませんよ。ナマエさんも忙しいですからね。助けて頂いてHiMERUは感謝なのです」

「めぇちゃんコレあげる」

握らされたものより、その冷たい指先に神経が集中した。パーカーのフードをなびかせ走り去る後ろ姿を見送ると握らされたものを確認する。少し折り目のついた宝くじだ。HiMERU の足元には丸まった紙クズが1つ落ちている。拾い上げて中を確認すると馬券だった。これはゴミだろう。
宝くじもゴミなのかと思ったが何となく気になり調べてみると当選していた。1万円が。

番組の企画で利酒を天城とやってべろべろに酔ったナマエを思い出す。あれは利酒なんてものではない。途中から2人は好きなように飲み出したのだ。ウエイターとして駆り出されたその時の衣装がバニーだった事もあり「バニーのお姉さん♪」と上機嫌に絡まれ衣装の隙間にチップと称して万札を捩じ込まれたのを覚えている。
本人はこの事を覚えているのだろうか。
そんな事を考えながらくじを財布へ仕舞った。



「お2人は本当に仲が良いですね。もしかして…?」

前回評判だった事もあり続編として特番の撮影が入った。司会の女は天城とナマエの意気投合具合に意味を含ませた質問を投げかけた。天城は「俺ら前世は双子だったのかもな」なんて笑っている。

「りんちゃんと双子説は分かるかも。それより我はお姉さんみたいな大人の女性がタイプだなー。お姉さん今フリー?」

イケメンにカテゴライズされるナマエは男性アイドルとの共演も多い。気さくな性格のナマエは共演者と仲良くなる事も多い。その度に交際のネタが飛び交う。
ビジネスなのか事実なのか定かではないがナマエは女性を好きなタイプにあげている。今の司会者を口説くようにナチュラルに女性を口説く姿を目にする事が多い。

「そ、それでは次の企画に…」

間に受けたのか司会の女は頬を染めしどろもどろに話題を切り替えた。今日のメインと言ってもいい女装企画へと。正直乗り気では無いのだが受けた仕事は完璧にこなすがモットーなHiMERU は舞台袖で気合いを入れた。

「それではお願いします」

慣れないヒールを鳴らして登場すると天城は口笛を吹いた。ナマエはというと瞳を大きくしてキラキラとHiMERUを見ている。

「女装したHiMERU さん綺麗ですねー。ナマエさんどうですか?」

司会者は先ほどの流れからかナマエに話題を振った。
立ち上がってナマエはHiMERU の手を取る。

「ありよりのあり。女の子だったら本気で口説いてたかも」

手を取り、まるで忠誠を誓うような姿にスタッフの悲鳴が聞こえた。ナマエのその姿に何故か心臓がバクバク悲鳴を上げる。「残念だったなぁ」と笑う天城の声が遠くに聞こえる。HiMERU は自分が自分ではないようでどこか落ち着かなかった。



例の付き纏いの男の件のお礼として、HiMERUはナマエを食事へと誘った。期限が迫り宝くじは換金した。これも使ってしまおうと考えている。
「軽く変装してくるので普段の格好でも構いませんよ」と伝えてある。裏を返せば男装しなくて良いと言っているのだが伝わったのだろうか。自分だけに見せてほしい。ナマエ本来の姿を。そう思う時点で特別な感情があるのは確かだ。どうしてこうなったとHiMERU は天を仰いだ。
ナマエのマンションのエントランスで待つ事数分、1人の女が出てきた。タイトなワンピースを纏い髪は緩く巻かれている。いい女だと世間は言うだろう。
女はHiMERU の方へ小走りで寄ってくる。危ないから走るなと声をかけようか迷っていると「お待たせ」と女は通り過ぎた。
意味が分からず後ろを振り向くと先程の女はスーツ姿の男の腕に両腕を絡め歩き出していた。単なる人違いである。
声をかけなくて良かった。手を上げなくて良かった。急に押し寄せる羞恥に耐えていると聞き慣れた声がした。

「めぇちゃんお待たせー」

顔を上げるとそこにはナマエが居た。よく分からない柄シャツにカラーサングラス。おまけにクリアなショルダーポーチに入った赤いパッケージの煙草。

「HiMERU が馬鹿でした…」

普段と変わらない姿(むしろ普段より治安が悪い)でナマエは現れた。女性の姿を期待して落ち込む自分に情けなさを覚えていると「めぇちゃん、大丈夫?」とナマエが心配し出した。このままでは良くない。

