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  昨日連絡先を交換したばかりだというのに早速朝早くから連絡してきた迅に少しあきれを覚えながら、電話で伝えられた通りに学校に連絡してから本部へ向かう。まあ、本部から直接連絡が来るよりはマシか。
午前九時に呼び出されていたので学校の制服を着たまま余裕をもって十分前に指定場所の技術開発室に足を運ぶと、そこにはあの煩い鬼怒田さんと迅のボスだという林藤支部長が居て、俺は何となく昨日の迅との会話を思い出しながら二人に挨拶をする。てか、呼び出した迅はいないのか。

「おはようございます」
「おう、悪いな朝から」
「いえ…………」
「ふん、来たか」

俺の挨拶に反応してくれた林藤支部長が昨日あの不満そうな視線とはうって変わって気遣うような言葉で俺を迎え入れてくれたのに対して、鬼怒田さんは相変わらずあまり良く思ってない視線を突き付けてくる。昨日一日で慣れていた鬼怒田さんの態度は良いとして、林藤支部長がよくわからないなあ、なんて思いながら部屋を見渡すと、何人かのエンジニアさんがカタカタとキーボードを打ったりよくわからない機械を弄っては忙しそうにしていたので少し萎縮してしまう。

「名字、だったよな?」
「あ、はい。えっと今日は何を……」
「何だそんなことも聞いとらんのか!」

俺の些細な言葉にも突っかかってくる鬼怒田さんの表情から、これから始まる一日がとてつもないものになるんじゃないかと内心怯えながら視線を移して「すみません」と頭を下げる。すると鬼怒田さんはむっ、と眉間を寄せるとふい、と視線を逸らして何処かへ行ってしまった。
えっ…………そこで少し『反省』するような人なの……?

「あー…………」
「まあまあ、あの人意外とすごい人だったりするから許してやってくれや」
「…………はい」

俺と林藤支部長は鬼怒田さんがぷりぷりと怒って隣の部屋へ行ってしまった後ろ姿を眺めながら小さく会話する。

「あぁそうそう、昨日の話し合いの確認しねえといけないんだった」
「、確認ですか」
「つか、良くやったよな……あんな会議中に」
「すみません…………」
「いいっていいって! どうせ迅がなんか言ったんだろ?」
「まあ、」

林藤支部長はケラケラと笑ってそう言って椅子に置いていた自分の鞄から一枚の紙とペンを取り出すと、鞄を床に降ろしてその椅子に座る。そしてその隣にあった椅子をカラカラと俺の方へ引っ張ってくると椅子の上を叩き、俺に座るよう促してきたのでリュックを降ろして遠慮なく座らせてもらう。

「大きく分けて、三つ、確認として言わなきゃならねえことがある」
「はい」
「まず一つ目」

そう言ってすぐに林藤支部長は紙を机に置いてから1と書いてそれを円で囲む。

「『名字名前に"五線仆"を帰属する』」
「…………ごせんふ?」
「あのブラックトリガーの名前だ、勝手につけて悪いな」
「あ、いや、大丈夫です」

そして続けるようにして2と書いて、同じように円で囲む。

「二つ目は『名字名前を永続的にC級と位置付ける』」
「永続的に…………」
「『ただし、特例として二つを認める。一つ、ブラックトリガー(以下五線仆)の所持と使用を認める。二つ、防衛任務を与える(その際、五線仆を使うことを認める)』っとな」

言葉でも言いながら紙に記してくれる林藤支部長に内心で感謝しながら、口を挟まないように話を聞き入る。

「三つ目は……っと、『五線仆の訓練を玉狛支部に一任し、それに関する全ての責任を玉狛支部が受ける』」
「…………玉狛支部?」

ボーダーに関して無知な俺は、その玉狛支部の説明を求めるように林藤支部長の顔を覗き込む。すると林藤支部長はニカッと歯を出して笑い、いきなり俺の肩をバシバシと何度も叩いてきた。

「い、痛いですよ?」
「痛くしてんだよこの野郎!」
「えぇ、!?」

理不尽な仕打ちにうっ、とうめき声をあげながら耐えしのいでいると、林藤支部長はそんな俺の反応に満足したのか叩く手を止めて俺を見つめる。

「ったく、迅も本部も面倒事押し付けやがってよお」

俺はそう言ってずれたメガネを押し上げる林藤支部長を肩をさすりながら見つめ、考えるようにして机の上にある紙に書かれた『玉狛支部』の単語をじっと食い入るように見る。
玉狛支部……支部、林籐支部長、支部……あっ。

