最初で最後のもう一度

※捏造しかありません※
(夢主をいかず後家と呼ぶモブがいます。縄で縛る表現もあります。何でも許せる方のみ)



「こんな雑用やってらんねーな」

「分かる。こんなのやってたら定時で上がれねーし。合コンどうするよ?」

「コズプロのいかず後家に押し付けよーぜ」

「それ良い案じゃーん」

定時で上がり合コンに参加するべく男性社員2人は自販機の前で盛り上がっていた。缶コーヒーを片手に喫煙所に消える姿をHiMERU は横目に見送った。
コズプロのいかず後家が誰かは知らない。仕事を押し付けられ残業する羽目になる誰かにHiMERUは同情しながら自販機のボタンを押した。
男性社員の笑い声が遠くから聞こえる。その音を掻き消すようにガコンとミネラルウォーターが転がった。

「ミョウジさん一生のお願い〜」

ちゃらちゃらとした見た目の同僚2人がナマエのデスクへ近付いてくる。手に握られた資料を見て押し付けられる事は直ぐに分かった。
都合良く使われているのは分かっている。けれど断る理由も無いので「いいですよ」と快諾すれば2人は笑顔で喜んだ。

「まじ!さすがミョウジさん!助かる〜」

「大事な接待に遅れるんでしょう?完成しましたらS川さんのデスクに置いておきますから」

もう一度感謝を述べて2人は背を向け歩き出した。接待なんて嘘だろうけれど、特にする事も無かったので仕事を引き受け残業コース確定となった。
お気に入りのコーヒーが飲める自販機は少し離れたフロアにある。残業の相棒は美味しいコーヒーが良かったのでナマエは財布を握ってオフィスを後にした。 

ふわりと香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。紙コップに注がれるコーヒーは値段の割には美味しく量もある。飲むならこのコーヒーとナマエは決めている。
抽出し終わったコーヒーを取ろうと手を伸ばすと、奥のレッスンルームから人の気配を感じた。こんな時間まで珍しいと視線を向けるとレッスンルームを施錠する青年と目が合った。
咄嗟のことに会釈する事しか出来ず、急いで紙コップを握り踵を返した。急ぎ足でオフィスに戻っていると先程の青年が誰なのか思い出した。あれはHiMERUだ。今人気のアイドルに鉢合わせするなんて珍しい体験をしたとナマエは嬉しいような恥ずかしいような何とも言えない感情でデスクへ向かった。



この前のレッスン後、偶然見かけた女性が【コズプロのいかず後家】なのではとHiMERU は考えていた。それにしても酷いネーミングセンスである。
会釈だけ済ませ消えた彼女は普通の一般社員にしか見えない。
ふと、遠くから聞き覚えのある声が聞こえHiMERU は聞き耳を立てた。

「完璧に資料作ってあったわ。マジ助かる」

「アイドルとしての期限切れてるんだからこれくらい出来ないとな」

耳障りな笑い声と共に聞こえたアイドルの単語にHiMERU の思考は一時停止した。
誰がアイドルだった?期限切れ?仕事を押し付けられたあの女性がアイドルをしていた過去があるのだろうか。

「10年前のアイドルにもうファンなんて居ないだろ」

低俗な笑い声が響く。この場に存在したくなくてHiMERU は足早に寮へと戻る事にした。

あの自販機を通り過ぎる直前に床に何か落ちている事に気が付き、足を止めて拾い上げるとそれはシンプルな手帳だった。中を勝手に見るのは良く無いのは分かってはいる。だが、持ち主の手掛かりが何かあるかもしれないとページをぱらぱらと捲ると中はスケジュールが記入されているくらいだ。
手掛かりは無さそうだと最後のページを捲るとカードポケットに1枚の写真が挟まっていた。3人の少女が同じ衣装を纏い楽しそうに笑みを浮かべている。
ライブ終わりに撮影したであろうその写真を眺めていると、ぱたぱたとこちらへ近付く足音が耳に入った。

「すみません、その手帳、落としたみたいで」

よほど慌てていたのか息も切れ切れあの時の女性が走り寄ってきた。HiMERU はなぜか少し肩に力が入るのが分かった。

「勝手に見てしまいすみません」

「いえ、拾って下さりありがとうございます」

胸元でゆらゆら揺れる社員証にはミョウジナマエと書いてある。こんな名前のアイドルがコズプロに居ただろうか。もしかすると芸名で活動しているのかもしれないとHiMERU は考えた。

