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 久々に開発室の佐藤さんに電話で呼び出され、俺は日曜の夜にボーダー本部へと足を運ぶ。何故夜なのかと聞かれればあちら側の都合と、孤児院の子供たち…………主に幼稚園組が遊んでほしいと駄々をこねたからに他ならないけれど、元より出来る限りボーダー関連より孤児院を優先したい気持ちはあったので俺は快くこの夜十時という時間帯からの呼び出しに応じた。勿論俺がボーダーに所属していると知らない孤児院の子供たちに不審な動きを見せなくて済む時間帯ではあるけれど、事情を知るカズエさんは心配そうな表情で俺を見送った。相変わらず、俺とアキちゃんを重ねているらしい。
そんなこんながあって学生の多いボーダー本部は何時も来る時間帯よりも本部はガラガラに空いていて、それに伴って視線の鬱陶しさが激減しているからかとても過ごしやすい。過ごしやすいという言い方は何処か変だけれど、騒がしさも嫌悪の目も少なくたまにすれ違う人達も俺に興味のないエンジニアさんや成人している人達ばかりなので、楽に本部を闊歩できたという意味だ。まあこの時間帯からの呼び出しで明日の学校に支障がでないか心配ではあるが、今回は前々から名前だけ聞いていた冬島さんという方に会わせていただけるらしいので、明日の心配は明日の自分に任せることにした。無責任とか無計画とか言わないでほしい。
そして聞いたところによれば、冬島さんは元々エンジニアだったところをスカウトされ特殊工作員として実戦に参加していて、様々な工作で相手を罠にかけたり味方を援助するポジションに居るらしい。俺の知らないエンジニアさんが元エンジニアの冬島さんに俺の話題を出したところ、見てみたいということでこのような機会を彼方から持ちかけてきてくれたのだ。いつか防衛任務で会うだろうに、と思ったのは秘密。

「どんな人だろ」

仕事終わりに向かうらしいよとエンジニアさんから聞いたため歳上っぽいので多少緊張するけれど、出来るだけ期待には応えられるように努力しようと思っている。
そんなことを決意しながら見慣れた道を歩いていると前の方から二人誰かが歩いてきたのが見え、俺はその姿に思わず立ち止まりそうになる。そんなバカな…………不運かよ……………。
二人のうち一人は見たことのある人。向こうも俺に気がついたらしく、だらしなくポケットに手を突っ込んだまま俺に多分『気まずい』という視線を向けてきたかと思えば、何故かもう一人から『興味』という視線が読み取れた。ま、どっちがどっちの視線かは確証はないが。
噂が薄れたといっても忘れられたわけではないらしく、俺のあの噂は知らないところに爪痕を残しているみたいだな。
その事実にはあ、と小さく溜め息を吐きながら歩みを進めると、意外にも相手の方から「よお」と小さく手を挙げて話し掛けてきた。

「…………こんばんは、さようなら」
「おい待て」

もう一人の方が居る手前汚い言葉を使うのを避けてすれ違おうとした結果、相手である無表情の慶に二の腕辺りを掴まれて強制的に立ち止まらされた。

「なんですか太刀川さん、俺ちょっと忙しいんで離してもらえませんか」
「やめろ、その気持ち悪い敬語をやめなさい」
「なんのことでしょう僕にはサッパリ分かりません」

俺の二の腕を掴み続ける慶の手を反対の手で一生懸命引き剥がしながら笑顔を向けてやれば、慶はヒクヒクと口角を上げてめんどくさそうな表情をする。

「悪かったって、許してくれよ、な?」
「キモい却下」
「おっ、そうそうそれそれ」

わざとらしく小首を傾げて俺を見つめてくる慶に思わず心の底から思ったことを口に出してしまい、無表情のままの慶の策略に嵌まってしまった自分に少し怒りを覚える。てか、冷たい態度とられて喜ぶとか、はたから見たら大分気持ち悪いと思うよ。

「隣にいる方が太刀川さんにドン引きしていることにお気づきで?」
「えっ…………そうなのか風間さん」

慶は俺の言葉に風間さんの方を見る…………というか見下ろしながら、本当に焦ってその風間さんに問い掛ける。 ていうか、風間さんってこの人…………なら、この人って俺より歳上…………てか慶より歳上だよな、身長はあれだけど…………。