「えっと、すみません。玉狛の林藤支部長さん」
「おっ、知ってたのかこの野郎!」
「いててっ知らないです今察しました!」
「ほお……」

そう言って感心しているのか分からない言葉を呟きながらも手は俺の頭を撫で回したままで、俺は思わず机にあった紙を林藤さんの顔の目に突き出して、林藤さんの動きを強制的に止めて口を開く。

「面倒事の名字名前です、よろしくお願いします」

その誓約書のようなものを見てから頭を下げると、林藤さんは面白そうに笑って今度はポンポンと優しく俺の頭を撫でて「面倒事だなんてのは冗談だ、これからよろしくな」と言うもんだから、俺は高鳴る心臓を誤魔化しながら少し驚いて顔をあげる。
昨日会議室で話していた時に向けられていた視線は面倒事増やしやがってという意味で不満だったのかもしれないなあなんて予想をしてたけれど、それを裏切るように今の林籐さんはニシシッと笑う。そして、自分のペンを鞄に仕舞い込んで椅子から立ち上がると俺を見下ろし「じゃあ俺行くわ」とスーツの襟を正して告げた。
もしかしてこれだけのためにここに来てくれたのかな。

「あの、一つ質問していいですか」
「おー、なんだー」

床に置いていた皮の鞄を手に持ったまま俺の言葉に振り返って反応してくれる林藤さんの顔をじっと見つめてから、言葉にすることを決心して口を開く。

「甘いものは、好きですか?」
「……ん? 俺か?」
「、はい」
「まあ嫌いじゃねえけど」

そう言って俺の質問の意図を探ろうとする林藤さんに俺は慌てて足元にあるリュックのチャックを開け中から透明の袋に入った手作りクッキーを取りだし、近寄って手渡す。すると林籐さんはなんのためらいもなくソレを受け取ると「旨そうだな」と呟いてから俺の顔を見て「くれんのか?」と嬉しそうに尋ねてくるので俺もとりあえず何度も頷く。

「その、俺のいる孤児院の子供たちと昨日作ったんですけど、良かったら」
「マジか! お前良い奴だなー」

俯きながら言葉を紡ぐ俺に林籐さんはまた優しいような荒いような手つきで俺の頭を撫でる。

「じゃあ、貰ってくわ」
「は、い」
「サンキュー、あぁ後で鬼怒田さんによろしく言っといてくれや」

俺の頭から手を離してそう告げる林籐さんに俺が「わかりました」と、極力真面目な表情を作って反応を返すと、林籐さんも小さく手を振って技術開発室から出て行った。
…………ああ分かった、俺年上の人がすごい苦手ですごい好きなんだ。
孤児院じゃアキちゃんがいなくなってから俺が一番年齢が高くなって、経営者のカズエさんも新しく入ってくる小さい子につきっきりだし……高校生だからいつまでも大人に頼り切りじゃいけないとわかっていても本能がああいう人と関わりたがっていけない。アキちゃんならああいうときどうしたかなあ、と机に突っ伏しながら新しい環境のボーダーという場で高校生らしく過ごしていける術を模索していると、良いのか悪いのか分からないようなタイミングで鬼怒田さんは隣の部屋の扉から顔を出すと俺の名前を呼ぶ。
くそう、すべての大人がああいう鬼怒田さんみたいな大人気な……年齢より若い態度をとってくれたらどんなに楽だろうかと思いながら俺は椅子から立ち上がった。


          ◇◆



 俺は鬼怒田さんの命令通りアキちゃんのブラックトリガーことエンジニアさんに渡された五線仆を腕に通すと、技術開発室から続く訓練室のような作りの部屋に案内され、放送のような形で鬼怒田さんの声がこの無機質な部屋に響き渡った。

『ほら、早くそのブラックトリガーを起動させろ』

なんの説明もなしに話を進めていく鬼怒田さんに俺は顔をしかめながらも言うとおりにするため「五線仆、起動」と小さく呟いてアキちゃんのブラックトリガーを起動するとブラックトリガーを身に着けていた左手首から順に黒色の装備へと俺の身体が変化していく。

『ふん、なかなか様になってるじゃないか』

そう言って何故かお褒めの言葉を俺に向ける鬼怒田さんに軽く頭を下げてから、自分の身体を確認してみる。足元には黒のミリタリーブーツのようなものが履かされ、服装は黒い生地で極力肌を見せないように出来ているのか口まで隠れるようなハイネック仕様。 そして五線仆の肝である指ぬきの両手のグローブは前に使った時と同じ見た目で右の手の甲には右半身の、左の手の甲には左半身の表示がしてあり、両の手のひらには白い丸が記されてある。
そのグローブの皮のような感触を確認するようにぎゅっと手を握りしめていると、天井の方から鬼怒田さんが俺の名前を呼ぶ声が聞こえたので返事の代わりに上を向く。

