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 疲れが溜まっているのが分かるので早く寝ようとしたが夜中何度も起きてしまい、結局疲れがより溜まった気がした今日の朝。いつものように顔を洗いに行って鏡で隈の確認をしたが、何だか何時もより濃い気がしたので頭を抱えた。こういうとき女性は隠せる化粧道具があって羨ましい。
派遣のアルバイトは午後三時からなのでそれまで寝ようかとも思ったけれど、午前中に約束をしていたことを思い出して頬を叩いてやる気を出す。朝食を食べにホールヘ行くと、既に食べ始めていた岳と静とカズエさんが居たので朝の挨拶をしながら静の隣に座ると、目の前にいるカズエさんが俺の顔を見て眉間にシワを寄せた。

「ねえ、隈すごいじゃない。眠れないの?」
「……なんか寝てても目が覚めるんだよね」

朝起きてホールの廊下を通ったからか既に机に置かれていた俺の朝食を見下ろしながらそう言うと、隣から「ストレスじゃん」と小さく呟かれたので否定しておく。ストレスなんだろうけど。
トーストを手に取り、近くにあったバターを伸ばし、決して良好じゃない視界の中でそれを伸ばして考える。
今の時期はランク戦を終えてから幾らか日にちが経っているので、何かと誘われることが多い。ランク戦時期ともなると出番の終えたらしい隊の方々や、いつも通りの訓練の日常を過ごす隊の方々にたまに召集をかけられるだけなのでまだマシだが。今日は珍しくレイジさんから玉狛支部へ呼ばれ、内容としては陽太郎の世話を頼まれただけだったので大した用事でも無いので引き受けた。エンジニアもスカウトで二人居ないし、レイジさんは大学だし、高校中学生組も学校あるし、林藤さんも朝から本部へ用があるらしく俺へ白羽の矢が立ったのだ。レイジさんの選択肢のなかに俺がいることは少し嬉しいし、玉狛支部に恩もあるのでやるしかない。

朝食を終えて着替え、玉狛からバイト先へのルートを調べながら玄関で靴を履いていると、カズエさんが小さな瓶を渡してきた。そこには錠剤が入っていて、カズエさんが前に買ったという漢方薬らしく食事の前に飲むように言われたが飲み続けることが大事だよと念を押されたので頷く。
リュックにそれを仕舞い込み、玉狛支部へ向かったまだキッチンにフルーツやら色んな人が買ってきたお菓子がたくさんあるのを思い出して茶菓子を持っていくのをやめようとしたが、カズエさんが気を利かせて「いつもお世話になってるみたいだから」とシフォンケーキを持たせてくれた。気を使うなってレイジさんにまた怒られかねないが、断るのも道理じゃないので受けとってしまった。

玉狛支部へ着くと雷神丸に乗った陽太郎が出迎えたのでそれに反応しつつ、リビングの方へ向かって誰も居ないことを改めて確認する。後ろからついてきた陽太郎を見ると、そんなつもりもないのに「またおかしをつくるのか」と期待した目で俺を見るので仕方なくそういう予定にしてあげた。
点いているテレビを見つつキッチンへシフォンケーキを置きに行くと俺が前に買ったりんごが何故か滅茶苦茶増えて置いてあったのでそれをジーっと見つめていると、陽太郎が「おれにもみせろ!」と言うので陽太郎専用の椅子を隣に持ってきて上に乗せる。

「このりんごで何を作ろうかなと思ってたんだけど、何がいいかな」
「ふむ………あれだな、やはり」
「…………あれとは」

シンクに手をついた陽太郎が俺の方をキメ顔で見つめてくるので視線を読んでみたが『とりあえず、やく!』という何とも大胆なものだったので、それに乗っかることにした俺は焼きりんごを作ることにした。けれど、それではなんか物足りない気もしたので、隣のコンロでは簡単なジャムを作ることにする。どちらも簡単で材料という材料も必要ないが、焼きりんごにかけるシナモンが無かったのでそれだけ買ってくるようにレイジさんにお願いした。シナモンはわりとお菓子に使うことがあるので、余らせることはないだろうとふんで。
とりあえず陽太郎にりんごを洗ってもらい、先にジャムを作るためのはちみつを棚から取り出してからレモン汁を冷蔵庫から取り出そうとすると、陽太郎用らしき昼飯がラップに包んであったので昼頃にレンジでチンしてやろうと目論む。俺の分は断っておいたから無くて当然なんだけど、美味しそうなオムライスを見ると俺も頼めばよかったと後悔した。コンビニでオムライスでも買うか。

