3


 
 俺はジャケットの裏にある左胸のポケットからソレを抜き取り、かたん、と軽い音をたてて自分と迅さんが座る屋上の床の上に置く。その音に導かれたように胡座をかいた迅さんが黒く光るソレを手に取る。太陽を囲うように上にかざし、眩しそうに目を細めながら「そうか」と話の終止符に無機質な声をあげた。

「…………迅さんがこの話の何処まで見えてたか知らないけど、何か質問はある?」

何を考えているのか分からないような表情でブレスレットのような形をしたアキちゃんを見つめる迅さんに、ボーダーやトリガーに対して色々無知な俺はなんでもないような表情でそう尋ねる。
だが、本当は内心さっき初対面を果たしたばかりの男に二年ほど前の過去を話す自分自身に戸惑っていた。
俺は一生この事実をボーダー内の誰かに話すつもりはなかったし、しかもソレが今さっき『はじめまして』を終えたばっかりの得体の知らない迅悠一という人物だとは想像もつかなかった。寧ろ今になって少し考え直した方がよかったのかもしれないすら思う。それに、この人物が俺にとって信頼に値する人なのかも分からないままななのに、知らないうちに心を開かされた気分だった。
俺が思考を巡らせている間中ずっとソレの輪の間から何かを覗き見るようにしていた迅さんは、一瞬何処か遠くを見るような表情をしてから、何でもないように俺へ笑顔を向け「ほい」と黒い輪を手渡してくる。
迅さんとは対照的な無表情で受け取る俺が左胸のポケットにソレを戻しながら、ふと、自分より高かった迅さんの手の体温を思い出して視線を向けると、迅さんはその俺の視線に気付き、今やっと我に返ったようにヘらりと笑った。
その姿が俺の目にはどうにもわざとらしい行為のように映ったが、その事を指摘出来るような仲でもないとも思ったので大人しく口をつぐむ。

「何でそのアキちゃん……さんが居たことが"運が悪かったこと"なんだ?」

そう言って胡座に頬杖をつきながら純粋に疑問に思いました、と言いたげな表情をつくって問いかけてくる迅さんに俺は少し目を伏せてから何事もないように答える。

「本当は分かってるんだろ?」

そう言って俺は怒るでもなく悲しむでもなくただ淡々と迅さんのサイドエフェクトのことを示唆する。
その俺の言いぐさに察しの良い迅さんは「君の口から、聞きたいんだけどなあ」と何故か困ったように頭を掻く仕草を見せると、肯定するような態度をとり俺に目線だけで話の続きを促す。だが、目はそんなには笑ってはいない。その目を向けられた俺は思わず「うっ」とカチ合わせていた視線を逸らし、胡座をかいていた足を引き寄せて三角座りに変更する。

「…………悪かった、質問があるかって聞いたのは俺だから答えるよ」
「そりゃどーも」
「ん、まあ答えは簡単で、もしあの時アキちゃんがその場に居なければ『アキちゃんは』助かっていたって意味」

わざと言葉の一部を強調するような俺の言い方に、迅さんは俺の横顔から目を逸らし、見てもいないだろうに景色を眺める。

「それはつまり、それ以外の誰かは死んでたかもしれないってことだよな」
「んん、特に俺だな」
「………そうだろうなー」

ボーダー本部から派遣されたボーダー隊員が到着した時間を考えても、もしあの場にアキちゃんこと紀晶が居なければ、地震のような揺れに不安を感じた誰かが孤児院の外に出てしまったかもしれないし、教会へ走った俺は間違いなく今ここにはいないであろう。
そして犠牲者の確率が高いのがどう考えても俺という後者だ、という話で、もしアキちゃんが居なければ自分が死ぬだけで済んだのに、と思わないはずがないということだった。それだけアキちゃんの存在は俺や孤児院の皆やこの世界にとって必要だ、とアキちゃんが死んで何年か経った今も俺は思い続けている。
だから俺は今日からアキちゃんの代わりに生きると決めているんだ、役割を果たすために。

「まあ、俺の答えに迅さんが何を思うかは別に言わなくていい」
「わかってる」

無意識にぶっきらぼうに言う俺の言葉は視線を落とす迅さんへの配慮、というよりも自分が聞きたくないという拒絶の割合が多いような気もしないでもないが、その言葉にボーッと景色を見る迅さんも了承したのでもういい。

