8


 一月八日。午後七時。倉須がバイトを終えるのがこの時間のため、暗くなってきた空を見上げていると俺は倉須の家にたどり着いた。
午前中から行われていたというボーダーの正式入隊日の結果を色々な人から報告を受け、千佳ちゃんが空けたというボーダー本部の穴の写真が哲次から送られてきた時は流石に笑ったし、遊真くんがタイムアタックの訓練でとんでもないタイムを叩き出したことも教えてもらった。色々やってくれると思ってたからそんなに驚きもしなかったけど。
そんな風に三雲隊のこれからが楽しみになった午前中を終え、何をしていてもこれからのことを考えてしまっていた俺は、ここに来るまでをとても長く感じていた。

「はあ、」

伊都先輩から危険信号を出されたのが十二月初め。
改めて行動する気になって、新斗さんを泣かせたのが十二月後半。
迅に色んなものを返していきたいと思ったのが昨日。
そして、今日、多分、やっと終わる。
そんな風に自分を鼓舞した俺は、既に帰宅しているという倉須の家のインターホンを強く押して返事を待つ。すると返ってきたのはインターホンからの返事ではなく、玄関から出てきた倉須本人からの「はい」だった。
これじゃあインターホンの意味ないだろ、と言いたかったが、いつものようにする気持ちじゃなかったので、倉須を見据える。

「………なにか、言いたそうだね」
「当たり前だ、そのために来た」

俺の顔を見て小さく笑う倉須に視線を逸らすと、倉須は俺を家へ招き入れた。前に来たときと何ら変わらない風景に、少し記憶が蘇った。
倉須がボーダーになって新斗さんや伊都先輩から新しい居場所を得て、少しは変われて余裕ができたから俺にも普通に接していると思っていた。だから家に誘われたら普通に行くことも出来たし、会話だって普通の男友達同士の会話のように出来たのに。そうじゃなくて、新斗さんっていう捌け口を作っただけだった。
前は幼馴染みの代わりに俺がいたけど、新斗さんは俺の代わりにそこにいるのが苦しいって言ってた、倉須はこのままじゃダメだって俺みたいにそう思ってくれている。

「部屋上がる、お前も来い」

そう言って返事も聞かずに階段を上がっていくと、倉須は横を見てから倉何か言いたそうな視線を向けつつも着いてきたので俺は眉を寄せる。前と同じじゃんか、俺の後ろをついてあるくコイツはもううんざりなんだよ。
電気のついてない薄暗い、何度も見てきた部屋にリュックを下ろし、コートを脱いでそれも床に置く。いつもの場所に。そんな俺を少し見下ろして見つめてくる瞳に俺は舌打ちし、うなじを掻く。
苛ついてるらしい、俺は。
この状況になったことは誰も悪くないと理屈で分かっていて、寧ろこの問題を軽く見てて自分のことばっかり考えていた自分が悪いと合理的な判断を下したはずだけどこうやって面と向かって倉須を見て、ムービーを思い出して、新斗さんや迅を思い出して、やっぱり、苛つかずにいられない。
そんな俺の心情は知らないくせに俺がイラついてると察した倉須は何も言わずに俺のそばにいた。

「お前、新斗さんと最近話したの」
「新斗さん? いや、最近は話してない。なんで?」
「…………俺が新斗さんに頼んだから、守ってくれてるかの確認だよ」

そう言って怒鳴り散らすでもなく淡々と確認するように話す俺に、やっと何かが起きてると分かったらしい倉須は俺の肩を掴んだ。
そして眉間にぐっとシワを寄せて何かを言おうと倉須は口を開いたが、何も言わずに閉じたのを見て俺は眉を寄せた。言われなくたって俺には読める、動揺してんだな、俺にバレたことが。
バレたという表現は新斗さんもしていた。けど、新斗さんは倉須のために隠していて、倉須は自分のために隠していたんだ。

「それが許せねえ」
「、え?」

そう呟いた俺は、目を見開く倉須の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
高三のとき退職するという佐藤先生のことを佐藤さんに聞きに行こうとして倉須に止められ同じくこうしたが、そのときは何故か視線が喜んでいたけど、今日は違うらしい。
俺も今日はちがう。俺のことも考えろよって怒りじゃない、新斗さんを傷付けて、俺を裏切って、自分の保身を考えてる倉須に対する怒りだ。

「話は聞いたし、見た。がっかりしたよお前には」
「…………、ごめん」
「謝んな言えよ。そんときの気持ちを、なんでこうした? お前成長したと思ったのに、なんでこうやって戻ってくる?」

泣かない。絶対泣かない。
そう決めた俺は唇を噛み締めながら目頭が熱くなるのに耐え抜く。
倉須はそんな俺を見つめて苦しそうにすると、泣き出しそうな表情のまま言いたいことを纏めるように口をつぐむ。
俺は優しくなんてない、そんなこと昔の俺を知ってるこいつなら分かる筈なのに。