「そういえば陽太郎、遊真くんたちとは仲良くしてる?」

洗ったりんごを受け取り、包丁とまな板を出して尋ねると陽太郎は胸を張りながら「おれのこうはいだからな、とうぜんだ」と誇らしげに返してきた。陽太郎は子供のくせに妙にいいやつだからきっと言葉通りなんだろうな、俺は訓練室で三人と会うことが多いからそういう場面に出くわしてないだけで。正式入隊日から一週間経って最初会ったときより三雲くんも緊張せず話してくれるし、千佳ちゃんは相変わらず緊張しているけど話し掛けてくれるようになったし、遊真くんは特に変わらないけど平和に暮らしてるようで嬉しい。
この三人はこれからの大規模侵攻でどうなるのだろうか、嫌なことが起きなきゃいいけど。
そんなことを考えながら皮を剥いたりんご三つを適当に切ってからすりおろし、それらを蜂蜜と一緒に小鍋にぶちこんで三十分ほど火をつけないで放置しておく。
その間に焼きりんごに使う砂糖の量を陽太郎にちまちま計って貰うが、そのメモリの動く遅さに時間がかかりそうだと予測した俺は同じように椅子を持ってきてキッチンに座る。あくびをしながら陽太郎の作業を見つめてBGMに雷神丸の寝息を聞いていると、眠気が襲ってくるが、陽太郎を放置できないので耐え抜く。

「さいきん、つかれてるようだな」
「んなことないよー、しなゃいけない仕事してるだけ」
「………あまりがんばりすぎるな」

現在進行形で頑張っている陽太郎にすら心配されてしまうほどの顔らしく、ちょっと罪悪感を抱いたがどうしようもないから俺自身小困っている事実は変わらない。俺としてもどうにかしたいんだけど。このまま大勢のところへ行くとサイドエフェクトが暴走しかねないので危惧してるが、特にそういう予定もないので焦っては居ない。トリオン体になっても変わらないのはちょっとあれだけど。

「できたぞ!」

ふう、と一息はいて仕事を終えた陽太郎の声に応えながら席を立ち、メモリを見て若干少ないが目の前で足すのも憚れるので甘さ控えめでもいいかと適当に考える。それか覚えていたらあとで足すか。
焼きりんごの為のりんごを皮を剥かずにスライスしていると陽太郎がやりたがったので、小さいナイフなようなものを渡して切手もらうと結構上手く出来るのでいつも手伝っているのかなと思った。ああ、前にそんな光景を見たことがあるような、ないような。
ぼやっとする頭を振ってから切り終えたりんご五個をまな板に並べ見たが、今になって量が多すぎた気がしたけど三人増えたことを思い出して適当に思考を流した。まあ、誰か食うだろう。焼くときに本当はラム酒でもあればいいんだけどなあ、なんて思いながら酒の場所を覗き込んでみると小さな瓶のラム酒が入っていたので意外に思いながら少し拝借する。誰だろ、てか酒の種類結構あるのは誰の趣味? それとも貰い物?