「個性的な変装ですね」

「めぇちゃんレベルの美人さんだと何やってもオーラでバレると思うんだよね。だから我はこんな感じ。近寄りがたいっしょ」

無邪気に笑う姿は新鮮で幼さもあり可愛らしいのだけれど、HiMERU は内心複雑だった。何だか脱力してしまいその場に膝を着きそうになる。慌ててナマエがHiMERU を横から支え、それは防がれた。

「大丈夫?具合悪い?救急車呼ぶ?」

「いえ、救急車は結構です」

うーん…と暫く考えた後、だいぶ間があったがナマエは「うちで休む?」と提案した。

「ナマエさんが良ければ」

案内された部屋は想像とは違ってシンプルに整理整頓されていた。普通の部屋だ。この部屋から治安の悪いイケメンが出てきたと思うと面白くて無意識に笑っていた。

「意外って思ったでしょ。とりあえずソファーで休んで」

ケトルで湯を沸かし始めるナマエに甘えてHiMERU は深くソファーに座った。部屋を見渡すとキャビネットの上のフォトフレームが気になった。スーツ姿の男と今より若いナマエの写真。この頃はイケメンよりも中性的な美人がしっくりくる。少し照れくさそうに笑う姿は可愛らしい。
横の男には見覚えがある。記憶が確かであればナマエが所属する事務所の社長だとHiMERU は考えた。

「緑茶、紅茶、コーヒーどれにする?」

「ありがとうございます。少し楽になりましたのでコーヒーをお願いします」

体調は元々悪くなかった。心配したナマエが部屋に上げたのだ。誰も知らないであろう本来のナマエ。それを知れて悦に入る。

「どうぞ」

目の前に置かれたマグカップは香ばしい香りを放っていた。お礼を述べて一口飲めば心安らぐ味が広がった。

「美味しいです」

「それは良かった。急にうなだれるから驚いたよ」

「すみません。色々と自分に嫌気がさしたのです」

そっかぁと少し困ったようにナマエは答えた。少し落ち着きがなさそうに視線が泳いでいる。HiMERU が再びフォトフレームを見ている事に気が付いたのか、ナマエは「今より若いっしょ」と笑った。

「こんな風に笑うんですね」

この人の前ではと言いそうになり堪えた。発した言葉にはどこか棘があり、ナマエは冷たく感じたかもしれない。

「社長なんだ。我の恩人だし、我の全て」

そう言って微笑んだ表情がどこか幸せそうでHiMERU は面白くなかった。恩人なのは分かる。だが全てとは何だ。まるで恋する女のようなその顔が気に入らない。

「社長さんの事が好きなんですね」

「えっ…まぁ、そうかな?」

否定もせず、照れたように笑う姿に腹の底にモヤモヤとした感情が渦巻く。

「でも彼は既婚者ですよね」

左手の薬指に光る物。それを意地が悪く追求してしまう。既婚者に恋なんて虚しいだけだろと。

「そうだね。でも社長と付き合いとかはないよ。辛い時に救ってくれた人だから恩返しがしたい。人として好きなんだ。今の関係以上は望んでないよ」

そう言うものの、表情はどこか寂しそうだ。分かっていると自分に言い聞かせているかのようにも見える。

「そうですか。それを聞いて安心したとHiMERU が言ったらどうしますか?」

え?とナマエは目を丸くしてHiMERU を見つめた。もう一度「え?」と言ってナマエは固まった。

「ナマエさんが無謀な恋をしていなくて良かったと言ったのです」

「めぇちゃん心配してくれたんだね。大丈夫だよ。安心して」

「そうですね。好きな人が既婚者に恋してるなんて心配ですからね」

再びナマエは「え?」と固まった。好きな人?と呟いたが暫くして理解したらしく勢い良くHiMERU を見た。

「めぇちゃん…」

「はい」

「めぇちゃん我が好きなの…?」

語尾が小さくなり最後は囁くようなトーンになっていた。照れたような困ったようなよく分からない顔をしている。

「はい。気付いたら」

テーブルに前のめりになって、マグカップの横に置かれた右手を取った。ナマエがひっと息を呑む音が響いた。

「わ、我のタイプは大人の女性だから」

「ちゃんとこちらを見てください。それは設定でしょう?現に貴方は男性に想いを寄せていたわけですし」

「うーん…」

煮え切らない様子のナマエにHiMERU も少しは待ちはしたが現状はなかなか変わらない。

「今日からHiMERU を男として意識して下さい」

「めぇちゃんは男だよ。そこはちゃんと分かってる」

「貴方は男を簡単に家に上げるんですか。危機感を持ってください」

「それは…具合悪そうにしてたから…めぇちゃんだから連れてきたんだよ」

めぇちゃんだから連れてきたに気を取られ、追撃は止まってしまった。他の誰にもない自分だけとも受け取れる発言にHiMERU の口角は上がりそうになる。

「それは都合よく解釈しても良いのですか?」

「めぇちゃんは大切な友達になれる人だと思ってたから」

「ナマエさんはHiMERU の事をどう思っていますか?」

ナマエはしばらく黙り込んだ。そして困った様に「嫌いだったらこんな事してないでしょ」と呟いた。
困惑するこの態度はHiMERU と同じ気持ちではないだろう。けれど可能性は0ではないはずだ。

