5




 キーンコーンカーンコーン、と無機質に校舎に鳴り響く本鈴のチャイムを聞きながら、俺の席から二つ隣の折原の席を見るとそこはまだ空席になっていた。そう、俺に遅刻するなとか言っといて折原は遅刻らしい。てか先ず来ないかも。

「……………意味わかんない」

担任が来るまで頬杖をついて窓の外を眺めながら折原のことを考える。ほら、本鈴が鳴ると大体の生徒は席について教室の前の扉から担任が入ってくるのを自席で待つじゃん。
あの後早歩きで新羅と学校に到着してから廊下で別れてから、俺は誰とも挨拶せず、というか寧ろ避けられているから挨拶出来ず、無言で窓際の自席に座って外を眺める行為を徹底している。本当は学校来たくないんだけれど、如何せん単位制の高校の定めとでも言おうか、卒業の為には登校をせざるを得ないわけで。噂を聞くと折原は先生になんか色々工作させているらしい、工作といっても何かを作るとかじゃなく、欠席云々とか単位云々とか、そういう裏工作。

「きりーつ」

色々思考しているといつの間にか担任が教卓近くに立っていたらしく、クラス委員長の坂本君が何時ものような通る声で起立、と言うことでガタガタギイギイと椅子からクラスメートが立ち上がる音が教室に響き渡る。その音を聞いて俺も流れで立ち上がり、またガタガタの椅子を引く音を響かせて生徒たちが座ってから挨拶と担任の先生が短い連絡をして先生が教室から出ていくと皆ざわめきたつ、いつもの日常だ。

「あの、」

次のチャイムが鳴るまで教室から出られないので、それまでボーッと外を眺めていようと思って頬杖を付こうとすると隣の席の川崎さんに声をかけられた。それに対して顔だけをそちらに向けて首を傾げて見せれば、はじめて話すからか川崎さんは顔赤くして「その、すみません」と緊張しながら俺を見つめてくる。え、謝っちゃった…………しかも敬語って……俺に声かけるのってそんなに勇気いることなんだ。

「なに?」
「あの、折原くん……から」
「…………折原?」

出てくると思わなかった名前に思わず眉間にシワを寄せると川崎さんは「ご、ごめんなさい」と言って身を引いてしまったので、誤解を解くために笑って「、こっちこそごめんね」と言えば川崎さんは固まって驚いた表情をした。

「折原が、なに?」
「えっと…………これを渡してって」

川崎さんはそう言うとポケットから折り畳まれた紙を俺に差し出して来たので、なんとなく嫌な予感を感じながらも川崎さんの目を見てお礼を告げてからその小さな紙を受け取る。というか学校来たのね。
折原から俺宛、という事実だけですでに帰りたい気分になるけれど、とりあえず見てみないことには分からないと思い、折り畳まれた紙を広げようとした瞬間にタイミングよくキーンコーンカーンコーン、とホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「……………ま、いっか」

先に門田の元に行ってからでも見るのは遅くないだろうと考えて紙をポケットに仕舞って、俺は席から立ち上がって教室を出る。俺と同じようにチラホラと廊下に出て来ている生徒がいるのを確認してから俺も流れにのって廊下を歩いて門田のいるクラスの前へと行く。ほら、俺って只でさえ避けられてるから、人と違うことしたらもっと避けられちゃうでしょ。
なんて足並み揃えていく思想を思い浮かべながら隣の教室の扉からひょのっと顔を覗かせて教室内を見渡すと、前から二番目の席に門田らしき人が机に突っ伏しているのが見えた。

い、行きたくない……。

けれどここにいつまでも居るのは時間の無駄なので、その気持ちを押し殺すように深呼吸してから気力だけで門田の教室に足を踏み入れる。すると、ざわついていたクラスが俺に気付いた生徒順に静かになっていった。
さすが俺、他クラスにまで避けられちゃうのね。
幸い俺に気付いた人は少なく教室全体に静寂が訪れることはなかったけれど、これはこれで悲しい。

「……………」

取り敢えず門田の席の目の前に立ってみたけど肝心の門田が何時までたっても俺に気づかないので、微妙に不安になってきた俺は周りを見回して近くにいる人に突っ伏している門田を指差して小声で「これ、門田?」と尋ねる。すると、門田の前の席の男子生徒が「そ、うだよ」と小声で返事を返してくれたのが嬉しくて「ありがとう」と笑いながら小声で言ってみた。無視されなかった。

「あのー、門田?」

しゃがんで門田の机に手をかけながら、勇気を振り絞って名前を呼んでみたが応答はなく、仕方がないから俺は門田の腕捲りされた手をツンツンと突っついてみたが、これまた応答はなし。

