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 哲次を鋼くんを隣に置き、当人の哲次を目の前にしながら間にある黒い鉄板を見下ろした。冷えていた手が店内の暑さで温まるのを感じる。
少し横を見上げると影浦くんが頭にバンダナを巻いて腰にエプロンを巻いてる姿があって見慣れない格好にきゅんときたが、俺の感情に勿論気がついた影浦くんに「変な感情向けんな」と怒られたので黙ってお好み焼きの生地を見つめる。
ことの始まりは久々に訪れた本部の私室でのことだった。
最近防衛任務にあたることが少なくなり、本部に足を運ぶことが少なくなって玉狛支部の訓練室に入り浸ることが多くなった俺は、それにともなって会わなくなっていた哲次と鋼くんと影浦さんの登場に結構普通に驚いた。ばったりと廊下で三人に出くわした俺は挨拶する程度の気持ちで声をかけたつもりだったが、哲次が「丁度いいじゃねえか」とか言って俺をここまで連れ出したのだ。交わした言葉といえば哲次と、

「久しぶり」
「おお、マジで久しぶりに見たなその顔。っつーか、今から暇だろ?」
「え? まあ、風間さんへの用事終わったから買い物して帰ろうとしてたから暇だけど」
「じゃあ来い」
「えっ…………」

だけだ。
もっとなんか説明あっても良かったんじゃないかな、と思いつつも哲次はいつも大体こうなので諦めた。その代わり哲次と鋼くんのいざこざの話を聞いていたり、八月に終わったばかりのランク戦の結果の話になったりなど諸々話しているうちにここに連れてこられた。そしてなんだかこの年齢的に俺が奢るみたいな空気にさせられた。
つらい、まあ前にドタキャンしてるから贖罪だと受け止めたけど。それに影浦くんの貴重なエプロン姿を拝めたからチャラにしてもいいと思ったのは今のことだ。

「影浦くんかっこいい……」
「、きめえんだよ! 見んな!」
「店内だぞ、静かにな」

鋼くんが一切俺たちを見ずお好み焼きだけを見つめてそう言うので気が抜けたのか、影浦くんも焼くのに集中した。その隙を狙って無音カメラで写真を撮ったのを哲次は見ていたが、なにも言ってこなかったので許されたのだろう。スゴいアホを見るよう視線は向けられたけど。

「つか、最近ほんと見なかったな。一時期毎日見かける位だったのによ」
「名前さん最後に見掛けたの……風間さんの部屋の近くでうろうろしてた時だったか」
「あー…………なんか入隊当初はめちゃめちゃ防衛任務入れられてたけど、半年くらい経った七月頃からあんまりなんだよね」
「最初は慣れさせるために入れてたのかもな、本部も」

ふああ、と欠伸しながらそう言う哲次を見つめると少し隈が見てとれて、忙しいのかなーなんて思う。話を聞いた限りでも転向のこともあるし隊のこともあるし、もうすぐテストの時期だし、ともうすぐ本格的な秋の訪れる時期になることを思い出して俺も溜め息を吐く。すると鋼くんは俺を横目でチラリと見ると首をかしげて「どうかしました?」と呟いた。

「ん? んー、時って進むなーって」
「えっと…………何で今そんな話に?」
「なんかさ、環境って変わるなーと。哲次がスナイパーに転向した時期くらいに俺の後輩も出来て……俺の知り合いも何人か入ってきて、色々あって、秋になるし……みんないつも優しくてほんと…………眠い」
「何言ってんだコイツ」

ちゃっかり俺の話を聞いてくれていたらしい影浦さんの言葉にグサッときつつも、哲次の「大体いつもこんなんだ」とフォローになってないフォローが聞こえたのでそちらを見る。
腕をくんで座席によりかかる哲次は相変わらずに見えたが、やっぱりちょっと疲れてるように見えたので俺は頬杖をつきながら見つめる。