「あと、俺は『君』じゃなくて名字名前っていう名前があるんだけど」
「ん? あぁそれもそうだな」
「うん」
「歳同じだし、こっちも呼び捨てで」

そういって迅は何を考えているか分からなかった視線から、さっきみたいなおちゃらけた態度で俺を見る。同じ歳っていうのは多分、俺の話に出てきた年齢から推測したんだろう。

「んじゃまあ、名字」
「ん?」
「今から"申請"しに行こうか」
「…………申請?」

俺は笑顔の迅の口から出た二文字の単語に首を傾げて説明を求めるが、迅は何を言うでもなくわざとらしく俺の顔を一瞥してから胡座を解き、ぐっと身体をほぐすように足と手を伸ばしてから大の字になるように床へ仰向けになった。
そんな何もかもを悟ったような迅の態度をじっと見つめ、何となくイラッときた俺は軽く握りしめた拳を迅の腹部へ垂直に落ろす。

「ぐへっ」

今しがた初対面を終えたということを忘れているのではないかと思えるような俺の行動に迅は笑いながら上半身を起こすと、無表情の俺を視線で射抜く。

「…………」
「…………」

二人の空間には風の吹く音と俺が右腕に付けている腕時計の秒針の音だけしか流れていなく、きっと今他のボーダー隊員が屋上にやって来たならここの空間の時が止まっているように感じるだろうと思えるほど互いに睨むわけでもなく"読み合っていた"。
多分迅は未来を、俺は思考を。それぞれ持った"サイドエフェクトで"。

「…………」
「…………はあ」

すると諦めたように仕掛けた本人である迅が溜め息を吐き、俺も静寂を裂くように口を開く。

「何見た?」
「んー…………そっちも、今おれになんかした?」

いきなりの俺の言葉に戸惑うことなく反応する迅の様子に内心で『なぜバレた』とツッコミながら迅の問いに答えることもせず、ただ相手が口を開くのを待っていると、迅は諦めたように自分の手で顎に触れてから一呼吸置く。

「……おれが今日名字と初めて目があった時、一番初めに見えた未来が


『名字が死んだ場面』だった」
「…………へえ?」
「おれが長いスパンで見れる未来はある程度確定したものだけなんだ」
「それはつまり、俺が死ぬのはほぼ確定?」
「……誰も死なせないためにおれが今此処にいる」
「? ふうん」

その真面目なのかそうでないのか分からない迅の言葉を受けた俺はその真意を知る術を持ちながら、それを使わずにじっと迅の透き通った青い瞳を横から見つめる。

「で、?」
「……いいか? 今から言うことをよく聞きなさい」
「…………? はい」

片膝を立てて俺を見つめる迅と、開き直ったように身体の向きを迅へ向ける俺は片手を小さく上げて返事をする。

「おれがここまで先の未来を見るのは確定したもの、そう言ったろ?」
「うん。だから俺の死だろ?」
「……、それはつまり今の時点で名字の中に確定された事項があるということ。そして今未来を視た結果、思うにそのブラックトリガーが関連していることが予測できる」

そう言うと、迅は俺の左胸の辺りをぴしっと指差す。

「それから実力派エリートのおれが考察するに、名字がボーダーにブラックトリガーを隠していること"も″要因っぽいんだわ」
「…………なるほど?」
「まあ、それだけじゃどっちみち死ぬ未来は未来は変わらないけど」
「そうなのか」
「けど申請することで、こっち側……まあつまり本部とか隊員側からするとお前を近界民だと間違わなくて済む」
「え……………ボーダー隊員に殺されるのはやだなあ」

じいっと迅は俺を見つめてくるので、俺も自分の胸に向けられた迅の指から視線を逸らし、言葉の裏側を考える。
つまり迅の言う『ブラックトリガーを隠していることも原因』という言葉の意味は、いつかどこかの未来でブラックトリガー……多分アキちゃんのコレが関わって俺の命が消えるという未来を視たということになる。また、さっき迅が『申請』という言葉を使ったのたは、ボーダー本部に俺の持つブラックトリガーを『認知』させに行くという意味を込めて選んだ言葉だろう。俺を近界民と間違うってのは、トリオン反応とか見た目でってことだろうか。あの白い虫みたいな奴等と俺は似てねえけどなあ。

