7



 屋上への階段を上がって扉を開けると、そこには日の沈み始めた薄暗い空とビル群に点り始めた明かりが広がっていて、風になびく自分の髪の毛が邪魔だなあと感じた。

「いないし…………」

足を進め屋上の扉の閉まる音を耳にいれながら屋上を見回してみても呼び出した本人の折原の姿は無く、少し拍子抜けした気分になったが特にその他に感情が沸かなかった。
柵に背中から寄りかかって空を見上げると、一瞬肩に痛みを感じ、そういえば肩脱臼してたんだっけ、と他人事のように思い出す。現実的なことを考えると折原との話が終わったらすぐに新羅のところへ向かわなければならないけれど、この血のついたワイシャツのことを言い出すのが少し億劫に感じてしまう。隠しながら行こうにも、何故か俺の学ランないし。
そんな小さな不満をぼんやり考えながら地上から見るよりも近い空を見上げていると、不意にキィーという錆び付いたような高い音が屋上に鳴り響き、顔を上に向けたまま音の根源である扉の方へ視線だけ下げるとそこには俺の鞄と学ランを持った折原の姿があった。

「……………遅いよ」

小さく一人で呟きながら柵に寄りかかるのをやめ折原をマジマジと見て、思わず自分の顔をしかめる。
折原って、朝でも昼でも夜でも綺麗な顔してるなあ、これなら折原は信者がつく人間だと前に聞いた新羅の言葉を疑えないから困る。

「やあ、久々だね」

俺の思っていることなど露知らず、爽やかに何事もないようなトーンで折原は俺に話しかけながら近付いて来る。
久々というのは、俺達二人が同じクラスメイトで席が近いにも拘らずお互いを全く視界に入れようとしないことを踏まえて話しているのだと思う。俺が折原をいないものとして扱っているのは、勿論これ以上俺に目をつけてほしくないからなんだけど。それに、俺が学校を休む日に折原が学校に来て、折原が休む日に俺が学校に来るように折原が仕組んでいるのもあると思う。

「電話はしたけど」

人一人分くらいの間隔を空けて俺の前に立った折原に反応すると、折原は俺の右手を取ってから「まあね」と言って鞄と学ランを持たせる。折原の低めの体温を感じながら折原をチラッと見ると「携帯は鞄の中だから」と付け足すように何故か愉しそうに言ってくるもんだから手を振り払えず、そのままの状態で俺は折原に訊ねる。

「あのさ、何で彼処に平和島を呼んだの?」

俺が唯一疑問に思っていたことを直球ストレートで折原に聞くと、目の前の折原は笑顔を消して眉を寄せる。

「あぁ、その名前聞いただけでヘドが出そうになるんだよねえ」

うんざりしたような表情で折原は遠回しに、二度と名前を出すなという牽制をかけてきたので俺は素直に驚く。
平和島も折原の名前だけで怒るし折原も平和島の名前だけで不機嫌になるんだから似たり寄ったりだよなあ、なんて実際に口に出したら確実に命を討ち取られそうなので心に仕舞う。

「というかさあ、俺は別にアイツを呼んでないんだよ」
「…………はあ」

自分の言葉にすら心底嫌そうな顔をしながら平和島を『シズちゃん』ではなく『アイツ』呼ばわりする折原に、俺は今の折原の平和島に対する嫌悪感が最高潮に達していることを汲み取る。

「じゃあ、何でソイツが彼処に来たの」

出来るだけ刺激しないよう俺が空気を読んだ発言をすると「…………好きだよ、話の早い奴」と少し機嫌が良くなった折原は俺の手を離して隣に立つ。



「アレが来たのは、単なる゛偶然゛さ」

さっきの俺のごとく背中から柵に寄りかかって見つめてくる折原の口から告げられた、理屈もなにもない単語に思わず目を見開く。

「その様子だと、新羅から何か言われたかな」

疑問形ではなく、そうに違いないという断定する物言いが折原の怖さを感じさせるところだと思いながら俺は折原に話の続きを促す。なんとなく、聞きたくはないけど好奇心がそうさせる。