『まずはお前が使える範囲で使ってみろ』

俺はその鬼怒田さんのアバウトな指示に応え、今日ここに呼ばれた意味を今更ながら悟る。
つまるところこれは解析の一環で、エンジニアさんだけの情報だけでは得られないような実戦向きのデータを得るために俺はこの部屋に立たされているんだろう。けれど残念なことに俺はコレを実戦では一度しか使ったことがない。換装自体は何度もしていたので機能面の知識はあるけれどここに立たされて実戦しろと言われると自信はあまりない、が、これを言うと多分鬼怒田さんに怒られるのが目に見えるので黙っておく。

『取り敢えずそこに獲物を出すから待っとれ』

そう言ってから鬼怒田さんはマイクから遠ざかったところでエンジニアさんたちに何かを指示すると、待つ暇もなく俺の目の前に獲物と称された近界民が現れた。

『そのモールモッドを出来るだけ色々な機能で倒せ、以上だ』
「……了解です」

俺は初めて見る種類の近界民であるモールモッドを目の前にしながら、また昨日と同じようにジリジリした嫌な戦いを強いられるのかあ、と少し気落ちする。けれど目の前のモールモッドが俺の気持ちを察して黙っていてくれるわけもなく、三つの目んたま…………あっ、えっとモノアイのうちの大きめの一つを俺に向けると、良い距離を保ちながら近づいてくるので、俺は後ずさりながらその行動を観察しながら両手を前にかざして"一つ目の糸"を指先から生み出す。そしてそれを指で弾くようにしてモールモッドの頭へくっつける。
これは粘着性に優れた特殊な糸で、これに触れると絶対に……っていう確証はなくてもほとんどのモノは離れることができない。
今も現にモールモッドが頭の違和感に気づいたのか俺の糸を自慢の足についた刃で切り落とそうとしているが、その刃さえもその糸にくっついてしまっている。なので初見ではあまり思いつかないかもしれないけれど、対処法としてはそのくっついてしまった部分ごと切り落とすなり外すなどが挙げられる。そして、そのトリオンで生成された人工的なピンク色の特殊な糸を、でこピンする時の要領でモールモッドの目の上にもう一本くっつける。

「せーのっ」

ぐっとその一つ目の糸『イルー』を使って思い切り引っこ抜くように力を入れると、モールモッドは俺の力に逆らうことなく宙を舞い、空中に浮かぶ。その瞬間を狙って、俺はバムスターの腹を見ながら指のわずかな動きで"二つ目の糸"を慣れた手つきで瞬時に展開し、編み込むように周囲に瞬時に張り巡らせてから『イルー』でくっついたままのモールモッドを勢いよく引きずり降ろす。
そして、その張り巡らせた二つ目の糸『シャンアール』にモールモッドが落下の勢いのまま触れた瞬間、

モールモッドの姿は見るも無残に切り刻まれ、ばらばらになってボタボタと床に落ちた。






「あっ、終わっちゃった」

俺はモールモッドの残骸が上から落ちてくるのを見ながら鬼怒田さんに言われた注文内容を思い出して冷や汗をかくが、こんな戦闘訓練みたいな解析方法じゃなくても俺が口頭で説明しながら見せればいいんじゃないのか、と言い訳めいたことを思うことで自分の失敗を正当化してみる。
俺って多分こういうじり貧向いてないんだな。
静寂の中俺が少し自分を責めながらモールモッドの残骸を弄っていると、計測や解析が終わったのかしばらくしてからまた天井の方から鬼怒田さんから名前を呼ばれたので顔をあげる。すると、鬼怒田さんは『お前のやりたいようにやれ』と迫力のない声で結局俺に説明の仕方を丸投げしてきたので、俺は自分の言い訳が現実になって少し苦笑いをこぼす。

「わかりました」

俺はさっきと同じようにまた安請け合いして返事をし、まだ出していない二つの糸の説明をするため、その内のオレンジ色をした一種類を部屋に床の近くに張り巡らせその上に乗ってみせる。

「これは『ダンルー』って言って、まあ、簡単に言えばなかなか強度のあるゴム製の糸ってとこですかね」

そう説明しながら跳び跳ねるように張り巡らせた『ダンルー』へ順々に乗り移っていると、知らない声の男の人がいきなり鬼怒田さんのように『それはどれくらいの強度なんでしょうか?』と質問してきたので、俺はその声の主をエンジニアの人だろうと見当をつけながら新たに天井の方に一本繋いでその上に立ってからその質問に答える。

