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 四月九日。待ちに待ってはいないけれど、自然とやって来た迅の誕生日。
前々から用意していた白い花びらが綺麗なペーパーカスケードの押し花を水色と紺色の台紙にそれっぽく並べて作った栞を二つ、紐は黒と銀にした。そして迅からオモチャを買ってもらっていた幼稚園組からの手紙と、塁が個人的になんか用意していたマジックペンでのメッセージ付ぼんち揚をいつものリュックに入れて俺は本部に向かった。一応トリマルくんから玉狛支部の誕生会の時間帯は聞いているので、それに被らないようにしつつ迅と会えればいいかなあと思っている。行き当たりばったりなのは、今の俺に余裕がないからだろうか。
日曜日だというのに昼近くの時間帯から防衛任務があてられていて少し億劫だったけれど、どっちにしろ外に出る用事があるので素直に本部の私室に入り、リュックを下ろして何となく私室の壁に貼ってある嵐山のポスターをチラ見する。
迅の部屋の天井から剥がした後貼る場所に迷った結果、孤児院はボーダー反対派しかいないし今考えたら塁が嵐山のエンブレムを思い出したら最悪なので却下、玉狛支部には嵐山が訪れるらしいので却下、するともうお蔵入りかここしか無かったのでここに貼ることになったのだ。イケメンだ、紛れもなくイケメンだけれど本物を見ていられる環境にいるし、正直憧れているわけでもないので、困ってはいる。

「まあ、殺風景が少しはマシになったか」

このポスターのせいで未だに僅かにはびこっているらしいホモの噂が助長しないか心配ではあるけれど、個人的に嵐山のことは好きだし、自分がホモを否定してれば何とかなるだろうと適当にオチをつけた。
そしてなんの気無しに腕時計で時刻を確認すると交代の時間まで三十分あったが、ダラダラ歩けばそれなりにいい時間で着くのではないかと予想してリュックを放置し眠たいのに眠れない俺は私室を出る。本当はリュックを背負ったまま換装しても構わないのだけれど、一度本部に寄る用事ができた方が迅とも遭遇しやすいのかと考慮したからだったりする。連絡をとって待ち合わせでもして渡せばいいのだけれど、何だかよく分からないけれど緊張して、メールも電話できなかった。最近の迅に対する俺はよくわからない。
全く意味の成していない自己分析しつつ見慣れた廊下を歩き、何人かの人とすれ違いながらたまに嫌な視線を受け、黒い五線仆の通っている手首を目の前に上げる。五線仆の大きさは俺の手首にフィットしていて失くすことは殆どないにしても、やっぱり癖で定期的に確認してしまう。そんなことをしみじみと感じていると何処からか珍しく親しみやすい視線を向けられ、思わず上げていた手首を下ろす。

「おーい、名前」

その声に左を向くと、そちらの廊下から慶と忍田本部長が並んで歩いてるのが見てとれて思わず「うげえ」と無意識に小さく呟いてしまった。
面倒だこれは色々面倒だぞ。適当な態度でも許される慶と絶対許されない忍田本部長、俺の死ぬかもしれない未来を知っている忍田本部長と知らない慶。てか、前に俺が本部長に取り入ってるとかいう噂もあったし。だからと言って振り向いてしまった手前ここからダッシュで逃げられるはずもなく、俺は仕方のなしに足を止めて近づいてきた忍田本部長に少し頭を下げる。

「お久しぶりです」
「あぁ、元気そうで何よりだ」

元気そうで何より、という言葉を発した忍田本部長の視線に意味深な気遣いが見られ、慶のせいでいまいち年下全開のテンションになりきれない俺は軽くお礼を言ってから隣で俺と忍田本部長を見ている慶に当たり障りのない感じに話しかける。

「慶、大学入学したんだって? おめでとう」
「おう。あぁなんか、風間さんからお前のこと言われたっけ、何のことか忘れたけど」
「……………もういい」

お前が入学式と防衛任務被ってんの忘れてて風間隊が代わりに出ることになったから風間さんにスコーピオンの特訓つけてもらえる約束が無くなったんだよバーカ、と言いたいところだけれど、忍田本部長がいるのでそれらを押し込め溜め息で誤魔化す。

「ところで名前、お前迅になんか誕生日プレゼントかなんか買ったか?」
「買ってない」
「うわ、薄情だなお前」
「慶は買ったの?」
「買ってない」
「はいはい」

どうせそんなことだろうと思ってたけどな、なんて思いつつ、慶から浴びせられる『違和感』の視線を無視して適当に反応を返す。買ってはいない、材料は買ったけどモノは作ったんだ。

「で、忍田さんに迅の誕生日教えたから半分ずつ金出してなんか買おうかなーとは思ってる」
「なに買うのさ」
「さあ……………なんだろうな」
「やっぱり分かんないよな」

