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 俺は自分のことをもう少し強い人間だと思っていたんだな、多分。
相も変わらず学校に来ない倉須のことに加えてここ最近色んなことが重なりすぎて上手く眠れていなかったし、心も参っていた。倉須のことや、役割への不安や孤児院の子供たちに嘘を吐き続けていること、佐藤さんのことや自分が死ぬかもしれない未来のこと。だからという訳でもないが、色々なことが受け止められないままボーダー本部にやって来て、何時ものように冷静に気を抜かず防衛任務をこなすということが出来なかった。
つまるところ、不注意、というか…………視野が狭くなっていて他の隊員さんの足を削ってしまうという失敗を犯してしまったのだ。しかも女性の。

「本当に申し訳ありません」
「いやあの、どっちかっていうとこっちのミスですから」
「いえ、謝って許されることではないですから、煮るなり焼くなりどうぞお願いします」
「いやいやいやいや…………」

何時も俺は自分の与えられた領地にしかシャンアールを張り巡らせることはしないのに、応援に来てくれていた二宮隊のことが頭からすっぽり抜け落ちていてシャンアールに気がつかなかった狙撃手の方の片足を切ってしまった…………らしい。そう、しかも俺はその場で気が付いて謝るならまだしも、防衛任務が終わってから二宮隊の隊長さんに作戦室へ呼び出されて聞かされたという始末。ボーダー隊員としての俺の評価が底辺から奈落の底まで落ちた気がしたし、ミスをした自分も許せないし、力の弱い自分が腹立たしかった。
目の前の鳩原さんは俺の顔をあげようと床に膝をついてアワアワとしているが、その後ろで椅子に座っている端正な顔の二宮さんの値踏みする視線が突き刺さって頭をあげられない。てか、あげたくない。
すると今まで黙っていた二宮さんが口を開き、冷たく言い放つ。

「確かに今回はあんなのに引っかかるうちのバカが悪い。だが、俺の隊が応援に来ていたことは本部から聞いていた筈だ」
「はい、」
「…………気を抜いてこなせるほど簡単な仕事だと思うな。自分の能力を把握しておけ、周りの迷惑に繋がる」
「…………すみませんでした」
「分かったら顔をあげてさっさとここから出ろ、こっちはこれから話し合いがある」
「、はい」

その二宮さんの声を受けて顔を上げ、オロオロしている鳩原さんにもう一度謝ってから立ち上がって他の隊員さんの視線を受けながら扉を開き、鳩原さんにまた一礼してから作戦室を立ち去る。
俺、はい、しか言ってなかった。
ああもうやだな。一言で言うと、嫌になった。自分も、今の状況も。本当にもう嫌だ。やめたいなあ、ダメだけど、絶対やめないけど、やめたいなあ、眠りたいなあ。ていうかほんと悔しいしムカつくし泣きたい。そもそも俺の防衛任務の頻度高くね? あーー。
暫く下を向きながら何度も何度も溜め息を吐いてとぼとぼと廊下を歩き、何人かの人とすれ違ったのを感じながら本部の屋上へとたどり着くと、そこには先客が居た。しかもその後ろ姿が知り合いのように見えたので俺は何だかムキになって足音をたてながら近づく。何時もならこの相手には気を使って絶対ここから出ていくけれど、今の俺は極端に他人のことを考えるのに疲れていた。

「三輪くん」
「…………、」

出来るだけ何時もの自分を取り繕って三輪くんの名前を呼ぶと、その声に振り向いた三輪くんがゆるやかな風に髪を靡かせ、少し頭を下げる。想像していたより穏やかな視線だ。

「それ、高校の制服?」
「はい」
「そっか…………」

入学おめでとう、と続けるつもりだったけれど何となく今は誰かを祝う気分にもなれなくて、視線を落としながら屋上の段差に腰を下ろしている三輪くんの近くに立って小さく「隣座っても良い?」と尋ねる。それに対して三輪くんも俺の顔をじっと見てから何も言わずに景色を眺めるので俺は少し空間を開けて三輪くんの隣に腰を下ろして息を吐く。嫌われてはいないけど好かれてもいない、その自覚はある。