「…………どういう偶然なわけ」

認めたくないという気持ちが顔とか言葉の何処かに現れていたのか、折原は爽やかな筈なのに何処か鬱陶しい表情で「今から説明してあげるよ」と言って両手を広げる。

「けど、後で俺の質問にも答えてもらう」

その言葉の終わりの一瞬、野生の肉食動物のような、熱いけれど冷酷な感じのする視線を俺に向けて等価交換を突き付けてきた折原に、人を喰いものにする人格がうかがい知れる。
そんな折原に対して俺は迷ったふりをし、視線を逸らしてから軽く「いいよ」と応じる。ここで死んでくれ、とかそういう無茶な要望だったたら断ったけど答えるくらいなら何も減らないよね、と甘い考えで了承した。

「…………アイツって本当に鬱陶しいんだよねえ」

俺の返事を楽しそうに聞いていたかと思えば、すぐに俺から視線だけを逸らすと、いきなり顔をしかめて本当に嫌そうな表情で呟く。アイツって、平和島かな。

「馬鹿で単細胞で暴力の塊のくせに、変なところで勘が鋭くて妙に鼻が利く。それのせいで俺が煽った火種もどっかに吹っ飛んで、燻りかけてたことも全部無条件に関係なく踏み潰していく」
「…………」
「人間のことが好きで好きで堪らないけれど、シズちゃんだけは対象外、というか論外だし、規模で言えば圏外どころか大気圏外だよ」
「…………」
「ほんと、アイツがいなければ俺は全人類を愛せるのに」

初めてみるペラペラとよく回る折原の口に柵に横から寄りかかって感心していると、折原が不意に俺を見てニヤッと笑う。

「そんな史上最低最悪な暴力の塊が……また今日、俺の火種を潰したんだよ」

綺麗な顔からつくられた嫌悪感丸出しの笑いに思わず俺も眉をひそめる。さっきこの二人な似たり寄ったりなところはあると思ったけれどそれと同様に、決して相容れないところに位置しているんだなあと、二人の因縁とも呼べる関係に少し悪寒を感じた。だから、喧嘩するほど仲がいいという諺はこの二人には当て嵌めらないのかもなあ、なんて呑気に思う。

「……何処から何処までが折原の計画だったわけ?」

俺が訝しげに訊ねると折原は「計画って言われると心外だなあ」と柵から離れて笑うと、続けるように「でも、その質問は的を得ているね」とまた愉しそうに笑みを浮かべた。さっきから変なところで愉しそうに笑うなあと折原に対して内心首をかしげていると、折原は俺のすぐ目の前に立って顔を近付けて言った。

「俺は爆弾を置いたあの場所に君を運んでもらって拘束して貰った、はい終了」
「…………」
「そこから先、俺は何も手をつけていないよ」

俺は目の前で肩をすくめながらにやつく折原の言葉を聞いて今日起きた一連の流れを思い出す。
つまり、俺が通学路で襲われて彼処に拘束されたまま放置されたのも折原、爆弾を作って置いたのも言わずもがな折原、だとすれば折原の計画の中での異端は……平和島だけだって……それってつまり、平和島を陥れるために俺を利用したわけじゃないってことか?

「……俺が拘束から抜け出すっていうのは」
「……あぁ! アレは本当に゛予想外゛だったよ!」
「…………えっ」
「だって、時間がたてば怪我が消える奴が、護身用に何か持ち歩いてる何て思わないじゃない?」

折原が俺を何扱いしているのかよくわからない態度に思わず顔を逸らして溜め息を吐く。
つまり、あそこで俺が逃げ出していれば何もかも解決していたのか…………いや、それだと平和島が危険な目に遭っていたのかもしれないし。
そんなことを思っていると、俺の視線の方向を正すように目の前にいる折原にグイッと顎を掴まれて目を強制的に合わせられる。