「多分、人ふたり分くらい乗れる感じですね。五つある糸のうち、さっき使った『イルー』もそうです」
『……どれがどの糸でしょうか』
「あ、すみません。『イルー』が粘着性のある方で『シャンアール』が切り刻んだ方です」

そう言って俺は一本の『ダンルー』の糸の上にしゃがみ込んで、いつの間にか消えてなくなっているが、さっきまでモールモッドの残骸が散らばっていた床を覗き込む。
『シャンアール』は、トリオンの密度が五種類のなかで一番高く何故かドン引きするほど鋭利な性質を兼ね備えているので、少し勢いよく触れたり勢いよく触れさせたりすると、あっという間に切り込んでしまう恐ろしい糸だったりする。気を付けないと俺までも切られてしまう可能性も無きにしも非ずだけれど、それはちょっとダサいので極力ナシの方向で頑張ろうと思っている。

『すると、あともう二つはなんだ』

復活したらしい鬼怒田さんの声に小さく反応しながら俺は『ダンルー』から飛び降りるがてら、もう一種類の新しい糸をその飛び降りたばかりの『ダンルー』に巻き付けてソレにぶら下がる。

「コレは…………まあ『シャンアール』を例外として扱うとして、他の三本より強度が高く、多分さっきの言い方で言うと一本で人八人くらいは乗れると思います」

まあ、実際今の俺の状況は『ダンルー』を主軸にして使ってるわけだから四人も耐えられないけど。

『……ためしに乗らせるか、おい、そこの八人中に入れ』
「んんっ? おぉ、まじか」

そのエンジニアさんたちへの無茶ブリっぽい鬼怒田さんの言い草に俺は焦ってその強度の高い『グール』から手を離し勢いよく地面に着地しする。そして、手のひらに記された白い丸を合掌のように合わせてからゆっくりと離してその掌の隙間から短剣を出現させ、その白い刀身の短剣で部屋全体に張り巡らせた全ての糸を無駄に多い『ダンルー』を活用しながら切っていく。因みにこの短剣は強度の高すぎる『シャンアール』も粘着力が高すぎる『イルー』も切れちゃう代物だったりするが、この短剣を生成するのにもトリオンを必要とするし、消したりできないためわざわざ持ち歩かなきゃならないのが少し扱いづらい。なんて俺が内心で愚痴りながら飛び回って全ての糸を切り終えると、見計らったように八人の男の人が部屋に入ってきたので俺は床に軽く着地してから八人に近付き、少し会釈する。

「すみません、」
「いえいえ、私たち少しワクワクしてますから」

代表で前に出てきてくれた男の方に巻き込んでしまったことを謝ると、男の人は優しく笑って俺と多分鬼怒田さんをフォローする。あ、この声さっきの人だ……誰かに、似て、はいないか。
そんなことを思いながら『グール』を一本天井にぶらさげる作業を行うと、鬼怒田さんが声を発する。

『準備できたなら、早くぶら下がらんかい』
「あー、じゃあ、」

そう言って俺は鬼怒田さんの言う通りに人に糸の方へ促すが、八人の内の一人が手を挙げたので俺はその人を見つめてから小学生のときの先生のように「どうぞ」と指をさして発言を促す。

「俺達よじ登るような体力ないです」
「あー…………そうですね」

その申し訳なさそうな発言に俺は垂れた『グール』を見つめて唸る。確かに俺は今トリオン体だから色々出来るけれど生身のエンジニアさんたちには難しいかもしれない、なんか細い人が多いし、と思った俺は「わかりました」とその人に頷いてみせる。見た目は『シャンアール』と同じだが何の能力もない普通のトリオンで作った糸をエンジニアさん一人の腹と肩に巻き付け、安全を考慮しながらそのままくいっ、と指を動かして持ち上げる。
そしてその行為でうあっ、と反応するエンジニアさんの足が宙に浮いたのを確認してから一端下ろし糸を消す。

「すみません、」

実験台にしてしまった一人に謝ってから八人耐えきれる『グール』を展開させエンジニアさんたちの腹と肩に巻き付けて、トリオンを思いきり使いながら八人を持ち上げる。まあ、この時点で八人の重さを耐えきれるのが決定したわけなんだけど、ここでもう一人増やしたら空中で九人のエンジニアさんが投げ出される訳だしこのやり方には文句はない。
ここがトリオン無限の部屋でよかったと思いながら八人をぶら下がった『グール』の上の方に寄せていき、後はエンジニアさんたちが『グール』に掴まっていくのを眺める。

