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 トラップへの応用と五線仆に本部と通信できる機能を付けてもらうのに二時間ほどかけてから換装を解き、自分の隊の作戦室で仮眠してるらしい慶を迎えに行くために一人で技術開発室を出たのが運の尽き。見事に迷った俺は見知った人が通らないかなあと浅はかな希望を抱きながらボーダー本部の廊下を歩いていた。因みに二時間みっちりと行った解析は自分自身とても実りのあったものだと思っている。あと、五線仆を起動した際、本部と通信できるように設定も直してもらったのは嬉しかった。
まず、糸の合成について、いつも合成するときはあまり考えず二つのものを合成すれば良いとしか考えていなかったが、エンジニアさんと鬼怒田さんの助言もあってより詳細に合成するという知恵を身に付けることができた。秘密にしている糸では試せなかったけれど、多分色々上手くいくと感じているから"硬質化の糸"にも幅が広がると考えられる。
あとは、冬島さんという人の存在を知れたこと。その人はボーダー内でも珍しい特殊工作兵(トラッパー)らしく、今度その冬島さんも加えて実験する機会があるからその日の都合がよければ顔を出してくれと言われている。正直特殊工作兵の存在も知らなかったボーダーに関して無知な俺が何かの役にたてるとも思えないけれど、それでもアキちゃんのブラックトリガーである五線仆が関わるのなら微力でも助けになれたら嬉しいので、足を運んでみるつもりだ。約二年間一人でこのトリガーを調べているときよりも広い視野で物事を捉えることが出来てるのはとても素晴らしい、うん。

「てか…………こんなにボーダー本部広いの?」

今日の解析内容を思い出しながら地図的なものを求めて取り敢えず一階まで来てみたつもりだけれど、何故か食堂のようなところに辿り着いてしまって思わず首をかしげる。なんか全然見たことない人ばっかりだしC級の隊服が多く目について知り合いのいるA級は全然いないし。そもそも俺ってボーダーの知り合いと呼べる人が迅と慶とレイジさんと嵐山隊、あとは上層部の人達とエンジニアさん何人かくらい…………ってことは、ここにいる人達に俺から話しかけることができるのも、誰かから話しかけられるのも確率的に低いってこと。迅とレイジさんは本部にいない方が多いらしいし、食堂なんかに上層部の人達は来ないだろうし、嵐山隊は今日も広報活動って昨日の防衛任務で言ってた気がするし。
だからといってまたここから移動したら取り返しのつかないところに行ってしまいそうなので勇気を振り絞って誰かに声をかけるしか選択肢は無い。
取り敢えず、このどうしようもない状況を打破するために、俺は緊張する心を落ち着かせて何時ものように目を伏せる。
何時ものように目を伏せると余計な情報シャットダウン出来るようになって、目をつぶらないから周りからも変には見られない、だから邪魔な視線も生まれない。

『あの子、泣きぼくろある』『この前迅さんと話してた奴かな?』

一応二つの視線を読み取ったものの、邪魔な内容ではないにしろとても話しかけようと思えるような内容じゃなかったので改めてまた目を伏せる。

『あれは、名字名前か?』『見たことないから、新入りかな』『C級か』


「、!」


始めに読み取った視線の内容に俺は勢い良く顔を上げ、その視線の主を探すようにキョロキョロと周りを見回す。すると一人、白いC級の隊服の中に黒い隊服を着た男の人が居たので、一か八かその人をじっと見つめてから覚悟を決めてその相手に近寄る。たしかこの人、入隊式のときに狙撃手組についていた気がする。
するとその人の視線が多分『推察』から『確信』に変わったのを読んで、俺の博打が大当たりしたことを感じ、歩くスピードを少し上げる。

「すみません、少しお時間いいですか?」
「ん、あぁ、どうした?」

自分からコミュニケーションを取りに行くことをあまり得意として無いこともあって背中に変な汗をかきはじめているが、それを悟られないように間を開けることなく本題に入る。

「えっと、太刀川慶のいる隊……の、作戦室はどちらにありますか?」
「…………太刀川隊?」
「はい」

俺よりとても高い身長をお持ちで明らかに歳上の男の人は俺の言葉に少し不思議そうに首をかしげる。俺みたいなやつがA級の作戦室に行くのはおかしいのだろうか。そのなんとも言えない表情を伺いながら胸に付いたエンブレムを確認し、その人から向けられる視線を真っ向から受ける。

