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 午後六時、一人で担当させられた防衛任務を終えてからいつもの癖で何となく携帯を開くと、よく分からないタイミングで連絡を入れてくることに定評のある慶から『本部に来いや』とのメールが来ていた。そして何時ものようにそのメールに嫌な感覚を覚えた俺がその不穏なメールを見なかったことにして孤児院へと帰ろうとしたところ、同じく防衛任務にあたっていた嵐山に運良く食事を誘われたのでそれを理由に代えてから慶からの命令文メールに『今じゅんじゅんと食事するから無理』と返した。
ざまあみろ、いつまでもおまえの要請に反応してやる俺じゃない。それにこの前、呼ばれた通りノコノコと慶の部屋に訪れたら慶がずっとうどん食ってたり俺が壁ドンした後なんか色々あって結局絶交した過ちは記憶に新しいし、今考えたらカオスでしかないと考えた結果でもある。
その点俺のとなりに並んで歩く爽やかな好青年こと嵐山准…………あ、じゅんじゅんは、輝かしい笑顔を俺に向けながら他愛もない世間話をして俺を楽しませてくれる。流石、ポスターで見るより断然ナイスガイ。

「で、充が言っていたマンチカンとやらをネットで検索してみたんだ」

そして俺の脳内の前置きを知らずに続けられている話の内容はどうやら猫を飼っている時枝さんの猫トークの中に出てきたマンチカンという猫の種類のことらしく、嵐山は携帯を手にとって何か操作しながら興奮ぎみにそう言うと「それがこれだ」と俺の方に携帯を差し出すので、歩きながらそれを受け取って画面を見る。

「…………かわいいな」

そこには通常の猫より足の長さが短く、灰色と白色の子猫特有のふわふわとした毛の猫が不思議そうに首を傾げてる画像が表示されていて、これを保存した嵐山のことを考えると少し面白かった。

「思わず保存してしまった」
「そりゃーしちゃうわ」

その画面のまま携帯を嵐山に返しながら頷いて同意しながら、段々と食堂に近付いてきたことで周りのざわめきが大きくなってきたことに少し意識をとられる。

「俺は犬を飼ってるから、猫を飼うのは難しいんだよなあ」
「え、犬飼ってんの?」
「ん? 写真見るか?」
「おー、見る」

周りのボーダー隊員からちらちらと向けられる視線がほとんど嵐山へのものだと頭の端で言い聞かせながら嵐山の飼っているという犬の写真を覗き込んで心を癒す。柴犬っぽいけど少し違うような犬種で、舌を出してどアップのままカメラ目線で写るその姿は愛らしい。

「なんていうか、生命力に溢れた顔してる」
「、すごい方向から褒めてきたな」
「そう? かわいいな」

思わずさわり心地を想像したくなるような犬の写真にそう思った俺は写真から嵐山に視線を移して少し笑う。するとそれに気づいたらしい嵐山も俺を見つめて笑い返してきた。イケメン。

「散歩が少しハードだけどな!」
「あー、たしかに、どこまでも引っ張っていきそう」

早朝のランニングがてら赤いスポーツウェアとか着てこの犬と走ってそうだなあ、とか適当に想像しながら携帯を仕舞い、窓際近くにある四人用の机に荷物を置く嵐山を見て俺もリュックをおろす。近くに座る人はいないし、多分これからもいないままだろう。俺がいる限り。

「あぁ、名字の分も買ってくるから荷物を見といてくれないか」
「おっけー、俺温かいのなら何でも良いや」
「わかった」

そう言って財布だけもって行った嵐山に俺は手を振り、何時もよりも多く向けられる視線に眉を寄せながら嵐山の鞄を机の上から目の前の椅子の上に置き、自分のリュックも隣の椅子に置く。椅子に腰かけて窓の外を見ると空は晴れ渡っていて、もうすぐ春が来るからかここ最近晴れた天気が増えてきていてほっこりするなあなんてぼんやりと思い目を閉じる。

『あ、ホモの人』
『あれって、人殺しとか言われてたやつじゃね?』
『二人ともかっこいい……』
『あいつら猫と犬の話してたな』


はあ、はいはい。


『うわ、怖いって噂の人』
『この前A級と話してた奴じゃん』
『あの制服、進学校かな』
『嵐山さんに買いに行かせたとかすげえ』


いい気分で目を閉じてサイドエフェクトを意識すると人間って色々な人がいておもしろいよなあ、と思える視線が読み取れてしまい、独りだというのに少し苦笑いを溢す。どうやら俺のあの人殺しとかいう噂は色んな進化を遂げつつもまだ生きているようで、そのあとに流された俺の顔についての噂はあまり影響力はないらしい。ホモの人ってのは流石に噂が変わりすぎてると思うけど。
そりゃ、人殺しとかいう噂の方がインパクトが強いに決まってるか。
てか、怖いって…………顔が? 性格が? 雰囲気が?
まあそれにしても、あの人殺しの方の噂は何処から流れたんだろうか。

「今更だけどな…………」

ぽつり、と俯きながら呟いて記憶をたどる。
うーん、確か慶と孤児院の前で会ったときに俺がどういう経緯でアキちゃんのブラックトリガーを手に入れたか慶は知らないと言っていたから、知っていたのはブラックトリガーがアキちゃんだ、ということだけっぽいよな。それにこの前三輪くんと話したときも復讐なのかそうじゃないのかと聞いてきたということは、ブラックトリガーのアキちゃんが俺にとってどういう存在なのかは知っていると考えられる。だからあんなことを尋ねてきたに違いない。つまり、上層部が公表した情報はブラックトリガーの存在と大まかな機能、それから俺の存在とアキちゃんの関係くらいだということだ。けどそれじゃあ、俺がどうやってブラックトリガーを手にしたのかまでは分からないから人殺しという発想すら出てこないはず。
だから上層部からの情報関係なくそのことを知っている人物が流したしか考えられない…………けど、その方が全く見当がつかないのも事実。と、考えたところで嵐山がやけに早く財布だけを持って戻ってくるのが視界の端に見えたので俺は俯いていた顔を上げて近付いてくる嵐山に首を捻る。

「どしたの?」
「あぁいや、時間がかかるからここまで持ってきてくれるらしい」

そう笑いながら俺の目の前の椅子に腰かけて話す嵐山に「顔が知れてるっていいね」と冗談を溢しながら、隣の椅子に置いたリュックから自分の財布を取り出す。

「何円? てか、何にしてくれたの?」
「月見そばにしておいた、二百八十円だ」
「やっす。ありがとう。ほい三百円、お釣りはとっときな」
「なんだその顔は」

たかが二十円のお釣りに俺がどや顔でカッコつけると、嵐山は少し驚いたような表情で『意外』の視線を向けてから、ははっと楽しそうに笑ってそう言った。
意外なのか、俺ってやっぱり第一印象が悪いのか。