『よし、全員掴んだな』

そう言って事の顛末を何処からか見ている鬼怒田さんはエンジニアさんたちに確認し、全員が返事をしたのを聞いて指揮官のように叫んだ。

『じゃあ名字、離せ!』

その声が部屋に鳴り響いた瞬間エンジニアさんたちが手に力を入れ、俺はそれを見計らい糸を巻き付けたまま力だけ緩めた。
するとエンジニアさんたちは「う、むり」とか「死ぬ死ぬ!」とか叫びながらも計測が終わる迄堪えるように『グール』を離さないよう握り締めているのが下から見ている俺でも分かる。

『よし、じゃあ名字も掴まれ、ゆっくりだぞ!』
「あ、俺なんだ…………」

そして九人目の俺が『グール』を掴み、ゆっくりと体重をかけていく。
多分この『グール』の上限を調べるために九人目の俺を投入したんだろうけど、この役、エンジニアさんの誰かの方が良かったんじゃないかと今更ながらに考える。
そして俺が屈み込むようにして体重を半分くらいかけた瞬間、ぶちっ、と上の方の糸が切れた感覚が手に伝わったと同時に八人のエンジニアさんたちが色々な奇声をあげながら落ちてくるのが見え、俺は冷静に反射的に身体に繋いでおいた『グール』にトリオンを送って重力に逆らうようにエンジニアさんたちの動きを止めてからゆっくりと一人ずつ地面に下ろしていく。
やっぱり大体一本五百キロくらいまでかな。まあ、編んで使えばもっとマシになるけど。

「おお! ありがたい」
「流石ブラックトリガー」

操ったのは正確に言えば俺だけど、アキちゃんのことを褒められたのが少し嬉しかったのも事実なので何も言わずに最後の一人を下ろし終える。
すると最後に下ろした人――さっき鬼怒田さんと一緒に俺に質問していた人――が俺に近寄って来たので目線を合わせると、その人は少し興奮したように目を輝かせて言葉を放った。

「あの、さっき俺達を持ち上げたり下ろしたりしてたの行為が重力に反してたように思うのですが、もしかして空中に展開出来たりするのでしょうか」
「えっ、あ、はい」

繋いであったままの『グール』を消しながらその人の圧倒する態度に身を引いて答える。

「『シャンアール』は何においても例外なので空中で使用することは出来ませんが、それ以外の糸は出来ます」

空中展開ってのは例えば、指先を上に立てているときにそのままふよふよ、と糸を立てることが出来ることで、それができない『シャンアール』単体では少し勢いがあれば飛ばせる程度だ。
てかそういえば『シャンアール』とかが何でも切るのに、壁とかに引っかけられる理由言ってないけど、まあいっか。簡単に言えばどの糸も壁に展開するとかの時は両先端だけ『イルー』にしてるってだけだし。

「なるほど…………では、今糸を消しましたが、先程までナイフを使っていたのは何故でしょうか? 消せるのであればその方が楽では?」
「指に繋いであるものは消せるんです、トリオンが元に戻るわけではないんですけど」

だから部屋に張り巡らせていた糸は消せなかった。さっき消した時の他には、エンジニアさん一人を持ち上げた時にも消したのだけれど、それには気づいているんだろうか。
俺は底知れないエンジニアさんの探求心に心打たれながら目の前の人のもとから立ち去り、腰に差したままだった短剣で実験に使った『グール』を切り取る。もちろん『イルー』にも有効だ。

「あと、こんなん出来ます」

俺はそう言って俺は人差し指からエンジニアさんの目の前でピンク色とオレンジ色を足したサーモンピンクのような色をした一本の糸を生み出す。
その糸よって一本の糸で二種類の性質を兼ね備えたことになる、ということを説明したかったのだけれど、エンジニアさんは俺の行為を見てまた目を輝かせると「なるほど」と感心するように呟いた。

「最高二種類まででしょうか」
「…………はい、二種類ですが『シャンアール』は例外です」

そのエンジニアさんの創造力と豊かな発想力に俺は一種の敬意すら覚えそうになりながら、笑顔で肯定する。
このブラックトリガーは糸を使い、またその糸を最大二種類まで融合することが可能で、その二種類の性質を尊重し合う形で生み出されることになる。今俺の手元に垂れ下がっているサーモンピンク色の糸は言わずもがな『イルー』と『ダンルー』を融合したもので、粘着性がありながら伸縮性も兼ね備えているといういいとこ取りのように感じるが意外と使えない組合わせだったりする。
それは『イルー』の粘着力は凄まじいもので一度くっつけば取ることはまず不可能に近い。一方『ダンルー』伸縮性の性質が表れた糸だが、それを発揮するにはやはり触れてから離れなければ意味がない。つまり、伸縮性を粘着性が邪魔していると言えるわけで。
けれど、コレにも多分使い道はあるし、他にも組合わせはある。
ただ『シャンアール』は例外で、特定の一つの糸としか融合することができないが、その糸はまだ紹介していないのでまあ説明は省こう。

