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 なんの予定もない日曜を当たり前のように孤児院で過ごす。こういうとき社交性があって寂しがり屋の人間は誰か友人を誘って家を出る口実を作るんだろうけど、俺はそれに当てはまらないし、ここで過ごしたい理由があるので連絡などとる必要もない。その事実が世間的に寂しい人間であることは理解している。
それに今の俺は複雑な気分なのだ。
佐藤さんは俺を恨むことをやめて自分の弱さから逃げないことを決意出来ただろうか、佐藤先生はどちらかの自分に身を固めることができただろうか。その確認くらいは後始末として俺も探りをいれるべきだろう。新斗さんが佐藤家の一員になれたならそれでいい。そして、他の佐藤家の二人が安定した環境で過ごせたならもっといい。新斗さんがより佐藤家に馴染めると思うから。
けれど深く関わることで俺と新斗さんとの仲が今までとは別の方向に進んでいきそうなのも事実。

「自己満足だな、このままじゃ」
「ん! なに?」

前に倉須からも言われた言葉を小さく吐き出すと、手に緑色のブロックを持った千恵が勢いよく此方を振り返ってきたので「なんでもない」と誤魔化すように笑って灰色のブロックを自分の近くに積み上げる。
広間の片隅に迅から貰ったという色とりどりのブロックを広げて遊ぶ千恵と洋に付き合って俺も何かを作り上げるが、特に目的もなく無意識に積み上げてるだけなのでいつのまにかただのカラフルな山が出来上がっていた。なんだこれ。

「ねえ、迅お兄ちゃんは?」
「え? あー、迅は忙しいから」
「まえもそういってた」
「前も今も忙しいの」
「……………あいにいこうよ」
「、それは、だめ」

俺が会いたくないから、だめ。
そんな自分勝手な言葉を目の前の洋に言えるわけもないし、実際本当に迅は忙しくしてるらしいので会いに行くのは難しいだろう。洋は迅の瞳が気に入ったらしく、多分俺もあの瞳も含めて迅が好きなので特に否定する気もないが、やんわりと会えないことを示唆するしか俺には出来ない。

「じゃあいつ、あえるの」
「……………俺と迅が仲良くなったらかな」
「む、はやくなかよくなって」
「んー………頑張る」

頑張りたいさ、頑張りたいけど、頑張れば頑張るだけ俺が辛くなるだけだし、迅には迷惑をかけるだけなんだよ。
それに倉須は兎も角として、新斗さんの好意はまだサイドエフェクトで確認がとれてないから真偽は確定していないけど、きっと本物の好意。だから困る。嬉しいけど、どうすればいいかわからなくなる。
本当に相手のことだけを考えて行動したなら俺は自分の気持ちを押し込めて新斗さんの気持ちを受け入れるべきなんだろう、けど、それって最低過ぎて全然正しいと思えない。そもそもこの状況で全員が全員思い通りになれるような答えはないだろう。

「はあ……………」

ブロックで自分の周りを囲む作業に戻った洋の姿を見つめながら小さく溜め息を吐き、気分を変えるために食卓テーブルの前に座っているカズエさんが観ているテレビの音を耳にいれる。すると何処かで聞いたような通る声が何かを話しているのが聞こえたので何となくそちらを向いてからその声の見当をつけて立ち上がり、千恵から手渡された赤いブロックを手に持ったままカズエさんのいるテレビの近くへと歩み寄る。
すると液晶にはたまに見るローカル番組が映し出されていて、ボーダー特集とかいうのに出演しているらしい嵐山隊がキャスターと対談しているらしく、さっきの声が嵐山のものであることを改めて記憶と当て嵌めた。へえ、爽やかな嵐山と微笑む顔がかわいい時枝さん、それからムードメーカーの佐鳥と癒しの綾辻さんと……あれ、一人知らない子がいるな。

