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 月曜日の今日、学校へ来てみるといつもと何ら変わりない様子の倉須が一昨日のお礼にと俺に手渡したものが嵐山のポスターだったことや、明日の午後からの防衛任務が初めて支部の防衛に一人で任されたことなどで今日はよく分からないタイミングで驚かされる日だっていうことには薄々気づいていたけれど、今日一番の驚きが目の前で起こっていることだと断言出来る。

「よお名字、こんなとこ突っ立って何してんだ」
「り、林藤さん…………」

迅と一昨日電話をしたときの話の続きでもしようかと思って玉狛支部に来たはいいものの迅がどの部屋にも見当たらず、俺専用仮眠室を覗いても居なかったら電話しようと仮眠室の扉を開いた瞬間、ベッドの上に女の子がぐーすか寝ていて思わず固まっていたところを今林藤さんに声をかけられて体が動いた。
そういえば、林藤さんと話すのは俺の未来を暴露したときぶりか。

「あれは…………どなたですか?」
「あ? あー、ありゃ玉狛に転属してきた宇佐見だ」
「う、宇佐見さん…………」

確かには先月は迅が遠征に行ってたこととか防衛任務の数が多かったこととかがあって二、三回しか玉狛に訪れていないから会ってないのは分かるけど、それにしてもこんな埃まみれなとこじゃなくてもっと寝るところあったんじゃないの?
転属したなら部屋もらったんじゃないの?

「まあ、今は寝るの我慢するこったな」
「別に寝たい訳じゃ無かったんですけど…………」
「そうなのか?」
「その、迅を探してて」

そっと音をたてないように扉を閉めながら林藤さんに向き直って答えると、林藤さんは「いつも迅探してねえか、お前」と笑う。なんかそれに似たような台詞を誰かに言われた気がするけれど、今回は別に訓練に付き合ってもらおうとしている訳じゃないので少しムッとする。

「違います、今日は話があるんです」
「おっ? ……そーかそーか」

そう言ってから「俺にも表情柔らかくなってきたな」と続ける林藤さんに俺はもしかして失礼をはたらいてるのではないかと思って瞬時に視線を読み取るが、少し嬉しそうにしてくれているので良いのかな、と内心ほっとする。けれど俺はすぐ調子に乗る傾向があるので、一応戒めておこう。

「見ませんでしたか?」
「今日は見てねえな」
「そうですか……………いつも忙しそうですしね」
「まあ、アイツは自分で忙しくしてるっつーか、忙しくならざるを得ないんじゃねえか?」
「そう、ですね」

そう会話を続けながら、一日見てないとなると玉狛に帰ってくるの遅いんじゃないか、と悟った俺は取り敢えず誰も居なかった居間に戻ってから電話しようと決意して林藤さんの隣に並んで歩く。
さっきの宇佐見さんのことは忘れよう、挨拶は起きてるときにすればいいし。

「つか、宇佐見が来てるの知らねえならとりまるのことも知らねえな?」
「トリマル…………? そのトリマルくん? さん?は今日来てないんですか?」
「いや、居るんじゃねえか? 因みに男な」
「あー、じゃあ自室とか訓練室ですかね。居間とかには居なかったんで」

そっか、俺が来てないうちに転属…………つまり本部から玉狛支部に異動してきた人が二人もいるのか。最後に玉狛支部に来たのも二月の中旬に仮眠しただけの日だったし、その日も久し振りに玉狛支部に来てた筈。
そうなるとレイジさんとは一ヶ月近く、小南さんとも二週間近く会ってないんだなぁなんて思うと、確かに迅とは会いすぎだな。

「って、あれ」
「おっ、アイツだアイツ」

私服姿の見知らぬ男の人が空室だったところから出てくるのを見つけた俺が声をあげると、隣の林藤さんも俺と同じように反応を示す。すると俺達の声に気がついたのかその男の人は此方を振り返り、俺に一瞬不思議そうな視線を向けてから林藤さんへ頭を小さく下げた。

「よお、そういうのいいからな?」
「ああ、はい」

林藤さんはトリマルくんに近寄ると肩を叩いてその行為を止め、話題を変えるように俺の方を見ると同じように俺の肩に手を回して少し俺を前に押し出す。

「コイツ、俺の息子」
「うおっと、はじめまして名前です」
「…………どうも?」

トリマルくんから『うおっと?』とかいう辱しめとも言える視線を飛ばされながら勢いで林藤さんの無茶ぶりに乗ると、林藤さんはぶふぉっ、と俺とトリマルくんの反応に吹き出してからゲラゲラと笑う。

「ちょっと林藤さん、トリマルくんへの初対面が台無しですよ」
「あー悪い悪い、乗ってくるのは思わなくてよ」
「事前に言ってくれたらもっと上手くやれたのに」
「……へえ、お前って結構そういうのイケるのな」

眼鏡越しの視線でも俺がなにも通さず相手を見れていればサイドエフェクトは働くので、俺に向けられる『意外』という視線と、トリマルくんから向けられる『納得』という視線に俺は説明するためトリマルくんを見つめ返す。

「えっと、今のは嘘で……本部所属の名字名前です。林藤じゃないです」
「お前らより少し前からここにちょくちょく来てんだよ。まあボーダー隊員としてはおまえが先輩でも、玉狛支部歴なら名字が先輩だな」
「え、いや、お世話になってるだけですから…………」

