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 雨が降る外を見つめ、自分の頭の弱さに苛立ちながらどんよりとした空を仰いだ。今日の朝見た天気予報で雨が降ると知っていたけれど、いつもリュックに折り畳み傘を入れているから傘の心配をしていなかった………それが悪い。バイトが予定通り午後一時頃に終わって帰ろうとした手前、リュックの何処を探しても折り畳み傘は見つからなかった。自分のロッカーへ行き中を探してみたがあるはずもなく、俺は一人うなだれる。
多分孤児院の誰かが勝手に持っていたのだろう………何時もなら許すが、今日だけは……今日だけはしてほしくなかった…………。
ポケットから携帯を取り出し、さっき来たメールの内容をもう一度確認する。

『午後四時からだから、孤児院に三時くらいに迎えにいく』

あーだめだー、文章だけで心パーンってなる。
あと二時間あるから、少し雨のようすを伺うだけの時間はあるけど、このままびしょ濡れになって服を着替えてっていう手もある。どうせどっちにしろ着替えるんだから同じことだが、明日もバイトがあるので下に着てる制服はあまり濡らしたくない。
くそ………朝の番組では見てなかったけど、今日の運勢極端だな。乙女座がんばれよ。

「三十分待って引かなかったら、びしょ濡れになる」

そう決めた俺はとりあえず休憩室にあるパイプ椅子に座り、雨が窓に当たるのを聞きながら腕を組んで目を閉じる。
あっこれは…………寝れるぞ、寝不足の俺はすぐに寝れる。
このまま知らないうちに寝落ちして時間が過ぎることを恐れた俺は、三十分後にアラームをかけた携帯をローテーブルの中に仕舞い、窓側に顔を向けて机に突っ伏した。












「、名前」


どこからか俺の名前を呼ぶ声がして、何か固い音がした。そして目の下、頬、唇と段々と下に降りるように撫でられた感覚がした。
与えられた刺激に目を開けると一番初めに見えたのは、雨のやんだ灰色の空だった。
ぼやける視界で暫くそれを眺め、誰も近くにいないことに首を捻りながら、ゆっくり机の上に視線を滑らせて携帯をとる。

「…………は?」

待受画面に表示されている二時二十分という表示に思考停止し、今何か起きてるのか把握した俺は、一瞬で冴えた頭をフル回転させて何をすべきか考える。
まてまてまて……おい、俺アラームセットしたよな…………じゃなくて!
ここから孤児院行くにはバスを使えば約三十分、バスはあと五分後にある!
机の横にかけておいたリュックを乱暴に背負って教室を飛び出し、下駄箱に向かう。
従業員用出入り口に辿り着き今だかつてない程乱暴に靴を脱いだ俺はソレを適当に自分の下駄箱へ突っ込み、外靴の踵を踏み潰しながら外へ出た。すると視界の端に影が見え、何かを考えるよりも早くそちらに視線を向けるとその正体は見慣れた奴だった。

「っ倉須!?」

店の玄関にある柱に頭を預けて寄りかかり、新斗さんに似た気だるさを含んだ目で俺の声に反応した倉須は驚いた様子もなく持っていた傘を少しあげて反応した。イレギュラー門が開いたとき以来の会話を楽しむ暇のない俺は、急いでるでもない倉須を見て誰かと待ち合わせてるのかと推測し、そのまま立ち去るように「俺今すごい急いでるから!」と叫んで手を振る。
べちゃべちゃの地面をけって店の前のバス停に向かうと目の前でバスが止まったので全速力で駆け抜け、バスの運転手さんが気を使ってくれたようでギリギリ間に合って乗車できた。
このバスが信号で多くつかまらなければ五分程度の遅刻で許される……迅が余裕をもって十分前とかにくる人間じゃなくてよかった! と勝手に迅の行動を予想してホッとすると、今更になって倉須のことが気になってきたが何を考えたって答えのでない推測にしかならないので思考を止めた。



バスから飛び降りて孤児院へ走ると既に着いて待っていたらしい私服姿の迅が門に寄り掛かってるのが見えたので、走りながら近付き「ごめん!」と言って迅の目の前で立ち止まる。
迅は俺の顔を顔を見るといつものようにたいした感情の起伏もなく「汗だくだな、」とへらへら笑って返してきたが、その態度が苦手な俺は眉を寄せる。バカになれって前に言ったのに………驚いたり照れたりしてる迅の方が好きだな。

「遅刻した身で何いってんの俺………」
「ん?」
「、遅れてごめんな、ちょっと携帯壊れたのかも……ほんとごめん、何でも言うこと一個聞くから許して」
「…………へえ、それは面白そうだから許す」
「あの、今日中な」