「ねえ、嵐山」
「なんだ?」
「嵐山はどうしてそんなに爽やかなの? なんか変なの食べてるの?」
「…………それは、その、本気で聞いてるのか?」

小銭を握りながら俺の突然の問いに笑みを崩さず首を傾げる嵐山は、悲しいかなメディア慣れしてるからかちょっとしたことでは変な部分を晒さないようだ。

「いやこれからの参考にしようかなあと。てかさ、俺への第一印象なに?」
「…………名字のか?」
「そう、嵐山から俺への」


ぴっ、と嵐山を指差してから次に自分を指差して改めて言う。


「うーんそうだな……」


俺の渡した三枚の百円玉を財布に仕舞いながらそう言う嵐山に、俺は初対面が自分の入隊日だったことを思い出す。
あのときは今とは違ってアキちゃんの代わりになろうとバカみたいに視野が狭かった頃、まあこの前までそうだったんだけど。でも迅と会って、色んな選択肢を与えてもらったり色んなボーダー隊員に出会えるような未来に動かしてもらってたり、俺の生きられる未来のことを俺よりも考えてくれた人がいたから俺は視野が広がって『生きていなきゃ何も出来ない』と当たり前のことに気づかされた。ほんと、感謝してもしきれない。だから抱っこにおんぶ状態の借りを少しずつでも返せればいいなあ、なんて最近は思う。
って、脱線脱線。俺の第一印象の話だ。

「俺が名字を最初に認識したのは、たしか充と話しているときだな」
「あぁ、あの訓練待ちの時ね」

そういえばあのとき時枝さんに入隊時のポイントについて話しかけられて、それを見てた嵐山が「世話になったな」とかなんとか言ってきたんだけ。

「そうだな。その時俺は……冷静そうな奴だと思ったんじゃないか?」
「そうなの?」
「あの中では余計そう見えたんだろうな」

確かに、入隊して直ぐに抜き打ちみたいな形で訓練させられたら大体の人が緊張するはず。けれど俺は忍田本部長の話を聞いているときにサイドエフェクトでそれを読み取って心の準備が出来ていたから、あまり緊張しているようには見えなかったんだろう…………まあ、それはサイドエフェクトを知らない嵐山に言うことじゃないので。

「そりゃ、ポイント取らない方が俺的には良かったからね」
「今考えればそういうことになるな」

C級で居られるように元々本部から与えられていたポイントを考慮して最低限のポイントを取ろうとしていたから、高いポイントを取ろうと躍起になっている人達より緊張感は薄いだろうということだ。

「でも冷静そうな、っていうのは俺の第一印象っていうか周りの状況があってこその印象だろ? そうじゃないやつ! 俺の顔見て!」
「顔?」
「ん、身体でもいいよ」

そう言って自分の両頬を包むように手を当ててから椅子を引いて小さく手を広げて見せると、嵐山は腕をキョトンとしてからおかしそうに笑う。

「はは、そうだなあ……今のはかわいらしいと思うけどな」
「かわ、………今じゃなくて初対面!」
「うーん……綺麗だなあとかか?」
「嬉しいです、けど…………気持ち的に!」
「き、気持ち?」
「こう…………俺の顔を見て『怖い』とか『冷たそう』とか、」
「ああなるほど、そうだな……」

綺麗だと言われたことに照れる隙を自分にあげないように言葉を頑張って紡ぐと、俺の質問の真意がやっと伝わったのか嵐山は改めて机に頬杖を付きながら俺の顔を見つめてきた。

「…………なんというか


 『自分なんかじゃ』って思わせられるかもしれないな」

そう困ったように笑う嵐山の言葉に俺が眉をひそめ、先程引いた椅子を戻して「どういうこと、」と頬杖をつく嵐山に聞くと、嵐山はさっと窓の方に視線を逸らして考えを纏めるように唸ってから、チラリと俺を見て「気分を悪くしたら悪いが、」と先に断り言葉を続ける。

「…………接するよりも前に一線引かれているような気がしてしまうかもしれない」
「…………それは俺の顔だけじゃなくて、雰囲気とか?」
「そうだな。醸し出してる空気が『俺なんかじゃ話してくれない』とか『私なんかじゃ一緒に居れない』とか思わせる気がするんじゃないか?」
「なるほど、」

その言葉が何となく納得できるのは、本当に俺が心の奥底で一線を引いていたからだろう。
迅が俺に色々な人を会わせようとしていた真意を知る前は自分に孤児院の皆以外に大切な人が出来ることに怯えていて、守るべき人が増えていくことに危機感を募らせていたし、迅の思惑を知った後でも不安を覚えていた。だから無意識的にそういう空気を醸し出していたのなら第一印象がどうのこうのって言われたって仕方ないことかもしれない。それで相手に『自分なんかじゃ』とか思わせていたのは今更だけど普通に申し訳ないし、今考えれば初対面の来馬の台詞もそういうニュアンスだっのかもしれない。

「嵐山も?」
「俺は…………そうだな、最初敬語を使われてたのもあって『俺と仲良くしてくれないんじゃ』とか無意識に思ってたかもしれないな」
「ご、ごめん」
「いやでも、話したらそんなことはないと分かるから謝る必要はないぞ?」

質問しておいて言われた答えの内容に謝罪するってどういうことなの、と自分自身でも不思議だが、少し焦って俺の顔を上げさせようとする嵐山が見れたのは少し得した気がする。
というか「話したらそんなことない」って感じの台詞も、来馬が言ってたような言ってなかったような。

「でもそうかあ、」

だから色々な噂が何時までたっても尾ひれがつくだけついて消えていかないのかもしれない。真偽が分からないから。
じゃあ、話せば解決するなら色々な人と話すしかないじゃん、ってなると迅の思惑通りなんだよなあ……信じてるからいいんだけど少し悔しい。
なんて嵐山の答えに対して考えていると、エプロンをしたお兄さんがトレイに二つのどんぶりを乗せて俺たちの居る机の横に立つと「お待たせしました」と笑って机の上にトレイごと置く。