『あと、隠していることはないだろうな』

そのいきなり沸いてでた鬼怒田さんの言葉に俺は一瞬詰まりながらも、誤魔化すために持ち直して「まあ」と曖昧に反応する。
ボーダー本部側がアキちゃんのブラックトリガーに対して五線仆と命名したということは、このトリガーに合計五種類の糸が存在すると既に解析してある表れだろう。なのにもかかわらず、俺に「隠していることはないか」と聞くということは多分、あの何の特殊性もない只のトリオンで出来た糸が五つ目の糸だと認識しているということになるけれど、それは残念ながら間違いだ。特殊性のある糸が五種類あるのが五線仆であるため、普通のトリオンの糸は五線仆の機能に含まれてはいない。
それに本当のところまだいくつか隠していることがある。
それは主に『五線仆のもうひとつの糸』のことの他にグローブの甲にあるピクトグラムなどそれらを今話しても俺の得にはならないかもしれないと思って口をつぐんでいると、隠していることがないと思ったらしい鬼怒田さんは部屋の扉を開け『帰ってこい』と一言言ってブチりと通信を切ってしまった…………横暴だなあ。

「では、戻りましょうか」

肩を叩かれて後ろを振り返ればその人の他に三人のエンジニアさんたちが俺の方を向いて声をかけてくれた。俺が鬼怒田さんの声を天井を向いて聞いていたせいか、周りにエンジニアさんたちが集まっていたのを知らず待たせてしまったことに少しの罪悪感を抱きながら四つの視線が自分に向けられているという状況に対していつもの癖で反射的にサイドエフェクトを意識する。


『弟を思い出す』『解析、まだあるんだよなあ』『素晴らしいブラックトリガー』『これが一回目か』

         ◆◇



 鬼怒田さんが居るであろう最初にいた部屋へエンジニアさんたちと共々戻り他のエンジニアの人と楽しそうに談笑している人物の姿が目に入って思わずため息を吐くと、そのおちゃらけた表情の人物は俺の溜め息に気が付いてこちらに視線を向けてくる。

「よ、お疲れ」

そう言って片手を上げる迅に俺も小さく返事を返しながら、視線を部屋の隅のディスプレイの前で腕を組む鬼怒田さんに視線を向ける。
まだ解析してるのかな、なんて俺の後ろにいたエンジニアさんの一人が鬼怒田さんの方へ向かうのを視界に捉えながら考えていると、会話を終えたらしい迅が近付いてきて俺の肩に手を回すと顔を引き寄せ、至近距離で口を開く。




「おまえ、なんか隠してるな?」

その囁くような内緒話をするときの声を聞き、鬼怒田さんの方を向いたまま呟く迅の顔を横目でちらっと見てから俺は近くにある迅の耳にふっ、と軽く息を吹き掛ける。
すると、迅がびくっと肩を跳ねさせてこしょばしそうに離れると、俺が息を吹き掛けた方の耳に手を当てて驚いたような目で俺を"見つめた"ので、その迅からの視線を受けてからおおざっぱに周りを見回し、迅以外で視線を向けてきている人数を確認する。

「迅、俺が何で隠してるって思った?(一人か、いける)」
「え、何でって」

視線の意味を誘導する言葉を吐きながら人数状況を瞬時に理解した俺は、目を少し伏せながらこのタイミングを逃さないよう直ぐにサイドエフェクトを意識して使う。


『あの二人仲良いなあ』『時系列的に』


「なんとなく」
「ふうん」



…………なるほど、成功だなこれは。
高い確率で『時系列的に』という方が迅から読み取ったものに違いない。迅のもとから時間の話が出た時はたいてい迅の未来視が関係しているみたいだし、時系列という言葉のチョイスがそれを露呈させているようにも思える。つまり、迅は俺がまだ本部に解析させていなかったものを"近々"使っている未来が見えたということだろう。
なぜなら、この解析が"一度じゃ終わらない"ということは既にさっきエンジニアさんたちに使ったサイドエフェクトの結果で知っていた。そうなると次の解析が何時になるかまでは分からなかったけれど、その次の解析までの期間で俺が何らかの機会にブラックトリガーを使用するという意味になる。