「気にするな、今更残念な奴だと知ったところでお前に対する評価はこれ以上落ちない」
「……それどういう意味…………」
「太刀川さんの人としての評価はもう最底辺ってことですね」
「おい名前、皆まで言うな」

慶は俺の顔の目の前に自分の手のひらをバッ、と突きつけて俺の発言を止めるが、その慶の指の隙間から風間さんの赤い双眸と視線がぶつかり合い、俺はその内容にひとつ瞬きをする。

「…………俺、ホントに忙しいから行きますね」
「あっ、おい!」
「風間さん、失礼します」
「…………あぁ」

このまま立ち話を続けていたら本当に時間に間に合わなくなってしまうので、俺は目の前にある慶の手を乱暴に叩き払ってから改めて風間さんに一礼して開発室へと足を向ける。

「…………なんであのタイミングで『噂通り』?」

少し早歩きで廊下を進み、慶の指の隙間から読み取れた風間さんの視線の内容に改めて疑問を感じる。
噂って…………俺が人を殺したとかいう噂なら今の会話で俺が人殺しっぽかったってことかな。それとも噂は噂でも、全く違う噂とか? そうなると、俺の噂多すぎじゃないか?
ここはひとつ俺がどういう人間なのか演説して回った方がいいんじゃないかなぁ、なんてバカなことを考えながら技術開発室の扉の前に立ち、忘れかけていた緊張感をぶり返しながら扉を開ける。

「あぁ、名字さん…………お久しぶりです」
「佐藤さん、お疲れ様です」

久々に見る開発室の室内に「相変わらずむさ苦しいなあ」なんて思いながら、時間帯関係なく人の多いエンジニアさんたちを見回して佐藤さんに言葉を返す。

「冬島さんならもうすぐ…………あ、来ましたね」
「えっ」

キョロキョロと室内を見回していると佐藤さんが俺の後ろを見ながらそう言ってから何処かへ準備をしに行ってしまったので、俺は佐藤さんが向けていた視線の先である後ろをバッと振り向く。
するとそこには俺より身長が高く顎に髭を生やして髪を後ろで結んでいる男の人が立っていたので俺は無意識に扉の前から避けて「ど、どうぞ」と冬島さんに向けて室内へ足を踏み入れるよう促す。

「おっ、サンキュー…………って、お前が名字か?」
「は、はい」
「あー夜遅いのに悪いな」
「いえ、そこは大丈夫です」

冬島さんは俺の行動に軽くお礼を言いつつ俺の名前をあげてきたので、その『期待』の視線を受けながら俺は苦笑いで答える。期待を裏切らないようにしようと誓ったばかりだけど、いざこういう視線を向けられるとシェイクスピアの「期待はあらゆる苦悩のもと」という言葉を思い出してしまう。

「おーそうかそうか、つか聞いていたより随分色男だな」
「あ、え?」
「って、あっ、佐藤さんどこだー?」

そう言って冬島さんが佐藤さんの後についていくように開発室の奥へ入っていくのを見つめながら、俺はポカーンと口を開けたまま瞬きを繰り返す。

「あはは、変な顔してますよー」
「えっ、あっ、すみません」
「いやいや、いきなりあんなこと言われたらそりゃ驚くわー」

近くにいた女のエンジニアさんが語尾を変に間延びさせながら俺の行動を笑う。

「え、てか、聞いていたって…………エンジニアさんの誰かが言ったんですか?」
「さーあ、別にエンジニアだけが君のことを知ってる訳じゃないしねー」
「、そうですね」
「それに、噂が回ってくるのはここが一番遅いと思うからー、多分違うところで聞いたんじゃないかなー」
「…………噂、ですか」
「あれ、噂知らないー?」
「えっ、いや、知ってます」
「ふーん…………やっぱり本人にまで行っちゃうのねー、噂って」
「まあ…………否定する気もないのでいいんですけど」

あの噂が何処から沸いて出てきたのか知らないけれど、直接的とか間接的とか関係なく殺した原因は俺なのは変わり無い。だから否定もせず、肯定もしていない。前までは俺に話しかけてまで真偽を知りたがった人達には肯定していたけれど、噂を知ったレイジさんから肯定するなって言われてから肯定もしていない。
すると、それを聞いたエンジニアさんはおお、と感嘆するように声を漏らしてから「いいねー、自尊心は最近の若者に必要だよー」と眼鏡を押し上げながら言い放った。