「、幸せになってほしかった、名字には。だから大学入って別々になって、本当に誰かに俺も寄り添おうとして、頑張ってたくさんの人と会った」

頑張ったのは、新斗さんから聞いてる。

「けどやっぱりちがう。皆優しくない、名字みたいな人はいないから無理だと思った。だから一人で生きていこうと思った………けど、新斗さんが『俺がいるから、大丈夫』って」

そう言ってついには涙を浮かべた倉須に俺は息を吐き、冷静さを保つ。新斗さんは気づいたんだ、倉須が一人になろうとしてることに。前の自分がそうだったから気付けたのだろうか。
新斗さんのそのときの気持ちを考えて胸が締め付けられたが、目の前の人物が言葉を続けるのでそちらに耳を傾ける。

「一緒に居たら絶対名字の話になった。二人とも名字が好きでフラれてるから、同志だなって、それで俺がその関係に甘えてるうちに、…………そういう流れになった」
「、くそ」

弱いやつだって知っていた。だからいつもフォローしてきた。
幼馴染みの消えた日に電話をかけるのも、学校で構うのも、俺が倉須の前を歩いていくのも、幼馴染みの代わりになることも全部してきたし、当時の俺はそれで良かった。でも環境は変わる。これじゃいけないと遅いながらにも気がついたから離れさせて、倉須も誰かと寄り添おうとしたから、だから手離したのに。
でも弱いやつだからってわかってるからってこのまま、こいつの弱さを享受していちゃダメだ。
そう思った俺は下を向いてぎゅっと目をつむる。
やるんだ、決めたろ。

俺は目の前で俺を見つめる倉須の胸ぐらを掴んで少し歩き、ベッドの近くまで来てから、倉須の腹を足で押すように蹴って座らせる。
その俺の行為に驚いて目を見開いていた倉須が「え、」と呟いたが無視し、そのままぐっと倉須の頭を押して倒れさせた俺は、寝転んだ倉須の腹の上に乗る。
もういい、全部。早く終わらせてやる。
倉須の着ているシャツのボタンを一つずつ開けると、倉須は焦ったように途中で俺の手をパシッととって止めさせた。

「なに、やってんの」
「…………お前が望んだんだろ、俺とこうしたいって。だったらお前は俺を俺だと思ってやればいい」

倉須の手を乱暴に振り払い、ボタンを開ける震える手が震えることに気づかれないように気丈に振る舞う。
だって怖いだろ、こんなの。好きなやつじゃないのとこんな風にやるなんて。だからこそ今になってキチンと新斗さんは本当に倉須のことが好きになってくれてるんだと分かる。それが不覚にも泣きそうだ。
こんな方法間違ってるって分かってるけど、倉須が間違ってるから間違った方法じゃないとダメなんだ。そしてきっとこの状況を迅は見たんだろう、ごめんな。
そんな色々なことを考えて全てのボタンを開け、俺もタートルネックを上から脱いで上半身裸になる。そして、俺の体を見上げてから目を合わせる倉須の視線が冷静さを取り戻してきたのを感じつつ、俺は息を整え、声を震わせないよう必死にこらえて倉須の頬に手を伸ばして呟いた。





「好きだよ、迅」


本人にも言ったことのない言葉を言わされてることに酷く傷付いたが、今日が来るまで何度もシミュレーションしてきたことなので少し耐えられた。
俺の言葉を聞いた倉須が驚き、そして同じように傷ついているのを視線で受けたが、そんなことに気をかけるほど優しくない俺は追撃するように言葉を続ける。

「俺、経験ないからあれだけど、」

そう言って俺は倉須の顔の横に手をつき、上から見下ろしながらへらへら笑う。きっと、俺ならこう言って笑うだろう。
そんな俺を見上げた倉須が瞬きすると一筋涙が頬を伝っていったけど、拭いてやる気にもなれなかった俺はじっと倉須を見つめる。深く傷付いて深く反省してる、今までやって来たことを思い出して新斗さんの心中を知ったから。
でも、そんな当たり前のことだけじゃ、ダメだ。俺から何かを促すんならこいつは弱いままだから。
倉須の胸に手を当てて肌に直接触れ、ベッドについた手を折って肘をつき、そのまま俺を見ている倉須の唇に自分の唇を重ねる。

「、」

誰も望んでない。こんなもの、だからやるんだ。
唇を押し付けてから離し、乾いた自分の唇をぺろ、と舐めてからまた唇を塞ぎ、そして唇を離し胸に置いた手を下にするすると伸ばして、かちゃ、と倉須のベルトに手をかける。
するとその瞬間、倉須は俺の手を取ったかと思うと濡れた唇で言葉を小さくか細く、紡いだ。

「、やめて、名字、ごめん、」

片方の腕で目元を隠しながらそう言った倉須に、怒りが募りすぎて冷静になった俺は止められた手を払い、目元を隠す腕を掴む。

「逃げんな、考えろ。お前がしてきたこと謝って許されようとするな」

掴んだ腕に力を入れて倉須の顔から退けさせ、真っ直ぐ視線をあわせて言葉をぶつける。
この問題は、お前が変われば終わるんだ。分かれ、行動しろ。
そんな思いを乗せたって視線干渉のない倉須には分からないって知っている、けど、言葉で言ったって伝わらないんだから。
潤んだ瞳に自分が映るのが見え少し力が抜けるが、倉須を甘やかすことをやめた俺は口を閉じる。