「カズエさん、」
「ん?」
「この女の子の名前知ってる?」
「ああ何だったかしら、………とら、……なんとか、あい?」
「虎? 愛?」

実にわからない。
俺が入隊して直ぐの防衛任務のときにはまだ居なかったから、もしかして俺と同期の人? てことは、鋼くんとかと同じように引き抜かれた? それとも俺が無知なだけで一緒の入隊式に出席してた? それとも先輩?
近くにあった椅子を引いて座りながらテレビの中の話題が『ボーダー本部でしていること』になっていることに気づき、チラリとカズエさんが此方を向いたのを感じながら小さく息を吐く。カズエさんにボーダー本部で起こったことを話したこともないし、迅がボーダーの人間だとも言ってないので『心配』の視線を向けてくることに申し訳ないって気持ちはあるけど、話すともっと心配かけそうだとも思う。
テレビの左上のテロップに『ボーダー本部でしていること』という緑色の文字が映し出されたのを見つめながらそんなことを考え、木の椅子に座っている嵐山隊がそれぞれ答えているのをぼやっと見つめる。

『訓練や鍛練なんか以外は、普通の学生と変わりませんよ』
『そうですよね! まだ皆さんお若いですし、』
『歳の壁っていうのが隊を通して薄くなってるのもあって、先輩後輩関係なく駄弁ったり』
『なるほど。綾辻さんと時枝さんはそう仰っていますが、他の三人は? どうですか?』

笑顔を絶やさずにウザくならない程度の大きさでリアクションをとる女のアナウンサーさんの仕事ぶりに目を奪われかける。すごいな、これで進行もしなきゃならないんだからな。

『私は本部で過ごすほとんどは訓練に時間を割いています』
『あら! 木虎さんカワイイのにお強いなんてすごいですね』
『、強さに関して私はまだ未熟です』

かわいいことは否定しないのか。というより、満更でもなさそうな顔で答えるのはちょっとカワイイかもしれない。いや、カワイイ。これはこれで綾辻さんとは違ったファンがつきそうだ。ていうか名前、キトラアイちゃんかな。

『オレは大体誰かと喋ってたりー、先輩たちに弄られたりー』
『え、弄られてるんですか!』
『そうなんですよー! でも、それだけオレが愛らしいからって前に違う先輩から言われたんでそれを信じてます!』
『ああなるほど、確かにそんな感じですねー』

へらへらと笑っていてもきちんとアナウンサーさんの方を向いて話すカワイイ佐鳥の台詞に何となく既視感を覚えたが、俺のほかにもそんな風に言う人がいるのなら本当に佐鳥は愛され弄られキャラなんだなあと納得してしまう。佐鳥は弄られてこそ可愛さを発揮する。うん。

『嵐山隊長は? どうですか?』
『そうですね。俺も友人と話したりとか、知り合いの対戦のログを観たりとか色々普通に過ごしてますよ』
『ログ? 過去の訓練の映像が観れるんですか』
『………これ言って良かったのか………ええっと、はい。特に今年の初めに入った隊員は筋が良いのが多いみたいですし。それこそウチの木虎も』
『、ありがとうございます』
『そうですよねー、今年の初めに入隊してこんなにも早く嵐山隊へ入るだなんて、ボーダーじゃない私でもすごいって分かります!』
『…………ありがとうございます』

このアナウンサーさん、キトラさんを褒めるの上手い。
手に持った赤いブロックを眺めて嵐山隊の隊服を思い浮かべていると、頬杖をついてテレビを観ているカズエさんが「なんか、」と呟いてから言葉を続けた。