俺の印象がトリマルくんのなかでどのようになっているのか不安ではあるが、林藤さんの台詞を聞いたあとでも冷静に無表情で「よろしくお願いします」と頭を下げてくるのを見て何となく、トリマルくんって年下なのかな、なんて思う。そういえば、三輪くんも年齢知らないな。タメ口と敬語混同させておいたけど、三輪くんは俺にタメ口だったよな…………。

「で、そっちは今から木崎と訓練か?」
「いえ、レイジさんは今日空いてないのでバイトまで一人でやろうかと」
「おお、丁度良いじゃねえか」
「えっと、俺は別に訓練のためにここに来た訳じゃ」
「いーじゃねえか少しぐらい、どうせ迅も帰ってくるだろ」
「そ、そうですけど…………」

初対面でいきなり戦ってボコボコにされたら俺もうトリマルくんと会わす顔ないんだけど。

「おまえも新しいトリガーの相手欲しいだろ?」
「…………俺は相手をしてもらえると助かりますけど」
「マジですか」
「ああはい、マジです」

結構好戦的というか、そのトリマルくんの新しいトリガーの腕試しに俺が相手になるのか不安ではあるけど、確かに林藤さんの言う通り迅が帰ってくるまでの時間を潰せるならそれがいいけど…………帰ってこないとかにならない限り。

「じゃあ、迅に電話してからでも良いですか?」
「俺は大丈夫です」
「なら決まりだな」

俺とトリマルくんの会話を眺めていた林藤さんは短くそう言うと楽しそうに俺とトリマルくんの背中を押して廊下を進む。何でこの人こんなにトリマルくんと絡ませようとするんだろうなんて疑問に思ってサイドエフェクトを意識すると、少し玉狛支部に来てから緊張気味のトリマルくんに対する親心みたいなものに俺が利用されたらしいことが分かったけれど、別に誰かのためになるなら俺もそれでいいので特になにも言わず背中を押され続ける。
チラリと居間の方を見てみると小南さんも陽太郎も見当たらず、今玉狛支部に居るボーダー隊員が俺とトリマルくんと宇佐見さんだけだということを改めて把握する。みんな多忙なんだなあ。

「あの、」
「はい?」

背中を押されながら話しかけてきたトリマルくんに首をかしげて返事をすると、トリマルくんはさっきからあまり変わらない無表情のまま口を開く。

「その筒なんすか?」

そう言って学校から帰る時からずっと片手に持っていた厚紙製の筒を指差され、相変わらず背中を押し続ける林藤さんも「実は俺も気になってた」と会話に参加してきた。

「あーこれは、ポスターです。今日友人に……頭のおかしい友人に貰いまして」
「頭のおかしいって、ひでえな」
「いります?」

頭のおかしいという表現を否定する気もないので林藤さんの言葉をスルーしてトリマルくんに尋ねれば、一言「いや、いいっす」と断ると「何のポスターっすか」と続ける。

「嵐山の」
「…………嵐山さんの」
「ファンじゃないし、カッコいいとは思うけど……男が男のグラビアのポスターって何かおかしくないですか?」
「普通ではないですね」
「女の子にあげればいいじゃねえか」

そう言って俺とトリマルくんの背中から手を離してエレベーターのボタンを押してくれる林藤さんの言葉に俺は少し唸る。

「女の子の知り合い居ないんで…………」
「おまえのその顔でか?」
「顔? あー、整ってる方ですけど」
「自分で言うか」

俺の発言に林藤さんは笑い「否定するよりは気持ちいいけどな」と続けてフォローしてくれる。だって前に冬島さんとかにも間違えて肯定しちゃったから、今さら、ね。

「トリマルくん、知り合いの女の子に嵐山ファンとかいません?」
「さあ……俺もあんまり知り合いがいないんで」
「え? カッコイイのにですか?」
「…………その言葉自分に返ってますよ」

じゃあやっぱり自分の部屋に貼るしかないのかあ、なんて諦めかけながら到着したエレベーターに乗り込み、階数のボタンを押す林藤さんとそれを見つめるトリマルくんの目の前で溜め息を吐く。

「じゃあ、分かりました。俺が嵐山のファンになればいいんですね」
「そうなんのか」
「だったら、嵐山さんのことじゅんじゅん、って呼ばないとダメじゃないっすか」
「えっ、マジですか」
「マジですね」

そういえば隣の席のクラスメイトの女子もじゅんじゅん、って呼んでいたっけ。そうか…………ファンになるなら同じ嵐山隊の綾辻さんとかが良かったんだけど、ポスターが嵐山隊じゃなくて嵐山オンリーのものだから叶わないな。
じゅんじゅんかあ、なんて呟いていると訓練室のある階に到着したらしく、エレベーターの扉が開きトリマルくんのあとについて降りる。

「んじゃ、俺は用あっから」
「あ、はい。わざわざすみません」
「いーんだよ、俺がついてきたかっただけだ」

そう林藤さんはエレベーターの中から言うと、ひらひらと手を振ってエレベーターの扉を閉めて上にのぼっていってしまった。そして急に二人きりにされたことで訪れる沈黙に少し戸惑いながら、ふと今更ながらに思う。あれ、これってノーマルトリガーで戦うのかブラックトリガーで戦うのか分かんない、というかトリマルくんって俺が特例って知ってるのかな。

