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 四月一日。エイプリルフール。一度だけ嘘が正当化される日。
ボーダーに入隊してから嘘を吐き続けている俺にとってそんな日はあってないようなものだ、なんてセンチメンタルなことを言葉に出す気はないが、いつもなら批難されることをいざ「別にしていいよー」と言われると何故か出来なくなるのもあって俺自身はあまり気が進まなかったりする。
まあ、毎年嘘を考える暇もないくらいに嘘を吐かれるので、正直自分がやろうという気にならないっていうのが一番の本音。
今年も朝起きると、塁から「名前にい! トリオン兵が攻めてきたよ!」という洒落にならない叫びで叩き起こされ、朝食を食ってるときにカズエさんには「私再婚するわ」と神妙な顔で相談を聞かされ、玄関で靴を履いてると静には「兄さんが煩かったからぶん殴ったら歯折れた」とかありそうなことを真顔で言われ、朝起きてから二時間のうちに三度もハイレベルな嘘を吐いてくる孤児院の皆に見送られて俺は家を出ることになった。
そして、昨日風間さんが暇なので訓練を見てくれるというので約束したはいいけれど、いざ私室にうかがうと扉の前で「あれは嘘だ」とか言われた今の俺は心が折れそうになっている。

「じゃあそれって昨日嘘ついたんですよね!? エイプリルフール関係ないですよね!?」

俺が普段風間さん相手になら出さないような声量と必死さを露にしながら風間さんの私室の扉に手をかけると、風間さんはじっと俺の顔を見上げてから「そうか、今日はエイプリルフールか」と小さく呟いた。その台詞と視線は風間さんが意図的に嘘を吐いていた訳ではない証拠になっていたが、だからといって潔く納得できるわけもないので食い下がりつつ無表情の風間さんを見下ろす。

「ああ、昨日の時点では嘘を吐くつもりはなかったが、太刀川が突然になって大学の入学式だから防衛任務出られないって言い出したんでな…………急遽代わることになった」
「…………あいつ、ほんとにゆるさない」

風間さんが片手に持っているマグカップの中身を意味もなくチラリと見てから、そんなこと言われちゃったらこっちが折れるしかないじゃないですか、と俺が肩を落とすと風間さんはいつものキリッとした表情で俺を見つめて「案ずるな」と呟く。

「代わりの日はつくる、今日は来てもらって悪いが訓練は無しだ」
「……………仕方ないですね」
「言いたいことは分かるが、それは太刀川に言ってくれ」
「…………じゃあ、適当に模擬戦でポイントを3500に上げてから帰ります…………」
「3500? あぁ、おまえはC級だったか」
「っそうですよ?」

肩を落としたまま近くにあった机のマグカップを見つめ、柄が意外と可愛いストライプなことに、きゅんと胸を高鳴らせてから視線を風間さんに戻す。俺が本部内でB級以上の隊員と関わりすぎているのと、防衛任務中はブラックトリガーを使用しているのが相まって俺の特例扱いを忘れている人が何人か居るらしく、当たり前のように他のC級の人達の前で話し掛けてくるし、たまに何の気なしにブラックトリガーの話題をあげてくる人がいるから戸惑う。そもそも防衛任務をしてる時点でC級だということを忘れている人も居そうだ。
そんなことを考えつつリュックを背負い直して風間さんに背中を向け「じゃあ、暇なとき連絡してください」と言い、風間さんの了承の声を聞きつつC級ブースに行こうかと扉の前から一歩離れた瞬間、中から顔を出した風間さんが俺の腕を引いた。

「かがめ」

あれ、なんかデジャヴ。
というかなぜだ、と思いつつも部屋から一歩出てきた風間さんに逆らえるわけもなく素直にかがむと、風間さんが俺の頭を撫でて口を開く。

「…………あの?」
「いや、おまえは猫というより犬のような気がすると思ってな」
「…………あ、写真ですか、」

それは風間さんに逆らえるような人間じゃないからですよ、とは言えず、言葉の真意に触れることなく写真のことを口に出す。
別に俺は従順でも気まぐれでもないと思う。ただ、撫でられると目を瞑ってしまうだけで。
俺を無表情で見下ろす風間さんの視線を受けながらリュックを背負って廊下でかがんでいる自分の図を想像して頭を抱えたくなっていると風間さんが無言で俺の頭から手を離し、その手をひっくり返して手のひらを差し出してきた。

「?」

意味もわからずその手におそるおそる自分の手を乗せると、風間さんは「ほう」と言って俺の顎から頬を伝ってまた頭を撫でてきた。
あ、…………おて、か。

「冗談のつもりだったんだが、なかなか面白いな」
「は、はあ…………」

そう言って頭から手を離すとそのまま俺をちらりと見下ろして「おまえのことはこれからポチと呼ぶ」と無表情で言い出したので、俺は思わず目を見開いて「ポチ!?」と叫ぶ。
ぽ、ポチって古くないか…………? いやまてよ、日常的にポチという言葉を発する風間さんを見たいことは見たい…………でもやっぱり、俺の人間としてのプライドが崩れてしまうような危険性が感じられる。それに、もし慶の前でそう呼ばれたら絶対あいつも便乗してくるに決まってる。そして俺はそんなあいつを許さない。

「けど…………風間さんがそれでいいのなら、」
「…………冗談だ」
「、えっ」
「それすら了承するとは思わなかったが、」


それもどこかで聞いた言葉だ。


「これこそエイプリルフールだ、許せ」
「…………………許し、ますけど…………」

そう言って俺を立ち上がらせて「また連絡する」と素っ気なく言って扉の奥に戻っていった風間さんに少し戸惑いつつ、閉じられた扉を目の前にして息をはく。
でたなエイプリルフール、おまえは俺をどれだけ狂わせれば気がすむんだ。風間さんとの訓練のことについては大部分が慶の計画性の無さが原因だけど、今の犬扱いはおまえのせいだ!
その与えられた理不尽を発散する場所を知らない俺は仕方なく扉から離れ、今度こそC級ブースに向かう。

