夜霧を払った一条の光でも、深海の奥底を照らすことは難しいものだ。
名前を尋ねられた彼女は冷静に。それでいて、無邪気な笑顔を作りながら言った。

「アメリアよ。それが、親からもらった名前なの」

続けて「素敵でしょ?」と、子供らしく・・・・・首を傾げた。そこまでしなくとも、ジョナサンは必ず「よろしくね、アメリア」と返しただろうに。
それからジョナサンとアメリアは握手を交わしたのだが。新しい友人が出来たことを素直に喜んでいるジョナサンとは違って、アメリアの笑顔の裏には巧妙に隠された悲しみが存在していた。
正確ではないと言うだけで、決して嘘ではない。その名も確かに両親から与えられた名前ではあるのだから。だがそれ以上に留意しておいてほしいのは――まるで子供の言い訳のように聞こえるかもしれないが――「自己防衛のために偽ること」は果たして悪と成り得るのか、ということだ。


ここで少しだけ寄り道をしよう。彼女の体質についてだ。
彼女は「不老不死」である。読んで字のごとく「老いることも死ぬこともない者」だ。
とはいえ、風邪をひく。怪我だってする。そして痛覚がなくなったわけでもない。よって相応の仕打ち・・・・・・を受けた場合は、いくら〈不死者〉と言えども動けなくなる。それが「絶命」には至らないだけ。心臓を遠くへ投げ捨てられようとも、その身を細かく切り刻まれようとも、決して死ぬことは出来ないというだけなのだ。

「では、何をしても絶対に死なないのか?」――答えは「否」だ。〈不死者〉になった者でも死ぬことは出来る。それ相応の準備と手順を踏むことさえ出来たなら。
しかし神の定めた理から外れてしまった〈不死者〉が簡単に許してもらえるわけがないと言わんばかりに、その最期は恐ろしいものになるだろう。それでも救いはある。
その〈不死者〉の知識や経験は受け継がれるということだ。

さて。
今しがた「〈不死者〉でも死ぬことが出来る」「〈不死者〉の知識や経験は受け継がれる」ことを「救いだ」と述べたわけだが。そこに「〈不死者〉の意思は関係ない・・・・・・・」となれば、それは「救い」と呼ぶことは出来るのか。
例えば、己が利益だけを思い求め、何人もの〈不死者〉を一方的に消してしまった場合でも――悲鳴に満ち溢れた凄惨な体験した彼女に対して「彼らは救われたのだ」と、果たして言えるだろうか?


話を戻そう。
そういった過去があるからこそ、アメリアは他人を吟味するようになった。病的なまでに平穏無事を追い求めては「自己防衛」と称して嘘に塗れた生活を送り続けた。そこまでしても尚、他人に心を許すことが出来なかったからこそ百年以上も頑なに目を逸らし続けていた。だというのに。
やはりジョナサンは、太陽が昇るように呆気なく夜の闇を世界の裏側へと追いやった。ともすれば、すぐに沈んでしまいそうな危うさもあったが「またしてもアメリアの興味を惹いた」という点においては、行く末を期待をせずにはいられないと思わせる爛漫さを持ち合わせている。
それを遺憾なく発揮して、ジョナサンはアメリアに笑いかけた。

「面白いものを見せてあげるよ、見ててッ!」

無邪気な声を上げながら、ジョナサンがおもむろに靴の片方を脱いだ。かと思えば、蹴り上げる足の力だけで器用にそれを遠くに飛ばして見せた。すると弾かれたように飛び出したダニーが「あっ」と言う間に追いつき、飛び上がった姿勢のままで難なく靴を捕らえた。思わず「わあ、」と声を漏らしたアメリアの様子からも、息の合った見事な動きであったことが窺える。
戻って来たダニーから靴を受け取ったジョナサンは誇らしげに、そして期待を込めた笑みで「今みたいにやるんだ」と、同じことをアメリアにも促した。確かに芸としても手本としても申し分のないものではあった。が、それゆえにアメリアは勘違いをしたのだろう。

「すごく面白そう。やってみるわ」

自信たっぷりに頷いて返したことでアメリアの手番となったわけだが――言わずとも分かるように――その結果は大失敗であった。
ジョナサンの靴が大きすぎたからなのか、見様見真似ゆえに力が入りが過ぎていたからなのか。何にせよ、様々な要因に囚われた靴は不規則な回転を繰り返し、すぐ隣の小川に向かって転がっていってしまった。
それを追いかけたダニーが吸い込まれるようにして水面に飛び込んだのは、ジョナサンにとっても予想の範疇はんちゅうだったのだろう。だからこそアメリアに笑いかけたのであって、まさかアメリアまでもそれに続くとは思いもよらなかったはずだ。
不意を突かれたジョナサンが呼び止めるよりも先に、豪快な水飛沫の音が辺りに響いた。

「だ、大丈夫っ?」
「私は平気よ。それよりも、どうやったらあんな風に飛ぶのか教えてほしいわ。今のままだと、あと数回は“ここ”に来ることになりそうで」
「うん。でもまずは上がってからだね」

小川の深さはアメリアの膝丈にほど近いとはいえ流れ自体は穏やかに見える。それでも不安を隠しきれず、慌てた様子で走り寄ったジョナサンは「ほら、つかまって」と川岸から片手を伸ばした。その一連の行動を大袈裟だと捉えていたようだがジョナサンの心配そうな表情に絆されたのか、はにかみ・・・・ながら差し出された手を掴んだ。それによってアメリアは難なく引き上げられた――のだが。
二人の近くで身震いをしたダニーによって、再び水を浴びることになった。

「ああ、ダニーったら!」
「びっくりしたぁ……あれだけ短い毛でも、こんなに水を含んでいるものなのね」
「いや、今日はトクベツだよ。きっとそれだけ楽しいんだろうな」

肯定を示したのか、それとも単に名前を呼ばれたことに対する返事だったのか。はち切れんばかりに尻尾を振りながらジョナサンとアメリアの周りをグルグルと走るダニーが、次の投擲を待ち望んでいることだけは確かだったが、ジョナサンは緩く首を振った。

「ダニーには悪いけど一度もどろう。このままじゃ、ぼくたちが風邪をひいちゃうよ」
「平気よ、このくらい。すぐに乾くわ」
「そうだとしても、スカートをぬらしている女の子を遊びにはさそえないったら」
「どうして?」
「だって、これ以上 言い付けをやぶったら、きっと外出禁止になる……それだけじゃあすまないかも」
「安心して。私がケガをすることは絶対に有り得ない・・・・・・・・もの」

断言してみせる意味を理解出来ないジョナサンは不思議そうな表情を浮かべた後で、冗談か何かだと判断したのだろう。有り得ないと言わんばかりに笑いながら、それでも「そんなにすごい力を持っているなら、これからぼくが叱られる未来も変えてみてよ」と返した瞳には僅かばかりの期待が混ざっていた。だからだろうか。
「いいわよ。でもまずはお手本を見せてもらわないと」と言い返したアメリアが浮かべた笑顔は、作り物ではないように見えた。

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