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 人型近界民、近界にいるのをそう呼ぶ。
そういう類いの知識に疎い俺はぼんやりとそんなことを思い、目の前で溜まった大学の課題を消化する慶の隣で目を伏せる。
最近、わかったことがあった。
俺はサイドエフェクトを向けられている視線を読み取るものとしてしか考えていなかったが、つまるところ、当人が覚えている範囲であればその人の過去の記憶を言葉で知ることが出来る。そして、発している言葉と頭で考えていることのどちらも分かるのだから嘘を高確率で見抜けるということ。
人間不信になりそうなものばかりに役立つ気がしたが、誰かを守るために使えたら嬉しいなと結論付けた。

「、慶、眠たい」
「我慢しろ」
「そんなあ………」

孤児院にある俺の部屋で真剣にパソコンに向かっている慶の姿は新鮮で驚くが、こう何時間も見せられていると飽きる。
というより、もう色々言いたいことがある。
『昨日遠征から帰ってきたら、玉狛支部にブラックトリガー保持者の近界民がいるらしいのでブラックトリガーを争奪しようとしたが、結局負けて本部に帰ってきたら、いきなり迅が風刃を手放してランク戦に参加することになったからすげえ楽しみなんだけど、そんなことより遠征で全然手をつけてなかった課題ヤバイから助けてくれ』というのが慶の訴えてきた一部始終だ。
こんなこといっぺんに言われたらもう言いたいことが山程あったが、孤児院まで押し掛けられてしまった手前追い返すことも出来ず仕方なく上がらせて部屋を貸した。

「なあ、俺早朝バイト…………」
「俺も大学だよ」
「元凶のお前と一緒にすんなボケ」

机に突っ伏しながらあくびをひとつすると「もう少し」と横目で牽制されたので、イラついたが仕方なく頬杖をついて目を擦る。
一人でやってたら絶対起きてられないし終わらない、けど付き合ってくれる人も居ない。いつも付き合ってくれる風間さんや公平は共に遠征に出てたし、ブラックトリガー争奪戦にも参加して疲れてるだろうから助けを請えない。そして消去法で生き残ってしまったのが俺らしい。
非常に眠たい俺だったがスペースを貸してレポート資料集めも手伝ったのに、こっちに利益が無さすぎるということで話しているうちに勝手に色々視線を読み取った。

「…………はあ」

ブラックトリガー争奪戦についての内容は聞かされていなかったわけじゃない。
俺だって腐ってもブラックトリガー保持者の本部所属、上層部の人達の中には『迅の従属』なんて思っている人も居たみたいだけれど、本部直属から命令されればやるしかない。
けれど、俺が命令されたのは慶や風間隊や迅がしていたような戦闘ではなく、それが起こる以前のことだ。
ボーダーが総出でトリオン兵……ラッドの駆除に走り回った日から何日か経過したあと……十二月十四日の夜に俺は本部から直々に呼び出された。本部から呼び出されたのは入隊して最初の頃五線仆の解析の時に呼ばれたくらいだったので緊張していたが、到着すると会議室には城戸指令しか居なかったのでそれにまず驚かされた。
これは本部全体の決定ではなく、城戸指令個人からの命令なのだと。

「なあ、城戸指令って近界民絶対許さないぞ派閥だよな?」
「あ? あーまあ、そうなってるな」

それならやっぱり尚更分からない。
俺はことの顛末を城戸指令から聞かされ、若干近界民に対して偏った言い方をされたから真に受けたつもりはなかったが、結局命令されたのは『玉狛支部内からの近界民の監視』だった。
遠征部隊が帰ってくる十八日まで三輪隊が見張りについているとのことだったが、そうではなく内部から接触する形で監視をしろ、ということらしかったのだけど。
俺も命令された時は今回のブラックトリガー確保作戦までの期間での監視だと思っていたが、そうではなかったと分かったのは今日だ。任務を終えたつもりで報告に行ったら、続行しろと言われ……しかも報告は定期ではなく城戸指令の呼び出しがあったときのみでよいと。

「………難儀だね」
「なにがだよ」
「人間」

そもそも監視、なんてお堅い言葉で縛られるのは俺の性格上良くない。だからって無理に仲良くしようともしなかったが、相手がどんなやつかってことと俺の存在を知ってもらう必要はあった。俺の存在を知られずに玉狛支部で空閑遊真くんの近くにいることなんて、忍者じゃないと無理だしそれこそ本気の監視じゃないか、と思ったからだ。
でも空閑遊真くんと何日間か会ってみて、見て、"読んで"、思ったことは、総じてかわいいってことだった。たまに冷たく危うく感じるような言動があるにしても、それはここの考えとの差が出てるだけであって悪意は全く見られなかったし雷神丸も嫌ってなかったから………動物に好かれる人は大体大丈夫だ。
もう一度机に突っ伏してタイピングする慶の指をみてそんなことを考えていると、自然と瞼が落ちていき、寝ているような寝ていないようなふわふわとした感覚にとらわれた。

