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 初めての防衛任務から一週間後の今日、一度アキちゃんのブラックトリガーを解析したときに知り合ったエンジニアの佐藤さんから業務連絡があった。土曜日の午前九時から二度目の解析があるらしいので足を運んでくれとの用件だったので、俺はそこで慶のことを提案し、了承を貰ってから電話を切った。
その電話を学校内で受けた俺はあの厄介なクラスメートの視線を掻い潜り、先週交換してから一度も使っていない慶の連絡先にその旨を書いたメールを嫌々送る。直ぐに『わかった、寝坊したら悪い』と簡潔な返事が返ってきて少し驚いたけれど、最後の一文でホッとしたのは内緒だ。ほら、あの怠惰の申し子である慶が直ぐに連絡を返してくるなんて予想できなかったからさ。

「はああああああ…………」

明日のことだけではなくボーダー内での立場や人生においての役割を考えると無意識に深い溜め息が口から零れてしまう。それが例え同じ建物に住む子供たちの目の前でも変わらずこぼしてしまうのは、多分アキちゃんとは違って俺は子供たちと同等な存在だからだろう。

「名前にい、勉強中に溜め息すんなよな」
「ほんと、空気読んで!」
「……口より手動かせ中学生組」

特にこの二人の中学生組は思春期であり反抗期でもあるため、やたらと俺に当たりが強い。
この二人の他には幼稚園児が二人、小学三年生が三人の俺含めて合計八人が孤児院に住んでいて、今は全員共同で使う広間のような場所で中学生二人に勉強を教えているわけだけれど、間に挟まれてる俺は二人に顔を覗き込まれながら悪態を吐かれていた。

「なあ、慶って覚えてる?」
「…………あぁ、慶? アキちゃんの友達?」
「慶ね、覚えてるよ!」
「だよなー………」

最後に慶がここに訪れたのは俺が中学生二年か三年の時で、この二人が小学校高学年くらいだから覚えているのは当然ではある。

「なになに、慶来んの!?」
「いや、この前会っただけ」
「名前にい同い年じゃないのに?」
「うん」
「てか、連れてきなよ!」
「えー」

俺の肩を両方から掴んでくる二人に対してまた悩み事が増えたと溜め息を吐きながら、両サイドから読み取れる『期待』と『願望』の視線に気づかないフリをして勉強を促そうとする。だが、しつこい二人は俺の顔を覗き込んだまま頑なに勉強に取り掛かろうとしない。そんなつもりで慶の名前を出したわけじゃないし、寧ろ俺は慶をそんなに好いているわけでもないからこの孤児院に自ら誘うなんて所業したくもないわけなんだけど。それでも、話し始めたのは俺だ。好意的な関係を築いていなかったのは俺だけだったので他の子供たちやこの二人は会いたいと思うのも理解出来るからなあ。

「…………一応誘ってみるよ」
「いえーい!」
「また野球一緒にやってくれるかな」
「あっ私もやりたい!」
「この季節に野球…………?」
「いいじゃん、おれも部活でやってるし」
「私もソフトやってるし!」
「あーわかった、わかったから勉強しなさい」
「「はいはい」」

俺が適当に二人の提案を受け入れると俺の顔を覗き込んでいた二人は渋々シャーペンを手に持ち直して俺の作った簡易的な小テストに向かい合った。野球か、二人ともそれぞれ中学の野球部とソフトボール部に入部しているから何となくその構図は想像出来るけど、慶が野球…………なんか違和感だな。ああそういえば、迅も孤児院に来たいとかなんか言ってた気がするけど…………今は誘う理由も今は特にないし、あったとしてもこの孤児院に誘えるほど俺に勇気も無いから多分何時まで経っても来れないと思う。いや、誘えば来てくれるんだろうけど。
なんというか、俺と迅はボーダー関連のことを通してしか殆ど一緒に居ないから友達として仲がいいとか友情を育んでいるって感覚じゃない気がする。迅がどう思ってるのかは知らないけれど、多分同じようなもんだろ。それに迅は俺が近いうちに死ぬと分かっているわけだから、そういう友人対象にはあまりしたくないのかも。
すると俺から見て右隣に座るソフトボール部に属している塁が解き終わったらしい小テストを目の前の机の上にひらり、と置いてきたので、俺は慣れた手つきで赤ペンを使って採点をする。