「…………」
「…………」

片足を立てながら座って何処かを見ている三輪くんと足をブラブラさせながらボーッと景色を眺めている俺達の間に会話は生まれない。きっと俺が話し掛けたら三輪くんも短く返してくれるんだろうけど今の俺は会話を展開させるような気力もなく、ただ単純に今という時間が嫌で嫌で仕方なかった。
ミスをした自分に気が付かなかったことや、それを二宮さんに言わせてしまったこと。何より一番周りに迷惑をかけたことが悔しいし申し訳ない。それに、ミスをした理由に倉須のことやお世辞にも上手くいってない自分の状況や環境を持ち出して、自分の能力の低さに目が行っていないのも腹立たしい。本当に気持ちの問題でミスを犯したとしても、始めに出てくる反省は自分の能力のことであるべきなのに。気持ちを言い訳にした自分が許せない。

「…………あーあ」

両手を後ろについて体重をかけて呟くと、隣の三輪くんがチラリと俺を見た視線から『そういう顔もするのか』と読み取れた。意外だな、三輪くんが俺の言葉に反応するなんて。スルーされるものだと思ってたのに。
だらしなく後ろに体重をかけたまま首だけ捻って三輪くんを見つめると、三輪くんは視線を合わせようとせず何処か遠くを見つめたままなにも言わなかったので、何となしに俺から言葉を紡ぐ。

「俺、どんな顔?」
「…………不貞腐れた顔です」
「不貞腐れてるのかな」
「………知りません」

淡々と言葉を返す三輪くんのテンポは二人きりで話すと案外気持ちの良いものなんだな、と思いつつ、自分が不貞腐れてるなんて子供みたいな顔をしてることに苦笑いする。自分が思っていたより使えない人間だと思いさらされて、悔しくてムカついて反省することしかできなくて、早くここから脱け出したくて挽回したくて仕方ないって思ってるのが子供なんだろうか。子供なんだろうな。

「三輪くんは、何でそんな顔してるの?」
「…………はあ」

俺のやり返したような言葉に視線を向けてまで言葉を返してくる三輪くんに、サイドエフェクトを意識してズルをする。気持ちが落ち込んでる人は屋上に足を運ぶような構築なんだろうか、なんて思いながら、学ランの襟元からチラリと見える首筋とかうなじにかかる黒髪をじーっと意味もなく見つめて口を開く。

「『虚しい』って思ってる顔」
「…………そうですか」

既に三輪くんの視線が俺から外れていて真意は分からないけど、否定しないなら間違ってはいなかったかなあと自己完結して空を見上げる。するとなんだか懐かしいような気持ちが沸き上がってきて、ここ最近の自分がずっと下ばかり見ていたような気がして思わず苦笑いを溢した。

「三輪くん、高校入学おめでとう」
「…………ありがとうございます」
「学ラン格好いいね、似合ってるよ。羨ましいくらい」

ゆったりと流れる白い雲を見上げながらそう言うと、一瞬『困惑』の視線が向けられて口角が上がる。自分に似た後輩の淀んだ気持ちが少しでも薄まれば良いな、なんて考えながらそのままサイドエフェクトを意識して読み取ると、何となく三輪くんが考え込むように一人でここに居た理由がわかった気がして上を向いたまま目を閉じてみる。瞼が太陽の光を完全には防ぐことができなくて、視界が真っ赤に映し出された。

「きっとそういうものだよ」
「何が、ですか」
「…………俺たちが、いつか年齢を追い越していくんだよ」

誰の、とは言わないけれど。
三輪くんは黙りこんだまま暫く沈黙を保っていたかと思えば、俺の言葉足らずな話の暫くあとに「そうですか」と小さく呟いた。俺はもう年齢が並んでしまったから簡単に言えるけど、きっとこういうのは年齢が離れているほど上手く処理できない問題だと思う。俺たちはなにもしなくても進んでいくけれど、あの人たちは変わらない。それを想いつづける俺たちは過去に縛られてる。

