17.Call Me



烏養さんの大きな手が、私に触れた。
あの声で名前を呼ばれて顔をあげる。
ゆっくりと近づいてきて、それで。



「…んぅー…ん…」

幸せな夢から醒めるのが名残惜しくて、覚醒していく意識をずるずると引っ張る。
でもそれを許さないのは、現実での電子的な音だ。

「…?誰よ、もー…」

ブーブーと煩く鳴っている携帯の振動音を止めるべく液晶を見ると、見知らぬ番号からの電話だった。
知らない番号には出ないように言われているから、そのままスルーする。

携帯で時間を確かめるともう21時だった。
枕元の体温計で体温を測ると微熱にまで下がっていて、沢山寝たからなぁと、思いながら伸びをして部屋の電気を点ける。

フミちゃんがお見舞いに来てくれた日から、2日経ってようやく体力が戻ってきた。
一度熱が出ると下がるのに時間がかかってしまう。
もう随分烏養さんに会ってない気がする。
でも。

「はぁー…」

夢で見た烏養さんのことを思い出して、ベットに倒れ込んだ。
枕に顔を埋めて、もう一度夢の記憶を反芻する。

「…もう!」

再度短く鳴って、メールが来たことを知らせる携帯を引っ掴んだ。
画面にショートメールの内容が表示されている。

『烏養です。体調大丈夫か?電話は気にしないでくれ』

ばっとその場で起き上がる。

ーえっ!嘘っ!待って!えっ!!!えぇっ!!!!!

数回ショートメールに目を通した。
わたわたと意味もなく部屋を歩き回って、気持ちを落ち着ける。
無意味に髪を整えてみたり、部屋を片付けてみるけれど、心臓は早くなっていく。
震える指で着信履歴を開いたときには、もうすでに30分くらい経っていた。
がんばれ私、と心の中で言って、大きく深呼吸する。
やっと、さっきの知らない番号を押した。

「…はい、烏養です」
「あ…あの、烏養さん、名前です」
「あ、すまん、寝てたんじゃないか?」

ガヤガヤと音がして、数コールで電話に出た烏養さんが電話の向こうで慌てているのが分かる。
耳元で烏養さんの声が響いて、心臓の音が爆音で鳴っている。

「あの、今大丈夫でした?」
「あーうん、大丈夫。ちょっと飲みに来てた」
「あ、ごめんなさい、私がさっき出ておけば…」
「いや、いい、大丈夫だから、今店出る」

ガラガラと扉が閉まったような音がして、背後が静かになった。

「すまん」
「いえ…あの、体調のこと誰から」
「あぁ、何だっけ、フミちゃん?だったか」

烏養さんが違う誰かの名前を呼んだだけで、苦しい。

「あの子に聞いた。熱、大変だったな。大丈夫か?」
「…はい」

あぁだめ、また熱上がりそう、と自分の首筋に手の甲を当てて体温を確かめた。

「なんかまだ元気ねぇな」
「それは」
「ん?」

どうした?、と烏養さんが、いつもよりずっと優しい声で聞いてくれる。
その声を聞いたら、喉がキュッと閉まって、うわーっと涙が上がってくる。

「ふっ…うぇ…」
「おい、泣いてんのか?大丈夫か?」

必死で堪えるけど、一度込み上げたものは戻ってはくれなくて。

「わっ、わた、し」
「ゆっくりでいい。どうした?」
「わたし、も」
「うん」
「名前」
「え?」
「名前で、呼んで欲しい、です」

切れ切れに言って、そのままグスグスと鼻と喉を鳴らす。
あぁこんなの嫌われてしまう、と思ってももう遅い。
烏養さんは無言になってしまった。

「ごめ、」
「っ…だっはは!!!お前は、ほんと、はは!」

ごめんなさい、と言おうとした声は、烏養さんの笑い声に掻き消される。

「笑わないでください〜…」
「いや、すまん。あーえっと…名前?」
「っつ〜…!!!」

烏養さんはくすくすと笑って、じゃあ俺戻るな、暖かくして寝ろよ、と言って電話は切れた。

携帯を握りしめたまま、壁に背をつけてずるずると崩れ落ちる。
烏養さんはどういうつもりなんだろう。
これじゃあ。

「…勘違いしちゃうよ」

案の定上がり始めた体温を感じながら、熱くなった目頭を抑えた。