そんなつもりで俺に迅の誕生日を教えたのか、と忍田本部長が呟いているのを聞きつつ、関わりの浅い俺だけじゃなく仲のいい慶ですら悩んでるっぽいのを知って少し安心する。いや、慶は元々そういうのに鈍感だから当たり前と言えば当たり前か。そんなことを考えていると、俺を見ていた忍田本部長が「そういえば」と切り出して言葉を続ける。

「急いでいるんじゃないのか?」
「俺ですか? いえ、そんなには」
「さっき腕時計を見ているようだったが」
「? ………ああ、いえ何でもないですよ。御気遣いありがとうございます」

忍田本部長の言葉に五線仆を眺めていた自分を思い出し、笑顔を携えてまた誤魔化す。見ていたのは右手首であって、右利きの俺は腕時計を左腕につけているから時刻を確認していた訳ではないんだけど、別にわざわざ言う必要もないことだろうと判断した。
そして当たり障りなく忍田本部長にへらへらと笑っているとそれを見た慶が驚いたような嫌そうな顔をして身を引き、忍田本部長の肩を叩いて言葉を吐いた。

「忍田さん、コイツすげえ猫被ってる。画像並に」
「画像? ああ、この前見せられたやつか」
「何時もはこの十倍くらいえげつないから」

そう言ってネタバレしながら俺を指差す慶に自分の米神がぴくり、と動いたのを感じつつ、画像と言われているものがもしかしてあの冬島さんにコラされたものではないかと予想してしまい思わず怯えを覚える。ここでそれの真意を聞いて本当にあの画像だったなら俺はもう二度と本部に来れないかもしれない、そんな危機感を察知した俺はわざとその単語をスルーすることを心のなかで決意した。俺は触れないぞ、本部にまだ来たいからな。

「猫被ってないと、忍田本部長に嫌われるだろ」
「え? 好かれたいのか? 忍田さんに?」
「そりゃそうだ、忍田本部長に好かれたいのは当たり前だ」
「当たり前田の?」
「クラッカー………ってなに言わせんだテメエ」

あ、出ちゃってる、俺の見せちゃいけないとこ出ちゃってる。
自分がニヤニヤとした慶の思惑に嵌まり、思わず何時ものような態度でノリ突っ込みをした自分にハッとし、『驚き』『戸惑い』『安心』など色々混雑している視線を向けてくる忍田本部長にこれ以上汚点を晒すわけにはいかない、と考え、防衛任務に向かうべく頭を思いきり下げる。

「じゃ、じゃあ防衛任務があるので失礼します」

ばっ、と勢いよく頭を下げたあと二人の返事を聞くことなく早足で廊下の曲がり角を曲がる。やっぱりあのセットの二人と話して良いことなんか無かったと後悔しつつ、それだけ時間が経った分、皮肉にも丁度いい時間帯に防衛任務へ就けるんじゃないかなあと思った。


               ◆◇


 防衛任務ということで最近説教を受けた二宮さんの顔を少し浮かべつつも今回は何事もなく終え、少し日が落ちかけている空を見上げてからボーダー本部への通路を潜る。ここから入るのが一番私室にちかいんだよなあ、なんて思いつつ最近迷わなくなったばかりの道順に沿って廊下を歩く。
携帯のメールを見るとどうやら防衛任務前に慶から『おまえ、目にクマ出来かけてたぞ』と一文のメールが来ていて、本部長の目の前でそれを言われなかったことに今更だけど感謝した。メールで一応感謝の返信を送りつけて取り敢えず見知った誰かにエンカウントすることなく私室にたどり着く。ふう、こわいこわい。
メールの差し出し主から連想して数時間前にあったことが脳裏に蘇りそうになるのを意地で阻止しつつ私室の中に入ろうとすると、元々部屋に置いてあったソファから誰かさんの足がはみ出てるのが見えた。他人の足元なんてそんなに見ないから何となくだけれど、それは何処かで見たことだけはある靴のような気がして首をかしげる。いやまあ、これで見覚えがなくて全く知らない人だったら恐怖なんだけどさ。
そして、もしかしたら寝ているのかもしれない、とここが俺の私室である筈なのに正体も分からない人物のために気を使って足音をたてないようにソロソロと近づいて上からソファを覗く。こちとら最近まともに寝てないのに。

