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 浅い眠りの中で何だか機械音がしたかと思うと自分の額に誰かが触れ、その手が異様に冷たくて気持ちよかったからか、それをきっかけに自分の意識が段々と浮上して覚醒していくのを感じた。

「やあ、起きたかい」

目を開けてすぐに聞こえたいつもの声に視線を横に向けるといつもの部屋を背景に新羅の笑った顔が目に入り、なにか夢を見ていたような気がしたけれど、それも忘れてしまった。
新羅のいつもの言葉に答えながら起き上がろうとしたが通常より力が入らないことに気付いて思わずまた仰向けの態勢に戻る。そういえば、背中と腹を二ヶ所刺されてその上右腕を骨折していたんだっけ。まあ確かにそれならば普通なら起き上がる方が難しい。けれど、俺は普通ではないと自分でも知っているために、この状況に確かな違和感を抱いた。

「あぁ、起き上がらなくて良いよ」

新羅は俺の額から手を退けると、代わりとでも言うようにタオルと氷水の入った袋を俺の額の上に乗っけた。そのいつもと違う幼馴染みの対応と、ぞんざいな扱いで転がされているのではなくキチンと敷き布団に寝かされている自分の状況を鑑みて、なんとなくいつもの日常から脱線してしまったことを知り、ぱちぱちと瞬きしながらこの状況の真意を促すように新羅を凝視すると新羅は「あぁ」と呟いて俺に笑いかけた。

「君、珍しく熱が出ているんだ」

新羅はさらっとそう言うと俺が寝ている布団の近くに正座してから、なれた手つきで俺の首筋に指を当てて脈を測る。
というか、熱? 大きな怪我によって細菌が入って結果引き起こされるあの熱が?

「今回のは酷かったよ、いつもなら運ばれてくる時点で傷口は塞がってきているというのに、今回のは全く塞がってなかったからね」

大変だったよ、と笑いながら告げる新羅の言葉を耳に入れながら道具台にある見慣れた止血剤と血まみれのガーゼのようなものが沢山散乱している状態に俺が寝ていた間のことを察する。そうか、大量出血で倒れたんだっけ。視線をしたに下げると俺は制服ではなく病院で着るような病院服を着て寝かされていて、輸血の針が刺さっていたらしい跡があったり、骨折した右腕には添え木の役割を果たしているであろう白い道具があるけど、知識不足で名前は知らない。
つまり何が言いたいかと言うと、俺の怪我はいつもより重症らしかった。

「あぁ、骨折は治ったかな」

そう言って新羅は寝たまま俺の右腕からその白い道具を取る。新羅が骨折をもう治ったというなら、俺は一時間以上は確実に寝ていたことになるんだけど。

「新羅、今何時?」
「えーっと、九時半過ぎかな」
「、ガチか」

予想より過ぎていた時間を聞いて反応を返すと「焦ると口が悪くなる癖は変わっていないようだね」と、道具台のガーゼやらなんやらをごみ箱に捨てながら新羅は笑う。「そんなことない」と呟きながらも、そういえば小学校高学年くらいにも新羅にいきなり言われた覚えがあることを微かに思い出した。というか、今現在が午後九時ということは軽く五時間以上は寝ている計算になる。

「いや、ごめん、帰るね」
「うん、そう言うと思った。けど、それは出来ない」

額の上にあった氷水の入った袋とタオルを避けてから上半身を根性で起こしながら新羅にそう告げれば、また予想とは裏腹に俺の提案は断られてしまい、俺はその新羅の回答に違和感と疑問を抱いて首を傾げてみせる。
何度か夜遅くまで意識が落ちていたことはあったけれど、その度に自力で帰ったり、たまにセルティが送ってくれたりしていた。というよりむしろ、新羅の方がいつも夜遅くまでいると迷惑そうにするから提案したんだけど。

「いや僕からしたら、君がいることでセルティとの愛を育む邪魔をされていると言っても過言ではないわけだから正直言うと泊まられるのは迷惑なんだけどね」

上半身を起こしたことでさっきまで見上げていた新羅との目線が同じ位置になったのが運悪く、ペラペラと思っていた通りの遠慮とか配慮とかの欠片もない台詞を目の前で聞くことになってしまった。
これ、静雄とか折原にも言うのかな。言うんだろうなあ。