「迅」
「…………なんだよもう、エスパー、何かしたな」

俺が名前を呼ぶと迅は嫌そうな顔をして頭を掻き、観念したように小さく息を吐く。

「俺がもし隠していたとして、本部に隠したままだとどうなる?」

耳に息を吹き掛けたことで距離をあけてしまった迅に近付きながらそう言えば、迅は少し視線を逸らしてから真面目な顔で考え込むようにして沈黙を作り出す。
そんな真面目な顔した迅を隣で見ながら言葉の続きを待っていると部屋の隅にいる鬼怒田さんに名前を呼ばれたので、迅に「後でな」と小さく呟いてから鬼怒田さんの方へ歩みを進める。新たに『困惑』の視線を向けられたけど気にしない。どうせ迅だし。

「何でしょう」
「手を出せ」
「は、ああハイ」

鬼怒田さんの後ろに立ちながら俺って直ぐに要求されるなあ、なんて思って渋々掌を上にして両手を出すと、鬼怒田さんはその掌に記されている白い円をじっと見つめてからその白い円を指差し俺の顔を睨むように見つめ直す。

「ここから、あの短剣を出したのか」
「ああ、ハイ」
「出してみろ」

俺はトリオンをかき集めて鬼怒田さんの指示に従うように掌を合わせてから、しゅん、と引き離し、その間から出てきた白い刀身の短剣を鬼怒田さんに手渡すと鬼怒田さんはそれを観察するように眺めてからディスプレイの前に座るエンジニアさんの近くにある変な四角い板の上に乗せて、また大きなディスプレイを覗きこむ。
するとすぐにディスプレイにその短剣のシルエットのようなものが映し出され、その横に俺には分からない数字の羅列やカタカナ単語が表示され出した。

「なるほど、」

ディスプレイの前に座ってカタカタと何かを操作したりしている先程俺に質問してくれた頭のよさげなエンジニアさんが小さく呟くと、鬼怒田さんも唸るような声をあげ、前に出したままの俺の掌を見つめてから口を開く。

「手の甲を見せろ」
「、はい」

俺は言葉につまりそうになりながら不自然さを無くすように抵抗もせず手の甲を上に向ける、すると鬼怒田さんは「んっ?」と眉を寄せながら俺の手の甲を穴が開きそうなほど見つめて、咎めるような声色で俺の名前を呼ぶ。

「これは何だ」
「これは…………えっと」

鬼怒田さんだけではなく、椅子に座ったエンジニアさんも俺に視線を向けてくるので少し冷や汗をかきながら、右手の甲にある身体の右半身の形をした灰色のピクトグラムに触れる。
すると灰色だったピクトグラムが白に変化したかと思うと俺のグローブ部分以外の右半身の黒い服も靴も白色に変化し始め、それを見た鬼怒田さんは驚いて目を見張りエンジニアさんはキラキラした目を向けてくる。

「説明します?」
「、当たり前だ!」
「……………えっと、簡単に言うとですね、この白い所は俺の糸と干渉しません」
「…………つまり、糸をすり抜けるということですね」
「ハイ、そうです」

流石と言うべきか、エンジニアさんは俺の言葉を瞬時に理解すると、その次の段階の話まで飛んでいってくれる。
そして鬼怒田さんは俺達の会話を把握し終えると俺の頭を一つ叩いてからディスプレイに向き合い、何かを操作しだした。俺が「えっ、なぜ」と叩かれた頭を押さえながら小さく呟くと、いつの間にか背後に来ていたらしい迅がまた懲りずに俺の肩に腕をまわして体重をかけてカラカラと笑う。
その近くで響く笑い声に、何しに来たんだよと言いたい気持ちを押し込めてディスプレイに視線を向けると、エンジニアさんも「なるほど」と何度も頷きながら鬼怒田さんの行動を見つめた。

「、これは、バッグワームと同じ機能か」
「バッグワーム…………?」

そのモンゴリアンデスワームを彷彿とさせる単語に俺は変な虫を想像していたが、隣で体重をかけてくる迅が親切に「オプショントリガーの一つだ」と正しい知識を俺に与えてくれる。

「レーダーっていう違うオプショントリガーに映らないようになるマントで、狙撃手がよく使うトリガー」
「へえー」

そのオプショントリガーの存在もレーダーも知らなかった俺にも分かるように詳細を説明してくれた迅に相槌をうっていると、鬼怒田さんは器用にもディスプレイを操作しながら「そんなことも知らんのか」と悪態を吐く。す、すみません……………でも、俺昨日入隊したばっかりなんだけど。

「その白い姿になっている間、ほぼレーダーにおまえの姿は映らない」
「…………ほぼっていうのは、今俺が半身だけだからですか?」
「そういうことだ」

鬼怒田さんは返事をしながらカタカタと何かを操作してディスプレイにレーダーを映し出す。

「これはお前がレーダー内に居ると仮定した時だ」

その言葉が示す通り、ディスプレイを覗き込むと点がはっきり見える形で存在している。

「そして、次が半身だ」

ぱちん、と鬼怒田さんの声に従ってエンジニアさんがキーボードを一つ打つとディスプレイのレーダーが変わり、さっきまであった俺を示す点が消えていた。

「へえー…………って、あ、現れた」
「消えたり現れたりするようですね」
「なるほど?」
「……………つまりトリオン反応が隠されるということですね、」
「なるほど」
「トリオンと干渉しないのかもな」
「なるほど?」