「月見そばと、海鮮あんかけ焼きそばになります」
「ありがとうございます」
「わざわざすみません」

俺たちが会話を中断してお兄さんにそう言うと、お兄さんは「失礼します」と営業スマイルを見せて離れていった。

「あんかけ焼きそば、いいにおいする」
「一口やろうか?」
「、やった」
「…………ほら、そういうところだ」
「?」

トレイからあんかけ焼きそばの器を俺の目の前に置いてくれた嵐山に向かって嬉しさを表現すれば、嵐山は俺に箸を渡しながら微笑ましそうに俺を見てそう呟く。

「そういう名字を見れば、誰だって名字を好きになる」
「…………俺はそういうこと言ってくれる嵐山が好き」
「、それは嬉しいな!」

渡された箸で遠慮なくパリパリに焼かれた麺を突っつきながら嵐山を見つめて言葉を返し、それに対して嬉しそうに笑う嵐山の表情に俺は少し恥ずかしいけれど小さく笑う。いいやつだ、いいやつ過ぎて困る。

「ん、嵐山も月見そば食っていいよ」
「じゃあ、貰おうか」

ずるずる、パリパリと互いに互いのメニューのものを一口食べてからおいしい、と呟いて改めて皿をトレードする。ここの食堂は学生に優しい料金のわりに量もあって美味しいから素晴らしいよね。

「んあ?」
「、どうかしたか?」

月見そばの卵を崩さずに麺を啜っていると、減ってきていた俺への視線の中に一際目立って『発見』という視線を向けてくる人が二人現れたことに気づく。それに対してぶわっと嫌な予感を感じ思わず言葉を口に出すと、嵐山は丸まった海老を箸で摘まみながら俺の声に反応をした。
どうする、いやでも視線だけじゃ悪いことだと断定出来ないしなあ、なんて思いながら啜っていた途中のそばを噛みちぎってキョロキョロと周りを見回すけれど、この時間帯は人が多くて誰がその視線を向けてきたのか一概に決めつけられない。

「なんか、嫌な予感を感じた」

キョロキョロとたまに視線を動かしながら問いかけてきた嵐山に返答すると嵐山は「そうか、」と言ってからもぐもぐと咀嚼し、今度は麺を箸で持ち上げて少し言いにくそうに俺を見つめる。なんだ?
そして口の中のものを飲み込んで、あー、と言うと、続けて箸を持った手で俺の背後を指差しながら言葉を続けた。

「後ろから来る太刀川さんと風間さんのことでは、ないんだよな?」
「…………それだわ」

そう言われると後ろを振り向きたくなくなるが、風間さんが居るなら挨拶くらいした方がいいだろうと考え直して顔だけを後ろへ向けると、嵐山の言葉通り風間さんと慶が並んでこちらに向かってきているのが確認できたので無意識に眉を寄せる。くそ、メールにはここで食べているなんて書かなかったのに……。

「よお、なに食ってんだ?」

元々俺たちのところに来るつもりでこの食堂に来たのは最初に向けてきた視線で分かるが、慶がにやけ顔なのはその理由だけじゃない。どう考えても風間さんの存在だ。ていうかこの二人が来てから更に視線が向けられて、脳内が少し処理に追われているのが分かる。どれがどの視線の情報で、どれが今している会話の情報なのか判断が鈍るし頭が混乱状態に陥る。こんなん初めてだ。

「なんだ、そばか」
「そば? あ、そばだよ。お前みたいにうどんばっかり食ってねえんだよ」
「なんだと? 餅も食ってるだろ」

そう言って慶は勝手に俺のリュックを床に下ろしてリュックがあった椅子に座る。

「お、おう、…………てか勝手に座んなよ」
「いいだろ空いてんだから」
「おまえが勝手に空けたの!」
「まーまー」

俺のリュックを足で椅子の下に押し込む慶にいつもの口調で突っかかると、嵐山が「太刀川さんには厳しいんだな」と少し驚いたように俺を見てから遅れて来た風間さんのために自分の荷物を椅子から下ろす。

「だって見てよ嵐山、こいつ勝手に人のそば食ってるよ?」
「それは…………まあ、」
「ほら、ほら見て! 俺が潰さなかった卵潰した!」

なんだこのアイス食われたときと似た感じ、まあ別に食われたくらいじゃ怒らないけれど、慶だし。

「太刀川、年下に迷惑をかけるな」

すると風間さんが麺を啜る慶に叱るように言い聞かせると、慶はいつものことだと言うように気にせずそばを咀嚼して「やっぱうどんがいいな」と呟いて風間さんを目の前の椅子に座るよう促した。
おい、何故おまえが許可を出す。いやいいんだけどさ。

「あ、すみません風間さん、まだ俺挨拶済ませてないのに」
「いや気にするな、こいつがしょうもないだけだ」

俺が少し頭を下げて言った言葉に風間さんはそう返すと、嵐山が気をきかせて引いた椅子に座り込んで赤い瞳を俺に寄越す。
というかなんだこの豪華メンバー、俺ここに居て良いのか?
別に他のC級隊員に俺が特例を与えられていることを秘密にしている訳じゃないが、それにしても多すぎる好奇の視線と情報量に久し振りに逃げ出したくなるような思いになる。
『疑問』『驚き』『疑問』『嫉妬』『興味』『驚き』『既視感』『興味』『驚き』『興味』『嫉妬』『観察』…………あ、これは今増えたやつだから風間さんかな。

「名字、大丈夫か?」
「え、あ、ごめん」

風間さんに見つめられていつの間にか下を向いていたらしく、そんな俺の様子に違和感を持った目の前の嵐山が顔を覗き込んできたので我に返る。

「ちょっと視線が…………多くて」
「視線?」
「、多分嵐山は慣れてるからわかんないと思うけど」
「おいおい、じゅんじゅんバカにしてんじゃないよ?」
「うるせえなおまえは俺のそば何時まで持ってんだ、ていうかじゅんじゅんバカにしてないし、大好きだし」

慶がいつまでも自分の目の前に俺の月見そばを置いているので少し睨んでから唇を尖らせてトレーごと引き寄せると、慶は箸をトレーに置いてから「ファンかよ」と無表情のまま返す。俺の言葉で嵐山が『照れ』の視線を向けてこなかったら、俺は風間さんの存在を忘れてここで舌打ちしていたに違いない。この『照れ』とか『嬉しい』とかいう視線を向けられるのが好きなので少しいい気分になるけど、だからこそ迅にずるいとかホストがどうのこうのって言われるんだよな。

「まあここがバレた理由はいいとして、今日なんか用事あったの? あったならもっと前から言ってほしいんだけどって十回以上言ってるけど」
「あー、そうだったそうだった」