「…………おお、満点」
「おっ、いえーい!」

元々飲み込みの早い塁に感心しながら小テストの左上に花丸を書いて返せば「子供っぽい!」と言いながらも笑って俺を見つめ、ん、と頬を突き出してくるので俺もなんのためらいもなく其処に軽いキスを落とす。

「よっし、明日のテストも楽勝だなこりゃ!」
「気抜くなよー」
「はいはーい、おやすみー!」

このテストが終わったら寝てもいいと言ってあったので塁は解放されたような表情をしてからソフトボール部で鍛えられた声量でそう言うと広場を後にした。
因みに今のは所謂良くできましたのちゅー、というやつで、海外の家族ドラマの影響を受けたカズエさんから始まってアキちゃんに伝承され、ソレをまた今の最年長である俺が引き継いでここに至る。勿論これが一般の前でやるべきではないことだとは教えているが、カズエさんが言うには『普通の家庭の子と同じくらいの愛を』という意味を込めて、どうしても一般の家庭より欠けてしまう部分をコレで補っているらしい。
まあ、ちょっと波紋を呼ぶときがあるし、ほとんど俺とカズエさんしか求められないけど。

「名前にい、俺も出来た」
「はいはい」

俺の目の前に新たに置かれた小テストを赤ペンでシャッシャッ、と採点して塁と同じように小テストの左上に満点の花丸を書いてやると、俺の左隣に座る勇は無表情で特に何を言うでもなく無言で頬を出してきたので、俺も流れ作業のように其処へ触れるだけのキスを落とす。

「じゃ、おやすみ」
「うんおやすみ、あっ、塁が筆記用具忘れてるから持って行って」
「………ん」

机の上に転がっていたシャーペンを椅子から立ち上がった勇に手渡すと、勇は文句を言いたそうにしながらもキチンと受け取ってからもう一度「おやすみ」と呟いてから広場を後にした。

「まだ勇の方が可愛いげがあるよな……」

女の反抗期や思春期が怖いイメージがあってそう感じるのかも知れないけれど、実際言葉も塁の方が当たり強い気がするし。
まあそれでも家族だし、アキちゃんの大切な人達だし、俺が守るべき人達だからそんなところも許せる。

「…………はああああああ」

二人が居なくなって静けさが増した広場に一人でいるとまた明日のことが思い起こされて思わずまた大きな溜め息が口から零れた。
初日の解析の時に交わした会話で一度目と二度目の解析の間に五線仆の最後の糸が迅にバレると言っていたということはつまり、二度目の解析にも迅は足を運んでいるという意味になるのか?
まあ、その未来に元々慶が居たのかは定かではないけれど、その事もきっと明日になればわかることだな。




                  ◇◆



「よー、先週ぶりか」
「お、おお…………なにその首にあるアザ」

次の週の朝、前とは違って私服を着て指定された時間通りに技術開発室の扉を開けると、エンジニアさんたちよりも慶の姿が目に入ってげんなりすると同時に、慶が俺よりも早く到着していたという事実と見慣れない青紫色のアザに驚いて思わず扉を開けたまま立ち止まる。

「いやあ、久々に行ったらコーチとかに絞られてさ」
「ああ…………道場か」

そこの突きは外れると痛いだろうな、なんて経験者でもないから適当に思いながら相槌をうつと、慶はそこを擦りながら「まあいいんだけど」と俺達がこれから入るであろう白い部屋をガラス越しに見つめながら呟くので適当に返してよかったらしかった。
特に持ってきたのもはないが一応背負っていたリュックを前回と同じ場所に下ろしてから周りを見回すと、佐藤さんと見たことのある何人かのエンジニアさんが確認できるだけで鬼怒田さんの姿が見えなかった。けれど、ここでソレを慶に尋ねてもどうせ「俺が分かると思うか?」とか「知らん」とか言われるに決まってるので、近くのエンジニアさんを捕まえて鬼怒田さんの所在を聞く。

