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 今日から倉須が学校に来た。クラスメイトは倉須の顔を見ては喜んだり驚いたりしていたけれど、俺が一切そちらを見ずに一言も声をかけない姿を見て異様な空気を察した人は多いらしく、俺や俺の斜め前に座る倉須を見ては勘くぐって心配そうにしていた。
その事に関して俺たちは口裏を合わせようとしたわけでもないのに「喧嘩してる、仲直りはしない」と同じように朗らかに笑いながら説明しているらしく、クラスメイトはあまり納得していなようで担任教師までもが不思議そうな顔で俺たちを見ていた。そりゃそうだ、喧嘩してて仲直りしないって言ってるわりに刺々しさはなく、寧ろ分かり合っている空気を醸し出しているんだから。でもきっとこの調子なら時間が経てばクラスメイトたちも馴れるんじゃないかなあと思うし、委員長もそんな俺を見て「まあ、春休み前よりは良くないけど、一週間前よりは遥かにマシな顔してる」と言っていたので、俺は漠然と、迅を裏切ってない未来に進んでいればいいなと願った。

そして倉須について一旦落ち着いた兆しが見えた学校生活を過ごしてからボーダー本部の私室で防衛任務までボーッと眠ることもせずに待機していると、哲次に電話で理由を告げられぬまま食堂へ呼び出されたので、俺はすごすご足を運んでいる。流石に食堂までの道はもう迷わない、多分。
そして、『人殺し』という視線以外は噂に関する視線が消えていることを指定されたボックス席に近づきながら情報処理する。そして、居ることを聞かされていない人物である鋼くんがボックス席から立って俺へ手を挙げたのを見つけてしまい、俺の方からじゃ電話をかけてきた人物は見えないが居ることが知らされていない人物が鋼くんともう一人……………影浦さんの時点であまり良い予感はしない。

「あー、鋼くんと影浦さん……………と哲次」

鋼くんと、珍しく俺の前にしては穏やかな影浦さんをちらりと見てから、問い詰めるべく反対のソファに腰をかけていたらしい哲次の顔を横から覗きこんで名前を呼ぶと、相変わらず換装体の帽子を深く被った哲次が「よお」とふてぶてしく返事を返してきたので俺は息を深く吐かざるを得なかった。なんなんだ、この慣れ方は。最初の頃の哲次はあんなに謙虚だったのに、ランク外対戦とか混成部隊での戦闘をやってから著しく俺への対応が酷い。敬語をやめても良いと言ったのは俺だけど、それにしても扱いがヘビーだ。別に仲良くなった証拠だからいいけども。

「よお、じゃないよ、何で呼んだんだよ」
「まあ座れよ」
「え? あ、うん」

これから防衛任務あるんだけどなあ、とか思いつつも眠たくて反論する気も失せたが、同じ時刻から鈴鳴第一の来馬隊も違う支部の防衛任務にあてられていることを思い出したので少し安心する。遅刻は多分しないだろ。
ぽんぽん、と自分の隣の空いたスペースを叩いて座るように促してくる哲次に従いつつサイドエフェクトを何回か意識して、何故この異様な場に自分が呼ばれたのかを察した。しょうもなさすぎて笑えるわ。

「そんなん俺じゃなくていいじゃんかー、何でわざわざ呼んだんだよー」
「流石だな、もう読み取ったのか」
「わざと読み取らせたくせによく言う」

周りの視線は好奇と嫌悪の視線ばっかりだし、多分目の前の鋼くんは『遅刻はしなくて済むな』とか俺と同じこと考えてるし、多分影浦さんに至っては俺がサイドエフェクトで探りを入れたことに対してイラついてるし、一人だけが俺を試すように『"暇潰しにトランプしようぜ"』なんて本題の視線を向けてきていたから解らない筈がない。というより、何故トランプ!

「トランプに俺必要なくね?」
「ババ抜きやるんだから必要だろ、サイドエフェクト試すのに」
「試すな試すなー、理系かコラー」
「それに、カゲもいるから色々面白そうだろ」

哲次は不躾にそう言ってトランプを取り出したかと思うと、おもむろにシャッフルしだした。いや、俺は別にサイドエフェクトを使われようが試されようが暴走しない限り構わないけど、影浦さんは何でその話を聞いて怒らないんだろうか。

「あ? てめーのサイドエフェクト暴けて、飯も奢って貰えるなら逆にラッキーだろ」
「まだ何も言ってない……………てか、え? 哲次、俺には奢ってくれないのかな」
「うわ、後輩にタカる気かよあんた」
「うん」
「謎の速答されても困るっつーの、まあ、いいけど」
「よし、なら俺も快くトランプやるかー」

等価交換が成立したことに対してうんうん、と一人で頷いていると、目の前の鋼くんは隣の影浦さんに「知り合いだったのか」とか聞いているようで、俺に視線を向けていない。影浦さんはめっちゃ見てくるけど。
そして黙々と一人でトランプをシャッフルしていた哲次は何も言わずに四人分に山分けし、多分二枚目のジョーカーだと思われる一枚を箱に仕舞った。あー、マジでトランプするためだけに呼ばれたっぽいな。三人に次いで与えられた山を手にとって手札を見ると、まあ、最初からジョーカーを持っているという悲劇は起こらかった。