俺の言葉に慶は思い出したように手を打つと、その手を風間さんに向けて「おまえのスコーピオンの師匠」とあっさり言う。
相も変わらず重要な言葉をいつものトーンで話す慶に思わずポカーンとして瞬きするのすら忘れて見つめ返すが、なぜか分からないけど慶は不思議そうに俺を見つめ返すだけなので意味はなかった。何故俺の言いたいことが分からないんだ。するとその慶の言葉に風間さんはひとつため息を吐くと、続けて「まだ了承していない」と呟き、改めて俺のことを見つめる。

「俺はおまえのことをよく知らない。まだ同じ防衛任務にも当たっていないし、荒船と村上の戦いとやらも見ていないからだ」

ここで既に意見のすれ違いが起きていることに俺は焦りを感じるが、今ここで風間さんの話を遮るのは絶対に得策ではないと理解できるので黙って口をつぐむ。

「それにまず、C級のおまえの面倒を見ることすらあまりよく思っていない」
「は、…………」

そりゃそうだ。いくら特例を与えられたといってもそれはブラックトリガーの存在があってこその立ち位置で、ボーダー隊員としてノーマルトリガーを使う人間としての俺に価値は全くないだろう。入隊時のポイントと迅が遠征に行っている間に勝ち取ったポイントを合わせても俺の実力はボーダー内でも遥か下の方だと自分でも分かる。

「だから、一度やらせろ」
「…………え、」
「実力を見てやる」



                ◇◆



 午後七時、俺と風間さんと嵐山と慶は訓練室に訪れていた。
嵐山とは改めて食事の約束を取り付けてお互いに月見そばとあんかけ焼きそばを食べ終えた流れで、慶は面白そうだし暇だからという理由でついてきたけれど、よくよく考えると慶の前でノーマルトリガーを使ったことがないことに気づいて少し気まずさを感じる。なんというか、友達と話しているところを保護者に見られるときの感覚って言ったら分かりやすいかもしれない。

「三十分間、そのなかで一度でも俺に勝てば了承してやる」
「は、はい」
「俺もスコーピオンのみで戦う、その方が純粋におまえの力が分かるだろうからな」

換装を済ませ仮想戦闘モード、つまり無限のトリオンを与えられる空間である訓練室に入る風間さんの背中を追って俺も訓練生用トリガーを起動して久し振りにC級の隊服へと換装させる。
まだ言えていない、というかこんな練習試合を申し込まれてあとはブースに入るだけ、なんて展開になって言えるわけがない。

師匠とかじゃなくて、ただスコーピオンで戦ってるところを見たかったなんて。

慶に紹介してと言ったのはその人が戦闘狂の慶とかと戦ってるのを見たあとに技の使い方とかを聞きたかったからだけだったし、忍田本部長が食事の時に風間さんを師にするのは良いかもなとか言ってたのを否定できなかったのは単純に緊張してたからであって、俺は風間さんの戦ってるのを外から眺めて見て盗みたかったのに。
ここまで流されて三十分間ボッコボコにされて終了、なんてカッコ悪いから諦めるわけではないけれど、スコーピオンを使ったのなんて哲次と鋼くんとやったとき以来なもんだからあの頃となにも成長してない。
B級の哲次や鋼くんにすらボコボコだったのに、風間さんとなんてボッコボコどころじゃ済まないって絶対。

「いきたくねえ…………」

誰にも言えない思いを小さく呟いて風間さんの次に訓練室に入り、技術開発室の場所より狭くて玉狛支部の訓練室より大きい広さに天井を見上げて息を止める。

あ、勝てるビジョンが見えない。勝てないのは分かってるけど、時間を割いて貰ってるんだから負けに行くだけじゃだめなのに。だってレイジさんと手合わせしてるけど、負けてばっかりだし。迅とたまにやるノーマルトリガー同士の訓練も、技を盗んではいても負けてばっかりだし。
視線、風間さんのしかない。当たり前だけど。ヤバイ、緊張してきた。俺のやれることはなんだ? 気負うほどの実力もないっていうのに。
ふう、と息を吐いたものの頭のなかは真っ白で、俺って何でここに立ってるんだろう、なんて根本的な疑問すら沸いてきて少し焦る。

「か、風間さーん」
「なんだ」

お互い壁の近くに立ち、向かい合う形でオペレーションがかかるのを待っていたが、俺は自分の心の状況がすこぶる悪いことに気がついて思わず手をあげて風間さんの名前を呼ぶ。

「お願いがあります」
「…………言ってみろ」

ぴん、と学校でも挙げたことのない高さまで手を挙げてそう言ってみれば、風間さんは『疑問』の視線を俺に向けながら無表情でそう返してくれたので俺はもう一度小さく深呼吸してから言葉を放った。

「ちょっと一発殴ってください」
「…………」
「ダメ、ですか?」
「…………こっちに来い」
「はい!」

風間さんが俺の言葉に何度か瞬きしたあと、変わらない声のトーンで俺を呼んだので俺は手を下ろして走り寄り、風間さんの目の前に立って俺より小さい風間さんを見下ろす。

「お願いします」
「…………かがめ」

かがめ、と言われたのでそのまま風間さんの目の前でひざまずいて見上げると、風間さんは俺の顔を固定するように俺の顎を人指し指で上げてからなんの躊躇いもなく反対の手で握り拳をつくって思いきり俺の頬に振りかぶった。

「、っ」

その衝撃に脳内が揺れたんじゃないかという錯覚に陥ったが、痛みはなくそのまま殴られた方向に両手をついて視界を安定させると、色々少しマシになってきた。てか、無防備な俺に本気で殴ってきたからか、俺のトリオン体の歯が折れてそこからトリオンが流れ出てきた。ダッサいけど、味はしない。

それに、目も覚めた。


「ありがとうございました」
「ああ」


俺が奇行をしたせいか訓練室の周りで俺たちを見ている人が指を指してきたりしているのが視界に入り、俺は自分の狭まっていた視野の広さが戻ってきたことに気づく。慶も嵐山も見つけられないのは、きっと立って見てたりするんだろう。
よし、さっきの場所に戻るまで考えろ。俺ができることは訓練用トリガーのスコーピオンを使って限られた時間のなか風間さんを一度でもいいからダウンさせること。その為の俺の武器は無限のトリオン、スコーピオン、サイドエフェクトだ。
この三つを組み合わせて、一度ダウンさせる。
それが今の俺のやるべきことで、確実に堅実にやれることだ。
やっと静まってきた脳内に俺は少し笑みを浮かべながら風間さんから距離を取り、通信室の人に気を使わせてしまったことに今更ながら気づき、訓練室の声が哲次のものであることにも気が付く。