「まあ、その……………色々考えてくれてありがとう、」
「あーいや、うん」

俺の突然のお礼の言葉に迅は戸惑うでもなく、ただ冷静に俺を見つめ続ける。が、その視線が『負い目』と読み取れるのは何故だろう。

「初対面の時『未来視する変態』とか思ってゴメン」
「ん? 変態?」
「…………肯定すんの?」
「? いやそうじゃなく……あー、エスパーだっけか」

俺がサイドエフェクトを持っていると知っていてなお孤児院の子供たちのようにエスパー扱いしてくる迅を見据えるように視線を向ける。

「全然気は進まないけど、ブラックトリガーを申請したらどうなるわけ?」
「そうだなあ、取り敢えずS級に昇格かね」
「、S級?」

その迅の口から紡ぎ出された単語に聞き覚えがあって頭を捻るようにして記憶を絞り出す。
S……S級、なんかA級より上って感じするなあって思って、それは今日嵐山さんに説明されなかったから推測したことで、つまりえっとその原因がラウンジで……ラウンジ……。

「あ、迅もS級じゃん」
「…………そこも知られてたか」
「ってことは、迅もそのブラックトリガーとかいうの持ってるってことになるのか」

一番初めに迅にサイドエフェクトを意識して使った時に得た情報で『S級』があったことを思い出したと同時に、大体の謎が解けたと感じる。変態以外。
すると迅は俺の顔をじっと見てから自分の腰に手を伸ばしその腰の横にぶら下がっていた黒い剣の柄のようなものを引き抜いて俺の前に出す。普通のトリガーより長く黒いソレを迅の顔を伺いながら受け取ってからまじまじと観察してみると、どうやらこれがソレのようで、俺は迅の言いたいことを察しながらそのブラックトリガーをぎゅっと握る。

「そっか、コレか」
「『風刃』って名前、おれの師匠の最上さんっていう人がソレだ」
「…………へえ、ブラックトリガーって"そういう風に"作られるんだな」

迅の真面目な視線を受けながら言わんとすることを感じとる。
だからアキちゃんが作ったコレも、ブラックトリガーと呼ばれてんだ。

「S級になると防衛任務は勿論、時には遠征にも行くこともある。その代わりランク戦には参加できない」
「あー、ランク戦は別にいいとして他には俺にとってのメリットないな。まあ、遠征と比較するのであれば防衛任務位はまだいいけど」
「…………? 防衛任務がオッケーなら、おれと一緒に申請に行けば多分C級のまま"確実に"アキちゃんも使えるようになるよ」

そう言って少し驚いたように俺を見る迅に、少しすがりたくなるのは気のせいだろうか。
S級なんかではなく、C級のまま、アキちゃんを使う。
何となく視線を逸らすことで誤魔化しながら、時たま吹く心地よい風に自分の心を落ち着かせ、俺は改めて自分の状況を整理する。
俺は今日、正式にボーダー隊員となることを機に自分がアキちゃんの代わりに生きていくことを決意した。それはアキちゃんが俺のせいでブラックトリガーになってしまったときから決めていたこと。そして俺には孤児院の人達の為に生きるという揺るぎない役割があり、それに伴ってボーダー隊員になって訓練用トリガーを得ることは俺にとって新たな人生の第一歩である。
だから俺はC級に留まって一番近いところで孤児院の皆を守る必要があって、防衛任務も遠征もその目的には"不必要"なもの。今日の訓練結果でC級に居座り続けようとしたのもそのためだし、このトリガーを隠し通すつもりだったのもそのためだった。いや、ブラックトリガーがS級になるとかは知らなかったけれど、訓練生が訓練用トリガー以外を使用するのは認められていないことぐらいは知っていたから。

「そんならB級と変わらなくない?」
「……そうか?」
「? あ、でもB級はチーム組まなきゃならないっぽいよな」
「…………まあ」

上級になるとチームを組んでいるところが多いように感じるのはそれが必須だからだろうか。ボーダーに関して無知な俺にはよくわからないけど、目の前にいる迅も目をそらすだけで返事をしないから特に間違いは無いんだろう。入隊日に何もかもわかってる方が珍しいとも思うけど。

「……………アキちゃん、さんを隠す必要もなくなって、みんなも守れるようになるかもな」
「、ずるい言い方だ」

でも今日ここで迅に会ったことでこのアキちゃんのブラックトリガーを申請することによって上手くいくなら。
アキちゃんを隠すことなくC級でいられるのなら。

「成功の根拠は?」
「…………おれのサイドエフェクトがそう言ってる」




すこしは信じてみようかな、と思える。


     