「仕方ないなあ」

そう言って突っついていた門田の手に少し爪を立ててみたけどやっぱり応答はなし、手じゃなくて頭を突っついてみても応答はなし、頭をぺしぺし叩いてみても変わらず応答はなかったので、俺も負けてられないと思って腕を捲ってから力の限りの威力で門田の頭を叩いてみた。
すると少しざわめいていた教室全体が一瞬のうちにシーン、と静まってしまった。あ、門田ってそういえば平和島と違う意味でめっちゃ喧嘩強いことで有名なんだっけ。
頭の片隅で誰かが噂していた内容を思い出してみたが時すでに遅し、絶対俺門田に喧嘩売ってると思われてるよな。

「、っんだ……?」

自分の頭を擦って上体を起こした門田は眠そうな目で俺を見ると、一瞬で顔を強ばらせた。その表情の変化に俺の後ろにいるさっき話してくれた男子生徒が「ひっ」と上擦った声をあげたのが聞こえたが、俺は特に怖くなかったので、というか平和島が目の前でぶちギレた時の方が断然怖いという比較対象がいたので俺は気にせず「おはよう」と手を上げて言った。

「自分から来るとはなかなか男じゃねえか」

門田が感心するように言ってきたので俺もなんか嬉しくなって笑うと「笑うとこかよ」と頭に拳骨された。いや、拳骨といっても可愛いものではなく普通に門田も怒っているので、俺は頭を殴られた勢いで額を机に思いきりぶつけた。

「あ、すごい……頭の前後が痛い……」

俺も今確かに門田叩いたけどグーじゃなくてパーで叩いたし……と言いたかったけれど、昨日のこともあって言えずにいると門田は教室の空気に気が付いたのか「お前何したんだ」と言ってきた。それにたいして正直に門田のせいでもあるんだよなあ……とは言えず「わかんない」と苦笑いでしらばっくれる。

「いやいや、昨日はごめんね」

思い出したように話を切り出すと門田は「あぁ」と言ってから、また昨日の心配そうな顔に戻って俺を見上げる。

「大丈夫だったのか?」

そういう風に心配されるの慣れてないからむず痒いんだけどなあ、なんて思いながら叩かれた頭を擦る。心配してるわりに殴ったよね?

「うん、もう傷はないよ」
「……そうか」
「だからそんな顔しなくていいよ」

へらっと笑ってそう言えば門田はさっきよりも眉間にシワを寄せてしまった。
え、なぜ? と思っていると門田は躊躇いなく俺の制服のズボンから、仕舞っていたワイシャツを抜いてぺらっと捲り、何を思ったのか俺の腹を凝視する。「きゃっ」と教室の後ろの方から女の子の声が聞こえてきたので思わず「門田さん?」と声をかけると門田はチッ、と舌打ちしてワイシャツから手を離した。

「し、舌打ちですか……」
「……お前、なんであんなことした」
「…………あんなこととは?」

俺の傷を確かめたことを前振りとするならば、多分あんなこととは昨日あったことのどれかなんだろうなとは見当つくけれど、具体的にそれがなにかは分からない。その俺の心持ちを伝えようと門田に首を傾げてみると、当の門田は「ナイフだよ」と真剣な顔で言った。

「ナイフ……」
「、自分から刺さりに言っただろ」

門田が少し大きめの声で俺に言うもんだから大事かと思ったけれど、そんなことか。というか、周りの生徒怯えてるからちょっと鎮まって。

「なんでって……一本しかないなら、俺の腹に刺しとけば安全だと思って」

これからは小声で喋れよ、という意味を込めて俺が小声でそう言えば門田はコイツ何いってんだ、と言いたげな顔で俺を見てから溜め息を吐いて立ち上がった。
その一連の動作を黙って見ていたら、いきなり門田に胸ぐらを掴まれてぐいっと門田の方に引き寄せられたので、その勢いで俺も立ち上がる。

「何?」

至近距離で眉間にシワを寄せた門田に尋ねる。
すると門田はじっと俺を見つめてから「……二度とそういうことするな」と怒った声色で呟いて教室を出て行ってしまった。

「……………」

俺はその背中を見つめながら小声で喋ってくれたなあと思うのと同時に『そういうこと』の意味を考えてみたが、よく分からなかったので取り敢えず居心地の悪いこの教室から出た。