『対戦開始』

哲次のその声が訓練室内に響くと同時に俺はさっき来た道を戻るように真っ直ぐ風間さんの元へ突っ込みながら右手にスコーピオンを生成させて近寄る。けれど風間さんはそんな俺の行動に一瞬だけ『予想外』の視線を向けてから『観察』の視線に戻り、避けようと上に飛んだ。

「、っ」

そこに俺は視線を向けながら右手のスコーピオンを空中の風間さんに差し込むように投げ付け、風間さんがそのスコーピオンに意識が削がれたのを確認しつつ風間さんの後ろにあった壁を蹴り、自分で投げたスコーピオンをキャッチし風間さんに斬りかかる。
すると風間さんは俺のスコーピオンを避けた反動でくるりと身体を空中で回転させ、そのまま足からスコーピオンを生やして俺の攻撃を止めたかと思うと、素早く右手に生成させたスコーピオンで俺を斬りつけた。

「うぇっ、」

それを顔を反ることで俺は間一髪避けてから俺よりも体重の軽い風間さんが地面につくよりも早く地面に足をつけ、休まることなく体勢の悪い風間さんにどっか串刺しに出来れば良いなあと思ってスコーピオンを伸ばしてみたが、風間さんの足から生成させたスコーピオンで普通に蹴り返され、普通に距離を取られて着地された。くそう。

「なかなか動けるな」
「え、やった」

『観察』の視線を向けられ続けているまではサイドエフェクトで読み取ったところで攻撃の予測はできないだろうと踏んでサイドエフェクトを意識しなかったが、今の言葉で風間さんが『観察』ではなく戦闘に意識を向け始めたことに気づいて俺は苦笑いを溢す。
ここからが、頭の運動だ。食堂の時点で結構疲れていたけれど、そんなこと言ってる場合じゃない。
距離の縮まった所からダンッ、と風間さんが床を蹴って俺に突っ込んでくるが、そのことはサイドエフェクトで予測していたので俺は自分が逃げたところで策はないと嫌々判断し、俺も走って距離を縮めていく。素早い動きのなかでスコーピオンを駆使する風間さんに対抗するようにサイドエフェクトを酷使しながら何とか太刀を受けるだけ受ける。
ガキンッ、ジジッ、と互いのスコーピオンが当たったり擦れたりする音を耳に入れながらどんどんと上がる風間さんの攻撃のスピードに気づき、自分の隊服や顔が少し切られたところで、このままじゃ圧されてダウンされると察した俺は足から生やしたブレードで風間さんの不意をついて顎を狙って蹴りあげる。
すると風間さんは予想してなかったくせに、鍛え上げられた反射神経や機動力で片手のスコーピオンを俺に投げつけ、脳天にぶっ刺してきたかと思うと、失速した俺の足の攻撃を軽々しく避けた。


『名字ダウン』





「くっそー……」

やっぱり切ったり蹴ったりする単調な攻撃だけじゃ勝てない。
いやもう、負けるのはやる前から確定だけど一度も勝てないのは不味いなあ、なんて思いながら元のトリオン体に戻された体を見てこちらを見つめたままの風間さんに苦笑いする。
周りには俺と風間さんの投げたスコーピオンが床に刺さってて、スコーピオンってこんな使い方じゃないよなあ、なんて思いながら右手にスコーピオンを出してそのまま突っ込む。

「…………意外と突っ込んでくるな」

そう風間さんは呟くと立ち止まったまま俺の攻撃に備えてスコーピオンを構えるので、俺は特になんの策もないまま全身全霊で斬りかかる。

けれど、結果は悲惨そのもの。
視線でのフェイントや足を踏んで行動を制限してもダウンさせられ、そこら辺に刺さってたスコーピオンを不意打ちで使ってもダウンさせられる。ならばと思い剣筋だけで挑んだら瞬殺だし、スコーピオンを伸ばして何時もの五線仆のように遠距離で戦ってみても普通に瞬殺。ていうか、もうすでに哲次の『名字ダウン』の声を聞きすぎて、哲次もここに居るんじゃないかという錯覚さえ覚えてきた。

「なんなの…………いや、勝たなきゃ、ん? いや勝っていいはず」

結局なんのために戦っているのか分からないが、負けたくないのは事実なので頭を振って思考を戦闘に向け直す。
そういえば風間さん、何度俺のトリオン体にスコーピオンをぶっ刺しても無表情で無傷のまま片手にスコーピオンを持ってそこから動こうとしないな。チラリと遠くの時計を見るともうすぐ二十分が経過し、俺のダウン回数も十に達していた。
くっそ、風間さんは三十分間勝たなくても負けなきゃいいんだからそりゃ受け身になるか。




ん? 受け身?
てか今更気付いたけど、これはどうだろ。
ハッと思い付いた策を実行に移すため足の裏から気づかれないようスコーピオンを床の下に渡らせ、丁度風間さんの足の下まで行ったかなあ、と思ったくらいのところで思いきり床からスコーピオンを出す。すると俺が思っていたより手前のところで出てきてしまったため、風間さんは指先を切られて一瞬驚きながらも距離を取り、壁によった。
ほら、後ろに避けただけ。

「きた、」

少し予定とは違ったけれど、その風間さんの避ける行動が俺の思惑通りだったので瞬時に足から伝わせていたスコーピオンの先を風間さんの後ろにある壁から出してから、逃げ場を地上に限定させるため新しいスコーピオンを右手に生成させてそれをまま上の方に投げつける。
すると風間さんは壁の崩れる音で自分の背後から出てくるスコーピオンに反応したが、俺が時間差で投げたスコーピオンを避けるためには上へは飛べないと判断し、身体を捻らせて壁からのスコーピオンを避けた。
そして俺は風間さんが空中のスコーピオンに視線を釘付けになってる瞬間に間をつめ、相手の逃げる方向があらかじめ分かっていた俺は壁伝いに避けた風間さんの首を掴み、右の手の平から出したスコーピオンでギロチンのようにスパッと斬った。


が、そりゃ勿論素直にやらせてくれず。
風間さんは首からトリオンが噴出しているにも関わらず、自前の反射の良さで自分の持っていたスコーピオンで俺の脳天を刺そうと素早く右手を上げた。