チケットを俺に手渡しながらニヤニヤ笑う迅の視線を受け、自分の発言を後悔しかけたが全面的に俺が悪いので口をつぐんで汗を拭う。玄関から傘を一本持っていこうとしたが迅も持っていないようだったので要るかどうか聞いたが、断られたので一本持って外に出る。折り畳みを持ってるのか、降る未来が視えていないからなのか分からないがそんなことより私服姿…………。

「………ボーダーから支給されたやつじゃない服?」
「まあね」
「似合うよ」
「はいはい」
「流すな」

俺にこう言われると分かっていた素振りを見せる迅に突っ込みつつ、徒歩で移動できる距離なのでそのまま劇場へと向かった。

劇場に着いて席に座るとまだ開演二十分ほど前なのにほとんど席が埋まっており、遠方から来ている風の人達も見られた。この三門市に来るってのは他の市に来ることより少し緊張感を持たなければいけないことだけど、そんな壁を乗り越えてこれるほどこの映画が好きなのか、嵐山目当てなのかと推測した。あ、嵐山のファンっぽい。
ボーダーの広報が三門市以外に浸透してるのが垣間見えたことに驚いていると、隣で映画のパンフレットを見ている迅が俺に近づいてパンフレットを指差す。

「嵐山めっけ」
「へえ、この洋画の宣伝隊長なのか……ここでも隊長やってんのな」
「広報してる嵐山初めて見るんだろ?」
「そうそう、絶対かっこいいよなー」

もう確実にファンの一人になってる俺の発言に顔をひきつらせる迅だったけど、椅子やマイクがセッティングされていく舞台を見つめてから「すごいよ、嵐山は」と呟いたので、結局は同じ気持ちなんだと適当に理解しておいた。隣の迅を盗み見て、今朝より激しくない心臓にホッとした俺はそんな自分にうんざりしつつ、ふと思ったことを口にしてみる。

「迅、俺が空閑遊真くんとかと接触したのは知ってる?」
「ああ、本人から聞いたよ」
「そう。あの子たちかわいいねー、いいなー後輩」
「名字の後輩でもあるだろ。玉狛支部居座ってんだし」
「言い方どうなの…………でも、俺は本部だからさ」
「変なとこ堅いのな、」
「そういう俺も好きなくせにー」
「うん、まあ」
「…………う」

ほら調子に乗るとすぐこれだー!
俺のばかー!
いつもの調子で喋るとこうなるってことは、普段俺はどんな会話してるんだと悩まざるを得なくなる。確かに思えば哲次にもこんなこと言ったし嵐山とか公平とかもう色んな人に好き好き言ってるし。ちょっと反省しよ…………。

「今名字、なに考えてんの」
「え? 日頃の行いを省みてた」
「…………おれもそうしてくれると助かるよ」
「、なんでさ 」
「いろいろ視てるからさ、おれも」

前を向いたままそう言い放った迅は肩を竦めてため息を吐いたが、いろいろの心当たりがありすぎて何を言われてるのか分からなかった俺はとりあえず謝っておく。
それに倉須のことや新斗さんのことを、視られてる自信がある。何故なら何週間かに一度は俺の姿を見られてるから、きっとその度に未来が更新されていると思うので結構赤裸々に見せている。いや、ほとんど不可抗力なんだけど…………と言い訳すると墓穴を掘りそうだったのでやめた。
そんなことを考えているとシアター内の証明が少し陰り、舞台の光が強められて司会らしい女性がマイクを持って開演を知らせる挨拶を始めた。

「では説明はほどほどにしておきまして、早速宣伝隊長に登場していただきましょう………嵐山准さんです!」

司会の声に押されるように拍手が鳴り、スポットに照らされながら舞台に登場した嵐山を女性の黄色い悲鳴が包む。俺たちはシアター内の真ん中くらいの席にいるため首の角度を変えなくても嵐山が丁度見られるのでラッキーだった。いや、本当の嵐山ファンか映画ファンに譲るべきなのかもしれないが。
相変わらずかっこいい嵐山はスーツ姿でよりイケメンパワーを増幅していたが、それよりも仕事をしているという姿がかっこよくて思わずときめく。

「うわ、マジで嵐山だ」
「なにその反応。迅もあんま見なさそうだもんね、広報してる嵐山」
「見るっちゃ見るけど、こんなにちゃんと見ないからな」
「わかる…………あ、スーツのネクタイ赤だよ」
「ふーん、隊服に寄せてんのかねー」

シートの肘掛けに右手で頬杖をついて会話をしていると、迅も殆ど同じ格好で眺めていたので少し笑う。わかるよ、わかる。
広報して府嵐山すげーって思うけど、いつもの嵐山知ってるから複雑なんだよね……こう、見てはいけないものを見てるような恥ずかしさがある。でも嵐山はそんなの関係なく堂々としてるし、そもそもこのチケットを迅に渡したのが本人なんだから。そう考えると、恥ずかしく思ってしまうこっちに罪悪感が生まれるから不思議だ。