「何か飲みませんか?ご馳走させて下さい」

ナマエが指す方にはあの自販機がある。「安物で申し訳ないですが」と続けて。

「それでは貴女のおすすめを」

「コーヒー飲めますか?HiMERU さんの口に合うと良いのですが」

そう言うと慣れた手つきでボタンを押し、静かな空間に機械音が響いて香ばしい香りが広がった。

「HiMERU の事をご存知でしたか」

「もちろんです。私はミョウジと申します。どうぞ」

そう言ってナマエはHiMERU にコーヒーを手渡した。もう一度ボタンが押された事により再び機械音が響いている。

「ありがとうございます。嬉しいですね。少し話しませんか?」

簡素な机と椅子が置かれた場所を指すと「いいですよ」とナマエが返事をした。

「率直な質問ですがミョウジさんはアイドルだったのですか?」

予想していなかった質問だったのかナマエはフリーズした。ゆっくり瞬きをした後に困った様に笑って続けた。

「かなり昔の話ですが…3人で活動していました。特に人気が出るわけではなく、長い下積み時代が続きフェードアウトしてった感じです。2人は野球選手とサッカー選手とゴールインしたんです。コズプロのいかず後家って聞いた事あります?あれって私の事なんですよね」

そう言ってナマエは笑った。傷を抉ったのではとHiMERU が悩んでいると「気を遣わせましたね。すみません」とナマエは慌て出した。

「ナツキララとして良い経験出来ましたし、私としては良い思い出です。2人と仲は良好ですからね?」

「ナツ、キララ…」

「あ、芸名です。ハルウララみたいですよね。競走馬かよって。後の2人も季節の入った競走馬みたいな芸名でしたよ」

思い出してふわりと笑うナマエは魅力的だとHiMERU は思った。この人はこんな風に笑うんだと知れて何故か嬉しかった。他の顔も見てみたいと興味が湧いてしまいそうだ。

「もうアイドルはしないのですか?」

「うーん…アイドルするには大人になり過ぎたかなぁ」

そう言ってナマエは最後の一口を飲み干した。HiMERU のカップも空になっている。そろそろ終わりの時間だと言っている様だ。

「応援してます。頑張って下さいね。手帳ありがとうございました」

空のカップを2つ握ってナマエは背を向けて歩き出した。この時間が終わるのが何だか惜しくて引き止めてしまおうと思ったが、丁度いい言葉が浮かばずHiMERU は名残惜しそうにその背中を見送る事しか出来なかった。



「今度の忘年会さミョウジさんに余興してもらうのどう?ナツキララちゃんで」

「うわー。いいねそれ面白そう」

例の男達が喫煙所に向かいながら盛り上がっていた。偶然耳に入ったHiMERU は顔をしかめた。何か一言でも言ってやりたいがきっかけも無ければ関係性も無い。どうにも出来ない今の状況がもどかしい。

「絶対⭐︎束縛」

「歌って貰おうぜ〜」

ぐしゃりと音がした。音の犯人は握っていたペットボトルだ。半分残ったミネラルウォーターのペットボトルは歪に形を変えている。
ナマエに忘年会は参加するなと釘を刺そう。そう思ったがHiMERU は連絡先も知らなければ部署も分からない。知っているのはあの自販機のコーヒーがお気に入りだという事だけだ。