「三輪くんって誕生日いつ?」
「…………それを聞いてどうするんですか」
「いいからいいから。因みに俺は九月二十日だよ」

目を閉じて瞼越しに太陽の光を感じながら自分の誕生日を先に言うと、少し遅れて三輪くんが「十月二日です」と答える。先に自分の誕生日を強制的に教えることによって返報性を狙うという作戦は成功したらしい。そういえばまだ三輪くんの連絡先知らんな。
その答えに俺は後ろにかけていた重心を戻し、ポケットから自分の携帯を取り出して検索サイトを表示して文字を打ち込んだ。その間三輪くんは不思議そうに俺に視線を向けていて、そんな三輪くんを見た俺はボーッと何処かを眺めているよりはマシかなと思いつつ検索結果に口を開く。

「キバナコスモスって知ってる?」
「さあ」
「…………花言葉は野性的な美しさ、だって。三輪くんは、野性的じゃなくて普通にカッコいいよね」
「、意味がわかりません」

俺の言葉に珍しく戸惑ったような表情で眉を寄せる三輪くんは正直かわいいけれど、多分言ったらもう二度と話してくれなさそうなので黙っておく。

「キンモクセイは高貴な人、謙遜、真実…………ふーん?」
「、何なんですか」
「何って…………誕生花と花言葉」

今のところしっくり来るものはないかなあ、なんて思いながら三輪くんの煩わしそうな視線を無視してスクロールしていくと、三つ目のところに嫌でも目につく単語があって思わず瞬きを繰り返す。

「ん、フウセン?」
「…………まだあるんですか」
「……………………あのさ、三輪くんは今年の誕生日も、来年の誕生日も同じものだったら…………嫌?」
「物に、よります」
「うーん、じゃあ花束」
「…………なんでそんなことを聞くんですか」
「俺が三輪くんに渡したいから」

隠すことなくそう言うとぐぐっ、と眉を寄せて俺を見ていた三輪くんの眉間のシワが、俺の言葉のせいで濃くなった。
困ってる困ってる。
俺は別に三輪くんになら今更引かれたって気にしないぞ。

「…………好きにしてください」
「うん」
「その代わり、あんたの誕生日にも同じことしますから」
「えっ…………」

まあ、あんた呼ばわりが復活したのは良いとしても、まだ自分の誕生花を知らない俺としては少し不安だし、なんか俺のほうが誕生日早いから催促したみたいだし。

「俺は別に要らないよ?」
「だったら俺にも必要ありません」
「…………じゃあ、いるけど」

納得いかない話の流れに何となく唇をつき出してみると、三輪くんは縁から降りて『自業自得』という視線を俺に向けてから何も言わずに屋上の扉を開けて出ていった。三輪くんらしいな。らしい、だなんて決めつけられるほど三輪くんと関わっているわけではないけれど、多分ああいうところは三輪くんらしいんじゃないかなあと思う。
バタン、と無機質な重い扉が閉まった音を聞きつつ近くに置いたままの携帯に手を被せ、佐藤さんや倉須のことや自分の犯したミスことを思い出しながらも、未来へ視点が変わっている自分に気がついて一人笑みを溢した。


             
 少し一人の時間を過ごしてから屋上を出て下へ降りると、階段の側にさっきあったばかりの人が壁に寄りかかって立っていてぎょっとする。ぱたぱたとゆっくり恐る恐る階段を降りながら近付くと、俺の足音に気が付いたらしいその人は俺を見上げ「あっ、」と声をあげてからキョロキョロと視線をさ迷わせて壁から離れるので、もしかして俺に用があって待ってたんじゃないかと推測して急いで階段を降りる。

「あ、危ないですよ?」
「えっ、あ、大丈夫です」

最後を二段とばしで飛び降りてその人…………鳩原さんのもとに向かうと、鳩原さんは何も起きなかったことにホッとしながら俺を見上げてから、また視線を逸らして「あの、」と言葉を吐く。

「今日は私のせいで、すみませんでした…………」
「いやあの、あれは俺のせいですから」
「…………じゃあ、二人のせいってことにしません、か?」
「えっ……………………あー、はい」