「でも、C級ブースってどうやって行けばたどり着くんだろ」

廊下を歩きながら冷静に自分の方向音痴を分析し、容易くC級ブースに辿り着く自分が想像できないことに気づきながら何となく角を左に曲がるが、やはりどこも同じような壁紙や雰囲気に自分が本部の建物の何処の位置に居るのかすら分からない状態であることを悟る。こんなんでよく風間さんの部屋に行けたもんだ。
誰かに助けを請うのも手だ、そんなことは分かってる。公平や陽介や慶にも甘えていいと言われ、甘えることを意識すると決めたからには勿論ちゃんと甘える気ではいる…………けど、ワザワザ電話で呼び出すのは甘えるというより失礼な気がするのは俺がただ単に甘え下手なだけじゃないと思う。普通に常識外れだろう。
ここから立ち止まっても引き返しても結局道は分からない、という理由で歩き続けているのだけれど、通りすぎる人が殆どC級の知らない人ばかりで話し掛ける勇気が湧かずにいた。
俺は元々コミュニケーション能力は高くない、仲良くなってからが本番なんだ。最初から一発本番なんて冗談じゃない。しかもボーダー本部となると一発本番なら一発本番で、情報を読み取ってからじゃないと安心できないし。

「…………あ、」

自分のコミュニケーション能力の低さに落ち込んでとぼとぼとペースを落として歩いていると、目の前に初めて知り合いっぽい人が見えて思わず小さく声をあげる。その二人が俺に気付いて此方に『面倒』と『驚き』の視線を向けてくると、C級の隊服を着た片方がダルそうに手を挙げ、白衣を着た方が片方が頭を小さく下げた。どちらがどちらの視線かは、正確には分からない。俺は廊下にある自動販売機の前で話すその二人の近くに寄って立ち止まり、何時ものように名前を呼ぼうとして困惑したのと同時に妙に納得したので混乱して口をぱくぱくと開いては閉じる。

「え、えっと…………佐藤さんと佐藤さん、こんにちは?」
「…………はは、私の弟と知り合いでしたか」
「あれ、兄貴のことしってんの? それとも覚えてた?」

苦笑いで俺を見下ろすエンジニアの方の佐藤さんとキョトンとした顔で首を捻るボーダー隊員の方の佐藤さんが交互に話し、エンジニアの方の佐藤さんは弟さんを一瞬軽く睨み付けてから俺に視線を戻す。なんだいまの。
というか、このふたりが兄弟? あまり似てない気がする。

「お二人はご兄弟だったんですね。えっと、佐藤さんのお兄さんの方は入隊してすぐに知り合いまして、弟さんの方とは……共通の知り合いを通しまして」
「あぁ、そうでしたか。弟がお世話になっております」
「っいやまだそんな、というより俺が迷惑をかけてます」

いつもの優しい微笑みを浮かべて俺に笑いかける佐藤さん兄に心が和み、やっぱりさっきの視線はそんなに気にするようなことでもなかったのかもしれないと思い直す。それに、俺はそんな『かもしれない』とか曖昧なことを考えている暇はない、早く迷子という状況から脱さなければならないんだ。

「あの突然ですけど、ここからC級ブースに行くには何処をどう曲がればいいんですか?」
「…………なんというか、その質問の仕方が方向音痴さを表してますね」
「てかC級なのにC級ブースに行けないって、そうとうだなーおい」

俺はなんていうか、訓練をつけてくれる人や場所に恵まれててそこら辺のC級よりは相手になるからという理由で…………たまにA級やB級の隊員に新しい技やフォーメーションが使い物になるかどうかを試されたり単にストレス発散とか憂さ晴らしされたりする。それに加え個人としては合同訓練もサボるし、模擬戦も積極的にしないし、ポイントに執着もないから一人でC級ブースには足を運ばない。だから、いつまでたっても道を覚えられない。
とは正直に言えるわけもなく笑ってやり過ごすと、自動販売機に寄り掛かって腕を組んでいた佐藤さん弟が真顔で俺を見つめてから近くにいた佐藤さん兄に「じゃ、そういうことですから」と目線を合わせず呟き、俺の腕を掴み歩き出した。敬語だ。
それに引っ張られて動き出す俺は、小さくため息を吐いた佐藤さん兄に頭を下げてから焦って腕を引っ張る佐藤さん弟の隣に並ぶ。

「えっと、お話の途中ですみませんでした、」
「別にいい、家に帰れば嫌でも会う」
「…………確認ですけど、これって案内してくれるんですか?」
「ん? まー、そうなるな」

俺の腕から手を離し適当に肯定する佐藤さん弟に俺は礼を言ってから何気無く顔を盗み見て、やっぱり似てないな、なんて思う。顔も受け答えも。まあ、そりゃ兄弟でも一応は他人だから違うんだろうけども。

「あの、佐藤さん…………が二人いるので、呼び方変えた方がいいですよね?」
「…………俺のしたの名前、伊都から聞いてる?」
「いえ、」
「あー、新しいに北斗七星の斗で新斗(しんと)っていうんだけど、たまにニートって呼ばれる」
「ニート………」
「まあ、事実だしな」
「えっ、」
「…………嘘」

そう無表情で言って俺を見下ろす新斗さんに俺は嘘を吐かれたこと云々より、ホッとした気持ちが勝って思わず息を吐く。そういえば、伊都先輩とは高校の友達らしいけど大学は違うみたいだな、だって今日は入学式のはずだし。

「ニートじゃないってことは、大学生ですか」
「そそ、伊都とは違うところだけど。根本的に伊都は文系で、俺は理系だし」
「へえ、そうなんですか」
「ていうか俺はここのエンジニア目指してるつもり…………まあ、運悪く兄貴いるけど」
「あ、ボーダーに入隊したのもそのためですか?」

長い廊下を歩きながら俺にとっては対して変わらない景色に視線を向けて尋ねると、新斗さんは前を向きながら気だるげに「そうなるねー」と間延びした肯定をして言葉を続ける。

