女王、蜜蜂に試練を与える

カフェシナモンにて椎名ニキにツケで作らせたピザを目の前に、天城燐音は盛大な溜め息をひとつ溢す。
KILLER BEEとの企画が再浮上し、打ち合わせにミョウジナマエがコズミック・プロダクションに来ることを知った彼は急遽マネージャーに参加希望を出すも見事に断られてしまった。
そうなったところで大人しく引き下がるタイプではない彼はお茶係として強行突破。お目当ての人物を視界に捉えることはできたのだが、なぜかナマエは若い男の両手を強く握りしめていた。

「すみません。新人なもので緊張してしまって。大丈夫、落ち着きなさい。マネージャーさんも驚くでしょう」

新人を落ち着かせる為だとはいえ、そんなに密着して手を握る必要があるだろうか。新人も新人でナマエに手を握られた事により、少し落ち着きを取り戻している。
そんなふたりに茶を勧めれば今度は盛大に溢す始末。新人は意図的にしているのだろうか。例えば彼女の気を引こうと裏があるとか。燐音が悩んだところで正解は分からない。

「落ち着きなさい。すみません、もう…なにしてるの」

甲斐甲斐しく世話を焼いている事も気に食わなかった。ハンカチを取り出し机を拭くのはまだ分かる。だが、新人の口元まで綺麗にしてやる必要はあったのか。
打ち合わせの内容はほとんど覚えておらず、新人とナマエの顔を交互に盗み見て適当に相槌を打ちのが精一杯でこの時間、燐音は全く面白くなかった。

「溜め息なんてどうしたんすか?燐音くんらしくないっすよ」

追加のサラダを運ぶニキは心配そうに声をかける。燐音の普段とかけ離れた姿はそうとう深刻に考え込んでいるように見えた。

「ありがとな」

「うわ!なんか燐音くんが気持ち悪い!お代はちゃんと払ってくださいよー」

ぎゃあぎゃあ叫ぶニキを無視し、燐音はピザとサラダを平らげる。その間も頭の中には甲斐甲斐しく世話を焼くナマエがリフレインしていた。


***


株式会社ハニービーの会議室にて燐音とナマエのふたりは作詞の作業に苦戦してる。
WEB限定ドラマの主演、主題歌と駆け足で舞い込んだ仕事は有難いが燐音は困惑していた。
今回はソロ活動でバックバンドにKILLER BEE。プロデューサーの希望で作詞を天城燐音ときた。メロディーラインを聞いても閃くことはなさそうだ。
向かい側に座る彼女も同様で、天を仰ぎ唸りながら煮詰まっていた。手元のノートには小さな文字列が並んでいる。

明日の可燃ゴミでさよなら
お決まりの二枚舌を噛み切ってあげる
貴方なしじゃ生きていけないほど可愛い女じゃない

「立ち向かう強い女だな。ナマエちゃんらしいちゃらしいけど」

綴られた言葉はロックを好む彼女らしいものだ。だが、今回の切ないとは大きくかけ離れている。

「そうですね。お前は一人で生きていけるだろって言われましたからねぇ」

二股かけられて平気な人間はいない。多少なり傷付き悲しんだに違いない。今となっては自虐的に話しているが、ナマエも例外ではないはずだ。自分の方が早く出会えれば今頃……と燐音は無意味な妄想を振り払う。

「うーん…囚われて縋り付く感じか…」

しばらく悩んだ後、彼女は筆をゆっくりと走らせる。

これ以上望んではいけない
ほかに何も要らない
今だけは骨の髄まで愛して
小さな世界で貴方の手で飼い殺されたい

それっぽいフレーズを書き出す。求められているのはこんなものだろう。先程まで唸っていた割にはらしいモノが浮かんだようだ。
男に溺れるストーリーとしては問題はないが少々物足りない。最後にインパクトが欲しいと燐音が考えているとナマエは手を止め顔を上げた。

「最後に少しだけ自分を刻もうとするのはどうでしょう。例えば爪痕を残す、とか」

「俺っちもそう思ってたンだよな。面白そうじゃん」

どよのうなフレーズにするか悩む彼女は唇に指を当て考える。必然的に燐音の視線は唇に移る。ヌーディーカラーのしっとりとしたそれから目が離せない。
あの日の熱さ柔らかさを思い出し、むくりと腹の底から欲が湧き上がる。こんな状況で欲情していると知ったらナマエは呆れるだろうと視線を外し深く息を吐いた。

「ぼやける視界の中で大嫌いな背中に私を刻んで。とかどうでしょう」

「いいねェ。作中の男は去る時は振り返ることもないし、その愛おしくも憎い背に刻むか。やれば出来ンじゃん♪」

これが実体験でなくて良かった。当の本人は自分以外が存在すると分かれば直ぐ切るだろう。私を捨てないでと泣いて縋るそんな過去があるとしたら、燐音は記憶の中の男にさえも嫉妬してしまいそうだった。