「それで?」
「…………それで、なに?」
「話の続き」
「あぁ…………」

俺の顔を折原が手で挟んでる状態で話すのか、と思っていると折原がスルスルと頬を撫でながら変な笑みを浮かべてくるので話を再開させる。

「じゃあその…………なんで平和島はあの場所に俺がいるって知ったの?」
「そう、其処が゛偶然゛なんだ」

折原はスルスルと頬を撫でていた手ともう片方の手を俺の首の後ろに回してまた俺に近づいてきたので、思わず俺も後退りしようとしたけれど既に後ろに柵があって距離を取れなかった。

「えっと、折原、近」
「その偶然っていうのはさ、つまるところ、君が引き起こしたんだよ」

銃を突き付けられた人のように両腕をあげながら俺と同じような身長の折原の視線の近さに戸惑っていたけれど、被せるように言ってきた折原の言葉に俺は近さも忘れて折原を見つめる。その俺の行動が満足だったのか折原は俺の身体を少し引き寄せてから、俺の耳元で「かみ」と囁いた。
首筋にあたる折原の髪の毛や、折原の着ている短ランから香る他人の匂いに自分の心臓が忙しく動くのに気付きながら、かみ、という単語を俺の耳が聞き入れる。そして、ソレを脳内で漢字に変換した瞬間、俺は何かがその脳内で繋がった気がした。










「アイツ、俺が落とした折原からの紙拾ったのか…………!」

俺が見る前になくしてしまったからそこに何が書いてあったかは知らないけれど、静雄があの場所に来て俺の名前をすぐに叫んだということは、少なくとも場所の住所と俺の名前は書いてあったに違いない。
そして、俺が折原の企みによって彼処に拉致されたのは、俺が自ら紙を読んで自分の足で行くという選択肢が消えたから……だから折原は強行手段で俺をあの場所に運ばせたんだ。
つまり、彼処で平和島が巻き込まれたのは俺が紙を落としたせいだってことにもなる。

「ご名答」

思い至った考えが合っていたことに驚きながら、近くで呟いた声の主である折原を見て、俺は思わず目を見開く。
俺の目の前に今まで見たことの無い、沸き上がるような何かを抑えられないとでも言いたげに鋭く光る目が俺を捕らえていた。このまま喰われてしまいそうになるほど得たいの知らないドロドロとした何かに染められた折原の目に少したじろいでいると、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか折原は「ほんとに、愛されてるなんてねえ」と呟いた。

「…………は?」
「さて……今度はこっちの番だ」

俺の声を意図的に無視した折原は俺の耳に俺の髪の毛をかけながら「俺からの質問」と言って俺を見つめる。

「何で、俺が見てるって思った?」
「…………みてる?」

なんのことだろ、と一瞬考えて折原を見つめながら思い出していると、不意にあの場所で起きたことが頭を掠めた。

「、携帯で言ったこと?」
「そう。初めは制限時間を止めてもらうためのハッタリかとも思ったんだけど、あんなギリギリの時間で名字君がそんな無謀な策に出るとも思えなくてさ」
「…………それは、うーん……」

観察するような折原の視線に居心地が悪くなりながら、俺はその時の事を思いだしながら理由を話す。というか、折原は俺の一体何を…………いや、俺の何処までを知ってるんだ。

「真新しい監視カメラが見えたのと、新羅に折原は『人間好き』って聞いてたから」
「…………から?」
「いやだから…………そんな奴なら゛俺らがどういう行動するのか見たい゛んじゃないかと思ったんだよ」
「…………」
「だから、あの監視カメラの向こうに折原がいるって……」

俺がそう言い切ると折原は一瞬間をおいてから「へえ」と視線を下ろしてポツリと呟くと俺から離れて、俯いたまま肩を揺らし始めた。
折原の読めない行動になにやってんだろ、と黙って凝視していると堪えられないとでも言いたげに折原はいきなり腹を抱えて笑い出した。