まるでノイズ障害のように現れたり消えたりを不規則に行うレーダー反応を見ていると、迅やエンジニアさんが意見を出してくれるので俺は適当に相槌を打つだけで聞き流す。だってわからないし。
こうやって隠していた情報を言うことによって俺が新たに本部の技術で得られる情報もあるわけか、と相互関係を把握すると共に、さっき言っていた迅の"隠していること"がコレじゃないことも把握する。

「全身をピクトグラムで操作すれば、完全に見えなくなるのかあ」

そう呟きながら米神に触れる俺を迅は横目で見つめてからディスプレイに目を移し、「でもさ」と言葉を続ける。

「スゴい万能のブラックトリガーに思えるけど、そうでもないよな」
「多機能だと、思いますが?」
「……多機能って言っても制限多いですし、それにこのピクトグラム操作だってずっとトリオン垂れ流してるんですよ」

エンジニアさんの言葉に俺がピクトグラム操作して黒色に戻して答えると、鬼怒田さんは「そこもバッグワームと同じか」と反応した。へえー、そうなんだ。

「多機能なのは確かに認めるけど、弱点がデカすぎる…………だって、手を切られたら終わりだろ?」

俺の肩に手を回しながらアッサリと核を指摘する迅に、エンジニアさんと鬼怒田さんは呆気にとられたようにパチパチと瞬きを繰り返すのを見て、俺も「その通り」と肯定する。
五線仆の糸の生成はこのグローブで行われる、それはピクトグラム操作の際グローブだけが黒いままだったことの裏付けにもなり、つまり俺の糸による攻撃は手無しでは行えないということになる。また、ピクトグラム操作も手無しでは行えないために多機能という点も手を失えば只のトリオン体というわけだし、短剣を出すことも不可能だ。

「糸もピクトグラムも短剣も、使えなくなりますから」
「、確かに」

そう小さく納得するエンジニアさんに俺が苦笑いすると、迅は俺の顔を覗き込んで「でも」とにやっと笑いながら口を開く。

「その為の"対策"はあるんでしょ」
「…………まあまあ」

俺が隠していることを言葉にさせようとしてるのがもろに出ている、というか意図的に出している迅の態度に性格の悪さを垣間見た気がしたが、それが何の未来を変えようとしている行動なのか分からないので曖昧に返す。
するとそれを見ていた鬼怒田さんは腕時計を確認してから疲れたように「会議だ!」と叫んだかと思うと技術開発室の扉に手をかけ「あとは佐藤やっておけ!」と言って忙しなく出ていってしまい、その声を受けた目の前のエンジニアさんの佐藤さんはディスプレイに手をかけると溜め息を吐いて俺を見た。

「申し訳ありません、鬼怒田さんが居なければそちらのブラックトリガー解析は進みません故に、また後日お声をかけさせていただいても?」
「あ、構いません」

俺は迅とは違って鬼怒田さんの会議は知らなかったが、後日ということは予め読み取って知っていたので何の躊躇いもなく頷きトリガーを解除する。
すると佐藤さんは「ありがとうございます」と立ち上がってから深々頭を下げると流れるように俺達を部屋の扉の外までわざわざ出てきて見送ってくれた。その際に渡された佐藤さんの連絡先を自分の鞄に仕舞いながら俺の隣について歩く迅を見つめ、何しに来たんだよと先程思ったことを再度思い直す。

「で、何?」
「いやいや、案内しようと思って来たんだよ」
「…………何処の?」
「何処だと思うんだ?」

その違和感を含んだ物言いに俺が鞄から視線を迅に向けると、迅は何処から取り出したのか分からないぼんち揚の袋を何故か片手に持って、それをボリボリ頬張りながら俺を見つめる。

「それ、試してるの? それとも確認?」
「んーどっちもだな」

俺が少し拗ねたようにそう言えば、迅は少し笑って俺の口許にぼんち揚を運ぶ。そのざくざくしたぼんち揚が唇に当たる感覚に対して俺が少し目を細めてから口を開けると、迅もそれに応えるように俺の口の中にぼんち揚を押し込む。
そして俺はボリボリと久し振りに食べた味を噛み締めながら目を伏せ、迅の要望通りにサイドエフェクトを意識する。



『玉狛支部』

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