「そういえば俺と同じ時期くらいのスカウト入隊者にさ、強い子が入ってたらしいね? あの、小さい子……夏くらいからあんまり本部にいないから知らないけど」
「ああ、緑川な」
「へえ…………」
「まあ、名前さんほどの話題性はないけど」
「やめてよ鋼くん、あれは望まぬ黒歴史だよ………」

そういってるうちに成形に入ったらしいお好み焼きがじゅうじゅうと焼けていくのを見つめ、あとはソースやら何やらするだけなのかなーと適当に思っていたが、影浦さんは厨房に行くと別のボウルを持ってきて隣に広げたのでそれをぼやーっと見つめる。
あー、もんじゃね。

「…………名前さん、なんかありました? ここ何ヵ月かで」
「え?」

無言で焼き続ける影浦さんの手つきを無言で眺めていると、隣からそんな言葉をかけられたので考えながら鋼くんを見るが、前にいる哲次にも「鋼でも分かったか」と小さく呟かれた。

「え? なんか変?」
「いえ変っていうか………前より、トゲがなくなったというか…………いやトゲがあったわけじゃないんですけど」
「ああなんか、張りつめてるのが薄れたよな」
「そうそう」

二人から同時に見つめられてちょっと居心地悪いが、原因が思い当たらない訳じゃないので「そうかな」と笑う。みんな意外と俺のこと見てくれてるんだよな、やっぱり。前はそんなことに気を配る余裕なかったし寝てなかったし毎日自分のことについて考えさせられたし、二宮さんに周り見ろって怒られて当然の生活だったからな。

「長い期間解決できてなかったことが同時によくなってきたかのが五月で………そっから知り合いがボーダー来たから気使ったり、まあ今比較的落ち着いたから気が抜けてるのかも。ごめんね」
「ああいえ、そういう名前さんでも素敵ですよ」
「…………素敵?」

鋼くんの久々のタラシ発言に瞬きをしていると、不意に不思議な視線を向けられたので、無意識に哲次を見てから影浦くんを流れで見つめる。すると影浦くんとバチっと目があったかと思えば、思いっきり嫌そうな顔をされた。
不思議な視線は鋼くんの発言に対しての同意のようなもので、ずっと前にドタキャンしたとき『気使いすぎなんだよテメエは』みたいなことを言われたのを思い出して少し照れる。

「、やめろ照れんなクソ!」
「えー? だって影浦くんが心っ、んむ」

心配してくれたから嬉しくて、と言おうとしたが、続きを言う前に手で口を塞がれた。そして俺のサイドエフェクトを有効に使うかのように視線で『牽制』…………えっと『余計なこと言うんじゃねえ』と念を押されたが、否定してこない辺りほんとに気にかけてくれたのか、とほんわかする。

「っその感情をやめろテメエ……!」
「んん、んんん。んん。」
「これ会話成立してんのか?」

ああごめんごめん、と謝ったのが伝わったのか分からないが、哲次が呆れたように呟いたのを俺が見ると口は解放された。
口を塞がれていた間に放置されていた具の土手の真ん中に舌打ちしながら影浦くんが生地を流し込むのを見つめつつ、水を飲んで適当に会話を繋ぐ。

「そういえば哲次、この前ボーダーで女の子に告白されたってほんと?」
「ぶふぉっ!」

俺と同じタイミングで水を飲み始めた哲次に向かって頬杖をつきながらそう尋ねると、見事な吹き出しを見せたので思わず「おおー」と溢す。鋼くんが「大丈夫か、」と言いつつ興味津々の視線を哲次に向けていたので、有名な話じゃなかったんだなと、少し申し訳なく思う……ことはなかった。
ついさっき風間さんへの用事を終えてC級ブースの前を通ったら三人に出くわしたんだが、その時通りすぎた女の子が俺達を見て『興味』の視線を向けてきたので読んでみると『あの帽子の人、夏休みにナナコに告白されてた人!』と読めたので言ってみたんだけど。
夏休みは防衛任務以外はもう殆ど孤児院にいたからなー、見たかったわー。