「アハハハハ! いいねえいいねえ! 面白いよ………、君!!」

始めてみる折原の純粋な笑いに驚いて思わず俺の顔がひきつる。
そして、俺は全くわかってなかった。
折原の狂気的な人間愛とそれに対する折原の哲学的な考えも、これから折原が俺に告げる一言もなにもかも。折原が俺から遠ざかったことで気が抜けたのか自分でも把握出来ないけれど、これから折原が紡ぐ言葉を全く予想もしていなかった。

「はあ…………名字くんって勘が冴えてるのかただのバカなのか分からないね」

笑い疲れたとでもいうように息を吐いてから、いつかの新羅と似たような事を言ってきた折原を呆然と見ながら俺も一息吐くと、折原はパッと顔上げて俺を見つめ、ニヤリと嫌な笑みを浮かべて言った。
それが俺をどれだけ縛ることになるかも知らずに。

「そう…………






 これだから、人間が好きなんだ」



         ◇◆



 自分の記憶の中から振り絞るようにして三桁の数字を思い出し、その三つの番号をインターホンに取り付けられたボタンで入力すると、ピンポーンという無機質な音が鳴った。するとすぐに聞き慣れた明るい声で「珍しいね、君が自力でここに来るなんて」と言葉が返ってきたので俺も鼻で笑いながら「まあね」と返す。
自分でも分かるくらい気の入っていない返事に新羅は触れることなく「とりあえず入りなよ」とマンションの扉を開けた。高校生がこんなセキュリティ万全のマンションに住んでいること自体おかしな話だけど、何度も足を運ぶといつからかそんな違和感も消えていて足取りも軽くなってくる。
大方出てくるだけで入った記憶が数えるほどしかない扉の目の前に立って改めてインターホンを押しながら、今日はセルティいるのかな、なんて考えていると扉が開いてそこから新羅が「やあ」と言って顔を出した。

「おかえり」
「……俺は養子じゃないからね」

扉を押さえて俺を迎い入れる新羅に呆れて一瞥しながらツッコむと、新羅は笑って「別にいいじゃない、減るもんじゃないんだしさ」と言って鍵を閉めてから廊下を歩いていく。その新羅の後ろにつきながら俺もリビングへ行くとシック調のリビングに似合わない結構古いゲーム機が置いてあって、テレビの画面には武器屋にいる主人公らしきキャラクターが立ち止まっていた。
けれどここにも肝心のセルティの姿はなく、今このリビングは俺と新羅の二人だけの空間らしかった。うわ、このなに、この言葉の響き気持ち悪い。

「セルティなら仕事だよ」

新羅は俺の考えを見透かしたような台詞を告げてから、改めて俺を見る。
岸谷新羅って人間は未だによく分からないやつだ。多分ずっと分からないまま何だろうけど、それでも上手く付き合っていきたいなと思えるから不思議だ。

「で、今日はどうしたんだい?」
「………あぁ、肩外れたから治してほしいんだよね」

思い出したように学ランを脱ぎながら俺が言えば、新羅は「肩?」と俺に近付左肩に触ってから少し唸る。

「うーん、取り敢えず寝てみてくれない?」

新羅がそう言って俺にソファに寝そべるよう促したので、一つ返事で従い、脱いだ学ランと鞄をソファの側に置いてから仰向けに寝そべる。
新羅は何度か俺の肩を触ったり動かそうとしたりしてから「右肩関節前方脱臼だね」と軽く言って、俺の手を持ってなんか俺には分からない方法で肩を入れると固定するために白い三角巾で俺の腕を吊るした。その間俺は天井を見上げながら、テレビから流れてくるゲームの音楽を聴いていただけなんだけどね。

「君なら今日一日固定してるだけでいいよ」

新羅は素晴らしく早く治療を終えるとそう言うと立ち上がって俺を見下ろしてきたので、俺も新羅をじっと見つめる。けれど視線が交わってるわけではなく、新羅が俺の首もとを見つめていたので俺は思わず首を傾げる。