「ボーダー隊員って顔のいい人が多いのかしら」
「……………嵐山隊は広報だから特別」
「でも、ボーダーってだけでモテそうよ」
「、それはあるかも」

つるつるとした赤いブロックを指でなぞりながらテレビを眺め、カズエさんの言葉に返事をする。視線が俺に向けられていないので、たぶんカズエさんもテレビを見ながら適当に話しているのだろう。
そうなるとボーダー内でモテる要素とは、顔は勿論、単純な強さとか統率力とか戦闘に関わる何かが長けていることも要素となりそうだ。俺が知っている人でモテるといったらやっぱりトリマルくん。どうやら聞いたところによるとボーダー内でファンがいるくらいらしいし。あとは客観的に考えれば嵐山隊とか最近知り合った犬飼くんとか、小南さんとか、二宮さん? あと誰だろ。俺の個人的意見としてはファンになるなら断トツで出水くんだな、顔が好きだから。次に……やっぱりトリマルくんかな。でもここ最近思ったけど、鋼くんの笑った顔はカワイイ。前までは二番目は迅だったけど、なんというか、今じゃそういう土俵にいないんだよなあ。

「名前は元々モテるものね」
「え、別に……………」
「嘘。中学まで授業参観に行ってたけど、いつもお母様たちに褒められたもの。名前くんいつもイケメンねーって」
「、それ何回も聞いたけど」
「で、彼女とかはどうなの?」

するとカズエさんはさっきまで世間話程度に話していたのにも関わらずふと思い付いたようにそう尋ねてきては『興味津々』という視線を惜し気もなくぶつけて来るので、俺は嵐山隊のインタビューが終わったテレビ番組から目を離して観念したように目を合わせる。

「居ないよ」
「作らないの?」
「作れないの」
「またまたー」
「女の子の友達いないし、あんまり話さないから」
「この間のクラス会? いい感じにならなかったの?」
「何もないって、残念だけど」

カズエさんの想像しているようなことはなにも起こってない。
多分想像できないだろうなって思えることは起きたけど。
逃げるように視線を大きな窓の方へ向けたが、その向こう側にある庭の花壇に植えられているペーパーカスケードの花を見つめて逃げ場がないことを知る。迅の誕生日のために買ってからそのまま放置するのも勿体無かったのでカズエさんに託したけど、あんなところで生きていたのか。

「………」

なんというか、四月初めの頃よりは幾分か余裕のある生活を送れてる気がするけれど、次々に問題が浮上してくる生活は変わらないままだな。
前までの問題といえば環境だったり俺の周りの人達の不安定さが俺に影響を及ぼしていることが多かったけれど、今は俺自身の感情の問題が生まれてきたり残っていたりしている。例えば孤児院の子供たちへ嘘を吐き続けることの精神面や役割のこと、そしてどうしようもなく非生産的な恋愛感情のこと。前半のことは俺が耐え抜いたり役割を果たそうと努力するしかないが、後半に至っては報われないと分かっている時点で意味がない。なのに捨てられない。そういうものなんだろう、と諦められれば楽なのに、幸せになりたがってる俺にはまだ難しい。
そんなことをだらだらと考え込み、下手な長考は何の得にも為らないことを知っている俺は椅子から立ち上がって千恵に赤いブロックを手渡し、傍に座った。そしてカズエさんらしき視線から呆れているのを感じつつフローリングの床に寝転がり、頭の後ろに手を回しながら高い吹き抜けの天井を見上げて目を擦る。

「立ち止まれないんだよなー」
「なんで?」
「んー? 進まないと変わらないものってあるんだよ」
「いみわかんない」
「リレーとかさ、走らないと一位になれないじゃん」
「そんなのあたりまえでしょ!」
「だよね」
「でも、うしろから一位にはなれるよ」
「……………ものは言い様ってやつか」