「ボーダー本部の仕組みも知っておきたかったし、戦闘員からエンジニアに転向もアリだからラッキー、戦闘員やろー、みたいな」
「…………一般に公開してないこととか知れますし、トリガーにも触れられますしね」
「そーそ」

何かを守りたくてボーダーになりたい伊都先輩と自分の未来の為にボーダーになった新斗さん。同じじゃないけれど、目的がそれぞれあるからこそ二人は仲が良いのかもしれない。
そういえば、俺は誰と仲が良いのだろう。学校だと倉須と一番一緒にいる時間が多いけど、ボーダーだと慶か迅が一番一緒にいる。けど、全員仲が良いという言葉には当てはまらない気もする。視点を変えて言えば、倉須にとって今の俺は「代わりのもの」だし、慶にとっては「友達の弟」、迅にとっては「未来を変えてあげたい人」だから、きっと正当な仲の良さとは少し違う。これが友情より家族をとってきた人間の結果なのだろうか。

「伊都先輩もボーダー隊員になったら、新斗さんはもっとここが好きになりそうですね」
「……………うわ、なにそれキモい」
「えー?」
「マジでない」

廊下の突き当たりを左に曲がってため息を吐いた新斗さんに笑って返せば、新斗さんはジト目でそう言う。あ、本当にそうなりそうな自分が嫌だっていう視線。

「大学が別々でも、ここで会えますもんね」
「…………名字くんってそういうキャラなんだ」
「なんのことです?」
「…………腹黒ってやつ」
「え、俺は真実を言ってるだけですけど…………」
「ふうん、てかさ、伊都に何時まで内緒にしてる気?」

呆れたように視線をはずして前を向く新斗さんの言葉に一瞬考え込み、リュックを背負い直しながらバイト先で会ったときのことを思い出す。

「それについては自然に任せようと思ってます」
「まあ…………名字くんって、訓練全く出てないのに上位隊員と仲良くして、変な噂もたってたから入隊したらすぐバレそうだしな?」
「変な噂…………例えば何ですか?」
「俺が聞いたのは…………人殺しで、ホモで、特例なやつ?」
「全部…………」
「まあ、俺はなんだって良いけど」

首をひねってポキッ、と骨を鳴らしてそう呟いた新斗さんは、気だるげにあくびをしてから俺を見下ろす。

「あんまり気にすんな」
「…………新斗さんって、優しい」

上位隊員の人達は俺のことに興味がないか、わざと触れないようにするか、信じていないからワザワザ言う必要も無いと思ってるか、の三択で誰もそんなこと言ってくれなかったしバイト先で会った時も俺の意思を尊重して伊都先輩にボーダー隊員であることを黙っていてくれたし。
終始めんどくさそうな態度をしているけれど、きちんと他人のことを考えられる人なんだなあなんて浅いことを思って笑う。

「優しいのはイケメンと美女にだけ」
「なんですかそれ」
「だって俺、面食いだもん」
「もんって…………」

その言葉に嘘をついていないらしい視線を向けてくる新斗さんは前を見据えて黙りこむ。
エイプリルフールだし、そっちを嘘にする方が良かったんじゃ。もしかして、伊都先輩と仲良くなるまでの入り口もそれだったんだろうか。
ていうかよく考えたら酷い理由だな、なんて苦笑いしながらそんなことを思い付いてしまった自分に呆れ、何となく見慣れた風景になりつつある場所に視線を巡らせる。

「ていうか、C級ブースに何しに行くわけ?」
「ポイントを稼ぎに…………といっても、あと200位だけですけど」

現在の手持ちポイントが3380だから二人くらい相手にして帰ろうと思っていたのでそれを伝えると、新斗さんは少し驚きながら口を開く。

「合同訓練にも個人ランク戦にも顔出してないわりにポイント持ってんな………俺と同時に入隊したよな?」
「あー、…………俺は入隊時のポイントが高かったので」
「うわー、なんぼ?」
「…………2900です」
「たっか」
「まあ…………三ヶ月ちょっと経った今でもC級なので、本部の期待を存分に裏切ってます」

そのかわりにブラックトリガーを本部のために防衛任務という形で使ってるわけだけど、そんなこと言えるはずもなく。というか、上層部の方々とは永続的なC級であることを約束してもらったから何点取ったってC級で居られるんだろうけど、やっぱりそういう特別待遇みたいなのは他のC級隊員に申し訳無いので出来る限りそうならないように努めている。
まあ、そもそも上層部は俺をB級に上げたがってるみたいだけど、永続的C級の約束があり、且つ忍田本部長と林藤さんに俺の未来の真実を伝えている以上は強制的にB級昇格させられることはないだろう。

「まあ、トリオン能力とかいうのが高いだけで期待をさせちゃいまして」
「…………ふうん? でもA級の人から一勝取ったんだろ?」
「? あ、風間さんのはまぐれですよ?」
「…………じゃ一回、俺とやろうよ、ランク戦」
「、やった、ありがとうございます」

C級ブースに入る前に対戦相手が決まって一つ手間が省けた、なんて思いつつ見覚えのあるラウンジの風景に足を踏み入れ、先に入った新斗さんが無表情で軽く手を挙げて「じゃ、俺300に入るから」と言って立ち去ったので、俺もその背中を見つめて空いている部屋を探す。
ちらちらと俺を見つめてくる視線は相変わらずあるが本部に何度も足を運んでいるし、風間さんと対戦した時と比べれば幾分もマシなので特段気にすることなく近くの空室を見つけ出し、様々な視線から逃れるために空室へ足を動かそうと階段に近付く。すると、ラウンジの外から入ってきた人物が俺を見て「あ?」と低音の声を挙げた。

「あぁ、影浦さん、こんにちは」

一度だけ防衛任務の時に顔を合わせたことがあるのでなんとなく挨拶をすると、そちらのほうから視線を向けてきたにも関わらず影浦さんは俺の言葉にジロリと横目を向けて睨み付けてきた。まあ…………特に悪意は感じられないのでただ単に目付きが悪いだけなんだろうけど、サイドエフェクトが無ければ勘違いしてただろう。
そう考えていると影浦さんがピクリ、と眉を動かしてから体を俺に向け、対峙しつつマスク越しに舌打ちをする。