「な、んでそういうことは知ってんだよ! ボーダーとして常識的なことは知らないくせに………!」

顔を赤くして咳き込む哲次がなんかかわいくてニヤニヤして「え? なに? ナナコちゃん?」と言うと、もっと咳き込んだ。なんか面白い…………。誰よりも面白そうにしてるのは鋼くんだけど。

「付き合ってんのか」

そして興味ないくせにわりとズバズバ聞きにいく影浦くんに哲次が「うるせえな、付き合ってねえよ!」と赤い顔でキレる。それを尻目にもんじゃ焼きを見つめ、影浦くんにお好み焼きの出来を確認すると、影浦くんは俺をちらりと見た。
あ、なんか髪伸びたな、影浦くん。

「あ? ああもういいんじゃねえの」
「わーい、ソースとかやってくれんの?」
「あー」

ものすごく適当に反応しながらもやってくれる影浦くんと、お好み焼きを見つめてる俺にわなわなとしてる哲次は、弄られた挙げ句突然放置されて怒っていいのか安堵していいのか決めかねてるようだった。鋼くんは哲次ガン見してるけど。

「まあー、哲次はカッコいいしジェントルマン的なところあるし、頭いいしモテそうだよなー。俺も好きだよ、哲次のこと」
「やめろ気持ち悪い! 俺を弄んな!」
「えー……お年頃かな、出会った頃はあんなに可愛く照れてたのに」
「や、め、ろ」
「そんな哲次も好きだよ、はーと」
「はーと、とか言葉で言うなっつの………!」

俺と哲次のやり取りを見て笑い悶えてる鋼くんを見つつ、出来上がったのか切り分けてくれる影浦くんにお皿を渡して哲次をあしらうと、哲次はいじられることに慣れてないのか顔を赤くしたまま自分を落ち着かせるように息を吐いた。
本当に好きなんだけどな。優しくて口の悪い哲次のこと。
久々に顔合わせたのに変わらない、みんなほんとに優しくて好き。

「俺に話しかけてくれるだけで、ホントに嬉しいんだよ哲次くん」

いただきまーす、なんて言いつつ小さく言えば、少し哲次はムッとしたけれど、隣の鋼くんもちゃっかりお好み焼きを取り分けてもらってるのを見て口をつぐんだ。

「で? 哲次ってどんな子タイプなの?」
「、おい!!!」



              ◇◆



 昨日、三人に奢った後一人で買い物に出掛けてセージを乾燥させたやつとアロマエキスにしたものを購入した俺は、とりあえずアロマエキスの瓶を包装してから乾燥させたものをポプリに使おうと決めた。そのポプリの袋…………サシェとかいうものは百円ショップでも売っているらしいが、誕生日ということで俺の手縫いにした。ほんとにもう、女子か俺は。
ちょっとこんなものを手作りしてる自分が嫌になったが、アロマエキスを風呂に入れるといいらしいことを知ってちょっと、俺もやってみたいなーなんて気持ちになったのは秘密だ。
そして出来上がったものを一週間後の今日、玉狛支部に持ってきたはいいが肝心のトリマルくんがいなかったので、部屋のドアノブにビニール袋に入れて引っかけてその足で本部に来た。

「久々に一人でスコーピオンの練習するか……」

トリオン体の手に表示されているポイント数は変わらず3000のままだけど、3000になった時の俺よりは強くなれてる自信があるので少し自分を誉める。
二つの問題が落ち着いたのが春先で、そこから秋口の今まで、初心に帰るかのように殆どを孤児院で過ごしていた。勿論防衛任務は出るし、五線仆の扱いに慣れるために玉狛支部で迅とレイジさん、たまに小南さんや学祭後のようにトリマルくんも相手してくれた。というかボーダー関連については五線仆にしか費やしてない時期だった。それが防衛任務の質の向上にもなっていたと思うし。
でもスコーピオン………お前はホントに………やってない。
あのプライドの高い風間さんが俺みたいな訓練生を相手してくれるのなんて本当に感謝感激状態だけど、その期間は大体ランク戦が終わった時期だから五月のみだったし。今月またランク戦が終わって空く時期だから昨日『今月も宜しくお願いします』的な挨拶に言った訳なんだけど。