「あの、すいません」
「はい?」
「俺のこと、知らないですよね」


なんだこの質問。


「…………今は、知ってます」


まあ、そういう答えになっちゃうよな。


「あーその……C級なんですけど」
「そうなん…………あ」
「えっ?」
「玉狛支部のC級…………?」


あれだけ変わらなかった表情を変え、眠そうにしていた目を少し見開くトリマルくんの言葉に少し不安な気持ちになりながらその言葉に答えようと口を開いたところで俺達が乗ってきたエレベーターからチーンと音がなって扉が開いた。
階数表示の近くにある矢印の方向から考えると上から来たようだ。

「あれー? 知らない人がいるなあ」

明るい声でエレベーターから降りてくる女の子はさっき俺専用の仮眠室で眠りについていたはずの宇佐見さんという子で、その宇佐見さんは俺とトリマルくんを交互に見つめては俺に笑顔で「こんにちはー」と挨拶してくる。

「えっと、こんにちは宇佐見さん」
「あれ? アタシの名前をご存知で?」
「林藤さんに聞きまして…………」

トリマルくんとの会話の途中だったけれどニコニコと笑って話しかけてくれる女の子を蔑ろに出来るわけもなく、トリマルくんも同じ男として分かってくれると信じよう。

「ふーん、でもなーんか見たことある人だなあ」
「それを今話してたところですよ、宇佐見先輩」
「あれれそうなの? じゃあ正解は?」
「正解って…………」

眼鏡を押し上げながら俺に言い寄る宇佐見さんと、近くの椅子に自分の荷物を置いて答えを待つトリマルくんの視線に圧されて別に隠すことじゃないのにここから逃げ出したくなる。

「別にそんなたいした答えじゃないけど…………俺は、特例を与えてもらってるC級です。この玉狛支部でちょっとお世話になってます」
「特例……あぁ、あの」
「あー、噂の人! 通りで男前なわけだなー」


そう言って宇佐見さんはほほお、とまじまじと物珍しそうに俺を見つめる。


「なのでその、相手をするのノーマルトリガーとブラックトリガーの二つがありますけど……」
「マジすか、俺ラッキーっすね」
「ラッキーなんだ?」
「おっ、なに? バトっちゃう感じ?」

ラッキーということはブラックトリガーを使ってもいいということだろうか、なんて思いながらトリガーを握って準備万端のトリマルくんを見つめるが、肝心のトリマルくんは宇佐見さんの言葉に「バトります」と答えているせいで俺の視線に気が付かない。仕方ない、同じ男として許してやろう。

「じゃあブラックトリガーと、とりまるくんのガイストでバトるんならアタシがサポートして差し上げましょう」

トリマルくんの答えに何故か誇らしげな顔をしてパソコンの前に座りだした宇佐見さんにブラックトリガーだと明言してくれた感謝の念を抱きつつ、自分の鞄とポスターの入った筒を床に置いて壁に寄せる。
あれ待って? 俺戦う前に迅に電話するって話したよね?
その記憶がすっぽりと抜け落ちてるのかわざとなのか分からないけれど、トリマルくんはノーマルトリガーを起動すると俺を見つめて急かしてくるし、寝起きで髪の毛が整っていない宇佐見さんも俺を見つめて急かしてくる…………というか口でも「早く早く、」と急かしてくる。
初対面の二人にここまで急かされる経験はもうたぶん二度とないんだろうけれど、あまり経験したくないなあ。


「あー、…………五線仆起動」


だってほら、強く言えないじゃん。


                 ◇◆


 仮想戦闘モードというトリオン消費のない殺風景な空間、何度も戦ってきた慣れた場所だからかガイストモードをフルに使ってくるトリマルくんに勝ち越しという結果をおさめることができた。その結果をみて俺も五線仆ってやっぱりブラックトリガーなんだな、と他人事のように思ったが、トリマルくんも新しいトリガーに慣れていなさそうな立ち回り方をするときがあったからあまり自惚れないよう戒める。

「いやー、五線仆VSガイスト! イケメンVSイケメン! いい勝負だったねー!」

二人で訓練室001から出るとパソコンの前で座っている宇佐見さんが俺とトリマルくんに手を振って出迎えてくれたので、俺は「お疲れさま」と小さく手をあげて返す。

「強いっすね、多分訓練室じゃなかったらもっと強いと思いますけど」
「え? なんでですか」
「いや、どう考えても障害物とかある場所の方がそのブラックトリガーは有利だと…………」

顎に手を当てて考え込むトリマルくんは男の目からみてもカッコイイし、しかもアキちゃんのトリガーのことを褒めてくれてる気がするし、イイ人。しかも観察眼も鋭いとかズルい。

「ありがとうございます、ここの訓練室以外で誰かと戦ったことないから分かりませんが、えっと、トリマルくんにそう言って貰えると嬉しいです」
「…………そっすか」
「あれっ」

俺の後ろについて訓練室から出てきたトリマルくんに換装を解きながらを振り返って言えば、トリマルくんは訓練室の扉の前で立ち止まって俺を見つめてきた。『照れ』の視線を向けてくるトリマルくんに理由を尋ねてちょっかい出したいところではあるが、掛け時計を見ると訓練室に一時間近く籠っていたらしいことに気づき、迅と話さないといけなかったのを思い出して鞄に近寄る。
約束しているならまだしも一時間くらいで迅が帰ってくるとは思えないからきっとまだ玉狛支部に居ないだろうし、早いうちに連絡をとって早く帰ってくるように言っておきたい。