「……君、鼻血出した?」

その新羅の言葉に俺も自分の首もとへと視線を落とすと、確かにYシャツの襟元部分に少し血がついていた。それを見た俺は誤魔化すのを諦めて「見てほら、袖口」と治療してもらった腕とは反対の腕を上げ、立ち上がっている新羅に見せる。
べっとり袖口に付いた血を見て呟いた新羅のドン引きした声を甘んじて受け入れながらそんなドン引きした新羅に今日あったことを話そうかと思ったけれど、俺の頭には上手く説明するために情報を整理するという技術が備わってなかったし培われていなかったので「洗って返すから、許して」と笑いながら簡潔に謝った。

「まあ…………今日も君のせいじゃないんだろうしね」

新羅は慣れたように、というか俺がワイシャツを無傷で返すことを元々諦めていたような口振りでそう言うと俺の寝ていたソファに座って、ゲームを再開しだした。
俺も真似するように新羅の隣で武器を装備した主人公の名前を見ながら「なにやってんの?」と新羅に尋ねると「セルティが帰ってくるまでレベルをあと三つあげないといけないんだ」と嬉しそうに使命感を抱いているめでたい脳内をした幼馴染みに「そうなんだ」と適当に返事をする。

「セルティいつ帰ってくるの?」
「うーん、あと十分くらいじゃないかい?」

新しい武器を装備した主人公『セルティ』が町を出てフィールドに向かっていくのを眺めながら「ふーん」と言ってそれとなくまだ帰らないことをアピールすると、新羅はフィールドに主人公を放置したままコントローラーを机に置き、真面目な顔で隣にいる俺を見つめてきた。

「…………前から言おうと思っていたけれど」
「……なに?」
「…………静雄がセルティと仲良くしているのは堪らなく嫉妬するんだけど、君とセルティが仲良くしていても嫉妬しないのは何故かな?」

静雄に嫉妬するって、本当にセルティしか見えてないんだな。セルティが新羅のことをどう考えているのか知らないけどこんなに一途なやつ見たことないし、むしろ見ていてうざったいくらいだ。もしセルティが人間だったら、新羅はここまで好きにならなかったのかな。わかんないけど。
メガネを上に押し上げながら心底不思議そうに言ってくる新羅に色々思考しながら一緒に理由を考え、暫くしてから沈黙を破るように「…………俺の事養子だと思ってるからじゃない?」と俺が適当に言うと新羅が「あぁ!」とスッキリしたような表情で手を打つ。

「なるほど、確かに自分の息子に妻を取られるかなんて心配しないからね!」

いきなり正論を語りだして訳の分からない結果を出した新羅にとてつもない違和感を感じたけれど、コントローラーを持ち直してゲーム画面に顔を向けてしまった新羅の横顔を見ているとどうでもよくなったので「……良かったね」と適当に返事をして可愛らしいゲームのモンスターを見て心を和ませることにした。

「それよりさ、もしかして名前泣いた?」

するといきなり、今さっき話していたアホらしい話題と同じトーンで新羅が爆弾を投下してきた。心臓が跳ねて思わず新羅をチラッと横目で見ると、いつのまにか新羅もゲームではなく俺を見つめていたので何となく気まずくなって新羅の手の中から片手でコントローラーを取り上げる。


「あれ、名前さん?」


新羅の声を無視してゲームのモンスターを何ターンかかけて撃退し、経験値とお金を受け取ってから、フィールドに戻った主人公を見て「…………泣いた」と白状する。
その俺の言葉を聞いた新羅が自分の膝に頬杖をついて俺を見てくるので、俺はソワソワしながらコントローラーのスティックを片手でぐるぐると回し、新羅の視線から逃げるようにゲーム画面から目を離さないまま、ぐるぐると回る主人公を見つめていた。

「誰に泣かされたんだい?」

そんな落ち着きない俺に呆れるような優しさの欠片もない声色で声をかけてくる新羅に、少し安心して緊張していた肩をおろす。優しくされるのも心配されるのも慣れてないからこういう距離感が俺にはちょうどいい……かといって、優しくされるのも心配されるのも嫌いじゃないし、嬉しいしけど…………どんな顔すればいいか分からないから困るし。