「やっぱり触ってないと鈍るし……何ヵ月かぶりにスコーピオンに触りました状態で風間さんの所行ったら失礼だからな」

そんな遅すぎる言い訳をしながら訓練室ブースに入り、知り合いがいないことを確認する。いや、居ても良いんだけど………対戦とか言われたら嫌だからさ。
気配を消すようにして内心嫌々訓練室に近づくと、まあ、ちょいちょい視線が送られた。入隊して最初の三ヶ月程は向けられないが、やっぱりまだ俺のこと覚えてる人いるんだなあ、なんて人間の記憶力の良さを恨んでいると、不意に「ねえお兄さん」と後ろから声をかけられた。
嫌な予感を感じながら振り向くと、そこには中学生くらいの少し背の低い見知らぬ子が立っていた。思わず首を傾げると、その子は人懐っこい笑みを浮かべながら口を開く。

「ね、今忙しい?」
「…………うん、すごく忙しい」
「ええー! ちぇー、折角有名人に会えたから対戦してもらおうと思ったのにさー」

唇を尖らせる子の発言と、噛み合わない"視線"に苦笑いを浮かべた俺は、嫌な予感が的中したことを理解してこの場から逃げようとする。
けれどそれに雰囲気で気がついたらしい少年は「じゃあさ、三本だけ! ね? お願い名字名前さん!」と態とらしく俺のフルネームをわりと大きな声で呼んできた。
この子…………。

『あれ、草壁隊にスカウトされた子かな?』『名字って、あの名字か?』『あのイケメンは名字なんとか』『中学生? ああ、4秒のあの子か』

「あのね、」

『久々見たな、』『ホント好戦的だな、緑川は』『戦闘訓練のタイムレコーダーくんだ』『イケメンいるじゃんー』

「君………緑川くん?」
「、あれ、お兄さん俺のこと知ってるんだ」
「いや、あんまり…………今知ったよ」

お兄さん、なんて子供らしくにこにこしてるけどこの子、最初から結構強めの『対抗心』が視線に見え隠れしてる……今は俺の言葉の真意を確かめようとしてるけど、答え出てなさそうなの見ると俺のサイドエフェクトまでは知らないみたい。
肩に見たことのあるエンブレムが見える、名前だけは聞いてたけど、この子スカウトでもう上位隊員なんだ。この歳でって言ったらあれだけど、やっぱりボーダーのなかでも若い方だと思うからすげーや。トリマルくんとかもまだ中学生だもんな。

「俺、見ての通り訓練生だからポイント欲しいって訳じゃないんだね? 俺のこと知ってるようで知らないみたいだけど、」
「ポイントは関係ないよ。お兄さん………名字さんがいいんだ」

猫かぶりをやめたのか、挑戦状のような台詞を吐いた緑川くんに少し視線を逸らした俺は集まってきてる視線から逃げ出したい思いに駈られる。だってさ中学生の頼みだし、うちの塁とか勇がもしこんな風に頼んできたら「うん、いいよー、こてんぱんにするけどねー」って教育の一環で教えたくなるけど。
この子強そうなんだもん哲次とかも言ってたし、自信に溢れてるんだもんやだよー、そりゃこちとらスコーピオンに自信もくそもないわけで…………。
でも、うん…………ここで逃げたらきっと怒られる。風間さんに。俺が風間さんに教わってることは全然知られてないことだけど、やっぱり証明したい。