「これ、負けたらどうなんの」
「特に決めてなかったな、そう言うなら罰ゲームでも執行するか」
「名字先輩、……」
「あ、ごめん」

そう肩を落とすのは鋼くんだけで、影浦さんと俺はわりと自信があるのであまり罰ゲームについて深く考えていない。そして俺の言葉から罰ゲームを提唱した哲次は『負けたら秘密暴露』とアバウトでメジャーな罰ゲームを設けてきたので、特に異論がない俺達は順当に揃った二枚のカードを捨てて手札を減らして手持ちをそれぞれ影浦さんが三枚、鋼くんも三枚、哲次が四枚、俺が三枚、と結果比較的少ない枚数になった。そして引く順番は影浦さん、俺、鋼くん、哲次となり、つまるところ俺は影浦さんに引かれる役らしいな。

「名前とカゲは普通にサイドエフェクト使っていいぜ」
「言われなくてもそうするっつーの」
「まあ、意識して使えなくできるもんじゃないしな」
「面白いの期待してる」
「チッ、鋼までそういうスタンスかよ」

はーあ、推理ゲームか何かかよ。ババ抜きってそんなんだっけ?
俺の手持ちのカードはクローバー3、ハートA、ハート5の三枚、他の人のカードは当たり前だけれど分からないが、誰も俺と視線を合わせようとしていないところを見るとサイドエフェクトから逃れようとしてるのは見え見えだった。俺のサイドエフェクトについてどこまで噂が広がっているのか知らないが、この三人には俺が直々にサイドエフェクトの有無を言っているし大まかな概要も知っているのだろう。
だったら、構わず『他人から他人への視線』も読み取らせてもらうかな。

「よし、どうぞ」

ずいっと隣の哲次から見られないように三枚のカードを伏せて斜め前の影浦さんに差し出すと、影浦さんは特に何のためらいもなく右端のカードを引き抜く。そりゃそうだ、俺にはジョーカーがないから緊張感を持つ必要がないし、それを感じ取った影浦さんが飄々と引き抜くのに何の問題も生まれない。大して面白いことが起こらなかったやり取りをしつつ、影浦さんは手持ちのカードからスペード5と俺から引いたハート5を場に出して隣の鋼くんへ二枚のカードを提示した。ふむ、幸先がいいな。

「この勝負、早めに終わりそうだな」
「そうかもしれませんね」

俺の言葉に相槌を入れた鋼くんは影浦さんから一枚引き抜き、そのまま哲次へ手札伏せてを差し出す。揃ったものがなかったらしい。すると、サイドエフェクトをずっと意識していたからか、哲次らしき視線が『まあ、どうせわかんねえしな』という視線を鋼くんに向けているのが感じ取れたっぽいが、その哲次は鋼くんから引き抜いたばかりのスペード9と予め手札にあったらしいダイヤ9を場に放ってから、残りの三枚を俺に突き付けてくる。
そして俺がその三枚の手札から普通に引こうかなと手を伸ばすと、哲次が物凄く目を合わせてきていることを意外に思ったのでサイドエフェクトを意識する。外野からの好奇の視線の他に、なんというかストレートに『一番右取れ』と懇願する視線が読み取れ、俺は面倒なやつだなあと苦笑いを溢す。
てか、おかしくね? 俺の気のせいだったか?

「なにしてんだ名前、早く抜けよ」
「まあ待てよ哲次、」

本当は普通に真ん中のカードを引き抜こうかと思っていたんだけどなあ、と思いつつ、その最初に思った通り真ん中のカードを引いてそのカードの表を見る。ハートQ、いらねえ。あのまま右端の引いたらどうなっていたのか、なんて思い返しながら今もらったカードを手札に納める。そして自分の手札がになったところで一巡が終了し、そのまま二巡目に入った。

「なあおい、お前ジョーカー持ってんのかよ」
「え? 持ってないよ?」
「……………あっそ」

それもう答え合わせみたいなもんじゃないのかよ、なんて思いつつ罰ゲームが嫌なら仕方ないだろうと俺の手札であるクローバー3、ハートA、ハートQの三枚を絵柄を下にしながら差し出す。てか、影浦さんもう一枚か。俺の手札からカードを引き抜く時に少し指先が触れたかと思うとカードの表を見た影浦さんは舌打ちし、そのまま鋼くんへ手札を向ける。まあそうそう一発で抜けられても困るが。
減っていたハートQに気をとられていると、鋼くんは今引いたらしいスペード2とハート2を場に捨てて、机に頬杖をつきながらもう片方の手で伏せた二枚のカードを哲次に差し出した。
おうおう、一巡目からそうだったけど、えらいわかりやすく鋼くんから哲次へ『右を引け』という視線を向けているということは、右がジョーカーか? てかやっぱりおかしいな、哲次も俺に引いてほしいカードがあったはずだろ? あれはジョーカーじゃないただのミスリードか? まあ、右側を引いてくれたら答えがわかるんだけど。
このサイドエフェクトがあるからこその混乱を抱いて首をかしげ、俺ばっかり悩んでいるのもあれなのでわざと影浦さんにも疑問の感情を抱いておく。あ、睨まれた。そして哲次は惜しくも左側を引き抜き、そのままなにもせずに三枚の手札を俺につきだしてくる。

