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 視線干渉、それが俺のサイドエフェクトについた名前だ。
どうやら説明を聞くと、受信するだけなのに自分に向けられていない『他人から他人へ』の視線を受信できることから『視線受信』という体質よりは『視線干渉』という超技能のほうが合っているらしい。俺としてもサイドエフェクトを意識すると一段階上の意識が読み取れるから体質より技能のほうがしっくり来るので異論はないが、サイドエフェクトの暴走については脳のなんとかこんとかが増えてなんとかこんとかになるから結果枷が外れて暴走するとか良く分からないことを言われ、対策法としては『心身ともに疲れ過ぎないこと』『暴走したら人の居ないとこに行くこと』という二つしか与えられなかったのはちょっと解せなかった。ちなみにその後者の場合、二時間ほど視線受信を断ち切れば暴走は治まるらしい。
風間さんに強制連行されてアキちゃんから受け継いだサイドエフェクトに名前とランクが付いたのは良いとして、ちらほらと俺のサイドエフェクトの情報が回っていたのは本当に驚いた。俺が注目されない日は来ないんじゃないかと思ったが、人殺しの噂のときよりはマシなのでサイドエフェクトの暴走には至らない。多分、視線干渉だと分かったからあまり俺を見ないようにしてるんだろう。
まあそんなことが昨日ありつつ春休み四日目、迅との会話で自分の訓練が減っていたことを実感した俺は少しでもこれからの防衛任務に繋がれば良いなと考え、レイジさんに電話でブラックトリガーの訓練を頼み込んだ。が、大学関連で忙しいからと言って断られてしまった。代わりに筋トレのメニューを考えてくれたけど。
そして迅は言わずもがな忙しいから無理なので誰にも頼めないまま孤児院で過ごしていると、午前十一時現在、暇を潰すために自室でスケジュール帳を埋めている最中に携帯が鳴り響いた。

 

あーーーーー。表示されてる名前ーーーーー。


「……………もしもし、」
『あのさ、明日のクラス会何時からだっけ』

電話にでて開口一番そう言う倉須に一瞬頭が付いていかなかったが、手元にあるスケジュール帳を覗きこみ冷静になって三月のページを開いてから「あー、」と唸ってから口を開く。

「…………午後三時」
『一緒に行かない?』

ぽりぽり、と何かを食べながら誘ってくる電話越しの相手に少し呆れながらスケジュール帳を見つめて眉を寄せる。この日は午前中に防衛任務が入ってる。それを知っててクラス会を参加したから時間帯的に被ることはないが、何となくボーダーの任務を果たしたあとに倉須と会うっていうのが…………心苦しいというか、申し訳ないというか。
まあ、そんな俺の気持ちで断るわけにもいかないので「いいよ」と短く答えて持っていたペンを回す。

『じゃあ、俺の家に迎えに来て』
「…………いいけど、中には入らないからな」
『分かってる分かってる』

ザクザク、と咀嚼しながら適当に返してくる倉須は、またがさごそと袋のようなものを漁ってバリバリと音をたてる。
なんなの、電話してくるなら食べるのやめろや。

「おまえ何食ってんの、うるせえ」
『ん? んー、あ、ぼんち揚だってさ』
「…………あ、あーぼんち揚ね」

一瞬その食べ物の名前を聞いて一人の人物が浮かんだが、ぼんち揚自体は結構手には入るので深くは突っ込まない…………ってあれ、今なんか違和感のある言い方されなかった?

「だってさ、って……おまえ今一人じゃねえの?」
『今は一人』
「今は…………?」
『さっき、名字の知り合いだとかいう人にコレ貰った』


嫌な予感がする。


「誰」
『…………じんゆういち』


予感的中。
お菓子なんて普段買わない奴がぼんち揚を食ってる時点で違和感だったけど、そのぼんち揚というチョイスが迅悠一ただ一人を指し示していたから…………。
取り合えず一旦持っていたペンを優しく机に置き、そのまま激しく額を机の上にぶつける。電話の向こうから『なにごと…………?』という声が聞こえたが、無視だ。
てかなにやってんのあいつ、忙しいんじゃなかったのかよ。いやむしろ、その忙しいことのなかに倉須と会うことが含まれていたということか。なんのために?