「俗に言うスパイ映画となっていますが、ノンフィクションなので他とは違う…………」なんて映画の感想を述べ、これから作品を見ることになる俺たちに期待させるような話をする嵐山を見て尊敬しか抱かないでいると、不意に視線を感じた。
これだけこの空間にいる人間が目の前に注目しているというのに不思議だな、と思って周りを見ようとしたが、すぐ横にいる人物が俺を見てたのでぎょっとする。

「な、なに」
「…………べつにー?」
「…………はあ、」

いや、言われなくてもわかる。
明らかに分かりやすい嫉妬の視線を向けてきた迅に戸惑ったが、何となく、迅にはこれから俺がどんな態度をするのかわかった上でそんな視線を向けてきたような気がして、ちょっとムカついた。ムカついたというか、いじけたくなった。

本当は、見て見ぬふりをしようとおもった。

今は好意に応えられないから変に、なんか、近づくのも嫌だし相手にも悪いと思ったから。だから告白してもらってから今まで照れ続けているだけだったし、言いたいことも言えずに曖昧に流していた。迅の姿を見ることも、言葉を聞くことも、視線を向けられることも照れ隠しばっかりしていた。
けどそれって、卑怯だよな。俺も迅も。
お互い好きって分かってても結ばれることは今はない………そんな関係が嫌いじゃないけど、こうやって俺だけが好意を見て見ぬふりして迅はそんな俺を分かってて好意をたまに見せる。そういうのはなにも生まない気がしたし、なんか「おれがなににやっても、きっとまだなにも言えないよな」みたいな感じがしてこっちだって色々言いたいのになんか、腹立つ。
だから俺は頬杖を解き、その手を下げて

空いている迅の左手を握った。



「、あの、名字さん?」


俺に手をとられてビクッとした迅が少し引きつった笑みで尋ねてきたのがやっぱりなんか嫌で、どうにか崩してやりたい俺は掴んだ手に指を絡めて少し引き寄せる。
そして少し俺の方に傾いた迅に耳を貸せ、と人差し指で合図してから恐る恐る近づいてきた迅に顔を近づけ口を開く。

「俺のこと、あんま甘く見んな」

俺はそう言い放って距離をとり、手を繋いだまま何事もなかったかのように嵐山のいる舞台へと視線を移す。どんだけ女々しい趣味してたって、俺だって男だ。
すると隣で口を半開きにして俺の言葉を聞いた迅は我に返ると、ごほん、と一つ咳払いをしてからじーっと俺を見つめてわざとらしく視線を送ってきたので目を伏せて意識してやる。
前々からよく言われる恥ずかしいだけの『かわいい』より断然嬉しい『かっこいい』という視線を送られ、まあまあ満足した俺は息を吐いた。

 
              ◆◇


 映画を観終え、館内のロビーでそれぞれの感想を言い合いながら別々に嵐山へメッセージを送った俺たちは歩みを止め、出入口にたどり着く前から聞こえる雨音に空を仰いだ。
映画は面白くノンフィクションらしくリアリティーのあるいい映画だったし、映画の後の嵐山への質問コーナーでは沢山のファンが嬉しそうに嵐山へ質問したのを嵐山も爽やかに答えていてニヤニヤしたし、初めて見た広報の嵐山を本当に尊敬して、迅とも一緒に時間を過ごせて…………手を繋げてすごく幸せな一日だった。
だからだろうか、同じ雨でもバイト先で見たときの雨模様より今の方が輝いて見えるのは。って、くさいことを思ってしまった……映画のせいかな。

「よっし、帰るか」

そう言って出入口の扉を押さえながら出る迅に返事をして透明なビニール傘を広げ振り返るが、何食わぬ顔で俺のとなりに移動してきたので視線が自然と横に向く。
身長が同じだから顔が近くて胸が高鳴ったが、ここで黙り込んで時が経つのを待つだけの自分はさっき捨てたので「顔近くない?」と呟いておく。

「いいだろ別に、減るもんじゃない」
「…………ていうか傘は?」
「持ってきてない」
「……降るって分かってたくせに?」
「当たり」

わざとこの状況をつくったらしい未来視サイドエフェクト持ちの迅は、いつものようにへらへら笑って俺に短く返事をした。
なんだか、自分の為にサイドエフェクトを使ってる迅はそんなに嫌いじゃないかも、なんてどこ目線か分からない感情を抱いた俺はそのまま歩き出し、迅の方へ傘を傾けながら言葉を投げ掛ける。

