25





 深夜三時。あの後慶が俺を抱き締めたま私室のソファに倒れ込み、頭上から慶の寝息が聞こえ始めてくるのにかかった時間と音をたてず気付かれないように腕の中から抜け出して部屋から脱出するまでにかかった時間合わせると、結局こんな時間になってしまった。
明日…………じゃなくて今日も変わらず学校があるし、その前にこんな時間に玄関から孤児院に帰ったらカズエさんに泣かれそう。怒らないで悲しまれるからね。

「はあ、」

けれど慶が気を回してくれたお陰でサイドエフェクトの暴走は治まったし、深夜のこの時間帯だから人が少なくてストレスを受けにくい。
正直、廊下でリュックを取られた時とか真っ暗な部屋に連れ込まれた時点では「お節介、変態、迷惑」とかしか考えてなかったけど、眼鏡を取られてからソファに抱き締められてダイブさせられるところの過程は、ちょっと笑えて安心感が生まれた。ちょっとね。
それに、俺は後ろから抱きついてる慶の姿が見えないし慶も多分目を瞑っていたから、視線を読み取らないまま交わした会話はとても久々で少し昔に戻ったようで結構有意義だったりした。
たとえばアキちゃんのこととか、塁や勇のこととか、昔一緒に観たテレビ番組のこととか。まあ、テレビ番組って言っても医療系の番組で、耳の裏や首筋からはフェロモンの匂いがするのでいい匂いがすると遺伝子的な相性がいい、って話の番組のことだからそんなに深く掘り下げることもない。さらっと昔やられたように少しうなじとか耳の裏を嗅がれたけれど今更それを咎める間柄でもないのでそのままにしたら、慶に耳元で「甘いよな、おまえのここらへん」と言われたので「前も聞いた」と返しておいたくらいだ。というより、その声色で慶が眠たそうにしていたから変に怒って刺激を与えてもめんどくさいと思っただけ。
でもまあ、自分以外の体温とか昔から変わらない慶の匂いに実は寝そうになったりもしたけれど…………頑張って自分のことより孤児院が優先なのは当たり前だと言い聞かせ、俺の腰に回された手を渋々離して今に至る。

「だるっ、」

トボトボ、と疲れきった体に鞭を打って取り敢えず孤児院に向かって歩みを進めてはいるけれど、カズエさんに悲しまれるのが目に見えているので今更だけどカズエさんへ『友達のウチに泊まります』とメールを送る。ああ、なんて不良。
本部の通路を抜けて外へ出ると、全く無いと言っても過言じゃないレベルの街灯の少なさに気付き小さく溜め息を吐く。この市はいつもお金がないんじゃなかろうか……ここが警戒区域の近くだというのもあるけれど、なんて考えながら寒さに肩をぶるりと震わせてから静まり返った道を歩く。

「取り敢えず、公園で一泊だな」

孤児院の真横にある公園を思い浮かべてぼそっと小さく呟くと、タイミング良くぶぶっと携帯が震えてカズエさんからメールが来たことを知らせる。ってあれ、知らない間に違うメールが二つと着信がひとつある。

「『遅いです、でも楽しんでるのね、おやすみ』…………ね」

連絡が遅くなった理由が友達とはしゃいでいたから、ということになっているのは予想外だったけれど、別にその方が心配を与えなくて済んだのだと考えて安心する。よかった、俺の不良ぶりに泣くカズエさんはいない。
その事実にホッと息を吐き、俺の靴底が道に当たる音しか聞こえない中、携帯を弄って三時間ほど前に哲次からと嵐山から来ていたらしい二件のメールを開こうとするが今ここで開いても結局返信するのは朝じゃないと出来ないし、開いたまま忘れそうな自分が想像できたのでメールを後回した。そして着信履歴を開くと何故かそこに『迅悠一』の名前があって、俺はコンマ単位で何の躊躇いもなくぽちっ、と発信ボタンを押して携帯を耳に当てる。

『…………もしも』
「あ、迅くん? 元気?」

コール音が切れてから大分長い合間を開けてからかすれた声で言葉を発した迅に、俺はわざと被せるようにして明るい声でたずねる。
ここは住宅が全く無いからすこしくらい大きい声出しても大丈夫だろ。

『…………切る』
「ごめんて、なんか用あったのかなって思っただけ」
『用? あぁ、いや、まあどうでもいいや』
「え、どうでもいいことないでしょ」
『、なんなのそのテンション』
「わからん、で? 用ってなに」

