株式会社ハニービーの商品を販売するショップが完成した。
ショップの責任者として系列店から一人移動する予定だ。しかし、引き継ぎが上手くいっていないらしく到着はオープン後になると社長は語る。
「彼が転勤してくるまで責任者として頼んだよ」
ぽんと肩を叩かれたナマエは恐れること無く嫌ですと断るが、社長は笑顔を崩すことはない。残念ながら意見は尊重されなかった。
そんなこんなで今週末にオープンを控え最終確認をしている。そんな中、彼女の同僚でKILLER BEEのギターボーカルがショップに顔を出した。
「いよいよだな」
「そうだね。誰も来なかったらどうする?」
「そんな事はないだろ。社長が特典付けるって言ってたけど」
ノベルティの話をナマエは聞いていない。そんな物があっただろうか。ハニービーの倉庫にもショップの狭い倉庫にもそれらしき物は無かった。
「持ってきたんだよ。コレ」
ギターボーカルが小脇に抱えていた箱の中身はトートバッグ。KILLER BEEと黒地に白で書かれたシンプルなトートバッグだ。
「これ、欲しい人居る?」
「居るんじゃね?最初は俺らのブロマイドにするって話だったけど」
「トートバッグで良かったわ」
社長はもっとKILLER BEEのグッズを制作し販売したいらしい。せっかくヴィジュアル系として着飾ってるのに勿体ないと。
流行りのチェキとかしてみようよ!とノリノリの社長をそのうちしましょうと彼女が丸め込んだのが半年前。未だに諦めてないらしい。
「初日は俺もヘルプで入るからさ。頑張りましょうミョウジ店長」
にやにやと笑う同僚に誰が店長だと反論すれば、ショップで一番偉いのはミョウジだし店長でいいんじゃね?と楽しそうに返した。
「ミョウジさんCrazy:B好きなんですか」
ショップ追加分のビールを台車に乗せていると倉庫に現れたのは製造の女の子だった。ナマエは彼女の名前は覚えていないが、黙々と仕事をする子だと認識している。
「Crazy:Bですか…」
「それ、限定のペンですよね。しかも天城燐音の」
そう言って彼女はスーツの胸ポケットから顔を出すペンを指差した。そのペンは暗めの赤にCrazy:Bとプリントされている。
これは当たり前のように株式会社ハニービーの会議室に顔を出す天城燐音の仕業だ。
胸のポケットにはハニービーのボールペンがささっていた。作詞の際に燐音に貸せば帰ってくることはなく、催促するとこのペンが渡されたのだ。
「そうなのですね。貰い物なので知りませんでした」
そんな彼女の胸ポケットにも同じデザインのペンが頭をのぞかせている。
「私も持ってるので」
暗めのピンク。カラーでメンバー分けがされているのなら、このカラーはCrazy:Bの桜河こはくだ。
「桜河くんですか」
「そうです!こはく推しです。私の事はこはラブって呼んで下さいね」
「こはラブさんですね。あまり詳しくは無いのですが、これも何かの縁ですね」
彼女がなぜ【こはラブ】と名乗るのか疑問だが、交換しましょうと差し出されたトークアプリの名前も同一だ。どうやらこれが彼女のハンドルネームだとナマエは理解する。
「ミョウジさん明後日は予定があったりします?」
「特に予定は無いですよ」
明後日の予定は特になく、スタジオが空いていれば気晴らしにベースを掻き鳴らそうと思っていたくらいだ。
「実は明後日Crazy:Bのライブがあるんです。けど、相方が来れなくなってチケット余ってて…一緒にどうですか」
まさかのお誘いにナマエは考え込む。行ってはみたいが、なんだか少し気まずい。
けれど、行けばきっと何か参考になるかもしれない。葛藤と言う名の数秒の沈黙の後、少しぎごちない笑みで答えた。
「Crazy:Bのライブ初めてでも良いなら」
「もちろん!うちわ持っていくんでミョウジさんも持っていきましょうね!」
「うちわですか…頑張ってみます」
台車に積み終わって少し経った後、お疲れ様でした!と元気いっぱいに退勤するこはラブの背中を見送る。
うちわってどうやって作るんだろう。彼女に聞こうか迷ったが、ナマエは【うちわ 作り方】で検索をかける。意外にも簡単に作れるらしく仕事帰りに材料を準備するのも難しくなさそうだ。