「てめー、今何で納得しやがった」
「…………俺、挨拶しただけですけど」
「とぼけんじゃねー」
「はあ、」
「つーか…………てめーと話してると刺さり方が色んな意味でマジで鬱陶しいなオイ」

そう言ってまたマスクと前髪の隙間から睨み付けてくる影浦さんの言葉に違和感を抱き、サイドエフェクトを使用して『こいつは俺のサイドエフェクトは知らねーのか』という視線を一発で読み取る。おお、このC級の多さの中で一発で読み取れる確率低いのに。
てかサイドエフェクトか、なるほど。読み取った感じから言うと、影浦さんは俺のサイドエフェクトを知ってて、何で納得したのかって聞いたのか。それだと、影浦さんのサイドエフェクトも俺と同じように目に見えない何かで相手の気持ちを読み取るサイドエフェクトってこと?
そんなことを考えながら首を傾げていると、影浦さんがわざとらしくため息を吐き、マスクを人指し指でずり下ろしてからギザギザの歯をチラリと見せて言葉を紡ぐ。

「……ゴチャゴチャうっせーから教えてやる、」

そう言って影浦さんは俺に一歩近づき、ガンを飛ばすように俺の顔を覗き込んで目を合わせると「サイドエフェクト使えよ、ほら」と挑発したように呟く。

「…………、意地悪しないで教えてください」

本当はその発言に少しイラっとしたが、影浦さんと話すことで周りの視線が増えて難易度が更に上がったので溜め息混じりでそうお願いしておく。この視線の数でサイドエフェクトを意識したって、さっきのように上手くいくとは限らないしもっと時間がかかるはずだから。すると影浦さんはそんな俺をじっと無言で見つめてから「余裕ぶってんじゃねーよ、」と小さく呟き、仕切り直して言葉を続ける。

「…………俺のは『感情受信体質』とかいうクソ能力。つまり、てめーとは憐れな同類ってことだ、分かったか?」
「感情受信? さっきの刺さり方がどうのこうのってのは、向けられた感情をそういう風に感じるってことですか」
「よくわかってんじゃねーか」
「はあ……………」

はん、と鼻で笑って俺から離れると、ジロリと周りのC級を見て舌打ちする。その気持ちは分かる。誰かと話しているときに他の視線が鬱陶しくなるのすごくわかる。けどそうか、憐れなってことは…………あまり自分のサイドエフェクトを良く思ってないということか。

「けど、てめーのはもっとクソだな」
「クソ?」
「俺は自分に向けられるモンしかわかんねーけどな、てめーは他人から他人のも分かんだろ」
「まあ…………でも、俺のは刺さったりしないからその分マシですよ」

視線を逸らしながら気を使ってるのか同情しているのか分からない言葉を吐いた影浦さんにへらりと笑って返せば、当人の影浦さんはポケットに手を突っ込み、視線を逸らして小さく呟く。

「…………頭のどっかがおかしいとしか思えねえ」
「…………同類だからこそ気を使ったんです」
「はっ、言ってろ」

他人の気持ちが勝手に分かってしまう憐れな同類だからこそ苦労もしんどさも分かるから気を使うし、楽になって欲しいと思うのは当然のことだろう。影浦さんはそれだけ言ってマスクを戻すとなにも言わずに去っていく。
よくわからない人だ。同類だと知って同情でもしてるとなると影浦さんって意外といい人っていうか…………正直な人だな。とか思ってるいまの俺の感情も受信させてしまっているのだろう。

「って、新斗さん待たせてるじゃん」

ハッとした俺は素早く影浦さんの背中から扉へと視線を移し、幾つかの視線から逃れるようにC級ブースに足を踏み入れる。視線が何もない空間に安堵しつつ緊急脱出先の簡易ベッドの横に背負っていたリュックを立て掛け、机の上にあるディスプレイで新斗さんの部屋『弧月 1450』と通信を繋ぐ。弧月か、弧月の人と戦うのは慶以来だな。

『遅かったな、』
「すみません、偶然会った……知り合い、と話してました」

訓練用トリガーを起動しながら新斗さんに謝りを入れると、新斗さんはどうでも良さそうに『ふうん、』と呟いてからあくびをする。

「何本勝負にします?」
『十かなー』
「了解です」
『てか、さっき俺の部屋の近くで上位隊員の二人がソロやるっていってたけど』
「へえ…………そっちに皆の視線が集まるから楽ですね」
『そーかも』

いつみても俺に似合わない色合いの隊服だな、と思いながらベッドに腰を下ろして自分の意見を言うと、それに同調した新斗さんが言葉を続ける。

『確か、米屋って人と』
「あー、出水ですか」
『そうそう、やっぱり知り合い?』
「まあ、因みに今年から高校生の二人ですよ」
『へえー、すげー…………つってもー、名字くんも今年高三だもんな』
「ボーダーは若いヒトが主流ですからね」
『…………世間的には俺なんかまだまだ若いのに、ここだと年上の部類なんだよなあ』

俺の言葉に対して変な間を開けてそう返してきた新斗さんに「エンジニアになったら逆転しますよ」とフォローを返してから立ち上がると、新斗さんはそれを察したのか『ま、そういうことにしておく』と話を終わらせて今から対戦を始める空気を作り出す。

「そろそろやりますか」
『そーだな』



                ◆◇



 結局五回やった仮想フィールドでの十本勝負を全て勝ち越し、合計で200ポイント加算された自分のポイントに苦笑いを溢しながらラウンジのソファに座って質問をぶつけてくる隣の新斗さんに答える。

「二回戦の五回目の時のアレ、なんか違和感なかった?」
「えっ、どれですか」
「ほら、塀ブロックの隙間からスコーピオン通してきたとき」
「あー…………あれは予防線を使わなくて良くなったからで」
「うわー予防線張られてたのかー、しかも使われなかったとか」