上目使いで俺を見る鳩原さんの視線は自分の罪悪感の落とし所に迷ってる視線で、言い方は悪いけれど、それで鳩原さんの気が済むのなら俺はそれでも構わないし、正直あの二宮さんに怒られたほどの罪を一人で背負うのは辛かったりもしたので助かる。

「あ、ありがとうございます」
「…………もしかして、それだけのために待ってたり…………」
「、近くを通った隊員の方がここに行くのを見たって聞いたので待ってました。話をしていたみたいで、行かなくて正解でしたね」

三輪くんを見たんだろうか。
髪の毛を整えながらへらり、と笑う鳩原さんに俺は気を使わせてしまったんだなあと思って「すみません」と頭を下げてから言葉を続ける。

「わざわざそのためだけに待ってもらって」
「いえ、その…………あともうひとつ言いたくて」

俺より下にある鳩原さんの瞳を見つめて首を傾げると、照れたように視線を逸らした鳩原さんが「二宮さんのことで、」と自分の隊服の裾を引っ張りながら話し出す。

「二宮さんは言い方は厳しいですけど…………多分、あのまま名字さんが失敗したことを知らないでいるより知っておいたほうがいいと思って言ったんだと思います」
「そう、ですか」
「前に…………あ、これは言ったらいけないかもしれないんですけど…………、前に防衛任務で見かけたとき、二宮さんが名字さんを『効率的な戦い方を知ってる奴の動きだ』って褒めてて…………」
「???」

今なんか、俺に都合のいい言葉が聞こえた気がするけれど…………ミスのショックがまだ抜けてないから希望なんて持ってしまったのだろう。ないない、二宮さんのような人が俺のことを認めるなんて。しかもここ最近良いこと何もないから、絶対あり得ない。

「だから今日もわざわざ呼び出してまで叱ったんだと思います」

だって最近初めて風間さんに稽古をつけてもらったときなんか「基礎がなってない、柔軟性が在りすぎて逆に危うい」とかダメだしされたし、前にレイジさんとやったら「前と特に変わらない」って言われたし。まあどっちもノーマルトリガーでの話だけど、褒められたのは最初だけで今は成長停滞期ですよ。

「あの? 名字さん?」
「っえ、あーすみません…………二宮さんが、えっと」


なんだっけ。


「…………?」
「に、二宮さんが…………言っていた、ということを教えてくださった鳩原さんに感謝します」
「え? ああ、は、はい」

何を言っているんだ俺は、あまり動揺で自分が何を言っているのか全くわからないけど、なんとか切り抜けたっぽいのでここから頑張るしかない。罪悪感はある。まあ、取り敢えず俺は早く帰るため荷物を取りに自室に行かなければならないわけで。

「鳩原さん、今から帰りですか?」
「はい。あ、名字さんも?」
「俺は一度自室に戻りますけど…………」
「なら途中まで一緒に帰りませんか?」
「、良いんですか?」
「? 良いですよ、それに前から話してみたかったんです」

そう言って両手を自分の後ろに回して視線を逸らす行為に俺が首を傾げると、鳩原さんは「サイドエフェクトが、気になって」と申し訳なさそうに呟くので、俺は今まで視線を逸らされていた意味を今更ながら気付いて納得する。

「あーすみません、嫌ですよね、」
「え? あ、違うんです。そうじゃなくて…………私の視線が名字さんの邪魔になってしまったら嫌だなあと思って」

そう言ってまだ視線を逸らしている鳩原さんの言葉に驚き、珍しい考え方の人もいるなあと思いつつ「平気ですよ」と出来るだけ優しく微笑む。

「慣れてますし、それに鳩原さんの目が見れないのは少し寂しいです」
「っえ、ご、ごめんなさい?」
「? 何で謝るんですか…………」
「…………寂しく、させちゃったから?」

そう目を合わせながら首を傾げる鳩原さんに俺は思わず笑みを溢し、そうですか、と一言返してから先導をきって歩きだす。
なるほど、あの二宮さんと一緒の隊だけあって不思議な人だ。