「? あ、迅さんに電話するって言ってましたね」
「そうそう、」

俺の歩み寄る先に鞄があるので、やっと上で林藤さんと話したときのことを思い出したらしいトリマルくんが近くの長椅子に腰を下ろしてそう言う。

「あ、そういえば迅さんが、」
「え?」
「今日は帰らないって言ってましたよ」
「、うげ!」

パソコンの前に座ったまま眼鏡を押し上げてそう言う宇佐見さんの言葉に鞄を開ける手をとめて反応すると、換装を解いて長椅子に座るトリマルくんが此方を向いて「そんな声も出せるんですね」と意外そうに呟く。
というか、マジか、帰らないって何しに行ってんだよ。
そりゃ何しにって未来のためになんかしてるんだろうし、今日は別に会う約束してた訳じゃないからこういうことになるのは仕方ないんだろうけど。

「はー…………マジか…………」

迅に会いに来ていることを早く宇佐見さんに言っていれば…………と壁に額を押し付けながら後悔してみる。いや待て、ここは逆に考えるんだ…………迅が居なかったから出来たポジティブのことを考えるんだ。

「落ち込んでますね」
「うわあごめんなさい、アタシがもっと早く言えば良かったのに」
「いや違う違う、間違えた…………」
「え?」
「迅とはどうせすぐ会えるし、迅と会えなかったからトリマルくんと宇佐見さんに会えたから俺は寧ろラッキーだった」
「「…………」」
「……………うん」

その『人たらし』とかいう視線をオチみたいな扱いにしないで欲しいんだけどなあ、なんて思いながら少し二人との心の距離が縮まって嬉しくなると同時にやっぱり不安も沸き上がってくるから複雑だ。
早くこの思考回路をどうにかしたいところではあるけれど、また自分のことばっかり考えていたら倉須の時のように周りのものを見落としてしまうような気がするから、手元にあった棒状の筒を見て別なことを考えてみる。

「…………迅って嵐山と仲良いって聞いたんだけど」
「え? まあ本部でも、一緒に居るところは見てますけど」
「玉狛支部に遊びに来てたりするらしいです」

二人からの情報に振り返って「ほほう…………」と返すと、宇佐見さんはニヤニヤと笑って「悪い顔ですねえ」と同じように悪い顔をする。
よし、嵐山のファンになるのも捨てがたいけれど迅が自室のベッドで寝起きする度に嵐山と目が合うようにしてやるのもなかなか面白そうだ。

「よーし、そうと決まれば迅の部屋に突撃しなきゃ」 」
「何のことか分かりませんけど、アタシもついていきます!」

鞄とポスターの入った筒を持ちながら立ち上がってエレベーターのボタンを押すと、後ろでピシッと綺麗に敬礼する宇佐見さんが眼鏡を光らせてそう言うので頷いて返す。
俺のその反応を見てパソコンの前の椅子から立ち上がる宇佐見さんを視界の端に捉えながら、長椅子に座って此方を向くトリマルくんに「共犯にならない?」と誘えば、意外にノリの良いトリマルくんも椅子から荷物を回収して俺のもとに来る。あーこの面子でよかった。いやでも、レイジさんとかじゃなければ玉狛支部の殆どの人達は乗ってくれるかも…………。

「で、どうするつもりっすか?」

開いたエレベーターの扉を見つめながら聞いてくるトリマルくんに先にエレベーターに乗るよう勧めてから宇佐見さんの次に乗り込み、階数ボタンを押しながら口を開く。

「迅のベッドの上の天井に貼り付けるんです」
「…………その嵐山さんのポスターをですか?」
「そうですよ」
「良い夢見れそうですね」
「試します?」
「それは遠慮します」

適当にした提案をトリマルくんにきっぱりと断られながらじょじょにエレベーターが上っていく感覚を感じ、目的の階に辿り着いてから迅の部屋へと向かう途中「そういえば」と隣で歩くトリマルくんが呟いたので俺と宇佐見さんはトリマルくんを見つめる。

「俺達、ほとんど敬語っすね」
「あー、確かに。まあアタシはとりまるくんにはタメ口だけど」

ふふん、と何故か威張る宇佐見さんの言葉に、とりまるくんの方が年下なのかなあと漠然と考えてみる。

「名字さんは何歳なんですか?」
「……俺は今年で十八」
「俺、今年で十五なんで敬語とかいらないっす」
「アタシも十六ですし、敬語いらないですよー」
「え? あ、うん、わかった」

二人の意外な若さに少し驚くけれど、ボーダー全体が俺より若い年齢層で成り立っているから特に珍しいことではないんだよなあと思い直す。てか、今のところボーダーで会った中で年齢を知っている隊員だとトリマルくんが一番若いか…………あ、あと時枝さん。
今年でいうと…………出水くんと米屋くんが十六で、哲次と鋼くんは十七で、えっと、迅と嵐山と学年は違うけど来馬も十八、慶が十九、東さんが二十四。他は冬島さんが成人してるってことだけ知ってるくらいかな。諏訪さんは知らない。

「でも名字さん、とりまるくんに敬語使ってるわりにはあだ名で呼んでますよね?」
「…………あだ名なの!?」
「あぁ、やっぱり知らなかったんすか」
「だ、だって林藤さんがそう言うから…………」