その予防線や、スコーピオンの距離の測り方とか聞いてはメモをとる新斗さんにまた苦笑いを溢して「あの、」とその行為を止めさせると、新斗さんは首を傾げて俺の顔を見つめる。

「あー…………その、俺の感覚よりもっと実力のある人から聞いた方が良くないですか? それに俺はスコーピオンですし、役にたたないっていうか」
「? んなことないだろ、それに俺は訓練用トリガーの性能を調べてるだけだから別にこれでいいんだって」
「はあ、」

エンジニアを目指しているだけあって自分の戦闘能力の向上ではなくトリガーの性能に視点を当てているらしい新斗さんの言葉に少し納得しつつ、周りから向けられる視線に眉を寄せる。
気になるなら話しかけてこいよ…………俺を怖がるのも嫌うのもわかるけどさ。

「そういえば、地面にスコーピオンを伝わせるやつ、名字くんが流行らせたらしいな」
「え? いや、え? 知りませんけど、多分違いますよ」
「…………知らないのに違うって断言するのか」
「、あー、もしかして風間さんに一度使ったからですかね」

そういえば諏訪さんか哲次のどちらかが、風間さんも模擬戦でその方法を使ったとかなんとか言ってたっけな。でもそうなると、流行らせたのは風間さんだろう。

「兄貴が言うには、最初にやったのは名字くんだったって話だけど?」
「…………えっ、佐藤さんもアレ見てたんですか」
「らしいね、ていうか…………だろうね」
「? はあ、」


随分、引っ掛かる言い方だ。


「でもまさか、エンジニアの方にも見られてたなんて」


このC級ブースに居る人たちが自分の戦闘研究のために見るのは致仕方ないないとは思うけど。まあ、風間さんの戦闘がお手本なるかどうかは自分の技量にかかってるし、俺の戦闘は弱いしサイドエフェクトでズルしてるからお手本にならないのに。
俺の言葉に無表情のまま視線を逸らしてメモ帳を閉じた新斗さんは、横目で俺を見てから小さく呟く。

「いや…………エンジニアで見てたのは、多分俺の兄貴くらいだと思うわ」
「…………?」

新斗さんは意味深にそう言うと頬をかき、内緒話をするように俺の耳元に口を寄せるといつもの声のトーンで言葉を吐く。




「ほら、佐藤家って、名字くんのこと"嫌い"だから」










「、…………え?」



耳元で囁かれたその言葉に驚き、無意識に目を見張りながらその単語を頭の中に巡らせて意味を考える。

嫌い? え?


「お、俺…………、佐藤さんに嫌われてるんですか」
「うんまあ、名字くんがボーダーに入る前から」
「は、入る前?」


周りからの視線が多すぎてどれが新斗さんの視線が何なのか分からないけれど、そのなかでも異色を放っている『同情』の視線かな、といやに冷静に見当をつけ、膝に置いていた自分の手を握り締める。
あんなに優しかった佐藤さんが俺を嫌っていた、という事実が嘘か本当かを確かめる方法は幾つもある筈なのになぜか確かめたくなくて、眉を寄せるだけで実行には移せない。

「だから、伊都に名字くんを紹介されて心底驚いた。運命すら感じたわ」
「…………新斗さんは、俺のこと嫌いなんです、か?」
「いや? 俺は佐藤だけど、本当の佐藤じゃないから」
「……………………血縁関係がない?」
「そそ、」

換装を解き、ジャケットの裏にあるポケットにメモ帳を仕舞い込みながら素っ気なくそう言う新斗さんに、俺は目を伏せて自分を落ち着かせる。
なんだっていきなりこんな話に?
あー、佐藤さんが俺の戦闘を見てたのは何で、って話からか。
嫌いだから見てたってどういうこと?
って自分が孤児だって軽く言い過ぎ…………じゃない?
誰かに聞いてほしかったのか?
いやでも、ここで話すようなことでもないし。
ていうか何で嫌われてる?

「まあ俺はイケメンの味方だしさー、今のあいつらのことそんなに好きじゃないから…………バラしても暫く支障はないと思うけど」
「、何で俺は…………佐藤さんに嫌われてるんですか?」

俺も換装を解き、必要最低限の質問のみをぶつけて目を見据えると、新斗さんは初めて俺に小さく微笑み、何てことなさそうに言葉を放つ。



「自分たちの父親が、名字くんのせいで死んだと思ってるから」
「…………父親、」

その現実へ叩きつけられたような言葉に、俺は思わず口が半開になる。
父親…………? 佐藤さんの父親って…………あの神父さんだよな?
俺が教会に駆けつけたときには既に倒れていた、あの神父さんだよな?
ぐるぐると回る思考の中で、新斗さんが冷静に俺の顎を上に押し上げてきたので素直に口を閉じる。

「人殺し」
「っ、」
「…………その噂を流したのが、誰かわかるよな」



人殺し。
その噂を聞いたとき、俺が真っ先に思い付いたのはアキちゃんだったけれど、噂を流した人にとっての本当の対象は。



「あいつらが名字くんを恨んでる理由を知ってるけど、正直俺なんかは納得出来ない」
「…………」
「多分、それは俺だけ仲間外れだからだ」

俺の顎のしたに手を当てながらじっと俺を見つめて呟く新斗さんに、俺は口をつぐんだままその言葉と視線を受けとめる。
多分、この話は俺だけが傷つく話じゃない。
ずっと、俺の知らないところで新斗さんが傷ついてきた話だ。

「…………何かあったら相談して、俺なら全部話せるから」
「、今からはダメなんですか」
「今は…………その兄貴から頼まれ事あるから、さっき自販機の前で話してたやつ」

そう言って新斗さんは俺から手を離して立ち上がると、俺をちらりと見下ろしてから「ごめんな」と呟いて俺の言葉を聞く前に背中を向け、あまりにあっさり立ち去ろうとする。

「ま、ってください」

俺が思わず立ち上がり私服姿の新斗さんの腕を掴み引き留めると、よりいっそう俺に周りの視線が集まって眉を寄せる。こんなところじゃ俺のサイドエフェクトはクソも役に立たない。読み取りたいものを読み取れず、ただ好奇の視線だけが俺の脳内を占めるだけで目の前の人の告げた謝罪の本当の意味さえ分からない。