「誰っていうと…………それは、折原だけど」
「あぁ、臨也ね」

新羅は俺の出した名前に納得するように一つ頷くと「僕たちの子供になんてことを……!」とセルティと新羅が夫婦という設定に勝手に酔った発言をしてきたけど、俺は華麗に無視してゲームでエンカウントした可愛くない蛾みたいなモンスターを倒す。すると一つレベルが上がり、それにともなって上がったステータス表示を見ながら俺は酔ったままの新羅の足を踏む。

「いたたたた、なんだい良いところだったのに!」
「妄想に俺を組み込むのはやめて」

知らないうちに新羅の脳内で設定が進展していたらしいけど、聞きたくないので追求はしない。

「あ、ならさっきの鼻血は折原に直接何かされたのかい?」
「いや、それは平和島」

新羅は俺が思いきり踏んだ方の足をぷらぷらさせて俺に尋ねてきたので、俺はあと二つのレベルをあげるべく再び主人公をぐるぐると回しながら言葉を返した。
すると新羅が素っ頓狂な声で「……静雄?」と平和島の名前を聞き返してきたので、俺も肯定するように頷く。

「…………静雄って、もしかしてバカなのかな?」
「……殺されないようにね、新羅」

素でこういう風に言えるってことは本当に新羅は平和島のことを怖いと思ってないっていう意味になるけれど、それは新羅の頭のネジがどっかにいってるからできる芸当であって普通よりちょっとバカなだけの俺の頭じゃ到底出来ない。平和島のキレ顔を見ると自動販売機で吹っ飛ばされた時の事を思い出して少し恐怖感がよみがえる、その事に少し悪いとは思わないでもないけれど、所謂トラウマが存在しているから仕方ないとも言えるよね、うん。
そんな言い訳染みたこと思いながら、ぐるぐるとコントローラーのスティックを動かすのをやめてフィールドに見えた立て札まで一直線に進んでいると、隣で新羅が「いや、確実にバカだよ」とかこっちが怖くなることを言ってくるので「やめなさいよ」と制止させる。

「…………それと折原に泣かされたのは、そんなに関係ないし」
「え? あ、あぁ臨也の話だっけ」

何をそんなに戸惑っているのか分からないけれど、今の言葉を発さなければ新羅は平和島の話に脱線してくれたのかもしれない、あーもう、やってしまった。

「それにしても、君が泣かされたって相当だね。君に大きな夢や目標があるなら韓信の股くぐりを座右の銘にしていても文句はないんだけど、そういった志がないなら無駄な我慢は避けるべきだと思うね、私は。特に臨也の言うことなんて馬耳東風でもいいくらいだ」
「…………ごめん、なに?」

言葉の意味そのものが分からなすぎて、思わず初めてこの会話のなかで新羅に目を向けると、新羅の残念な人間を見るような視線とかち合ったので新羅の足をもう一度グリッと思いきり踏みつけてからゲーム画面に目を戻す。
ここまでたどり着くまでに三度目の戦いを終えた主人公セルティは、やっとのことでフィールドに一つだけ見えた木の立て札を読み上げることが出来た。

「ねえ、この洞窟って行っていいの?」

足を痛がる新羅を横目に聞くと「い、いいよ」と了承を得たので、主人公セルティは洞窟へと足を進める。てか、この主人公かっこいい顔してるなー、男らしいっていうか……平和島みたいな雰囲気。

「つまり、臨也との会話は話し半分で聞いた方が楽って意味だよ」

洞窟に入った途端ゲームの音楽が変わったのを感じながらいつのまにか松明を持っている主人公を動かしていると復活した新羅が溜め息を吐きながら言ってきたので一瞬なんの事かわからなかったけど、さっきのばじ…………何とかのことだろうと判断して話を続ける。

「話半分ね…………確かに、真に受けるべきじゃないってのは分かる」
「うんうん」
「まあ、俺は別に折原に苛められたとか否定されたとかじゃないけど」

勘違いしてそうなので改めて言葉にすると「あれっそうなの?」と新羅がまた頬杖をついて此方を見るので「そんなことで泣かないでしょ」とじと目で返す。

「なら何を言われたんだい?」

言いにくいことを聞いてくる新羅をまた無視してゲームを進めていくと、新しいマップに移った途端開いていない宝箱が目に入った。あれ、何で開いてない?