昨日迅が泊まりに来てから迅に対して自分がおかしくなってることに気付きながらも、それを電話越しで悟られないようにキャラを取り戻し、同時に目的地である公園が見えてきたので少し声の大きさを落とす。

『いや…………天井にさ』
「、あっ」

天井、という単語だけで迅の言いたいことを察した俺は目の前に迅が居る訳じゃないのに思わず視線をキョロキョロとさ迷わせる。

『やっぱり名字か、』
「視えてなかったの?」
『そうそう何でも視えるわけじゃない』
「…………視えてなかったのに俺だと思ったんだ、」
『こんなことするの玉狛じゃ名字くらいだろ』
「外した?」
『届かないから………』

当たり前のように言われたその言葉に俺は「てか、俺は本部所属なんで」と返しながら公園に敷き詰められた砂利を踏み締め、角にある白いベンチにリュックを下ろして腰掛ける。そういえば俺、このまま学校に行かなきゃならないのか。

『…………まだ帰ってないのか?』
「ん? まあ、」

俺の砂利を踏み締める音で外に居ると判断したのか、迅が少し驚いたような声色で尋ねてきた。

『…………てことは、太刀川さんと寝たんだ』
「、はっ!?」

がさごそ、と電話越しで何かをしてるかと思えば突然爆弾を投下した迅に、俺は変な声で反応してから遠くの家の犬が鳴いたことに少しの罪悪感を感じる。

「そこは視たのかよ」
『昨日…………あ、一昨日の孤児院で』
「…………、ポスターを貼ったのが泊まる前だから? てか別に寝たって言っても…………慰められたというか避難させられたというか」
『わかってる』
「、そっか」
『おつかれさまでーす』
「、ありがとうございまーす」

はあ、とサイドエフェクトの暴走を見透かしたような迅の言葉に息を吐いてからリュックを枕代わりにベンチに寝転がり、街灯の少なくて静まり返った警戒区域の近くだからこそ見易い星空を見上げて迅へ適当にお礼を言う。

『まあ、まさか太刀川さんに慰められるほどだとは思わなかったけど』
「、また低い確率の方行った?」
『そうだなー、家に帰ってるのが高い方』

だから俺が外に居ることに驚いたのか。
そうなると何が要因で変わったんだろうか、なんて携帯を耳に当てながら星空を見上げて考えていると、迅の方から扉の開く音と閉まる音が聞こえて瞬きをする。

「ん? 部屋からでた?」
『…………今から名字のところに向かうから、よろしく』
「えっ、」

それだけ言うと迅は俺の言葉を聞く前に電話を切り、俺の耳にはツーツーという機械音だけが鳴り響いた。場所言ってないけどな、なんて思いながら携帯をリュックに仕舞い込んだけれど、チャックを閉めているうちに迅が今起こってる低い確率の方の未来も視ていたことを思い出し、また星空を見上げる。
オリオン座くらいしかわからない。








「よっ、」
「…………うわ、ほんとに来た」

三十分くらい経った後、目を閉じて寒さに耐えながら寝ていると砂利を踏み締める音と共に迅の声が聞こえたので公園の出入り口に顔を向け、そこに居た迅のいつもと変わらない笑みを見て小さく呟く。
すると迅はそのまま何も言わずに近づいてくるので何となく予測して上半身を起こしベンチに座ると、迅はポケットに手を突っ込んだまま俺のとなりに座り「さむっ」と言ってわざとらしく俺に肩を寄せた。
別に、き、きゅんとしてない。

「…………寒いなら来なくていいのに」

となりで地面に視線を落とす迅を見て、俺は限界が来たら使おうと思っていた使い捨てカイロをリュックから取り出し包装を破いて迅に差し出す。

「、名字のは?」
「あるけどまだいい」
「…………それ嘘だろ、ずっとそれっぽいの出さないぞ」
「違う、寒くないだけ」

未来を視てまで知ることか? と思いつつ受け取ろうとしない迅にしびれを切らして無理矢理ポケットにカイロを突っ込むと、迅は俺に『不器用』という視線をむけながら納得いかなさそうにお礼を言う。
不器用って、未来視て嘘を見破る迅が相手だから不器用になるだけで、他の人にはもっとうまく騙せると思う…………多分。

「帰んないの?」
「…………俺は今友達の家に泊まってることになってんの」
「ああ、メール打ってたのはそれか」
「一昨日の内に視すぎ、」
「ま、電話の相手がおれだとは思わなかったけど」