           ◇◆



 会議中だという上層部の方々の会議室の前で俺は迅の隣で固唾を飲み、閉じられた扉をただ見つめていた。迅が言うには大丈夫らしいけれど、実際俺の中では会議中に訓練生が自分の勝手な都合を押し付けるために許可もなく足を踏み入れるとかヤバそう、と内心少しビビっている。
けれどそんなことを知らないのか知らないフリをしているのか分からない迅は、俺の首の後ろから手を回し肩を組むと、少し顔を近付けてヒソヒソと周りに誰もいないのにないしょ話を始める。

「多分、申請の話をするときに名字がサイドエフェクトを使うときが来る」
「は?」
「その時思ったことをおれに教えてくれよ、その方が上手くいくっぽいからさ」

そう小声で話す迅の顔を至近距離で見つめながら俺は眉を寄せる。

「俺のサイドエフェクトのこと教えとく?」
「いや、名字が思ったことで充分」
「…………わかった」

へらへらと笑う迅の笑顔に俺も少し笑いながら返事をすれば、迅は「よし」と気合いを入れるように呟いて、大きな会議室の扉を部屋の中の人たちの許可を待たずに勝手に開ける。ノックすらしてねえぞ。

「お疲れさまでーす、どうもどうも会議中にすみません」
「…………何の用だ」
「いやいやー、実力派エリートからの報告ですよ報告」

扉を開けるとずんずんとお構いなしに会議室に入って行く迅の後を追うように俺も会議室に足を踏み入れ、会議室にしては広すぎるような大きさの部屋に少し圧倒されながら迅と会話をしている一番遠い席の男の人を見つめる。すると俺から見て唯一知っている右の列の席に座る本部長の忍田さんと目が合うと、本部長さんは迅に視線を移して「そこの訓練生と何か関係が?」と話し掛けてきた。

「おお、流石忍田さん」

そう言って俺の肩に手を置くと変な顔で「自己紹介どうぞ」と迅がヘラりと笑ったままいきなり促してくるので、俺はいきなりの無茶ぶりに一睨みして迅を含めた八人の視線を受けながら口を開く。

「今日から正式に入隊致しました、訓練生の名字名前です」
「、そんなのはいい、会議中だと分かってての報告なんだろうな!」

俺が自己紹介を終えた途端噛みつくような勢いで叫ぶ左の列に座るタヌキみたいな人の言葉に、俺は「迅に言われたから自己紹介しただけなのに」と内心で拗ねながら迅の方を向く。

「まあまあ鬼怒田さん、分かってますって」
「ならさっさと報告せんかい!」
「鬼怒田さんがうるさ……話してたから出来なかったんでしょー」

迅は重役相手に軽い口調でそう言うと、俺より一歩前にでて俺の肩に手を乗せたまま笑みを浮かべる。

「簡潔に言うと…………





こいつ、ブラックトリガー持ってます」

サラッと本題を言葉にする迅に少し驚いたが、さっに信じると決めたばかりだった手前今更何か言うつもりもないので黙っている。すると忍田本部長と鬼怒田さん、そして鬼怒田さんの隣のキツネみたいな人がガタッと音をたてて椅子から立ち上がって驚愕の表情を露にし、噛みつくような視線を俺に向けてきた。そして、その三人の態度と視線に俺はボーダー内でのブラックトリガーの価値を実感しS級と呼ばれる理由の一端が見えた気がした。

「ブ、ブラックトリガーだと!? ブラックトリガーと言ったのか!?」
「はい」
「はい、じゃないぞ迅くん! 本当なんだろうね!」
「勿論です根付さん」

鬼怒田さんと根付さんが吠えるように問い掛けてくるのをのらりくらりとかわしながら肯定をする迅の態度もそうだが、俺に説明するように名前を順に挙げていくところがまた、いやらしい。すると立ち上がって少し机に前のめりになった忍田本部長が俺を見つめているようなのでわざと視線を合わせると、本部長さんは真面目な表情を俺に向ける。

「名字君、それは本当かね」
「あ、はい」
「…………今それは何処に?」
「ここに在りますが」

忍田本部長の問いに答えるべく左胸の隠しポケットにあるリング状のソレを取りだし見せると、忍田本部長ではなく鬼怒田さんという人が食いつきよく「何!?」と言うと机の後ろを回ってドタドタと足音を鳴らしながら俺の目の前に来てブラックトリガーを俺の手から引き抜く。