城戸指令のとこに毎日会ってたし、情報流さなきゃだし、迅の動向とかも聞かれて知らねーとは言えないから探ってみたり、でも玉狛の敵にはなりたくないし、三輪隊の視線うるさいし………ここ数日疲れた。これからも監視は続くが、いきなり色々詰め込まれすぎた。俺にだってバイト尽くしっていうベースの生活があるのに。
そういえば、空閑遊真くんのブラックトリガーは父親だと誰かの視線で読んだ。気を使っているような視線だった。
身内のブラックトリガーを持つ身として少し同属意識があったが、きっと俺達は全然違う理由で戦ってるんだろうなと思い直した。そういえば、林藤さんが空閑遊真のことを話したときに『あの人の息子だしな』なんて視線で言っていたが、林藤さんと空閑遊真の父親は知り合いなのだろうか。城戸指令が空閑遊真に固執するのは、それに関係あるのかな。
ブラックトリガー…………ああそういえば、慶はアキちゃんのこと、ちゃんと思ってくれてるのかな。
前に携帯を見たときにはまだアキちゃんの連絡先が残っていたりしてたけど今はどうなの。
忘れていてほしくないけど、引きずって欲しくないな。アキちゃん、そういうの気にするから。

「けい、」
「んあ?」

薄明かるい閉じた視界の中で小さく名前を呼んでみたらちゃんと返事が返ってきて、少しホッとした。
ああそういえば、アキちゃんと慶が仲良くしてるの俺本当に嫌だったっけな。慶が来るといつもアキちゃんは慶に付きっきりだった、今考えたら一番手のかかるのが慶だったからかなあなんて思うけど、慶はやればできる子だから違うかもしれないし。もう真偽はわからない。
でも今だからわかるアキちゃんが好きだった慶のとこ、まだたくさんある。
アキちゃんが惚れ込んでいた慶の太刀筋も、前なら見る気にもならなかったけれど今は心からスゴいって思える。思いたくもないけど、刀剣の類については敵わねえーって思う。
それに、学生生活しか見ていなかったからアホなところばっか見てきたけど、ボーダーに入って隊長としての慶を見て、ちゃんと尊敬してしまいそうになる時がある。
…………むずかしい。人間って、むずかしい。
ずっと一緒にいたアキちゃんのことも今頃になって理解できることがあったり、果てしなく嫌いだった人物のことをアキちゃんが居なくなってから尊敬し始めたり。
危険だと言われる人が俺にとっては優しかったり、優しそうな人が俺を貶めようとしていたり。最初から今まで俺を嫌う人もいて、最初から今まで味方で居てくれる人もいる。
影響しあって、成長して、手の届く範囲を広げて、不安になってまた幸せを望んで。
前と同じように確実に堅実に皆のために役割へ向かって走っているはずなのに、今は昔より苦しくないのは俺に優しく厳しくしてくれる皆のおかげだ。俺のことを待ってくれる孤児院のみんなが俺の一番だけど、やっぱり、俺のことを気にしてくれる学校やバイト先やボーダーで出会った人たちも変わらず好きだ。




「………、しにたくない、な」


ぽつり、と自分が何かを呟いた気がしたが、それはうたた寝で見た夢の中の記憶のような気もして、気にするのをやめた。

「、」

するする、と頬が撫でられる感覚がする。
そのままその熱は上にあがって俺の目尻を触ったかと思うと、すぐに離れてもとの静寂を連れてきた。離れないでほしくて、その優しい感覚に酷く心が締め付けられたが、ふと、我に返ったように意識が浮上した俺はゆっくりと目を開けて徐々に部屋の灯りに目を慣れされる。
うわ、俺の部屋こんなに眩しかったか。

「寝るな、あほ」

そう言ってパソコンを見つめる慶は俺の方を一切見ず、俺の意識が曖昧になった時と同じようにタイピングに集中していた。
あほ? 誰のせいでこんな風になってんだよ、と思ったが、何故か言う気にならなかったのは、きっと今見た夢のようなもののせいだろう。

「慶」
「あん?」

さっきと同じように返事をする。

「大変だね、」
「………ようやく分かったか、この大学生の辛さが」
「あー、そこは自業自得だろ。他にも大学行きながらボーダー隊員やる人いるし」

眠気眼を擦りながら返した言葉にぐうの音も出ないらしい慶は、唇を尖らせたままパソコンから手を離すと、俺をじーっと見据えてから手を伸ばす。
そしてそのまま俺の目尻を人差し指で撫でてから溜め息をはき、勢いよくパソコンを閉じると後片付けを始めた。あ、おわった?