「ふざけてる…………」
『…………おまえもな』
「、は?」

相変わらず咀嚼音を鳴らしながらぶっきらぼうに呟いた倉須の声色に、いつもと違う感覚を覚えて聞き返す。






『おまえ、俺に隠してることあるだろ』
「…………え?」

どくり、と倉須のその言葉に心臓が跳ねる。
隠してることなんてボーダーのことしかないし、多分迅と関連してることなんてそれくらいだ。
でも、迅がそれを? え? ん? 言ったのか? だったらなんのためにそれを言ったんだ? んん?

『俺はおまえから直接聞きたかったよ、そのことを』
「…………それは、」

それは、そうだ。俺もそう思う。でも、勝手にバレるなら仕方ないとしても普通に考えて迅が直接会ってまで言うようなことじゃないよな?
てかあいつは、俺が周りにボーダー隊員であることを隠してくれたはず。俺がB級に上がろうとしたときも公式サイトに名前が載るからやめた方がいいって教えてくれたし、孤児院に泊まりに来た時も子供たちに内緒にしてくれてたみたいだし。"今の俺"を尊重してくれている。
額を机に当てながら考えてみればみるほど迅が倉須に、俺がボーダーだと言う必要性が見つからない。
だってこいつがもしボーダーに入らなければ知らせる必要性もない。なにか他の理由があるとしても迅は顔を見ればそれで済むのにわざわざ声を掛けてぼんち揚を渡したりしないし…………なら倉須がボーダーに入る未来を視てたなら…………いやそれでも、俺がボーダー隊員であることはいつかはバレるんだから迅が今から直接言う必要性もない。

『名字?』
「あのさ…………何を迅に言われた?」
『だからそのことだってば』
「そのことって…………なに?」
『すっとぼけてんの?』
「……………確認、だけど?」

単純に倉須の言っていることと俺が隠していること、あとは迅の過去の言動を合わせて考えると上手い具合に収まらないってだけの話なんだけど、それだけの矛盾でも、俺の役割に関わることであれば見逃せない。
そんなことを思いつつ机から顔をあげると、電話の向こうで沈黙していた倉須が『あーあ、!』と叫んで溜め息を吐いた。

『くっそー、負けた』
「はい?」
『じんゆーいちに負けた!』
「…………説明しなさい」
『あー…………いきなり現れた迅悠一が名字の名前を出して仲良しぶってんのがムカついたから、名字と仲が良い証拠でもあんの? って言った』
「は? おまえ…………喧嘩売るなよ」
『だってさ「おれはあいつを信用してるよ」とか言うから嫉妬して…………』

な、なにそれ。すごい恥ずかしいんですけど。
俺を信用してるよとか言っちゃう迅にも、俺のせいで迅に嫉妬する倉須にも。うわーい、モテ期だー。どっちも男だけど。

「、それで?」
『…………「迅悠一って奴に聞いたけど、隠していることがあるよな」って言って、それでなにも出てこなかったら迅悠一は名字名前に信用されてることになるって言われた』
「…………、試しやがったな」

ここ最近、あいつにしてやられることが多い気がする。
本気出されたら俺は手も足も出ないんですけど。

『信用してるの?』
「…………まあ、してる」
『好きなの?』
「、はあ?」
『…………うわー、答えないとか本気っぽいもうやだー』
「……………………なに言ってんの」

ガン、ガン、と何かが当たる音が電話の向こうから聞こえたけれど、尋ねる気にもならないのでスルーして溜め息を吐く。

「じゃあ、他になにか言われたのか?」
『他に…………あー、学校の名字のこと聞かれた』
「なにそれ…………なんて答えたの、おまえ」
『んん、教えないって』
「、よくわかんないな、おまえら」

でもまあ、大きな荒波が立つことは無いようなのでホッと息を吐く。
多分前に迅が視線で言っていたように俺の死の鍵となるなにかを探すため会いに行っただけだろうし、そもそも倉須の存在を教えたのは俺だ。てかおい、また迅に仕事増やさせてんじゃん、俺。