「間違ってたら悪いが、君もしかして名字名前か?」
「はい、そうです。あなたは…………」


『大人っぽい』『今日は食堂なんだな、東さん』『あ、狙撃手に居た人』


「東さんですか?」
「あれ、知ってるのか」
「はい」

目を伏せなくてもサイドエフェクトは発動するので、あまり不自然じゃない形で情報を取り入れる。勿論今の一回で名前の情報が読み取れなかったら『すみません、名前を教えて頂けませんか』と続ければ良いだけの話だ。

「まあいいか、太刀川の作戦室だっけ? 案内するよ」
「えっ、そ、そこまでは申し訳無いです」
「いいからいいから、俺も今暇だし」
「…………すみません、ありがとうございます」

本当のことを言えばまた迷子になりそうだったので、願ったり叶ったりである。
俺が頭を下げてお願いすると、東さんは優しい人特有の笑みを浮かべて「ついてきなさい」と言って俺が来た道とは反対の方向に歩き出したので、俺はそれを追うように隣に並び、東さんの身長の高さを改めて確認する。

「君、この前の入隊式でボーダー入ったんだろう?」
「そうです、多分、色々聞いているかと思いますが」
「ああ、まあな」
「ご迷惑お掛けすると思いますが、宜しくお願いします」
「いや迷惑なんて思っていない、そんな畏まることないさ」

俺の言葉にエレベーターの上にいくボタンを押して俺に困ったように笑う東さんはサイドエフェクトで他人の評価を読まなくてもイイ人だと確信できる。他人の評価より自分がどう思うか、なんてよく言うけれど結局世間に影響を与えるのは他人の評価のほうなんだよなー、なんて思ってサイドエフェクトを使ってみたが、やっぱり優しい人だとわかった。
エレベーターのボタンの近くにある小さなディスプレイに白い文字で1と表示されると目の前のエレベーターの扉が開き、東さんは慣れたように乗り込むと『開』のボタンを押しながら俺をエレベーターに迎い入れてくれた。あーほら優しい。

「名字君は、高校生か?」
「はい、高校二年です」
「最近の子は礼儀正しい…………いや、一括りにするとアイツらも礼儀正しいということになるから……名字君が特別礼儀正しいのかな」

音もなくエレベーターの扉が閉じ、いつのまにか押されていた数字の階数に移動し出したのを感じながら俺は隣に並ぶ東さんを見上げて「いえ、そんな」と少し照れながら笑う。
東さんは誰を思い出しているのだろうか。

「東さんは大学生ですか?」
「今年院生一年目だ」

ということは単純計算でいくと今年で二十三歳といったとこか。
てか、ボーダーは若い人ばかりが居ると思っていたのでレイジさんより歳上の方々が居ると少し驚くのはやっぱり俺がボーダーについて無知だからだろう。ん、そうなると、東さんは結構このボーダーに詳しかったりするのかな。

「俺、全然ボーダーについて知識無くて困ってるんです」
「まあ、まだ入隊してから一週間ちょっとくらいしか経ってないしな」

チーン、と音をたてて開いたエレベーターの扉をくぐりながら後から出てくる東さんを見ると、俺が迷子になっていることにも納得したのか、東さんも俺の目を真っ直ぐ射抜いて見つめてくる。

「俺は一応、ボーダー設立当初くらいから居るから」
「え、そうなんですか」
「そうそう、あっ、こっちな」

当初と言うと、三年前からだろうか?

東さんの言葉に対して適当に推測しながら、その東さんの指差す方向に向かって歩みの方向を変える。すると長い廊下の先に誰かが立っているのが見えたと思えば、隣の東さんが「おっ、丁度良いな」と呟いて立ち止まったので俺も一緒に立ち止まった。

「彼処に居る奴の後ろ」
「…………あの人の後ろにある部屋が?」
「そう、太刀川の作戦室だ」
「因みに、アレは誰でしょう?」
「アレは太刀川隊の射手の出水、出水公平だ」

その名前を頭にインプットしながら「そしてまた因みに、東さんのしたの名前を教えて頂けませんか?」と尋ねると、東さんはあぁ、と呟いてから「秋春だ」と言って笑ってくれた。きゅん、とした。

「また困ったことがあったら言ってくれ、出来ることであれば助けられるからさ」
「あ、ありがとうございます」
「おー」

東さんのご厚意に感動して俺が頭を下げると、当人の東さんは何ともなさそうな表情で笑うと俺の頭を撫でて「じゃあな」と来た道を戻って去っていってしまった。
俺は久々に撫でられた頭に触れながら恥ずかしいような嬉しいような気持ちに陥ったのを隠すため素早く出水さんの所へ歩みを進めると黒いロングコートを着た髪色の明るい少年が俺の存在を見つけ、一瞬何も読めない視線を俺に向けてから二度見するように『違和感』の視線を向けてきたので、俺はこれを好機ととって出水さんに話しかける。