「、三本だけな。あと、君スコーピオン?」
「うん、!」
「うわ……ああうん、じゃあ、スコーピオンだけにしてね……」
「もっちろん! やった!」

喜ぶ様子を見せる緑川くんを見つめながら訓練室に移動し、なんか前に風間さんにギッタギタにされたときのことを思い出しかけるほどの視線の数になってきたのを知り、思わず溜め息を吐く。俺とは反対側に移動した緑川くんに溜め息は聞こえてないだろうけど、とりあえず一番勘弁してほしいな、と思うのが知り合いの姿が見えてきたことだった。
なに? なんなのボーダーの情報伝達の早さは……やだもう。

「はいはい、やりゃーいいのね」

若干やけくそになりつつ緑川くんが設定してくれたらしい訓練室に入り、訓練生対正隊員の練習試合となる形に多少うんざりしながら手ぶらで入る。今日のオペレーター室は誰の担当なのか知らないが、どうかあまり接点のない隊でありますようにと願った。
緑川くんも訓練室に入り、ギラギラした瞳で俺を見つめてくるのを否が応でも読む。
うん、楽しみなんだねー俺を負けさせるのが。

「ねえ、もう初めていいよね」
「うん」


『模擬戦、開始』




「、じゃあ行くっ、!?」



声と同時、目の前で大きな白い刃が緑川くんの体をほとんどまっぷたつにしたのを見届けて、足から生やしたそれをゆっくり引き抜く。
誰の声ともとれる開始の合図を聞いた瞬間、一瞬で床に伝わせたスコーピオンを緑川くんの股下、最大の出力で突きだした。

「やっぱり」

俺のことを知っているようで知らない、ならきっと俺がこれをやるって予想できるのに。
スコーピオンを片手にどさっ、倒れた緑川くんをただの一歩も動かずに見下ろし、下から向けられる『驚愕』の視線を受けながら息を吐いた。上手くいってよかった。
というか舐められてるのがすごくわかるけど、一応俺も風間さんや迅や慶にしごかれてここまで来てるわけだ。俺の周りは強い人ばかりだから謙遜しまくって丁度いいけど、君みたいに俺のことちゃんと見ないやつには負ける気ない。


『伝達系切断、緑川ダウン』



「…………それ、風間さんの?」

スコーピオンを握りしめながら俺を見据えて新しくなったトリオン体でそう呟く緑川くんに、俺は肯定も否定もせず、今度は正攻法で一度以上勝利しなくてはいけないことを実感する。
相手が強いのは立ち振舞いでわかる、今のはラッキーだ、そう思っていい。けど、絶対負けたくない。
左手にスコーピオンを出しながらそんなことを考え、口を開く。


「ねえ君、ホントに上級隊員?」
「、っ!」


この子に勝てるとしたらボーダー隊員としての技量じゃなくて、ちょっとの経験の差と年齢だ。
まだ中学生でしかも動物的、こんなに強いから中学生だなんてバカにできないけど、中身はやっぱり中学生のまま。強い自分を知っていて、それを披露したいんだ。
そしてなぜか知らないけど俺に敵意を抱いてる。
だったらそんな相手にナメられたら、ムカつくよね。

「、どうかな!」

俺の挑発にまんまと引っ掛かって『怒り』の視線を向けてくる緑川くんに、俺は左のスコーピオンを構えてその攻撃を受けようとする。
緑川くんはそのまま直球に俺へ向かってきたかと思ったが、素早く急に方向を変えると俺から見て右へとんだ。やっぱり、そうだろうね。俺が左に構えてるんだから空いてる右に飛ぶわな。怒ってるやつの行動は分かりやすい。

「ちっ、」

緑川くんの大振りを避けるが、緑川くんはそのまま止まることなく俺に突っ込んで来る。体が小さいからか分からないけど想像より素早く、至近距離で手に床をついたかと思えば足にスコーピオンを生やして回すように切りつけてきた。