                ◆◇




 二限目の世界史の授業を耳に入れながら、三限目にある数学に向けて新羅に借りた宿題を写す。因みに、一限目は睡眠学習です。
幸い新羅のクラスの数学は四限目にあるらしく、それまでに返してくれるなら貸してあげると優しいお言葉を頂いたので遠慮なく写させてもらう。
おうおう、流石新羅だ。理系男子なだけあって応用問題もキチンと解いてある。けど、これを俺が解いてあるのはおかしいので途中式まで書いてやめるよ。
宿題を写し終えたら世界史の板書しなきゃなあ、と考えてからふと何かを忘れているような気持ちになる。なんだっけ。

「……………?」

頭の中の引っ掛かりを取るためのヒントになりそうなものを探すために教室を見回すと、隣でうたた寝をしている川崎さんと川崎さんの奥にある空席が目に入ったのでそれがヒントになり、思い出さなければ良かったことを思い出す。門田に頭殴られた時にこのときの記憶だけが無くなればよかったのに。
そんな自分に対する不満を抱きながら思い出したばかりの存在である折原からの手紙を仕舞ったはずのポケットに手を突っ込んでみたが、そこにはお目当ての紙の存在は無く、空をつかむだけだった。

「なんでだ……」

机に両肘をつき項垂れながらすぐに紙を見なかったことを後悔する、嫌な予感って紙をなくすことだったのかもしれない、と思う反面心のどこかで見なくて済んだという思いがあるのも事実。だからといって紙に書かれた内容を知る術がないというわけではないので、それがまた俺を悩ませる。
つまり、今日の朝に電話をかけ直してしまったのが運の尽き。
そのせいで俺は折原の電話番号を取得してしまったわけだから、あの番号に連絡すれば書かれた内容を知ることは出来る。でも……電話したくないし内容も本当は知りたくない、けれど、このままだと川崎さんに迷惑かかるだろうし。
色々な思考を巡らせて、結局なるようなる、としか思えなかったので取り敢えず電話は後でかけるとして今は宿題に集中することにした。
別に逃げじゃないよ…………うん。



                ◆◇



 宿題を写し終えた俺は、世界史の終わりを告げるチャイムが鳴って挨拶を終えると教室から出て新羅の元に向かう。新羅のクラスに入って「新羅ぁー」と間延びした呼び方で名前を呼ぶと、一番後ろの廊下に近い席で頬杖をついて本を読んでいた新羅が此方を見て「あぁ、名前」と呟いた。

「なにその難しそうな本」

新羅のいる机に近付いて読んでいた本を覗き込むと、字が小さくて長ったらしいカタカナばかりの内容が目について思わず感想を口に出すと、新羅は頬杖をついたまま俺を見上げて「君が理解しようとするなら、あと二十年は必要かな」と笑って言われたので「あ、なら、いいです」と手で制しながら遠慮した。

「これ、ありがとう」

ピラッと借りていた数学の宿題を机の上に置いてからその上にいつも持ち歩いているイチゴの飴玉を一つ乗せると、新羅は感心した顔で「よく飽きないねえ」とその飴玉をつかんでくるくると回しながら白とピンクの包装を見つめる。

「変わらないって、大事だろ?」
「……そういう問題かい?」

眼鏡を押し上げながら呆れた物言いで尋ねてくる新羅に「うむ」と頷くと「へえ」と適当に返されてしまった。

「そうだ、もう一つくれない?」
「、好きになった?」

ポケットからもう一つ出しながら笑って言うと「いや、これ静雄も好きだった気がして」と返されたので少し驚いたけれど、確かに小学生の頃からプリンとか甘いものを結構食べていた記憶がなきにしもあらずだったので納得して新羅の手に乗せる。そして、新羅の視線の先をチラッと見ると教室の前の方に突っ伏して寝ている静雄が居て、そういえば新羅と平和島は同じクラスだったっけと考える。
というか、また忘れていたけれどポケットに手を突っ込むという動作で思い出してしまった。

「あのさ、新羅」
「あに?」

口に飴玉を含みながら喋ってるからよく分からない単語に思えたけど多分「なに?」と言ってきたのでそのまま話を続行する。

「折原から手紙もらったんだ」
「へえ」
「けど、見ないうちに落としちゃったんだよね」
「…………へえ」
「電話して内容聞いた方がいいと思う?」

飴玉を食べているからか反応が薄い新羅に臆すること無く話し掛けると、新羅は俺の問いに「いいんじゃないかな」とどっちともとれる反応を示したので「じゃあ、落としちゃったんだよねって言うだけで切ればいいかな 」と言うと「いいんじゃないかな」と少し固い表情の新羅からまた同じ答えが返ってきて少しイラッとしていると、新羅の視線が俺の背後に向いていることに気付いて俺も後ろを振り向く。