「あぁ、多分まだ会議ですけど、予定通りであればもうすぐ来ると思います」

予定通りであれば、という言葉に少し引っ掛かりを覚えながらも許可を貰って近場の椅子に座る。するとその近くの椅子に慶も腰を下ろしてきたので俺は皆のために苦手を克服しようと口を開く。
まあ、頼まれてはいないんだけど。

「慶って進学?」
「ん? まー、そうだな」
「あのボーダー提携校っていう?」
「おう」
「うわー、絶対単位とか落とすだろ」
「おいおい、滅多なこと言うんじゃないよ」

あり得そうなんだから、と続ける慶に俺は思わず呆れて視線を逸らす。アキちゃんにいつも宿題やら課題やら見せてもらっていたけれど、きっと今も相手が変わっただけで色んな人に助けられてるんだろうな、コイツ。

「まあでも、何やかんや言って慶には誰かがいるから大丈夫だろ」
「的を得たこと言うな」
「そこは意地でも実力って言えよ」
「……実力だ!」
「おせえよ?」

まるで無かったことにするかのように振る舞いだした歳上の男に鋭い突っ込みを入れながら溜め息を吐きたくなるのを抑えていると、背後で扉が開いた音がしたので反射的に振り向く。すると、そこはかとなく苛立っていらっしゃる鬼怒田さんが一歩部屋に足を踏み入れ俺を見つけるとズンズンと近付いてきて、何故かなんの脈略もなく俺の頭をバシッと勢いよく叩いてきた。

「、いた!?」
「痛そうな音したな」

隣で腕をくんで俺を見つめる慶の言葉に人生の中で二度目の鬼怒田さんの拳骨を受けた俺は「実際痛てえから…………」と小さく答えてから鬼怒田さんを見ると、鬼怒田さんは俺に『怒り』の視線を向けて来たので俺は一瞬目を伏せ視線に意識をする。

『何で迅はこうも問題をいくつも運んでくるんだ!』




「や、八つ当たりじゃないですか……」
「なんだと?」
「何でもないです!」

ボーダー内にいる数少ない知り合いへの怒りを無関係に受けた驚きで思わず口に出してしまうが、鬼怒田さんもあまり聞こえてなかったのか鼻をふん、と勢いよく鳴らすと佐藤さんの元へと去っていった。

「なんだ今の?」
「迅が何かして、俺がその怒りの八つ当たりされた」
「よく働くよなあいつも」
「働くってか……なんだろな、」
「まあ、闘ってて楽しいから何だっていいけどな」
「ん、なんか慶変わったよな」
「…………そうか?」
「どうでもいいけど」
「またまた、気になるくせに」

慶はそう言うと俺が中学の頃の時にちょっかいを出してきたようにツンツン、と俺の頬を人差し指で突っついてきた。

「うざっ、触んなボケ」
「……………ホント俺に対して口悪ぃな、お前」

その深爪なんじゃないかと疑うレベルまで削られた慶の爪を一瞬視界に捉えてから手を振り払えば、何故か楽しげに慶が俺を見つめるのでその『懐かしさ』を感じる視線の意味を嫌でも悟る。

「おい、いつまでやってるつもりだ! さっさと此方に来い!」

一応エンジニア側が準備を整えるのを待っていたつもりだったけれど、いつの間にか準備が終わり、俺達の会話の成り行きを見ていて下さったらしく、しびれを切らした鬼怒田さんが遠くの方でプンプンと怒ったように地団駄を踏んでいる。俺は慌てて椅子から立ち上がるが隣の慶は「よっこらせ」と若者らしくない言葉と共に腰をあげた。そんなジジイ化が進行しているらしい慶を引き連れて鬼怒田さんの元に近付くと、鬼怒田さんの近くで見たことのあるコンピューターらしきものを弄っている佐藤さんが俺に笑いかけて口を開いた。