「HiMERU はナマエさんが欲しいのです」

「どストレートに口説くね」

「まどろっこしい事をしても無駄だと思ったので。遅かれ早かれHiMERU の事を好きになるのですから」

わぁ…と驚いたのか引いたのか判断のつかない反応をしたナマエの腕をHiMERU はぐいっと引き寄せた。

「デートに行きましょう」

「強引だなぁ…デートって、言っとくけどまだ付き合って無いからね」

「おや、いずれは付き合うんですね。楽しみなのです」

はいはいとナマエは返事をした。何を言っても無駄だと思ったからだ。

「我は美味しいご飯とやらを食べたいだけですぅ」

「照れ隠しも可愛いですね」

もう一度はいはいと言ってナマエは笑った。



「本当に助かった。ありがとう。じゃあ、お疲れー」

「うん、またね」

はぁ、とため息を吐いてナマエは重い足取りで帰路に着く。友人の頼みで仕方なく参加した合コン。興味なんて無かった。ただのピンチヒッターである。
ちょっといい所で、ちょっといい顔の男達とご飯を食べた。それくらいだ。
「女の子が急用で来れなくて。座ってるだけでいいからお願い」と友人の頼みを断りきれず参加した。
モテたいとか、連絡先をゲットしたいとかそんな欲はなく、ただの頭数として存在していた。せっかくのオフの日に…それならタダ飯といい酒をと好き勝手に頂いてきたのだ。
いつもとは違う高いヒールに上品なワンピース、揺れるピアスが変な感じだ。今日は綺麗に化粧もして髪の毛もセットした。
しっかりお洒落をするのもなんだかんだで新鮮で楽しかった。けれど、面白くない話に愛想笑いし気疲れをした。
部屋でゆっくりしようと足早にマンションへ向かっていると対面から来る人にナマエはぶつかりそうになった。

「「すみません」」

相手も同じタイミングで謝ってきた。不意に顔を見ると帽子にサングラスの男。この男に見覚えがあった。帽子の隙間から覗く勿忘草色の髪の毛を間違えるわけがない。
黙って観察しているのを察してか少し不機嫌な顔をした男に悪戯心が働いてしまった。

「ごめんね?めぇちゃん」

勢い良く顔を上げたHiMERUと目が合った。陸に上がった魚の様にパクパクとした口が可愛い。いつものクールな姿はどこにもない。

「ナマエさんですか」

「初めましてHiMERUくん」

この姿ではの意味を込めてナマエは挨拶をした。珍しく視線が泳ぐHiMERUが面白くて続ける。

「デートいく?」

声にならない声をあげて膝から崩れ落ちたHiMERUに目線を合わせてしゃがむと、しばらくしてから「行きます」と返事が返ってきた。
少し耳が赤いのも可愛いと思っていると、ぎゅっと手首を掴まれいつもより低い声が響いた。

「こんなに着飾ってどこに行っていたのですか」

ナマエは先程までむくむくと湧き上がっていた悪戯心に後悔したくなった。
しまったと思うも遅い。目の前のHiMERUの瞳は怒りの色を含んでいる様にも見える。

「ちょっと野暮用で」

ふぅーんと信じていない不貞腐れた様子でHiMERUは返事をする。
手首を掴んでいた手を緩め、すっと差し出された意味が分からず眺めていると「デートなんですから手くらい繋いでも構いませんよね」とそっぽを向き、まるで照れ隠ししているような姿にナマエは口角が上がったのが分かった。

「そうだね」

この状況を楽しんでいる自分が居る事に気が付いて、今日くらい思うままに行動してみようとナマエ思った。
幸せそうな笑顔で手を握るHiMERUが可愛くてナマエはもっとこの顔が見たいとさえ思い始めた。
でもそれを言動で示すにはどこか
気恥ずかしい。そんな気持ちを隠して「我もめぇちゃんが好きかも」とふざけた調子でカフェでコーヒーを飲みながらカミングアウトしたらHiMERUはどんな反応をするのだろうか。そんな事を考えてナマエは笑った。

その日が来るのは遠くないかもしれない。