「おい、風呂借りるぞ」
「え? ああ、服……あ、タオルと布団もか…………って泊まるんかい!!!」
「そりゃそうだろ」
「そりゃそうなのかあー………?」

よっこらせ、と立ち上がる慶にほとほと疲れはてた俺は同じように立ち上がり、バスタオルを先に探してこようと部屋から出ようとする。

「名前よー」
「ん?」
「なんか………抱き締めていいか?」
「…………」
「…………」
「…………へ?」

突然投げ掛けられたわりと気持ちの悪い発言に顔をひきつらせて振り返ると、そこには照れたように頬をかく高身長で髭でただの太刀川慶が居たので、かける言葉も見つからず思わず口を閉じた。
もう、なんか、ドン引きするのもめんどくさいな…………。
考えることを諦めた俺は意味がわからないまま手を広げると、慶は俺を見下ろしてから俯いて少し黙りこみ、何を思ったのか、広げていた俺の手を掴むと自分の方へと弱く引き寄せた。

「、………さみーから、もっと強く」
「な、何いってんの…………」

抵抗する気のない俺が何歩か歩いて大人しく慶の腕の中に収まると、訳のわからない棒読みでそういいながら背中に手を回してきた。意図が読めないし視線も読めないからお手上げ状態の俺は腕の中で慶の顔を見上げてみたが、やっぱり全然分からなかったので、反応を返すように俺も慶の背中に手を回して少し力を強める。

「素直なおまえ、気持ち悪いな」
「おいっ」

ものすごく失礼なことを言われたのでいらっときた俺は慶の足先を踏みつけて腕の中から逃げ出そうと目論んだが、予想を外して慶が腕の力を緩めなかったので仕方なくされるがまま抱き締められる。
俺の肩に置かれた顎髭がチクチクして若干不快だし、耳元にかかる息はなんか嫌だけど、体温が俺と違って温かいから離れがたい気持ちになってしまう。

「慶あついから、眠くなってきたじゃねえか」
「お前は冷たいな」

どうしてこうなったのかわからないし、いつもの俺なら突き飛ばしてるって自分でも理解してるけど、どうしても今は心地よく感じてしまいなんだか負けた気持ちになった。
そういえば、ずっと前嵐山に俺が言ったんだっけ。抱き締められると、疲れとストレス解消になるよって。疲れはまだしもストレスなんて抱えてないつもりだけど、一定期間ストレスに慣れすぎてるとわからなくなるのかもしれない…………わからないけど。
なんて思いつつ、俺は不覚にも近くにあるこの体温が今はありがたい気持ちになってしまったので、こうなったら心置きなく体温貰ってやろうと意気込んだ。


              ◇◆



 『この季節にしては比較的あたたかい気温である十二月二十日! 今日は午後から雨が降りますので傘を忘れずに!』と午前五時にやっていたテレビ番組を思い出しつつ、寝不足気味でもやがかかったような意識のままバイトに向う俺は、まだ俺の部屋でぐーすか寝ているであろう慶のことを恨みつつ眉間を指でおさえる。
昨日慶も言っていたが、空閑遊真くんのブラックトリガー確保に失敗した件は、迅がブラックトリガー風刃を本部に渡したことによって一度収束した。つまるところ本部は、玉狛支部への三雲くんの転属と千佳ちゃんの入隊、そして、空閑遊真くんの入隊すらも拒否することは出来なくなった。今年の一月の正式な入隊日は八日だからそれまではただの野良近界民だったのに、取引よって見えない暗黙の了解で手を出すことは不可能となる。
迅が風刃を手放した。どんな気持ちなのだろう。
俺は、迅とブラックトリガーの最上さんとの関係も師弟ということしか知らない、ちょっと悔しいけど。

「、やめろやめろ」

一瞬自分の中で女々しい気持ちを察知した俺が通勤路で一人頭を振って思考を再構築し、周りに誰もいなくて良かった、と思うのも束の間、急に後ろから「なにしてんの」と声をかけられて思わず「ぎゃっ」と声を出して振り返る。
そこにはたった今考え、たった今女々しくなった原因の人物が眼鏡のようなものをかけ、ぼんち揚げの袋を携えて立っていたので再び驚いて「うわっ」と顔をしかめる。

「驚くならまだしも……おれと分かってからその声出すのやめてくれない?」
「いや、驚くでしょ………なんでこんな時間にいんの……」
「ははは、おはよう」
「おはよう…………」