「あの、ここは太刀川隊の作戦室で合ってますか?」
「え、あ、はい」

ああ、なるほど、相手が敬語だと自分も敬語になるタイプか。

「じゃあ、この中に慶……太刀川居る?」
「…………隊長ならソファで寝てるけど、知り合い?」
「まあ…………入っていい?」
「……太刀川さんの他に誰もいないし、良いけど…………」

相変わらず俺に『違和感』の視線を浴びさせかけてくる出水さ……くんに、思わず苦笑いしながら作戦室の扉を開ける。多分慶が俺のことを特例を与えられた人間だと知っていたように、太刀川隊の一員である出水くんも何かしら上層部の方から聞いているのだろう。だから何処かで見たことのある顔だ、という『違和感』の視線を向けてきていると推測してみる。
そんなことを考えながら小さく会釈して作戦室に入ると扉のすぐ近くに置いてあるソファに俺の目的の人物が仰向けで寝ていたので、俺は容赦なくその寝ている人物である慶の鳩尾に自分の右足の踵を落とす。

「、ぐへっ!」


すると、さっきまで寝息を立ててた慶が変な声を出して起きたので俺はにやっと口角をあげて慶の鳩尾から踵を上に退ける。

「起きろー、もうお昼だよー」
「ぐっ、うっ! わかっ、ちょ、痛てえなオイ!」

何となく特に理由はないけれど、一度だけでは物足りなかったので何回か同じ位置の鳩尾に向かって踵を落としていると、慶が一瞬でキレて俺の右足の足首を掴んだ。

「うるせえなオイ、こちとら迷子で大変だったんだぞ」
「…………それ俺、悪くなくね?」
「えっ…………」
「え…………?」
「良くわかったな」
「てめ、バッカ!! ふざけんなよ!?」

こっちから吹っ掛けておいて何だけど、あまりに力強いバカを浴びせかけられた俺は理不尽だと分かっていながらも少しイラッとして、おいてけぼりの出水くんをチラリと見てから慶の腹に跨がって乗る。
そしてじっと見つめあってから俺が舌打ちすると、慶も眉をピクリと動かして俺を見る。

「…………オイコラ、誰がバカだ」
「おまえしか居ないだろ」
「どう考えてもおまえの方がバカだ」
「いーや、おまえだ」

まるでガキだ。俺も慶も。

「…………ここは平等な意見として、出水くんの判決を聞こうや」
「おー、いいぞ? オイ出水、俺とコイツどっちがバカか判定しろ!」

俺は慶に馬乗りになりながら、慶は何故か俺の右足の太ももを掴んだまま傍観を決め込んでいた出水くんを巻き込んで判定を迫ると、当人の出水くんは一瞬巻き込まれたことに凄く嫌そうな顔をしてから俺たちに冷ややかな視線を送って口を開いた。


「いや、あんたら二人ともバカだろ」


「えっ…………!?」
「隊長にバカって言うんじゃありません」

まさか初対面だというのにバカのレッテルを貼られてしまうとは思わなかったので内心傷付きながらも、慶と居るときの自分の行動の破天荒さに少し驚く。

「…………っていうか、もう解析終わったのか?」

判決が済んで興味が無くなったからか、慶は出水くんから視線を逸らして俺の下で欠伸をしながら尋ねてくるので俺は色々解析内容で感動したところを力説したい想いに駆られたけれど慶に説明しても何の意味もないと分かっているので諦めて「うん」とだけ答える。

「というかアンタら、その前にその体勢やめてくんね?」
「…………ああ、そうだね」

ジャッジメントを務めてくれた出水君の冷めた一声に俺は改めて我にかえって慶から退き、少し出水くんに近付くと一歩後退りされ、また心が傷付いた気がした。事実、元は自分の行動のせいなんだけど。
初対面で自分の隊長が呼び捨てされて馬乗りにされて変な言い合いされてたら、そりゃドン引きだよなあ。

「あっ…………名前、悪い」
「…………?」

心の傷を少しでも治癒しようとさっきまでの東さんの優しさを思い出そうとしていたのに、慶がいきなり予想外に謝ってきたので現実に引き戻される。

「俺、大事なこと忘れてたんだわ」

その慶から放たれる真剣味に溢れた視線に何年かの付き合いで『これは多分物凄いどうでもいいことだな』と悟った俺は、会話をするのも面倒なのでサイドエフェクトを使って視線を読み取る。