                 ◇◆


 孤児院へ帰って自室にかかったカレンダーを確認すると、四月六日、つまり九日まで三日しかないことに今更ながら気が付いた。ここ最近怒濤のように色々なことが起きてたり知らなかったことを知ってしまったりしていて忘れかけていたが、今まで俺が散々迷惑かけてきた迅の誕生日を忘れるようなことにならなくて良かったと心底ホッとする。
まだ出会ってそんなに経っていないのに俺にとって迅の存在が大きいのは少し癪だし、悔しいし、怖いけど、それ以上に迅に感謝しているから、在って当たり前だとも思う。

「紙のカスタード、」

前に陽太郎の言葉をトリマルくんが訳したものを呟き、カレンダーから離れて椅子に座ってその勢いでからから、と椅子が僅かに動いたのを感じながら机の上に置いていた携帯でネットを開いてペーパーカスケード関連の商品が何かないか調べる。トリマルくんは花束でいいじゃんとか言ってたけど、やっぱり少し恥ずかしいし、絶対バカにされる自信あるからナシ。検索結果を見るとアクセサリーなどが多いようで、ペーパーカスケードを押し花にしてから樹脂で固めてリングやネックレスやピアスなどにして商品化しているらしい。確かに樹脂が透き通って白い花びらのペーパーカスケードが綺麗に映えているけど迅には少し可愛すぎる気がする、なんてことを思いつつ画像検索をしてみると、意外と花自体が小さいものもあるようだった。

「……………これ、押し花にして栞に出来ないのかな」

トリマルくんと話していた時に出てきた栞という案と検索結果の押し花を足して導きだした結果は思いの外プレゼントらしくて良いと思ったけれど、そういう商品は見当たらない。そもそも、あと三日しかないのに通販でそれを買っても間に合うかどうか分からないことに気がつくとそれはもう、一つの結論にしか至らないわけで。
その結論に伴って俺は薄暗くなりつつある空にはあ、と溜め息を吐きながら制服のままの自分の格好を見下ろし、財布と携帯だけを持って街中の花屋を思い浮かべながら自室の扉を開けた。



 わりと人通りの多い商店街を歩き、ちらほらと自分と同じように制服を着た学生が歩いているのを視界の端に捉えながら目的地である花屋に入る。夕方ということもあってあまり客入りはないけれど、比較的新しく建てられた花屋なのか間接照明や壁紙が今時で何となくオシャレだったり雰囲気も穏やかで、それが逆に男にとって居心地はあまり良くない。そして名前の知らない花が沢山視界に広がるが、花屋というものに入ったことの無い俺は正直花屋のシステムが分からないでいた。
すると、何処からか視線を向けられたので控えめに周りを見回すと、レジの置かれたカウンターの向こうに居た店員さんが此方を見ていたので「あの」と話し掛ける。

「ペーパーカスケード? ってありますか?」
「っはい、丁度この季節のものですから置いてありますよ」
「じゃあ、それを買いたいんですけど」

俺の顔を見て『緊張』の視線を向けてくる学生っぽい店員さんにそう言うと、店員さんは「下垂ですが」と言うので、よく分からない俺は「じゃあ、それで」と返す。
かすい? どういうこと? でも、それしかないなら仕方ないよな?
そんなことを思いつつ店員さんがカウンターから離れ、一つの苗のようなタイプのものを持って出てきたので、俺は下垂の意味に何となく納得しながら会計をする。
つまりなんだ? これ、花だけ切って捨てるの勿体なくね?