あの日のコーヒーが3杯目に突入した時、HiMERU の視界にナマエは現れた。HiMERU には気付いておらずいつものコーヒーが抽出されるのを待っている。

「ミョウジさん。お久しぶりです」

「HiMERU さん!お久しぶりです」

コーヒーを持ってHiMERUが座っていた簡素な空間にナマエもやって来た。向かいの席の椅子を引くとナマエは軽く頭を下げて着席した。

「休憩中ですか?珍しいですね」

「ええ、少し考え事をしていたのです」

それらしい理由をナマエは信じたようだ。本題に入りたいのだが、どう切り出そうかとHiMERUは悩む。

「最近ゆっくり休めていますか?この前とするとお顔が疲れているようにも見えますが…」

向かいの席で顔を覗き込むように屈んだナマエと目が合って胸がどきりと音を立てた気がした。

「心配ありがとうございます。ですがHiMERU は完璧に体調管理もしてみせるのです」

「それは頼もしい」

お互い目が合ってふふっと声に出して笑った。この空間が想像以上に心地よくてナマエもHiMERU も空になったコーヒーに気付かないふりをする。

「ミョウジさんの所は忘年会はあるのでしょうか?参加されるのですか?」

「行かないわけにもいかないですからね…顔出し程度には参加するかもですね」

「もし、忘年会でアイドルしろなんて言われたらどうしますか?」

「もしかして誰か何か言ってました?」

HiMERU は少し躊躇はしたが先程耳にした事を伝える事にした。

「ミョウジさんにナツキララで余興をと男性2人が話しているのを聞いてしまいました」

「あー…」

落胆しているのか、はたまた怒っているのか。俯いているナマエが何を思い考えているのかは分からない。

「何となく誰がとは見当はつきます。忙しいHiMERU さんに気を遣わせるような事態になってしまい申し訳ないです」

俯いていた顔を上げたナマエの気迫に押され、気にしなくていいとは口から発せられることはなかった。

「毎回HiMERU さんに迷惑もかけられないですし、大人のアイドルやってやります」

「断るのも手段だとは思いますが」

「いいえ。酒の席だからを免罪符に面白い事をするつもりです」

先程まで曇っていた表情は雲の隙間から日が差したようにきらきらと輝いている。何かよからぬ事を企んだ顔でナマエは無邪気に笑った。

「面白そうですね。何かHiMERU に協力できる事はありませんか?」

「えっ、悪いですよ…」

「HiMERU と貴女の仲でしょう?」

テーブルに置かれた空の紙コップをHiMERU は指差した。それを視線で追ってまたナマエは悪戯に笑った。

「HiMERUさんこの後にレッスンルーム予約してたりしません?」



「誰だよー!ミョウジにアイドルさせようって考えたの!」

「はいはーい!俺っす!」

酒の入ったいい大人達が盛り上がっている。中には泥酔する者も居るし、酒に呑まれて残念になる人も。
10年ぶりに人前で歌って踊る機会に緊張しないわけがない。準備に手間取り駆けつけ3杯も決めてナマエもいい感じにほろ酔いで、これなら何とかなりそうだ。

【絶対⭐︎束縛】この楽曲は低迷期に発表された曲だ。恋人を好き過ぎて束縛してしまう女の子を歌っている。当時の衣装は黒をベースにフリルやリボンでふわふわに甘く辛く仕上げられていた。
あの頃の衣装がサイズ的にも着れるわけもなくナマエは今、エナメル素材のタイトな衣装を身に纏っている。この衣装を選んだのには理由があるのだが、予定ではもう少し布面積が少ない予定だった。

HiMERU が予約していた時間にレッスンルームにお邪魔して1番のみ練習した時だ。着る衣装を聞かれ候補を挙げたら渋い顔をした。「そういうお店にしか見えません」と。消去法で一番ましとの理由で今日の衣装になったのである。

「ナツキララちゃーん!」

早く出てこいと言わんばかりに呼ばれ、ナマエは深呼吸をして踏み出した。

「はーい。お待たせしました」

会場が沸いたのが分かった。すぐそばでスマホのカメラを向けるS川が視界に入る。曲のイントロが流れ始めて「絶対⭐︎束縛じゃん」と笑いながら叫んだS川は心底楽しそうにしている。

歌詞を1番のみ正確に歌い間奏に入った時に1人の黒子が横にスタンバイした。黒のキャップを目深に被っており顔は見えない。

「ミョウジさん!まじウケるんだけど!」

「それはよかったです。S川さんに捧げます。絶対⭐︎緊縛」

「え?」

意味も分からず辺りを見渡すS川。他の社員も状況が飲み込めず騒ついている。黒子から手渡された物を握りS川に近付くと酔いが回っているのかその場に座り込んで動けなくなっている。
手を引いてステージへ上げる予定は変更かと考えていると、黒子がS川の両脇に腕を差し込み引きずるようにステージへ連れ込んだ。

「えっ、ミョウジさん…?」

「大好きだから縛っちゃう♪」

歌詞に合わせて手渡されたロープでナマエはS川を縛り出した。動画で何度も縛り方を見て覚えた。家にある1番大きなクマのぬいぐるみで練習もした。

「俺を縛るの…?」

1回だけでいいからお願いしますと土下座してHiMERUに練習相手になってもらった甲斐もあって、S川を上手に縛れた。中心が綺麗に六角形になっている。
ちょうど曲も終盤だ。目的は果たせたわけだがこの後どうするか考えていなかった。手持ち無沙汰になり歌を再開するのも変だと考えていると黒子がさっと横に現れ、支えるように抱き込んだ。
ナマエだけにしか聞こえないトーンで「具合が悪くなったふりをして下さい」と囁いて。