「今日の解析は、主に五線仆のトラップへの応用、それから太刀川さんとのバトル……でよろしいですか?」
「トラップ?」
「はい」

俺の言葉に佐藤さんは反応すると、目の前にあるコンピューターらしきものに何かを打ち込んでからディスプレイを俺と慶の方へ向けて説明を続ける。

「先回行った解析では主に糸の性能や強度を測らせていただきましたので、今回はその応用編とでも言いますか……」
「つまり、本部で作っているトラップがあるのは知ってると思うが、お前の持つ五線仆の性能を把握した今それを本部でも利用してやろうという話だ」
「はあ、なるほど」

ボーダーに関して無知な俺が、近界民に対してとトラップを仕掛けていることを知っている筈もないが、アキちゃんのトリガーが誰かの何かのために役立つのは願ったり叶ったりなので異論はない。けれど、本部が完全に五線仆の性能を把握しているかと問われれば、それには首を横に振らざるを得ないわけなんだけど。

「それよか、早くやろうぜ」

今までの話を聞いていたのかいないのか分からないような発言を臆することなく俺達に向ける慶は、なんだかどこまでも戦闘狂染みていて、慶がその自分の変化をどうとっているのか知らないが俺には少し面白く思えた。

「では、戦闘においての応用から始めますか」
「はい」
「因みにですが、名字さんがダウンしても問題ないようにしておきますので存分に楽しんでください」

慶のうずうずしている雰囲気を悟ったらしい佐藤さんのその柔和な笑みに、鬼怒田さんから発せられる威圧的な空気を緩和させられたので俺も笑って「はい」と返事を返す。
そして、慶は誰に言われるでもなく勝手にその訓練室のような白い部屋の扉をタッチして開け、俺の方を振り返ってそれはそれは楽しそうに笑い言葉を呟いた。

「バトろうぜ、名前と紀晶」
「…………お前だけだろうな、そう呼ぶのは」

振り返って『興奮』をビシビシと感じる視線を送ってくる慶に、俺も呼び起こされるように心臓がばくばくと高鳴るのを感じる。それがどういう意味を成しているのか俺本人にも分からないけれど、どこか心地よく感じられるから多分嫌ではないのかもしれない。理性が戦うなと言っているのも分かるけど、本能がコイツと戦いたがってるのも分かる、みたいな不思議な感覚。そんな未知の感覚を身体に覚えながら、俺は慶の後ろにつくように部屋へと足を踏み入れた。

「俺、紀晶…………五線仆の能力何も知らねえから」
「へえ? 意図的だろ、どうせ」
「その方が絶対楽しいだろ」
「はいはい」


「トリガー起動」
「五線仆、起動」

鬼怒田さんの許可なく俺達はそれぞれ勝手にトリガーを起動させる。
落ち着け俺、いくらドキドキしても、これが解析目的だということを忘れてはいけない。

「鬼怒田さん、何すればいいですか?」
『…………ふん、今から戦う気満々のくせによく言う』
「慶の奴と一緒にしないでほしいですね」

鬼怒田さんの言葉に聞き捨てならないニュアンスが含まれていたように感じたのでソレを訂正するように苦笑いすると、隣で換装して黒いロングコート姿になった慶が弧月の柄の先に手を置きながら「俺今、バカにされたのか?」とか首を傾げてきたので、俺は「気のせいだろ」と適当に返す。

『取り敢えず五本勝負ということで、よろしいでしょうか?』

俺と慶の会話が終わったタイミングを見計らったように提案をしてくる佐藤さんの声に目の前の慶が承諾するのを聞きながら、俺は黒い襟で口元を隠してグローブを纏った手を握りしめる。
正直、慶と戦うことはあまり了承するべきことではなかったと理解はしている。けれど、慶には多分それなりの考えがあるんだと思うし、解析にも役立つことだから今更嫌だからといって避けられることではない。それに加えて、この気に食わない慶をぶちのめしたいと思っているっぽいのもさっき感じた胸の高なりから推測できるわけで。どう足掻いても、俺はここで戦わなければいけない。