「え? 自尊心…………?」
「あれー、自分の顔が整ってるって認めることは自尊心じゃないのかな?」
「……………………えっと、え? あの?」
「…………? もしかして、話噛み合ってないー?」

俺の反応に何かを察知したのか、エンジニアさんは改めて俺の方を見てからもう一度コーヒーを啜る。

「あの、噂っていうのはどのような…………」
「えー? ほら、あの『最近上位隊員と仲の良いあのC級が、男も惚れるほどカッコイイ』ってやつだよー?」
「………………………………」
「…………あれ、大丈夫? 息してますー?」

ひらひら、とエンジニアさんがカップを持つ手とは反対の手で俺の顔の前に手を振るけれど、俺は再度付いていけない情報を与えられポカーンと口を開ける。なにそれ、誰が得する噂なの……………俺じゃないよ?

「そ、その噂っていうのは、い、いつから?」
「えっ、どうだろ? 私たちのなかでは最近だけど、ボーダー内では大体二週間前とかじゃないかなー?」
「二週間…………」

二週間前といえば、慶と喧嘩したり、遠征から帰ってきた迅と話したり…………ん? 迅が遠征から帰ってきた?
いやいやいや、考えすぎだ。迅があの時屋上で嫌な噂が回ってるとか言ってたのは多分『人殺し』の噂だ…………ろう。あ? それを迅が指摘してきたあの時…………なんか企んでいるような声だったような気もするし……………ん?

「もう、よくわからないので考えることは止めますね」
「おおー、放棄したねー」

ため息混じりの俺の言葉に何故か感心したように見つめてくるエンジニアさんにもう一度ため息を吐くと、開発室の奥で冬島さんから名前を呼ばれた。
するとそのエンジニアさんが「いってらー」と湯気の立ったカップを握ったまま俺に手を振り返してくれたので、小さく頭を下げて少し小走りで冬島さんの元へ駆け寄る。
あの噂のことは一旦忘れよう。
そう考えた瞬間、冬島さんは「よう色男、早速ブース入って五線仆起動な」とか言ってきたので俺はとんでもない噂を肯定してしまったなと思いながら、下手に言い訳するのも墓穴を掘る気がしたので「はい…………」と小さく返事をしてブースの入口をくぐった。

「はあー、五線仆起動」

そうやるせないまま呟いて五線仆を起動すると、目の前のガラスのような透明な壁越しに冬島さんが苦笑いしたのが見える。
すると冬島さんは椅子に座り、置くタイプのマイクのようなものに近付いたかと思うと口を開き『あー、聞こえるかー』とテストのような声をブース内に送ってきたので、俺は何となく言葉ではなく両手で頭上に円を作って答えを伝えた。

『よーし、んじゃあ色々実験しますかー』

そう言って冬島さんは何かを操作した。そしてそのせいなのか、いきなり大きなブース内に白い四角いキューブが現れ、俺は首を傾げる。なんだこれ、豆腐みたいだな。

『トリオン兵とか出したら動きが不規則すぎて実験になんねえから、そのトリオンキューブで頼むわ』
「あ、はい」
『じゃあ取り敢えず、糸の合成やってみてや』
「何のでも良いんですか?」
『取り敢えず全部』
「了解です」

糸の合成は全部で六種類あるんだけど、そのうちの一種類は本部に秘密にしている糸を使わなければならないので取り敢えず五種類を見せることに決める。合成した糸は性能を二つ持っているが、出る指は一本で事足りるので楽。それなら全部合成したので戦えよとか思われるかもしれないけど合成するという行為には一つの性能を持つ糸を生成するよりもトリオンを消費するから軽々しくも得策だとは言えない。

「えっと、これをどうすれば…………?」
『あー、そのトリオンキューブに当ててくれれば適当にこっちで計測できる作りにしてあっから…………よろしく』

当てると言われてもなあ、なんて思いながら伸縮性が売りのダンルーと粘着性が売りのイルーを合成させた糸を片手に二本ずつ生成させて、人差し指と中指を操作して作った細かい網目状の布ような形のものを、その豆腐みたいな奴に被せる。