薄暗い駐車場にがしゃんと台車に物が積まれる音が響く。ナマエはハイエースからビールケースを下ろしている。
「よいしょっと」
大量に積めばそれなりの重さだ。全体重をかけて台車を引けばゆっくりと動き出す。これをショップに運んで積めば終わり。そう思って力を込めると台車は先ほどよりするすると動き出した。
「ナマエちゃん」
名前を呼ばれ振り返ると、台車を押すのは天城燐音だった。神出鬼没は毎度の事だが、今回はさすがに驚く。
「なんでちょっと嫌そうな顔してンの?燐音くん傷付く」
「いえ、純粋に驚いただけですよ」
「そっかそっか。急に押しかけちまったしな」
燐音は奪うように台車を引きショップへ向かう。
「ナマエちゃん無理し過ぎだろ。こんな重てェもん持って」
「無理はしてないですよ。私、力はあるので」
ライブに体力は必要だ。
ベースの弦が増えればボディも重くなる。5弦、6弦ベースで暴れたい彼女は力をつけようとさえ思っていた。
「程よく筋肉が付いてるとは思ってたけど、あまり無理すンなよ」
「天城さんを抱き上げる事も出来そうですがね。心配ありがとうございます」
必要最低限の照明で黙々とハニービールを積み上げる。このビールはハニービーで一番人気のフレイバービールだ。
ナマエは売れると見越して追加で持ってきたのだ。
「ありがとうございました。おかげさまで早く終わりました」
「ナマエちゃん」
両手を広げて近付く燐音の意図が分からず、彼女は徐々に後ろに下がる。
「何ですか」
「俺っちを持ち上げられるって?」
ニヤリとまた一歩近付く。背中にとんと壁の当たる感覚がしてこれ以上は逃げられない。行き止まりだと足を止める。
「近寄らないで下さい」
両手を突っ張ってふたりの間に壁を作る。ナマエは言い方を間違えた。このままでは誤解を与えてしまう。
「汗かいたので…」
倉庫からの積み込み、ショップへの積み下ろしでじんわりと汗をかいた。
本当に燐音を抱き上げる(足が地面から離れる)くらいは可能だと思っている。けれど、この状態で実行するには自分の体臭が気になってしまったのだ。
「俺っちは気にしねェけど」
「私が嫌なんです」
「んじゃ、またの機会だな」
余計な事を言ったと後悔するが、手伝ってもらった事もあり送り届けようと帰り支度をする。そんな中、少し歯切れが悪そうに燐音は口を開いた。
「明後日ライブあるンだけど、ナマエちゃん見にくる?」
「チケット余ってるんですか」
「ナマエちゃんが来るなら関係者席と思ってさ」
関係者…ある意味関係者ではあるが、彼女の今の姿では部外者である。それに先ほど、こはラブと明後日のライブに参戦する事が決まったのだ。
「お断りします。見に行くならチケット争奪戦を勝ち抜いて行きます」
「そっか、そだよな」
薄暗い店内では燐音が今どんな表情をしているのかナマエは分からない。声のトーンだけでは判断できなかった。
譲り受けるチケットは、こはラブが争奪戦を勝ち抜いたものだ。先ほどの言葉に矛盾はないと考える。
関係者席が必要ない理由を伝えた方が良いか迷ったが、同業者に見られて変に力が入ると良くないと思いライブの件には触れない事にした。
「明後日、いいライブにして下さいね」
「当たり前だろ」
少しでも会える時間を増やしたい燐音の淡い希望と、関係者席に呼ぶほど親密な仲だと密かにアピールする思惑はナマエの言葉によって打ち砕かれる。
そう簡単にいくとは思ってはいないが、たまにはおいしい思いもしたい。そんな思いを秘めている事に彼女が気付ける訳がなかった。
***
「困った…実に困った…」
Crazy:Bのライブ当日だ。
こはラブがどんな物を用意しているか分からないが、ナマエはなんとかうちわを作った。何が正解か分からず、とりあえず頭に浮かんだ物を。
それよりも問題がある。もう少しで家を出る時間なのだが、来ていく服がない事だ。
手持ちはスーツもしくはオフィスカジュアルかシンプルなTシャツとパンツ、未開封の海外のバンドTシャツしかない。
バンドTシャツは除外するとして、無地の白Tシャツに黒のパンツはあまりにもシンプル過ぎる気がする。部屋からそのまま出てきたと思われるかもしれない。
そうなればいつもの格好で行くしか無いだろう。