でも結局は最初聞いたときは名字か名前か分からなかったけれど、そういうのもあるんだなあ、程度で聞き流してしまった過去の俺が悪い。鳥丸だと思ってた。

「因みにフルネームも知らないや……」
「あらら、それじゃあ改めまして、」

宇佐見さんはそう言うと「うぉっほん」と威厳のあるオジサンみたいな声で仕切り直してから満面の笑みを俺に向けて言葉を続ける。

「アタシは宇佐見栞、一応オペレーターやってます」
「俺は烏丸京介って名前ですけど、別にとりまるでいいっすよ」
「じゃあ……栞ちゃんと、トリマルくんにするかな」

わざわざ俺に視線を向けながら自己紹介してくれる二人に俺も自己紹介した方がいいかなあ、なんて考えたけど、二人とも特例のことを知っていたのなら俺の情報を資料かなんかで見ただろうと思って自重した。
そう話しながら廊下を三人横並びで歩き、目的の迅の部屋の前についたので何のためらいもなく扉を開ける。許可とか今更だよな。

「えっと、確かここの引き出しに画鋲あったはずー」
「名字さん詳しいっすね、…………」
「まあ、たまに勝手に侵入するし」
「えっ、なんか良いものでもあるんですか?」
「いやあのぼんち揚げ盗みに」
「あー、あれっすか…………迅さんがいつも持ってるやつ」

初めての侵入に遠慮しているのか扉の前から動かないトリマルくんと、遠慮なしに色んなところをキョロキョロと見て回る栞ちゃんの対照的な動きに少し笑いそうになる。

「そこの段ボールから取っていいよ、迅に許可貰ってるから」
「許可貰ってるならアタシもらってこうかなあ。とりまるくんは?」
「あ、いります」

ガサゴソと蓋の開いた段ボールからぼんち揚げの袋を取っていく二人を見てから画鋲の箱を取り出して四つ画鋲を出したが、もし画鋲がとれて寝てるときに迅の顔面に落ちたりしたらどうしよう…………とかしょうもないことを思い付いてしまって手が止まる。いやまてよ、未来視できるならそんな心配ないか。
二人が話しているのを尻目に五線仆を換装し、ベッドを踏み台にするだけじゃあ足りない高さを生成したトリオン糸を伸ばし、寝たときに見やすい位置に綺麗に画鋲で貼り付ける。こんなことのために五線仆を使っていると本部上層部にバレでもしたら、即刻ブラックトリガー取り上げられそう。

「うわっ、ブラックトリガーの無駄遣い」
「けど、すごい綺麗に貼れましたね」
「でしょー?」

ぴょん、とベッドから飛び下りながら換装を解いて天井を見上げると、真っ直ぐに嵐山のポスターが良い位置で貼られていたので満足して頷く。 ここ最近俺の専用仮眠室で寝ちゃうくらい疲れてるみたいだから、嵐山の眩しい笑顔を見てから寝て朝起きる度に嵐山の眩しい笑顔を見る生活を送ればきっと心もリラックスするんじゃないかなあ、っていうか運良くリラックスしたら良いなあって願望を抱く。いやほんと、隣の席の女の子は寝る前に画像見たり録画した嵐山の動画見てるって言ってたからきっとそういう効果があるんだよ。

「これから二人はどうすんの?」

腰に両手を当てながら天井から視線を二人に移すと、栞ちゃんは「私は本部に行きます」と言い、トリマルくんは自分の手首に巻かれた時計を見てから「バイトに向かいます」と答える。そうだった、自主連してからバイトに行くって言ってたっけ。

「じゃ、俺は家帰るから途中まで栞ちゃんと一緒かな」
「俺もそっち側です」
「お、じゃあ三人一緒ですなあ」

そう言ってからぼんち揚げの袋をそれぞれ一つずつ抱えて部屋から出る。
そしてそれぞれの目的地に向かうまでトリマルくんが出水くんと知り合いなこと、栞ちゃんが元風間隊のオペレーターであることなどを教えてもらいつつ仲を深めていったけれど、これが正解なのかは未だわからない。迅とも早くその話をしないと。





「じゃあ、俺こっちなので」
「ここで三人お別れかー」
「玉狛支部でまた会えるって」
「とりまるくんとはほとんど毎日会えるけど、名字さんはそうもいかないから…………あっ! 連絡先交換すればいいじゃん!」

スクール鞄から自分の携帯を素早く取り出して笑いかけてきてくれた栞ちゃんの申し出に、俺も携帯を取り出して応えると、横からトリマルくんも参加してきて俺の携帯は新たに二つの連絡先が登録された。

「…………あっ、この漢字だからトリマルくんなんだ」
「からす、ですけどね」
「えー、かっこいい」
「そっすか?」
「格好いい格好いい、顔だけじゃなくて名前も」
「じゃあ結婚します?」
「え? あ、名字くれんの? なら俺烏丸名前じゃん、やった」
「えっ、宇佐見名前は考えてくれないんですか?」

俺とトリマルくんの茶番に栞ちゃんは携帯を仕舞いながら言うので、俺とトリマルくんは「男女じゃ洒落にならないんじゃ…………」とか共通のことを思いつつその言葉に反応する。

「そうなると俺って婿養子?」
「いいじゃないですか! 婿養子!」
「そうかなあ…………」

というか、そうなると烏丸のとき俺は嫁なのか。

「宇佐見になったらアタシの家族は手厚く歓迎しますよー」
「えー、じゃあ嫁ごうかなー」

そう言ってくれる栞ちゃんが可愛くてついついさっきの会話を忘れてデレデレとノリに乗っていると、携帯を弄っていたトリマルくんががしっと俺の腕を掴んで真っ直ぐ見つめてくる。