『器用だな、お前』
「どうも」

このブラックトリガーを使いこなすために編み物を習得したとは恥ずかしくて言えないけれど、褒められるの嬉しいので素直に冬島さんの言葉を受け取る。そしてその糸の計測が終わったら次にダンルー+グールの合成糸を、次にイルー+グールの合成糸をあの豆腐に当てていき、三種類の合成を試したことになる。まあ、もうひとつは特に意味はないけど内緒ということで。てかなんか、この四角が豆腐に思えてきた、哲次を思い出すぜ。

「あ、終わりです」
『んあ? まだ四種類しか糸使ってねえじゃん』
「あー…………もう一つのシャンアールは、その合成出来ないので」

嘘だ、本当はもう一つの糸である糸と合成出来る。

『それでも四種類の糸しかねえけど、五種類あるから五線仆って名前付けられたんだろ』
「それは…………多分、何でもないトリオンの糸を含めたのではないかと」
『あー、なるほどな』

俺の言葉に納得したのか、隣に座る佐藤さんと何やらマイクを通さずに会話しているところを見ると、エンジニアさんたちに確認しているのかもしれないな。ていうか、五線仆って名前決めたの俺じゃないから、名前の理由とか知らない。
五線仆って聞いたら確実に楽譜を思い浮かべるけれど、漢字が違うしな。今度片手に全部の糸出して並べてみるかな…………音符ないけど。

『よし、じゃあ、取り敢えず計測結果伝えるわ』
「あ、はい」

俺がバカなことを考えている間に話が纏まったらしく、冬島さんは何かの資料を見つめながらマイクへ言葉を放つ。

『取り敢えず計測したら、名字の合成が特殊な方法で行われてるのが分かった。細けえことは後で資料見てくりゃ解るだろうが…………取り敢えずその手袋みてえなところで合成が行われる』

その言葉に俺は自分の掌を広げて見つめる。まあ、合成し終わった糸が直接出てくるってことは、そういうことだろうな。

『で、色々調べてるけど、その合成が特殊過ぎてこっちで真似できねえっぽいんだわ』
「お、マジすか」
『そういうところ、ブラックトリガーだよなあ』

何を言わんとしているのか微妙にしか伝わらないけれど、結局めんどくせえってことだろうか、なんて、人指し指から特になんの性能もないトリオンの糸を生成して空中展開させながらくるくると回して考える。

『で、こっちの提案なんだけど』
「あ、はい?」
『単糸を双糸に出来ねえか?』
「…………えっと、取り敢えずねじれってことですよね」
『そーそ、物分かり良いと楽だねえ』

やたら褒めてくれる冬島さんに嘘をついている手前罪悪感を感じ、思わず苦笑いが溢れるけれど、五線仆を換装するの服の構造上俺の口許は隠れるからバレてないし、この罪悪感を忘れるためにも実験に集中する。

人差し指に出していたトリオン糸を消して人差し指にグールと中指にダンルーを生成し、あちらの要望どうりDNAのような螺旋状に二本の糸を捻って一本の糸にしてみた。

『出来るだけキツく捻ってくれ』
「……………はい」

糸同士の密度が小さくなるほど合成した時に近付くのは想像すれば分かることなので、糸同士を密着させることを意識して作り上げる。
そして新たな豆腐が現れたのを見る限りまた同じことをやれと言われた気がしたので、くいっと小さく指を動かしてその糸を崩れないように豆腐にくっ付ける。

『んー…………まあまあだな』
「まあまあ…………」
『数値的には、お前の合成した糸の七割くらいの性能は見られるけど…………他の三割はただのダンルーとグールだな』

もう名前覚えたのかな…………なんて思いながら豆腐に糸をくっ付ける続ける。意外と難しい、頭で二本の糸の感覚を理解しながらも動くことでほどけないように注意するとなると、トリオンを消費して合成したほうが俺にとっては楽だなあ。

「あの、使えそうですか?」

七割という数値がエンジニアさんたちにとって罠として有効なものなのかわからないので不安に思って問いかけると、冬島さんは『微妙だな』と呟く。うーん…………あの糸言った方がいいのか…………でもなあ、秘密にしておいた方が良いのかなあ…………嵐山たちを助けることになるとか迅言ってたし……それは本部に伝えたら変わっちゃう未来なのかな。聞いとけばよかった。何だっけ…………迅は『本部に言わなくてもいいけど』って言ってたけど、これって言っても良いっていうことなのかな。