「服を買いに行く服もないなんて…」
もう笑うしかないのだ。
「ミョウジさーん!こっちです」
こはラブはCrazy:BのライブTシャツを身に纏いテンション高めに手招く。
「お待たせしました」
「うける。何でスーツで来たんですか」
「着ていく服がなかったもので…」
そう答えると更にこはラブは笑う。
本当に手持ちが無かったのだ。バリエーションが一番あるのはKILLER BEEの衣装だが、この場に来て来れるわけがない。早々に候補から外れている。
「そろそろ入場しましょう。私と連番ですからね」
「遅くなり申し訳ありません。受け取ってください」
封筒を差し出せば中身を察したのか、こはラブはどうもー。と笑う。
ヘルプで製造に入った時とはイメージは変わり、懐っこい可愛い子だとナマエは思った。
「始まりますよ!もう出てくる!」
開演前の客席は異常な盛り上がりでCrazy:Bの登場を心待ちにしている。もちろん席に空きはないし、男性も女性も皆キラキラと顔を輝かせていた。
ステージから見るのとはまた違う景色。演奏する側のナマエはこちら側でライブを楽しむのはいつ振りだろうかと胸が弾んだ。
「きゃー!こはくー!」
会場が今日一番の声援に包まれる。
ステージ上のCrazy:Bにファンは客席からメンバーの名前を叫ぶ人も多い。
こはラブもうちわを振り、ナマエの隣の女性もうちわに【HiMERU 指差して】とアピールしている。
「はうっ…」
ステージ上のHiMERU が指を差している。位置的にナマエの隣だろう。不思議な声は彼女が発したものだった。ちらりと盗み見れば予想は的中で、ファンサービスを受けて天にも昇る心地そんな言葉がぴったりだった。
社長の言うグッズ展開も需要があるかは不明だが、KILLER BEEもファンサービスに力を入れてみてもいいかもしれない。そう思えてナマエは今後について前向きに考える。
こはラブはより大きな声を出しライブを楽しんでいた。その手に握られたうちわには【こはく今日も天使】と書かれている。
せっかく準備をしたし、約束もしていた。ナマエはうちわを取り出すと慣れない手つきで胸の位置で持った。
ステージの中央で天城燐音は楽しそうに歌う。その姿は心の底からアイドルが好きだと感じさせるのもで、汗までもキラキラと輝いて笑顔が眩しい。
「天城さん、やっぱりアイドルだ…」
ナマエは燐音と目があった気がした。これだけ客の入りがあれば気のせいもある。ステージ上では変わらずのパフォーマンスだ。けれど、ほんの一瞬だけ目を見開いたのが分かった。
ライブに来ている事に燐音が気付いたなら、この前は断ったくせにと思うかもしれない。その時は謝罪しようとそう思った。
今までの気のせいは確信になる。先程は燐音と目が合っていたのだ。現に今も目が合っている。燐音の視線は少し下がり、ナマエの胸の位置で握られたうちわを見たのが分かった。
その視線の流れを理解し複雑な心境でいる。
急に会場がざわつきだした。観客のほとんどがステージに注目しており、その視線の先はステージ上の天城燐音だ。彼は左手で顔を覆い、肩を揺らし笑っている。
心配したメンバーのHiMERU が近寄ると燐音はマイクを握り直し、叫んだ。
「ほんと今日は最高なライブだなァ!オメェらも楽しめよ!」
目を逸らす事もなく、ナマエはまるで自分言われているかのように錯覚してしまう。けれど、この会場の全てのファンに向けての言葉だという事を分かっている。
「燐音こっち見てた気がするんですけど…」
そう言うと、こはラブの視線はナマエの顔からうちわに移動する。先ほどの天城燐音と同じように彼女も肩を揺らす。
「やば、めっちゃうける。燐音ってこーゆーの好きだと思います」
こはラブはうちわを指差している。何と書こうか散々悩んだうちわ。胸の位置で大人しく主張するコレに燐音があんなに笑ったのかナマエには分からなかった。
「そんなに笑う?」
こはラブにも笑われた事で恥ずかしくなり、うちわはトートバッグに収納される。
【腹から声出して】はざわつく会場から静かに姿を消した。
ライブにうちわを持参するのはこれっきりにしよう。ナマエが密かに決意したそんな一日だった。