「荒業だなあ…………」
「ほんとそれ」

それを見ていた迅が俺の隣で呟いたが、これには思わず俺も小さく頷いて同意する。

「…………何を考えている、迅」

さっきまでの状況を静観していた一番偉そうな人が机の上で指を絡ませながら迅と俺に問い掛けると、鬼怒田さん以外が俺と迅に視線を向ける。
どういうつもりなのかは俺にも分からない、ただ俺はアキちゃんのブラックトリガーを使いながら皆の傍に居られるのなら迅を信じてみようと思えたから…………ってあれ、なんで迅はここまで俺に協力してくれるんだろ。
俺が死ぬと知っていて、知らんぷりするのは目覚めが悪いから…………とか? それともブラックトリガーの価値ってそんなにすごいのか?

「どういうつもりって、ただの報告ですよ報告」
「ふん、ソレを易々と本部に渡す気も無いのだろう」
「やだなあ城戸さん…………よくわかってらっしゃる」

そう迅の言葉に鼻で笑いながら返すと、一番偉そうな人こと城戸さんが、迅から俺に視線を移して「そいつの目を見れば分かる」と呟いたことで迅もチラリと俺を見る。
たしかに、そのブラックトリガーは俺から言わせてもらえば大切なアキちゃんの形見だからとか、そういうのを抜きにしても手離したくはない。けれど、多分この人が言った言葉はただのはったりだろう。
そんな思いを込めて城戸さんを見つめ返していると、近くでブラックトリガーをジロジロと見つめていた鬼怒田さんがソレを城戸さんの方へ見せるように付き出して「解析してみないと断言出来ませんが、」と呟いた。

「偽物なわけないでしょ、この実力派エリートが報告してるのに」

鬼怒田さんの言葉に迅は拗ねるように自尊心たっぷりの言葉でそう返すと鬼怒田さんの手からアキちゃんのブラックトリガーをひょいと取り上げ、流れるような手つきで俺の左手を持ち上げてからそのリング状のソレを俺の手首に通す。その行為に城戸さんが小さく嘆息してから俺へ改めて「説明しろ」と命令口調で話す。なぜ俺に言う。
その何人もの厳しい視線を受けながら俺は恐る恐る口を開く。

「えっと、何を話せば……………?」
「まず第一に、何処でそれを手に入れたかが聞きたい」

椅子の背凭れに姿勢良く背中を預けてる割りに威圧感が途絶えない城戸さんを上目遣いで見つめながら尋ねれば、此方に真摯な視線を向け続けてくる忍田本部長が答えてくれた。何処で、と言って分かるのだろうか。

「二年ほど前にボーダー隊員であった……兄が近界民に殺されかけ、その場に居合わせた俺がコレになった兄を持っていました」
「二年前……………もしかして、近くに教会があったか?」
「、はい、!」

自分の手首に通っている黒い輪を指でなぞりながら忍田本部長の問いに返事をすると、忍田本部長は「あの時か」と小さく呟いた。どうやら忍田本部長にはその時のことに心当たりがあるようで、それは視線から城戸さんも同じだと気づく。


『当時はシステムに誤差が生じることがたまにあった』『駆け付けた時には近界民は始末されていたはず』『何の話だ?』『やっぱり忍田さんも覚えてたか』


誰が誰だか分からないが、最後に読み取れたのは迅のものだろう。ということは、迅もその時のことを何となく知っていたのか。
俺のはなしを聞いたとき何も疑わずに受け入れてくれたのはそのせい?


「あの時の近界民は君が?」
「……………はい、すみません」
「いや、謝るべきことは何もない。むしろ当時のボーダー関係者として此方が謝るべきだろう」
「、……………いえ、」

眉を寄せる忍田本部長にちらりと視線だけ向けてからそう呟く。最初からボーダーに期待も絶望もしていなかったから恨んではいないし、万能なものなんてこの世には一つまみしかないことも分かっているので今更になって咎める気は俺にはない。
それに俺はそもそも謝罪されるような立場にいない。ボーダーに対する感情よりも自分の無力さに対する感情が大きいというのもある。
なんて、考えつつ何だか神妙な空気にしてしまったことを察して城戸さんに向き直ると、ずっと俺を見つめていた城戸さんが口を開く。