「二百五十円です」
「(やすっ)」

その下垂タイプのペーパーカスケードを袋に入れている店員さんに百円玉三枚を出しつつ、花の定価の安さに少し驚く。そしてお釣りを受けとり、小さくお礼を言ってから他に買うものがあるはずもないのでそのまま居心地のあまりよくない花屋を出る。店員さんや店自体に問題があるわけでもないんだけどさ、強いて言えば俺の問題だよな。その花屋のロゴが写された袋を提げながら孤児院へ帰ろうとプレゼントする栞を頭に描きつつ商店街闊歩していると、今更ながら栞の作り方がよく分からないことに気がついた。
今なら足りないものがあれば入手出来る状況にあるため堂々と道の真ん中並んでいる近くのベンチに座って携帯で検索をかけ、現代人だなあ、何て自分のことを評しながら検索結果を見つめると、思っていたよりもやることが多くて適当な紙に押し花を糊でくっ付ければ良いだろとか思っていた概念を捨て去らなければいけなくなった。よかった、今調べて。
あーえっと、アイロンは孤児院にあるし、穴に通す紐は別になんだっていいだろ? つまるところ、台紙とアイロンフィルムとかいうのが必要なわけか。
その二つのものが売っているところといえば目の前にある百均一の店しか思い当たらない俺は、後ろのベンチに座ってイチャついているカップルの会話を背後に立ち上がり、すぐ近くにあるその店に逃げ込むように入る。
あんな甘ったるい会話をこれからの人生で俺にもできるんだろうか、何てバカらしいことを考えたのは秘密だ。

「裁縫とか工作、かな」

比較的大きめの店舗なので無いことは無いにしても、見つけられるかどうか怪しい。
じっくりと見落とさないように棚を見つめて歩いていると不意に『興味』という視線が向けられた。それは俺にとって特に珍しいことでもなかったので無視して商品を眺めていたが、あまりにも長い間見つめられているので降参して周りを見回す。すると、少し遠い棚の前に立っている人物が俺を見つめているのに気が付き、またそれが見たことのある顔で俺は思わず言葉を漏らした。

「うわあ、二宮隊の人……」

棚に視線を戻したい気持ちに苛まれながらも、確実に目があってるのにここで知らんぷりするのは常識はずれだと分かっているので少し頭を下げて挨拶をする。
その俺の仕草に気づいた向こうは、じーっと俺を見つめてから何を思ったのか手に持っていた商品を棚に戻し、此方に歩いてきた。
おいおい、今日叱られたところを見られたばっかりで俺が気まずいのわかるよねー? と言いたいところをぐっと我慢して俺は自分の目の前にある棚に視線を戻して話し掛けてくる気満々の相手を待つ。

「どーも、さっきぶりですね?」
「ああうん、えっと」

名前は分かるけど、どっちが辻さんでどっちが犬飼さんなのか知らない俺はわざとらしく視線を左下に落として首をかしげる。すると俺の行動を見た私服姿の目の前のイケメンくんは、自分の白い生地の真ん中に黒い飛行機のプリントがされているトートバッグを肩にかけ直しつつ軽快な笑い声を小さくあげて「犬飼澄晴でーす、よろしくどうぞ」と言葉を放って俺の手をとり握手をしてきた。随分コミュニケーション能力の高い人だな、と視線や雰囲気の感覚でイメージを定着させつつ、俺も握手を受け入れて「名字名前です、今日はすみませんでした」と自己紹介セットで謝罪する。

「え? あーあれですか、別に俺に謝らなくたっていいんじゃないですかね」
「でも………同じ隊の方なので、少なくとも必ず迷惑かけたと思いますから」

両方の手をポケットに入れて首をかしげる犬飼さんに苦笑いしてそう言うと、犬飼さんは「真面目ですねー」と呆れつつ俺を見る。あ、仲良くなれなさそうだなー、って視線。おいおい、俺だって気まずいんだぞ。

「犬飼さんは、お買い物ですか?」
「あーちょっと頼まれたモノがあって、早く買わないと怖いことになるんで本部から此処に直行ですよ」
「頼まれたんですか、」
「こわいこわい姉貴に」
「ああ、お姉さん。犬飼さんに似ているのならきっとお綺麗なんでしょうね」
「んんーと、そうでもないですよ」
「? それは実の弟だからでは?」

自分の横にある棚に視線を移してひきつった笑いを浮かべた犬飼さんに俺は疑問を覚えつつ倣うように目の前の棚の商品を上から下まで眺めてまだお目当てのモノが見つからないことに溜め息を吐く。台紙は画用紙かなんかの厚紙でいいから後回しにしたけれど、アイロンフィルムとかいうシートが見つからない。あるのか?