『入学課題提出が今日までなの忘れてた』


「てんめー、全然成長してねえのか? おまえの場合、課題は期日の二日前が期日だと思えって四年位前にも一回言ったよな?」
「お前よくわかったな…………」

俺の言葉に妙に納得した表情で頷く出水くんが視界の端に捉えることが出来て少しホッとしていると、その言葉を向けられた慶が少し目を見開いたので俺は眉を寄せる。

「紀晶も、そうやって俺がなにか言う前に悟ってたな」
「…………俺はエスパーだからな」

俺が呆れて視線を逸らすと慶がソファの上に相変わらず寝転がりながら「エスパー?」と呟いたけれど、こんな、課題を忘れて謝る気もないやつに俺も詳しく説明する気も起きないので会話を進める。

「ってそれより、課題って何だよ」
「…………レポート」
「なんの」
「……………………」
「あーなんか、それすらも分かんないらしいよ。レジュメ? とかいうの失くして」
「あっバカっ、言うな!」

バカ判定を下した相手にバカと言われながらも変わらず腕を組んで首を傾げる出水くんに、俺は自分が作り出せる最高の笑顔で「ありがとう」と情報提供の礼を告げると、出水くんは少し目を見開いてから「ん、」と小さく返事をしてから気まずそうにぷい、とそっぽを向いてしまった。向けられていない視線は読み取れないけれど、この笑顔で失敗したことはないので多分大丈夫かなと思ってる。うん、多分大丈夫だよな。
なんて内心自分に暗示をかけ、ソファに座ったまま出水くんとは違う意味で俺と視線を合わせようとしない慶の顔を片手で掴んで此方を向かせてから出水くんに向けたのと同じ笑顔を作る。

「俺が助けてやるよ、慶」
「…………マジか?」
「バイト先に慶と同じ大学、学部、学年の知り合い居るから聞いてやる」
「、神か!!!」
「オイちょ、パンツ脱げるから!」

ただ聞くだけなのにソファから俺の足元に飛び込んで更にはすがるように俺のボトムを引っ張る慶に抗議しながら鞄の中から携帯を取り出し、馴れた手つきでその相手に電話をかける。
すると煩く俺のボトムを引っ張っていた慶が空気を読んで大人しくなったので、俺はそれを好機ととって自分の足を掴んでいる慶の手を引き剥がす。

『もしもし?』
「、……あ、伊都先輩。今大丈夫ですか?」
『ん? なに?』
「あのですね、急なんですが…………」

チラリと下を見て正座している慶に詳細を促すと、こういうときだけ察しの良い慶は「法学のやつ」とだけ呟いた。

「入学課題? の法学のやつって分かります?」
『法…………ん? 大学の話かな?』
「はい、それの課題内容を知りたかったのですが」
『……あはは、また誰かのためかい? 相変わらず可愛いね名前は』
「そ、そこは優しいとかにして欲しいなって前から…………あ、知ってます?」
『うん、今から写真範囲のレジュメの送るよ。俺も昨日丁度終わったから、捨ててなくてよかったよ』
「いやいや、ホント助かります」

そう言ってバイト先の先輩である伊都先輩は電話の向こう側でガサガサと音をたててから『またバイトでね』とだけ言うと、一方的に切ってしまった。

「えっあの…………、やべ、お礼言ってない」
「で、どうだった?」

いつのまにか近くに寄ってきてくれていたらしい出水くんが俺の携帯を覗き込んでから俺の顔を覗き込んでまた首を傾げるので結果を答えようと口を開いた瞬間、俺の持つ携帯から初期設定のままの機械的なメール受信音が鳴った。
するとそれに伴って出水くんが更に近くに寄って携帯を覗き込んできたので見易いように出水くんの方へ画面を傾けてメール画面を開くと、チラリと出水くんが俺を見てからその表示された画面を注視し、驚いたように「おおっ、」と声を上げた。

「スゲー、これ課題内容じゃん!」
「、っマジか!」
「うわっ、」

出水くんの感嘆の声にさっきから『期待』の視線を下からバシバシと向けてきていた慶も立ち上がって出水くんとは反対側から携帯を覗き込み、メールに添付された画像が法学Tのレジュメだと分かるといきなりガシッと自分の手で俺の両手を携帯ごと包んで誰も得しない至近距離で俺を見つめて口を開いた。

「俺、今ならお前と結婚してもいい」
「俺は嫌だ」

慶の手を振り払いながら慶の台詞に即答すると、俺の背後で「ぶふぉっ!」と出水くんが吹いたのが聞こえた。

「じゃあこの感動をどう伝えればいいんだよ!」
「いや、それはいいから早く課題に取り掛かれよ」
「お、おう…………それもそうだな」

俺の言葉に現実を直視したのか、慶はポケットに財布が入っていることだけを確認するとなんの躊躇いもなく俺の手を引いて「じゃあな出水」と呟いてそそくさと作戦室を出ようとしだした。