「……………お前はどうするつもりだ」
「俺は、……………このままC級に居たいです」
「、何だと!?」
「な、何を言ってるんだね君は!」

城戸さんの言葉に従って俺が説明しようとすると、鬼怒田さんと根付さんが俺の言葉に大きく反応する。出鼻挫かれた…………てか鬼怒田さん俺と距離近すぎないか。

「C級でいたいのならブラックトリガーは本部へ渡し、もしソレを『適合者』として使うとしてもブラックトリガーを使う人間はS級へ昇格するのがここの規則だ!」
「それに、C級は訓練用トリガーしか使用が認められていませんし」

だから俺はC級に居るためにアキちゃんのブラックトリガーを隠し通そうとしていたんだけど、どうやら俺のこの計画があまり良くなかったらしいんで、と言いたい気持ちを抑えて改めて言葉を紡ぐ。

「存じています」
「分かっているなら何故渡さん!」

俺の肩を掴んでわさわさと揺らす鬼怒田さんに、俺は揺れる視界の中で適当な理由を探す。ばか正直に『形見だからです』なんて私情しかない理由を言うわけにもいかないし、だからといって本部に得になるような情報も持っていないし…………ん、情報?

「ちょっと鬼怒田さん、名字が死んじゃうから」

そう言って俺に近付いて鬼怒田さんの肩を叩いて手を止めてくれる迅の名前を小声で呼ぶ。

「迅、今からあの女の人の気を引いてて、」
「…………まかせろ」

迅の言葉で手を離した鬼怒田さんから少し離れ、全員が見渡せる位置までジリジリと移動しながらグラッと揺れる頭を押さえて迅に忍田本部長の隣に座る髪の長い女の人を視線で示し注文をつける。すると、迅は俺の意図を汲み取ったように真面目な表情をしてから、さっきのようなふざけたような表情でその女の人を見つめてなにやら小声で話している。
よし、コレで"迅と女の人の情報が入ってくることは無くなった"。

「ブラックトリガーに関して、皆さんに一つ質問が在ります」
「、なんだねっ!」

真横に居る鬼怒田さんが俺の話に真っ先に食いつくと、それに倣うように他の六人が俺に視線を向ける。ナイスだ鬼怒田さん。

「俺のブラックトリガーで"何をしたいですか"?」

その俺の質問を聞いていた八人のうち、迅と女の人を抜いた六人が俺の方を向いて、多分いま、俺の質問に対する答えを考えているはず。
そのタイミングをわざわざ作った俺は目を伏せながら、その瞬間を見逃すことなく自らのサイドエフェクトを意識的に使う。


『そりゃ解析に決まってるだろ』『相応しい者に使って貰う』『俺の管轄じゃあないな』『真の目的の為』


「迅」
「はいよ」
「『解析』『相応しい者に使って貰う』『真の目的』」
「…………了解」

小声で俺が"視線から得た"情報を迅に伝えると、迅は待ってましたと言わんばかりの声量で返事をして俺の肩を何度も叩くと「こっからは任せろ」と小さく呟いた。

「忍田さん、相応しい者というと『適合者』のことだろうと思うけど」
「、なぜ私の」
「まあまあまあ、それはいいとして」

迅はさっきまで俺に話させていた分を取り戻すように明るく、けどキチンと場の空気を制するように言葉を放つ。

「このブラックトリガーの適合者、多分"コイツだけ"だよ」
「、なんだと」
「オイ、迅! 何でお前がそんなことを言える!」

迅が俺も知らない重要なことを笑顔で言ったかと思えば、忍田本部長と話していた筈の迅の会話は鬼怒田さんの言葉に遮られる。

「鬼怒田さんも"解析"したら分かると思うけど、コレは多分確定事項」
「…………例のサイドエフェクトか」
「そういうこと」

解析、という言葉をわざとらしく出した迅のお陰で『解析したい』と思っていた人物が鬼怒田さんだということが無知な俺でも理解できる。つまり、俺が今コレを解析のために手放したとしても、アキちゃんのブラックトリガーを使えるのが俺だけならばかなりの確率で俺のもとに返ってくることを意味するわけだ。
んで、それを俺が"提案しろ"ってことかな。任せろだなんて言っておいてさ。