「名字さんは何目当てで?」
「んー、アイロンフィルムを」
「……………アイロンフィルム?」

俺の言葉を反復しつつ『なにそれ』と単純な視線を向けてくる犬飼さんに俺も笑顔を向けつつ「俺もよくわかりません」と横の棚に移動しつつ答えるるが、このままだと何に使うのか、とか聞かれそうなので棚に視線を向けながら自然を装って言葉を続ける。

「押し花の栞を作ろうかなーと」
「栞? 自分で作るもんなんですか、あれ」
「俺が使うんじゃなくて、あげるものですよ」
「へえー、彼女?」
「、彼女なんていません」

チラリと横目で俺を見ながら直球で尋ねてくる犬飼くんにそう答えつつ、隣の棚に移動して商品名に目を滑らせる。あ、あった。
アイロンフィルム、と明朝体の白い文字でかかれたそれを手にとって裏面を見ても押し花を作る例なんて書いていなかったけれど、多分用途的にこれで間違いないんじゃないかなあと見当をつけて周りの商品も見る。

「へー意外ですね、名字さん超絶イケメンだから彼女の一人や二人居そうなのに」
「………犬飼さんは?」
「居そうに見えます?」
「モテそう」
「ま、モテたいとは思ってますね」
「はは、素直。そういうところもモテるんじゃないですか」

周りを見回しても他に丁度いいサイズのモノが見当たらないと見当をつけた俺は棚から視線を移動させ、会話を展開していた犬飼さんに視線を向けつつ言葉を返す。すると犬飼さんの視線が『意外』と、さっき言葉にされたばかりの単語を表していたのでサイドエフェクトを意識して深い視線を読む。そして『そういう風に笑えんだ』という文章を読み取った俺は、前に色々な人に同じことを言われたっけな、なんて過去を思い出しながら犬飼さんに体を向ける。

「俺は他のもの探しに行きますけど、犬飼さんは?」
「あ、俺もあっちでもうちょい探してから帰りますよ」
「そ、そうですか、」
「………あ、ここで会ったのも何かの縁ってことで、連絡先交換しません?」

苦笑いで店内を見回していたのにも関わらずすぐ安定した笑顔に戻り、疑問系で言ったっぽいのに有無を言わさずトートバッグから携帯を取り出す犬飼さんに少し驚く。変わり身が早いというか、視線でも感情の起伏が小さいというか、冷静というか、なんだか不思議な人だなあ、なんて最初に固定しかけたイメージから少しずれたことを感じ、犬飼さんがどんな人間なのか分からず煙に巻かれたような気分になったが取り敢えず俺も応えるようにポケットから携帯を取り出して連絡先を交換する。

「澄晴って、こういう漢字なんですか。綺麗ですね、なんか、透明感あって」
「…………名字さん、変な人ってよく言われるでしょ」
「え? あー変なこと言ってました?」
「俺は好きですよ、変な人」
「、あんまり喜べませんね」

連絡先の中に新しく加わった人物の名前を見て感想を述べただけのつもりだったけれど、確かに男の人に言うような言葉では無かったかもしれないと犬飼さんの言葉を聞いて思い直す。

「顔もいいし、そんなんだからホモなんて言われるんです」
「そう、なんですかね? でもホントのこと言っただけですし」
「…………ま、噂は噂ってことですかね」

俺の言葉に犬飼さんは自分だけで満足するようにそう言うと、携帯をトートバッグに仕舞い込んでから「じゃあ、失礼しますね」と言って来た道を戻っていった。なんというか本当に掴めない人だったなあ、なんて犬飼さんの背中を見て感想を抱きながらすぐ近くに見えている紙系コーナーを見ようと携帯をポケットに入れようとした瞬間、画面が光り、たった今連絡先を交換したばかりの人からのメッセージが表示されて俺は思わず一人で呟いた。

「『これからは敬語、使わないで下さい』」

もしかしてこの会話の最中ずっとそれを思っていたんだろうか、と考えると犬飼さ……くんって難しいなあ、なんて思い、そのまま俺も『そっちも止めてくれるなら』と返事を返して今度こそポケットに携帯を仕舞い込んだ。返事がイエスだったら少しは仲良くなれるだろうか、なんて思いながら。

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