「ねえ、もしかしてセルティってまだここ来てないの?」
「…………いや、多分行ってる」

どじっ子セルティ、という言葉を思い出して納得し、多分新羅も同じことを考えているんだろうなあ、と感じながら宝箱を開けると回復アイテムが入っていたので取っておく。

「…………で、話を戻すとね? 多分僕の予想だと、名前はこう言われたと思うんだよね」

勝手に話を戻して進めていく新羅にツッコもうとコントローラーを膝において新羅に身体を向けると、新羅がヤレヤレといった表情を作ってからこう言った。




「君って゛人間゛は面白いねえ……………って、当たった?」



折原の声真似をしているのか、変な声でそう言った新羅をじっと見つめてから特に否定せずに視線をゲーム画面に戻すとその俺の態度になにかを察したのか新羅がと少し驚いたように言ってきたので、俺はそれにも否定せずに「…………わかんない」と肯定とも取れる言葉を返す。

「…………あぁなるほど、君は傷ついて泣いたんじゃなくて゛嬉しくて゛泣いたのか」

手を打ちながら納得したように言う新羅の言葉に、改めて考えると恥ずかしいなあと感じながら「まあね」と今度は確実な肯定をあらわして新羅を見つめて言葉を続ける。
いつも化物扱いばかりされて、ついには自分のことを少しずつ化物だと認めることをしていた俺に対して、゛あの事゛を知っていながら人間扱いしてくれる人間はあまりにも稀少で、だからこそ俺にとってもそういうやつの印象は嫌でもよくなる、だから。






「…………俺……折原のこと好きになりかけてる」

俺が呟くようにそう言った直後に、ゲームの中の主人公セルティのレベルアップ音が部屋に鳴り響いたことに、思わず面白くなって少し笑顔になる


「……………へえ!」

俺がいま笑っている理由を知ってか知らずか、そんな俺を見て新羅は驚いたように目を見開く。

「おすすめはしないけど、否定もしないでおくよ」

そう続けて言われた言葉に何となく違和感を感じたけれど、その違和感の根本がよくわからなかったので曖昧に返すと「かく言う俺なんて、セルティという人間でない首無しの女性に恋してしまったのだから」なんて自虐が返ってきたもんだから、普段なら絶対言わないけれど、ここまで聞いてくれた代わりとして「前から思ってたけど、セルティと新羅ってお似合いだと思うよ」とゲームの戦闘画面を見ながら本音を言う。すると、新羅はいきなりガタッとテーブルに脛をぶつけながら立ち上がると俺の肩を掴もうとして俺の怪我を思い出してやめた、かと思うと俺の手からコントローラーを取って、空いた俺の手を自分の両手で握ってきた。

「え、なに?」
「君の言葉で少し救われた気がする、ありがとう」

新羅はそう真顔でお礼を言ってきたかと思うと、続けるように「名前の恋、私も応援するよ」とよく分からない台詞を口に出した。

「俺の………こ、い、おおう……応援?」

俺の頭が全くついてこないので、それにともなった言葉も上手く出てこない。とりあえず頭を整理しようかと口を閉ざした瞬間に後ろにある玄関の方から扉が開いた音がすると、目の前にいる真剣な顔をしていた新羅が一瞬で笑顔になったかと思うと「セルティーーー!!」と叫んで玄関の方へとスキップして行ってしまった。




暫く呆然として、自分が何か重大なミスを犯したらしいことに今気づいた俺は、現実逃避のために主人公セルティのレベル上げに勤しんだ。


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