俺の腹の上にブロックを繋ぎ合わせて何かを作り出した千恵の声に応えながらこれからするべきことを考え込み、目をつむる。
変わらないことは極力孤児院にいることと、筋トレ続けてたまに訓練すること。レイジさんととかトリマルくんととか、そこは割り切って迅ととか。あとアルバイトと防衛任務。孤児院、アルバイト、ボーダー関連の割合は気を付けよう。それから個人的には、哲次と鋼くんと影浦くんに謝って、新斗さんの続報を待って、倉須のことを気にかける。
ベースは変わらないけど、やっぱり関わる人が増えたからか目の届く範囲を広げる必要性が出てきた。そのことは俺が今年始めに危惧してきたことだけど、俺は一人じゃないし、その範囲の中には甘えてもいいって言ってくれる人や俺のことを気にかけてくれてる人がいるって知っているから辛くはない。むしろ、そういうことが嬉しく思えるようになってきている。
そして、その切っ掛けを与えてくれた迅が、好き、で、なんだか遠い。だから近くにいたいって思うのだろうか。でも、近くにいたら俺は色々と駄目になる。

「……………なにつくってんの」
「とりおんへい」
「ふーん」

未だかつて見たことのない真っ赤な色をしたトリオン兵らしいものが自分の腹の上で作られていてなんとなく複雑だが、バムスターなのかモールモッドなのかその他のまだ見ぬトリオン兵なのかも区別がつかないのでそのままにしておくことにした。
お腹に乗せられていくブロックを見つめながらぼーっとしているとバタバタと騒がしい足音が廊下から響き、その足音の元凶が広間の扉から顔を出して俺を見下ろしてくる。

「名前! 部屋で携帯鳴ってた!」

俺の顔の近くにしゃがみこんでからそう言った岳は勝手に持ってきたらしい俺の携帯の通話をオンにして寝転がったままの俺の耳へ強引に携帯を押し付けてきた。
状況の流れが早すぎてよくわからないし、電話の相手もわからん。そもそも本当に繋がってるのかも定かではないけれど、今上体を起こしたら千恵に怒られる可能性があるのでしぶしぶ岳から携帯を受け渡してもらう。

「もしもし、」
『あ、名字くん』
「……………新斗さん」

このタイミングとは、全く俺はとことん世界に好かれてない気がするな。
何故か上から顔を覗き込んでくる岳の目を見つめながら電話の相手の名前を呟き、目の届く範囲を広げた結果である佐藤家についてを頭に浮かべる。ていうか、何で岳は『ラッキー』だなんて視線をしてるんだ。
ついに俺の腰の上に跨がってトリオン兵の制作に取りかかり出した千恵を視界の端に映しながら岳の視線を無視して電話へ集中することを選ぶ。

「話せた?」
『……………話せた』
「佐藤家になれた?」
『、たぶん』

どういう感情で返事をしたのかわからないが、何時もより電話の向こうの声が小さくて少し不安に思うと何故か突然岳が俺の眉間に指で乱暴に摩擦熱を与えてきた。擦るな擦るな。そしてその岳の指をつかんで動きを止めてから岳の頭を撫でてやれば、真顔で「もっと撫でろ」と催促された。なんていうか、上からは岳に顔を覗かれて下では千恵が跨がってブロック遊びを続行しているこの光景、おかしくないか?

『どうかしたか?』
「いや、その」
『もしかしてお取り込み中?』
「そういうわけじゃないけど。って、そんなことよりどうなったのか詳しく教えてよ」
『あー、三人で話して、俺があの日に関わる二人の心境とか状況とか全部知ってることを言った。あと、それが名字くんのおかげだってことも』
「俺のこと……………」

まあ想像するに、佐藤さんは新斗さんがあの日の話を持ち出してきた時点で俺の存在を思い浮かべられただろうけど、佐藤先生はさぞ驚いただろうな。学校で呼び出されたとき「新斗も貴方を嫌ってるはず」みたいな発言されたのは記憶に新しいし、佐藤先生はそう思わないとやってられなかっただろうし。

「佐藤さんには何て言ったの?」
『……………兄貴はそのままでいいんですか? って。名字くんを中途半端に恨んで憎んで、それで兄貴はこれからの人生後悔しないんですかって』
「そっか」
『兄貴は弱いから、だから、そういう後悔にもいつか押し潰されちゃいますよって』
「濡れ衣、は?」
『……………新斗が一歩踏み出したのに私が弱いままなのは情けないから名字くんに甘えるのはやめる、ってさ』
「そっか」
『濡れ衣の噂を流したのも自分を正当化するためだったって、それをしたことに物凄く後悔してるって』
「……………俺は別に、いいよ」
『良くはない』
「う、うーん」