「…………またな」

新斗さんは少し諦めたような表情で俺の顔を微笑みながらそう言うと、俺の手をやんわりと振り払ってラウンジから出ていってしまった。
 




「くそっ、なんなんだよ…………」

突き放された訳でもないのに締め付けられる胸と俺から遠ざかって小さくなる新斗さんの背中に思わず舌打ちし、ソファの近くでこそこそと鬱陶しく話しているC級の二人を八つ当たりで睨み付ける。
あんなに優しかった佐藤さんは、俺への恨みを隠し通して優しくしてくれていた。視線で読み取れないほど隠し通して。
たまに違和感を感じることがあったのに、俺はサイドエフェクトを活用しきれずに佐藤さんを…………新斗さんを含めた佐藤家を追いつめていた?
また俺は、何かに失敗していた?

「な、なんだよ」
「なんか言いたいことでも、あ、あんのかよ!」

するとソファを挟んで俺に虚勢を張りながら言い寄って来たC級が視界に入ってきて、その声に周りのC級隊員の人がざわめいてこちらに視線を向けてくるのを感じながら
俺はそちらに視線を向けず淡々と口を開く。

「…………睨んだのは八つ当たり、ごめん。だから近寄らないで欲しいです」
「、は?」
「てか、前から思ってたけど、同じC級のくせにでかい顔し過ぎじゃね?」

俺の言葉に鼻で笑いながら大きい声でそう言い放つ二人に俺は妙にイラッとして舌打ちをする。噂が誇張して俺に良くないイメージを抱いていることは分かるけれど、今の俺はそれを受け流せるような余裕はない。
そう思った俺が穏便に済ませようと無言でリュックを掴んでこの場から立ち去ろうとしたのにもかかわらず、俺が新斗さんにやったようにC級の片方が俺の腕を掴んだ。

「おい、逃げんなよ"人殺し"、!」
「…………、」
「な、何とか言えよ!」





「じゃあ………………おまえは俺が誰を殺したのか、知ってんのか?」
「っ、」

俺の周りにいつもの上位隊員が居ないせいで強気に発せられた挑発の言葉のなかに今の俺が一番引っ掛かる単語が含まれていて、余裕のない俺は思わず挑発に乗る。
俺が神父さんを殺した?
佐藤さんの俺に対するその憎しみに気づけなかったのは、確かに俺の過失だ。それは認める。俺がもっと上手くサイドエフェクトを使えれば入隊時にでも何かを変えられて、佐藤さんが苦しむ時間を縮められたかもしれないし、新斗さんにこんなことを言わせる機会も無かった。




だけど、


「っふざけんな、…………やってもいないこと、認めねえよ!!」

吐き捨てるように叫んでから真っ直ぐ目を見つめてC級の手を振り払うと、そいつは少しビクッとおののいて俺から手を離し、ばつの悪そうな顔のもう一人のC級に「、行こうぜ」と言ってC級ブースから逃げ出した。
ああもう…………あいつら二人のせいで視線が増えた…………。
いや、そもそもいきなりの告白と情報量の多さに対する八つ当たりで睨み付けた俺が悪いか。でもそれにしたって絡まれるタイミングが悪すぎ。






「、エイプリルフールでここの流れ全部が嘘だったら良かったのに」

小さく独り言を呟くことで増える視線に今更何かを感じるはずもなく、ざわめく周囲の声と煩い視線にソファの上に乗せていたリュックを背負ってため息を吐く。今朝からあんなに聞かされてきたんだから、誰かが同じように「エイプリルフールだよ」って言ってくれればいいのに。俺のせいで誰かが苦しんでただなんて、嘘だと言ってくれればいいのに。
そんなことをずるずると考えつつ気まずい空気の流れるラウンジから出ようとすると、不意に後ろから肩を叩かれる。あ?
視線が多すぎてなにもわからないので事前情報のないまま反射的に振り向こうと顔を向けた瞬間、ぷにっと頬に何かが突き刺さった。





「…………公平」


突き刺さったのが指だと分かった俺は指を辿り、その先にいるにやにやと笑う人物の名前を挙げて安堵の息を吐く。

「よお、元気…………ではないな」
「ちわすー」

笑いながら俺の肩をポンポンと乱暴に叩く公平の隣で軽く挨拶する陽介をボーッと見つめる。そういえば、新斗さんがC級ブースでこの二人がバトってるって言ってたっけ。

「いやー、名字さんの意外な一面が見れたな」
「そうか? 結構エグい事言う人だぞ」
「マジか」

当人の俺をおいてけぼりにしてニヤニヤと笑みを浮かべて話を進める二人に俺は陽太郎を連れてきた時の事を思い出しながら二人に体を向け、ふと考える。前もこうやって周りに俺の味方が居ない中、二人は話しかけて助けてくれたっけ。

「、えっと、」
「別に? オレたちが名字さんと話したかっただけですし?」
「そーそ、もう甘えてもいいんだぜ?」

俺の言葉に呆れた顔でそう答える陽介と、前に電話で話した内容をニヤニヤとした表情で持ち出してくる公平に俺は無意識に強張らせていた肩の力を抜いて息を吐く。
そうだ、公平は甘えることが公平のためになる、みたいなことを言ってたし、ファミレスで陽介も甘えていいって言っていたから、ここで俺が甘えることは…………簡単に言ってしまえば俺の役割に当てはまる。甘えることイコール二人のためになること…………っていうのは俺のズルい建前で、本当はこのどうしようもない胸の痛みとか、どうしたらいいかわからない感情の行き場を単純に誰かに何とかして欲しいし、甘えたい。

「…………こういうとき、どうやって甘えればいいんだ?」
「はあ?」

二人が俺を見つめてくるのを何故か放心したようにボーッと眺めながら小さく呟くと、それに目敏く気付いた公平が眉を寄せながら首を傾げる。傷心中…………というか、自分の愚かさを突きつけられたばかりで色々整理がつかない時に、どういうことをするとその優しさに甘えることになるのだろう。