「それにね、セルティは決まってこの時間はある番組を見るんだけど、その時のセルティの楽しそうな表情と言ったら本当に」

なんて俺が考えていることなど露知らず、新羅は話が暴走するかのごとく脱線していたので、思わず俺は自分が看病されていることを忘れて、治ったばかりの右腕で新羅の両頬をわしづかんだ。すると、新羅は「ぶふっ」とかよくわからない声を出したかと思えば、タコみたいな口のまま「ふみむぁふぇん」と多分謝ってきたので手を離してあげる。

「まあ、医者の卵として言わせてもらうと、君の回復力がいくら大きくても細菌や病気の類いには弱いんだ。そこを鑑みても、今君がここを動くことは得策じゃないと思うね」
「はあ…………けど、セルティが」
「セルティ? セルティが君に帰れだなんて言う筈がないだろうし、迷惑だとも思わないんじゃないかな」
「だよねー」

ここから出るための逃げ場が無くなったことを悟って、泊まらせて貰うことを認めると「潔いね、相変わらず」と相変わらず褒めてるのか褒めてないのかよくわからないニュアンスで俺に呟いた。

「セルティを呼んでくるから待っていて」

俺の掌を開かせてタオルを抜き取るとそう言って部屋を出ていった新羅の背中を見つめながら、俺は扉が閉まるのをぼーっと眺めた。
一人になった瞬間に身体が重くなったのを感じて「本当に熱出ているんだ」と今更ながらに実感し、なんとなく天井を見上げてぼーっとしてみる。熱が出たのなんて何年ぶりだろう……小学生の頃に風邪をひいた時以来かなあ、なんてことを考えながら部屋を照らす電球を暫くじっと見つめていると、いきなりハッと思い出した。

「か、門田……結局帰ったのかな」

今の今まで忘れていた自分に失望しながら、携帯と鞄を探すが見当たらない。多分いつものようにソファにでも置いてくれていると思うけれど、俺は今それを必要としている。この部屋には本格的な医療機器なんてものはないからここで携帯を操作しても支障はないとは思うんだけど。いやいや、いつも一人の責任でぶっ倒れてたから、そう、忘れていたというか…………そこに行き着かなかったというか至らなかったというか。
そんな言い訳めいたことを天井を見上げたまま考えていると、扉が開いた音がしたので視線を扉の方に向ける。すると、其処には湯気のたつ何かをおぼんに乗せて持ってきてくれたセルティがいたので俺は思わずカッと目を見開く。

「っえ、セルティ、」

リビングとこの部屋を繋ぐ扉を開けたままセルティは俺の近くに正座すると、おぼんを俺の膝辺りに置いてからPDAで『晩御飯の鍋で作った雑炊でよければ食べてくれ』と打って見せてくれた。俺は焦りを態度に表さないよう心掛けて「ありがとう」と言いながら、置かれた雑炊から出るゆらゆらと揺れる湯気を見て必死に心を落ち着かせようとしているわけだが。
『名前のは個別にして作ったから安心してくれ』というPDAを見ながら、どこら辺になにを安心するものなのか今の俺の頭では理解出来なかったが「うん」と返事をする。

「……………」

熱でぼーっとする頭のなかでチラリとセルティを見ながらおぼんの縁に触れる。
いやいや、確かに新羅からはセルティへの愛と共に「セルティには首から上がないんだ」という話は聞いていたが、実際にヘルメットの下を見たのはこれが初めてなのだ。しかも、いつもの見慣れた黒いライダースーツではなくシンプルなピンク色のパジャマを着ているという違和感も相まって俺の動揺は強かった。というか、首からなんか黒い影出てるように見えるし、首から上がないって言ってたくせに普通に首あるし、よくわからない。あ、首から上って首は含まれてないのかななあなんて、そんなことを頭の片隅で思いながら自分の動揺を紛らわせるためにもとりあえず作ってくれた雑炊を食べようと思って雑炊の入った小さな鍋のとなりに置いてあるレンゲを手に取ろうと手を伸ばす。

