女王は蜜蜂に靡かない

「ミョウジ、外回りしてきます」

近くのスーパーが株式会社ハニービーのビールでイベントを組んだ。
ナマエはスーパーの店長に挨拶と売り場のメンテナンスに向かう予定だ。

「ミョウジ、事務所寄っていけば?天城くん来てるよ」

声を掛けたのは同僚でKILLER BEEのギターボーカルだ。

「え?何で?そしてなぜ当たり前のように事務所にいるわけ?」

従業員も多くない小さな会社ではあるが少々アットホーム過ぎないかと心配になる。彼は一応部外者だ。

「ミョウジに会いに来たんじゃね?」

楽しそうに笑う同僚を尻目にナマエはスーパに持っていく備品を準備する。販促物やポスター、そのほか必要な物を鞄に詰めてフロアを後にする。
ハニービーの製造にCrazy:Bの大ファンの女の子が居るらしい。ライブも毎回参戦しCrazy:Bと合同企画が決まった時には大喜びをしていたと聞く。今の状況がその子の耳に入ったらどしてくれる。たまにヘルプで製造に入るナマエはひやひやする。
製造に若い女の子が数人いた事しか覚えていないが面倒ごとは避けたい。

KILLER BEEのギターボーカルとドラマーは身バレを気にするタイプではなく、聞かれれば普通に答えている。二人が上手いこと話を合わせてくれているおかげでKILLER BEEの女王は社外のスケットとして認知されている。ナマエは絶対に身バレはしたくなかった。

「ナマエちゃん」

事務所の前を通り過ぎる際に聞こえてしまった。彼女は聞こえない振りをしようとしたけれど、近付く足音と肩に置かれた重みで足を止めるしかない。

「今日もスーツ似合ってンな。結婚しよ♪」

Crazy:Bの天城燐音は変わった男だ。前回の打ち上げから頻繁に現れる。何か用事があるのかと思えば特になく、こうして冗談のようにナマエを口説いて満足するといつの間にか居なくなる。

「今から取引先に行くので」

「俺っちも一緒に…ってのは冗談で、これいただきィ♪」

燐音は鞄から頭を出しているポスターを一部引き抜いた。KILLER BEEのポスターだ。ロゴバージョンとグループ写真の二種類ある。

「こちらなら差し上げますよ」

「そっちはナマエちゃん載ってないっしょ。俺っちはコッチがいいんだよ」

KILLER BEEのロゴポスターは虚しくも押し返される。
その無邪気な顔は普段よりだいぶ幼く見え、こうしていれば可愛いのにとナマエは心の中で考える。違うそうじゃないと脳内でぶんぶんと頭を振る。

「物好きですね」

口から出たのは可愛げのない言葉。彼女にも可愛い時期が確かにあったはずなのに、今では全くそうではない。
部屋に飾ると上機嫌の彼に敵うはずがない。
勝手に可愛い対決を行い敗北しへこんで馬鹿みたいだとナマエは考える。

「用事が済んだならお帰りください」

「冷てェの。燐音くん泣いちゃう」

「はいはい」

泣き真似を見せて燐音は茶化す。毎回こんな調子で何を考えているのかいまいち分からない。
ナマエに執着しているのも今だけの興味に違いない。自惚れるな私、あわよくば遊びたいだけだ。いけそうな女だとそう思っているに違いないと律する。

「毒牙にかかるわけにはいかないので」

すれ違い様に小さく呟いたナマエの言葉は、ほんの少し天城燐音という男に興味が湧いた自分への戒めだった。

「こっちは毒にやられてンのになァ。聞けば気の毒、見れば目の毒ってね」

燐音の呟きは彼女に聞こえる事は無かった。


***


「ミョウジ先輩!今日はよろしくお願いします!」

ナマエは教育係として新人を連れてコズミック・プロダクションへ向かう事になった。前回のCrazy:Bとの企画が好感触だった事もあり、早々に次の話が浮上したのだ。

「なんだか緊張してきました。先輩はCrazy:Bに会ったことがありますか?自分はありません!」

コズミック・プロダクションのエントランスにてやや空回り気味の新人。彼女の見間違いでなければ、その指先は微かに震えている。

「ないよ。それに今日はマネージャーさんとの打ち合わせだからCrazy:Bには会えないと思うけど」

流れるように嘘をついた。会ったことがない事はないし、むしろ頻繁に会っていると言っても過言ではない。

「そうですか…会ってみたかったな…」

急に新人はしょぼくれる。その姿は大型犬を彷彿とさせ、緊張してみたり喜んだりと忙しい人だ。

「お世話になっております。ハニービーさん、どうぞこちらへ」

Crazy:Bのマネージャーに案内された会議室を新人はきょろきょろと見渡す。そんな様子を横目で盗み見るナマエに、マネージャーはしばらくお待ちくださいと言い残し姿を消した。


「やばいです、先輩。緊張して来ました。手が震えます」

新人の手は震えるどころではない。それはもうガタガタと肩まで揺らし、全身で震えている。異常事態だ。

「失礼するぜ。粗茶になりまーす♪」

こんな状態で打ち合わせどころではない。なんとか新人を落ち着かせようと、ナマエは彼の太ももに置かれた手に両手を重ねる。

「すみません。新人なもので緊張してしまって。大丈夫、落ち着きなさい。マネージャーさんも驚くでしょう」

そう言ってきつく手を握るとほんの少しだが震えは治ったように見える。それでもまだ新人は震えているが。

「おにーさん面白いンだな」

聞き覚えのある声にナマエは思わず華麗なる二度見をかます。
なぜ天城燐音がここにと言いたいが彼の所属する事務所だ。何らおかしくない。

「お世話になっております。驚きました。天城さんがいらっしゃるとは」

「今回は俺っちが個人的にお世話になるンでね」

彼女はしらを切る。
いつもに比べ少しだけ天城燐音の声のトーンは低い。それほど仲は深くはないが、いつもと違う。それはすぐに分かる。仕事モードの彼は意外にも真面目なのかもしれない。