「ちょ、まて! 何で俺が手伝うみたいな空気なんだよ!」
「そりゃあ、お前が俺の嫁だからだろ」
「ふざけんな! 何で俺の方が嫁なんだ!」
「そこじゃないだろ…………」

俺の背後で何故か巻き込まれなかったらしい出水くんが溜め息混じりに呟いたのを聞いて、俺は諦めずに引っ張る慶に対抗する。

「っ、出水くんも一緒なら手伝ってやってもいい」
「はあ!?」
「よし、出水も来る、決まり」
「はあ!?!?」

そして不幸なことに俺の道ずれにするかのような一言で本当に道ずれにされてしまった出水くんは友達と約束していたらしい個人ランク戦をドタキャンして、しょうもない隊長の尻拭いを手伝わされることとなった。すまんな。




                 ◆◇




 一石二鳥だろ、という慶の一声と、勇と塁の中学生二人組が部活から帰ってくるまでに課題を終わらせるという名目で何故か孤児院の俺の部屋で課題をすることになった。呼ばれていた慶の他に勿論出水くんももれなく付いてきて、俺の部屋に辿り着くまで孤児院内はお祭り騒ぎだった。土曜日ということもあって小学校も幼稚園も休みなので慶を呼べと言った中学生当人だけが部活で居ないという状況だったが、久しぶりの来訪者で元々元気な子供たちの元気により一層火がついてしまったらしく、自室に案内するだけなのに多分三十分は子供たちに捕まっていたに違いない。

「いやー、ゴメンね出水くん、大丈夫?」

俺の自室に逃げ込んでから落ち着きを取り戻してこの活気に慣れていないであろう出水くんに尋ねると、出水くんは少し息を吐きながらも「平気」と言って普通の顔をしていたので多分元々子供がそんなに苦手じゃないのかなと勝手に想像して一番人気で一番被害を被った慶はシカトする。お客様ということで出水くんにだけ座布団を渡してから壁に立て掛けていた大きめの折り畳み式の机を広げ、使うであろうノートパソコンを俺の勉強机からソコに移動してやると、疲れ果てている慶が「さんきゅ」と虚ろな目で言ってきたので思わず「あ、うん」と普通に返してしまう。

「取り敢えずもう一台ノートパソコン持ってくるから、ワードやら何やら用意しとけよ」
「おー…………」
「出水くんは、付いてきて手伝ってくれない?」
「うぃー」

俺の言葉に慶はパソコンを立ち上げ、出水くんは慶に巻き込まれたことを忘れているのか呑気に俺の後ろについて部屋を出た。
それにしても改めて出水くんを見ると、さっきどさくさ紛れに幼稚園の女の子の一人が出水くんをお婿さんにしたいと言っていたのも分かるような分からないような、イケメンのようなイケメンじゃないような…………でも俺は結構好きな顔。真面目に。

「てか、聞いていい?」
「ん?」
「…………何歳?」
「俺? 今年十八だよ」
「、二つ歳上じゃん!」

閉じた自室の扉の前で立ち止まって出水くんから展開された会話に俺は首をかたむける。

「敬語の話なら別に使わなくていいよ、それで慣れちゃったでしょ」
「えっ、マジ?」
「いいよ」
「うっわ、やさしー」
「…………それほんとに思ってる?」

出水くんが結構感心したような視線を向けてくるので俺は照れ隠しで歩みを進め、すぐとなりにある部屋を開ける。
その綺麗に整頓された部屋にあるノートパソコンを充電器ごと引き抜いて後ろからついてきた出水くんにそれを無言で持たせると、出水くんは慌てたように両手を差し出してノートパソコンを抱えた。

「なあ、名字さんってさ、もしかしてC級だけ、んぐっ!」
「やべっ、口止めすんの忘れた」
「、むぐ!」
「え? あー、鼻ね、ゴメンね」

C級だけどブラックトリガー、がなんとかって言いそうになったっぽい出水くんの口を片手で押さえて重要なことに気付いた俺は、取り敢えず早く用事を終わらせようとノートパソコンで両手が塞がっている出水くんの腕をひいて廊下に戻り、用の済んだ部屋の扉を閉じてから隣の自室の扉を開いて出水くんにだけ伝える。