「さいきん、じんとあうのか」
「迅と? たまにねー」
「あまり二人でくんれん、しなくなったな」

俺がフライパンに火をつけるのをじっと見つめる陽太郎の言葉に「忙しいからね、どっちも」と返してバターをひく。
学校を卒業してから行動サイクルが一定でなくなった俺たちは、連絡してわざわざ会うようにしていたがそれも顔を合わせる程度の時間だったりしたし、会うまでもなく本部ですれ違ったり玉狛で顔を見かければ会う必要も無くなるわけだし。だから前に試写会に誘ってもらったときは驚いたけど、何より嬉しかった。迅も俺と同じように会う時間話す時間が減っていることに気づいて、どうにかしようとしてくれたんだとわかったから。今度は俺から何かを誘いたいけれど、相手の都合もあるので誘いにくい。いや、でも誘う。
じゅわ、と溶けたバターを見て火を弱めつつ、何かに誘うとき迅のサイドエフェクトって便利だなあと羨ましく思う。相手の予定が分かるわけだから、空いてそうな時に声をかけられるし。

「陽太郎、これ入れられる横に長い灰色のトレイみたいのどこだっけ」
「とれい? ああ、うしろのたなだ」

そう言って上の方を指差すので、半分くらいのりんごを幾つか並べてからがさごそとトレイを取り出す。本来揚げ物を置くようなトレイだけど、網をとればそこの深くて冷やしやすい皿になる。ここから取り出して皿に盛り付ければいいだろ。

「とりまるとこなみが言っていた、なまえとじんはできていると」
「っげほ! な、っけほ、できてる!?」

突然の爆弾発言に俺は唾液を気管に詰まらせて咳き込むが、言葉を放った本人は「なにができたんだ?」難しそうな顔をして腕を組んでいた。
意味は分かっていないようなのでいいけれど、トリマルくんと小南さんの認識を早く訂正しなくちゃいけない気持ちに駆られてこの作業を放り出したくなる。しないけど。
というか、デキてるって思ってしまうってことは俺たち二人がそういう雰囲気に見えなくもないということか。

「ってなに考えてんだ……冗談だろ多分」

自分の思考に照れる俺は顔が熱くなってきたが、それはコンロの火のせいということにして砂糖やらラム酒を少し投入してから火を通し、くたくたになりかけたくらいでりんごを取り出す。
冷えたやつの方が味が染みてるし、昼飯前なのであまり進めないが、このままお預けするのは些か可愛そうな気もしたので近くにあった小皿に焼いたりんごを二切れほど乗せてフォークと一緒に陽太郎に渡した。残りのりんごを投入しつつ同じような行程をふみ、りんごに火を通している間、隣のコンロにも火をつけてジャムにも取りかかると陽太郎が焼きりんごを冷ましながら食べて「うまい」と満足そうに笑う。かわいい。

「それで、ふたりはなにができたんだ?」
「…………んんと、信頼関係?」
「おお、せいちょうしたな……おれはうれしいぞ」

そう言ってフォークを置いてから小さな手を差し出して握手を求めてくるので、とりあえず苦笑いでそれに応える。愛だの信頼だの、前にここで言われたときは信じなかったし、そんなことより生きていく上での役割とか自分の未来のことに躍起になっていたっけ。今でも役割や未来を忘れたわけでもないけれど、そこに向けていた気持ちに整理ができてきて余裕が生まれて周りに目が向けられるようになってやっと気づけたことがたくさんある。それを成長と呼ぶのなら、うれしい。
そんなことを考えつつ焼きりんごをすべてトレイに移し、冷蔵庫に入れる。ジャムの方はあとは弱火で煮詰めてレモン汁入れるだけだっけ、と行程を思い出していると、リビングの扉が開いたのが視界の端で見えた。

「うわ、すごいりんごの匂い」

噂をすればなんとやら、今出てきたばかりの名前の人物がそう言ってこちらに来るので頭の中が少しパニックになったが、そんなことを察されると嫌なのでおくびにも出さずジャムのりんごが焦げ付かないように煮詰める。
けれど隣の陽太郎がフォークを持ちながら「じんか、ちょうどいい」と言ったので、嫌な予感を感じつつ黙って言葉の先を聞いた。

「ん? どした? ってまた作ってるのか」
「そうだ、おれがたのんだ。じゃなくて、おれはいいたいことがある」
「なんだ?」
「……じんとなまえはできてるらしいな。おめでとう、おれはほこらしいぞ」