『名字のタイプってああいう顔なの?』
「おまえなあ…………そういうのは女の子で言ってくれ」
『でも嫌いじゃないんだろ?』
「…………正直好き」
『うざっ、!』
「おまえが聞いたんじゃん!」
『いや名字じゃなくて、あいつが』
「…………、はあ」

でもまあ、あと少しで倉須のこういう態度も終わるのだろう。
倉須のボーダー入隊が迅の登場でほとんど決定した今、いつか俺は倉須から嫌われるであろうことは確定した。それまでにクラス会やらで俺がいる様々なポジションを誰かに譲り渡し、恋愛の意味で好きだというポジションを退かなければ、また倉須のソコには穴が空いてしまう。
傷は浅い方がいい。倉須のも俺のも。

『っていうか、今公園だけど、名字とキスしたい』
「、殴るぞ」
『それだけなら、キスしに行く』
「絶交」
『ごめんなさい』

今の発言で俺の心が「もう手遅れじゃね?」とか考えた気がしたけれど、やっぱりそれは気がしただけで気のせいだったってことにしたい。

「…………じゃあ、また明日な」
『うん、待ってる』

ぶちっ、と携帯の通話を切り、一番最近見た迅の顔を思い出してみたけれど、なんだか上手く頭が整理できなくてボーッとする。
なんなんだよ、もう。


                ◆◇





 テレビのニュースで桜が開花したことを報道されている、これは普通。
それを見てはしゃいでいる塁を俺の目の前で勇が見ている、まあ普通。
隣で座ってる洋がその二人を見て据わった目をしている、これもまあ普通。
そしてその全ての視線の意味を読み取って俺が達観してる、コレが普通…………なのが普通じゃない。

「塁、ちょっと食事中だから、おまえも早く着替えて食べろ」
「ふぁーい」

そう言った俺に視線を向けてから何時ものように靴下を脱ぎ散らかす塁は、俺の言葉通り素直に勇の隣に座って晩御飯の唐揚げに手をつける。そしてその流れで勇の視線が動き、翔の視線も動き、俺は変わらず箸を進める。

「どいつもこいつも…………」
「うわ、今名前にいと同じこと思った」
「マジか」

隣で白米を箸でつかみとる翔が嫌そうに顔をしかめる。

「ねえねえ、最近迅さんに会ってないの?」

俺と翔の会話を無視し、伸びてきた髪を耳に掛けて尋ねてくる塁に俺はチラリと勇を見てから「まあ、たまにな」と返す。ここ最近は毎日会っていた頃が懐かしいくらいたまにしか会っていないから、嘘はついてない。例え三日前に会っていたとしても頻度は減っているんだから。もぐもぐ、と鳥の唐揚げを頬張る塁は「いいなあ」と呟いて視線を逸らすが、会話を終わらせる気はないらしくそのまま続けて言葉を放つ。

「写真とかないの?」
「写真…………いや、あるけど」
「えー! 見たい!」

机に乗り出してそう言う塁に、隣の勇が「うるさ」と呟いた。勿論塁はそんなこと気にせず写真を催促してくるが、俺と翔が少しビビるからやめてほしい。
すると翔が「俺も持ってるよ」と呟いて自分の携帯を取り出す。因みにその携帯は前の家で与えられていたから持っているだけで、この孤児院では携帯を持つのは中学生からという決まりになっている。料金を払ってるのは俺だけど。
その携帯の画面を塁に「ほら、」と見せると、塁は「うわなにこれずるい!」とどこで単語の切れ目が入るのかわからないような発音で言葉を発して携帯を握り締める。

「いいなあ、私も男だったら良かったなー」
「えっ」
「は?」
「それは違うと思う」

俺と勇が頭の上にハテナを浮かべ、写真の中身を知っている翔が真顔で否定するので、俺も翔の携帯を覗いて眉を寄せる。
あーえっと、これは迅が泊まりに来た時のだな。うん。