「俺がボーダーになったことは、内緒の方向で」
「えっ…………そうなの?」
「そう、だからこの事慶にも言っといてね」
「ん、…………了解」

俺の言葉に素直に頷いてくれた出水くんを確認し、先に自室に帰らせる。そして俺は自室の扉を閉めてから子供たちの視線を掻い潜ってキッチンに向かい、二人に出す飲料を探しに冷蔵庫を漁るとジンジャーエールがあったので、そのペットボトルとコップを三つ持って同じく子供たちの視線を避けながら二人の居る自室に戻った。





「…………いや、何でだよ」

自室に戻るとパソコンに向かっている二人の姿…………ではなく、ベッドの下を覗いている二人の姿があって、思わずジンジャーエールとコップを持ったまま二人の尻を軽く蹴りあげる。

「いてっ!」
「いたっ!」
「……太刀川隊にはガッカリだ」

そう言いながら床にジンジャーエールのペットボトルを置き、二つのコップを折り畳み式の机の上に置いて残りのひとつを自分の勉強机の上に置きながら、大方エロ本とかいうアナログなものを探していたんだろうと推測する。

「いいから、さっさと課題を終わらせろよ慶」
「いやー、ついな、つい」
「名字さんはデジタル派だっておれは言ったんだぜ?」
「出水くんも言い訳になってないし、結局一緒になって探してんじゃん」

蹴られた尻を擦りながらへらっ、と笑う出水くんに、出水くんの顔が好きな俺は少しほだされそうになるが、そこをぐっと抑えてパソコンを立ち上げるように指示しながら携帯を取り出して慶にメールを送る。

「慶、課題内容の画像送っといたから」
「おお、さんきゅー」
「あっ名字さん、おれとも連絡先交換してよ」
「ん、もちろん」

立ったままの俺に合わせるように出水くんは立ち上がって言ってきてくれたので、俺は初対面の時とは全く違う出水くんの対応に少し驚きながら携帯を操作する。
てか、あれ、迷子になったとき慶に電話すれば一発だったんじゃ……。

「お、来た」
「んー、友達登録しとしてねー」
「オッケー」

出水くんの明るい了承の声を聞きながら気付かなければ良かったことを頭の隅に追いやって、机の前に戻った慶がパソコンのワードと睨めっこしているのを見下ろす。
レジュメに書いてあった内容から察するに参考に出来るのは図書とネットのみだろう。ていうかレポートやるって言い出したくせにそれに関するプリントに触れないあたり、課題について調べてもいなかったんだな思っている。

「慶、これ2000字って書いてるけど、今の時点でどのくらいかけそう?」
「んー…………七文字」
「…………七文字は書けるんだ」

いやに確信した口振りに溜め息を吐きながら折り畳み式の机の前に座ると、立っていた出水くんもつられるように俺の前に座る。

「なあ名字さん、おれは何すればいいわけ?」
「え、何で俺に聞くの」
「いやだって、太刀川さんに聞いても分かんないだろうし」
「…………多分慶のことだからプリントも持ってきてないから、レポート課題に使えそうな資料集めからかな」
「…………」
「帰ったら裏切り者って呼ぶから」
「ちっ…………」

俺の考えた答えを聞いてあからさまに嫌がった表情をした出水くんに、少しだけ嫌がる表情も可愛いなとか思ったけど、大部分は『俺も早く帰ってほしい、特に慶』と思ったので、苦笑いで誤魔化す。
俺は別に孤児院に来てほしいとは思ってないし。
そして、来てほしいと言っていた当人達である中学生二人組が帰ってくるまであと三時間、まだまだ余裕があるように感じるけれど慶が全く構成を建てていないとなると結構ギリギリになる予感もしてくるので、俺は内心危機感を募らせながら出水くんに俺の携帯の画面を見せる。

「『最高判の判例を一つ挙げて、内容の要約と自分の意見を2000字程度で述べよ』っていう結構簡単な内容のレポート課題らしい」
「…………太刀川さん、この判例はもう決めてんの?」
「決めてるわけないだろ」
「ですよねー…………」

出水くんの問いに嫌な意味で即答する慶に溜め息を吐きながら、慶と出水くんのコップにジンジャーエールを注いで渡す。すると出水くんがキョロキョロ辺りを見回してなにかを発見したかと思うと無言で立ち上がり、俺の勉強机に置いたまま使ってなかったコップを掴むとソレにジンジャーエールを注いで渡してくれた。二つしか違わないのに孤児院の中学生二人より可愛らしく笑う出水くんに、きゅんとしたのは致し方あるまい。

「おいそこの二人、いいから手動かしてくれ」
「…………お前なあ」
「太刀川さん、アンタ人にどうこう言える立場?」
「じゃああれだ、隊長命令だ」
「俺太刀川隊じゃないんだけど…………」
「…………おまえには亭主命令だ!」
「誰が嫁だ!!!!」
「ちょ、二人とも……夫婦漫才やめてくれません?」
「誰が夫婦だ!!!」