『おら、真ん中抜けよ』

「……………なんなの」

鋼くんの持ってる一枚がジョーカーなのか、哲次が持っている真ん中がジョーカーなのか、このまま両端のどちからかを抜いても俺にはいいんだけれど、さっきから向けられるこの『期待』の視線にそろそろ居たたまれなくなってきた俺は仕方なく、一つ年下の哲次に対して大人になり、本当に仕方なくその真ん中のカードを引いて表を見る。

「……………はい、影浦さん」

くっそ、ジョーカーじゃねえか!!!!
机の下で哲次の足を爪先で軽く蹴りながら影浦さんに三枚のままの手札を伏せて差し出し、結局哲次の方がジョーカーだったことを身をもって知る。隣をちらりと見ると少し嬉しそうな視線を向けられた、なんなの。てか、鋼くんのその一枚が逆になんなの。なんて思っていると知らぬ間に三巡目、影浦さんが俺のカードを引き抜いた。

「……………ほらよ」

そしてなに食わぬ顔で鋼くんに手札を差し出したので、どうせ俺から抜いたのはハートAかクローバー3だろと見当をつけて手札を見ると、あらまあ不思議、今哲次から引いたばかりのジョーカーがありませんではないか。
やったな、いろんな意味で、と思っていると鋼くんが影浦さんの二枚の手札から一枚引いて、普通に哲次に回す。そしてその間影浦さんからすごい視線を送られてくるが、ジョーカーの確認をしなかったそっちが悪いんじゃ……てかこういうゲームじゃん……と、気がつかないふりをしてわざと窓の外に視線を逸らしてみる。すると、いつのまにか哲次が今鋼くんから引き抜いたハートQと持っていたクローバーQを場に捨てて、必然的に最後の一枚になった手札をわざとらしく「ほらよ」と勝ち誇った顔で俺の頬に押し付けてきた。

「うわあ、一抜けかよ」
「荒船は一番手札多かったのにな」
「日頃の俺の行いが幸を為したんじゃねえか?」
「うぜえー」
「うざー」
「おいそこの評判悪い二人うるせえぞ」

嫌々頬に押し付けられたカード手札に納め、そのスペード3が持っていたクローバー3と被ったので場に放ると、哲次があまりにも的確な言葉で俺と影浦さんを表してきた。まあ、間違ってはいない。影浦さんのことは一応噂で聞いているし、否応でもサイドエフェクトを持っていると影浦さんに対する周りの目はわかる。そんなことを考えつつもどうせ俺もこれであがれるしー、と自分の手札である最後の一枚になったハートAを影浦さんに渡そうとすると、鋼くんが「あっ」と声をあげて食堂の時計を見る。

「悪い、オレ防衛任務前にミーティングあったの忘れてた」
「何時からだ」
「三分後」
「おいおい、やべえだろ」

立ち上がって少しオロオロとし出した鋼くんに俺は珍しさを覚えつつ、来馬は絶対怒らないんだろうけど鋼くんの性格的には今すぐにでもミーティング場所に戻りたいんだろうなあと察し、取り敢えず鋼くんのカードを手から引き抜く。

「これは俺が使っておくから、行ってきな」
「、え、でもそれ」
「……………まあ、いいからいいから」
「……………そうだな、その方が面白くなるから行っていいぞ鋼」
「わかった、悪い」

ちらりと鋼くんから引き抜いたカードを見た俺と哲次は色々察したが、取り敢えず遅刻したら不味いのでなにも言わずに走り去る鋼くんを見送った。

「さてと、再開するか」

そう言って楽しそうに腕を組む哲次に俺はもう一度手札を覗き、ハートAではないほうのもう一枚、つまるところジョーカーのカードを見つめる。
いや、何でこれがここにある? 俺が窓の外を見てるときにでも何か細工をしたか? いやでも其処までして勝とうとする意味がわからん。それに、細工をするならあのタイミングじゃおかしいし、鋼くんがやたら引かせたがっていたカードがコレならば納得がいく。え? ということはつまり、そういうことだよな。だったらこの状況の可笑しさに影浦さんも気がつくだろう。

「俺が影浦さんに引いてもらえばいいんだよな、これ」
「そうなるな」
「オラ、早くだして終わらせろ」

そう言ってめんどくさそうに机に乗り出してくる目の前の影浦さんに俺は右にジョーカー、左にハートAの二枚のカードを差し出しつつ、わざと目を合わせて「慎重になった方がいいですよ」と助言しておく。それに対して少し警戒をし出した影浦さんは眉を寄せ、俺から見て右のカード、つまりジョーカーを引こうとするので、俺は正直な感情を影浦さんにぶつける。

『……………これを引いて欲しくねえのか、つか、あ? なんか変だな』

俺の感情を素直に受け取ったらしい影浦さんの視線に心のなかで頷きながら引くなー気がつくなー、と念じていると、当の影浦さんは何かが可笑しいことに気がつきつつも、負けず嫌いな性格が見え隠れしている素直なところが仇となって答えを出せずにいるらしかった。そして俺は、疑問解消より勝敗へと揺れる影浦さんの指の動きに視線を返す。気が付くなー気が付くなー。