「なんか起こしに行ったら迅さんが名前にいの寝顔撮ってたから、俺が迅さんと名前にいの寝顔のツーショット撮ってあげた」
「何でだ…………」
「うーん、何となく」

いえーい、と写真のなかでピースをしている迅に正直いらっときたけれど、まあ、起きなかったあのときの自分を責めるしかないな、という結果に落ち着いて携帯を返すと塁が翔に「あとで転送よろしく」とかウインクしてて驚いた。えっ、それすらほしいの。

「あと、今日撮ったのもある」
「「今日!?」」

今度ハモったのは俺と塁で、翔がその写真の画面を表示して俺の塁に見せやすいよう携帯を机におく。
これは…………完全にあの電話の前の光景、公園のベンチに座ってぼんち揚食ってる倉須と迅ですね。てか、うわ、ほんとに会いに行ってたんだな…………疑ってた訳じゃないけど、改めて視覚で現実を見せられると不思議な感覚に陥るわ。

「あれ迅さんって、倉須さんとも知り合いなの?」
「うんまあ、そうなるね」
「倉須さんずっと無表情だったけどな」
「…………まああれだよ、音楽性の違いみたいな」
「バンドかよ」

流石だな、翔。
おまえはいいツッコミができるやつだと思ってた。
取り敢えず事を収めるために俺が携帯を翔に押し返すと、黙々と食べ進める勇に塁が話をふる。

「勇は写真ないの?」
「ないよ」
「うわ、使えない」
「…………」

や、やめてあげてほしい。
俺は目の前の勇の眉間にシワがよったのを見て慌ててポケットから携帯を取り出し「ほら、俺が持ってるからさ」と、前に餅でピザを作ったときに撮った写真を塁に見せる。

「うっわ! かわいい! さすが名前にいわかってる!」
「お、おう…………」

撮ったときにしか確認してないからどんな写真だったかいまいち思い出せないが、塁が興奮してるなら別に悪くない写真だったんだろうと思って自己完結する。そしてその画像をじっと見つめてからハッとしたように「転送してね!」と俺にも言ってきたのを軽く流してから携帯を仕舞い、テレビに視線を向ける。





『困惑』『疑い』『嫉妬』

…………なぜ?
広間には俺たち四人だけだし、視線の数もこの三人で合っている。
嫉妬はまあ多分勇が迅の写真に対して思ってることだろうけど……え、なぜ俺が視線をテレビに向けた瞬間を見計らったように二人からその視線が送られなければならない?
テレビのチャンネルを変えつつ頭のなかを整理するが、全く心当たりが無いので仕方なくエスパーとして聞くしかないと思って二人を見つめると、二人はハッと俺の雰囲気で何かを察知したのか目を合わせないようにしたかと思うと、素早くご飯を食べ終えて「「ごちそうさま!」」と叫んで広間から逃げていった。
あれ、塁おまえさっき食べ始めたよな。

「…………あのさ、勇」
「ん?」
「俺、今、変な顔してた?」
「うん」
「そっか、」

ぽつりと呟いて箸を進める勇に、俺は適当にバラエティ番組でチャンネルを止めて同じく箸を進める。
あとで二人の部屋に行くべきかな。









 飯を食い終わってから結局俺が塁の靴下を洗濯機にぶちこみ、そのままの足で二階に上がって塁の部屋に行こうとしたが『風呂』という木の板が扉に掛かっていたので、先に翔を問い詰めるべく小学生組の部屋をノックすると、中から「いいよー」という静のらしき声が聞こえた。あの双子、声も似てるからなあ。

「よお、どした?」
「翔におはなし」

どちらも今は裸眼なので一瞬どちらがどちらか分からなかったが、片方が口悪くそう言ったので隅にある机の前に翔が座っているのを確認しつつ、俺は通りすがりに岳の頭を撫でてから俺の事を知らんぷりしている翔に近付く。
今の発言を聞いていたはずなのに何時までたっても視線がこちらに向かないので、近くにあった多分静のらしき椅子に座り、翔の頭を撫でた。