見事に拗れたことを言う陽太郎の言葉に恐る恐る迅の顔を伺い見ると、キョトンとした、なんか、かわいい顔をしたので、それに胸を打たれたことが悔しくなった俺は鍋に視線を送りながらこれまでの経緯を話した。
俺の言葉をカウンターに手をかけながら聞いていた迅は苦笑いをうかべて「へえー……」と言って俺を見るので、サイドエフェクトを使用すると『どうせ京介の嘘を二人が信じてるんだろ』と読めた。
なるほど、やっぱりそういうことか。舞い上がっちゃった俺可愛そうだな。

「信頼関係は出来てるよ、おれはそう思ってる」
「………俺も思ってるって」
「ほんとかー? 誰かのために動きすぎて裏切ったこともあったよなー?」
「それはごめん。周り見えてなかったから……今は迅のこと見てるから」
「、はいはい」

俺の言葉に目をそらした迅に首をかしげつつ、火の通った大きいりんごをヘラで潰してからレモン汁を投入する。それにまた火を通しながら使い終わった蜂蜜の瓶を陽太郎に洗うように指示すると、迅がカウンターに肘をつきながら俺と陽太郎を携帯で撮りだした。
視線くださーい、とか言う迅に陽太郎がピースを決めたので、俺も倣うように小さくピースをするとシャッターをきられる。
また送られてくるんだろうな、この写真。
そんなこんなで出来たジャムを陽太郎が洗って拭いてくれた瓶に移し冷蔵庫にぶちこむと完成したので、陽太郎を先に休憩させるべく椅子から下ろし、使ったモノを洗おうとシンクに色々置くとそれを見ていた迅が「おれがやる」と言って腕捲りをしながら俺の横に来た。陽太郎が雷神丸に乗ってテレビの前の椅子に乗ったのを見届けてから、隣で食器を洗う迅を見て口を開く。

「なんか、新鮮だなこの光景。隣で食器を洗う迅」
「そうかー? おれだって料理した後は洗うって」
「料理してるところ見たことあるけど、キッチンでこう並んだことないじゃん」

俺の手からヘラを奪い取る迅に笑ってそう言えば、迅は俺の顔を見て眉間にシワを寄せてから小さく肯定した。

「というか、隈出来てる」
「ん? ああ最近ちょっと寒くてよく寝れないんだよな。俺の部屋の暖房調子悪くて」

いつものように笑ってそう言えば迅は食器を洗いながら「へえ」と呟いた。嘘がバレただろうか……でもきっとここで本当のことを言ったなら、心配させるか自分を責めるかしてしまうから、今のは必要な嘘だ。そう断言できる。
迅は未来のことに関わると、責任を抱え込もうとする傾向にあるから少し危うく思うときがある。そういうところが悪いとかじゃないしもし自分が迅の立場になったとき同じようになると思うけど、それでも俺は俺だから迅の責任を少しでも軽くしてやって、迅が思う最善の未来を少しでも叶えてやれたらそれはとても嬉しいことだと感じるから。だから俺は迅の、そういう弱い部分もひっくるめて大切にしたい。

「迅、」
「ん?」
「今度さ、俺の未来が変わって俺がちゃんと生きてたら、一緒にデートして」

迅の顔を覗き込むようにして言えば、迅はそう言われることが分かっていたのかチラリと俺を見て黙り込んだ。耳が赤いけど。
そして洗い終えた食器をならべ、近くにある布巾で手を拭いてから俺に向き直ると、眉を少し下げた迅はシンクに手をついてから口を開く。

「そんな、死ぬみたいな台詞言うなよ」
「照れてるくせに」
「うるさい」
「………死なないって言ってるじゃん、俺のこと信じてるんだろ?」

誰にも見えないように下で迅の手を握って笑うと、迅は俺をじっと見つめながら変な視線を向けてくるので、それに照れた俺は負けたくなくて手に指を絡ませる。
敵わない、なんて視線は俺だって向けてるのに俺しか分からないからちょっとムカつく。俺は態度と言葉でしか伝えられないから、だからこうやって触れて話すことが無意識に過剰になったのかもしれない。前の自分では考えられない。