「気持ち悪い…」

大丈夫?と女性社員の心配する声を背に黒子に支えられながら退場する事に成功した。「え?俺このまま?」とS川が困惑していたが聞こえないふりをした。

「大成功でしたね」

「スッキリしました。最初で最後のアイドルでした」

会場を抜け出してナマエは笑った。黒子も目深に被ったキャップを脱いで、勿忘草色の髪の毛を揺らして笑っている。

「人気アイドルにとんでもない事をさせました。すみません」

「黒子はHiMERU がしたかったので問題はありません。アシスタント出来て楽しかったですよ。それよりも土下座までして一度練習した甲斐がありましたね」

「その節は…」

どちらともなく笑い出して寒空の下、ナマエとHiMERU は暖かくなった。
ナマエは今日の事は酔っていて覚えていないで通すことに決めている。これからはいつも通りに出勤して、いつも通りに仕事するつもりだ。
辺りは鮮やかにイルミネーションが輝いている。こんな路地でも綺麗なのだからライトアップされた所はもっと綺麗なのだろう。

「今週末予定は空いていますか?」

「日曜は…特に予定ないです」

「この季節にお誘いしている意味は分かっていますよね?」

「えーっと…あ!有馬記念?」

HiMERUは「もうそれでいいです」と歩き出した。その手に引かれてナマエも足を動かす。手なんて繋いだの何年振りだろうとナマエは笑った。



「なぁ、メルメル?どのお馬さんに賭けようかねぇ」

HiMERUはクリスマスライブの打ち合わせに来ていたはずなのだが、リーダーの天城燐音はスマホで競馬を見ている。
椎名ニキはカフェシナモンの仕事が押しているらしくまだ来ていない。桜河こはくも同様に別のユニット活動関係で遅れている。

「ハシルヨキララで」

「お?いい線つくねぇ。蹄鉄のネックレスなんてしちゃって…何か合ったのか?」

「いえ、別に」

特に意味もなく知っている馬名を口にしただけだった。ナマエが「馬主さんがねナツキララのファンだったって聞いたの」と嬉しそうに話していたのがきっかけでHiMERUが唯一知る馬だ。
このネックレスも何となくデザインが気に入って購入しただけ。ただそれだけである。
ふーんと何か言いたげな視線を無視してHiMERUはスマホを弄り出した。

メッセージアプリに「ライブが終わったら食事にいきましょう」と送ると直ぐに既読がつく。「初めてHiMERUさんの生ライブ楽しみです。先日の件でお世話になったのでご馳走させて下さいね」と返事が送られてくる。
ご馳走になるつもりなんてない。今日の為に少しいい店を予約してある。そろそろ腕時計を新調したいと言っていたのを思い出し、HiMERUの好みのメーカーでナマエに似合いそうな物を購入している。後はどうやって渡すかのみだが、こればかりはナマエを目の前にしないと予想できない。

「良かったなぁメルメル」

「何がですか?」

「クリスマスデート楽しめよ」

「なっ…言われなくてもそうします」

こんな時だけ気が利いて大人になる天城燐音にHiMERUは調子が狂いそうになる。
「メルメルに彼女かぁ〜俺っちも負けてらんねぇなぁ」なんて笑う天城にまだ付き合っていないとは言えない。それを知られてしまえばネタにイジりまわす姿が容易に想像できる。何が何でも付き合わねばとHiMERUは決意した。

ライブ中いつも以上にファンサービスに力を入れ、指差しやウィンクを飛ばすもナマエはきょろきょろと辺りを見渡している。両隣の知らない人に向けた物と思い込んで微笑んでいる。違う、そうじゃない。
今夜の食事の意味もプレゼントも下手したら全て伝わっていないのかもしれない。
出会ってすぐに抱き締めて愛を囁いて、押して押して押し倒す勢いで口説いてやる。
あの男にナマエをコズプロのいかず後家なんて言わせない。機会があれば「彼女はHiMERUが貰いますので」と言うつもりだ。

ライブも終盤に差し掛かる。楽しそうに歌うHiMERUを見てナマエも両手を上げてライブを楽しんでいる。
天城燐音の指ハートにぎょっとして頬を染めて照れる所を偶然見てしまったHiMERUはバランスを崩したふりをして天城にこっそり肘鉄をお見舞いする。

あの忘年会の一件でS川は昔の曲を全て聴き込むくらいナマエのファンになり、残業しているナマエに頬を染めながら「縛ってください」と縄を差し出す事を2人はまだ知らない。

Merry Xmas!!