弱いという事実を他の二人に知られた佐藤さんは、きっと、俺への恨み辛みで弱さを隠す必要がなくなった。というより、弟にそこまで言われて俺への恨み辛みにすがり付くことは優しくて弟思いな佐藤さんならしない。きっと自分の弱さや甘さに向き合って、あの日の過去を蔑ろにせずに未来へ進んでくれるはず。もう俺とは似ていない。
相も変わらず俺を見下ろす岳の髪を鋤きながらそんなことを考え、次に佐藤さんよりも心配な佐藤先生のことにも思いを馳せる。
皮肉にも、その考えを植え付けた佐藤さんよりも俺を恨んでいて、自分の学校の生徒という立場でもある俺にたいしての態度を決めかねていた佐藤先生は、新斗さんが俺のことを嫌っていないと知り、佐藤さんが本当は自分の弱さを隠すために俺の存在を使っていたと知ったときどうなったのか。

「先生は?」
『……………姉貴は、なんつーか、予想通り戸惑ってた』
「、だよね」
『元々不安定な人だったからな。でも俺はそれを知ってたし、兄貴よりも姉貴の方が精神的に脆いのも知ってたから………』

二つに挟まれていた人が片方の存在を失ったら、そりゃもう片方に心置きなく寄り添えるんだろうけれど、その失った片方というのが家族のことで、しかもそちらに重心を置いていた場合は不安定さが増してしまうのだろう。佐藤先生からしてみれば親の敵だと思っていた自分の生徒が本当は無実で、それを嘯いていた人物の方が家族の一人で、今までの葛藤が全て見当違いの感情だと突き付けられたなら、それはもう、虚無感や動揺、それに怒りなどの感情が収まらないはず。
佐藤さんは自分の弱さに気が付ける人間で感情に疎くないから、自分が弱いという事実を新斗さんと佐藤先生に知られたとき怒りをぶつけられることは承知していた。新斗さんは元々濡れ衣だと分かっていたからそれには至らなかっただけで、佐藤先生は。

「……………それで?」
『、身の置き所が一つ消えたんだろ。戸惑って泣いて、昨日「自分は間違ってた」って呟いてからまだ部屋にこもってる』

それを聞いた俺がどんな表情をしていたのかわからないが、岳が頭を撫でている俺の手を乱暴に払ってからしゃがんだまま俺の頭を撫でてきたので、相当変な顔をしていたらしいことはわかった。

「俺は必要ならずっと恨まれててもいいよ」
『っ、それは俺が許さねえ。そんなん姉貴が仲間外れになるだけだし、そもそも俺は名字くんを尊敬してるんだから、そんなアホなこと認めねえ』
「は、はあ、ごめん」
『てか俺、言ったから』
「え?」
『兄貴と姉貴に、俺は名字くんのことが好きだからって』
「……………」
『……………』
「……………、え?」


え?


「いいいい言ったの?」
『言った』
「うわー……………」


急展開。
まさか佐藤家になりたいという意気込みで行ったであろう重大な会話に、まさか、そんなことを話すだなんて。というかその話は佐藤先生にまたダメージを与えたのでは。

「洒落になってないよ、」
『洒落じゃねえし』
「、ごめん」
『俺は………名字くんを好きな自分のまま、兄貴と姉貴と話したかっただけ、』
「……………それ、は」

そんな言い方されたら強く否定できなくなる。
相手に好きな人がいるから、って理由で俺への気持ちを諦めない新斗さんには納得出来ないけれど理解は出来る。俺は『新斗さんのため』っていう名の自分の我が儘で、新斗さんが十数年悩んできたことの手助けをした。それがどれだけ大きなことなのか最初はよく分からなかったけど昨日それをやっと思い知らされて、自分が新斗さんの大部分に関わったことを感じた。そしてそれを通して新斗さんは俺を好きだと言ってくれていて、俺は、何も反応出来ずに今に至っている。