『では、始めますね』

佐藤さんが慶の答えにそう反応すると、次に『模擬戦闘、開始』と声が部屋全体に響き渡り
その声が途切れた瞬間、




目の前の慶が一本の弧月を振り抜いて俺に勢いよく突っ込んできた。

「っ!!」
「、はは!」

その素早い動きを視界の端に捉える事が出来たのが幸いか、俺はその弧月の振りぬきを後ろに反って避けることができたが早くも追撃するように構える慶が見え、思わず舌打ちをかます。変態だ!
必死に避け、バク転するのと同時に指をくいっと動かし、突っ込んできた慶の首に『シャンアール』を括り付ける。バク転で距離をとる勢いでその『シャンアール』を引くと、目の前で慶の首が綺麗に『シャンアール』によって切り落とされた。

ぼとり、
と嫌にリアルな音をたてて慶の頭が床に落ちたのと同時に俺の腰から下が切り落とされたのを感じ、唇を噛み締める。これは引き分けなのか、二人とも一つずつ負け星なのか。


『伝達系切断、太刀川ダウン』
『戦闘体活動限界、名字ダウン』


プシュー、と切断された部分からトリオンが流失しているのを少し眺め、ブラックアウトした視界からさっきまでと同じ視界になったのを確認する。訓練用トリガーで戦っていたら勿論瞬殺されていたに違いないけど、俺は今アキちゃんと一緒に戦っているんだからそうそう簡単に負けるわけにはいかない。
そう思いながら次に備え、さっき確認した慶の間合いの外に出る。
すると俺と同じようにすぐに元の戦闘体に戻されて現れた慶が首筋に手を当てて感覚を首を回して俺を視界に捉えるとにやりと口角を上げたので、俺も引きつった笑みを返しておく。

「ははっ、楽しいな名前」
「……、そこはアキちゃんじゃねえのな」

五線仆の能力が分からないからと言って迷わず特攻してくるあたり慶らしいとは思ったが、今ので糸の存在がばれたから一気に戦いづらくなるだろう。そうならないように一応、どのタイミングで何処から糸を出したか分かりづらくしておいたが、それも多分すぐにばれるに決まってるので気を抜いてるっぽい今のうちに糸をいくつも部屋に展開させる。

「……すげえなコレ、なんかカラフルな蜘蛛の巣みてえ」
「、誰が蜘蛛だ」

感心したように展開された糸を見上げる慶に俺は呆れながらオレンジ色の『ダンルー』に飛び乗って距離を取る。さっきみたいに突っ込まれたら終わりだし。するとその俺の行動を目を細めて見つめる慶は一度抜刀した弧月を鞘におさめ、居合い切りの姿勢になったかと思うと「旋空」と小さく呟いて剣をふるった。
そしてその異様な威圧感と聞いたことのない単語に何故か俺は、次の手を考えていたわけでもないのに慶の戦いなれた殺気に押されて『ダンルー』から飛び降りてしまう。

「、やば」

頭のなかが一瞬で真っ白になったのを感じた。
そしてはこれを慶は好機ととったのか、もしくは最初からコレを狙っていたのか、俺が空中で身動取れないのを良いことに瞬間的に拡張した弧月の間合いによって容赦なく俺を胴体を横から真っ二つにしようとするのが感じ取れたので『イルー』を壁に伸ばしたが、遅かったようで片足を切られた。
それを頭で認知する前に『イルー』をメジャーのようにシュルシュルと回収する勢いで慶から離れたが、もう一本の弧月を抜いて旋空とやらの攻撃を追い討ちで向けられて視界が切られた方向にずれる。

くそ、すぐ二回目のダウンかよ。

その考えを確定するかのように、さっき聞いたような機械的なアナウンスが『戦闘体活動限界、名字ダウン』と告げたのを遠くで聞いた。








「…………戦闘経験の少なさが出てる、完全に」

ブラックアウトした視界から回復し戦闘体を元に戻され、はらはら、と俺が張り巡らせていた数々の糸がが切り刻まれて落ちてくる中、俺をじっと見つめてくる慶に聞こえないように小さく呟いてから旋空というトリガーを改めて頭にインプットする。そしてちらりと上を見上げると糸が切られている状態から先端の方が切り味が良いらしいことが読み取れたので、それも同時に情報としてインプットしておく。
くそ、あの野郎がニヤニヤして『余裕』の視線を向けてくる度にイラッてくることを抑えないと、怒りは今は邪魔だ!
ふう、と一つ息を吐いて自分の心臓の興奮を落ち着かせてから目の前の戦況を改めて見ると、慶が何もせず……いや、”何もできずに”立ち止まっているのが確認できた。