「そういえばさ、もうS級じゃないからランク戦参加するんだろ? なんか慶が嬉しそうにしてた」
「そ、とりあえず目指すは攻撃手ランキング一位」
「とりあえずでそれなの………まあ、俺のいないときは慶とやりあってたみたいだしね」

俺の知らない迅の話になるとちょっと嫉妬するが、今のは自分から切り出した話なので責任転換する先もなく、ただ落ち込む。
女々しいとか言わないで、アホとかバカとか言うな。俺はちょっとばかし嫉妬深いんだ。それはもうアキちゃんと慶を見てるときから自分で把握してる。

「楽しかったなー、あの頃は」
「ふうん? 慶も喜んでたから、まあ、頑張れ」
「………もちろん」
「ランク戦見かけたら応援してやろうか? 緑川くんみたいに『迅さん迅さん!』って」

前に目の前で繰り広げられた二人の関係を思い出したので真似してきゃぴきゃぴ言ってみれば、真顔になった迅が人差し指を立てて「もっかい」と要求してきたので、ジト目を向けるだけ向けて無視した。

「一番最初は迅さんだったよ、俺」
「そうだっけか? てか名字は、年下でも初対面はさん付けになりがちだよな」
「最近年下は辞めようかと、」
「なんでまた」
「ん? んー、初対面がとっつきにくいって何人かに言われたから」
「へえ? 誰に?」
「教えません」

俺ばっかり俺のこと知られるのが癪なのでそう言えば「何でそこを渋る?」と眉をひそめられた。
こんな風に普通の会話をするのが久々に思えた俺は少し視線を逸らして目を細める。
いつもマストで未来の話をして、告白の件があってからは俺も迅も長居しようとしなかった。他の会話といっても、何々があってお疲れさまーとか、何々があるからがんばれーとか、そんな短い会話のみだった。全てがそうだとは言わないけれど、逆を言えば生産性しかなかったし、必要なことばっかり話してた。それは出会った頃からかもしれない。友達であって友達ではなくて、未来で繋がってる関係だった。

「名字は、何が好き?」
「…………へ?」

突然の話の展開に思わず変な声を出すと迅は俺を流し目で見つめてから前を向き、そのまま言葉を続ける。

「誕生日のときからホントは聞きたかったんだけど聞くタイミングがな………未来視えてたって分からないし。そもそも未来だって隅から隅まで視えるわけじゃない」
「お、おう」
「だから………教えてくれ、名字のこと」

その台詞がものすごく心に響いた………というかきゅんと来た俺は頭がおかしいのだろうか。でも、俺と同じことを考えているような言葉をかけられれば、それは仕方のないことだと思う。うん。
柄にもないこと自分で言っていて恥ずかしいのか視線を逸らす迅を見つめ、相変わらず俺の好きな横顔をしてるのを再確認してから傘を持ち直す。手汗すごいんだもん。

「紅茶」
「…………淹れるのか?」
「カズエさんが好きだからよく飲むし、舌がそれに慣れてるから」
「、ああ、食事のときも紅茶だったな」
「食事によって変えてるんだよ、種類」
「へえ…………」
「迅は、ぼんち揚くらいしか知らないな……あ、でも、お菓子とか結構食うよな。玉狛の机に置いてあるやつとか」
「あー、玉狛はおかしに困らないからな…………誰かさんも必要以上に持ってくるし作るし」
「でもみんな食うじゃん」
「そうなんだよな」

他愛のない会話、こういうことを言うのかと実感させられてる俺はくすぐったい気持ちになっているが、隣の迅はどう思ってるのか分からないけれど嫌そうじゃなかったのでホッとする。サイドエフェクトがないと俺には人の心の真意はわからない、けど、読み取ろうとは思わなかった。

そんな会話を続け、あっという間に玉狛支部の前まで来た俺は見送ろうと立ち止まったが、迅は俺の顔を見ると一瞬『期待』の視線を向けてから「あのさ、」と言う。

「ん?」
「一つ何でも言うこと聞くってやつなんだけど」
「…………あ、ああ」
「ほんにんが忘れてるのは知ってたけど、今使うことにした」
「えー、なに?」

濡れないように傘を迅の方に傾けて首を傾げると、迅は俺の手の動きを見てから俺へ少し近づいて目の前に立った。
言いにくそうな表情をしてから「去年、これよく言ったよなあ」と遠い目をして呟くと、俺を見据え口を開く。



「名前で、一回呼んで」



迅らしくない、照れた表情なんて。
けれど俺には比較的よく見せてくれる表情で、それが特別に思えて嬉しい。
そんな気持ちを伝えたいけど伝えたくない俺は、この言葉にそれを乗せて、いつか分かってくれればいいなと漠然と考えて微笑んだ。


「…………ゆういち」

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