「天城さん!探しましたよ!」

慌てて戻ってきたマネージャーは肩で息をしている。

「ハニービーさんすみません。どうしても天城が打ち合わせに参加したいと言い出しまして」

その言葉を聞いた新人はぴゃ!と不思議な音を出す。

「まぁまぁ、俺っちが淹れた茶でも飲んで飲んで」

「ありがとうございます。頂戴します」

湯呑みからふわりと緑茶の香りが広がる。美味しい茶葉だ。意外と上手に茶を淹れるのだと感心していると隣からびちゃびちゃと音が聞こえナマエは不安になる。
嫌な予感は的中。新人は茶を飲んでいる。確かに飲んでいるのだが、口元の湯呑みをガタガタと震わせ茶を机に撒き散らしていた。

「落ち着きなさい。すみません、もう…なにしてるの」

震わせたままの湯呑みを回収し机に置く。急いでハンカチを取り出し水気を拭き取る。
何度目かの謝罪の後、彼女は机を拭いたハンカチで躊躇せずそのまま新人の口元も拭き上げた。

「おにーさん、自分でしろよ」

燐音の纏う雰囲気が変わった。それはまるで苛立ちを含んでいるかのように。直接参加を決めるほど打ち合わせに力を入れていたのだ。中々始まらない事に痺れを切らしたのだとナマエは思った。

「あっ、はい!」

なにを思ったのか新人はスーツの袖口で口元を拭う。
ああもうダメだ。この子見てられない。教育係がそう思っている事を知らない新人は、ある意味幸せなのかもしれない。

「コントみたいですね」

破談になるかもしれないと恐れたが、素っ頓狂な新人はCrazy:Bマネージャーにはささったらしい。ひとしきり笑ったマネージャーは笑いすぎてお腹が痛いと言いながら、まだ笑っている。

「本当に申し訳ありません」

「涙が出るほど笑わせて貰ったのでお気になさらず。では本題に入りましょう」


***


Crazy:B天城燐音のバンクバンドをKILLER BEEが務める事が決定した。主演WEBドラマの主題歌だ。
アイドルとして売り出しているにも関わらず、なかなかにクズな役でアイドル生命を心配するKILLER BEEを他所に燐音はけろりとしてる。色んな可能性があった方がいいっしょとむしろノリノリだった。

ドロドロとした恋愛模様を描くストーリーにKILLER BEEはミスマッチではないかとナマエは悩む。
燐音がソロで歌う予定の楽曲は歌詞がまだ完成していない。作詞を彼にさせたい番組側の意図もあり、楽曲制作は難航している。

「あー。分かんねェ。浮気や不倫なんて無縁だからなァ」

ハニービーの会議室に当たり前のように過ごす燐音。彼と一緒にKILLER BEEのギターボーカルとドラマーも一緒に頭を悩ませている。ナマエはただ傍観していた。

「学生時代の彼女が今の嫁だからなぁ」

社内で愛妻家と認知されているドラマーはちらりとギターボーカルに視線を送る。

「俺?俺は…うーん…」

ギターボーカルもそれなりに容姿は良く仕事もできるし愛想もいい。それこそ二番目でもいいと言いよる女も居そうな見た目だ。


「俺さ、好きになった人がタイプで年齢や性別とか関係ないんだよね。追われるより追う派」

数年付き合いのある同僚の恋愛観にどう答えればいいか分からず、ナマエは冒頭からミーティングに参加しているも一言も発言はしていない。だんまりを決め込んでいた。ドラマーは「色んな恋愛がありますしね」とギターボーカルに答える。

「じゃあさ、ナマエちゃんは?」

燐音は椅子ごと向きを変え彼女の顔を覗き込む。その瞳は好奇心の塊を宿して真っ直ぐと見つめている。

「いやいや、私は仕事(音楽)が恋人なので」

ナマエは数年前、恋人に二股をかけられていた。ひょんなことで発覚し、そのまま流れるように別れた過去がある。この件は社内の人間には話していない。ここで口を割らなければバレる事はないし、口が裂けても言うつもりはない。

「そう言えばさミョウジさ、数年前ヤケ酒してべろべろに酔った時に言ってたよな。たしか、彼氏に浮気されたとか」

「は?それどこの女?誰と間違えてるの?」

ナマエは過去の自分を殴りたくなった。ギターボーカルに話していたとは思いもしなかった。飲み屋でクソ男!と叫んだ遠い記憶がうっすらと蘇る。行き場のない感情は八つ当たりに。そのセリフも相まって変な空気を作り出してしまう。
その台詞最高!と腹を抱えて笑うギターボーカルに追撃は出来なかった。

「なら決定!天城燐音が歌う女目線のあだなしい歌詞をナマエちゃんよろしくな」

燐音の提案にKILLER BEEのふたりも賛同している。
面倒事を押し付けたいだけに違いない。ニヤリと悪い顔で笑みを浮かべるギターボーカルと目が合い、ナマエは視線を逸らし不貞腐れる。

「ミョウジ、大変だけど天城くんと頑張って。業務の方はめちゃくちゃ俺がフォローするから。安心して専念しな」

この男は天城燐音が絡むとナマエを酷く苛つかせる天才になる。
過去のクソ男を思い出すも切ない歌詞が書けるわけがない。手当たり次第に恋愛ソングを検索し何か浮かばないかと模索する苦悩の日々の始まるのだ。