「うわ、重症じゃん」
「人として大丈夫か? まあ、完璧超人じゃなくて安心したこともあるけどな……」
「…………なんだろ、取り敢えず二人のことが好きだなあと思ってる」
「、出た」
「うっわ、」
「え? ご、ごめん」

さっきラウンジで叫んだばっかりの人間に気にせず話し掛けて来てくれたこととか、それを笑ってくれたこととかを感謝して言ったつもりの言葉を批評されて少し驚くが、確かに直接的すぎたかもしれないと思い直す。
すると公平が俺の肩から手を離して「普通にしろよ」と素っ気なく呟いて視線を逸らし、陽介もへらへらと笑いながら「そーそ」と頷いて言葉を続ける。

「やりたいことやって、言いたいこと言えばいいんすよ。それをオレたちが受け止めることで初めて甘えられるわけだし、名字さんは正直になればそれでやること終了じゃんか」
「…………今さっき『うっわ』って言ったよね?」
「あー…………それはそれ、これはこれ」
「、いいけど、ほんとにそれだけ?」
「まあ色々あるんだろうけど、今はそういうこと」

陽介がいいことを言ったような気がしたけど多分気のせいで、結果的に俺は自分のやるべきことが正直になることだけだと言われて少し戸惑う。
甘えるって、甘えようとしてる側にとっては簡単なことだけど、いざ甘えようと意気込んでたり甘えろって要求されると途端に難しくなるものらしい。

「なら…………正直に言いますけど、」

周りの視線が悪意のあるものから不思議そうなものに変わってきているのに苦笑いを溢しながら何故だか敬語で仕切り直し、少し目を伏せながら二人の前で少し息を吐いて自分の手を弱く握り締める。

「…………正直、俺は今すっげえ辛くて泣きたいです。というか、久しぶりに昔の俺が出てきて『死にたい』とか言いたいです」
「ふうん」
「へえ」
「あと、二人の優しさに当てられてから、しょうもないくらい…………しょうもないくらい苦しいけど、どうすればいいかわかんなくて……ごめん、なさい?」

ああやばい。
佐藤さんのことを考えるのは後回しでもでも許されるんじゃないか、…………とか思えてきた俺は、その自分の感情の変化に危機感を覚え、たがが外れたように紡がれる自分の言葉にブレーキをかけて口を閉ざす。
するとそれを真っ正面から受け止めてくれた二人が互いに目を合わせてから俺を見つめ、公平が溜め息を洩らして腰に手をあてて簡潔に呟いた。

「泣けばいいだろ」
「そうそう、なんなら話も聞いてあげますけど?」

呆れたような顔の公平と陽介がそう言って、目を伏せたままの俺の肩に手を置いて言葉を付け足す。


「まあ、取り敢えず場所移動しようぜ」



                ◆◇



 二人に先導されてたどり着いた先、到着した場所は、俺が鬼怒田さんに与えてもらったばかりの自室で、何故この場所を二人が知っているのかは分からないが慶に教えたことを思い出したので敢えて理由は聞かなかった。
そんな二人は俺の手を引いたまま勝手に部屋に入ると、俺が初めて来た時から置いてあったソファにリュックを背負ったままの俺を座らせて自分達は換装体のまま俺の両隣に腰を下ろして逃げられないような状況にする。
するとその流れのまま公平が自分の膝に頬杖を付きながら此方を見つめて「で、?」と呟くので、どうやら説明を求められてるっぽいなあと思いながら俺も所々にフェイクを入れるつもりで小さく口を開く。

「…………俺が人殺し、って噂されてるのは知ってるよね?」
「まあな…………つっても、おれは名字さんが入隊してから結構すぐ聞いたけど」
「あ、オレも」
「まあ、ずっと前からされてるから」

自分でこの話を持ち出すのは初めてかもしれないな、なんて思いつつ苦笑いを溢し、目の前にある机を何となく見つめて言葉を続ける。

「この噂の真意は二つあるんだ」
「ブラックトリガーの人だろ?」
「……………………慶から聞いた?」

俺の手首にある『五線仆』を見つめてから俺の横顔を見つめ直した公平の視線を読み取ったことで現れた人物の名前をポツリと呟くと、公平は特に隠しだてすることなく素直に頷く。陽介も、公平から聞いていたのか特に驚いた様子もない。
俺の口から直接「アキちゃんを殺した」って言ったのは迅だけのつもりだけど、慶なら今までの態度や言動で俺の考え付くことなんか分かってしまうのかもしれない、と妙に納得できるのはきっと昔の俺を知っている人物だからだろう。まあ、それを安易に公平に言ってることには少し憤りを感じないでもない。あいつは公平に何でもかんでも言い過ぎる節があるから、今度口止めでもしようか…………いやでも、こんなことを俺から話してる時点で手遅れかもしれないけど。

「それが一つ目、二つ目は…………濡れ衣」
「は? 濡れ衣?」
「それって、殺してないのに殺したって思われてるってことっすか?」
「そうなるね」
「うっわ、ひっでー…………あ、それでさっき怒鳴ってたんすか?」
「いやあれは…………何も分かってないくせに人殺し呼ばわりしてきたから、つい、イラッと」

反省してます、と笑って続けると、二人が「反省するのはあっち」と真顔で言ってくるので俺も少し言葉足らずだったかなと思って「最初に睨んだのは俺だから」言葉を付け足すが、二人の意見は変わらないらしかったのでそのまま受け流して次に進む。

「でまあ、濡れ衣をかけていた人が俺に良くしてくれてた人で、本当は俺のことを親の敵のように思ってたってことを急に聞かされて、…………」
「そこに、オレらが来た感じか」
「…………そうだね」

俺の左隣に座ってソファの背凭れにもたれ掛かっている陽介が『納得』の視線を向けながら訊ねてきたので、俺は少し微笑みながら頷く。
本当は親の敵のような、ではなく本物の親の敵だと思って俺を嫌っているみたいだけど、そこは別に言う必要もないだろう。