「翔くーん」
「、おいっ、」
「わかったわかった、取り敢えず俺がここに来た理由わかるよね」

俺の手を振り払い意固地に俺の方を向こうとしない翔に俺はため息を吐いて手を離し、翔の机に頬杖をつく。

「わかるけど…………ここで言っていいのか?」
「? ダメなの?」
「俺は良いけど…………」
「じゃあ、いいよ」

整理されている翔の机を見てると算数の教科書を見つけ、懐かしさに思わずそれペラペラ捲って返事をする。俺の頃とは随分中身も表紙も変わっているようだ。
翔はそんな俺を隣で見つめてから頬杖をついている俺の手を払うと、むくれたように「またそうやって、………言うけどさ」と言うので俺はページを捲る手を止めながら改めて翔を見つめて言葉を待つ。

「名前にいって、ゲイなの?」
「えっ、」
「は?」
「うわっ」

じっと俺の目を覗きこんで何故か『心配』という視線を向けてくる翔と、ゲーム音を鳴らしながら俺たちの会話にちゃっかり耳を傾けていたらしい二人が俺と一緒に短く反応しだした。すると岳が新しい玩具を見付けたようにゲーム機を放り出し、椅子に座る俺の首に後ろからぶら下がって「ゲイなの!? うわ やっぱり、ゲイ!?」とこれまた何故か嬉しそうな視線を向けてきて、静が「うるさい」と煩わしそうに呟く。なんだこいつら。

「だからここでいいのかって聞いたのに」
「え…………まあでも、違うから」

机に備え付けてある電灯に視線を向ける翔が申し訳なさそうに言うので、俺は首に回る岳の手を引っ張って岳を膝に乗せてから苦笑いして言葉を返した。けれど翔はまだ納得いってなさそうな表情で視線を逸らすので、さっきからうるさい岳の口を手で塞ぎながら「何でそう思った?」と尋ねてみる。たしか、俺が迅の写真を塁に見せた時だったよな?

「…………今日、迅さんと倉須さんの会話がそういう感じだったし」
「あー、?」
「、なんか倉須さんが名前にいと電話してるっぽいなーと思ったら、き…………キスがどうのこうのって」
「あーーーー」

キス、という単語で唇を尖らせて自分の服の裾を握り締める翔は正直可愛いけど、今はそれどころじゃないので反論しようとしたが、腕の中の岳がペロリと俺の手のひらを舐めたので「うぎゃっ」と言いながら手を離す。

「俺にも喋らせろ!」
「いいけど、今翔と話してるからな」
「岳、ちょっと黙ってろ」
「んだと、?」

岳は歳の近い翔の言葉に言い返すと、乱暴に翔の服を掴もうとしたのでその手を俺が「はいはい」と言って取り、そのまま一旦立ち上がってベッドに座っている静の隣に岳を下ろす。

「ちょっと静、こいつ黙らせてよ」
「口を塞ぐの?」
「そうだね」
「わかった」

静は俺の言葉に頷くと躊躇いなく真顔で岳の口に手を突っ込み、そのままゲーム機をベッドにゆっくりおいてから岳に馬乗りになって「しーっ」と反対の手で人差し指を立てた。えっ、なにこの仕事早さ。
そして岳はそんな静を涙目で見上げ何度も頷いてから、俺に『懇願』の視線を向けてくるので、俺は「すぐに終わらせます」と言ってから翔の元に戻る。あんな関係だったのか。

「なにあれこわい」
「大体あんな感じ…………で、どうなの」

俺が開きっぱなしにしていた教科書を閉じて不貞腐れたように言葉を続ける翔に、俺は記憶を呼び起こしながら「あー」と言って言葉を続ける。

「あれは、アイツがふざけて言ってるだけ」
「キス、したことはないの?」
「ない」

本当のことなんか言ったら教育的にヤバイ。消えた人の代わりに俺が埋め合わせになってて、その延長線上でキスを受け入れたなんて言えない。

「ふうん、じゃあウソかー」
「うん」
「彼女もいないからビビったわ、迅さんの写真はちゃっかり持ってるくせに」
「あーそれでか、」

ホッとしたように笑う翔に俺もつられて笑いつつ、視線だけで静に岳を解放するよう言えば無言のまま静が岳の上から降りた。なにあいつ、暗殺者とかになりそう。岳涙目だし。

「…………えっと、じゃあ俺は塁のとこ行くわ」

つまりまあ、あのときの『疑い』の視線が翔だとわかったところで俺は椅子から立ち上がり、通りすがりにまた岳の頭を撫でてからドアノブを捻るが、静が「良くできましたのちゅーは?」と後ろから催促してきたので俺はベッドに座る静を振り返って米神を掻く。