「っごめん、」
「俺に謝んな」
「、………好きな人にこれをやられると、キツい」
「っ新斗さんはいつもこういう気持ちだったんだ、お前が大切だから、傷つけたくなくて断れなかったんだ」
「…………俺を、好き? 新斗さんが?」
「、どうでもいいと思ってるやつと、こんなこと出来ねえよ」

掴んでいた手を離し、今実感したばかりのことを言い放つ。
新斗さんの心情を全部言う気はない、二人で解決してほしいから。こうやって去年も二人に任せて今こうなってるけど、きっと、今回は大丈夫でありますようにと新斗さんの幸せを願って行動する。
倉須のことはもう、正直そう簡単に信じられない。
鼻をすすり目をこする倉須を見おろして、頭痛のしてきた俺は頭を一度強く叩く。
前まで気を使って言えなかった、傷つけたくなくて言えなかった、それが俺の優しさだと倉須が感じているのなら、そんなもんぶち壊してやるよ。足掻いてきた俺が無駄になろうが知るか。

「勘違いすんな、俺は優しくない。今の自分の人生を生きてきただけだ………だから嫌いなお前には本音を言ってやる」
「………ほんね?」
「…………」
「…………名字?」
「っ、俺は今のところ今年中に死ぬことになってる」
「……………………は?」

俺の言葉が理解できていないのか、見上げるだけで感情のない視線を向ける。
知らねえよそんなこと。

「だから、お前が俺のところから離れられるようにした。そうしてお前も同意で離れた、なのにこの有り様とかふざけんなよ………裏切ってんじゃねえよ………!」

前に、仮定ということで俺が死ぬかもしれないと話したことがある。あのときは未来ばっかり見ないで今を見て、と言われた。その通りだと思った俺は未来に繋がる今を幸せにしていきたいと奮闘し、結果を出してきた。
あの言葉に救われた俺はバカだったのか。決別して生きていこうと思えた公園でのあの瞬間も、俺しか心打たれなかったのか。

「信じた俺が…………、もういい」

そこまで言って泣きそうになって、もう、倉須に何かしてやろうという気持ちが薄くなった俺は息を吐き視線を逸らす。
もういいだろ、これで何もこいつが行動しないなら、俺がどんな手使っても新斗さんを幸せにする。何をしてでも。
そんなことを思った俺は倉須の上から退き、自分でも分かるほど冷たい目で倉須を見おろしてから床に落ちた服を着る。ガンガンと脈打つ頭痛に顔をしかめることもなく無表情のままコートを羽織ってリュックを持とうとすると、倉須が俺の手を掴んだ。
そして懇願するように俺を見ると、ポツリと呟く。

「………もどすか、ら」

その言葉の意味に目を細める。
すると倉須は鼻をすすりながら涙を袖でふき、息を整えてからもう一度俺を見上げ言いはなった。

「取り戻すから、信頼。絶対に全部。だから死なないで」

そう目を赤くしながら言いきった倉須に俺は驚かされたが、この言葉を真っ正面から受け止める気持ちにもならなかった。けれど、ここ何ヵ月かずっと感じていた気だるさのようなものはなく、ちゃんと俺を見据えて言葉を発してるのは分かる。
コイツは弱いやつだ。だからこんなこと言いつつ、また挫折するときが来る。だからいやなんだ、もう期待するのは。

「やめろ。今日来たのは、新斗さんにお前を助けてと頼まれたからだ」

俺はその言葉を冷たく言いながら掴まれた手を離させ、そのままリュックを背負って部屋を出る。
もう二度と来ない、そんな決意をしながら階段を降りて玄関に着いて靴に足をいれると、微かに扉の閉まったリビングの方から変な音がしたのに気がつく。
今日は倉須以外誰もいない筈なのに……そう思って舌打ちをかまし仕方なく扉をちらりと覗くと、キッチンの方から白い煙がたっていた。
俺が思わず走ってそちらに向かうと予想通りヤカンに火がかけられていて、幸い大事には至っていないが本当に危ないところだった。これで蒸発して中身が全部無くなってたらと思うと身震いする。

「アホかあいつは………」

台にセットされている二人分の紅茶のパックを見て思わずそう呟いた俺は手をついて息を吐く。そして、階段を上がるとき何か言いたそうな視線を向けてからキッチンの方を見ていたのを思い出した俺は、増してきた頭痛に目を閉じ、何よりも俺の言葉を優先して行動していたアホの顔を記憶から抹消させようとする。上手くいかないと知りながら。

ぼや騒ぎを免れた俺は、今度こそ玄関からでて本当に心からこの家の敷地を二度と跨ぎたくないと強く思った、今度は何を起こすか分かったもんじゃない。
これで変われただろうか、新斗さんの現状は。
どう動くんだろう、未来は。
分からないけど俺と倉須の現状を終わらせたことは分かる。

だからどうか、俺の知らないところで何か始まっててほしい。
いつも物語は終わりが来れば始まりも来るって知ってるから。

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