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 屋上で折原と対峙してから、これまでの日常が嘘のように折原の嫌がらせがぱったりとやんだ。今日で丁度二週間なにもされていない。それこそ最初の一週間の放課後はいつも通りビクビクしながら帰っていたけれど、人はすぐ環境に慣れてしまうもので二週間目には心穏やかに放課後を学校内で過ごすほど順応していた。嫌がらせを止めることが折原にとって何を意味するのか分からないけれど、今のこの期間が折原の言う火種が燻っている期間だとしたら怖いなあ程度にしか考えていないし、それに自分が関わるとはあまり思っていないので結構気楽に放課後を過ごしていた。多分ここら辺が俺のバカさを露呈しているんだと思う。
そして今はそれから一週間最後の放課後、つまりは金曜日。俺は特にやることがないので放課後になるといつも真っ先に帰ってしまうんだけど、今日は川崎さんに放課後教室で待っていてと言われているので机に突っ伏して待っている。
最初そう言われたときは何を言っているのか理解できなくて、川崎さんにリンチされるのかも、と臨也に染められまくった思考に至ったため危機を感じたので断ろうと思ったけれど、一度川崎さんから貰った紙をなくしているので罪悪感から「いいよ」と返事をしてしまった。けれど、よくよく今考えてみると、罪悪感からリンチされるのを許容するっておかしいよね。というか、川崎さんにリンチされること自体無いに等しいよね。

「やってしまった」

頭を抱えながら小声でそう呟くと同時くらいに、教室のスライド式ドアがカラカラと開いた音がしたので顔を上げてそちらを見ると、そこには俺をここに留まらせた本人の川崎さんがいつものセミロングくらいの髪を手でとかしながら立っていたので俺も倣って立ち上がる。

「えっと、残ってくれてありがとう」

うつ向き加減で俺にお礼を言う川崎さんの黒髪の旋毛を見ながら「いいよ」と答えると、川崎さんは「えっと」とか「その」とか言葉を言い出そうとして引っ込める作業を何度も繰り返し始めた。その間で俺の中の緊張が薄れてきたのか、少しうつ向き加減だけれどたまに俺の顔を見上げる川崎さんをマジマジと見る余裕が出来た。

「あの、川崎さん」

自分の手をきつく握り締めている川崎さんを不思議に思って声をかけると、川崎さんはいきなりパッと顔を上げる。

「名前、知ってくれてたんだ」

目を見開いて驚いたように見つめてきたので、俺は首を傾げながら「クラスの人の名前はみんな分かるよ」と川崎さんの目を見つめて言うと川崎さんは自嘲気味に視線を逸らし「だよね」と呟く。

「でも、やっぱりそういう優しい人だった……」

すると、俺から視線を逸らした川崎さんがよく分からない会話を展開してきたので、俺は特に反応を見せないまま川崎さんの顔に手を伸ばす。

「わ、えっ」

俺の手が伸びてくるのに後退りする川崎さんを見て少し悲しくなったけれど、その思いに負けじと川崎さんの頬に触れる。すると、川崎さんはピクッと身体を揺らして何か期待するように俺をじっと見つめてくる。けれど、俺にはその期待の方向性が分からなかったので、ずっと気になっていた川崎さんの頬についている睫毛を取ってそれを見せる。

「あ、え、ありがとう」

戸惑っているのか視線をあっちこっちに逸らす川崎さんに申し訳なく思いながら、俺は川崎さんの頬に触れたときのことを考える。
あの俺が触れたとき一瞬ピクッてなる反射、平和島とおんなじだなあ。
平和島も俺が手に触れる度にピクッとなってからじっと見つめてくるし、今の川崎さんも頬に触れたときピクッとなってから俺を見つめてきたし。
川崎さんに触れた瞬間はもしかして怖がらせたかなって思ったけれど、平和島と川崎さんの反応が同じということは平和島も俺が怖いということ…………ってそれはないな。うん。
なんてことを考えていて目の前の川崎さんを放置していると、いきなり「名字くん」と俺の名前を呼んできたので、それに応えるように再び川崎さんにに視線を向け直す。