「、おっと」

それを俺は避けようかと思ったが、なんとなく、右手に生やしたスコーピオンで攻撃を防いでそのまま素早く、床についてる緑川くんの手を足払いした。
バランスを崩した緑川くんはそれでもめげずに生やしたままの左足のスコーピオンでかかと落としの要領で俺の頭を狙ったが、先に俺のスコーピオンが緑川くんの右足を膝から切りおとす。
すると、

緑川くんは一瞬の隙をついて手からスコーピオンを伸ばし、俺の、首を狙ってきた。



「あぶね、」


それを視線で読み取れた為、間一髪、腕の骨でガードしつつそのまま右から生やしたままのスコーピオンで緑川くんの左手を切り落とす。



『トリオン漏出過多、緑川ダウン』

規則的にそう告げる男の人の声を聞きつつ、自分の左肘から手のひらまで縦に突かれた跡と少し貫かれた首の横を見て中学生こえー、と心のなかで呟いた。腕で防がれたら普通諦めるか腕を切るかだろうに、倒れかけてるのを利用して、下の角度から隙間狙って腕ごと強引に突き刺すとか怖すぎ…………。
使い物にならなくなってぶらぶらしてる左腕を眺めながら、新しくトリオン体の生成され、悔しそうな緑川くんを見つめてへらりと笑う。

「やった、勝った」
「…………くそっ」

悔しそうな緑川くんはそう吐き捨てると、スコーピオンを消して俺になにも言わずに訓練室から出た。その姿を目で追っていくと自然と周囲の状況が目に入り、大それたことでもないし全然時間経過してないのに多くの人がこちらを見ていた。
うわ、俺こっから出るのこええー、何にも分かってない奴等が『大人げない』とかぬかすんでしょ? いやだわー、手抜く方がカッコ悪いのに。
そんなことを考えながら溜め息を吐いて訓練室を出る。入るときも溜め息吐いたよな、なんて思いながら綺麗に直っている自分の腕を確認して緑川くんのところへ行こうとすると、後ろから「よう、名字」という飄々とした声がした。

「…………うわ、迅………」
「おーい、嫌そうな声出すなよな」
「お前なんでこんなときに…………ああ、誰かの視てここに来たのか」

手を挙げてこっちに寄る迅により一層視線が集まるのを感じてジト目を向けると、当人の迅はへらへら笑いながら俺の肩に手を乗せるとポンポンと叩いた。
すると後ろから「迅さん!」と緑川くんの聞いたことない嬉々とした声に思わず迅を無視して振り向き、こちらへ走り寄ってくる小さな子犬を彷彿とさせる緑川くんは俺をチラリと見てから迅に話しかけた。か、かわいい………だと…………。

「あの、迅さん今の見てた?」
「ん? おー見てた見てた」

しゅん、と耳の垂れた犬をものすごーく彷彿とさせる緑川くんの頭を迅が撫でるのを見つつ、なつかれてる様子を見て羨ましく思う。俺、緑川くんに絶対嫌われてるだろこれ。
はあ、と溜め息をもう一度吐いて二人の光景を見ていると、迅がいつもの適当な顔で「頑張ったな、名字」と俺を誉めた。

「え? あ、うん。すげえ頑張った」
「大したもんだよ、"あの"駿に勝つなんて」

やけに強調してくる単語と向けてくる視線を読んで色々察した俺は、乗っかるように口を開く。

「いやほんと、緑川くん強いわ。緑川くんが俺のこと舐めてなかったら、負けてたわホントに」
「ほら? 調子に乗るなよーって前にも言ったの忘れたか?」

俺のヨイショと迅の諭しで顔を上げた緑川くんは「ご、ごめんなさい」と迅の方を向いて謝った。俺のこと舐めてて、自分のこと過信してたらそりゃーいくら強くても俺ですら勝てるわ。
そろそろ視線で頭がクラクラしてきたのを感じた俺はここから再び逃げ出したくなったので、この試合を最初から最後まで階段の上から見届けていたらしい人物に視線を向けて「じゃあ、」と別れを端的に切り出す。