***


「「お疲れ様」」

楽曲は無事に完成し収録まで終えた。それを祝してKILLER BEEと天城燐音は打ち上げに参加していた。その席にはなぜかこの前の新人も同行している。

「打ち上げに参加したいと言い出してすみません。今日は女王は不参加なんですね?ミョウジ先輩」

「そうみたいね。社外のスケットだし都合が合わなかったんじゃない?」

少し気まずそうにナマエは新人の相手をする。
彼女はKLLER BEEとしての活動は極秘。ゴリゴリの化粧と装飾の多い衣装で意外にも身バレはしていない。オフィスのナマエはナチュラルな化粧だ。社内の人間はこう言うだろう。真面目な仕事人間だと。こんな人がロックに酔い、他人を気にせず心のままに魅せる姿を知る人は少ない。

「まぁまぁ、グラスが空いてるぞ。飲んで飲んで」

「ありがとうございます!でももう飲めないですよぉ」

ギターボーカルは新人のグラスにビールを注ぐ。

「天城さん、曲聴きました。すっごくセクシーですね。ジャズロックも好きになりそうです!」

「どうも」

新曲は新人にも好評だったようで燐音は簡単に礼を告げる。
新人の横を陣取るギターボーカルと先程から数回目が合うが特にアクションはない。今も新人と談笑している。

「ブラス隊を加入させるのは無理だけど、打ち込みでも様になりますね。天城くんの新たな一面が見れて嬉しいよ」

ドラマーも新人に同意しながら肩を並べて飲んでいる。

「あ、天城さんこれ美味しいですよ。取り分けますね」

上機嫌の新人は目の前の料理を指差しテーブルを見渡す。端に置かれたガラスの飾り彫の器に迷いなく手を伸ばした。

「何をしようとしているの?」

新人は器を手にしたままナマエに声をかけられフリーズする。

「天城さんに取り分けようかと」

気配りには問題ない。問題があるのは彼が手にしているものにある。

「それ、なんだと思ってるの?」

新人は手に握りしめているものをまじまじと見つめ首を傾げる。ナマエはなんとも言えない表情で返答を待っている。

「お皿ですよね?立派なんできっと主役が使う」

その答えを聞いて彼女は大きなため息を溢す。その流れを見てギターボーカルとドラマーは顔を見合わせ笑った。

「それは皿じゃないよ」

「え?っじゃあ何に使うんですか。先輩はご存知ですか?」

「頭を殴るものだよ」

その言葉にKILLER BEEの二人は吹き出した。ギターボーカルは笑い過ぎたのか咳き込んでいる。ナマエはどこか傷付いた表情をし、新人はというと鳩が豆鉄砲を食ったような顔で妙な空気感だ。

「そうなんですね。またひとつ勉強になりました。世の中には頭を殴る専用の武器があるんですね。でも、そんな物がどうしてここに…」

「いや、その…違うのよ。ブラックジョークで…」

尻すぼみに蚊の囁く様な声で、最後は何も聞こえなくなった。羞恥と後悔の念に押し寄せられ必死に耐えているナマエは目新しい。
燐音はまじまじと観察していると、彼女とゆっくり目が合った。

「まさか天城さんもご存知ありませんか」

少しだけ頬に色を差し、もごもごと口ごもる姿でいつものポーカーフェイスは見る影もない。

「灰皿だろ。それくらい俺っちでも分かるぜェ」

指摘された事により先程より濃く色付く頬に支配欲が湧く。このまま手中に収めてしまいたいと邪な考えが過ぎる。

「安心しました。ジェネレーションギャップかと思いまして」

まだ半分残っていたビールを流し込み、彼女は追加でバーボンのロックをオーダーする。


「おい、大丈夫か」


いつの間にか新人は酔いが回り、ふにゃふにゃになって机に突伏せていた。
心配したドラマーは酔っ払いをソファーに寝かせると「嫁に電話してから送っていきます」と外へ向かう。

「俺も一服してくるわ。夜風に当たりたし、新人くんは潰れちゃったからミョウジ、天城くんをよろしくなー」

ギターボーカルはほくそ笑んでドラマーと外に向かう。ナマエは困惑した表情で灰皿に視線を送った後その背中を見送っている。

「なぁ、ナマエちゃん」

燐音がソファーの距離を詰めれば彼女は逃げるように移動しようとする。ナマエの隣には酔い潰れた新人が寝ているのでそれは叶わない。

「なんでしょう」

しぶしぶ返事をする彼女の手を取ると指先は少しだけひんやりとしている。

「新人に過保護すぎないか?あそこまで甲斐甲斐しく世話する必要もないっしょ。それとも俺っちを試してる?」

「いえ、そんなつもりは全く…」

じわりと指先に熱が籠るのが分かった。ナマエの心境に変化が起きていることは確かだ。燐音はさらに力を込め手を握る。

「またまたァ。あんなの見せつけられてなんともないわけないっしょ。正直、妬いちまったよ」

空いた方の手で指通りのいい髪を撫でる。形の良い頭を引き寄せ、こつんと額を合わせるとその視線は揺らいだ。

「俺は本気だ」

溢れる息を飲み込んでナマエは黙り込む。ゼロ距離で互いを感じるふたりだけの世界だ。
KLLER BEEの女王のファンサが〜とファンの投稿を見たこともあり、ライブ中の彼女と同様に額を合わせる行為をする。
これをされたファンは天にも昇る心地だろう。