すると、影浦さんは結局その違和感を突き止める前に、そのまま俺の手札の右のカードを引いた。よっしゃ。






「、……………あ? 待て、なんだこれ」

ばしっ、と俺の手札から引き抜いたシンプルな絵柄をしたカード……………つまりハートAのカードを見て動揺した隙を狙い、俺は影浦さんの手札からもう一枚のカードを引き抜く。

「はい上がりー」
「、おいテメっ、オイ!」
「やっぱり名前が勝ったか」

戸惑っている影浦さんの声を耳に入れつつ俺は手元にある"二枚のジョーカー"をぺらり、と机の上に広げ、隣の哲次の声に便乗してどや顔をする。その俺の表情に腹が立つのか影浦さんは熱くなって机に乗り出すと俺の胸ぐらをつかんでユサユサと揺らしてくるので俺は笑いながら「まあまあ」と宥めておくが、自分もこの仕組みに気がついたのは今さっきなのであまりバカにはできない。
つまりこれはババ抜きではなくジジ抜きと呼ばれる類いのもので、ジョーカーが要になるゲームではなく、要になるものが何か分からないゲームであった。そして今回の、それが俺の手元に最初からあったハートAだったってこと。哲次がゲームの途中で『まあ、どうせわかんねえしな』という視線をしたのは、今のジョーカーがババ抜きのジョーカーとは違う存在意義を果たしていると知っていたからだろう。
それを説明せずとも現物を見て察したらしい影浦さんは、俺の胸ぐらを掴みながら舌打ちをしてジョーカーの絵柄を睨む。こわっ。てか近い。

「名前が二枚持ってて、カゲがジョーカー持ってるって状態でゲーム続行されたことに疑問もてよ」
「まあ、自分がジョーカー持ってるときに相手の二枚の絵柄が揃ってないというのは、ババ抜きとしては成り立たないからな」

哲次がトランプの箱からスペードAのカードを取り出しながらバカにしたように言い、影浦さんは俺の胸ぐらを掴んだまま哲次に「、おかしいのはわかってたっつーの!」と反論する。そして乱暴に俺から手を離してソファの背凭れに体重をかけると、後頭部をわざと背凭れにぶつけて舌打ち気味に「うぜー」と小さく声を漏らした。確かに影浦さんはあの状況に違和感を感じてはいたけど、早くゲームを終わらせたいという気持ちと俺の視線の煽りに負けたくなかったから、勝敗の決着を急いでしまったのだろう。

「ってかさ、俺と影浦さんだけじゃなくて、鋼くんもジジ抜きだって知らなかっただろ」
「まあ、俺が配るときに思い付いたからな」
「やっぱりなー」
「何でそう思った?」
「んー……鋼くんは一巡のときから、哲次が鋼くんのカード引こうとする度に引いて欲しそうなカードがあったからさ。ジジ抜きって知ってたらそんなん考えないだろ、何が持ってたらいけないカードか分かんないわけだし」
「おおー、すげえサイドエフェクト有効に使ってるじゃねえか」
「いやでも、哲次も最初からジョーカー持ってたんだろ? 俺にめっちゃ引いて欲しそうなカードあったし」
「あったあった、お前とカゲにジョーカー絡めねえとつまんないからな」


つまるつまらないの問題なのか。


「鋼くんも哲次も引いて欲しそうなカードあるからマジで意味わからんかったから、俺だけ悩んでるのが嫌で影浦さんも巻き込んだ」
「あ? あー、あれか、あの意味わかんねえタイミングの感情」
「多分、それですね」
「そっから名前がジョーカー引いて?」
「そのあと、影浦さんが直ぐにそのジョーカー引いた」
「……………そういう流れで来たのかあのうぜえジョーカー」


そのあとの流れはそのままで、つまりこれは哲次に仕組まれた巧妙なゲームだったということだ。


「っつーことで、カゲは秘密暴露だな」
「おお、影浦さんの秘密かー」
「ねえっつーの!!」

背凭れに持たれかけていた頭をあげて俺と哲次を見る影浦さんの視線から意外と腹をくくったようなものが読み取れ、このジョーカーの渡って来る順番で勝敗が決まったと言っても過言じゃないジジ抜き(推理ゲーム)の結果には文句を言わないらしい影浦さんの男らしさに少し胸をうたれた。目付きと口は悪いけどそれは素直さから来るものなんだなあ、なんてサイドエフェクトがあってこそ知れた影浦さんの印象に少し親近感を湧かせる。

「よしじゃあ、カゲお前名前になんか奢れ」
「はあ? ……意味わかんねーし、奢んのはテメーだろ」
「秘密暴露しないっつーなら、その代償に名前に奢って、俺にはお前の分の奢りはチャラにしろ」
「オイオイ、俺がここにいた意味無くなったじゃねえかこの野郎。つーか、オメーがコイツに奢るのは無くなった訳じゃねえだろうな?」
「それは分かってるっつーの」