わざとらしくボケてくる二人にいちいち大袈裟な突っ込みを入れながら、隣の部屋から持ってきたノートパソコンでネットを開く。
さっきから慶がカタカタと何かをパソコンでしているのを、勝手に判例を探していると決め込み、俺は最高判の判例を要約した例がないか探してみる。

「…………出水くんも一緒に探そう、パソコン二つしかないから」
「あぁ、うん」

俺がそう提案すると、出水くんは何の躊躇いもなく俺のとなりに移動して来たのでまた少しきゅんとした。歳上ばっかりにきゅん、とするものだと思ってだけど、そうでもないのな、俺って。それとも出水くんが特別かわいいからか。顔が。

「慶、判例決まった?」
「おう、夫婦離婚にした」
「…………オッケー」

慶の言葉に適当に返事をしてから、検索欄に『離婚』を足して探してみる。

「はあ…………じゃあ、探しますか」
「おー」
「頼んだ」
「「アンタも探せよ」」





















「あと何文字?」
「…………100、自分の考えのとこ」
「もう少しじゃん、太刀川さん」
「おー」

俺と出水くんの探しだした例をもとにしてレポートを打ち込む慶を見続けて早三時間、同じ一つのディスプレイを見続けた俺と出水くんは結構なレベルまで仲良くなったと思う。
誕生日もお互い知ったし、好きな人のタイプの話や、今日個人ランク戦をするはずだったボーダーの仲のイイ友達の話も聞いた。今度俺が何かを奢る約束まで取り付けられたけど、それもまた正直嬉しい。

「そういえば出水くん、慶に言った?」
「なに?」
「秘密にして、ってこと…………」
「あぁ言った言った」
「そっか」

俺の反応に慶がちらりとパソコン越しに俺を見たが、その『聞きたいことがある』という視線に気が付かないふりをして携帯で伊都先輩の連絡先を開いてお礼のメールを送る。
俺はアキちゃんの代わりにアキちゃんのように生きると決めたけれど、ボーダーのことを言うか言わないかだけは違っていた。
アキちゃんは正直者で嘘をつくのも下手くそだし、嘘をついている自分を許せないようなタチだから俺達にボーダーのことを明かしたのだと思うけれど、俺は元々狡猾で嘘もつくので心配をかけまいとボーダーのことを黙る選択肢を選んだ。それにアキちゃんという前例もあったから、きっと子供たちは俺がボーダーに入ることに反対するだろうなと予想したことも要因として存在する。

「てかさ、太刀川さんと名字さんってどういう関係?」

そんなことを考えていると、マウスを使って目の前のノートパソコンの画面をスクロールして遊んでいた出水くんが、机にうつ伏せになりながら顔だけ俺の方へ向けて尋ねてきた。確かに、自分の隊長が年下の人間に名前呼びされたり汚い口調で話しかけられていたら気になるかもしれないな。

「…………俺の友達の弟みたいなもんだ」
「へえー、何時からの付き合いなんすか?」
「俺が中学初めの頃だから……まあ、そんくらいだな」

俺達の会話を聞いていたらしい慶が俺の代わりに答え、パソコンのディスプレイから俺達に視線を向ける。

「コイツ、昔から俺だけに態度も口も悪いんだよ」
「まあ確かに良くはないですね」

俺の注いだジンジャーエールに初めて口をつける慶の言葉に出水くんはポツリと呟くように肯定してから体を起こし、改めて俺を見つめると「何で?」と首を傾げた。

「んー、何でって言われ」



バァン!!!




出水くんの答えにくい質問に答えようとしたその瞬間、俺の言葉を遮るかのように大きく鳴り響いた音に思わず三人全員が肩を跳ねさせる。

「えっ、」
「っビビるわ…………」
「…………勇?」

嫌な予感がしたのでバッと勢いよくその音の方向に顔を向けると、砂だらけのユニフォームを来た勇がノックもなしにダイナミックに扉を開けたらしかった。そして三つの視線の先にいる勇は壁に当たって戻ってきた扉も、慶と出水くんと俺の視線も色々無視してズカズカと部屋に入って来たかと思うと、なにも言わず座る俺の目の前に立つとじっ、と俺を見下ろし、いきなりガバッと抱きついてきた。
うおっ、と言葉を放ち、いきなりの衝撃に後ろに倒れそうになりながらも後ろに手をついて口を開く。