『まあ、それぞれの糸の性能の数値とかトリオンの組み合わせとかはもうすでに参考にさせて貰ってるから、別に無駄な解析じゃねえよ』

ぐっ、フォローされてしまった。
ということはもしかして、逆に俺があんまり役に立っていないことが露呈されたのと同じじゃないか?
合成出来ないのは本部の技術的問題だけど、それの対策として俺が何かを提示しないと実験は進まないし…………誰かを助ける為の罠に使えなくなるわけで…………。




「あ、あのー」
『…………どうしました?』

俺の呼び掛けに間が空くと、冬島さんではなく佐藤さんが応える。
怒られるかなあ…………。

「トリオン糸があるんですけど…………」
『トリオン糸? けれどこれは性能の合成の実験なので、二種類しか』
「あー、その、合成の場合は前にも言った通り…………二種類までなんですけど…………この編む方法なら三つの糸で出来るじゃないですか…………?」
『? まあ、そうですね』
「そしてその、二本の糸で編むより三本の方がほどけなくなります…………ね?」
『ああ、なるほど!! ダンルーやグールなどの性能のある糸の他に補強として普通のトリオン糸も一緒に編むということですか!!』
「そ、そうです」

俺の言葉にいきなり興奮した様子を見せる佐藤さんに少し驚きながら肯定すると、それを聞いていた冬島さんと何やら話し合っていたので俺は取り敢えず薬指から普通のトリオン糸を垂らしておく。
ていうか、シンクルー出さないで済むかもな。

『よお、天才色男』
「いや別に天才じゃないんですが…………」

本当に常識的な観点でものを言っただけなので、これは素直に受け取れない。色男についてはもう否定できないけどな……………。

『じゃあ、三つ編みでよろしくな』
「そういう言い方されると、なんか可愛いですね」

なんて返しながら三本の指を動かして一本の糸にすると、断然密着させやすいし、安定感もあるからほどける心配もさっきよりはしなくて良くなったのでこれは手応えがあるなあなんて心の端で思いながら豆腐に糸をぶつける。
するとさっきと同じような計測の時間が過ぎたかと思えば『おお』と冬島さんの声がブース内に響いた。

『大体九割、あるかないかくらいまで合致したぜ』
「おー、良かったですね」
『おいおい、他人事みたいな言い方だな』

冬島さんは俺の反応に呆れたようにそう言うと『一旦こっち戻ってくれ』と言ってから何かを操作してブースの扉を開けた。
一旦ということはまた入るのかなあ、なんて思いながら扉をくぐると、冬島さんが「おつかれ」と笑いながら俺に近寄って肩を叩く。

「つーか、この格好似合うなお前」
「そうですかね? なんか忍者みたいじゃないですか?」
「言われてみれば確かに…………」

口許を隠す為の襟の長さや黒い生地、ミリタリーブーツは忍者っぽくはないけれど、なんとなく時代が錯誤した格好だなあと改めて思う。
冬島さんはニヤニヤと笑いながら「この下全裸?」とか俺の襟元を引っ張って覗き込んでくるので、俺は「セクハラですよ」と当初の緊張感を忘れて溜め息を吐く。因みに全裸じゃないです。

「冬島さん、データ解析終わりましたよー」

その間延びした声に俺と冬島さんが振り向くと先程コーヒーを嗜んでいた女のエンジニアさんが機械の前に座って、なにやら操作しながら冬島さんの方を向いた。そして冬島さんは呼ばれた通りそのエンジニアさんに気だるく返事をすると、俺の肩に手を回したままそのエンジニアさんに近くに歩み寄る。これは俺も見て良いってことだろうか。

「これが前回やったイルーを使ったときの爆破トラップ成功率予想のデータねー」
「おおー、大分良い数値叩き出してるな」
「そうですねー」
「…………そうなんですか?」

どうやらこのデータとやらは今回の実験を反映したものではなく前回の解析を元にして出された図表らしいけれど、画面の彼方此方に表示されている数字の羅列がどのような意味を為しているのか俺にはサッパリ分からなかった。するとそれを察してくれた冬島さんが俺の肩を引き寄せながら、反対の手で機械を操作して画面に何かの設計図のようなものを映し出す。