口の悪い者同士、影浦さんは俺をコイツと称しながら会話を進め、哲次はトランプを箱に仕舞いながら会話に付き合う。そして俺はその会話を聞きながら腕時計で防衛任務までの時間を確認してあくびを漏らす。まだまだ時間あるな、私室で寝たいけど起きれる自信はない。

「………あーハイハイ飯奢ればいいんだろ奢れば!」
「因みに鋼の分はいいぞ、いらねえ」
「たりめーだろボケ、あんな終わりかたの奴に払うかよ」
「罰ゲームは『負けた奴』って話だからな、秘密暴露が変更になっただけで勝った人間は俺と名前だから対象は勝った奴だけでいいだろ」

なんかほんとに急激に眠いな、結構大人数の場所でサイドエフェクトを何度も使ったからだろうか。でも前に暴走したときは眠いなんて感じる余裕すらなかったし、まだ無意識状態と意識状態の情報が合体されてないからマシな方だとは思う。それに、俺と影浦さんと哲次がこの場に居ることに周りも慣れてきたのか、あまり突飛な視線を向けられることは少なくなっているし。

「……………つかオイ、てめー聞いてんのか」
「あー聞いてる聞いてる、ちょっと、うん、えっと……影浦さんが奢ってくれる?」
「……………お前大丈夫か?」
「お? 大丈夫だよ哲次、ちょっとだけ眠くなってきただけ。因みに俺さ、鋼くんから影浦さんの家がお好み焼き屋だって聞いてるから、ちょっとそれを期待してる」

大丈夫なのは本当なので、取り敢えず眠気を払うために背筋を伸ばし、自分から話を展開させていく。そもそもここ最近何週間か色々な問題があって不安で上手く寝れなかったからそのせいでもあるだろうけど、今日は倉須が学校にキチンと来てくれてホッとしたから少しは楽に寝られるかな。そして哲次はそんな俺に首をかしげてから話の内容に食いついたのか、机に肘を置きながら俺を見て「おお、いいな」と口を開いた。

「何勝手に話してんだアイツ……つか、金落とさねえ奴に焼きたくねえ」
「えっ、影浦さんが焼いてくれるんですか? それは楽しみ」
「、話聞い」
「流石お好み焼き屋の次男坊だなあ?」
「…………荒船テメー、お前は金落とせよ」
「わーってるってーの! しつけーな!」

言葉を哲次が遮ってきたことに対して舌打ち気味に忠告する影浦さんと乱暴で声量のでかい声をあげた哲次に俺は苦笑いしつつ、本格的に眠気が襲いかかってきた事実に少し焦る。やべえほんのちょっとサイドエフェクトで頭使っただけで……………あれ、そういえば今日何時間寝れたんだっけ。昨日は何時間だっけ。

「あっと、取り敢えずさ、俺部屋行くわ、なんかヤバイ気がする」

このままだとこの眠気が最高潮に達したとき倒れるんじゃないかと思えてきた俺は、心配……………するかどうか分からないけれど、一応心配をかけないように二人の言葉を聞く前に立ち上がり、手を振ってこの場から離れようとするが『違和感』の視線を向けてくる哲次が俺の腕を掴んで座らせようとしてきた。

「、おい? 名前お前、フラフラしてんぞ」
「それはなんか、眠いからねー、ちょい防衛任務まで寝るわ」
「………また寝れてないのか?」
「え? ……………ああ、東さんとか諏訪さんとやったときも俺こんなんだったっけ、大丈夫大丈夫、」

冗談抜きで眠いな、眠いっていうか、なんかサイドエフェクト意識するだけで一気に眠くなるほど俺はギリギリだったということか。てか、最近のサイドエフェクトの調子が無駄に良かったのは、疲れすぎで頭の何とかこんとかっていう物質が多いんだか少ないんだかで枷が外れてしまっていたのからか。風間さんとの時よりはマシっていうより、そのときの状態の前兆が出てるってことか。なるほど。

「じゃ、お先ー、二人ともいつか奢ってなー」

やんわりと哲次の手から逃れ、取り敢えず頭は回っているらしいから多少視界が霞むのは仕方ないとして足取りだけはしっかりしようと体に力をこめて歩いていると、逆になんだか上手く歩けなくて笑いそうになる。いや、こんな人通りの多いところで今笑ったら視線が増えてヤバイだろ。
サイドエフェクトの使いすぎで暴走しかけているんじゃなく、これは俺の睡眠不足からサイドエフェクトが暴走しかけているから、少し視線の無いところで安静にすれば多分イケると思う。頭の疲労が溜まればサイドエフェクトは暴走するんだから、そういうことだろ。前だってそうだった。
でも俺はこれから防衛任務があるから取り敢えず換装だけして眠気を払って、防衛任務終わってから私室で少し寝ればきっと大丈夫。孤児院に帰るときには何事もなかったかのように振る舞えるはずだ。
なんてボーッと考えてエレベーター前に立っていると、不意に後ろから肩を叩かれ、無駄に力の入っている俺はびくっと肩を揺らす。あ、知らんうちに新たな視線が向けられていたのか。