「えっと鬼怒田さん」
「なんだ! まだ何かあるのか!」
「いやいや、というか『解析』してもいいですよ」

そう言って俺は迅をチラリと見てから、名残惜しい気持ちを押し殺して左腕に通していたアキちゃんのブラックトリガーを鬼怒田さんに突き出す。
ああ、この俺の腕にわざわざブラックトリガーを通したのは迅で、ソレを外したのが俺っていうのはもしかしてこの提案を「名字が自分だけで考えた提案」だと思わせるための一つの計画だったのかも知れないな。
すると鬼怒田さんは驚いた表情でソレを受けとると眉間を寄せて俺と迅を見つめる。

「鬼怒田さんがそれを望んだんでしょ」
「ぐっ、……」
「あと、名字がコレを持っていることで城戸さんの…………真の目的にも近付くよ」

鬼怒田さんから城戸さんに視線を移した迅が少し声のトーンを落としてそう言うと、向かい合って視線を送っていた城戸さんの眉がぴくりと動いた気がした。

「おれとコイツのサイドエフェクトが、そう言ってます」

とどめだと言わんばかりの気迫で城戸さんを見据える迅を俺はただ横目で見る。だからと言って何もしてないわけではなく、周囲に目を配りながら自分に向けられるただ一つの色濃い『不満』の視線の主を探しているのだ。
根付さんと鬼怒田さんと迅は俺を見ていないから選択肢から排除し、城戸さんも多分迅しか見ていないから排除、そうなると左側のもう一人か右側の三人の誰かになるわけだけど俺が短いながらも生きてきた中で培った視線の種類から言って、コレは多分、男だな。口調が。
なので一番端の女の人も排除となると、後は男三人。
そこまで候補を絞っているといつの間にか会議室に沈黙が流れ、それと同じくして全員の視線が分散する。そしてそれを頼りに最後の選考を自分の中で行う。


あ、なるほど、あの人か。






「…………いいだろう」

長い長考の末、思い沈黙を破るように城戸さんが了承の言葉を告げる。

「城戸司令! 良いのですか!?」

根付さんが再度立ち上がるようにして机に乗り出すのを見た城戸さんが何か言おうと口を開いた時、右の列の席に座っている忍田本部長が口を挟むようにして意見する。

「そうです、彼しか使えないとしてもC級に所属するのならば防衛任務も遠征にも行かない。つまり、ブラックトリガーの使用も出来ないのでは?」

その指摘はもっともである。
迅のサイドエフェクトで俺だけしかこのブラックトリガーを使用できなかったと知って俺にコレを預けていたとしても、C級の俺には訓練用トリガーの使用しか認められておらず、もし認められたとしても防衛任務も遠征も行かないのであれば宝の持ち腐れ以外の何者でもない。
するとその忍田本部長の言葉を受けた迅は、人指し指をピンと上にたてて提案するような口振りで言葉を連ねる。
まあ、城戸さんもこのまま提案を通してくれるわけじゃなかったっぽいけどね。視線で読み取ったかぎりは。

「そこは、本部側が特例として名字を扱ってくれればいいんじゃない? 例えば、C級だけど防衛任務だけはブラックトリガーを使用して参入する許可、とか」

『防衛任務だけは』という例え話を置くことで、本部が本当にそういう内容の特例を出すように仕向けているのが分かる。

「…………城戸司令」

すると忍田本部長は俺を一瞥してから城戸さんに視線を移す。
つまり城戸さんに指示を扇いだということは、忍田本部長の内心でその提案を認めたことを意味するわけで。

「ほら、名字最初に貰った個人ポイントいくつだっけ?」
「………2900です」
「まあまあ使える方でしょ? それに本部にはそのまま属するわけだし?」

俺の個人ポイントまで掌握していた迅に多少の驚きを抱きながら俺も城戸さんの返事を待つように視線を送ると、城戸さんも俺から視線を逸らすこと無く無言で見つめ返してくる。
そして左の列の席に座るもう一人の人と右の例の席に座る眼鏡の人が煙草の煙を吐いた後、狙ったのかと思えるようなタイミングで城戸さんは一つ息を吐くと口を開いた。






「好きにしろ」



         ◇◆




 会議中だったということもあって俺達は話が終わると強制的に会議室から放り出された。話す議題が増えて会議が長引いたことが決定した頃かな。

「あー、大成功大成功ー」
「そうなのか?」

ラウンジのソファで寛ぎながら俺の奢った紙パックのリンゴジュースを飲む迅がそう叫ぶように言うのを、俺も缶のオレンジジュースを飲んでから同意するように反応する。
一度も手放したことのなかったアキちゃんのブラックトリガ一がー瞬でもが自分の手元に無いことと防衛任務に就かなければならなくなったことは多少痛いけれど、それでもアキちゃんのブラックトリガーを使って皆の近くに居られることの方がずっと大事なような気がするから結果オーライだろう。