「俺ちょっと知り合い見つけたから、そっち行くわ。じゃあねー」
「、っまた勝負してよ! 名字さん!」
「…………ぇ…………あー、いつかね」

絶対に嫌、なんて思いつつ階段を上り、俺が来るのを察したらしい相手が俺に手を振ったので小さく振り返す。本当はこんな注目されてるなか会いたくなかったんだけど、元々この人顔が目立つからいいかなあ………なんて思って近づくと、見えなかったが後ろにもう一人知り合いがいて、思わず後ずさる。
おおう。

「お疲れさま、名前」
「えと……伊都先輩もお疲れさまです…………倉須もお疲れ」
「うん、」

ボーダー本部内で二人と話すのは初めてでちょっとというか大幅に居心地が悪いが、この二人が接点を持っていたのを知らなくてそっちの方にも驚く。この二人を繋げたのはどう考えても新斗さんだろうけど、その当人がいないので確認もできなければこの場の空気をどうにかしてくれる人もいない。
なにこれ、さっきから俺かわいそうな気がする。
注目されて遊ばれて、大人げない扱いされるかと思いきや迅にちょっと救われて、やれやれ逃げれると思ったら新たな壁。

「んんと………伊都先輩、風邪平気っすか」
「うん、もう大丈夫。名前のお陰だね」

よしよし、と撫でられるのを甘んじて受け入れたい気持ちで一杯だけど、横からジーっと倉須が見てくるのが居心地悪くて伊都先輩の手をやんわり避ける。
すると伊都先輩は驚いたようにしたが、俺の視線の先に倉須が居ると分かるとニヤニヤして「恥ずかしいの?」とわざとらしく顔を覗きこんで聞いてくる、ドS過ぎる。

「、別に違います………」
「嘘だー、ははは」
「…………」
「…………なに倉須」
「いや、後輩ぶってる名前もかわいいと思って」
「、やめろ!! 二人とも俺にS過ぎる!!」

俺が可愛そうだよ、と泣き真似をすると伊都先輩は相変わらずのスキンシップの多さで俺の顎をつかんで顔を上げさせると、へらりと笑って泣いてないじゃんと頬を指で撫でた。
それを見た倉須の視線が、なんか、読み取りたくなかったので無視して伊都先輩を見上げたが、何処からかもうひとつ同じような視線を向けられたので驚いた。
すごいな伊都先輩、もう顔ファンできたの? 俺にすら嫉妬?
ちらり、と顎を捕まれながら俺がなんとなく迅を見ると、迅も俺を見ていたらしく目があったが、何も反応しないで視線を逸らし、跳び跳ねてじゃれる緑川と何処かへ行ったので俺も視線を二人に戻す。

「新斗さんは?」

伊都先輩の手をつかんで退けながら聞くと、伊都先輩は「今待ってるところ」と返してきたので適当に相槌を返す。この三人で行動してることが多いのかな、なんて思いつつ、減ってきた視線に安堵して視線を外していると倉須が小さく俺の中指をつかんだ。
伊都先輩にもバレないように掴んだかと思うと、きゅっきゅっと二度ほど摘ままれ、意味がわからないまま指は解放された。
前にもされたことがあったような気がしたが、思い出せなかったのて倉須を見つめかえす。

「なに」
「…………久しぶりに触りたくて」
「…………あっそ」

ボーダーの入試日のときのことをふと思い出したが、特に意味もないので息を吐いて自分の手の甲を見つめる。増えてしまったポイントに思わず手の甲を擦るが、なにも起こらないと分かっていたので伊都先輩に「俺、ちょっと用事あるので」と一言告げて最中を向けると、ぐいっと襟首を掴まれた。

「ぐへ、なに……」

と掴んだ当人の倉須を振り返ったが、真顔で俺を見つめると「なんでもない」と呟いて手を離す。
え、なにこの子こわい…………。
ボーダーの内での倉須がわからなすぎて怯える俺は、もう本部にいるのが嫌になって早々に施設を出て孤児院へ戻った。

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