「いただきます」

そう挨拶するとセルティは頷く。というか、いつものヘルメットが無いからどこを見て言えばいいのか分からなくて咄嗟に首もとを見てしまったけれど多分失礼だよね。これからは目があると想定した場所を見て言おう、と決意しながらレンゲを掴もうとすると、思っていたよりもレンゲが重かったからか熱のせいで力が入らなかったからか、俺はレンゲをおぼんから畳の床に落としてしまった。

「うおわあ、ごめん、」

いつもなら土下座する勢いで謝るところだけれど、いかんせん今の俺の状態ではそれすらも出来なかった。熱が出ること事態久しぶりすぎてか、自分の身体が思っていたよりも融通が効かないことを忘れていたみたい。

「……………よし」

力を入れる練習するように手を握ったり開いたりして力を確かめてからレンゲを拾って何事もないように使おうとすると、さっきまでアワアワとしていたセルティが俺の手からそれを抜き取って『新しいものと取り替えてくる』と打って立ち上がると、新しいレンゲと交換して来てくれた。申し訳ない。
帰ってきたセルティを出来るだけ申し訳なさそうに見つめながら「今度は落とさないから」と、俺が自分に言い聞かせるように言うとセルティはPDAに文字を打ち込み始めた。

『よかったら、私が食べさせようか?』
「えっ、やった」

セルティからの思いもよらない提案に、俺は遠慮の欠片もなく頷いた。正直こうやって上半身を起こしていることすら辛いので本当に願ったりかなったりな提案だったのだ。セルティ優しすぎるホント女神、なんてそんなバカなことを考えている間にセルティは『悪いが、冷ますのは自分でやってくれると嬉しい』と打ち込むと、PDAを横に置いてから俺の膝の上にあったおぼんを自分の太ももの上に移動させてレンゲで雑炊を掬う。
冷静に考えるとおかしいこの状況に思わず笑うとセルティが多分首を傾げたので、俺は「嬉しくて笑ったんだ」と説明するとセルティは一瞬固まってからせっせと雑炊を掬う行為に戻り、一口サイズの雑炊が乗ったレンゲを俺の口まで運んでくれた。
だから俺も応じるようにふーふー、と目の前の湯気を飛ばしてある程度冷ましてからぱくりとそれを口に含む。

「ん、おいひいよセルティ」

口に含んだ瞬間だけ魚介系の出汁が効いているような気がしたけれど、正直熱でよく判断ができない。でも、美味しいのは確実だったのでそのままの感想をセルティに伝えると、セルティは一旦レンゲを置いてからPDAを手にとって『よかった。味は分からないから不安だったんだ』と打って見せてくれた。
そうか、味見も出来ないのか。いやでも、味見していないのにこれだけ美味しいのはすごいや。
そう一人で感心して次の一口を待っているとパサッとタオルが一枚セルティの隣に落ちてきて、何事かと思って顔をあげると新羅がショックを受けたような表情でワナワナと震えていたから、すぐに何となく「めんどくさいことが起きる」と直感して少し身を引く。

「名前、君ってやつは……!」
「、うおっ」

読み通り新羅はいきなり俺の側に寄ってきたかと思うとガシッと俺の両肩を掴んで、病人相手に容赦なく身体をユサユサと揺らしてきた。その揺れている視界の中でセルティが新羅を止めようしているのが見えたが、セルティ愛に溢れた新羅はまだ止まらない。

「まだっ、まだ私もされたことがないのに!」
「しん、らっ、ちょ、っでる、」
「大体いつも君は誰かの懐に入るのが上手すぎるんだ! 自覚しているのかい!? かく言う僕も君と幼馴染みとはいえこんなに、というか君セルティの素顔もパジャマ姿も見ちゃったのかい!?」
「いや、ほ、でる、かっ」

新羅がまくし立てるように何かを言っているけど、俺はグワングワンと揺れる身体と今飲み込んだばかりのものが口から出戻りしそうな感覚でそれどころではない。セルティも見兼ねたのか、最初は『新羅、落ち着け!』と打ったPDAを見せて止めようとしていたけれど最終的には仕方ないと言うように影を出して、ソレで新羅の身体と手をぐるぐる巻きにしてしまった。