「…………その、好きです」


「…………………………え?」

その台詞を言った瞬間、教室と主に俺の空気が止まった気がした。
けれど、川崎さんはその言葉を言うと、続けて自分の気持ちを伝えてくる。

「あの、折原くんの手紙渡してから、ずっとずっと名字くんのこと気になってて。もっと怖い人だと思ってたから、その、すごく優しくて笑った顔がかわいいなって、思って」

さっきのだんまりと反比例するように捲し立ててきた川崎さんのに、俺は呆然と反応すらできずに、ただ聞くことしか出来ないでいた。

「えっとだから…………もっと、知りたいから、付き合ってください」
「…………これ、告白?」

自分で思ったよりも小さな声が出たな、と思っていると川崎さんが「は、はい」とまたうつ向き加減で返事をしてくれた。
こ、告白って……あの青春真っ只中の人間だけに起こりうるあのイベントだよね、付き合ってって職員室にじゃないよね。

「ちょっと、待って」
「う、うん」

少し浮き足立った自分の心を制しながら川崎さんに猶予を貰う。
いや、直球で言うと、これは折原の仕業じゃないのかっていう疑問が俺の中に浮かんできたのだ。
前に折原は手紙を川崎さんに渡しているし、さっきの会話で折原の名前が出てきたところもなんか怪しく思えてくる。
化け物だと自分で思っているやつが、人間扱いされて、しかも好きだと告白されたらどう感じるのか…………みたいな実験でもされているのではないかと勘くぐる。


「…………」
「…………」


いや、ないな。
俺が設けた無言の時間がたつにつれて顔が赤くなる川崎さんが、本職の女優ビックリの演技派高校生でもなければ、確実に俺のことを異性として見ているしこの告白は嘘でもヤラセでないとは思う。

「あのさ、折原のことどう思う?」
「……えっ」

告白してくれたことに嘘偽りないと分かってはいてもやっぱり不安は拭えないので折原の名前を出して聞いてみる。折原のことに関してはどんな些細なことでも抜かりなく、不安を排除しないといけない気がしてならない。

「えっと…………カッコいいけど、平和島って人といるときは、怖いかな。でも話してみたらいい人だよ」

そんな俺の目論見を知るよしもなく、川崎さんは拍子抜けしたような表情で反応してから絞り出すように答えてくれた。
なるほど、この学校にいる女生徒の一般論みたいな回答だ。

「そっか」

そう短く返し、折原の影がなさそうだと判断して川崎さんを見つめると、川崎さんは不思議そうな顔且つ少し恥ずかしそうな顔で俺を見つめ返して、告白の返事を待っている態度をあらわした。
そっか、俺って隠せばちゃんと人に見てもらえるんだ……………隠せば。

「…………俺さ、川崎さんの思っているような゛人間じゃない゛から、付き合うっていうのは出来ない」

目をそらさずに真っ直ぐ川崎さんを見つめていると、うるうるとしだした川崎さんの瞳から一つの涙が頬に伝ったのも見てしまい思わず眉をひそめると、川崎さんは切り替えるように俺を見上げて笑ってきた。けれど、俺はその川崎さんの笑顔に申し訳ないとか苦しいとかそんな感情より、変な違和感を覚え、少し首を傾げる。

「じゃあ仕方ないね」

川崎さんはそうニコッと笑ったまま言うと「じゃあね」と俺の返事を聞かずに教室を出て行ってしまった。
そして、俺は何故かうすら寒い感覚を抱き一人残された教室で深くため息を吐いてから、自分の席にもう一度座って重たい沈黙のなかポツリと呟く。

「俺って、人間なのかな」


 

                ◆◇




 月曜日、俺は一睡も出来ないまま登校した。俺の体には特になんの疲れもダルさも無かったけれど、脳内が睡眠を欲していたので昼休みを有効活用して眠ろうと考えて持ってきていたタオルを枕にして机に突っ伏す。
昨日あんなことがあったのに隣の席の川崎さんは笑って「おはよう」と言ってきてくれたり今も「昼休みに寝ちゃうの?」と話し掛けてくれる。それに対して俺も「寝ちゃうの」と返しながら、女って分からないなあと思う。
というか、昨日から川崎さんが違う人間のように思えてならない。なんというか、キャトルミューティレーションでもされたんじゃないかってくらいに。別に外見が変わったとか性格が変わったとかじゃなくて、何となく、川崎さんと話すと嫌な悪寒が駆け巡るような感覚。
そんな失礼きわまりないことを考えて窓の方を向いて眠気を甦らせながら机に突っ伏していると、トントンと控えめに背中が叩かれたので何事かと眠気を仕舞って身体を起こしてそちらを向く。