「こんにちは、名字さん」
「……………あ、ああ佐藤さん」

上にのぼるためのボタンを押しながら俺に声をかけた佐藤さんに「やべ、ボタン押すの忘れてた」とか頭の片隅で考えながら、脳みその大部分が目の前の人物に警報を鳴らしていることに気がつく。だからといってそれを悟らせるのは俺の思うところではないので、心落ち着かせるために小さく息を吐いてからいつもの調子を取り繕う。俺めっちゃ冷静。

「直接お話しするのは久しぶりですね」
「そうですね、同じ本部に居ても会わないですし、」
「電話の件はありがとうございました」
「電話……ああ、はい、どうでした?」

なんというか、俺はこんな状態でも本当に取り繕わなければならない人間の前ではそれなりに取り繕える類いの奴らしく、嘘で塗り固めている人生の賜物かなあなんて思った。

「あれから新斗とは話し合いまして、どうやら『反抗期ですので』ということでしたが、どうも具体的なことがはっきりせず……取り敢えずはネットカフェには何も口を出さずに食生活だけ直すように言いつけました」
「……………なるほど、俺について何か言ってました?」
「いえ……舌打ちはしていましたけど、それは私が諫めておきました。私が個人的に頼んだから名字さんも言わざるを得なかったんだ、とも言っておきましたが大丈夫でしょうか?」
「、充分過ぎるくらいですよ」

食生活が改善されるっぽい新斗さんのことを思いながら、目の前に着いたエレベーターから人が降りてくるのを待って佐藤さんの言葉に返事をする。
新斗さんのことをあまりよく知らないから、これを機に『名字くんに親父の件を話した』とか佐藤さんにバラされても仕方ないと思っていたのに、結構本当に俺の味方についてくれているのか、はたまた思うところがあるのか、新斗さんはまだ佐藤さんに話していないようだった。つまるところ、あの件について動きがあるのは俺と新斗さんのみ、ということでいいんだろうか。うーん、眠い。
全員エレベーターから降りたのを目視してからエレベーターに乗り込み、開くボタンを押しながら佐藤さんが乗るのを見て、他に誰も乗ろうとしている人が居ないのを確認してエレベーターを閉める。階数ボタンを押す佐藤さんの次に俺も階数ボタンを押すと、エレベーターが動き始めた。俺より早く降りるのか。

「心配ですもんね、」
「? はい」
「新斗さんって、弟ですもんね」
「は、はい」
「どんな弟ですか?」
「どんな………手のかからない子で、年が少し離れているのもあって可愛い弟です。新斗のほうは私たちをどう思ってるかはわかりませんがね」
「そうですか、」

ここでそれのネタばらしをするつもりはないし、俺だって出会ったばかりの新斗さんや佐藤さんたちのすべてを知っているわけでもないので、俺のとなりで階数表示を見つめている佐藤さんの視線がどうか柔らかいものであってほしいなと願うしかなかった。

「……………」
「……………」

この狭い空間で親の敵だと思っている人間と二人きり、それってどんな気分なんだろうか……………なんて沈黙のなか思っていると、いきなりガコンッッ! とエレベーターの上の方から変な音が響く。

え?








「、 っうわ、」
「なっ、っい!」

エレベーター内を照らしていた電気が消えて視界が一瞬で暗くなったかと思えば、また大きな音をたててエレベーターが急に止まり、その揺れで俺は壁の何かの角に頭の側頭部を打ち付けてしまった。

「〜〜っいってえ!」

その右の頭部に与えられた強烈な痛みにかがんで耐えてから今の状況を判断しようと五感を研ぎ澄ませたが、いつも聞こえるモーター音も照明も機能していないらしく分かるのは呼吸音の方向で隣で佐藤さんが床に倒れていることと、エレベーターが動いていないことだけだった。てかこの痛さ、尋常じゃない。

「っ………大丈夫ですか、佐藤さん」

取り敢えず痛みのピークが過ぎ去ってからかがんだまま手探りで佐藤さんの肩らしきものに触れて声をかけたが、何故か反応が無かった。



は?



その事実に焦りを感じた俺は床に膝をついて暗闇のなか手探りで佐藤さんに触れ、くの字になって倒れているらしいことを確認しつつ佐藤さんの頭部に触れる。

「……………濡れてる?」

すると触れた手に水よりは粘着性のある温い液体が付着し、その知っている感触を感じた瞬間近くから鉄臭い、嗅いだことのある匂いが漂っているのに気がつく。
急に酷い頭痛がしてきた。
けれどそんなことよりこの状況をどうにかしなければならない俺は、エレベーターの側面についているボタンのパネルから電話のマークの光っている非常ボタンを押してから、あまり新斗さんの頭を動かさないようにしつつ暗闇のなか手探りで新斗さんの腕を腕枕の要領にして気道を確保して舌根沈下が起きないようにしておく。するとエレベーター管理会社なのかボーダー本部なのか分からないが何処かへ繋がったらしい回線から、電話のような状態で声が聞こえてきた。よかった、電気は通ってる。