「ぐえっ、」

新羅の蛙の鳴き声みたいな声を聞いてから、俺はやっと止まった身体の揺れの反動に「うっ」と畳に両手をついて堪える。今胃に入れたものが戻りそう。
そんな俺に『だ、大丈夫か?』と心配そうに覗き込んで来てくれたセルティに、声を出すのも憚れた俺は代わりに大丈夫という意味を込めて手で制す。

「……あ、そういえば君、熱出てたんだっけ」

ぐるぐると回る頭の中で聞こえてきたその言葉に思わず新羅を睨み付けたくなったけれど、そんな力も湧いてこなかったので為す術もなくそのまま仰向けで布団に倒れこむ。

「……新羅、俺すげえ辛いんだけど」

腕で顔を隠すようにして天井を見上げてそう言えば新羅は「ごめんごめん」と軽く言ってから「でも、君がセルティにあーんされているからいけなぐほっ」と言ってきたが、多分最後の変な擬音みたいなのはセルティにわき腹を刺されたに違いない。見なくてもわかる。

「というかね、君は一般より回復力が高いということは、細菌を殺す力が早くて強いということなんだよ」
「…………?」

セルティに脇腹を刺されたことに対して嬉しそうにしながら新羅は続ける。

「いやだからね、比例して熱が上がるのも早いし、身体のダルさも人一倍というわけさ」
「……ヤバイ、新羅に殺意が」

その理屈を知っていたくせに俺にあんな仕打ちをするなんて、本当にセルティしか見えていないんだと再確認すると同時に新羅に対して呆れが湧いてくる。いや、憐れみすら湧いてくる。
セルティは俺の呟くような言葉を聞くと『私に任せろ』と打って見せてくれたから、視線だけをセルティに向けて「頼んだ」と言って俺は再び意識を手離した。



               ◆◇




「すみませんでした」

起こされて目を覚ますとそこには土下座した新羅がいて、最初は寝ぼけ眼で何事かと思ったが瞬時に昨日の晩の出来事を思い出したので、新羅の頭を「ばか」と言って軽く叩いてから「許す」と言えば新羅は許されるだろうと思っていたらしくいつもの表情で顔をあげた。

「今午前六時頃だけど、起きられるかい?」

そう新羅に言われて身体の調子を確認すると、まだ少しダルさは残っているが昨日ほどではないので新羅に頷いて見せる。すると額に手が当てられて、その手を当ててきた新羅の眉間に皺が寄った気がした。

「余裕だよ」

へらっ、と笑って新羅の思考に被せるように言葉に出すと、新羅は諦めたように「起きておいで」と言って和室を出ていった。
その新羅に付いていくように和室を出るとリビングに二人分の朝食が置いてあるのが見え、近くに寄ってきたエプロン姿のセルティが『おはよう』と打ったPDAをずいっと出してきたので、俺も小さく「おはよう」と返した。もう一度じっと朝食を見つめるとセルティが椅子を引いてくれたので戸惑いながら「ありがとう」と言って座ると、目の前の席に新羅も座った。
朝食を改めて見ると、皿にはレタスとトマトの生野菜サラダと三角形のトースト二枚にスクランブルエッグとウインナー、そして湯気のたったオニオンスープが並んでいて、久々のインスタントではないキチンとした朝食に素直に感動した。

「頂きます」
「……………いただきます」

新羅が言ったのを見て俺も続けて言うと、セルティは頷いたような気がしたので、俺はゆっくりスプーンでスープを掬って飲む。

「……………あったかいってすごい」

そのスープの温かさが食道を通って胃に行き着くのが分かって思わず笑ってしまうと、新羅がそんな俺をじっと見てトーストをかじりながら真顔で「今僕も、セルティの言っていたことが分かった気がするよ」と言ってきたので、首を傾げて言葉の説明を求める。

「昨日、君が寝た後の話さ」
「………なんのはなし?」

サクッとレタスにフォークを刺しながら新羅を見て話を促すと、新羅は「長くなるけどね」と言って俺と同じようにレタスにフォークを刺しながら話し始める。

「君が寝た後、やっぱり君がされたことが羨ましくてね。何でそこまでしたんだ、って聞いたんだよセルティに」

俺がされたことっていうのは多分、あーんのことだろう。いや、確かに今考えると少し恥ずかしいなとは思ったが、それを今言っても仕方ないのでザクザクと何枚ものレタスをフォークに刺しながら新羅の話の続きを聞く。