「でも、ダメです」

目の前でそれをやられて気付かないほど俺もバカじゃないので少し驚いたような風間さんの視線を受けながら使い終えた右手のスコーピオンを消し、その降り下ろされようとしている腕を右ひじから新たに生成したスコーピオンで切り落とす。


『風間、ダウン』


「「…………」」


こええ。
至近距離で向かい合い、次第に風間さんの首にひびが入り初めてトリオンが流出したのを眺めながら風間さんが俺に変化した視線を向けたのを感じたので、つい、いつもの癖でサイドエフェクトを意識した。


『少しは期待出来そうだな』





 ギリギリ二十三分くらいで一つ勝ち星を手に入れることが出来た俺は頭のなかが疲れで満たされたまま風間さんと共に訓練室から出て、多く向けられる視線に気付きながら俺のリュックを持って近くで待っていてくれたらしい嵐山に近寄る。

「じゅんじゅーん、なぐさめてー」

俺に「おつかれさま」と片手を挙げる爽やかな嵐山から受け取ったリュックを背負い、嵐山の肩に顎をグリグリと乗せて見上げれば少し興奮気味の嵐山が「よくがんばったな!」と満開の笑顔で俺の肩に手を置くので、俺は少し疲れがとれたような気がした。

「最後のあれは、誰かにならったのか?」
「アレ?」
「床にスコーピオンを伝わせるやつだ」
「いや? 適当。俺的には使い捨てのスコーピオン使って不意打ち狙ったときの方が『やったか!?』って思ったんだよー」

あうあうあ、とわざと嵐山の肩に顎を突き刺して言えば、嵐山は俺の背中を撫で続けながら「そうなのか?」と呟き、風間さんも隣で「適当だと?」と呟く。え、なに?
するとそんな会話をしているとは知らないであろう慶が何処で見てたのか分からないがズンズンと近寄ってきたかと思うと俺の肩を掴んで「まあ、頑張ったほうだな」と親指を立ててきたので、俺は嵐山から顎を離してその親指を逆向きに倒す。

「いてててて、何すんの!?」
「イラッとした」
「褒めてんのに!?」

褒められた気がしなかった、と無表情で返せば慶が俺の肩を揺さぶって喚いてきたけど、風間さんが慶の脇腹にチョップをかますと黙りこんだ。痛さで。
それにしても予想通りというか予定調和のようにボコボコのギッタギタのメッタメタにされたな、流石に迅とやったときの方がまだマシな結果になる。まあそれはどっちもブラックトリガーだから比較にはならないし、今みたいに戦闘を見てくる人間も居ないけど。
ていうか食堂の時点で結構ヤバかったのに重ねてサイドエフェクトを酷使したからか今向けられている視線が鬱陶しくて鬱陶しくて、苛立たしくて苛立たしくて仕方ないけれど、主に嵐山と風間さんにだけは絶対八つ当たしてはいけないと心に留めながら下唇を噛む。

「あー、慶殴らせてー」
「は? てかおまえ、始まる前に風間さんに殴られてなかったか?」

下唇を噛んだときに近くの嵐山から心配するような視線が向けられた気がしたけれど、如何せん頭がこんがらがって『驚き』やら『興奮』やらの視線に埋もれてしまってわからなくなったのでスルーし、俺の顔を痛みに耐えながら覗き込んでくる慶に「まあね」と出来るだけテンションを維持しながら短く返す。

「なんか緊張とかで、アレだったから、殴って欲しくて」
「おまえ緊張とかするんだな」
「…………そうだね」

うるせえばーか、と言いそうになったけれど、視界の下の方に換装を解いた風間さんが見えたので俺も換装を解いて言い直す。

「あの技を知らないでやったのか、名字」

視界の下の方とか思ってごめんなさい、なんて考えているとその風間さんが赤い血液みたいな色をした瞳を俺に向けて訊ねてきていたので、俺は入ってくる情報が多すぎて一瞬何を聞かれたのか分からなくなりながらも視線を逸らしてから思い付く言葉を並べる。

「、そうですかね」
「スコーピオンを投げた奴とは思えないな」
「えっと、拾って有効活用したので許してください」


『嫉妬』の視線が増えてきた。


「動きはいいよな、おまえ」


『こっち向かないかな』『よくやるな、あんなこと』『注目されてる』『C級なのに』『制服、進学校だな』『荒船さんとやってた人だ』


「あ、…………忍田本部長かな」
「忍田さん?」
「? あ、同じ言葉を言ってきた人が」
「…………名字、大丈夫か?」


『なんか注目されてんな、あの人』『首狙うとかすげえ』『大丈夫か?』『男前』『この前本部で見たひとだ』『二十負け、一つ勝ち星』『イケメンかよ』『人殺しのやつ』


「…………えっ? な、なに? わんもあ」
「こりゃ、頭おかしくなってんな」


嵐山の言葉より向けられる視線を読み取ってしまって何を言われたのか分からなくなったので聞き返しただけなのに、何故か慶が俺のおでこを撫でて「脳天ぶっ刺されすぎたか?」と首をかしげながら呟く。

「あー…………え? ちょっと今あんまり"わかんない"」
「おい、名字」


『ホモは本当だったのね』『C級なの?』『モデルみたい』『わざかっけー』『まーた嵐山さんといる』『あれ、猫の話してたひと』『あの技なに?』『一勝しただけじゃん』『米屋と食堂にいたやつだ』『イケメン死ね』


「、風間さん呼びました?」
「あぁおまえ、顔色すごいぞ」
「すごい? いや、すごいなうん、意識しようとしてないのに…………」


『制服見たことあんなー』『イケメン!』『まぐれじゃね?』『普通に弱そう』『この前迅さんと居たな』『オレともやってくんねーかな』『かわいい』『人殺しのやつじゃん』『よくやったよ』


短時間でサイドエフェクトをこんなに意識したことが無いからか、いつも垂れ流し込まれてくる表面だけの視線が、今は何故かずっとサイドエフェクトが意識された状態のように深くて大きい情報量として俺に流れ込んできている。いつも意識しても読み取れるのは四つなのに、今は無意識と意識が混同しててよくわからない。多分頭の制御するところが疲れでブッ飛んでる。

「、どれが会話の情報だよ」

他人の意思の多さに処理仕切れない俺は焦ってキョロキョロと周りを見回してから三人になんの説明もせずにリュックを下ろし、脱いだ制服のブレザーを頭から被って情報をシャットダウンする。俺の姿を隠せばいいからな。
そしてしゃがみこみながら多分困惑してるであろう三人のうちの誰か分からない一人のズボンを手探りでくいっと引っ張ってしゃがむよう頼めば、その人は俺の言いたいことを察したらしく布の擦れた音をたてて俺の近くにしゃがみこんでぺらっ、と制服をめくった。