「新斗さん、俺は、その」
『分かってる。好きな人がいるんだろ?』

俺の顔に飽きたのか、俺の頭を撫でつつも視線を千恵の作るトリオン兵へ向けている岳を見つめて眉を寄せる。こんなところで話すもんじゃなかったな。

「いるけど、叶わない」
『なんでさ』
「………未来」
『……………? なに?』
「俺の未来が変わらなければ意味がない。だから新斗さんも諦めて」

それだけを掠れた声で伝え、俺の言葉に思考を巡らせているであろう新斗さんの反応を聞く前に通話を終わらせた。そして腹に乗ったよく分からないけどモノアイっぽいものが確認できる物体を床に下ろして上半身を起こす。真っ赤だったのに、なんかいつの間にやらカラフルになってた。
それを作り出し、目の前でぶーぶー言ってる知恵の脇の下に手を入れて俺の上から退かせて隣で座っている岳の頭を撫で、岳の怪訝な視線を受け止めて苦笑いを浮かべる。

「どした?」
「、おまえが、辛そうな顔してるからだ」
「それは………悪いことをしたな」

ぽんぽん、と頭を撫でて今度は上手く笑いかけると、岳は少しムッとしてから「イケメン顔でごまかすな」と呟いて俺の手を振り払ってしまった。視線は少しほだされているので何とかなるかな、と考えた俺はそのまま立ち上がり、岳の手を取って廊下へとでる。千恵と洋はいつも二人で遊んでるし、カズエさんもいるから大丈夫だろ。
そして廊下に出てそのまま五月蝿い岳の手を引き、小学生組の部屋に乗り込んでベッドで寝転がりながら漫画を読んでいる静に「お届け物でーす」と言って岳を渡すと、めちゃめちゃ嫌そうな視線とかち合ってしまった。すまんな。

「……………トイレ長いと思ってたら名前にいと遊んでたの?」
「あそんでねえ!」
「じゃあ何してたのさ」
「別に、名前のケータイ渡しにいっただけだっての」

むすっとした表情の岳は俺の手をまた振り払うと静が乗るベッドの上に乗り込んで布団を被ってしまう。その山を鬱陶しそうに見つめる眼鏡越しの静の視線はぞんざいなものだが、岳のこの行為がいじけているものだと知っている俺はため息を吐いて向かいにある翔のベッドに座るしかない。本人不在だけど、まあ、許してくれるだろ。てか、静が居ればさっきより状況がマシになると思ってここに連れてきたんだけどなあ。

「あー……………岳は、好きな人いる?」
「、はあ!?」
「えっ」

翔のベッドに座って足を組んで尋ねるとそれはそれは驚いたように岳は布団のなかからバサッと音をたてて現れ、静は読んでいた漫画から目を離して見開いた目で俺を見つめた。そんなに驚くことか、と逆に驚いた俺はその二人の純粋な驚きに満ちた視線から『意外』『動揺』という視線に変化したのを読んだため、意識的にサイドエフェクトを使ってみる。

『この家で恋愛話になるなんて』
『うわ、名前とそういう話すんのかよ』

なるほど。最初が静だな、俺のことを呼び捨てにするのは岳の方だから。
俺自身なぜこの問いかけをしたのか定かではないが、家族の会話としては可笑しくはないと思い直して二人を見つめ返す。
この家で恋愛話をしない、っていう静の観念は言ってしまえば間違いで、そもそもこの孤児院のなかで恋愛関係が存在してることから考えても、結構身近な話だと思う。まあ、それを知っているのは俺と翔と当人の勇という物心がついてからこの家に来た人間のみで、俺としてはその状況が表面的には一番平和だと思えるからなにかを変えようとは思わないけど。
なら、普通の家庭で恋愛話をするとき、どういう風にするのだろう。