俺の右肩に肩を押し付けながらヘラヘラと笑ってカイロを握る迅に「そうかい」と短く返してから、チラリと孤児院を見てどこの部屋にも灯りがついていないことを確認して視線を迅に戻す。すると迅がかけたまま忘れていた俺のだて眼鏡を取り、自分にかけてどや顔する。

「どう?」
「んんー、あんまり」

正直にそう言うと、迅は「知ってた」と何かに身構えた視線を向けながら笑うので俺は言葉を続ける。

「迅のきれいな目が見にくくなるじゃん」
「…………そういうこと真顔で言うもんなあ」
「ほんとのこと」
「そういうのいらないんだけど」

言われることを知ってて身構えてた人がよく言うよ、と思いながら迅の『照れ』の視線を受けて笑うと、迅は握っていたカイロを自分の頬に当てながら諦めたように俺から視線を外して孤児院を見つめた。









「…………今日は何も起きないよ」


ぽつり、とさっきとは違う声のトーンで呟いた迅に俺は、ゆっくり息を吸い込んでから気づかれないように息を漏らす。

「そうだとしても、不安なんだ」
「…………あの時を思い出すから?」
「、そうかな」

だて眼鏡を取られて鮮明になった視界の中で、迅と同じように孤児院をぼーっと見つめる。
まあ迅の言うように過去のしがらみもあるけれど、孤児院のみんなを守るためには近くに居なくちゃいけないっていう今の役割もある。だから俺はここでそんな想いを抱きながら深夜三時半に公園で寒さに耐えているんだ。

「…………何でだろうな」

すると、少しの沈黙のなか、迅が孤児院に目を向けたまま何に向けた言葉なのかわからない台詞を小さく放った。

「なにが?」
「、こんなに"今の名字"が役割を果たそうとしてんのに、何で"昔の名字"はいつも救われないんだろうな」
「……………知らない」
「それは名字が死ぬ未来のことだけじゃない。今の名字は元々の自分のことを後回しにするから何時まで経っても救われない」
「…………迅、」
「知ってる。それが今の自分が望んでることだから別に良いって、名字は言うんだろ」


その通り。


「それでも…………少しでも、名字の気を楽に出来ればいいなって思ってる。だからおれはここに来た」

そう言って迅が溜め息を吐くと、触れていた俺の肩からその動きが伝わってきて、何となく、何もかも見透かされてるのが少し嬉しかった。

「何でそんな話を今するの」
「…………今日の名字の未来がそんな感じだからかねー」
「ふうん」

じゃあきっと俺がこれから言う言葉もきっと迅は知っていて、それでもなお聞いてくれるんだと確信しながら孤児院から無表情の迅に視線を移して口を開く。

「知ってる? 迅は俺に似ているらしいよ」

俺が笑ってそう言うと、迅は俺に『否定』の視線を向けて眉を寄せる。

「俺は言われて気付いたから偉そうなこと言えた義理じゃないけど、さっき俺に言った言葉が全部迅に跳ね返っているとは思うよ」
「………そんなことないだろ」
「そう?」
「、おれは未来を視て大多数の為の最善を取捨選択して行動するけど、名字は自分の未来がどうなるか関係なく特定の誰かの為に最善を尽くすだろ」
「そりゃ、俺は未来視えないからね」

そう言ってカイロを握り締め、呆れたようにちらりと俺に視線を向ける迅に俺はまた笑う。迅はきっと未来を視ては三門市や誰かのために動いて、それが自分にしか出来ないことだと言い聞かせながら暗躍して、まだ学生だっていうのにきっと自分のことより未来の行く末ばかりに気をとられて誰かのために時間を割いている。そして俺はアキちゃんから与えられたもののために元々の自分のことより、新しい自分に成り代わって孤児院の皆や誰かのために時間を割いている。
俺が『役割のために自分を捨てて誰かを優先すること』と、迅が『未来の最善ために取り捨て選択すること』は似ているようで少し違うのかもしれない…………けど。

「でも、『誰かの未来のため』っていう結果は同じじゃん」

にやり、と笑って隣の迅に呟けば、当人の迅が「…………そこに至る過程が違うだろ」と言って溜め息を吐いた。
いやいやだから、優しい迅も、救われればいいのにって俺は思うよ。けどそれは迅も俺に思ってくれていることで、俺たちは互いに似ている相手を思いやってるんだ。

「つまりこれは、同類の傷の舐めあい?」
「だからちがうって、」
「…………迅が俺に優しいのも、そのせいじゃないの?」
「そんなの意識してやってない、ただ、好きな人の未来が明るくなればいいなと思ってるだけ」

そう言って真剣な表情で俺を見つめてくる視線が、全く偽りのない視線だと読み取れてしまい思わず視線を逸らす。
好きな人。それが人としてって意味だって理解していても迅が言うと何故か恥ずかしい。迅のなかで俺が特別なんだと自惚れてしまいそうになる。

「、俺だって似ているとか関係なく迅のことが、す、心配なだけ」

好き、といいそうになって何故か、本能が違う言葉にすり替えた。
おかしいぞ、前までなら普通に言えたのに、昨日の泊まりから俺の脳がおかしい。それとも今日のサイドエフェクトの暴走の爪痕?