「そうしたらセルティが少し考えてから恥ずかしそうに『なんというか、母性本能みたいなものだ』って言ったんだ」

予想外の単語に「母性本能?」とその単語を復唱すると、俺の隣で食事風景を見ていたセルティが慌て出して『バカにしている訳じゃないぞ!』とPDAに打ってから俺の目の前で見せてくれたので、俺も誤解のないように「分かってる分かってる」と笑って言うと、セルティはホッとしたように肩を撫で下ろした。

「新羅も、同感したの?」
「たった今ね」
「ほう、新羅は父性だよね?」
「ん? まあ、そうなるね」
「だよね」

サラダを食べ終えてスクランブルエッグに移ろうとしたとき目の前でトマトをかじる新羅が「あっ」と声をあげたから、新羅を一瞥してから「どした?」と言ってスクランブルエッグに手をつける。
すると新羅はコーヒーで口のものを流し込んでから、真剣な顔でこう言った。


「名前が私とセルティの養子になればいいんだよ」


真面目な顔のうえに名案だとでも言いたげな声色で新羅が言った台詞を聞いた俺は一瞬動きを止めたが、反応することすら面倒なレベルの発言だったので「バカなの?」とひとつ呟く。それを聞いた隣のセルティも呆れたようにして立ち上がるとキッチンの方へと戻っていっていき、新羅の対応を放棄した。

「あれ?」

一人で俺とセルティを交互に見る新羅をシカトしながら俺はキッチンへ行ったセルティに「そういえばさ」と話しかける。

「俺が倒れてた時、俺以外に誰かいた?」

ムシャムシャとトーストをかじりながら尋ねるとセルティはPDAで何かを打ち込んでから影でPDAを俺の目の前にまで伸ばすという神業を見せてくれ、そのPDAには『数人倒れていただけだ』とあったので「そっか」と言って俺は食事に戻る。門田は帰ってくれたんだ。

『あと、学ランの穴は縫っておいたがワイシャツはどうにもできなかった。悪いが今日は新羅のを借りてくれ』

さっきの方法でPDAを見せるセルティに、全く思考に至らなかった制服の話を挙げられて少し焦る。というか、穴を塞いでくれたとか優しすぎるでしょ。新羅もそのPDAの内容を見て「まるで君のお母さんだ」とか呟いたがセルティには聞こえなかったみたいで、影でのお仕置きは飛んでいかなかった。

「悪いね新羅」
「うん、この羨みは全て臨也のせいにしておくよ」
「……………あ、そっちね」

ワイシャツを借りることに対する謝罪のつもりだった俺の言葉に、新羅はセルティに甲斐甲斐しくしてもらったことの謝罪だと受け取ったらしい。
ホントに頭の中は解剖とセルティのことしかないな、とオニオンスープを啜りながら考え、そして事の大元である人物の名前に「そういえばそうだよね」と適当に反応すると新羅は俺を見て肩を竦める。

「なにさ」
「いや、君と静雄は正反対だと思ってさ」
「……平和島?」

話の流れの中に意外な名前が出てきたことに驚きながらも、特に問い詰めることもせずに二枚目のトーストにかじりつく。俺と平和島って言うほど正反対か、と疑問に思っていると新羅はスプーンをビシッと俺に向けて「これだけは言える」と話し始める。

「?」
「臨也から受ける厄介事が比肩しているとして」
「うん」
「端的且つ大雑把に言うとね。静雄には怒りはあるけど痛みはない、けれど君には痛みはあるけど怒りはないんだ」
「……ほう」
「あぁ勿論、多少どちらも痛みや怒りは存在していると思うけど……君たちは臨也がやっていることに対しては正反対の反応なんだよ」
「だから、折原は面白がるのかな」

少し愚痴に似た言葉をオニオンスープを飲み干してから新羅に放ってみると「さあ」と新羅は適当な返しをしてきたから俺は溜め息を吐く。そんな単純なことではないだろうな。
そして二人揃って「ご馳走さまでした」と言って食器を片付けながら、俺はふと思い出して新羅を見る。