「、返事は?」
「………勿論、行きますよ」
「何故敬語なんだ」
「そうしたかったからですかね」

へらへらと笑う迅に俺もつられて笑い、手を離して向き合う。
好きだなあ、だから傍に居られるだけでこんなに心臓パーンってキュッ、ってなるのに、もしこれでもっと近くに居られるように為ったら俺は自分が変わってしまいそうでこわい。
そんな怖さも嬉しいことだと認識してしまう自分が一番こわいが、それでも俺は成長したらしいので、悪いことではないかなと勝手に結論付けた。


                ◇◆


 今日のバイトのシフトは倉須とだった、忘れていたわけではないけれど。高校生の頃から変わらない仕事内容なので今日も今日とてスーパーヘ運ばれてきた商品のクソ重たい箱を、外に停められたトラックから店内へと運び入れる業務だ。今回は経験年数的に俺が積み上げる係で倉須が運ぶ係なので、運ぶ場所ごとに分けて積み上げていく段ボールを考えながら体を動かす。
倉須とはロッカールームで鉢合わせたので「おはようございます」と適当に挨拶した程度で、そこからは一切の会話をしていない。業務連絡や指導なんかはするけど全て敬語だし、他人感を生み出そうとしてるわけでもないのに勝手に心が拒絶してそうなってしまっている。倉須は倉須でたまに悲しそうにするけれど、こうなると分かっていたのか特に動揺も見られなかった。
新斗さんと上手くいってるのだろうか、新斗さんからは何日か後に連絡が来てあの日のことを今でも持ち出しては「流石俺の大好きな人」とか言うけれど、どういう会話を倉須として、どういう関係になっているのかは俺は二人との関わりを薄くするため聞かない方がいいと思い、言わないでとお願いしている。俺はこの二人に関して色々苦しめられてきたけど、俺も苦しめてきたから幸せになって欲しい。本当に今も心からそう思う。だからこそ今度はノータッチでいってみようと思った。

「これで一旦終わりなので運んでください」

つけている軍手を直しながらそう言うと、寒さで白い息を吐いた倉須が短く返事をして運んでいった。途中で青果コーナーのお姉さんに捕まって話をしているのが見えたが、俺は構わず次の荷物を下ろす。
新斗さんから来る近況報告のなかに倉須のことが混じるのは、いつの間にか当たり前になっていた。新斗さんから連絡が来るようになってから俺は二人のことは聞きたくないと言ったけど、一人ずつの近況なら良いと判断されたのか色々聞いてもいないのに報告されることになっている。倉須の個人ポイント数とか、倉須がなんのトリガーを使い始めたとか、そんなこと。そんな情報提供要らないって言ったけど、他に聞いてくれる人が伊都しかいないからよー、とふてくされたので、仕方なく聞いてる。
伊都先輩には俺があの日したことを話すととても褒めてくれたし、今でも二人のフォローを然り気無くしてくれているみたいだった。そのことに新斗さんは鬱陶しがってるみたいだけど。
そんなことを思い出しながら積み上げていくと、倉須がいっこうに戻ってこないので仕方なくトラックの荷台から降り、店内のバックヤードに入る。周りを見回してみると荷物は既に運ばれているのが見えたが、肝心の倉須の姿が見えなかったので「倉須ーー!!!」と叫ぶ。
すると青果コーナーの方から「きゃっ、」と声がしたのでそちらを見ると、お姉さんの手を振り払って青果コーナーの扉を開けて出てきた倉須が走って此方に来たので俺は眉を寄せる。

「………何してんだ、お前」
「すいません……」


『名字みたいに要領よく優しく出来ないや……』


「、なんだそれ。誘いに乗るのと優しくするのはちげえだろ」

読み取れた視線と、いつも倉須を狙っているお姉さんとの状況を見て適当に判断すると、正解だったのか驚いた風の倉須が俺を見つめるので、それを無視してバックヤードから外へと出る。
早く終わらせないと外の冷気がバックヤードに行って、近くにある事務所の人が困るし、これ終わらせないと店内への陳列に行けない。