「ちょっと、浮気っすか」
「え? ち、違うよ…………」
「じゃあ今の、どういうことなんですか」

トリマルくんの無表情から放たれる言葉に言い寄られながら、内心本当に悪いことをしているような気がしてきた俺は思わず視線を逸らしてみると栞ちゃんまでもが「ひどいっ、アタシとは遊びだったのね…………」と言ってはあ、とため息を吐くので、俺をまるで浮気者のように扱う二人にどう収拾しようかと考える。

「、俺はどっちも好きだよ…………?」
「なら、具体的にどう好きなんすか?」

二人の面白がった視線をびしびし感じながらトリマルくんの問いに答えようとするが、そもそも二時間くらい前に知り合ったばかりなので具体的に知っていることが何もないことは三人全員が知っているわけで。

「とり…………京介は、イケメンでバイトしてて、トリガーがガイストなところ」
「っ、」

顔を逸らして笑いやがった。だってこれしか知らないんだもん。

「栞ちゃんは、オペレーターでショートカットで、美人なところ」
「おっ、流石名字……じゃなくて、名前さん分かってるー」


それでいいんだ。


「でも名前さん、どっちもは選べません」
「まあまあ、こういうのも燃えますけどね? 昼ドラみたいで!」
「、烏丸も宇佐見もどっちも魅力的なんだよ………てか、二人とも時間大丈夫?」

この状況から逃げ出すためでもあるけれど二人とも目的の場所があるのなら時間にも気を配らなければならないのではないかと思って言ってみれば、携帯を持ったままのトリマルくんが画面を覗いて「ちょっとヤバイっすね」と言って栞ちゃんに画面を見せる。

「うわ、結構時間たってる!」
「ほらほらー、じゃあ解散! 結果は烏丸も宇佐見も素敵ってことでオッケー!」

携帯を覗き込む二人にそう言ってから優しくトリマルくんの手を離させて、逃げるように「じゃっ、」と手を挙げて二人の返事を聞かずに孤児院への道のりを走る。というか、ここ最近走ること多いな。
慶と迅に呼び出されたときと倉須の元へ走ったとき、どちらも違う感情で走って、今も別の感情を元に走る。
逃げられて良かった、っていう感情な。


                  

 空っぽになった筒が少し邪魔だなあ、なんて考えながら孤児院の元へ走り抜き、息を整えて額に滲んだ汗を拭いとってから孤児院の扉を開けて「ただいま」と小さく呟くと、広間の方からきゃっきゃと幼稚園組と小学生組がはしゃいでいる声が聞こえた。
そのいつもの音を耳に入れながら靴を脱いで廊下を歩き、自室に荷物を置きに行こうと広間を通り過ぎようとしたところで視界の端っこに青い見慣れたジャケットが見えて何となくそちらを向く。えっ。
いつものように机の周りに集まってカードゲームやらをする小学生二人と床で見たことのない玩具を広げて遊ぶ幼稚園組二人、そして台所で晩御飯を作っているカズエさんの姿、ここまではいつもの情景。おかしいのは机の前にある椅子に座って幼稚園組の持ってくる玩具を受け取ってはお礼を言うだけの作業をして笑っているその人間の存在だ。

「あっ、名前にいだ」
「かえってきてたのー?」

廊下側を向いてカードゲームをしていた小学生の一人とその声に反応した幼稚園組の一人が俺の方を見てそう言うと、その青いジャケットを羽織ったままのおかしな存在である迅が俺を見て「よっ」と色々な玩具を持ったまま手を挙げる。

「…………何してんの?」
「泊まりに来た」
「……………………ん?」

泊まりに来た? え、泊まり?
栞ちゃんに『今日は帰らない』って言ったのは元よりそのつもりでここにきて、大方既にカズエさんから了承を貰える未来が見えていたから? なんのために? 話をするだけのためにか?

「てか、こんな玩具あった?」

沢山の疑問があるものの、膝にたくさんのブロックやらゴム製の玩具やらを乗せた迅の姿を見つつ、後ろから俺の脚に抱き付く幼稚園組の一人に尋ねれば、ソイツは目をキラキラさせて「このおにいちゃんが、くれた」と言う。

「えっ、か、買ってきたの?」
「ちょっとズルした」
「ズルって…………」

どういう意味だよ、と聞きたいがここで聞いても答えてくれそうもない気がしたので自分の足に掴まる奴に視線を落として「お礼言ったか?」と尋ねる。

「いったよ」
「…………ほんとか?」

ぐりぐりと額を俺の脛に擦り付けながら言ってくるあたりなんか怪しいなあ、と思った俺はもう一度迅に視線を戻して聞くと「言ってたよ」と椅子の背もたれに肘を置きながら言うので俺は眉を寄せて息をはき、しゃがみこんでソイツのほっぺを掴む。

「おい、ちゃんと言ってないんだろ?」
「いったもん」
「俺にうそは通じません。てか、お前もきなさーい」

ほっぺを摘ままれているというのに嬉しそうにする女の子の『千恵』とマイペースに黙々と玩具で遊び続ける男の子の『洋』を呼び出し、寄ってきた二人を迅の前に並ばせて背中を叩く。

「ほら、せーの」
「ありがとうございました」
「ありがとっ!!」


それぞれ洋と千恵がお礼を言うと、空気を読んだ迅が「どういたしまして」と返す。


「えらいな、二人とも」
「ねえ、ちゅーは?」
「…………あっ」
「ちゅー…………?」
「ち、違うんだよ迅くん、」

俺に言われてからでもキチンとお礼を言えた二人の頭を撫でると、さっきまでこっちに興味の無さそうな顔してた洋が何の表情も携えないままそう言う。忘れてた。当たり前すぎてこれが世間的に当たり前じゃないのを忘れてた。