「…………いま、言葉変えただろ」
「き、気のせい」
「嘘だな」

すると何故か珍しく俺の言葉に疑問を覚えた迅が言い寄り、話を脱線させてまで、ずいっ、と顔を覗き込みながら暖まっている手で俺の手を握ってきた。普段じゃ絶対ならないのに鼓動が早くなって落ち着かなくなる。こういう距離のとき、どこに視線を向ければいいんだっけ。

「名字、」
「、ちかい」
「名字だから近くしてるんだ」

それはどういう意味だよ。
ベンチの背凭れの方へ逃げながら迫る迅の身体に顔を逸らすと、迅はぐいっと俺の腕を引っ張って距離を縮めてから反対の手で俺の顔の向きを自分の方に向け直す。息がかかりそう。

「名字、」
「な、何で、てか知ってるなら言わなくていいじゃん」

後頭部に回された迅の手と、半身を俺の体に乗り出している迅の重さと熱に心臓が高鳴りながらせめてもの抵抗で視線を逸らす。

「何でって…………」
「うん?」
「はやく名字の口から言って欲しいから」
「、…………そんな視線向けるのずるくないか」

俺が見ていようと見ていなかろうと迅が俺を見ていれば純粋な『懇願』という視線は読み取れてしまうわけで。
その視線に負けてちらり、と迅の青い透き通った瞳を見つめ返すと本当に意味がわからないけれどそれだけで顔が熱くなってここから逃げ出したくなった。


「い、言えない」


言ったらなにかが終わる。
一昨日も思ったことと同じ、俺の中の優先順位がかわる。
こわい。


「…………おれは名字が分からない」
「、それはこっちの台詞」


ばくばく、と心臓が高鳴る音をからだのなかで感じながら至近距離で俺を見つめてくる迅の言葉に適当に返すと、迅はそんな俺をじっと『観察』だけの視線で見つめてから後頭部にあった手で俺の頬に触れて「顔赤い」と小さく呟いた。

「わざわざ言うな、」
「気付いてたんだ?」
「だって、あっついもん」
「…………やっぱり現実って破壊力すごいな、」
「、なんの」
「…………色々?」

相変わらずの至近距離のままするすると変な触りかたで俺の頬を撫でる迅に何となく目を細めてから、また猫扱いされてるような気分になって溜め息を吐く。

「いいから退いてよ、この時間帯でこの体勢はダメだろ」

俺に覆い被さるように顔を近付ける迅にそう言えば、迅は最後に俺の頬から顎にかけてを指でなぞってから「そうだな」と素直に呟くと、だて眼鏡を俺にかけてから元の自分の位置に戻った。ふう、これでよし。
今の一連の流れでからだが暖まったは良いが巻き込んだ手前、このままあと三時間近くここにいるのは迅が少し可愛そうになってきたので俺は自分の太ももを叩いて迅に「寝る?」と訊ねる。
すると迅は何言ってんだコイツ、的な視線を俺に向けてから諦めたように俺の太ももに頭を乗っけて寝転がると「なんだかな」と一人愚痴った。

「よくわかんないけど、俺は迅が寝てくれればいいよ」
「…………何で?」
「睡眠は大事だから?」
「名字は?」
「俺はさっき慶のところで寝たから」


嘘。目を瞑って慶が寝るのを待ってただけ。


「…………そういうことにしておく、おれ眠いし」
「ん、じゃあ寝なさい」
「子供扱いするなって」

そう言ってカイロを握り締める迅が少し幼く見えて、迅も普通に人間なんだなあと当たり前のとこを考えながら横顔を上から見つめる。
未来が視えたって、暗躍してたって、迅は俺と同じように自分を犠牲にしてまで守りたいものがある只の人。

「…………おやすみ、」

そう呟いてから迅の髪をさらっと一度だけ撫で付けると、本当に子供なんじゃないかと思えてきたので少し笑い、迅の言う今日の俺がどんなことをするのか考えながら変わらず光り続ける星を見上げてみる。




やっぱりオリオン座しかわからない。

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