「それって、さっき話してた人?」
「…………さあ、」
「ここまで来て今更隠しだてするなよなー、オレらだって傷付くんですけどー」
「う、ごめん……………でもさっきの人じゃないよ」

上半身を少し起こして前のめりになりながら俺の顔を覗き込む陽介に、少し驚きながら反射的に謝罪する。
そりゃそうか。甘えられるってことは頼られるってこととほとんど同義なのに、甘えてくる側に隠しだてしてる雰囲気なんか出されたら、それはもう信頼されてないって考えてしまうのが普通だ。
俺は二人に感謝してるし信頼もしてないわけじゃない。
だから今回や前回助けてくれたからこそ…………俺は滅多にしないし、してはいけないと思っている自己開示をしている。それが甘えるってことに繋がるなら二人の何かを満たせるし、俺も気持ちが楽になるから話しているけど、そうか、よくよく考えれば出会って三ヶ月程度の年下に甘えるっていうのは、俺にもいろいろ責任感が発生して然るべきだよな。

「つーか、甘えることが分かんねえのに変に嘘とか吐いたら、許しませんから」
「う、嘘はついてない、エイプリルフールでも」

もやもやと考えながら陽介に言葉を返すと右隣の公平が続けて「じゃあ、意図的な情報操作もナシ」と予防線を張ってくるので、俺は苦笑いを溢しながら了承する。

「全部正直に言うのは相手の個人的な情報に関わるからぼかすけど…………その…………自分の父親を俺に殺されたと思ってる」
「、なのに良くしてくれてたのかよ」
「あっちは仕事上での関わりしかないからね、建前だよ」
「大人ってこえー」
「…………そうかも、」

陽介も本音と建前を駆使して生きていくようになるのかな、と思うと少し寂しくなるけれど、もしかしたら俺が知らないだけで今も駆使して生きてるのかもしれない。そんなことを思いながら痒くなった目を擦ると、公平が何かを考えているような視線を俺に向けながら口を開く。てかもう、答え出てるじゃん。

「つーか前から思ってたけどさ、噂流したのって誰なんだろうな」
「ああ、その人だよ。俺に良くしてくれてるひと」
「やっぱりか……………噂の真意に濡れ衣のことが含まれてるってんなら、その事……つまり、濡れ衣を本気だと思ってるやつが流してないと可笑しいもんな」
「おまえ天才じゃん」
「いや普通だろ」

二人が俺を挟んで会話を展開するのを眺めながら、少し落ち着いた自分の心の状態に気が付いて息を吐く。
これで二人と俺の間には多分、言葉には表しづらい信頼関係が生まれたと思うし、二人の視線も前とは違って距離が縮まったからかより明瞭に判断しやすくなった。サイドエフェクト的にそんな能力はないけれど、人として雰囲気や表情で二人の感情の移り変わりが解りやすくなったことが原因だろう。それに、長年の付き合いである慶よりも先に『秘密にしようとしていたこと』を吐露して甘えてしまったのは、きっと二人の存在が俺のなかで大きくなっていくことを意味する。
いやもうこんな理屈抜きにして、俺は二人のことが好きだ。好きだし、感謝もしてる。



「今更だけど、ありがとね」

ポツリと小さく呟くように吐いた俺の言葉に、二人が『疑問』の視線を向けてきた。

「最近色々ありすぎて自分でも知らないうちに限界が来てたんだと思うと自分の弱さが悔しい…………けど、二人に話せてよかった。てか、二人が俺のことを嫌いじゃなくてよかった」
「…………なんだよ、それ」
「オレたちは何もしてねーし」
「…………話しかけてくれたし、話を聞いてくれたし、甘えてもいいって言ってくれたし…………まだまだ沢山あるよ」

照れたような公平と、視線を逸らして居心地悪そうにする陽介に笑いかけながら言葉を続ける。
誰かに話してストレス発散したのは久し振りで少し罪悪感を感じないでもないけれど、これを甘えるっていう言葉に置き換えたら…………何だか少し許されるような気がするから不思議だ。

「…………そんなこんなで俺の心は荒んでたわけだけど、二人のお陰で少し気持ちが軽くなったよ。ありがとうね」

決して佐藤さんのことを無かったことには出来ないけど、あのとき苛立ってたり戸惑ってたりしていた自分から抜け出せたのは二人のお蔭だなあ、なんて思いつつ話を終わらせるような空気を醸し出して立ち上がろうとすると、陽介が無言で俺の手をつかんで元の位置に引き戻した。え?

「てか、なーにおしまいにしようとしてんすか?」
「…………え、ほら、もう話聞いてもらったし、落ち着いたし」
「まだ、アレが終わってないじゃないですか」
「…………ほ、ほらもう俺……そんな気分になってないし」

ニヤニヤとした笑みを浮かべて俺を見つめる陽介の視線を読み取って嫌な気配を感じ、俺の腕を掴む陽介の手を引き剥がそうと奮闘していると、反対から「あぁ、あれか」と納得したような楽しそうな公平の声が聞こえ、俺はそちらを振り向けないまま口を開く。

「ほ、ほーら、俺はもうこの通り元気だからー」
「おいおい、ちゃんと最後まで甘えてもらわないと困るんだよなー」
「だって自分で言ってたじゃないっすか…………"泣きたい"って」
「…………それは、そのー、その時じゃん?」
「いやいや、甘えるってことはこれだけじゃ終わらないから。てかおれたちのために甘えろよ、な?」
「いやいやいやいや」
「いやいや、逃がしませんからねー」
「てか、泣くまで帰さねえし?」

そう言って公平までもが俺の手をホールドし、離さない気満々の視線を向けてくるので俺はさっきの自分の言葉を悔やみながら二人を諭し、エイプリルフールだから嘘をついた、ということで何とか二人から解放してもらった。いつもボーダー本部に居ると忘れてしまうけど、このしつこさは、なんというか…………中学生っぽいなと思ったよ。

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