『具合が悪いのか?』

「あ…………、風間さん」
「知らないで呼んだのか」
「す、すみません」
「それより、どうした」

制服をめくりながら俺を覗き込んで首をかしげる風間さんに、俺は一つしか視線がないという状況に心底落ち着きながら笑って誤魔化す。

「あぁえっと、その、俺隠れたくて」
「…………それが何故だと聞いているんだが」
「うーんと、…………ちゃんと説明するんで、取り敢えず俺を静かなとこに連れ出して欲しいです」

へらっ、と自分でもわかるほどの苦笑いでそう頼むと、風間さんは少し黙り混んでから俺の制服から手を離し、代わりに俺の手首を掴んで立ち上がらせると周りの二人になにも言わずにズンズンと歩きだした。
俺は制服を頭から被ったままなので視界が真っ黒でなにもわからないけれど、風間さんが「そこに段差がある」とか注意をしてくれるので転ぶこともぶつかることもなく進んでいけている。

「か、風間さん、二人は?」

制服のせいで音がこもっているしサイドエフェクトは機能しないしで二人の状況が分からないから素直に尋ねると、風間さんは多分俺たちの後ろを振り向いてから「ついてきている」とだけ言って歩き続ける。あ、リュック。
そして微かに聴こえていた喧騒が小さくなってほとんどなくなった頃、風間さんが俺の手首から手を離して「着いたぞ」とだけ呟いた。

「、さすがっすね」

風間さんの言葉を信じて制服のブレザーから顔を出すとそこは何度か訪れたことのある男子トイレの光景が広がっていて、確かに近いし静かなとこだなと笑う。

「って、二人は?」
「…………さっきまで着いてきていたんだが」

風間さんはそう言って俺を男子トイレの真ん中に放置して出入り口に向かっていったので、俺はブレザーに腕を通して襟を直しながら待つ。すると風間さんがまた入ってくると、後ろから俺のリュックを持った慶と苦笑いの嵐山が入ってきたので俺は口を開く。

「どこいってたの?」
『トイレの前』『勘違いで待っていた』
「ん? あ、俺がもよおしたのを風間さんに助けて貰ったと思ってたんだ」

二人の答えを聞く前に勝手に視線が読み取ってしまって、まるで俺が一人で会話しているみたいな状況になっている。大人数の視線を浴びたからああなったんだと思っていたけれど、疲れでブッ飛んでからはずっとこうなのかもしれない。えっ、戻らないとかはないよね?

「てか、違うならここになにしに来たんだよ」

俺の察する能力に今更疑問を抱かないらしい慶が俺にリュックをてわたしてから、唇を尖らせて壁に寄りかかったまま此方を見てくるので、俺は言葉と視線が同じニュアンスで違う台詞を吐いていることに少し苛立ちを感じて舌打ちをしそうになる。二度も同じことを言われているのと同じだ。

「…………ちょっと、それを話す前に、俺個室入るわ」


『やっぱりしたいんじゃねえか』
「なんだ、うんこかよ」
「そっちを声に出すなよ、逆だろ」


慶の物言いが少し面白かったので特に訂正もしないまま一人で個室に入って何となく鍵を閉めてから「あー、聞こえます?」と風間さんも居るので敬語で尋ねると、嵐山が「聞こえるぞー?」と不思議そうに返事を返す。

「よし、じゃあ説明しますわ」
「ちょっと待て、なんだこの状況は」
「それも含めて話しますから、あ、なんなら俺のこと放置しても大丈夫ですよ」
「…………さっさと話せ」

はあ、と俺の提案に溜め息を吐く風間さんの声に俺は苦笑いしながら説明のために口を開く。風間さんが優しい人なのか、それとも単に答えが気になるのかは今は確認できない。

「なんか……………俺のサイドエフェクトが暴走したので、それをどうにかするために制服を被ったりここに閉じ籠ったりしました。てか、してます」
「サイドエフェクト? サイドエフェクトがあるのか?」

嵐山の不思議そうな声が聞こえてトイレの天井を見上げる。
…………天井、嵐山…………あ、迅の部屋。


「あ、あぁうん」


どもった。


「簡単に言うと、視線で人の心を読むサイドエフェクト」
「おまえのサイドエフェクト、そんなんだったのか」
「…………特異体質か?」
「さ、さあ…………本部には言ってないんで分かんないです」

慶の言葉を無視して風間さんの声に答えると、風間さんは一拍置いてから「きちんと診察を受けろ」と続けたので俺も渋々了承する。

「で、暴走っていうのは具体的に何なんだ?」

俺が風間さんにちょっと怒られてショボくれてるのを、嵐山が質問することで話を進めてくれた。やさしい。

「うーんと、いつもは意識しないと視線が読み取れないのに、なんか今日は一日ずっと酷使してたから意識しなくても読み取れるようになっちゃって」
「それは…………心が読めるのと同じことだな?」
「そんな感じ」


これはちょっと嘘だ。
意識しなくても多少は分かるけれど、言葉のあやってやつ。


「…………それがさっきなのか?」
「その時が始めで、今もなってる。だから今ここに籠ってる」
「つまり名字に視線が向けられてなければいいのか」
「んーあのときは…………そういう訳じゃなくて、何かで遮られれば良かったんだよ」

俺に視線が向けられてなくても、他人から他人への視線も俺の視界の範囲であれば読み取れるから、言葉のニュアンス的には俺の方が正しい。
ただ単に誰かの視線が俺の視界に入っていなければ良いというわけではない。今は意識している状態と無意識の状態が融合しているから俺の視界外でも視線の読み取りは可能である。だから回避するには窓とかスコープとかを隔てれば見られれば大丈夫だし、制服という壁を作ってやれば何かを隔てられてるので大丈夫って話だ。

「取り敢えず視線を俺に向けられなくするのと、俺が何も見なくすればいいと思ってああした」
「…………他人から他人への視線も読み取れるのか」
「あ、はい」

次々と話す人が変わっていって、俺は声質だけで三人を判断して敬語を使い分ける。

「あの状況じゃ顔色が悪くなるのも仕方ないだろうな」

そう言って風間さんはあの時の人の多さと視線の多さを思い出してるのか溜め息を吐いた。
確かに、あのときはあまり他人を視界にいれようとしなかったから『他人から他人への視線』ってのはあまり入ってこなかったけれど、風間さんにボッコボコのギッタンギタンのケチョンケチョンにされたから俺への視線は凄まじかったなあ。

