彼は誰時

私は山南さんに頼まれ、墨を買いに町まで来ていた。
手元には山南さんに書いてもらった地図があり、それを見ながら私は京の大通り歩いていた。
今まで墨を買いに来た事がないために地図を書いてもらった訳なんだけど……。

「あれ?」

地図では、この辺のはず……。
キョロキョロと辺りを見渡すが、墨屋らしき店は見当たらない。
道を間違えたかな……?

「どないしましたの?」

後ろから掛けられた声に私が振り返ると、可愛らしい町娘が立っていた。

「ああ、墨屋を探してるんだが、迷ったみたいなんだよな……」

私は決して方向音痴ではないつもりなんだけど……。
どうして地図もあるのに迷ってしまうのだろう。

「うちも墨屋に用事がおますさかい一緒に行きまひょ」

「本当か?助かるよ」

思ってもない申し出に喜びながら、町娘の後を付いていく。
町娘の案内で無事に店に着いた。
私は道を一本間違えていたらしい。
墨も買え私は、店先であの子が出て来るのを待っていた。

「おおきに」

その声と共に、あの子は出て来た。
私と目が会うとペコリと頭を下げる。

「ここまで案内してくれて、ありがとうな」

「滅相もあらへん」

私がお礼を言うと、その子はにっこり笑って首を振るが、真面目な顔になると再度口を開いた。

「うち、あんさんに謝りたいと思っとったんどす。助けて貰ったんにあないな口をきいて……」

「え……?」

どこかで、この子と会った事があったっけ?
ジッと、その子を見ながら考える。
助けたのに、あんな口をきいて謝りたい……。

「あっ!ああ!あの時の舞妓さんか!」

あの時――芹沢さんが盃を舞妓に投げつけた――記憶が甦り、私はぽむと手を打つ。

「偉いお侍はんは、お座敷でのことなんて、いちいち覚えてへんどすね」

その姿を見た舞妓――確か小鈴という名前だったはず――が、少しふてくされるようにプイと顔を背けた。

「あ、いや…!姿が違うから全然分からなかったんだ」

だから、ごめんな?と私が顔を覗き込むと、チラリと私を見てふふっと袂で口を隠して小鈴は笑った。

「あのときは、ほんまおおきに」

「いや。あんたに怪我が無くて良かったよ」

女の子が怪我なんてしちゃ駄目だし。うん。
と思っていると小鈴は心配そうに

「あんさんは、どこも怪我してへんどすか?」

と聞いてきた。

「ああ、俺は大丈夫だ」

「よかったどす」

小鈴は安心したのか花のような笑顔を浮かべて私を見た。
か、可愛いっ!
女の私でも、そう思うってことは…こりゃあ、小鈴目的のお客さんが沢山いるんだろうな。
不意に、小鈴は顔を暗くさせ

「……芹沢はんいうお方は、浪士組として京を護るために来はったとお聞きしました」

目を伏せながら小鈴は呟く。

「せやのに、なんでうちらみたいな弱い者に酷いこと、しはるんどすか?」

なんだか、それが酷く寂しげに聞こえた。
だから私は、わざと明るく応える。

「弱い者だけじゃないさ、俺だって浪士組の連中だってしょっちゅう酷い目にあってるんだぜ。もう嫌になっちゃうよ」

大袈裟に、はあとため息をつきながら頭を振ると、小鈴はそれを見てクスクスとおかしそうに笑った。
それを見て私は嬉しくなる。

「あんたは、そうやって笑ってた方がいい」

「…え?」

ぽんぽんと私は小鈴の頭を撫でる。

「あの時の事、気にしてないから。今日は助かった。ありがとう」

それじゃあな。と私は小鈴に挨拶して踵を返した。

「あの!良かったら今度また、うちをお座敷に呼んでおくれやす!」

後ろからの小鈴の声に私は足を止め振り返り、

「約束は出来ないけど、もし行く事があれば、な!」

その言葉に小鈴は笑顔になった。
私も口角が上がったのを感じながら、小鈴に背を向け歩き出すのだった。

壬生寺の前を通りかかったとき

「はぁぁぁ!」

境内から原田のものらしき声が聞こえた。
ぴたりと足を止め、そちらに顔を向ける。
中央で長い槍を軽々と振り回し、突きを繰り出す原田がいた。
少し離れた所には沖田と斎藤もいる。
沖田は素振りを斎藤は巻き藁を斬り捨てている。
沖田も斎藤も人を斬ったんだよね……。
ってことは原田も平助も……みんな……。
覚悟して自分の意思で、後の人斬り集団と呼ばれる新選組に入って……。
原田や斎藤、沖田の動きには目を見張るものがあってジッと見ていると気配なのか視線なのかを感じた原田がこちらを向く。

「ようっ!龍之介!一緒にやろうぜ」

こいこいと手招きする原田に、沖田も斎藤も私に顔を向ける。

「え、いや……俺は……」

モゴモゴ私が言っている間に原田は近付いてくると、私の肩に腕を回し無理やり沖田と斎藤のところまで連れていく。

「鍛練すれば、もっと強くなるぞ。な、やろうぜ」

「……でも、俺は……」

煮え切らない態度の私にイラついたように沖田が口を開く。

「君さ、いつまでも逃げてないで、いい加減腹くくれば?見ていてイライラするんだよね」

その言葉に私は、ドキリと心臓が鳴り目を見開く。

「剣術が出来ぬのなら、尚更剣術を学んで損することはない。あんたは対術を使えるのかも知れんが、それだけでは敵に勝てぬ事もある」

斎藤も真剣そのもので私に言うけど私は……。

「……怖いんだ……」

「怖い?」

原田が私を覗き込みながら尋ねる。

「俺は、これを持ってはいるが……なんで持っているのか分からない。それに……自分の手で人を傷付けるのが、一番怖い……」

私は手を腰に持っていき、刀に触れる。
刃物を振り回したら怪我をして下手をしたら死ぬ。
視線もそちらに向けていたため、皆がどんな表情をしているのか分からない。
そういえば……最近、元の世界に帰りたい、夢なら覚めて欲しいと思わなくなった。
むしろ、皆との関わりが楽しい、ずっと一緒に居たいと思うようになった。
斎藤、永倉が血まみれで帰ってきた時も沖田の時も驚きはしたけど怖いとは思わなかった。
いつの間にか……私はこの世界を受け入れて、ここで生きたいって思うようになってたのか……。
だけど、今は剣を取る勇気は持てそうもない。

「……そうか。おまえの気持ちはよく分かった」

原田の言葉に私は顔を上げる。

「だがな、龍之介。自分の身を守る為に剣術を学ぶのは、悪い事じゃねえと思う。刀を抜くか抜かないかは、よく考えて自分で決めればいい」

「……うん」

そうか……。そうだよね。
別に剣術を学んだからって、絶対刀を抜かなきゃいけない訳じゃないんだ。

「……井吹君って馬鹿だよね」

呆れたように、沖田が見てくるから

「うっさいな」

ぷいと私は顔を背ける。
グシャグシャと原田に頭を撫でられ、顔が熱くなるのを感じながら「やめろって」と手を退けていると、斎藤がふっと笑っていた。
斎藤って、結構笑うんだな……。
その顔に見とれてしまったのは秘密だ。

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