「……………?」

え、なんで迅がここに居るんだろう。
ソファの端にある肘掛けを枕にし、自分のいつも着ている青いジャケットを掛け布団代わりにして目を閉じている人物の存在に首をかしげ思わず時間を確認すると、針があと三十分ほどで玉狛支部でやると聞いていた目の前の人物のための誕生会が始まる時刻を指していて、また俺は首をかしげる。トリマルくんが『迅さんにはサプライズはあんまり通用しないらしいので、誕生会の時間は伝えてあります』とか言ってたような……………でもまあとにかく、起こさなきゃ。ちなみにトリマルくんには、俺が行き当たりばったりな計画をたててることを話してある。
事務的にそう思った俺はソファの背の方から横向きに寝ている迅の頬をつねり、びよーんと伸ばす。うわ、ヨダレ垂れてる。

「起きろ、実力派エリート」
「、んあ?」

片方の頬と口が横に伸びたまま俺を見上げる迅の眠気眼に自分が映っているのを感じて思わず笑い、逆の頬に伝ったヨダレを服の袖で拭きながら上体を起こす迅から手を離す。ふあーあ、とからだをほぐしながら欠伸を放ってから「おはようさーん」と適当に言ってくる姿に何だか見覚えがあるけれど、そんなことより言わなきゃならないことがある俺は迅の名前を呼んで此方に振り向かせる。

「迅、たまこっ、……?」
「……………『た』から始まったから少し期待したんだけど、やっぱり難しいか」

玉狛支部に行かないのか、と聞こうとしたのにも関わらず、迅はソファの背凭れ越しに俺の口を手で塞いで訳の分からないことをポツリと呟いた。その迅の行動に意図が読めない俺は手を退けて話を聞こうとしたが、迅は純粋な視線で『ダメ』とだけ伝えてくるので俺は眉を寄せる。

「京介から聞き出したら名字が成り行きで会おうとなんかしてるって言われて、きっとそれじゃ今日中に会えないって分かってさ」
「、……………」
「ほら、それより先に言うことあったりしないのか?」

俺の口を片手で押さえたままニヤニヤと笑ってそう言う迅に、俺は迅が自ら言ったさっきの言葉を思い出して納得する。
そうか、そりゃそうだ。
今なら迅の意図をしっかり汲んだ自信のある俺は今度こそ迅の手を退け、その手を握ったまま俺を見上げる迅の瞳を見つめて口を開く。




「誕生日おめでとう、迅。生まれてきてくれてありがとうな」

一対一でこんなにも面と向かってこの言葉を放ったのは孤児院の人間以外では慶くらいなもんで、そのときも場所が孤児院でアキちゃんに半強制的に、しかも他の子供たちと同時に『せーの』で言わされたもんだから自主的ではなかった。生まれてきて嬉しいけどね?
けれど今はボーダー本部の一室で、一対一で、孤児院が関係なくて、強制的でもない。それが何を意味するのか分からないし分かってはいけないような気もするが、今はそんなことよりも俺の言葉を聞いた目の前の人間が少し誇らしげに笑ってるのが単純に嬉しい。そしてそれをしっかり受け取った迅は「うん、よし、」と一人で呟いたかと思うと自分のジャケットを羽織ながら立ち上がり、そのまま言葉を続ける。

「その言葉が聞きたくて待ってた」

へらりと笑って未来を視ていたように言い放った迅に俺は苦笑いしつつ、俺の居ぬ間に床に下ろされていたらしい自分のリュックを持ち上げて中に詰め込んでいたモノを引っ張り出す。今の言葉で迅が既に未来を視ていたらしいのは分かったし俺のせいで迅が誕生会に遅れそうになっているのも分かったけれど、これらを渡さないわけにはいかないので二通の手紙と、ぼんち揚、それと二枚の栞を入れた白の封筒を手に持つ。

「この手紙が幼稚園組、ぼんち揚が塁、この封筒が……………俺」
「おーおー、随分沢山あると思ったらそういうことか」
「? 全部視えてた訳じゃないのか?」
「おれのサイドエフェクトは万能じゃないって、前に言ったろ?」

そう言いつつ迅は俺の手からすべて受け取り、ぼんち揚の袋に書かれた塁の文字を見て微笑む。あー塁もこの顔を見たかったんだろうけど、アイツは部活だしな。恋より部活を優先するってのは、ホントに塁らしい。

「封筒の中身、見ていい? 良いよな、もうおれのだし」
「え、だ、ダメだって」
「と言われたら見るしかない」

邪魔する手が届かないようにと俺から一歩下がった迅はぼんち揚を脇に挟みつつ、俺が塁にもらった星のシールを剥がして封筒の中身を覗いた。やめてー、しょうもないから本人の目の前で見ないでー。

「……………栞? これ手作り?」
「っ悪いですかー? ちょっと恥ずかしいんであんまり出さないで下さーい」

改めて考えると男が男に押し花の栞を手作りして送るというのは相当キツイものがあることに恥ずかしさを覚え、少し驚いたように俺と栞を交互に見て黙りこむ迅を視界に入れるのすら恥ずかしくて思わず手で自分の目を隠す。迅から『ずるい』という視線が送られたけれど、俺の話を聞かずに見た迅がわるい。そういうことにしておく。