「ねえ、今日ってもしかして宿題あった?」
「君のところは多分数学だね」

二人でキッチンにいるセルティに食器を渡してお礼を言ってから、俺は新羅から発せられた言葉に絶望する。

「えー……」
「見せようか? 君のためにはならないけどね」
「…………ためにならなくていいよ、その場しのぎになれば」

俺が達観したように遠くを見てそう言えば新羅は「君ってバカだよね」と言うと、俺の分のワイシャツと宿題を取ってきてくれた。
そのことにお礼を言って受け取ってから、俺も自分の鞄を漁ってガムと携帯を出す。歯を磨けないから代わりにガムを噛みながら携帯を確認すると、着信五件にメールが三件来ていたのでメールから見る。二件はスパムで一件は門田からの『明日話せよ』というメールだった。おおぅ……明日って今日ことだよな、こええ、怒ってるよな。
きっとこの着信も門田からだろうと踏んで着信履歴のボタンを押すと、思った通り五件中四件が門田からだったけれど、残りの一件は知らない番号だった。少し不安感を抱きながら遠くで着替えている新羅に「電話していーいー?」と大声で聞くと「いいよー」と返ってきたので、知らない番号に折り返ししてみる。どうやら、昨日の深夜0時にかかってきたらしい。
プルルル、という機械音が鳴ったすぐ後にブツ、と鳴ってザワザワと向こうから環境音が聞こえたから、多分この人ワンコールで相手は電話を取ったんだな、暇人?

『もしもし?』
「……………、」
『おはよう名字君。昨日はよく眠れたかい?』

爽やかな筈なのに何故か神経を逆撫でされているような感覚になるこの声、そんなに聞く機会は無かった筈なのに何故かパッと一人の名前が頭に思い浮かんだ。そう、さっきも一度名前が出てきた事の大元。

「……折原?」
『そう! ご名答!』

アハハハと高らかに笑う声に朝から元気だなあ、と思うのと同時に何で俺の番号知ってんだよと思う。でもそれを聞くのは野暮な気がしたから「おはよう」と返せば、折原は一瞬黙ってから『うん、おはよう』と明るく返してきた。

『昨日はどうだった?』
「どうって……いつもより酷くない?」
『そう? いつもよりマシな方だと思うけどなあ。愛しのシズちゃんにも会わせてあげたし』

あの最悪な折原との出会いから聞いてこなかった平和島の呼び名に鳥肌が立つのを感じながら、折原の笑いを含んだ声色で発せられた言葉の意味を考える。
平和島に会わせたって、なんのことだ? 前に屋上で会ってから顔を見ていないし昨日なんて学校の生徒といったら門田と新羅くらいとしか話していない。ちょ、友達いないな俺。

「……平和島に会ってないけど」
『え? 新羅のところで鉢合わせてないの?』
「…………しーんらー!」

携帯を遠ざけて新羅の名前を呼ぶと扉の向こうからブレザーを羽織ながら「なに?」となに食わぬ顔で新羅が近付いてきた。あ、俺も早く着替えなきゃ。

「折原がさ、昨日ここで平和島と鉢合わせてないのか、って」
「あぁ静雄? あいつなら名前の寝顔ガン見してから帰ったよ」
「ぅえ? いたの?」
「うん。あいつも昨日怪我して来たからね」

その新羅の言葉に驚きながらも「それ臨也?」と俺の携帯を指差して聞いてくるから「そう、代わる?」と言うと「いや、いい。というか、早く着替えなよ」と返してきたので俺はチラリと壁時計を見てから携帯を耳に当てる。

「折原、聞こえた?」
『まあ大体』

面白くなさそうな声色で反応を返してくる折原を意外に思いながら、着ていた病院服のようなものを脱いで新羅の家の匂いがするワイシャツに腕を通す。

「そういうことらしいから、俺着替えるわ」
『……ふうん、分かった。遅刻しないようにね』
「え、あ、おう」

まさかの台詞に思わずどもると、してやったりといった風に折原は笑ってから「じゃあね」と電話を切った。
ツーツーと鳴る携帯を見つめてから新羅を見ると、準備万端いつでも行けます、みたいな格好をしていたので俺も急いで支度してから「お邪魔しました」とセルティに手を振って新羅と学校へ向かった。


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