「でもまあ」

迂闊にあの糸に突っ込んでこないところは流石戦い慣れしていると言えるけど、安易に性能を把握してない糸を切ったのはどうかと思うよ、俺。
俺に新たな攻撃を与えようとしたのか慶が一歩足を踏み出そうとしたが、そのまま歩むわけもなくぴたっと動きが止まり、当人は何が起きたのか分からないようで首をかしげる。
けれど俺だけがその動きを見て狙い通りに事が起きたという事実を察し、瞬時に『シャンアール』を指に繋げたまま、慶の間合いに張り巡らせていた『ダンルー』に乗り移って突っ込む。

「ちっ、」

俺の行動に気づいた慶が二本の弧月を抜刀して俺を切ろうと刀を振るが、一定の場から"動けない"慶の攻撃を避けられないほど俺はデキない人間でもないので『ダンルー』の性能で瞬発力を増強し、慶の右腕を『シャンアール』の輪に通して絞るように切り取る。ちっ、流石に最初のような不意打ちでもない限り直ぐに首は取れないらしい。
ぽとり、と無惨にも床に落ちた右腕に関心を削がれかけたが片腕だけでも剣筋が驚くほど早い慶に感心したおかげで戦闘に集中出来る。
俺は指に繋げたままの『シャンアール』を一応慶のギリギリ間合い外のところに展開させておいてから、ひとつ頷いてひょいひょいと『ダンルー』を駆使して天井近くに留まった。
これでアイツをダウンさせる為の予防策ができたが、俺の意図に気付いたらしい慶がまた舌打ちでもしそうな表情をすると、すぐに動けない理由である右足を弧月で切り落としてきた。うわあ。そしてそのままさっきのように間合いを拡張する『旋空』を飛ばしてきたので俺はニヤリと笑う。

「そりゃ、もちろん俺もそれは読んでいたけど」

そう呟きながら『張り巡らせておいたシャンアール』に紛れ込ませていた『指に繋げたままのシャンアール』をくいっ、と操り、がら空きになった慶の右半身を狙って首をハネる。




『伝達系切断、太刀川ダウン』


最後の俺の攻撃を弧月で受け止めようとしていたが、どうやら弧月その物の強度より『シャンアール』の威力が勝ったらしく、弧月ごと慶の首を切ることが出来た。
ああでも、俺がダウンしたときに弧月のオプショントリガーである『旋空』に『シャンアール』が切断されていたのは、『旋空』自体が弧月の刀剣を伸ばすものじゃなくて間合いを拡張するものだから『シャンアール』が負けたのかも知れない。

「おまえ…………首ばっかり狙うなよ」
「じゃあ、あのままトリオン漏出過多で居れば良かったじゃねえか」

慶によって切り刻まれた糸のなかに紛れ込ませていた粘着性のある『イルー』が床に落ちていくのを確認した俺はそれを布石とし、慶がそこへ踏み出して右足と床が接着したところを狙って右腕を切断した。その動けない状態のまま時間が過ぎてトリオン流出過多になれば一番平和的だし労力的にも省エネで良かったが、そこで慶が黙ってる筈もなく、自分の足を犠牲にしてでも此方に向かってくるということは予想出来ていたため距離を取る前に『シャンアール』を展開し予防策準備をしていたのだ。
戦闘狂の慶は結果的に足を切り離すという後者の方法を使ったが、ここで得られた教訓は『イルー』も同じく弧月のオプショントリガーである『旋空』には負けるということと、慶が相変わらずの負けず嫌いだということだけだ。