「分かりましたから、離れてください」

指先の熱は胸を押し返す。両の掌はじんわりと湿っている。
女王の鎧を脱いだ彼女に「天城さんお願いします」と抵抗するのは逆効果だと教えてやりたい。

「仕方ねぇな」

ゆっくり離れればナマエは急いで立ち上がり、逃げるようにお手洗いと言い残し消える。
追加で注文したバーボンのロックがからりと音を立て机を濡らした。


***


「ナマエちゃん、大丈夫か」

あれからKILLER BEEのふたりはトイレに篭る女王を心配す事もなく、新人を連れて店を後にした。
ギターボーカルはミョウジをよろしくと燐音にアイコンタクトを残して消える。
よろしくとはなんだ。つまりは持ち帰れってか。それともきちんと家まで送り届けろの意か。彼が敵か味方かいまいち燐音は分からない。

「うーん…」

酒に弱くないはずのナマエが酔った。トイレから戻るなりバーボンのロックを一気に空にし、追加で数杯オーダーして飲み干した。
良い飲み方ではない。酔いたくて飲んでいるそんな飲み方だ。

「そろそろお開きだ」

眠そうな顔で彼女は急に立ち上がる。だが、ゆらゆらとその場に座り込んだ。誰が見ても分かる。飲み過ぎだ。足にきている。このままでは一人で帰る事もままならない状況だ。
大人しく支えられゆっくりと歩き出すナマエはいつもの凛々しさもない。領収書を貰い店を出ると支えていた燐音の腕を振り解き距離を取った。

「ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫、ひとりで帰れますので」

その場に座り込み落ち着いたら帰るとしか言わないナマエ。そんな状況の彼女を置いて燐音は帰れるわけがなかった。

「大丈夫じゃないっしょ。こんな所で酔い潰れてたら悪い奴に襲われちまうぜ」

うん。とだけで動こうとはぜず、近くだから歩いて帰ると押し通す。これでは埒があかない。帰る素振りを見せず座り込む彼女を燐音は強制的に横抱きにする。

「ナマエちゃん、家どっち」

暫くの沈黙の後、あっちと力なく指差す方に足を進める。いくつかアパートやマンションが並びコンビニの近くのマンションに辿り着くと、それと小さく呟いた。

「部屋の番号は?」

「三階、角部屋」

ゆっくりとたどたどしく単語のみ。本格的に落ちてしまう前に送り届けなくてはと燐音は足を早める。
彼女のマンションはオートロックではなかった。せめてオートロックの部屋に住んで欲しいが、本人が選んでいるのだから何も言えないし、ましてや口を出す権利もない。
急に脱力し、ずしりと重みが増した身体を落とさぬようしっかりと支え直す。

「ナマエちゃん寝やがったな」

返事は返ってくることはないが、鞄を触ると一声かけて中を漁る。キーケースを取り出すと車のリモコンキーと一緒に部屋の鍵も姿を現した。

「開けるぞ」

そのまま開錠し足を踏み入れると、部屋は甘過ぎない爽やかな香りで満たされている。なんの香りか気になる燐音の胸はどくりと音を立てる。
とりあえず寝かせようとリビングのソファーに優しくおろすと、ナマエはそのままクッションを抱え寝る体制を整え出す。
寝具を探して部屋を見渡すがこの部屋に目当てのものはない。目の先にある部屋を開けてみるとそこは防音室だった。
吸音材が敷き詰められた部屋にはベースやアンプ、エフェクターが並んでいる。デスクにはバンドスコアが積まれ、部屋の角にはKILLER BEEの衣装も飾るように収納されている。
黒を基調とした衣装の中にはボンテージもあり、こんなにもはっきりと身体のラインが出るものを着るつもりなのかと燐音は心配になる。
もちろん見てはみたいが他の奴らには見せたくもない。

リビングで彼女は熟睡していた。寝返りをし、抱えていたクッションはソファーの下に転がっている。寝苦しかったのか胸元のボタンを二つ外した状態だ。
その瞬間見るんじゃなかったと後悔する。見てしまったものはどうしようもない。
はだけた胸元はクロスコードが主張する。こんなどエロい下着で真面目に仕事をしていたのか。しかも着痩せするタイプなのか衣装やスーツに隠れていたモノは想像していた以上だ。
イケナイ妄想を繰り広げる前にここを早く去ろうと燐音は気持ちが焦る。

「ナマエちゃん、燐音くん帰るかんな。ちゃーんと布団で寝ろよ」

ごそごそと身じろぐ彼女に声は届いているのか、うーんと唸る声だけが響く。

「ありがと、あまぎくん」

「はぁーーー」

声にならない声を出してその場に座り込む。なんでいこんな時だけ素直なんだ。明日になったら覚えていないくせに。
罪な女をちらりと覗き見れば、それはそれは気持ちよさそうに寝ている。

落ち着いたら絶対帰る。そう覚悟するも燐音の腰は重い。おまけに後ろ髪も引かれるわで散々な夜なのだ。