『此方はボーダー本部です、事故ですか? 救急ですか?』
「……どっちもです、エレベーターが止まっていて、その際に怪我人が」
『わかりました。只今他の幾つかのエレベーターも同じく停止しておりますので、復旧か救助を待っていただく形になりますが、』
「………怪我人の状態が暗くて判断出来ませんし知識もありません、出来るだけ早く来てください」
『怪我人はどのような状態ですか?』
「分かるのは……多分エレベーターにある手刷りに頭をぶつけたのか後頭部から血が出ています、気道の確保のみしています」
『はい。出来るだけ頭を動かさず、タオルか何かあれば傷口を押さえるくらいの止血をお願いします』
「、わかりました」

ボーダー本部なら多分すぐに対応してくれるだろうと踏んだ俺は頭痛が酷くなりつつある自分に疑問を持ちながらも手ぶらで来たことを後悔し、制服のブレザーを脱いでソレを佐藤さんの後頭部に当てておく。暗さに目が慣れてきて近くにいる佐藤さんの表情が見え、いつも優しく笑っている顔が目を瞑っていて何だか妙に辛くなった。
俺と居るときの佐藤さんは優しいけれどそれが偽りの佐藤さんだと知っていて、俺を親の敵だと濡れ衣をかけているけれどだからって見捨てる理由にはならない。けれど、佐藤さんから見たら、親の敵に助けられている自分というこの状況は嫌なんだろうな。

「まあ、それも別に見捨てる理由にはならないけど」

忍田本部長の前で話したときにはフラッシュバックしたのに床で倒れる佐藤さんや血の匂いであの日のことをフラッシュバックしないのはよくわからないけど、あの頃よりは少し成長したのかな、なんて四ヶ月前のことを思う。すると何だか変に落ち着いてきたのか眠気が再来してきて、こんな状況だというのに本能が眠ってしまいたいと訴え始めた。

「、俺の頭に佐藤さんの血ついたか?」

今眠ったら佐藤さんの傷口を押さえられないし救助が来たときこの状況を説明できる人が居なくなるだろ、なんて思いながら瞬きしながら頭痛の酷い頭を押さえていると、ぬるりとした感触が俺の米神辺りにも付着しているのが分かった。あーまあ取り敢えず今の時刻が何時ごろなのか分からないが、さっき見たとき防衛任務まで一時間はあったからあれから十分経ったとしても防衛任務には間に合うか。でも、ここで眠気を飛ばすのに五線仆に換装したとして、他のC級に見られたら………いやそんなこと言ってられないよな。

「五線仆起動」

自分の姿が制服の姿からいつもの格好になったのを暗闇で感じつつ、換装体で生身の人に触れるのが怖いのでトリオン糸を出して佐藤さんの頭と制服を一つに結んで傷口を塞いでおく。俺が換装を外さないと糸は消えないけど、結んでいるだけだから俺以外の人でもほどけばすぐに取り外せるだろう。

「……………エレベーター、下手に壊したらヤバイだろうな」

上昇している途中で止まったから扉を壊したところで目の前に道がある確証もないし、救助が来たとき困るだろうし、なんて考えながら眠気が無くなって気持ち身軽になった身体で立ち上がり、非常ボタンの明かりを見つめて早くこの場から脱出したい気持ちを抑える。
眠いからこそ逆に冷静になれてよかった、早く出て、佐藤さんを安全なところへ移動させないと。




約十分後。
上から何か音がしたかと思えばエレベーターの上に何人かが着地した音が響き、天井の小さな扉が開いた。そこから顔を覗かせた人物が「大丈夫ですか!」と声をあげて懐中電灯をこの暗闇の空間に当てたので、俺は上を見上げながら「怪我人が一人います、」とだけ返して佐藤さんの脈をはかる。よくわからないけど、死んでない。

「わかりました、先に怪我人の方を運び出しますね」
「……………えっと、この上に行けばいいんですか?」
「? はい」

頭に懐中電灯をつけたヘルメットを被った一人がエレベーターの中に降りてきてそう言うので、俺はその人が手に持ったロープのようなものを見つつ「手伝いますね」とだけ述べ、指からグールを生成させる。するとそれを見た救助の方が暗闇のなか驚いたように一歩下がったので「ボーダーの技術ですよ」と安心させる嘘を吐き、グールで佐藤さんをぐるぐる巻きにしてから跳んでエレベーターの上にのぼる。おっと、エレベーターの上にもう一人居たのか。この人も視線で驚いているのがわかる。

「このまま引き上げますね」
「っ、は、はい!」

エレベーターの中で返事をした救助の方の声を聞いてから空中展開できるグールを操り、佐藤さんを揺らさないように縦にしてエレベーターの外へ出してからそのまま上に見える出口の方へ光を頼りに押し上げようとしたがちょっと目的地が見えないまま佐藤さんだけを送るのは気が引けたので、その出口の少し上にトリオン糸を一本張って軸を作り、そこに佐藤さんを繋いでるのとは逆の手でイルーをつっくけ、巻き取り機能で上へ上昇する。
久々に明るい場所が視界に広がって上手く見えないが、取り敢えずイルーでぶら下がったまま出口の向こうにいる何人かの救助の方へぐるぐる巻きの佐藤さんを引き渡す。明るい、世界が明るい。
俺の姿にすごく驚いている救助の方たち、多分ボーダー本部にある医務室みたいなところの方とそれ以上に驚いているエレベーターの管理会社っぽい方、また何人かの野次馬の視線を受けながらイルーを消し、軸のトリオン糸を取り出した短刀で切る。ほら、エレベーター復旧したとき邪魔じゃん?