「今度はもっと優しく頼むな?」
「分かった」

俺の提案にすんなり頷く静を見て少し不安を感じたが、これ以上言うこともないのでベッドに近寄って静の頬にキスを落とし、今度こそ小学生組の部屋から出る。
ああなんかゲイとかホモとか、最近の俺はそんなのばっかりだな。ボーダーでそういう噂がたったのは『男でも惚れるレベルのイケメン』がなんとかっていう噂がねじ曲がったせいだけど、その元々の噂も間違ってるわけで。てか流したの誰。

「、まだ帰ってきてないよなあ…………」

噂の根本を考えつつチラリと塁の部屋を見たが、さっきと変わらない木の板がぶら下がっている。仕方ない、ここは一旦引こう。
そう考えた俺は自室に戻ろうと暗い階段を手すりに掴まって下り、長い廊下を歩く。すると丁度タイミングよく風呂場に通ずる洗面所の扉が開かれ、そこからタオルを首にかけた塁が出てきた。また色気のないジャージか。

「長かったな」
「えっ、あ、うん」

真っ暗な廊下を歩いて塁に近寄ると、俺の声に驚いた様子を見せつつ気まずそうに視線を逸らした塁が洗面所の電気を付けたまま立ち止まるので、俺はその言葉にし難い塁の雰囲気に既視感を感じて目の前にたつ。日に焼けている腕と日に焼けたうなじ、日光に当たりすぎて少し茶色い髪色のつむじを見下ろして俯く塁の頭を撫でる。

「どうした? 元気ないけど」
「…………少しのぼせた」
「…………それだけ?」

ぽんぽん、と頭を撫でながら腰を曲げて顔を覗き込むと、思った通り塁は目に涙を溜めて下唇を噛んでいた。
ああやっぱり、こういうときの塁はいつも泣く。
俯いたまま黙って鼻をすする塁に俺は苦笑いしながら手を引き、洗面所に戻って扉を閉めてから首にかけてあるタオルで塁の涙を拭う。

「何に泣いてんの」
「、っ名前にいが、名前にいが、」
「ん?」

塁の顔を両手で優しく包み込みながら顔を上げさせ、真っ赤な瞳と視線を合わせてサイドエフェクトを意識する。


『ボーダー隊員になってたなんて、』


えっ、と、?

それをどこで知ったんだ、と思わずそう問いかけたくなる衝動に駆られるが、ここで言及しても泣きわめかれるような気がするので息を吐くだけに留める。俺が知りたいのは食事のときに塁が『困惑』の視線を向けてきたことだったはずだ、なのにいきなり急展開を迎えたように話が大きくなっていて………何処から手をつければいいか分からない。と、取り敢えず話をきこう。

「えと、俺がなに?」
「…………さっき迅さんの写真見たとき隣の人の肩が写ってて、そこにボーダーの、マークがあって」
「、うん」
「迅さんの服にもあったから、あのマークでご飯食べるってことはボーダー本部にいるってことじゃん」

なるほど、意外と鋭い。

「ならその本部に入れる名前にいも、ボーダーなんだなあって」

眉を寄せながら答えを求めて俺を見上げる塁に、俺は本当のことを言うべきなのか迷って口をつぐむ。
言うことでメリットがあるとすれば、嘘をつかなくて済むってことくらいだけどデメリットは沢山ある。迷惑や心配を塁一人に背負わせることになるし、アキちゃんのことを思い出させてしまうし、塁が誰かに話してしまうかもしれない。アキちゃんのことを忘れてほしいわけでも塁を信用してないわけでもないけど、事実としてそれがデメリットに含まれてしまうのは仕方のないことだ。
なら、答えは本当のことは言わないで隠し通すってことなんだけど、上手い嘘が思い付かない。隣の人…………つまりそのマークとやらは嵐山隊のエンブレムであり、ボーダーの顔である嵐山隊は何度もそのエンブレムの付いた隊服でテレビに出ている、つまり調べればそのエンブレムが本当にボーダーのものであることはバレる。そこに嘘をつけない。