自分が考えていたことを思い返してみて恥ずかしさが募っていくが、その当人が自分の近くにいる事実の方が断然ドキドキして脈拍が早くなることに気づいて拳を握りしめる。
あー、ダメだな、視界に入るだけでだめだ。早くなんとかしないと、俺は迅関係になるとダメになっていってる。
気付かれないように一度深呼吸し、聞きたいことが山ほどある俺はとりあえず「おつかれ」とだけ呟く。俺の言葉に驚いたような表情をした迅だが、開き直ったように眼鏡を外して「まあね」と返した。

「そっちも色々おつかれさん」
「………ほんとだよ、俺の趣味は暗迅と同じじゃないっての」
「おれだってべつに肯定してるわけじゃないけどさ」

ぼりぼり、とぼんち揚を食べてそう返す迅にもどかしくなった俺は、歩きながら話そ、と提案してバイト先へと向かう。何をしにここに来たのか知らないが、隣に並ぶ迅は何も言わずに風景を眺めるだけだった。
よくわからないやつだ。
ボーダーの服を着ている迅に溜め息をはき、久しく見てない学ラン姿が恋しくなったがもう着たらコスプレになってしまう事実に寂しくなってちらりと横を見る。ちょこ、と髪から見える耳や俺の好きな横顔、襟元から見える首筋、自分でも気持ち悪いって分かってても目がいくから悔しい。
その流れで口元を見るとぼんち揚のカスが付いていて、子供かよと突っ込みたくなるのを抑えつつ、笑いを堪えながら思わず手を伸ばす。

「ついてる、」

漫画の展開のようだ、と客観的に見て思った俺は、少し笑って迅の頬を親指で拭う。
すると、びっくりしたような照れたような表情と視線を向けてきた迅は「あー、うん、ありがとう」と呟くと俯いた。
そして、それをみた俺は微笑んだまま沈黙する。

な、何やってんの俺はー! あほかー!
自分で自分の首絞めてどうすんのー!
静まったばかりの心臓がまた稼働してるし、なんか、なんか、迅の耳赤い………それだけは嬉しい!

色をつけるとするならばピンク色、と即答できる雰囲気の中、墓穴を掘るのが怖くなった俺は黙って下を向くことに決める。
寝不足だからだ、慶が悪い、俺は悪くない。

「名字、」
「っ、はい?」

声裏返るところだったー! どうか緊張が伝わりませんように! なんて祈って迅の次の言葉を待つ俺は勇気を振り絞ってまた横を見る。すると迅は立ち止まり、丘の一番高いところにあるバス亭を逃げるように見てから「あー、」と言いにくそうにして頬をかく。
大変言いにくそうにしている迅に訝しげな視線を送っていると、それに気づいた迅はぼんち揚げを仕舞い、意を決したように俺を見据えると、口を開いた。

「今日その、嵐山隊が駅前で映画の宣伝やるんだけど」
「…………? へえ」
「試写会もその後にあるらしくてさ……たまには息抜きしろって嵐山からチケット貰ってて、暇なら一緒に行かないか?」
「……………………?」

丘の一番上だからか、突然ぶわっと吹いた風に目を細め、迅の言った言葉を頭の中で反芻させる。
映画の試写会………?
一緒に……、
ってその照れた視線、ん?



「…………一緒に映画の試写会…………ええ!?」


あの迅が…?
迅が!? あの忙しくて全然何してるのかわかんない暗躍専門の迅が俺と映画!?
ええ、ちょっと……風刃手放したから頭おかしくなった……?

前に迅が突然孤児院に泊まりに来た時とは比べ物にならないレベルで『あの迅が俺なんかと!?』状態になっている。
驚きすぎてなんかも嬉しいとかぶっ飛ばしてしまってるんだけど。
でも、それを誘うためにここに来たのだとしたら、ここに来るまで緊張してたのだとしたら、それはなんていうか………心が持たないくらい幸せなんだと思う。

「、その………二人きりでなら、行きたい」

自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているのか今はあまり理解できてないが、顔が燃えそうなので相当のことを言っているのだろう。
俺の言葉を黙って聞いていた迅が一瞬『再認識』なんて視線を向けてきたけど、意識する余裕もないので迅を見つめた。

「、知ってた」
「? え?」
「……名字が今日午後から空いてるのも知ってたし、おれの言葉にそう答えてくれるのも知ってた……けど、現実の破壊力やっぱりすごいわ」

そう独り言のように言っていた迅は目を細めながら僅かの間だけ俺を見つめると、何もせずに俺から離れ、へらりと笑い「また連絡する」とそのまま今来た道を戻って行った。
残された俺は頬に思わず熱い頬に手を当て、告白の返事を今すぐ出来ないもどかしさにクラクラする。ひとつの視線も気がつかないくらい。

俺も迅、どちらも好意を抱かれてると知りながら、ここから一歩踏み出せない。それはいいことなのか判断しないでここまで来たけど、今日迅が俺を誘ってくれたことは、なにかを変える切っ掛けになる気がした。

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