「早く医務室へ行ってください」

鬱陶しい視線を無視しながらグールを外して救助の方々にそう言うと、救助の方二人が慌てて佐藤さんを担架に乗せて医務室へ向かっていった。その後ろ姿を見てからそのまま防衛任務に行こうと視線を廊下の先に向けたそのとき、野次馬の中に見知った顔があって思わず「あ、」と声をあげる。あっちも俺に気がついてるようだったから近づこうかとも思ったが、一人の救助の方が俺に声をかけてきた。

「あの、一応異常がないか今から検診していただくことになってるのですが」
「え? ああ、えっと、防衛任務が終わったらでいいですか?」
「あ、いや、」
「? 直ぐには無理です、防衛任務まで時間がありませんし、終わり次第必ず行きますから」
「こ、困ります。こちらとしては未成年を扱っている以上、そこら辺は厳しくさせていただいてるので」
「それは分かりますけど……………」

そんなこと言われてもなあ、と思いつつ短刀をショルダーに仕舞いながらこの状況から脱する方法を考えていたそのとき、周りの野次馬の中から現れたソイツが「まあまあ」とヘラヘラ笑いながら近づいてきて俺の肩に手を回した。

「緊急時だし、その防衛任務はおれが代わってやるよ」
「……………迅」

同じ背丈の奴が肩を組んでくるとやけに顔が近いな、と今さら距離感なんて考えてしまうが、ソイツ……………つまり、迅の視線から『申し訳ない』と読み取れたことに眉を寄せてサイドエフェクトを意識する。

『気づいてたのに、遅くて回避できなかった』

お前馬鹿か? ふざけんなよ? ほんとにいい加減にしろ、と言いたいところをぐっと抑え「必要ないから」と突っぱねてここから離れようとしたが、迅はそれを知っていたように俺の腕を掴んでヘラリと笑う。

「じゃあ、賭けをしよう」
「いやだ」
「そう言わずに」
「……………なにさ」
「名字が今ここで換装を解いて、防衛任務に行けたらおれはなにも言わずにここを通す」
「、出来なかったら?」
「まあ、医務室行きだな」

迅の言っていることは分かる、換装を解いて眠気に負けなければ良いってことだろ。佐藤さんはもう運ばれたから換装を解いて傷口を塞いでいるトリオン糸を消しても余裕、だよな? それに歩けないほど眠気に負けるってないだろ。

「分かった」
「お、じゃあ換装解けよ」

呆れたような顔で相変わらず申し訳ないという視線を向けてくる迅から離れたまま換装を解こうとすると、迅が一歩近づいてきたので少し疑問を持ったが、特に支障はないのでそのまま何も言わずに換装を解く。





「ほら、なんともなっ、?」

換装を解いてワイシャツ姿に戻ったことを感覚で理解し、目の前の迅に手を広げて見せようとしたが、ふらっと身体が傾いて再び激しい頭痛に襲われる。

『体調大丈夫なのかな』『早く医務室に連れていかないと』『すげえ、さっきの格好なんだ?』『エレベーターに閉じ込められるとか無理すぎ』『え、血出てる!』『あ、イケメンで有名な人』『おいおい、血出てるじゃん』『フラフラしてるし』『頭から血が、』『風間さんと戦ってた人だ』


「あー……………」


理由のわからない頭の痛みと暴走し出したサイドエフェクト、視線の多さとその中にある"血"という単語。手を見ると佐藤さんの血がべっとり付いていて、皆はこの事を言ってるのかなあ、なんて思いながら傾いた視界に身を委ねる。すると近くで「おっと、」という声が聞こえたかと思うと直ぐに身体を支えられ、その声の主と今俺の肩を支えているのが迅だということに気が付き、ぐるぐると回るような平衡感覚の狂いと自分がまた迅に迷惑をかけていることに吐き気さえもようしてきそうになった。
また、俺は与えられているのか。まだ、与えられている側の存在なのか。

「これ、……………嵌めた?」
「名字の負けでおれは嵌めた、まあ、おとなしく寝てな」

俺の小さな声に返事をした迅は、肩を貸したまま救助の方を呼んで引き渡すように俺の身体を救助の方へ寄りかからせた。
眠たい、眠たくて眠りたい、でもそれよりなにかが悔しくて泣いてしまいたかったけれど、それをして困るのは俺だからわざと吐き気と頭痛と眠気に意識を逸らして考えることから逃げる。

「迅、おまえ、後で絶対来いよ、俺のところに」
「わかってる」
「……………その目やめろ、ほんとにやめろよ、」

そんな目して来たら許さないからな、と救助の方に寄りかかって俯きながら呟く俺に、迅は「りょーかい」とおちゃらけたように返すので少しほっとする。



笑顔を見せる気力はないけれど、迅ならわかってくれるかなあと思って俺は意識を手放した。



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