「大丈夫ですよ、慣れてます、これにもきっと慣れます」
「本当に平気なのか…………?」
「心配しないで嵐山。それに、さっきは風間さんと嵐山と慶しか見ないようにしてたから、あんまり『他人から他人への視線』は読んでないし」

サイドエフェクトが機能してないからとかいうレベルじゃなくて、顔すら見えないからどんな表情でどれだけの本気度で心配してくれているのか分からず、何となくの言葉を選んで平気を装う。

「…………けれど、これからどうするつもりだ?」
「これから、ってのは帰りですか?」
「もちろんこれからの暴走についてもだが、まずはそこだな」

風間さんの言葉に俺は一人個室のなかで唸り、特に何の案も浮かばなかったので唸り声に続けて言葉を放つ。

「大丈夫です、元々このサイドエフェクトの対策はしてあるんで」
「そうなのか?」
「うん、だからここまで付き合ってもらって本当に申し訳ないんだけど、ここでその…………解散、みたいな、」

とここまで言って自分が凄く自己中心的な発言をしていることに気づいて、フォローを付け加える。

「風間さんここまで連れてきてもらってありがとうございます、お礼はまた今度するので、今日は、このままで良いですか?」
「俺はかまわない、それにお礼も必要ない。納得できるだけの理由がわかったからな」

風間さんは端的にそう言うと「先に帰る」と告げて多分男子トイレから出ていった。それにしても人来ないな、俺達が会話してるのが聞こえて入れないのかな。

「嵐山は今度の食事の時謝るから、今日はここで許して?」
「…………それはもちろんいいが、」
「ん?」
「なんて言うか名字は、そういうところが…………誰かに似ている気がする」
「…………そうかな」
「だから、少し心配なんだが…………」

その言葉はどこかで聞いたことがある気がしたけれど、その思考は気持ちを切り替えたような嵐山の「じゃあ、また今度だな」という声色にかき消されて結局着地点の見つからないままどこかへ行った。
そして嵐山が居なくなって静まり返った男子トイレの個室のなかで俺は一人で溜め息を吐き、鍵を開けてそろり、と顔を出す。

「…………慶」

顔を覗かせてから個室から出て慶の名前を呼ぶ。俺が個室に入る前と変わらず慶は壁に寄りかかったまま鏡の方を見つめていたかと思うと、ゆっくりと俺の方に視線を向けた。

「今考えたら今日のおまえ、変だったな」
『食堂のときとか』

「そうなんだ、てか喋らなくていいわ、情報二つ来て鬱陶しい」
『…………本当にわかるんだな、エスパーみてえ』
「そうかな」
『あいつに似てる』
「…………そうだろうね」

ばたん、と個室の扉を閉めながら向けられる慶の視線に笑い、自分のリュックを漁って眼鏡ケースを取りだして伊達眼鏡をかける。これで向けられる視線はどうしようもなくても、俺の視界内の視線を勝手に読み取る可能性は無くなる。

『似合うな』
「うっせ、」
『褒めてんのに』
「…………じゃあ、ありがとう」
『で、これからどうすんの?』
「慶も帰れよ、俺は大丈夫だから」

そう眼鏡越しに慶を見つめて言うと、慶は少し目を細めてから俺に近寄って頭を撫でる。

「なにすんの、」
『大丈夫じゃないくせに強がるからだ』
「…………途中から喋らなくなったの、俺が出てくるように仕向けたんだろ」
『まあ、そうだな……………取り敢えず今日は本部に泊まれ』
「、やだよ。孤児院に帰らなきゃ」
『外に出たらおまえ絶対ぶっ倒れるだろ』
「倒れない、大丈夫」
『大丈夫じゃねえのに言うなって言ってんだろ』

そう言って慶は俺の頭から手を離して俺の腕を掴む。
ヤバイ、マジで泊められそう。

「待って、ホント待って。俺帰るから」
「『無理だろ』」
「こんなときに限って一致させるのやめろ」


ぐっ、でも他に方法があるのかと問われれば無いから普通に根性で帰るしかない。
だってもし、あの時のようなことが今日起こらないとは限らない。
アキちゃんが言った役割を果たすためにも、俺はあの警戒区域ギリギリ外にある孤児院に居なきゃいけないから。

「ほんとにやだ、」
『、何で泣きそうなんだよ』
「えっだって、帰らなきゃ、」

帰らなきゃ、孤児院に居なきゃ生きてる意味が…………役割が果たせていない気がする、アキちゃんとの約束が。
だからと言って外に出ても外で人とすれ違う度にその人の深い内容まで勝手に脳内が処理するという気持ちの悪い現実に堪えられないんじゃないかって気もしてくるし、慶が泣くな、とか我慢してたことを明言するもんだから耐えていた涙腺が緩みだし、心が弱気にさせる。そして勝手に服の袖で俺の涙を拭ってくる慶に抵抗出来なくさせられる。

『何がそんなに不安なんだ』
「、…………なんでもない」

俺の眼鏡をとって涙を拭いながら眉を寄せる慶の視線に気づかないフリをして鏡を覗くと『嘘をついた』という自分の視線が読み取れて思わず吐き気がする。いつ終わるんだ、この地獄。
だからと言ってアキちゃんから受け継いだサイドエフェクトにこれ以上文句を言うのは忍びないため、鏡から視線を逸らして慶に「帰れって。落ち着くまで俺ここにいるから」と告げてから個室に戻ろうとするが、後ろから慶に手を引かれてしまった。

「なにす、んむ!?」

すると手を引かれたことに抵抗しようと俺が言葉を放ってる途中で慶が引っ張った手で俺の口を抑え込み、後ろから抱き締めるようにして俺を拘束する。

「強がりやがって、年上に甘えろ」
「んんぐ、」
「おら、行くぞ」

わざとらしく俺から視線を逸らして強制的に俺をトイレの外へ引きずる慶に俺は必死に抵抗するが、身長差から思うように体が動かないため脱出は出来ない、というか俺の口を押さえる力が強すぎてめっちゃ痛い。

「んんー!」
「はいはい」

その痛みにまた少し涙を浮かべて俺を抱き締めたまま引きずる慶を睨み付けるけれど、慶は俺を見ないようにしているからかそれに気付かず、結局慶の自室まで運ばれるまで俺は口を開けなかった。

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