「名字くんのこと呼んでるみたい」


川崎さんが俺の方を見ながら後ろのドアの方を指差して教えてくれたので視線をそちらへ向けてみたけれど、知り合いなど見つからなかったが、取り敢えず教えてくれたことに対して「ありがとう」と言って立ち上がる。
ドアに向かうまでクラスメートたちにすごく視線が向けられることに居心地の悪さを覚えながら教室を出ると、そこには「おはよう」と笑ってくる新羅がいた。

「……俺、新羅見ると安心するんだけど、なんでかな」

前にも感じた感覚に疑問を覚えると新羅は「僕が君の保護者だからじゃないかな?」と軽く言ってきたので何となく納得しながら「はいはい」とあしらうように返事をする。

「んで、どうしたの? 新羅がこっち来るの珍しいね」
「ああいや最近、セルティが君に会いたがっていてね」
「…………セルティ?」
「直接言葉にしなくても、突然来なくなった君のことを気にかけてるみたいだ」

俺の質問に少し悔しそうに答えてくれるもんだから、俺は途端に会話がめんどくさくなる。
確かにここしばらく折原に嫌がらせを受けなくなってから、新羅のワイシャツを返しに行った時以来セルティには会っていない。俺の通学路をわざわざ通らなくてよくなった旨も新羅から伝えて貰っているし、折原の嫌がらせがなければ大きな怪我もしないのでセルティにも新羅にも三週間近くあまり顔を合わせていなかった。というのも、新羅とは同じ学校にいても俺達どちらもが教室からあまり出ないので話もしなければ顔も合わさないのだ。

「確かに、会ってないね」
「だから今日来ないかって話をしに来たんだけど」

学校でセルティの話をする新鮮さを感じながら了解の返事を返すと、新羅は「良かった」と短く言ってから自分の用件が終わると「じゃあ、迎えにくるよ」と俺に背中を向けて去ろうとする。

「あ、待った」

一方的に話を終わらせてきた新羅の腕をつかんで立ち止まらせると「なんだい?」と俺の方を改めて向いた新羅が首を傾げながら言うので、俺は掴んだ手を話しながら視線を横にそらして口を開く。

「あのさ、セルティに何かプレゼントしたいんだけど……なにあげたら喜ぶかな」
「…………セルティに?」

今まで俺を回収してくれたお礼に何かをプレゼントしようかと思っていたけれど、セルティのことをよく知らない俺には全く良いものが思い至らなかったので聞いてみただけなんだけど、それがどうも新羅にはよこしまな考えがあると誤解されたらしく、俺のことを訝しげに見てくる新羅と目が合う。はー、めんどくさい。

「…………ほら、セルティを新羅が一番見てきてるじゃん、だから新羅じゃないとわからないことってあるでしょ?」
「ああ、なるほど! いやあ、流石僕のセルティへの思いに気付くことでは臥竜鳳雛の君だけあってなかなかよくわかっているじゃないか!」

俺が溜め息混じりにそう言えば、思惑通り気分を良くする。
いや、新羅ってセルティのこととなるとめんどくさいけど単純だし、アグレッシブだし。そして、いつもの意味の分からない言葉を使って俺を表してくるけど、誉めてるか貶しているかも分からないのでとりあえず「うん」と頷いておく。

「じゃあ、今日迎えに行ってから一緒に土鍋を買いに行こうか」
「ど、土鍋?」
「最近、深い土鍋が欲しいって言ってたからね」
「土鍋かあ…………」

俺を回収してくれたお礼が鍋っていうのも可笑しな話だけど、他に案も浮かばないので「わかった」と返事をすると、新羅はまた「本当は私が買ってあげようと思ってたんだけど」と唇を尖らしてきたので俺もまた溜め息を吐く。セルティに関してのことは頑固者に変身するから鬱陶しい。

「セルティが喜んでくれるなら、どっちでもいいじゃん」
「良くないよ! セルティの好感度は僕だけが上げればいいんだから!」

俺と新羅という学校の人間から避けられている二人が話しているせいで、ただでさえ静かになっている廊下に、新羅が響き渡るような声量で下心しかない台詞を叫ぶものだから俺は心のなかで頭を抱える。

「どうしたんだい?」
「持病の偏頭痛が」
「え? 君に持病なんてあるわけないじゃない」
「うるさい」

適当に返した俺に新羅は笑って真面目なことを言ってきたので、俺も笑って新羅の鼻を摘まんで引っ張る。
そして痛がる新羅とざわつく周囲を見た俺は自暴自棄になって、新羅の鼻から手を離す。


「あとでね」


そう言い残して後ろを向いて「うん」と新羅の声が背中の方から聞こえたので、俺は振り返らずに教室に戻り惰眠を貪った。

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