「…………俺はボーダーじゃないよ、」


じっと塁の潤んだ瞳を真っ直ぐ見つめつつ躊躇いが現れないように言葉を放ったが、出てきた言葉はなんの根拠もない主張だった。
現状証拠が幾つも挙がってるのに反論材料は俺の否定の言葉だけ。内心で自分の計画性の無さに呆れながら、どうにかなれっ! と思いつつ塁の言葉を待つと、ポカンとした塁が目をしばつかせながら「そっか」と呟いた。



「名前にいはやっぱり、ボーダーなんかじゃないよね」


「、んなわけないだろ、見間違いじゃない?」
「戸惑って一瞬しか見れなかったから、そうかも!」
「おいおい、」
「なんだー、心配して損したー、名前にいが死んじゃわなくて良かったー!」
「…………そんなことまで想像してたら、そりゃのぼせるわな」

俺の目を見つめながら本当に心の底からそう思ってるらしい塁が笑い、頬に当てていた俺の両手を握ってホッとしたように「そっかー」とまた同じ言葉を呟く。


嘘を吐いた、
今さらだけれど、これはきつい。
俺を信じてくれてる塁を、真っ正面から裏切った。けどそれでも、裏切って今の俺が嫌われたとしても、傷付けたくないし危険に晒したくないから。

「早とちりし過ぎ、罰としてあの写真は転送しません」
「ええー!?」
「思い出して心にしまっとけ」
「なんでさー、ずるいー」

ぶんぶんと俺の手を振って抗議してくる塁にさっきのしおらしさは何処へ行ったんだとあきれ返り、ため息を吐きながら塁の背中を押して洗面所から追い出す。

「髪乾かしてさっさと寝ろ、明日も朝練あるだろ」
「そりゃもちろん!」
「心配事も無くなったんだから、ぐっすり眠れるな」
「まーねー、写真は残念だけどー」

そう言ってにしし、と笑ってタオルを掴む塁に「おやすみ」と呟いて扉を閉めると扉の向こうから「おやすみ!」と返事が聞こえ、そのあと鼻歌とスキップのコラボレーションで二階にのぼる軽快な足音が遠ざかっていったのを聞いて目を伏せる。取り敢えず一件落着。いや、後回しにしたって感じか。
ここ数ヵ月、嘘ばっかり吐いている気がするけれど大丈夫だろうか。前からアキちゃんとは似せられないところだと思っていたけれど、今の自分がこんなにも嘘で塗り固めなければならない立場になるとも思っていなかった。

「……………はあ、」

多分だけど、嘘が苦手なことと嘘が下手なことは同義じゃない。
そりゃアキちゃんは嘘が下手で苦手な人だったけれど、きっと世界の何処かには嘘を吐くことをなんとも思ってなくても下手な人が居る筈。
そんななかで俺は嘘が苦手なくせに吐くのは上手い、最も質が悪い組み合わせの人間だ。嘘を吐くことに抵抗もあるし罪悪感もあるけれど、大体本気の時は上手く行ってしまう。

「馬鹿げてる」

洗面台に手をつき、排水口を見つめながら自分の愚かさに眉を寄せる。
首がしまっていく、きっとこれからもっと孤児院での今の俺の肩身は狭くなる。けれど、それでも皆が守れるのであればそれで構わないと思うしかない。ボーダー反対派の皆が心配しないのであればそれで構わないと思うしかない。今の俺は、役割を果たせれば自分の評価なんて知らない。



もういらない。与えられる側はもういやだから。
アキちゃんがブラックトリガーになった時のようなあんな気持ちになるのは、もういやだ。

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