「いやー、その、迅おにいちゃん居るでしょ? それはここだけのルールって言ったよね」
「ここは、こじいんだよ?」
「…………迅おにいちゃんは、ちがうからね?」
「じゃあじゃあ!! このおにいちゃんにもすればいいじゃん!」
「それは違う」

容赦なく俺の首に巻かれたネクタイを引っ張ってくる洋としゃがみこんでいる俺の膝に手を乗せてジャンプする千恵の声を聞きながらチラリと迅を伺い見ると、迅はニヤニヤして「してあげれば?」と言ってくる。

「…………俺、このおにいちゃんの前ではしたくないなあ」
「えーなんでー?」
「それは、」
「そんなの恥ずかしいからに決まってんだろ」

すると、迅の隣に座ってカードゲームに勤しんでいた小学生の一人が視線をこちらに向けることなく俺の心を代弁する。またゲームかこいつら。

「あーもうわかったわかった、じゃあしてほしいなら廊下来なさーい」

恥ずかしいからに決まってるのは確かだけれど、迅の前でしなければそれはいつもと変わらない『良くできましたのちゅー』でしかない。そう考えた俺が二人に言って廊下へ歩くと、後ろから律儀に「はーい」と返事をする千恵と黙ったままの洋がついてくるので少しホッとする。
廊下に出て広間の陰になるところにしゃがめば予想通り千恵が先に「わたしから!」と手を挙げたので引き寄せて頬にキスをし、元気よく広間に戻っていった千恵を見つつ、次に洋を引き寄せて頬に唇を当てようとすると、洋は少し不満そうな顔をして俺の口を手で塞ぐ。

「ん?」
「ここがいい」

そう言うと洋は小さな自分の唇を指差す。
かわいい…………どこでそれを覚えてきたんだ。

「なんで?」
「だって…………みきちゃんがここにしてきたから」
「…………?」

そのみきちゃんが誰かは知らないけれど、洋を随分早い段階で大人にしてくれたんだなあと少し感謝しながらも寂しく思って口から洋の手を離す。
まあ、幼稚園のころなんてしょっちゅうキスするもんだし、マウストゥーマウスだからなんだって話なんだけど。

「みきちゃんとした、ここのちゅーは特別なの」
「とくべつ?」
「そう、好きな人とするの」
「…………名前にい、洋のことすきじゃないの?」
「ぐっ…………」


かわいい…………誰だ洋をこんなに可愛く育てたのは!


「でも、いまは良くできましたのちゅーだから、ほっぺなの」
「…………そうなの?」
「千恵のことも好きだけど、ほっぺにしたでしょ?」
「うん」
「口にするのは特別なときだけ、わかったか?」
「うん」

俺の必死の説得に納得してくれたらしい洋を改めて引き寄せると、自らほっぺを差し出してきてくれたのでそこへ『良くできましたのちゅー』をする。

「っていうか、見てんじゃないよ…………」
「だってなんか、熱弁してたからつい」

視界の端でひょこっと顔を出して俺を見下ろす迅の台詞に少し羞恥心を抱きながら洋の背中を押して広間に戻るよう促すと、洋は俺の視線の先にいる迅に「迅おにいちゃんだ」と言って俺と同じように見上げる。

「迅おにいちゃんの目」
「目?」
「名前にい、だっこ」
「え、うん」

いきなりの迅への言葉と要求によく理解できないまま言われた通りに立ち上がってから洋を持ち上げて首に手を回させるが、俺も迅も頭の上に疑問符を出したまま首をかしげ合う。なんだ、未来視てないのか? と少し疑問に思ったのでサイドエフェクトを意識して『迅から洋へ』の視線を読み取り、これがただの読み逃しだということを知る。

「近くにいって」
「迅おにいちゃんの?」
「うん」

俺と同じくらいの身長の迅に近寄ると結構恥ずかしいことになるのは何度も経験しているからこそ分かるけれど、こどものお願いとなると断れない。
それは迅も同じなのか、洋の言葉を聞いて俺の方へ寄ってくると「何するの?」と俺に抱かれる洋の顔を見つめて尋ねる。すると洋はじーっと迅を見つめてたかと思うとゆっくり両手で迅の頬に手を当て、自分の顔を近付けた。
この瞬間俺はさっき話したばかりの特別な方のキスを思い出して内心焦ったが、サイドエフェクトを意識して使って調べてみるとそういうことでもないみたいなのでホッとする。

「きれいなおと、するよ」
「、え?」

じっと迅の瞳を至近距離で見つめながらそう言う洋の言葉に、迅は珍しく戸惑ったようにしてから理解したように「あぁ」と呟いた。未来視たな。

「ねえ名前にい、きれいだよ。アキちゃんとはちょっとちがうおと」
「へえ、」
「ねえわかる? きれいなおと」
「んー…………」

洋を持ち上げている俺も自然と至近距離になるため仕方なく近くにある迅の瞳をじっと見つめる。
そこに在るのはいつもと同じ透明な青。廊下にある窓から差し込む夕日の光が俺達に丁度当たっているからか迅の瞳もキラキラと反射していて、サイドエフェクトから読み取れる感情もいつもより幼い感じ。