「これ、なんの花? わざわざ買ったのか?」
「買いましたよ買いました、花屋に行って押し花作りましたよ! 花の名前は、ペーパーカスケード!」

目を手で覆いながら目を瞑っているので結構な暗闇のなか自分の頬が熱くなっているのに気がつき、早く皆が待っているであろう玉狛支部に行ってくれないかなあなんて思いながら自棄になって言い放つ。

「……………」
「……………」

そして短い沈黙のあと、何もかもを諦めた俺がはあ、と息を吐いてから自主的目隠しを取ろうと手の力を緩めると、いきなり両方の手首を掴まれ、手を目隠しの状態に戻された。
なんかぼんち揚の袋がソファに落ちた音がしたような。
え? な、なに? と状況が分からず自分より温かい体温の手の感触を感じながら目を開くと、僅かな自分の指の隙間から俯いた迅の髪の毛が近くに見え、迅がソファに膝立ちしてまで俺の手を掴んでいることに少し驚く。だから視線を感じなかったのか。

「、迅さん?」
「あー、名字はずるい、反則技」
「ええ?」
「名字はいつ視ても心臓に悪いし現実に会ったって心臓に悪いし」
「、?」

小さな思い出。
俺が迅にあげた本に書いてあったペーパーカスケードの花言葉。誕生日に送るのにはおあつらえむきな花言葉だなあ、なんて思いつつ選んだ花だったけれど、迅の今の言葉は喜んでいるのか困っているのか分からない。きっとそれはサイドエフェクトが使えないからで、電話越しでなくてもこういうとき目の前の相手がどんなことを思っているのか分からないだなんて、人として少し笑える。

「嫌だった?」
「……………嫌いだった? って聞いて」
「? ……………嫌いだった?」
「好き」
「っよかった、よ」

そう言ってから暫く俯いて黙っていた迅は、一度長いため息を吐いてから俺の肩に自分の額を押し付ける。迅の髪の毛がそわそわと俺の肌に触れているからなのかその行為自体がなのか判断しずらいけれど、なんだか妙にくすぐったくて思わず迅の背中や頭を撫でたりしたい衝動に駆られた。手が掴まれてるから無理だけど。掴まれてなくても無理だけど。
するとなにも言わずに寄りかかっていた迅は「おれが良いって言うまで動かないで」と囁くと手を離すと近くにあったらしいぼんち揚の袋を拾ってそのまま俺から離れる。

「『人殺し』の噂の真偽とか、クラスメイトくんのこととか、全部未来に関係あることだから」
「、は?」
「だから、後悔しないようにしてほしい。そのためならおれも出来る限り手伝いたいって思ってる」

そう言って扉の方に向かっているらしい迅の足音に、俺は戸惑う。
何で今その未来の話を? というか今言ったこと、全部視てたのか? それとも、"たった今"それに関係する未来を視たってこと?

「ちょっ、迅」
「まだダメだからな、おれの誕生日なんだから言うこと聞けよ?」
「、お前こそズルいこと言うなよ………」

迅がどんな顔をしてそれを言っていたのか、さっきの言葉の意味はなんなのか、また前のように隠されるのか。そう思うと少し不安になって自分の手を退けたい気分になったけれど、今日の主役のために行動するのなら、このままでいるしかない。

「……………名字、」
「、なに?」
「ちゃんと信じてる。だからこそ、おれが言っちゃいけないことってあるだろ。言ったら未来が悪い方に変わるかもしれない」

私室の扉が開く音がすると同時に発せられた言葉に、俺は心を見透かされたのではないかと少し驚きながら「、わかったよ」と小さく答える。
そういえば前に、迅は自分のサイドエフェクトで視る未来では相手がどんなことを思っているかまでなんて分からないと言っていたっけ。でも今はちゃんと分かってくれてた。信じてるって言ってくれた。なんというか、それがとても嬉しい。人から信じられることも人を信じることも前までは怖かったのに、今はこんなにも心地がいい。迅だから? それは分からないけど、それを教えてくれたのは紛れもなく迅だ。

「ねえ、この手外していいか?」
「……………おー、」

僅かにしか見てとれなかった風景と明るさに目を瞬きながら慣れさせ、ぼんち揚と三つの封筒を持って扉の方でわざと視線を逸らしているらしい迅を細めた目で捉える。
言いたいことは沢山あるが、俺はそのことに触れることなくそのままソファの背凭れに座り、チラリと腕時計を確認してから手を振ってわざとらしい言葉を放つと迅は俺を見て呆れたように笑った。


「いってらしゃい、楽しんできな」
「……………子供扱いすんなよなー」


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