「ゆ、勇…………どした?」

俺の肩口に顔を埋める勇に焦りながら尋ねるが勇はぐりぐりと頭を擦り付けるだけで何も言わない。
何も言わないなら仕方無いなあと勇の性格を知っているからこそ思い、取り敢えず俺から剥がそうと勇の肩に手を乗せた瞬間、廊下の方からドタドタと騒がしい音がどんどんと近づいてくるのが聞こえ、俺以外の慶と出水くんが俺に抱きついている勇からそちらの音の方へと視線を向ける。
すると、ぐいっと胸ぐらを下に引っ張られ、頬にふにっとした感触を感じた。

「あー! 勇に負けた!」
「うっせえんだよ塁」
「んだとこらー!」

俺の胸ぐらから手を離した勇に俺は思わず自分の頬に触れながら、ひきつりそうになる口角を上げて同じように砂だらけのユニフォームを着た塁を見る。

「お前ら…………何してるの?」
「ん? 私たち今日、二人とも練習試合勝ったから名前にいにチューして貰おうってことになったんだけど! 勇が先にされたいから私は後に来いって!」
「「チュー…………?」」

塁の言葉に含まれていた単語に目敏く気付いた慶と出水くんは、訝しげな視線を俺に向けてくる。

「ちょ、誤か」
「でも部屋来たら慶ともう一人居たから、されてない」
「なんだまだセーフじゃん!」

言葉を遮られ誤解も解けないまま「いや色々アウトだよ」と思いながら口を開こうとすると、俺に抱きついたままの勇が小さく「俺からはしたけど」と誰にも聞こえないような声量で呟いたのを聞いて思わず口を閉じる。

「ってあれ? 慶だ!」
「…………お前、相変わらずだな」

扉近くで立ったままの塁に慶は呆れたように呟くと、何かを察知したのか少し逃げるように体を反らした。

「何で逃げんのさ!」
「うおっ」

けれど、それを逆に塁に察知された慶は、勇と同じようにダイブしてきた塁によって押し潰された。

「ねえねえ、今から野球しよ!」
「はあ? このクソ寒い時期に……ってか俺まだ課題終わってないから」
「いーじゃんそんなの! まだ時間あるでしょ!?」
「いやまあそうだけど…………」

遠慮を知らない塁に口説き落とされようとしている慶の声を聞きながら俺は勇を引き剥がし、自分の服が汚れたのを確認してからいつのまにか俺のベッドの上に避難していた出水くんに顔を向ける。

「出水くんごめんね、色々驚いたかもしれないけど…………この男の方が勇で、あっちの女の方が塁」
「お、おう…………」
「どっちも慶に会いたがっててさ」
「へ、へえ…………」

これはヤバイ、完全においてけぼりにしてしまっている。

「勇、もう一人は出水くん」
「出水? それ名前? 名字?」
「名字、名前は公平くん」
「じゃあ、出水先輩か」
「そうそう」

俺の言葉に出水くんが「おれの名前知ってたのかよ」と呟いたのを聞きながら、勇が出水くんに近付いていくのを見守る。
変なことするなよ、てか、その汚れたユニフォームのままベッドに上がるなよ!

「出水先輩、一緒に野球しませんか?」
「、野球? 良いけど、今からやんの?」
「そう」
「わ、わかった」
「ありがとうございます」


「いやいやだから、課題終わるまで待ちなさいって、ね?」
「無理ー! てか、やだー!」
「やだって…………じゃあ、もう、…………少しだけだかんな!」
「おおっ、イエーイ!」

俺の部屋の中で二人の歳上が年下に言いくるめられるのを見届けてから、俺は慶が途中まで打ち込んだモノのコピーをとって俺のところにも保存して、いつのまにか刺さっている慶のUSBにも保存する。慶のことだから何かやらかしそうで怖い、バックアップを他のところに取っておかないと俺が不安になる。
五月蝿い慶コンビと、静かな出水くんコンビの声を聞きながら三つのコップとジンジャーエールを持って扉から出ると、後ろから騒がしく塁の声が聞こえたので、多分今から近くにある公園にでも移動するんだろうなと予想する。

「名前にい、先行ってるよー!」
「おー!」

キッチンに寄ってジンジャーエールを冷蔵庫に戻してコップを流し台に置いていると、バタバタと誰かが走っている音と玄関から塁の叫び声が聞こえたのでそれに短く反応し、きっと孤児院の入り口で遊んでいる子供たちも合流して全員で公園に行くことになるんだろうなと思いながらコップをシンクの中に置く。
そして、シンクの縁に手をかけながらコップのなかに残ったジンジャーエールを見つめ、俺は公園で起こる騒がしい未来を想像して思わず小さく言葉を溢した。



「アキちゃんも、この場に居たかっただろうなあ」


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