「………」
「…………」

振り向くと其処にはさっきまで突っ伏していたはずの平和島が居て、俺は驚きで思わず黙り込んでしまう。というか、どことなく平和島がキレている気がするのは気のせいかな、と思ってチラリと横を見る平然としている新羅がいて、新羅は可笑しいから平和島に恐怖とかないんだったと気付くと同時に、平和島がキレてたのって俺が余計なこと言ったならかなと今までの俺と新羅の会話を考えてから視線を平和島に戻した。あ、余計なことってのは折原の名前とか折原のこととか、折原についてなら全てのことだよ。
平和島が黙ってキレているのもきっと俺が折原の名前を出したからだろうなあ、というか地獄耳かな? と思っていると、周りの人達が俺達の違和感を感じ取ったのか段々と静かになっていってしまっていた、これデジャヴじゃん。
かと言って俺は平和島と話すのはそんなに得策ではないと思っているから手っ取り早く平和島の怒りを鎮める方法として、新羅の手から飴玉を取り出して逆の方の手で平和島の手を掴んで開かせてから、その上に飴玉を乗っけてまた握らせる。静雄の手に触れた時、一瞬静雄がピクッてなったことに俺もビビりながらも、強がってそのまま飴玉を渡した。


チラッと平和島を見上ると俺が平和島の手を握っている部分をまじまじと見ていたので何となく手を離すと「いやあ、いつの間に許してもらったんだい?」と、いきなり傍観していた新羅が隣でよく分からないことを言い出したので俺は首を傾げる。
すると、いつの間にか怒りをぶり返した平和島が「新羅テメェ」と低い声で口を開いたので、防衛本能が働いたのか俺は素早く頭を働かせて「じゃあね新羅、あとで覚えておきなよ。あと臨也のこと、ありがとう」とわざと折原の名前を出して去り際の言葉を告げると、キレているであろう平和島を見ずに教室から出た。ざまあ、俺の相談に適当な返事を返してきた罰だ、とよく分からない仕返しをしたところで、静かなままの教室から逃げるように出てから、廊下で朝にかけたばかりの番号に電話をする。

プルルルル、という機械音が何回か鳴ってから『はい、折原ですが』と今朝とは違った物言いの言葉が返ってきたので画面を見ずに電話に出たのかなあ、と予想しながら「あ、此方名字です」と返すと、折原は『あぁ名字くんね』と楽しそうな声で俺の名前を出した。

「あのね、折原さ、悪いんだけど」
『俺からの手紙落としたんだって?』
「…………」
『聞いてるよ、貰ってから直ぐに読んでくれればよかったのに』

カチャカチャと折原の楽しそうな声の奥で聞こえる無機質な音を無視しながら、折原のことを少し侮っていた……というか、折原のブッ飛んでいた部分を軽視していたことを後悔した。何故折原が俺のことを把握しているのか、俺の頭では「盗聴されてる」と「情報を直ぐに流してくれる生徒が近くに何人もいる」のどちらかしかぱっと思い浮かばないけれど、取り敢えずこのままだと取り返しのつかない何かが起きる気がしたから、これまた本能的に俺は耳から携帯を離した。
手の中にある携帯から何か折原が言ってるような気がしたけれど、聞いたら負けな気がしたので電話を切ってしまおうかとボタンに指をかけたところで一瞬、『シズちゃん』と聞こえた気がして、携帯を耳に当てなおす。

「……え?」
『だからさ、今日シズちゃんと話した? って聞いたんだけど』
「……知ってるんじゃないの」
『いや?』
「まあ、話してないよ」

折原のせいで偶然話しそうになったけれど言葉は直接交わしていないからノーカウントだと判断して特に嘘も吐かないで真実を告げると、携帯越しの折原がつまらなそうに『ふーん』と反応してくるから話さなくて良かったかも、と俺は自分の勘があながち間違っていないのかもしれないと思ってメンドクサさを覚えた。

「というか、何で今日学校来てないの」
『え?』

学生なら普通に交わされるであろう会話を持ち出すと、折原は楽しそうな声色に戻って『工作中』と言ってきたので「なに、爆弾?」と適当に反応してやると折原は一瞬黙って『何でわかった?』と返してきたから、俺も驚きで「そういう音した」と馬鹿みたいな返しをする。
そして、その間の沈黙に自分の愚かさに段々と怖くなってきて知らないうちに電話を切ってしまっていた。

「……どうか俺には使われませんように」

折原との通話を終えた携帯の画面を見ながら祈ると、タイミング良く予鈴が鳴ったので俺はそそくさと自分のクラスへと戻った。

TOP