「…………謀ったな、」
「だって、その方が解析に役立ちそうだろ?」

俺は床に散りばめられた三色の糸の残骸を見下ろす慶に『ダンルー』に乗ったままふふん、と得意顔で答える。この状態だとよっぽどのことがない限り床を歩くことは困難であるし、慶からしてみればどの色がどんな性能を持っているのかも分からないからこれ以上迂闊に足を動かすことも出来ない。
つまるところ、選択肢はずっとそこから動かないか、どうにかして床に散りばめられた糸を消すか、"俺の張り巡らせた糸を活用する"かの三択である。そして俺が暗に指しているのは最後の方法であり、そのことを戦闘に関してだけは鋭い慶がわからない筈もない。

「乗ってやるよ、仕方ねえな」
「…………糸にも乗るし、俺の提案にも乗るっていう粋な話ではないよな?」
「何言ってんだお前」

ジト目なのか本当に意味がわかってないのか、どっちともとれるような目をする慶は近場にあったオレンジ色の糸に足をかけて安全を確かめるようにぐっ、と糸に体重をかける。何気無くオレンジ色の糸を選んだようにも見えるが、多分俺のことを戦闘中にも観察していて俺がオレンジ色の『ダンルー』のみに乗っていることを理解した上の行動とも見えた。どちらにせよ自分以外の誰かが俺の生み出した糸に乗るのを見ることは、トラップやら誰かとの連携やらに活用できるのが少し裏付けられたように感じられて少し嬉しい。

「コイツ、ただの糸じゃなくてゴムみてえなんだな」
「『ダンルー』って名前」
「へえ、まあまあ分かりやすいな」
「まあまあね」

そう言いながら初めて糸に乗るくせに上手くバランスをとる慶に一瞬眉を寄せる。俺なんて上手く乗れるようになるのに何ヵ月か要したのに。
ほんの少しイラっと来たのでその怒りをぶつけるように指を曲げて何の性能もない只の糸を慶の近くに何本も張り巡らせ、同じように『シャンアール』も何本か紛れ込ませる。
すると思った通り慶はその"全て"を避けるようにそこからすり抜けると、『ダンルー』を駆使して素早く俺に向かって弧月を振り抜いた。

「、っ」

その素早さに一応反応できたらしい俺は、反射的に両の掌から出した白い短剣で弧月の攻撃を防ぐ。

「おっ、なんだそれ!」

俺の掌から出てきた剣に興味を示したらしい慶は、またキランと目を光ら
せる。刀好きかよ。

「教えねえよばーか!」

ひゅん、と慶の横腹に向かって短剣をひと突きしたのを軽々かわされて思わず舌打ちしそうになるが、かわされた勢いで、サーカス団員のように慶の乗っている『ダンルー』に片手でぶら下がりながらもう片方の手に短剣を持ち、俺のぶら下がった揺れでバランスを崩したらしい慶の左足首をぶっ刺す。あ、ここで『シャンアール』使えば切り取れたかな。
けれどそれで慶が易々と俺を見逃す筈もなく、糸を掴んでいる方の俺の手を弧月で切ろうとしてくるのを俺が短剣で防ぐと、慶は糸から降りて空中で「グラスホッパー」と呟くとあり得ないような直線で加速して俺の首を狙って刀を振った。



「あ、ぶねーなんだそれ」

近くにあった『イルー』に只の糸を巻き付け、その糸を引っ張ることで自分の位置をずらし『グラスホッパー』とかいうよくわからんモノを避ける。けれど安心するのも束の間、俺に攻撃を避けられた慶が展開したままの『ダンルー』を利用して自分の体の向きを変えると、またニヤリと笑って俺の方へ向かってきた。

「『グラスホッパー』」
「、っ!」

そして加えてまた加速する『グラスホッパー』でスピードを上乗せしてきたため、一度は避けられた攻撃も、避けることが出来ずに胴体を斜めに切られてしまった。




「あーあくっそ、負けた」

『戦闘体活動限界、名字ダウン』

もし、巻き付けた先が『イルー』じゃなければまた違う策が練られたかもしれないけれど、そこは自分の状況把握能力と運が足りなかったなあ、考えながら三度目のブラックアウトを感じた。

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