「、名字!」
「………なに、」

トラックの荷台に乗ってるときに話し掛けてきた倉須に声だけ返事をして荷物に視線を向けていると、後ろで「ごめん、俺まだよくわかんなくて!」と叫ばれたので何を言われてるのか理解出来なかったが、振り向くのも癪なので無視して冷たい段ボールを下ろす。
その俺の行動を見ながら倉須は黙り込むので、俺もまた黙って荷物を下ろして運ぶように命じた。
全て運び入れると今度は店内に陳列することになるので上だけ着ていた作業着を脱いでここのスーパーの制服姿に戻り、倉須に指示しながら俺も荷台を持って店内へと入る。

「あったけー」

思わず溢れた本音と皮膚が暖められていく感覚に眠くなってくるが、ここで寝られるわけもないのでしゃんとして働く。倉須には比較的分かりやすいお菓子の置いてあるコーナーを任せて、自分は酒のコーナーにとりかかる。
俺も今年の誕生日を迎えれば二十歳になるけれど、あまりお酒に良いイメージは無いのでそんなに飲むことはしないのだろう。きっと予想だけど、飲みすぎるところで前の家の父親を思い出してセーブしてしまうだろうから。決して俺や母親に手を出すことはしなかったけれど物に当たったり激しく暴言を吐いたりしたし、母親はそんな父親を見放したから居ないものとして接するし。いつからだったかな、最初は普通の家庭だったのに。俺は猫と一緒に寝て、その時間をやり過ごしてたっけ。
冷たい缶のアルコールを品だししながら物思いに耽っていると、すぐとなりの通路から倉須が小走りで出てきたのでチラリと横目で見る。すると倉須は俺の姿を確認すると、近くに走りよってきた。

「あの、お客様に麩の場所聞かれて、分かんなくて」
「麩? ああ、インスタントの味噌汁の近くにありますよ」
「味噌汁………?」
「…………いや、俺行くわ」

倉須がここに来てから二ヶ月ほどだが、倉須は大学も行ってるし別のバイトもしているのでここのシフト自体少ないから分からないのも無理はない。大学に入ってからカフェの店員のバイトをし、収入が足りないということで伊都先輩に誘われて冬になる前に入ってきたはず。
カートを持って待っていたお客様を案内してから、倉須の仕事の進捗具合をチラ見して酒のコーナーに戻ると、俺の仕事の途中に手をつけていたらしい倉須が俺を見て「すいません、ありがとうございます」と申し訳なさそうに返してきたのであー、と適当に言う。

「迷惑かけてばっかりで、ごめん。疲れてるのに」
「………なに? 今日のこと?」
「、うん」
「? 別にこれから覚えれば良いじゃん、最初なんて誰でもそうでしょ。俺だって初めは伊都先輩に助けてもらってんだし」

そう言いながら缶のダースを持ち上げて奥の方に入れていくと、倉須は俺のことを見つめてから、そのまま小さく頭を下げて自分の仕事へと戻っていった。何でこんな普通のことで『尊敬』するのか甚だ疑問だが、倉須と新斗さんはそういうよくわからないところがあるので深く考えないことにした。
倉須がボーダー入隊が正式に決まったとき……二人と話すのが当たり前だった頃、何でそんなに俺を尊敬というか崇拝に似た視線を向けてくるのか分からなくて多少濁しながら聞いてみると、惚れた弱味とか、俺がしてきたことを考えれば当然とか言われたけど、未だに納得してない。
俺は優しくない、前にそう言ったのに分かっちゃいない。結果だけ見たらそうとも受け取れるのかもしれないけれど、俺は俺のためにそうしてるだけだって伝えたのに。

「難儀だなー」



ぽつり、と呟きながら、俺は仕事に集中するべく息を吐いた。

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