「音は俺には分かんないけど、綺麗な色だなあって思うよ」
「、…………ずるいやつだ」
「んで、今俺と洋に見つめられてるから照れてる」

自分のサイドエフェクトで分かることを言ってから迅の頬に手を当てたままだった洋を下ろし、それと同時に適切な距離に戻ってから今度こそ本当に洋を広間に戻るよう促すと、洋は「やさしくてちょっと、ないてるけど」とだけ言って素直に広間へ戻っていった。

「…………かわいいな、」
「かわいいよ、…………あ、迅も」
「やめなさい」

夕日のオレンジ色の光が迅の横顔を照らし出してるから頬の赤みはよく判断できないけれど、わざとらしく視線を逸らしているところをみると、まだ洋の言葉が効いているみたいだ。

「まあ未来視て俺の説明も知ってるからワザワザ言わなくていいか」
「…………サイドエフェクトなんだろ?」
「かな? 目を見たら人格が分かるやつ」
「視覚で音が聞こえるってスゴいな」
「音ってのはあいつが例えとして感じてるだけで聞こえてない、分かるのは人格だけ……………まあ、あの発言で幼稚園じゃ孤立してるっぽいけど…………みきちゃんにキスされたとか言ってて正直少しホッとした」
「はは、完全に親の言葉」
「そうなのか」
「そうだって」
「…………」
「? なんか言いたいことあるみたいだな?」
「いやあ……………」

親っていう単語で思ったけれど、迅の両親はどんなひとだろうか。
玉狛支部のあの部屋に住んでいるということはその他に家がないか、住み込みで玉狛支部に居るかのどちらかだ。

「別になんもないよ」
「…………それはあまりにも分かりやす過ぎじゃないか?」
「何が」
「嘘ついてんのが」
「別に…………迅ってずるいなって思っただけ」

出会って二ヶ月近く経って迅はどんどん俺のことを知っていく。
そりゃ勿論未来視のサイドエフェクトがあるんだからきっと俺の知らない俺すらも知っているんだろうけれど、迅は過去と現在の俺にも関わってきている。なのに、俺は迅についてはよく知らない。二ヶ月で知ることなんてたかが知れているし、俺は未来は視えないし過去も聞けてないから現在の迅についてしか知らない。
でもだからって、それについて寂しく思ったり不満を抱いたりもしない。ていうかむしろ、あんまり迅と深く関わったら本当に洒落にならないほど迅に執着してしまいそうで怖い。
今でさえこんなに、迅に与えられ続けているのに。

「ずるいのは名字だろ」
「どこがさ、サイドエフェクトのこと言ったら迅の方がチートだからね?」
「そこじゃなくて」
「、なに?」

苦笑いを浮かべて視線を窓に向ける迅の横顔を見つめながら何となく最後に言った洋の言葉を思い出したけれど、迅の口が開いたことでその思考は何処かへと飛んでいく。

「なんというか、相手が喜ぶって分かってることを躊躇いも恥ずかしげもなく言えるところ」
「なにそれ…………ホストみたいじゃん」
「ホストはそういう仕事だからいいけどさ、名字は素じゃん」
「…………喜んでもらいたいし、いいでしょ」

迅の言葉に少し唇を尖らせながら言えば「悪いとは言ってないだろ」と続けてヘラヘラと笑う。

「俺のずるさがそんなレベルなら、迅はラスボス並にずるい」
「何で敵役なの」
「……そこ?」
「そこ」
「じゃあ、最後の目的地の街の王様だと思っていたけれど実はその人は血の繋がった自分の父親で、しかもその父親は天使の血をひいていたから必然的に同じく天使の血を引いている冒険の主人公並」
「長いよ…………しかも結構ベタ」

ダメ出しの多い迅に自分が元々何を話していたのか忘れた俺はため息をひとつ吐き、迅の横を通り抜け広間へ戻ろうとして、ふとあることに気が付く。


あれ?



「てか、迅がここに来たの…………なんで?」
「おっと今さら…………?」
「いや、この前の話の続きだろうけど、ちがくて…………なんだろ」
「…………名字?」



なんていうか、あの迅が? って感じ?
玉狛支部にも最近顔を出さないでしょっちゅう何処かに行ってて、小南さんは迅のことを全く見かけない月すらあるって言っていたのに。裏でたまに誰にも気付かれずに未来のために動いたりして、最善の結果を出そうと奮闘してたりする迅が、何で貴重な時間を俺のところで使ってんだ? 普通に本部とかそれこそ玉狛支部とかで話せば済むのに。
なら、それなりに何か必要なことがここにある?
迅にとって俺は助けたい人の中の一人なだけなんだから、何の意味もなくここを訪れることなんてないから…………。
いきなり自分の腕をつかんで真面目な表情をしだした俺に首をかしげる迅だけど、向けられている視線が『困惑』と読み取れて俺も顔をしかめる。

「…………」
「…………」

俺と同じくらいの体温を感じる迅の腕や見つめてくる透き通った青い瞳は今までの迅なのに、それがサイドエフェクトに生きる意味を乗っ取られた人間だと思うと少し恐ろしい。けれど、そんなサイドエフェクトで視る未来で動く迅が、今日はただ単純に友人として話をするだけの為に俺に会いに来てくれてたらいい、なんて思う。これはズルいことだろうか。


「名前にいー! ごはんー!」


広間から聞こえた千恵の大声に俺と迅は同じように肩を跳ねさせ、お互いに溜め息をはいて苦笑いを溢す。


「行くかあ」
「だな」



迅がここに来たことになんの深い理由もなくて
ただここに泊まりたかったからって言ってくれたなら、どんなに俺は、

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