「そんなに動揺すること?」
「いやするよ、今まで話したこと無いじゃん」
「静と岳とはしたことないかもしれないけど、千恵とか塁とかとはするよ」
「だって、あいつらは自分から話すだろ」
「そうだけど、」
「それに名前にいだって自分のこと話さないでしょ」

手に持っていた漫画よりも俺との会話に興味を示したのか、静はそう言いながら途中まで読んでいた漫画を閉じてベッドの上に置いた。俺はその言葉に視線を逸らして翔の枕元にある目覚まし時計を見つめるが、その四桁の数字さえ頭に入ってこないほどに静の言葉に焦りを感じている自分に少し驚く。
自分のこと、つまりここでは恋愛話のことを指しているんだろうけれど俺にはその他にも隠してることがあまりにも多すぎて、静の言葉で頭に浮かんできた事は一つや二つに留まらない。恋愛のことは勿論話せないけど、アキちゃんとのことや役割のこと、ボーダーのことや未来のこと。それに伴って増え続ける嘘に俺は耐えきれなくなってきていて、けどそれでも、そのすべてを話すことの方が耐えきれないから今俺は必死に足掻いている。

「俺は好きな人いないから話すことないだけだって」

目覚まし時計から視線を二人に戻し、肩を竦めて自虐的な雰囲気を出してそう呟く。その俺の言葉に二人はつまらなそうにすると「じゃあ、俺たちも話すことねえよ」と岳が言ったので、まだまだだなあ、なんて思ってしまう。じゃあ、だなんて言葉を使ってしまえば、俺が何も話さないなら自分も話さないってこと、つまり話すことはあるという意味になって、"自分には好きな人がいる"と言ってるようなものだからだ。しかも、俺たちだなんて括ってしまったら静にも好きな人が居ると言うことを言ってるのと同じこと。

「ふうん、二人きりだと恋愛の話とかするんだな」
「……………、なんでわかったの」

静は否定しようと口を開いたが、それよりも俺がどうしてそういう思考に至ったのかに興味を持ったらしく言葉を変えて眉を寄せた。
頭いいな相変わらず。テストや模試なんかじゃ岳が上でも対人関係なんかは静のが一回り上っぽい。

「エスパーだから」
「でたそれ」
「うぜー、否定できねえのもうぜー」

いつもの調子を取り戻せてきた自分に安堵しつつ二人の鬱陶しそうな視線と表情に笑みを浮かべて肩を竦める。
この二人がどこの誰を好きであろうとどんなタイプが好きであろうと構わないし干渉するつもりはないけれど幸せになってほしいなあ、なんてお節介にも漠然と考えてしまう。孤児は普通の人より生きにくい、そんな障壁ばかりの人生の中で自分の幸せを掴んでほしいし、その為に俺ができることがあるのなら何だってしたい。

「なにか悩みごとがあったら俺に言ってもいいぞ、このエスパーの力で何とかしてやろう」
「……………恋愛の相談はしないとおもうよ」
「彼女もいねえのによくいうぜ」
「まあ、名前にいが俺たちのこと一番大好きなのはしってるし、多分なんでもいいから俺たちの味方でいたいんだよ」

呆れたように言ったにしては的を得ている静の発言に俺は少し驚きつつもそれをひた隠しにして笑顔を浮かべ、自分の中の優先順位が狂っていないことを明言されて、ひどく安堵した。良かった、自分以外の誰かが証明してくれるとホッとする。俺は愛や恋だと苦しみながらも、キチンと役割のことを念頭に置けているのだ。
よいしょ、と小さく声をあげながら翔のベッドから立ち上がり、部屋の扉へ向かいつつ二人の視線を受けて俺は微笑み返す。



「うん、だから、俺がいることを忘れないでね」



俺が、死ぬまでは。

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