「これが従来の爆破トラップな」

その冬島さんの言葉を聞いて、この画面に表示された四角いモノが爆破トラップの設計図だと理解する。多分、この四角い立方体が射手が使うメテオラみたいな爆破の主になっていて、この糸みたいなもので爆破トラップが作動する仕組みなのだろう。

「従来の本部のトラップはトリオン糸が引っ掛かって、引っこ抜かれることで作動するように出来てたんだが…………」
「イルーをトリオン糸と交換してから改良を重ねてからはー、"引っこ抜く"んじゃなくて"引っ張る"ことで作動するようにしたんだよー」
「は、はあ」

俺の顔の横で冬島さんが「俺の説明取るなよ」とかなんとか言っているけれど、エンジニアさんの説明でもよくわかってない俺は首をかしげる。

「つまり、四角いヤツと糸が分離しなくなったってことですよね?」
「そそー!」
「んで、イルーってのは粘着性が秀でてるんだろ?」
「…………あ、なるほど」

爆破の主である四角い立方体とイルーが分離しなくなったということは、何か…………例えばトリオン兵がイルーに引っ掛かった場合、その引っ掛かったトリオン兵の部位にイルーを介して四角い立方体も付いて回るということ。つまり不発は減るしイルーの性能的にその爆破トラップから逃れるためにはその接着してしまった部位を切り取るか威力の強い刃なんかでイルーと四角い立方体を切り離すか等の行為をしなければならない。それには素早い判断が求められるし、中途半端な威力じゃあそうそうイルーの粘着性には勝てない。

「これは…………イルーのどのくらいの性能を再現できてるんですか、」
「んー、大体九割五分くらいー?」
「あ、なら安心ですね」

そう頷いた俺に冬島さんは感心したように肩を叩いてから手を離し、エンジニアさんのそばから離れて「んじゃ、実験続けますか」と背筋を伸ばした。

「次は合成の割合を変えてみんぞ」
「あ、ああはい」
「つーか、糸の組み合わせごとに名前決めてかねえとややこしくなるかもな」
「えっ…………俺そんなに覚えられないですよ」

ごきごき、と首を回して鳴らしながらそう提案してくる冬島さんに、只でさえ糸の種類を覚えるのに苦労した俺は視線を逸らして自信のなさを伝えるが、冬島はそれに気づかないふりをしたのか早速エンジニアさんたちと名前を決めだした。
なにやら「名前つけるのって何度やっても楽しい」とか「原型とは全く違うのがいい」とか聞こえたけれど、どうか分りやすくて覚えやすいものでお願いしますと俺は蚊帳の外から願うしかなかった。
五線仆っていう名前もそうだけど、こういうのって本人がつけるわけじゃないんだな。考えてもいい、と言われても俺はアキちゃん、としか呼べないだろうし。
冬島さんは集まって楽しそうに話し合っているエンジニアさんに「よろしく」と言うと俺を振り返り、ちょいちょいと小さく手招きをしてくるので、俺はエンジニアさん達の集団を視界の端に置きながら冬島さんの元に小走りする。

「名字」
「はい?」
「どんな名前になっても…………強く生きろよ」
「えっ…………」

笑顔で死刑宣告のような言葉を吐いた冬島さんに裏切られたような感覚を覚えて目を見開けば、冬島さんは「どんまい」とだけ呟くと俺をブース内に入るよう促してマイクの前に座った。なんてこった…………アキちゃんのブラックトリガーの名前にそんなに執着はないし、多分アキちゃんも俺が役割を果たせば名前なんてあまりとやかく言ったりしないだろうけれど……。

「…………長い名前とかになりませんように」

俺は誰に向けるでもなくポツリとそう呟いてから、小さく息を吐いて冬島さんに言われた通りブースの扉を開けて足を踏み入れた。
改めて見るとブース内の真っ白な壁に真っ白な床にあの夢の風景を思い出したけれど、そこには机も椅子も勿論アキちゃんもいないから、俺はアキちゃんが名前に納得してくれるかどうかを聞けるわけもなく、ただ誰かのためになると信じてさっきと同じように実験を続けた。

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