「色々ありがとな、迅」
「いやいや、こっちも悪かったし、トリガー手放させちゃったろ」
「今はそうだけどさ…………それでも出来ることが増えた、ありがとうな」

俺が面と向かってお礼を言えば、迅は何故か気まずそうに視線を逸らすとまたリンゴジュースのストローをくわえた。
そのストローにリンゴジュースが通っていくのを見てから俺は天井を仰ぐようにソファの背凭れに頭を乗せ、会議室で話しているときにも気になっていた話題を口にする。

「ねえ…………俺が生きてると"迅のために"なるのか?」

ぽつり、と多分迅にしか聞こえてないような声量で訊ねる。
すると迅は一瞬ピタリと動きを止めてから考えるように少し唸り、俺の手にあるオレンジジュースを抜き取って口をつけると代わりにリンゴジュースを俺の手に握らせる。
その一連の行動に俺がなにも言わずにいると迅は缶から口を離し、俺を見ずに、多分言うつもりじゃなかったっぽい内容を口にする。

「おれのためっていうか、市民のためかな」
「…………規模でかくない?」
「それだけのことするから」
「…………そりゃ、死ねないかもな」
「あー、うん、」

それを為し遂げるのに、俺がアキちゃんのブラックトリガーを本部公認で使用できる状況が必要だったんだろうか?
でもそうか、アキちゃんのブラックトリガーを使って誰かを救えて、役割を終えた俺が死ぬってのはなんかすごいなあ。ああでも、見知らぬ誰かと孤児院の誰かを天秤に掛けられたときに俺が優先して助けるのは後者なんだろうけど。

「というか市民だけじゃなくてさ、迅のためになんか出来ないの?」
「…………うわー、なにそれプロポーズ?」
「、ないわ」

ふざけたような態度で視線を逸らして俺の言葉に反応する迅に、俺は顔を上げて握らされたリンゴジュースに口をつけ、意外と酸味の強いリンゴの味を口いっぱいに感じながら短く悪態をつく。
その酸味の強さに何となく友人もリンゴジュースが好きだったなあ、とか、そういえば孤児院に酸っぱいもの好きな子いたなあ、なんて思いながらもう一口飲んだ瞬間、ハッとあることを思い出してしまう。そして嫌な予感を感じながらもストローをくわえてちらっと右手の腕時計を見ると"約束の時間"から一時間以上過ぎていて、つまり、俺は孤児院に帰りたくないけど帰らないといけないという板挟みの状況に目を伏せるしかなかった。

「ねえ迅」
「…………それ、怒られてるのおれのせいじゃないからね」
「…………分かってるよ」

俺の横顔をじっと見つめ未来を視たらしい迅に小さくそう返してから、不意にもう一つ思い出したことを告げる。

「それじゃなくてさ、会議室の右側の奥に座ってた人居たじゃん」
「ん? あー、林藤支部長」

そう答えてから「俺のボスね」と笑って続ける迅に俺も「へえー」と頷きながら反応し、勝手にその呼び名を借りて話を進める。

「その迅の所のボスがさ、すっげえ"不満"そうだったわ」

あの林藤支部長という人があの話し合いの中で発言することは無かったけれど、俺が推測するにかなり高い確率であの林藤支部長が"不満"の目を向けていた。けれど、何に対して不満に思っているのかが探れなかったので俺も少し気になっていたのだけれど、迅は「あー……」と気まずそうに視線を逸らしてからオレンジジュースの缶に口をつけながら話す。

「多分そりゃあ、拗ねてるか、めんどくさがってるな」
「…………ん?」
「名字みたいなやつ結構ボス好きだし。まあでも……これから関わることになると思うから、そんときだな、そんとき」
「へえー、またなんかあんのか」

適当に迅の予知に返事をしながら俺はズズッ、とリンゴジュースを飲み干して今日の疲れと一緒に空の紙パックを握りつぶし、近くにあったゴミ箱に投げ入れてから伸びをするようにソファから立ち上がる。

「じゃあ、またそんときまで」
「おー」

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